失踪事件
……これは、ある国の、とある日の失踪事件である……
日曜日の午後。町はすでに、夕焼けに染まっていた。
「ねぇねぇ、今日のポチの散歩は僕一人で行ってもいい?」
少年は、夕飯を作っている母親の服を引っ張りそう言った。
母親は、少し困ったように笑い、一人で行っちゃだめだ、と咎める。が、少年は引き下がらない。
「僕だって、もう10歳だよ。お母さんと一緒じゃなくたって、大丈夫だもんっ」
「聞き分けの悪い子ね。もうそろそろ暗くなるから、パパと行きなさい」
相変らず服を引っ張る子供に対し、一瞥もくれないで母親は答えていた。
その答えを聞き、母親に言っても無駄だと考えたのだろう。少年は、一人本を読んでいた父親のもとへと向かう。
「ねぇ、お父さん。ポチの散歩……」
「……それくらい一人で行けるだろう?暗くなる前に行ってきなさい」
どうやら、父親の考えは母親のそれとは違うらしい。少年は、それを聞くと、目を輝かし、明るい返事をした。
父親は、少年の頭の上に手を置き、一つ約束をした。
「でも、裏山には入ってはいけないよ。暗くなる前に帰ってくること。約束できるかい?」
「うんっ!」
「じゃあ、行ってらっしゃい」
少年は、父親に背を向けそのまま、家を飛び出していった。
「ポチ、散歩だよっ」
少年の声が庭から聞こえた。
「遅いわね」
母親がテレビを切り、そうつぶやいた。時計の針は、あれから、30分以上動いている。ただの犬の散歩にしては時間をかけすぎだ。
父親も本から目を離し、時計を見やり、
「確かに遅いな。ちょっと見てこよう。」
読んでいた本を置き、立ち上がる。
「見つけたら、すぐに戻るから、君はうちで待っていなさい」
父親は母親を家に残し、少年を探しに行った。
――まったく、あまり遅くなったらだめだと言ったのに……。いったいどこで、油を売っているんだ。
ポチの散歩コースは、いつも同じ道である。ゆえに、少年はそこを散歩したはずだ。しかし、その道を歩けば、どんなに長くても10分とかからない筈である。どこかへ探検にでも行って、迷子にでもなってしまったのだろうか。
気が付くと、目の前には我が家があった。どうやら、一周してしまったらしい。少年とは、出会うこともなく。
「あいつ、散歩コースにはいなかった。おそらく、どこかに探検して、道に迷っているんだろう」
「そんな。早く、探しに行かなくちゃ……」
母親は、慌てて外へと飛び出し、父親もその後を追った。
「太郎っ。太郎っ!」
「おぅい。太郎」
二人はもう一度散歩コースを、探している。
――いったい、どこに行ったんだ。
時間がたつにつれ、二人に不安は大きくなっていく。
辺りは、徐々に暗くなっていく。
散歩コースのちょうど真ん中あたりに差し掛かったその時だ。二人は、道路わきの茂みの中に袋を見つけた。
「あなた、これ」
母親が拾い上げたそれは、ポチの散歩セットであった。そして、その先は裏山へと続く、街灯のない一本道。
「太郎っ!」
父親は、山のほうに向かって叫ぶ。しかし、反応はない。
――どうしたものか。この道はもう真っ暗だ。ここは警察に連絡して……。
「事件ですか。事故ですか」
「はい。……」
母親は、散歩セットを抱き膝をついていた。
翌朝。少年の家には何人かの警察がやって来ていた。
「では、お子さんを見たのは、犬の散歩のために家を出たとき。で、よろしいですね?」
「はい。」
母親がハンカチを手に答える。
「なのに、いつも散歩する道にはいなかったと。」
警察は手帳にペン先を、トントンと当て、少しの間思案すると、
「何か、手掛かりはありませんか?例えば、その日の服装とか」
父親は、上を仰ぎ、思い出そうとする。
「えっと……。青色の半パンと、赤いTシャツを着ていました。それと」
言葉を切った父親は、散歩セットを警察に渡す。
「家の散歩セットが裏山への道に落ちていました」
「裏山、ですか」
警察は袋を受け取る。
「息子は裏山に入っていったのではないか。と思うんです」
「なるほど。それが、一番可能性がありそうですね。では、裏山を中心に捜索してみましょう。では」
警察は、二人に軽く頭を下げ家を出て行った。
その日の夕方。少年の捜索が始まる。すると、一人の警官が父親と母親のもとへと駆けてきた。
「では、全員一列となって捜索を開始します。お二人はここで待っていてください」
「わかりました。よろしくお願いします」
二人は警官に頭を下げ、お願いをする。その様子に敬礼をし、警官は皆のところへと戻っていった。
夕方。発見できず
翌日。朝から、捜索を行うも、発見できず。
2日後。発見できず。
3日後。少年のものと思われる、右足の靴を発見。しかし、少年は見つからず。
4日後。先日に靴を発見したところから、重点的に捜索。しかし、手掛かりなし。
5日後。裏山の奥から犬の鳴き声が聞こえる。その方角へと向かうも、発見できず。
6日後。警官の一人が、少年と思われる人影を見、追いかけるが、保護できず。
7日後。夫婦にも、諦めの影が見え始める。捜索の範囲を広げるため、捜索隊を2つのグループに分け、探し始める。
8日後。
「おい、そっち居たか?」
「いえ」
「こっちも居ません」
「今日も見つからないか。もしかしたら、少年はもうこの裏山には居ないのかもしれないな」
「一人で下りて、別の場所で迷子になっていると?」
「もしそうだった場合、捜索はもう難しいだろうな」
「あ、あれは!」
一人の警官が、指をさしている方向を見ると、少年と一匹の犬が歩いていた。
青い半パンに、赤い汚れたTシャツ。少年で間違いなさそうだ。
「おい君、こっちに来なさい」
警官が、少年に声をかける。しかし、その少年は警官たちを見ると、何故か走って逃げてゆくではないか。
「あ、コラ待ちなさい」
警官は急いで少年を追うも、見失ってしまった。
そのとき、警官の無線が鳴った。
『こちらB班。少年を無事に保護しました。捜索は終了です。山を下りてください』
「了解」
どうやら、少年は警官から逃げた結果、別の班によって保護されたようだ。
警官たちは、胸をなでおろし足早に下山した。
「A班、戻りました」
「了解」
どうやら、自分達が最後だったらしい。警官は、ほかの班長に話しかける。
「いや、B班が少年の逃げた先にいてくれて、助かりましたよ」
すると、B班の班長は怪訝そうな顔をして、
「逃げていた?私たちが彼を発見した時、彼は眠っていたぞ?」
「眠っていた?そんなはずは……」
「何寝ぼけたことを言っているんだ。さあ、撤収するぞ」
そう言うと、B班長は自分に背を向け、歩き出した。
少年はというと、両親に抱かれ幸せそうに笑っている。その様子を見ていると、少年とパチリと目が合った。
自分は、その少年の目が何となく恐ろしくなって、見ていられなかった。
ある夜のこと、自分は交番にいた。目の前には、捜索の途中で見つかった右脚用の靴。どうやら、少年のものと同じデザインなだけだったらしい。
――それにしても、あの時少年から感じた恐怖はいったい何だったのだろうか。
ふと思い出してはどこか引っかかる心持がする。
――そういえば、犬はどうなったんだ?
思えば、少年のそばには、散歩に行っていたという犬は居なかった。
――途中ではぐれてしまったのだろうか。だとすれば、可哀そうだな。
自分は、飲みかけのグラスを傾け、物思いにふける。きっと今頃、あの家族は犬の迷子届けでも出している頃だろう。
「あの、すみません」
声がした。自分は正面へと向かう。
「どうされましたか」
「あの、僕迷子になっちゃって……。何とか、ここまで来たんですけど。」
「了解しました。では、こちらに電話番号と、お名前を書いて下さ……い。」
自分は、迷子の少年を見て、手を止める。
そこには、青い半パンに赤い汚れたTシャツを着た、右足だけ靴を履いていない、一匹の犬を連れた少年が泣きそうな顔で、立っていた。
読んでくださり、ありがとうございました。