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テネシアンに着いたのは七時過ぎだった。一階には若者が溢れていた。二階には個室が用意されていた。VIPルームに通された。並べられた料理に囲まれてジムが待っていた。
「ビッグ。急に呼び出したりしてすいません。こんな物しかありませんが食べてやってください」
こんな物―――見るからに安物の料理。見栄えだけは一人前だった。安さを売りにして若者を集めている。“豪華な料理が安くおいしく食べられる”とテレビのリポーターが言っていた。メディアに騙される若者。見た目がよければ味なんてどうでもいい。今の若者は全てファッション感覚で物事の善し悪しを決める。
「いや、おれはこういう料理の方が性に合っているんだ。気にするな」
「そうですか。おれはオーナーなのにどうもこの店の料理は口に合わないんですよね。もう若者の味覚が分からなくなっている」
そういってジムは大袈裟に首を振っておどけてみせた。
「お互い年を取ったってことだ」
「まったくです。おれがきた当時にはもうほとんどビッグがこの街を治めていましたよね。それから二十数年、この街もビッグのおかげでずいぶんと変わりました。おれもベックさんやリアムたちとビッグの力になれて嬉しいです。ヤマオカさんもいい秘書だと思いますし。今日、ヤマオカさんは?」
ジムは周りを見渡した。
「今日は何か用があるといって早めに帰ったよ。さすがにオフの時間までは奪えないからな。確かにヤマオカもよくやってくれている。何度も幹部にならないかと誘ってみたが、このまま秘書を続けさせろって断るんだ。変わった奴だよ。口数は少ないがおれの考えることがわかるらしくてな。ほとんどの事を指示する前に動いてくれるんだ。おまえやベック、リアム、ジェシーもそうだった。おれは部下に恵まれてるらしい」
昔話はしたくなかった。昔話をする時はこの世界を引退してからだ、と決めていた。そしてまだ引退する気はなかった。話しを変えて仕事の話をした。
* *
店を出る時には九時を過ぎていた。ジムは急な仕事が入ったといって早々と引き上げていった。店の外にはストリート・チルドレンと厚化粧をしたアジア系の娼婦がたむろしていた。例年よりも寒いといわれる今年の冬。身を切るような寒空の下、白い息を吐いて必死に生きているストリート・チルドレンを見ながら、一歩間違えばこの中にいたであろうリナの事を考えた。店を一歩出ると物乞いが群がってきた。ボディガードがそれらを押さえた。その中にリナの顔を探した。が、いなかった。
「すいませんお客様。ヤマオカ様という方から御電話入っております」
何も知らないアルバイトらしき店員の男が不思議な顔をしておれを呼んだ。電話は店内の事務用にかかってきたようだった。
「もしもし。ビッグですか? そこは危険です! 早く逃げてください!」
次の瞬間―――乾いた銃撃音がテネシアンの店先にこだました。一瞬の静寂。そして割れんばかりの悲鳴。それまで馬鹿騒ぎしていた若者達が、一斉に外へ飛び出した。
車のクラクション。その合間を縫うように、乾いた銃声が断続的に響いてくる。ボディガードの怒号が聞こえた。
「ビッグ、こちらです!」
厨房の裏口に逃げ道が確保されていていた。脇道に出ると銃撃戦が激しさを増していた。
巨大な爆発音が一瞬、拳銃のそれを打ち消した。表に回されていたキャデラック・デ・ヴィル・コンバーチブルのボンネットから派手に炎が噴き出していた。燃え盛る炎の赤とキャデラックのキャンディーグリーンが融合したボディーはおれの目には幻想的に映った。
その時―――キャデラックの前を何かが横切った。猫?犬?―――違う、子供だ!
「ビッグ、はやく! こちらです! 早くしてください!」
ボディーガードの声とは反対側にとっさに足が動いた。銃弾が飛び交う中に取り残されているまだ歩く事もできない赤ん坊を抱き上げた。
すぐにボディーガードに囲まれた。ヤマオカの車が裏通りに止まっていた。たどり着くまでに二人が撃たれた。車に押し込まれると、目が覚めるような速さで走り出した。現場を離れても銃声は止めど無く響いていた。息が乱れて、全身が心臓になったかのように脈打っていた。
「ビッグ。無事で何よりです。やはりジムさんがわれわれを裏切ったようです。ジムさんはテネシアンから出た直後、誰かに電話を入れてから逃げるようにその場から立ち去っています。捕まえる事もできましたが、念のため今は尾行を付けて泳がせています。・・・捕まえますか?」
ヤマオカはこんな時にも事務的な声を変える事はなかった。
「いや、まだ泳がせていた方がいいだろう。東側の連中と会うのかもしれん。それより、助かったよ」
ヤマオカは頷くだけだった。
「今から港の第三倉庫に向かいます。あそこなら東側の攻撃の心配もないでしょう」
第三倉庫―――海外の取り引き物を一括して置いてある倉庫。そこに非常時のために避難用の小さな事務所に作っておいた。使った事は一度もなかった。おれとヤマオカ以外誰も知らない隠れ場。ついに使う時が来た。