上中下の中
「何しに来たんだよ」
「あ?あぁ、頼み事があって来たんだけどな」
何から話そうか迷っている。そして決めたのが
「お前、行方が解らなくなったって騒ぎになってたようだけど、ずっとここにいたのか?」
「ああ、そうだよ。そのときからずっとここさ。お前、連れ戻しに来たのか」
「いや、その依頼は受けてないよ。ここに来たのは全く別件さ」
「ふぅん。何の要件だよ」
黙ってしまった。早く要件を言って終わらせて欲しいのだが、言いよどんでいる。別に旧交を温めたいわけでもないだろうに、何を考えているんだ。
視線を外し、指を立てた手を顔の前でぶらぶらさせ、言うことを決めたようだ。
「お前がいなくなったことは俺は知らなかったけどさ、俺の周りのお前のファンが、すっげぇ取り乱しててさ、百年に一人の逸材と騒がれたお前が、なんで失踪したの?」
そこからか。そこから話さないといけないのか。
「誰に言ったって、信じてもらえないからさ。あのときの俺は苦しんでいたことと、誰にも言えないことのダブルで追い詰められていたんだ。そのままだったら潰れていた。だから全部辞めたんだ」
「世界を股にかけて大活躍することをか?」
「そうさ。世界は俺を理解出来ないからな。だったら本当の独りにならないと、俺は生きていけなかったよ」
「何があったんだ?」
さっさと追い返したい。
「なんでお前に言わないといけないんだ」
「お前は俺が普通だと思っているのか?」
それを言われると詰まる。確かにこいつは普通じゃなかった。やたらとパワーを発揮して動き回り、いろんな方面に手を出していたな。
「お前はお化けとか幽霊とかって信じるか」
軽いジャブだ。しかしこいつは
「あぁ、信じるよ」
と素直に受け止める。変わらんな。
「じゃぁ教えてやろう、聞いて驚くな」
「おう」
しかし、いざ本当のことを言うとなると、躊躇してしまう。それでも信じてもらえないのではないか。
「蚊の幽霊に苦しめられていたんだよ」
「ほぉ」
三点リーダーの間もなく瞬時に「ほぉ」だ。しかも顎に手を当て視線を下にし、なにやら真剣な表情になって考えている。
「なんだ、信じるのか」
「…ああ、詳しく」
視線を外したままゆっくりと返事をするこいつに、話を続ける。
「確かに俺はフルート吹くのが楽しかったよ。売り込んでくれる奴と組んで、大勢の人の前で演奏して楽しかったよ。だけどな、ある日突然、寝ていたら蚊の飛ぶ音に起こされたんだよ。
最初は何とも思わないさ、蚊が飛んでるんだなと思ったさ、だから蚊取り線香を焚いて、その晩は寝たさ。
だけど翌晩も、また翌晩も、蚊が飛ぶ音がして目が覚めてさ、どんどん蚊取り線香焚いたよ。それでそのときは羽音がしなくなるんだが、次の夜になったらまた蚊の飛ぶ音がするんだよ。
調べたら蚊ってのは外歩いているときに体にくっついて部屋の中に入ってくることもあるっていうじゃねぇか、そういうのかなと思っていたんだが、毎日そうだと、どうもそうでもないように思えてくる。とにかく見てみようと起きていると、蚊なんかいないんだよ。どこにも。でも眠りにつくと羽音がするんだよ」
話しているうちに視線を合わせてきやがった。しかし何も言わず、真剣な表情で聞いている。
「人だのネコだのの霊だったらそういうことの専門家に相談もできるけど、蚊だぜ?言ったって聞かないだろ、誰も。でも眠りは妨げられるんだ。実際はそのときだけ起きて、蚊取り線香焚いて寝りゃいいんだけど、結局羽音がムカついて、それが溜まってくんだよ。
でそのうち気がついたんだけどよ、フルートのC(注:ドレミファソラシドのドの音だと思ってください)が、聞こえてくる羽音と同じ高さなんだよ。だから蚊取り線香以外にも、聞こえてきたらフルートでロングトーンやったら聞こえなくなるんだけどさ、深夜に音を出すってのも、いろいろ拙いわけさ、部屋が完全防音じゃなかったのが痛かったな。
それもあるし、そんなことのためにフルート吹いててさ、だんだんやってらんねってなってきたんだよ。。
こっちは普段譜面見て、どんな音を出そうか真剣に考えるんだってのに、蚊の奴はなんも考えずに確実な嫌な音を出しやがる。とうとう周囲の奴に言っても、誰も真剣に取り合わねぇ。
俺何やってんだろうなと思って、全部辞めた」
「…うん、で、なんでここなんだ?」
「そりゃお前、簡単なことだろ、蚊の幽霊の羽音を消すにはどうしたらいい?本物の蚊がいるところにいりゃ、気にならねぇだろ。だから〝どこにしようかな〟って地図を見て、指が当たったここに決めたんだよ」
「そうか…で、そこで終わりじゃ、ないんだろ?」
なんだかこいつの目力が強くなってくる。先を促してきやがる。
まぁ教えてやるけど。
「持ち物を一切合切カネに換えて飛び出したけどな、さすがにこのフルートはじいちゃんからオヤジから使ってた形見だから売っぱらうわけにもいかなくてさ、まぁ俺もフルート吹くのが嫌になったわけじゃないし、ここに落ち着いてから、ここで吹くようにしたんだよ」
「うん」
「ほしたらさ、出るんだよ。いろいろ」
両手のひらを合わせ鼻の前に付けて、真剣になってやがる。
「ここには誰もいないから、深夜吹いたって誰にも怒られねぇ、だから昼間寝て、夜に月や星を見ながら吹いていたらよ、のそのそ集まって来るんだよ。形が無いのが大勢。
最初は気配だけ感じて、なんか来てんのか?と思ってたけど、別になんかしてくるわけじゃないから放っておいた。そしたら、日が経つにつれてそいつらが見えてくるんだよ。大っきいのから小っちゃいのから、可愛いのからこえーのから、いろいろさ。
でもみんなおとなしくてさ、俺の演奏聞きに来てんのかと思うと追い払うこともねーし、そのまま吹いてたんだよ。
ほしたらさ、」
「あぁ」
「蚊の幽霊が出なくなってんの。気がついたらぐっすり眠れてるんだよな。これって来てる奴らが食ってくれてんのかね。で俺も嬉しくなっちゃって、吹くのも勢いが出るようになってさ、そいつらと仲良くなったんだよ。今じゃ玄関に果物やら木の実やら置いてってくれる奴がいるし、山に入ろうとする奴がいると教えてくれるんだよ。お前のことも見ていたぜ。
…信じるのかよ、こんな話」
大きな溜息をついて肩の力を抜いて、手を離した。
「なるほど、そういうことか…」
「そういうわけで、今の俺には人間社会の契約なんて関係ねーし、時計もカレンダーもいらねぇ。たまに必要な物を買いに町に出るけど、俺だって気がつかれないように注意して買う場所変えてるし、面白おかしく独りで暮らしてるよ。お化けとは本格的な話しはしてないけど、つかず離れずの関係もいいもんだぜ」
「いや、信じるよ」
俺の話なんてこんなもんだ。起きて、食って、吹いて、食って、寝るだけの毎日だ。馬鹿馬鹿しいたぁ思うが、社会人辞めたんだから真っ当な生き方なんてできやしない。それで真剣な顔で信じられると、なんだか妙な気持ちになるもんだな。笑い飛ばされたりいい加減な態度で信じると言われたら即「帰れ」と言えるんだが、そのまま受け止められたら無碍にもできなくなる。




