ノールトホラント危機
世界経済が疲弊する中、軍事的な緊張が高まるのは避けられないことであり、突発的な暴走による軍事衝突が懸念されていた。事実、ロシア連邦がスウェーデンのストックホルム群島の東端で実施した軍事演習は、実際にスウェーデンへの核攻撃を想定したものであり、北欧地域でのロシア連邦の攻撃的な姿勢を誇示していた。これはスウェーデンに対する脅しとも受け取れる動きであり、この演習では、スウェーデン領空の境界付近までロシア連邦空軍の爆撃機ツポレフTu-22Mと戦闘機MiG-29が急速に接近した。これに対し、スウェーデン政府は、北大西洋条約機構(NATO)非加盟国であるにも関わらず、北大西洋条約機構(NATO)に戦闘機の派遣を要請し、北大西洋条約機構(NATO)加盟のデンマーク空軍の戦闘機F-16 ファイティング・ファルコン2機が、ロシア連邦の演習に対応して現場空域に急行する事態が発生していた。
この事件後、北大西洋条約機構(NATO)は、年次報告書において、ロシア連邦の最近の動向から分析された2つの脅威を明かにした。1つ目は北欧地域を射程に含む短距離核ミサイルの配備計画であり、2つめはヨーロッパ全域に届く新型巡航ミサイル技術の獲得である。アメリカ合衆国は同盟国の年次報告書に基づき、これらの脅威からヨーロッパ全域を守るため、北欧周辺の防衛を目的としたミサイル防衛(MD)システムの配備を計画することとなった。
スウェーデンは北大西洋条約機構(NATO)非加盟国であるため、アメリカ合衆国の核兵器は核抑止といえども備蓄・配備できないが、北大西洋条約機構(NATO)にはニュークリア・シェアリング(Nuclear Sharing)と呼ばれる核共有協定があり、ベルギー、オランダには備蓄・配備することが可能であった。
この頃から、アメリカ合衆国やその同盟国の貨物船が集中的にオランダの北ホラント州の港に出入りするようになったため、これを不審に思ったロシア連邦軍は、北海近海の公海上を行き来するアメリカ合衆国やその同盟国の船舶、さらにはベルギー、オランダ国内に対する偵察衛星による監視を強化しようとした。しかしながら、巧みにカモフラージュされていたため、高高度の上空からは詳細がつかむことができなかった。
ロシア連邦軍は貨物船の数が急増していることの意味を分析し、核攻撃ミサイルとその運営部隊が配備されようとしているのではないかと疑心暗鬼になった。これは、1987年に調印した中距離核戦力全廃条約違反にあたるが、確証が不足していた。この条約では射程が500km(300マイル)から5500km(3400マイル)までの範囲の核弾頭、および通常弾頭を搭載した地上発射型の弾道ミサイルと巡航ミサイルの廃棄を求めている。
実際にはロシア連邦軍の分析は不正確であり、オランダに導入しようといていた兵器は、終末高高度防衛ミサイル(THAAD)であり、自走またはトレーラーによる移動式の10連装ミサイル発射機、Xバンドのフェーズドアレイレーダー(AN/TPY-2)、C4Iシステムであった。Xバンドレーダーは1,000km以上の探知距離を備え、飛来する弾道ミサイルの追跡・迎撃ミサイルの中間誘導も合わせて行なうことができる北方の防衛であった。
単なる防衛だけであるならば、わざわざ隠密に終末高高度防衛ミサイル(THAAD)を運ばなくても、堂々とスウェーデンと協定を結んで通常兵器を供与するほうがロシア連邦も反対できなかったし、仮にそれが小規模のものであってもロシア連邦軍が攻めて来る場合はアメリカ合衆国軍と直接戦闘となるリスクが生じる。それ故に歴史上初めてロシア連邦とアメリカ合衆国が直接武力で戦う覚悟が必要となるのであれば、ロシア連邦軍の北欧侵攻の抑止になると考えるほうが自然である。そう考えなかった理由は、アメリカ合衆国が巡航ミサイルの開発を進めるロシア連邦に対して条約違反を長年指摘し続けており、巡航ミサイルが実践投入された際にロシア連邦と均衡させるために敢えて終末高高度防衛ミサイル(THAAD)の配備にこだわったのである。
このような経緯で、ロシア連邦軍諜報機関はアメリカ合衆国の条約違反の証拠を得るため、前代未聞ではあったがオランダの北ホラント州に対して地上の強行偵察を計画するに至った。