ベームスター干拓地
オランダといえば、首都のアムステルダムは運河に囲まれ、干拓地の風車と色彩豊かな花畑を思い浮かべる人が多いであろう。オランダ北西部に位置する北ホラント州のベームスター地域は、17世紀にオランダ東インド会社の海外派遣に必要な食料確保のため、風車を利用して海水を排出し、干拓地を農地にする工事が行われた。干拓事業のモデルになったオランダ初の干拓地である。
干拓地の中心地にあるミッデンベームスター(中央ベームスター)の街では、広場や教会、ルネッサンス様式の邸宅が今なお並び、周辺にはオランダ特有の民家・農家の建物が点在する。果てしなく続く干拓地の広い平地には、水路が張り巡らされ、風車のある風景はのどかで美しく、17世紀のままの古き時代の面影が残されていた。歴史的意義と、17世紀以来の景観が今なおよく保たれていることから、1999年に世界文化遺産に登録された。
作家の司馬遼太郎は、オランダ人が干拓によって自らの国土を作り上げてきた誇りを実感し、『街道を行く オランダ紀行』の中で“まことに世界は神がつくり給うたが、オランダだけはオランダ人がつくったということが、よくわかる”と褒め称えている。
時は21世紀初頭、現在のベームスター干拓地に二人の姉妹が住んでいた。姉の名前がセリア・ケイ、妹の名前がサラ・ケイ、姉妹は言葉では言い表せないほど非常に仲がよかった。
とある夜、姉妹はベームスター干拓地のまっすぐな一本道を歩きながら、満天の星空のもとで天の川を眺めていた。ベームスター干拓地は、運河と道路で整然と区切られた土地であるため、どこまでもまっすぐに伸びる一本道は決して珍しいものではない。その自然の中の直線的な景観は、道路を挟む運河や立ち並ぶ木立とともに見事に美しく融和していた。
姉妹が見つめる夜空の景観も、ベームスター干拓地の景観に引けをとらなかった。吸い込まれそうなほど透明な夜空に、無数の星々が輝きを競い合い、その星空の中心に天の川の帯がくっきりと見えていた。
地球からは天の川銀河の円盤状の星の集まりを内側から観ることになるため、その巨大さがわかりづらいが、天の川銀河の直径は10万光年、光でさえも端から反対側の端まで到達するには10万年の時間が必要となる。
天の川銀河系だけでも計り知れない大きさであるが、外側の遥か遠くにも無数の星々は広がっていて、それらのひとつひとつの小さな輝きが銀河そのものであったり、銀河が集まったものであったりと、宇宙の大きさを想像すると、とても神秘的なものに見えた。
もっとも驚くべきことは、それらの星々は、実際には遥か遠い所にあるにもかかわらず、星々と地球の間にはなにも遮るものがなく、広大な宇宙空間が目の前に広がっている事実であった。
遮るものがない美しい夜空は、その美しい見かけとは別の現実があった。地球の引力に捕まって落下する、または地球に衝突する宇宙空間の塵は、1年間に約4万トンにも達する。そのほとんどは大気中で熱の壁による空力加熱を受けてしまうため、目では見えないほどの細かい塵になり、降り注いでも気がつかれることはない。そんな大量の塵の中に、もしも天の川銀河系の中を漂う生命の種ともいうべき胞子が混ざっていたとしたら……
天の川銀河は棒状構造を持つ棒渦巻銀河に分類され、幾千億という星を従え、時の流れの中をゆっくりと回転し続ける巨大な天体である。天の川銀河を構成する星々は重力で結びつき、円盤部分は銀河の中心周りを大きな軌道で回転している。太陽系は天の川銀河を構成する星々の中の辺境の存在のひとつにすぎず、太陽は天の川銀河を約2.25億年の時間をかけて一周している。太陽系は天の川銀河を一周する度に、巨大な2~3個の星間分子雲を通り過ぎているが、そのひとつの星間分子雲は、実に何光年もの大きさがある。
遡ること数億年ほど昔、人類の祖先すら誕生する以前に、天の川銀河を周回する太陽は、巨大な星間分子雲を通り過ぎた。天の川銀河を周回する太陽についていくのは、惑星だけではない。太陽系のいちばん外側にはオールトの雲と呼ばれる一兆個もの彗星になる前の微惑星たちがある。太陽系が星間分子雲を通り過ぎると巨大な星間分子雲の重力が影響を及ぼし、いちばん外側の微惑星が動き始めた。微惑星は彗星となり、恒星と恒星の間にとばされて恒星間天体となると、数億年かけて太陽系近くの別の恒星系に到達することとなった。そこまでは珍しいことでもなかったが、最悪なことにその恒星系の惑星のひとつに衝突することとなった。
その惑星は、生命に満たされていた。しかし、隕石の衝突によって発生した噴き出す溶岩と巨大な津波により、その惑星の生物相は壊滅的な打撃を受けた。大陸の大部分が溶け海に没したが、なんとか全滅だけは免れることができた。しかし、その惑星の生命の源である胞子のいくつかは衝突の衝撃により吹き飛ばされ、宇宙に飛び出してしまったのである。
天災により宇宙に飛び出してしまった胞子は、非常にゆっくりではあるが流され始めた。故郷が主恒星と運命をともにし、そして、再び新しい星が輝き始めても胞子たちは流されるままであった。長い長い時間が経過し、太陽系は天の川銀河の中心をまわる過程で、それらの飛び出した胞子の中を、たまたま通り過ぎることとなった。地球は太陽とともに、流される胞子の通り道と重なり、数千年もの間にわたって、運の良い胞子が生命を宿した惑星である地球に惹きつけられて降りることとなった。
地球は歴史上、その胞子の痕跡を何度か見ることがあり、多くの伝説や神話を生み出してきた。胞子から生まれた生物は小さな身体で人間そっくりではあるが、透き通るような蝶の羽が背中から突き出ていた。一時は多く見かけることができたが、胞子の大部分が通り過ぎるにつれて数が少なくなっていった。地球ではフェアリーと呼ばれ、伝説によってのみ語り継がれてきた。
フェアリーたちの命の源である胞子は、このように旅人としての運命、あるいは、旅人としての宿命を背負って生き続けていたことを考えると、フェアリーの語源がラテン語でファトゥムfatum(英語のfateの語源)、すなわち運命を意味していることは皮肉にも的を射ていた。いずれにしても、胞子は地球に雪のように降り、そして一代限りで命は溶けた。地球では根付かなかったのである。
時代が進み、胞子が地球に降ることもなくなると、伝説や神話は昔の夢物語りとなり、科学と資源による新たな時代が訪れていた。それは、必ずしも人類に幸福だけをもたらしたわけではなく、破壊的な争いすらも生み出す諸刃の特性を備えていた。そんな新たな時代の中、この夜、長い空白の時間の後、人類の記憶から忘れ去られていたフェアリーの胞子がたったひとつだけであるが、地球にたどり着いたのである。