愛の証は呪いという痣
あの人の国が戦争で負けてなくなった。
私の大事な人はその国の王と呼ばれる存在だった。
そして愛したあの人が国のため死に、私のために自分の首を差し出した。
死ぬ間際、言霊を操るあの人は"生きろ"、という言霊を私に刻み付けた。その強い言霊は呪いとなって死ぬことが許されなくなった。
その言霊の呪いは刺青のように今も首筋に巻き付く痣となって生きることを強要されている。
小国とはいえ国で一番の魔術師だった自分は、満身創痍の状態を取り押さえられ、すぐに魔法を使えなくする為の枷をはめられた。
戦争に勝利した国に連れていかれ、右手首には魔術を使えなくする呪詛の痣が浮き上がり、左手首には国に逆らえないようにする誓約の刺青が彫られた。
当時の攻め込んできた国の王は王であった彼の死に敬意を示し、彼の願いである私を生かした。しかし誓約で縛った私を保護することもなく、義理を果たしたとばかりに外に放り出したのだ。
死ぬ場所を求めて、あてもなく私はさまよい、人々が近づかない死の山脈を奥へ奥へと進んでいった。
呪いだらけの身体になってまで、どうして生きなければいけないのか。
ねぇ、
愛するあなたのところに行きたいの。
収穫期の小麦のような金色を刈り込んだ髪。新緑を思い出す暖かい瞳。春の日差しのような心を暖めてくれる笑顔。逞しいその身体にすっぽりと抱き締められると安心した。私の手に優しく触れる大きな手が愛しかった。
あの包み込んでくれた両腕はもう近くにはない。最後に触れた彼の身体は暖かくて、でも大好きな笑顔を向けてくれた頭は付いていなかった。勝利を知らせるのために持っていかれてしまったから。
一緒に生きようといってくれたじゃない。
なのに一緒に死んでくれとはなんで言ってくれなかったの?
嘆き、叫び、ひたすら自分を傷つけようとしたが傷もつかない死ねない身体にもう何年付き合っただろう。それでもお腹は減る。山の中で水をすすり、果物を食べた。毒物を口にしても苦しみはあれど死ぬことはなかった。獣に会うも傷1つつけることも出来ない人間を恐れ、近くに寄ってこなくなった。結局、生きるしか道がなかったのだ。
10年経って彼の温もりを忘れた。
30年経つ頃には叫び嘆き疲れた。棄てられた山小屋に本格的に住み始めて生きる為の行動を始めた。
50年経てば彼の顔も思い出せない。
100年経つ頃、右手首の痣がなくなった。術者がなくなり効力が切れたのかもしれない。その程度の術者だったのたろう。それをきっかけに自分が何でここにいるのだろう、とぼんやり考えた。
無駄に生きているより、自分が死ぬ方法を探した方がいいかもしれない。やっとそこに思いいたった。大陸統一を目指し、私の祖国を吸収した国は他の小国も吸収しており、統一は出来なかったが帝国と言われるほどでかくなっていた。そこで帝国の隅から隅まで旅をして、国内だけでなく、外国という国を巡った。どうせ死ねないし、帝国に術を施されているので逆らうこともできない。住んでいた小屋を拠点にして旅をする。それから更に100年経った。自分の為に得た呪術と医学、更に生きた分だけ歴史と魔術に秀でた私は、いつしか魔女、とも賢者とも呼ばれる存在になっていた。
ある時その帝国の王に呼び出された。始皇帝と呼ばれた男から何代も後の王さまだ。今度研究も兼ねた学校を作ることになった。そこに教師として来てくれないか…と。
私の答えは…
◇
「ふぅ、疲れた…」
研究室という自分の部屋に戻り、机の椅子ではなく応接用の二人掛けソファに腰を下ろした。
最近担任している生徒の中でやたら問題児の男子生徒がいるのに頭が痛い。今生きる大部分の悩みを占めていた。
今日も彼はやらかしてくれて自分が怒るも反省の色はみられない。彼はどうも私に怒られていることを楽しんでいる節がある。私の前では年相応なのに、時々遠くを見つめる瞳は歳より随分大人びていてどきりとさせる不思議な生徒だ。何故わざわざ私を怒らせるのか、その行動の意味もわからない。ただ、彼と接していると忘れてしまった心の一部がざわざわとする。
…さて、気持ちを切り替えて。疲れてはいるが生徒から集めた宿題に目を通さねばいけない。明日の講義の資料も用意したから読んでおかないと。そう思っているのに、日差しのいい自分の研究室は午後になるとちょうどよいぽかぽか具合で、ここ数日テスト作りで寝不足で、遅いお昼ご飯でお腹は満たされ、明日の講義の資料を読んでいた私の瞼が少しずつ落ちていく。
今日の講義はすべて終わった。
研究室に集まりの予定も来客の予定もない。
…少しだけ、
資料を読むことを諦め、目の前の机に置くと半身を横たえ身を任せて目を閉じる。
意識はすっと落ちていった。
私は王の話を受けた。誓約で従わなければならないというのも理由の1つだが、もう1つの理由として出会ったことのない人に会える可能性だ。もしかしたら学園に集まる教師の中、もしくは伝で死ぬ方法がわかるかもしれないと思ったのだ。
これだけ大陸を探し回っても、自分がどうやって死ぬことが出来るか、未だにその方法は見つかっていない。
そもそも彼が使った言霊というものはあの国の王が継承者にのみ伝承している独特な力で、それが生涯広まることはなかった。身内にすら知られることがなかったのだ。その国は侵略され、地図上からなくなり更には当時の王族は殺され、王になりたてだった彼も殺され、それから数百年以上経っている。
他の国にも似たものはあったが解呪は出来なかった。
医術のほうでもお手上げ。
魔力が戻りそちらの方面でも探したがだめだった。
今自分が死ぬ方法は八方塞がりだった。
私はいつまで生きていればいいのか…あとどれだけ親しくなった人たちを見送ればいいのか…。
この居心地のよくなってしまった学校にいるのも潮時かもしれない。
何代子供たちを送り出しただろう。仲良くなった先生が何人入れ替わっていっただろう。何度死を見送っただろう。更に親しい人間を作る必要があるのか。
ああ、またあの住みかに戻ろう。それかもっと人が寄らないような山奥に住んでもいいかもしれない。王の命でここに来たが、その王も代替わりしている。人が替われば意見も変わるものだ。ここに留まる義理は充分果たしただろう。言いくるめてこの場所から離れてしまおう。
右手首の呪いから解放され、左手首の誓約も始皇帝の王の血が入っていれば効力が続くがそれもずっとではないだろう。
この首輪のような呪いからはいつ解放されるのだろう。
人の時間の流れから外れてしまった自分は人の環にいるのに孤独だった。もう胸を締め付けられるようなことはまっぴらだ。麻痺させようとするのに悲しみが訪れる度に胸がチクリと痛むのだ。
誰かに置いていかれるのは
もう
いやだ
ねぇ、お願い
私を1人にしないで───
─コンコン
「先生ぇ。宿題の提出にきました。」
ガチャ
返事は無かったがドアノブを回せば部屋が開く。
部屋の主の返事を聞かず、1人の男子生徒がドアをそっと開けて入ってきた。
彼女は眠りが深いとこに行ってしまったのか起きる気配がない。
午後の日差しに照らされて、ソファに広がる彼女の長い紺色の髪は所々反射して青銀色にひかり、まるで夜空に星屑が瞬いているように綺麗だった。
生徒はそっとそんな彼女に近づく。
と、
「ゲオルグ…」
それはかつて彼女が愛した男の名。
彼女は名を口にし一筋の涙を流した。
一瞬起きたかと思ったがその気配はない。
寝言だったようだ。
そんな彼女をみて男子生徒は優しく指で彼女の涙を拭った後、その指を彼女がいつもつけている厚く太いチョーカーに滑らせついっと撫で、起きぬように気を使いながらそっとソファの上に流れる彼女の髪に口付けた。
「テラ…」
生徒の彼女をみる目は愛しいものをみる目、その目の奥には執着の色が覗く。
「やっと…会えたんだ」
そう言った彼は片手でそっと彼女の頬を撫でた。
「お前に会うのにこんなに時がかかるとは思わなかった…待たせて、すまない」
独白は起きないように小声で彼女に降る。
「これから一緒の時を刻もう。もう少し、俺がお前に釣り合うくらい年を取ったらちゃんとお前に言うから。その時はその首輪を外すから。今度こそ一緒に生きよう。…そして二人で幸せだったと言って一緒に死のう…テラ」
前世で意識が暗転する前に彼女の首に巻き付いたものを見て口の端が上がってしまった。
彼女の首にあるものは前世の自分の欲という呪い。
自分が死して尚、自分のものだという証。
醜い独占欲と愛した人に生きてほしいという我が儘が形となったもの。
戦争相手との力の差は歴然だった。
もがいたが勝てなかった。
王であった自分は民を守る為に死を選び、男であった自分は彼女を守る為に首を差し出した。
来世はどうか、しがらみのない彼女だけを愛せる男になっていますように。
彼女と出会い、また愛し合えますように。
その願いが叶い、彼女のいるであろうこの国に生まれ変わり、前世の記憶を思い出した時歓喜した。また一緒に生きることが出来るのだと。そしてまた同時にショックを受けた。前世の自分が死んだ後、何百年という時が経っており、その間彼女を生かし続けてしまったことに。
こんなはずではなかった。彼女をこんなに待たせる気はなかったのだ。
何百年という時は彼女を有名な賢者にしていた。
探す手間が省けるほど、彼女の名前は知れ渡っていた。学校の先生をしていると噂で聞いた。彼女会いたさに必死に勉強し、学校に入学。壇上にいる彼女の姿を見たときは嬉しくて涙が出そうだったのを必死に我慢した。
担任として教室にきた彼女に、見惚れて改めて恋に落ちた。
生まれ変わった自分を見て欲しくて、知って欲しくて、構って欲しくて彼女が自分に接触する機会を作る。
怒る彼女が可愛らしくて抱き締めたい衝動を必死に抑えた。
こちらを彼女が見てくれていることに何度も自分のことを話そうかと思った。
彼女に自分の前世を言ったらどうなるだろうか。
憎まれていて、恨まれていて、殺されるかもしれない。
しかし愛した人からそうされるのも悪くないと思う自分がいる。
そう思えるほど、今でも彼女を愛しているから。
「もう少しだけ待っててくれ。」
彼はそう言うと彼女の額に軽く触れるだけの口付けをしたあと、音も立てずに部屋を後にした。
彼らが彼らとしてもう一度再会を果たし、彼女の首の痣がなくなるのはまだ数年後の話…
後日談
「先生はもう会えない人で会いたい人っている?」
「…いるわ。」
「その人に会えたらどうするの?」
「そうね…手首が折れそうなくらいの勢いでひっぱたいてやりたいわ」
「!!」
彼が自分の前世を明かすことが出来るのか…
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