序章 私の旅立ちと行方(5)
鈴の音がした。
おそらく呼び鈴である。
甲高い音が心地よく短く響いた。
「およびで、魔王様」
続いてすぐに女の声。
鼻にかけた甘ったるい声は小気味よい鈴の音とは相反するようにどことなくねっとりと妖しく耳に残る。
姿は見えないが、
その声には非常に女を感じさせる。
言葉こそ丁寧に、
恭しくつむいでいるが、
その声には忠義や信頼を感じさせない。
狡猾で、
いやらしくまとわりつく蛇を髣髴させる、
そんな女の声である。
「床が壊れた。直せ。ついでにゴーレム作成に必要な材料を用意しろ」
そんな女に魔王の声もよりいっそう冷たい。
さきほど私に話しかけてきた声よりもさらに凍りつきそうな声だ。
明らかに距離感のある、
他人よりもなお遠いものに話しかけるような冷たさに驚いた。
魔王とはこれほどにも配下のものにも冷たいものなのだろうか。
「仰せのままに。直ちに」
女の声には相変わらずの妖しさが漂うのみである。
どす黒く、
うごめく蛇のように。
私の視界が開けたのはそれからまもなくのことだった。
大きな地鳴りが鳴り響き、
収まったあとで、
突然に開けたのだ。
ただ、
驚いたのは宝箱が開いたようなそんな開け方ではない。
急に目の前に風景が広がったのだ。
あまりに突然のことで周囲を見渡すように視界を切り替え・・・れない?
普段360度望む方向に視点を切り替えられる。
それができない。
魔王のいる玉座を見つめ続けてしまっている。
「ほへ?」
間抜けた声が聞こえた。
魔王の声ではない。
先ほどの女の声でもない。
発信源は私である。
魔王はやはり玉座に座っていて、
動じていない。
驚き慌てふためいているのは私だけだ。
声だけではない。
手がついている。
足がついている。
髪もついている。
肌は固い石のようだが、
人型である。
「ただの事故みたいなもので魔王城を壊されてもかなわん。聖剣が魔王城にあるというのも居心地が悪い。手足を与えた、声も与えた。勇者の元へ駆けつけてその使命を果たして来い。願わくば、再びここに戻ってこないほうがありがたいがな。私には世界征服も、人類滅亡とかいう野望もないのでな」
まるであしらうように魔王は私に去れと手で示す。
その顔は同情と嫌気が同居した複雑な表情をしている。
様々な魔王を相手に戦ってきたが、
これほどまでに露骨に関わりたくないという顔をされたのは初めてである。
私もできれば新たな使い手を捜しにいきたかった。
魔王城で、
魔王の側にいる聖剣なんて汚点である。
「出来ない・・・」
私は口惜しかった。
手も足も与えられて、
体を得て、
自由も与えられて、
動き回れるのだが・・・
私は聖剣である。
運命に従うものである。
視界が突然曇り始める。
剣であった頃にはなかった。
室内であるのに霧が発生するわけもない。
魔王城という特殊な場所であれば、
超常現象が起きても不思議はないが、
たぶんこれは違うもの。
「私には出来ないのだ!!!!」
私はいままで誰にも伝えられなかった感情が噴出すように、
与えられた体で、
全力で泣き喚いた。
そのときの魔王の顔はどんな顔をしていたかわからない。
私の視界はとにかく波打つ嵐のように、
不安定ににじみ、
止め処もなく流れる感情の水によって光も闇も、
白も黒も何もかもを流してしまい、
どれをも飲み込んでしまったからだ。
もう、
なにもかもわからない。
助けてください、
女神よ。
私の運命を導いてください。