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第三章 推理劇

 唐突に始まった予想外にシリアスかつサスペンスな展開に観客たちは静まり返っている。だが、魔王や榊原がうまく立ち回ったおかげで客はまだこれが劇の一環であると思ったままのようだ。そして、悔しい事だが浜島もその流れに嫌でも乗らねばならないのは確実だった。ここでいきなり役割を放棄したら、その時点で劇は終了し、同時に自分の人生も終了してしまう。それだけは絶対に避けねばならない。そのためには、このままこのあらゆる面で異常な劇を続けるしかないのは自明であった。

 浜島は一度気持ちを落ち着けるために大きく息を吸うと、改めて榊原の挑戦に自分から身を投げ出した。何としてもこの最大のピンチを乗り越えねばならないと改めて自分に言い聞かせ、自己暗示をかけようとする。

「私が偽物? なぜそんな事を言うんだ? いくら魔王の部下とはいえ、そんな事を根拠もなく言われるなんて心外だ」

 だが、これに対する榊原の答えは簡単だった。小さく肩をすくめると、はっきりとした口調でこう続ける。

「回りくどい話はせずに単刀直入に言います。実は、先程仲間の『マージュツ』から連絡がありましてね。『勇者』の家から男性の遺体が見つかったとの事です。死因は撲殺……頭を思いっきり殴られたようだというのが『マージュツ』の所見です。さらに近所の住民に話を聞いたところ、見つかった遺体は明らかにその家の住人……すなわち『勇者』のものに間違いなかったそうです。さて、そうなると妙ですね。『勇者』がすでに死んでいるとなれば、あなたは一体誰なんでしょうか?」

 その言葉に先程の決意表明はどこへやら、初っ端から浜島は顔を真っ青にしていた。蟻谷の遺体が見つかった……。それでは蟻谷に化けて呑気に演技をしている自分が疑われるのも当然である。しかし一体なぜ? 自分は確かに部屋のトイレに遺体を隠し、部屋から出るときに部屋の鍵は確かにかけたはず。その鍵は今手元にあり、ここに鍵がある以上は部屋から遺体が見つかるわけがないのだが……。

 だが、その疑問に榊原は即座に答えた。

「あなた、トイレに遺体を隠したでしょう。あのアパート……失礼、あの『共同長屋』はかなり年季の入ったものでしてね。各部屋のトイレのダクト……じゃなくて『排気口』が一つにつながっているんです。で、トイレの遺体から発生していた血の臭いや腐敗臭が隣の部屋まで臭ってきて、たまらず隣の住人が長屋の管理人……ではなく『主人』に連絡して、合鍵で確認したら中に遺体が転がっていたという事らしいです。そんなにうまい話はないって事ですよ」

 あっさり種明かしされて浜島はガックリきていた。これでは自分が隠す前にどの道遺体は発見されていたという事ではないか。しかしそうなると、どのようにこの推理の怪物から逃れるのかが問題である。

「さて、納得のいく説明をしてもらいましょうか。何でもある証言によれば、『勇者』の死後、問題の部屋にあなたがいるのを目撃した人がいるらしいですが」

 ふと舞台袖を見ると、厳しい目をした上田がうんうんと頷いている。確かに、現場にいるところを見られ、しかもその時に嘘をついて被害者だと名乗ってしまったのは致命傷に近い。だが、浜島は無い知恵を振り絞って何とか言い訳を試みた。

「た……確かに私はあの時部屋にいた。そして、『勇者』の代わりにこの場にいるのも事実だ。それは認める! でも、私は彼を殺していない!」

「と言うと?」

「私と彼は親友だったんだ! だが、私が部屋を訪れたとき彼はもう死んでいた! 何者かに殺されていたんだ! しかしこのままだと私が疑われると思い、咄嗟に『勇者』のふりをしてしまっただけだ! 無念の死を遂げた彼も、私が『勇者』となった事を天国で許してくれると思う」

「ほぅ……そういう言い訳をしますか」

 榊原は少し感心したように言った。これなら流れ的にも矛盾はないはず。何とか乗り切ったかと浜島は一瞬期待した。

 だが、もちろん榊原はそんな甘い男ではない。

「では、あなたが遺体を発見した時の状況をこの場で説明してください」

「え?」

「あなたが言った事ですよ。部屋を訪れたら『勇者』は死んでいた、と。その時の様子を説明してくださいと言っているんです」

 浜島は狼狽した。もちろん本当は自分が殺したわけだから説明も何もないのだが、説明しないと自分の人生が終わってしまう。浜島は必死に頭を回転させて本来体験すらしていない遺体発見時の状況をでっちあげようとした。

「ええっと……ちょっと用事で『勇者』の家に行ったら、鍵が開いていて……妙に思って中に入ったら誰もいなかったんで、トイレを見たら『勇者』が血を流して倒れていて……」

「つまり、遺体の事後工作は犯人がやったというのがあなたの主張ですか」

 榊原が意味ありげに言う。

「じ、事後工作って……」

「『マージュツ』が部屋を調べた結果、トイレではなく部屋の床から血液反応が出ました。犯行はトイレではなく部屋の中です。その後、遺体を隠すためにトイレに放り込んだというのが筋でしょう。事後工作が行われたのは明白。そして、あなたはそれをやったのは自分ではなくあくまで犯人だと主張したわけです」

 そう改めて言われると、自分が何かとんでもないミスをしたような気分になってくる。少し上ずった声で聞き返す。

「そ、それが、何か問題でも?」

「いえ、単なる事実の確認です。続けてください」

 無駄に話や反論をちゃんと聞くのが逆に気味が悪い。とはいえ、ここは話を続けるしかない。

「そ、それでトイレのドアを閉じて思わずどうしようかと思ったら、誰かがやって来て……さっきあなたが言った目撃者と言うのは、多分その時見られたんだと思う」

 チラリと舞台袖の上田を見ながら言う。と、榊原は小さく頷きながらこう言った。

「なるほど、つまりあなたはやって来てすぐに遺体を見つけ、何かする暇もなく『勇者』の代役をする事になった。これで間違いありませんね?」

「な、ない」

「後で訂正は認めませんが、よろしいですか?」

 そう言われると恐ろしく不安ではあったが、他に言い訳が思いつかない以上これで押し通すしかない。浜島は小さく頷いた。

「結構。では、今度はこちらの反証です」

 案の定、榊原はそう言って浜島を締め上げにかかる。

「今の説明では、事後工作をしたのはあくまで犯人で、あなたは現場には何も手を付けていない事になります。しかし、そうだとするならばおかしな事があるんですよ」

「おかしな事って、そんなものがあるわけ……」

「簡単な話です。『マージュツ』の話では、現場となった部屋からは被害者本人外の指紋は一切検出されなかったそうです。そして、これが先程のあなたの話と大きく矛盾してしまうんです。意味はわかりますか?」

「え……あっ!」

 その瞬間、浜島は自分の大きなミスに気付いた。

「通常、指紋がないという事は捜査にとってマイナスですが、今回に限っては指紋が拭き取られているという事が逆にあなたが犯人である証拠の一つになるんです。先程のあなたの話では事後工作などしておらず、さらに遺体発見も予期せぬ話だったという事でした。しかし、だとすればあなたが足を踏み入れたはずの現場にあなたの指紋が一つも残っていないというのは逆に不自然な話になってしまうんです!」

 浜島は思わず唇を噛む。まさか念には念を入れて指紋を消した事が逆に自分の首を絞める事になろうとは全く想像もしていなかった。

「だ、誰かが……そう、犯人が指紋を消して……」

「あり得ないでしょう。あなたは『勇者』を名乗って現場の部屋を出たときしっかり鍵をかけている。これは目撃者の証言からも明らかです。次に現場の鍵が開いたのは遺体発見時。一体いつ誰がどうやって現場にあるあなたの指紋を消せるというんですか!」

「うっ!」

 今度は遺体を発見されまいと鍵を閉めた事が大きな失点になってしまった。良かれと思ってやったことがすべて裏目に出てしまっている感覚である。

「そもそもあなた、部屋に行ったのは用事と言いましたが一体どんな用事だったんですか?」

「それは……ちょっと話があって」

「どんな話ですか?」

「えっとその……まぁ、色々……」

 次々と出てくる不利な証拠に浜島の思考もだんだん追いつけなくなってきていた。そのため、なおも続く榊原の追及にまともな返事ができなくなっている。だが、榊原はそれでもなおまったく容赦する気配がない。

「全くお話になりませんね。これではあなたの言い訳なんかとても信じる事はできませんが……まぁ、いいでしょう。本命はむしろここからです」

 これ以上まだ何があるのかと、浜島はもはや恐怖さえ感じていたが、榊原は一向に止まらない。ただ淡々とした口調で浜島を情け容赦なく追い詰めていく。

「犯人は被害者を撲殺してトイレに放り込んでいます。しかし、そうなるとどうしても犯人側には大きな痕跡が残ってしまう事になります。そう、返り血の問題です」

「あっ……」

「現場などに残った血痕はふき取ったかもしれませんが、自分の衣服に飛び散った血痕までは処理ができなかったはずです。今、あなたが今の衣装に着替える前に来ていた服を『マージュツ』たちが回収しています。そこから『勇者』の返り血の血痕が検出されたら、これはもう決定的です。いかがでしょうか?」

 が、浜島は必死に反論を重ねた。

「そ、それは……そうだ、俺……じゃなくて私は『勇者』を見つけたときに反射的に近づいて遺体に少し触れたんだ! 生きてるんじゃないかって思って! だから、衣服に血痕がついていたら……」

「その時に付着しただなんて馬鹿げた主張をするつもりですか?」

 榊原は浜島の必死の反論をため息一つで一蹴する。

「しゅ、主張したら駄目なのかよ!」

「駄目でしょう。正直に言って、ここまでお粗末な反論は初めて聞きました。いいですか、血痕というものはその付着状況によって形を変えるものなんですよ」

 榊原はもはや哀れみさえ感じられる口調で告げた。

「……は?」

「例えば鈍器で相手など殴った場合、血飛沫となった返り血は放射状の細長い血痕を形成します。『飛沫血痕』と呼ばれるもので、この血痕は単に血を触ったりした垂らせた程度では発生しない代物です。この血痕がどこかに付着していたら、十中八九それは撲殺現場にあったという証明になるんです。こんなの、犯罪をやる上では常識でしょう。その辺の推理ドラマやミステリーアニメで普通に言っている知識ですし……。今まで飛沫血痕の有無を盾に反論してきた犯罪者には何人もお目にかかってきましたが、飛沫血痕の説明を一からしないといけない犯人なんて初めての経験ですね」

「な、な、な……」

 榊原の挑発に、浜島の顔が真っ赤になる。明らかに狙ってやっているのは明白だったが、それを知ってか知らずか浜島は演技も忘れて激高した。

「だ、黙って聞いていたら好き勝手に言いやがって! 例えそういう形の血痕が出たとしても、たまたまそんな形になる可能性も全くないわけじゃないんだろう! 少しでも例外の可能性がある以上、そんなものは証拠にならない!」

「今までの法医学の歴史からすれば偶然この血痕がつく可能性はほぼ皆無に近いはずです。しかも、被害者を殴った凶器にも飛沫血痕が付着しているというのが『マージュツ』の報告です。もしこの後衣服を調べて、そこから検出された血痕と凶器の血痕の形が酷似していたら、これを偶然と片付けるのには無理があると思いますが」

「ふざけんな! たとえ灰皿に同じ血痕が付着していたって、それが俺の衣服と同じ時に付着した証拠に……なん……か……」

 怒り任せにそこまで言ったところで不意に浜島の顔色が赤から青に変わり、同時に榊原が小さく笑みを浮かべた。

「そうですか。灰皿ですか」

「あ……アァァァァァァッ!」

 もはや恥も外聞もなく浜島は絶叫していた。自分が何を言ってしまったのか、そして自分がものの見事に先程の挑発から仕込まれていた榊原の罠に引っかかってしまったのかを理解したからだ。そして、榊原は静かに勝ちを確信した表情で無情にも決定打を叩きつける。

「変ですね。私はさっきから『「勇者」は撲殺された』としか言っていません。『マージュツ』の捜査で初めて凶器が灰皿だとわかったくらいでしてね。さて……なぜあなたは『勇者』を殺した凶器が『灰皿』だなんて事がわかったんですか? 納得のいく説明をしてほしいですね!」

「そ、それは……現場で血の付いた灰皿を見たから……」

「いいえ! 『マージュツ』の話では灰皿の血は完全にふき取られていたそうです。つまり、もしあなたがさっきの主張通り犯人でないとしたら、初見では灰皿が凶器だと判別するのは不可能なはずなんです。ここでも『事後工作はしていない』と言うあなたの主張に矛盾が出てしまうんですよ!」

「そんな……違う……」

 もはや勝負は明らかだったが、浜島は顔面蒼白のまま何とか反論を探ろうとする。だが、榊原は鋭い口調で決定打を叩きつける。

「あなたが灰皿を凶器だと知る事ができる可能性は一つだけ! 自らその灰皿で被害者を殴り、そしてその灰皿を拭いて事後工作をした場合のみです! これだけの数の人間の前でそれを言った以上、今さら言い直しは通りません! さて……これだけ明白かつ大量の証拠を前に、まだ悪あがきを続けるつもりですか! 『偽勇者』さん、いい加減に覚悟を決めたらどうですか!」

 その言葉が発せられた瞬間、ついに浜島は自分がこのさえない中年男性に本当に論理だけで敗北した事を悟った。

「く、くそっ! こんなところで捕まってたまるか!」

 浜島は演技を捨ててそう叫ぶと、そのまま踵を返して榊原のいる方と反対の舞台袖に逃げ込もうとする。だが、そこにはすでに別の人間が立っていた。

「国松君……じゃなくて『カオル』! 頼む!」

 その言葉にその人物……先程マージュツの使い魔「カオル」として出演しながら結局傍観したまま終わってしまった道着袴姿の少女……国松香は、黙ってゆっくりと腰から木刀を引き抜くと自然体に構えた。だが、浜島は止まらない。

「邪魔だ、どけぇ!」

 浜島はそう吠えながら模造刀を大きく振りかぶって香に叩きつけにかかり……


 直後、ガツンッという嫌な音と共に模造刀の方が根元からポッキリと折れてステージ上に舞い、同時に素早く木刀を切り返して放たれた香渾身の返し胴が、浜島の腹部にクリーンヒットしたのだった……。


「ウゴッ……」

 浜島は妙な呻き声を上げると、今度こそそのままステージに崩れ落ち、ピクリとも動かなくなってしまった。一方、香はステージ上で観客が感心するほどきれいな残心を取ると、素早く木刀を腰に収めながらセリフを一言。

「さっきは勇者を倒すわけにはいかないので自重していましたが……またくだらないものを斬ってしまいましたね」

 何かどこかで聞いたようなセリフではあるが、まぁ、気にしない事にしようと榊原は心の中で呟いていた。

 と、直後、今まで成り行きを見ていた魔王が、らしからぬ威厳のある声で叫んだ。

「よし、確保だ!」

 その言葉が発せられた瞬間、ステージ脇から山賊三人組が飛び出して、どこから取り出したのか手錠を偽勇者こと浜島にかけて、そのまま舞台袖へ引きずり下ろす。舞台に残されたのは、榊原とカーレンナー姫役の瑞穂、そして魔王役の誰かだけだったが、この期に及んで彼らは芝居を強引に締めにかかる。

「さて大参謀サカキバラよ、勇者は偽物だったわけだが、この先どうなると思う?」

「本物の勇者もあいつに殺されてしまいましたし、案外我々が何もしなくとも勝手に国が崩壊するんじゃないですか?」

「なるほど。ならば、こんな姫など人質として価値はないな」

 なんか強引に話まとめると、魔王はカーレンナー姫(瑞穂)を解放し、ヒロインなのにセリフが一切なかったこの姫は最後まで何も言わないまま舞台袖に退場していってしまった。

「いいのですか?」

「構わん。何もせんでも勝手に崩壊する国などわしもほしくはない。それに、もし何かの間違いで国が潰れなかったとしたら、それは新たなる勇者が現れた何よりの証拠。その時は改めて侵略すればよいだけの話だ」

「なるほど。しかし、姫がまたおとなしくさらわれてくれますかね?」

「案ずるな! こういう物語における姫というものは、昔から何度でも魔王にさらわれるものと相場が決まっているものなのだ! フハハハハハハッ!」

 その直後、スポットライトが消え、最後に瑞穂のナレーションが流れた。

『えー、かくして偽勇者の捨て身の自爆で魔王は姫を解放し、ウーサンクーサイ国にはつかの間の平和が訪れたのでした。めでたし、めでたし。まぁ、その後どうなったかはご想像にお任せします』

 その後、何かを誤魔化すように壮大なクラシックの音楽が劇場に流され、全てが終わって明かりがついた瞬間、客たちは一斉にざわめきを上げたのだった……。

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