第二十六話 フォガート
空の移動は速いもので、あっという間に魔物が目撃されたと思われる場所まで着いた。
「んーあっちの方からすんごい魔力を感じる―」
ティティが教えてくれた方へ向かう。
眼下に見えたのは、十メートルはあろうかという巨大な怪物だ。
熊のような頭が二つ生えていて黒い体毛に覆われている。
「ん?なんか戦ってないか?」
「あの人強いわね」
「襲われているようには見えませんね」
「あらあ」
熊魔物に向かって大剣を振るう一人の男がいた。
熊魔物から電撃のような魔法が放たれる。
男は上手く躱し、熊魔物に斬りつける。
大剣を両手で持つ男の剣裁きは、大剣とは思えない程素早く華麗であった。
同時に男は黒い何かを熊魔物に放っている。
「ダブルブッキングでしょうか?」
「どうだろうな。たまたま遭遇しただけかもしれないし」
「この場合って横取りになっちゃうから、見てるだけなのよね?」
「あらあ」
単に襲われて立ち向かったのか、依頼を受けているのかは分からない。
どちらにせよ上空から見ているしかなかった。
「なんかちょっとヤバくね?」
「さっきよりも動きが鈍くなってきてるわね」
「あらあ」
璃采は目を疑った。そして璃采の顔は見る見るうちに青褪めた。
「これ、助けに入った方がいいです」
璃采は焦っていた。
「でもよう。他人の戦いに水を差すってどうよ」
「ティティお願い」
「うんー」
ロントは渋っていたが、璃采は近くに降り立ち、熊魔物の正面で戦う男の邪魔にならないように、横から新調したサーベルで攻撃する。
熊手に璃采と一緒に乗っていたリズフィも魔法で援護した。
「どっかーんー」
ティティの放ったいくつもの氷魔法が熊魔物を串刺しにする。
熊魔物の動きが止まった。
すかさず男が上から大剣を振り下ろし、首を一つ落とす。そのまま流れる様な動作で下から掬い上げるようにもう一つの首を落とした。
熊魔物は絶命した。
「すみません。勝手に参加しちゃって。討伐依頼ダブルブッキングでした?」
璃采は、大きな羽の付いた、ゆったりしたベレー帽のような帽子を被った男に謝った。
帽子の隙間からダークブロンドの髪が見えている。
年は二十代半ば位に見える。
ワインレッドの瞳が印象的だ。
「いや助かった。このような雑魚に手古摺るとは私もヤキが回ったな。私は依頼を受けたわけでは無い」
それにしても信じられないと驚愕の表情を浮かべる璃采。
――ありえない
男が立っている事が。いやそれ以前にさっきまで戦っていたという事が。
男のオーラは真っ黒だった。今まで見た魔塞病患者の末期の色だ。
本来なら寝たきりで動く処かしゃべる事も出来ないはずだった。
「それより、貴方は魔塞病ですよね?かなり重症のはずです。早く治療しないと」
急いで璃采が近付こうとすると男が制止した。
「おおっと。それ以上は近付かないでくれたまえ。私は少々きれい好きでね」
よく見ると防具だと思っていた顔の下半分を隠している物は、ただのマスクだった。
男はガントレットを外し、ポケットの中からハンカチを取り出す。ガントレットを外した手にも薄い手袋をしていた。
きれい好きというよりも潔癖症ではないのか、と璃采は思う。
「しかし、私が魔塞病だとよくわかったね?」
「僕は生命力が視えるんです。魔塞病も治せます。僕に治療させてくれませんか」
「なんと!」
男の瞳が大きく見開かれる。
「リトはシュオリブ王国でも沢山の魔塞病患者を治して来たのよ」
リズフィは自慢げな顔だ。
ロントとシェナフィも降りて来た。
「どうなったんだ?」
「彼は重度の魔塞病なんです。直ぐに治療をしなければ危険なんです」
「あらあ。それならリトに任せればいいと思うわあ」
男は暫らく驚いていたが、やがて真顔になった。
「私はフォガートと言う者だ。魔塞病が治ると言うなら是非お願いしたい」
フォガートと言う名前、何処かで聞いた事があった気がする。璃采はふと、そんな事を思った。
璃采達も各々自己紹介をした。
「直ぐにエブロ村へ戻りましょう」
ロントが討伐証明に頭を一つ持った。
「これに乗るのかい?」
「そうです。ええと、シェナさんの後ろに乗って貰えますか」
ロントは縦横一メートル以上もある頭を背負っているので、ロントの後ろには乗れそうもない。
フォガートは渋っていたが「プレートアーマーなら直接触れないからいいか」と小声で言ってシェナフィの後ろに乗りこんだ。
エブロ村へは直ぐに着いた。
宿屋の一室を借りてマッサージを始めようとする璃采。
「ここにうつ伏せに寝てください」
「こうか?」
ベッドに横たわるフォガートの体に触れようとした瞬間――
「ちょっと待て!触れるのか?」
フォガートが片手を前に出して慌てて止めた。
「はい。マッサージと言うもので魔力溜りを無くします」
「……それしか方法は無いのだな?」
「僕はそれしか出来ません」
フォガートは悩んでいるようだった。
「ではこれを嵌めてくれないか」
璃采が渡されたのは手袋だった。
しょうがなく手袋を嵌めてマッサージを始める璃采。
「フォガートさんはどうしてあの場所にいたんですか?」
重症患者が人里離れた山奥をほっつき歩いているのはおかしかった。
「あれは三カ月程前だったかな。私は魔法の調子がおかしくなって魔塞病だと気付いたのだよ。その時ロマノブ皇国にいたのだが、魔族は魔塞病にならないと小耳に挟んだのだよ。ならば魔族に魔塞病を治すヒントがあるかもしれないと思い、二ヶ月半ほど前にこの大陸行きの船に乗り込んだのだ」
璃采達が乗った船の一つ前の船に乗ったようだ。
どうやら魔塞病を治すオーラの魔法使いの噂は、ロマノブ皇国までは届いていなかったらしい。
「港町に着き魔族を観察してみたり、尋ねてみたりしたのだが分からなかった。だから首都であるカストラまで行けば何か分かるかもしれないと、向かっている途中だったのだ」
璃采は一瞬固まった。あの場所にいたという事は――
「ええと、イスティオ山脈を越えたのですか?」
「そうだが」
何か問題でも?という顔をするフォガート。
「歩いてですよね?」
「私はいつも徒歩で移動している。緊急時は走るが」
璃采の顔が驚愕に変わる。フォガートには驚かされっぱなしである。本来なら動けないはずの状態で歩き回り、戦闘までする。ベテランの登山家でもない限り、酸素マスク無しで越える事など不可能な山を越える。
璃采には理解できなかった。
「今日のマッサージはこれで終了です。これを十日程続ければ魔塞病は完治しますよ」
「ありがとう。幾分体が軽くなった気がする。まさかこんな所で魔塞病の治癒師に会えるとは、私はなんて幸運なのだろう」
フォガートはベッドから上体を起こし、軽く腕を回した。
「僕達はカストラへ戻るつもりですが、もしフォガートさんがここに残りたいのなら、完治するまで僕も残ります。どうしますか?」
「では私も行こう。ここまで来たのだ。首都を見ないで帰るなどもったいない」
「あと、あの魔物ですが、僕達が依頼を受けていた物なんです。ですが倒したのはフォガートさんなので、一緒に冒険者ギルドへ行って説明して頂けるとありがたいです」
カストラへ戻ったら魔物討伐の報告もしなくてはならない。
「いや、あれは山を越えた所で大きな魔力を感じたので、行ってみたら遭遇しただけだ。助けて貰ったわけでもあるし、私はいらんよ」
「でも報酬だけでも受け取って頂かないと」
「ならば治療代として取っておいてくれ。む、魔塞病を治すなどという貴重な治療であるとなると、それでは足りんか」
「いえいえ、充分です」
翌朝、璃采達はカストラへ向けて出発しようと村の門に集まっていた。
「魔物を討伐してくれてありがとうございます。これで安心して暮らせます」
村長が璃采達に向かってお時儀をする。
するとフォガートが「ちょっと待っててくれないか」と言うと物凄い速さで何処かへ走り去ってしまった。
璃采達は呆気にとられていた。
十分程経っただろうか。遠くから大きな黒いものが、物凄い速さで近付いて来る。
「あれは――」
璃采達はその不可思議な現象に驚くと同時に訝しんだ。
それは昨日倒したはずの魔物であった。
「ひぃいいい」
村長は驚いて腰を抜かしてしまった。
あっと言う間に村へやってきた魔物。
いや、それは魔物を担いだフォガートだった。
「報酬だけじゃ治療費に足りないかと思って、持って来たのだ。これを売れば、少しは金になるであろう」
十メートルもありそうな魔物を、どうやったら持てるのだろうか。あの魔物は大きいだけで実は綿のように軽いのだろうか。いや、そんなはずはない。
よく見ると魔物とそれを支える掌の間が僅かに開いている。魔法で浮かせているわけではない。オーラで手を覆っているのだ。例え手袋をしていても触りたく無いという事だろう。
だがそこまでして持って来てくれた事で、璃采はフォガートの人柄が少し解った気がした。
「昨日マッサージとやらをして貰ったおかげで、力が戻ってきたからな」
いや、あなたまだオーラ真っ黒ですから。動いているのが不思議なくらいですからね。と心の中で突っ込む璃采だった。
「おいおい、そんなでかい物持って飛べるのか?」
死んでいる魔物なので、ティティでも飛ばす事は出来るだろうと、璃采はティティを見る。
「ティティ疲れるからそんな大きいのいやー」
ティティは拒否した。
「あらあ。私も長時間飛ばすのはきついわあ」
シェナフィも無理そうだった。
「フハハハ。問題無い。私がこのまま走ればよいのだ」
璃采はもう何も言えなかった。
下を見ると、黒い大きな物体が物凄い速さで動いている。
フォガートが魔物を担いで走ると言うので、璃采達はどの位の速さで飛べばいいかフォガートに聞いた所、璃采達に合わせると言う。
璃采達にはフォガートの速さが判らなかったので、璃采達がフォガートに合わせることにした。
するとフォガートは大きな塊を持ったまま、凄い速さで走り出したのだ。
ティティ組は平気だが、今までそこまでのスピードを出した事の無かったロントとシェナフィが追い付く方が大変だった。
「うーん」
飛び始めてからずっとリズフィがうんうん唸っていた。
「どうかしましたか?」
「何か思い出せそうなのだけど……フォガート……フォガート……」
「知り合いですか?」
「知り合いにはいないはずよ……」
「あの人は、あの調子だと魔塞病が治ったらドラゴンも一人で倒してしまいそうですね」
璃采は、病気にもかかわらず元気に走るフォガートを、眼下に見ながら呟いた。
「そうよ!それよ!彼は英雄フォガートよ!」
思い出してスッキリとした顔のリズフィ。
璃采はロドルーブから英雄の武勇伝を色々と聞いていた。名前は忘れてしまっていたが。
彼はドラゴンを倒しただけでなく、各地で魔物を狩り村や町を救った事で、英雄と呼ばれるようになったそうだ。
「でもあの人ってどこか……」
リズフィは続く言葉を呑み込んだ。そしてそれ以上は言わなかった。
半日ほどで中継地に選んだ町に着いてしまった。
「私はまだ走れるのだが、次の町まで行こうか?」
「いえ、今日はここで休みましょう。フォガートさんは病気なんですから無理しないでください」
この人は本当に人間なのだろうか。そんな疑問が璃采の脳裏に浮かぶ。英雄と言えども人間のはずだ。考えても解らない璃采であった。
その日もマッサージを施す。
璃采はフォガートと会った時からずっと聞きたかった事があった。
「フォガートさんもオーラを扱えるんですか?」
「オーラとは君が視えると言っている生命力の事か?」
「はい。フォガートさんが魔物と戦っている時、オーラを魔物に向かって撃っていましたよね?それに、魔物を運ぶ時も手に纏っていました」
魔物に放っていた黒い物は変色したオーラだった。
「おお、あれがオーラだったのか。魔法とは違う何かだとは思っていたが。確かに以前から防御になるので、身に纏うようにして使っていたが、魔塞病で魔法が使えなくなってからは、攻撃にも使うようになったのだ。だが私には全く視えない。感じるだけだ」
魔法と違って火や氷といったように具現化出来るわけでは無い為、何が出ているのかフォガート本人にも解っていないようだった。
「その方法を是非教えてください。僕はオーラを扱えるようになりたいんです」
璃采は実際に目にするまで、オーラを放つ事が出来るとは思っていなかった。
練習によって纏う事までは出来ている。放つ事が出来るようになれば、少しは攻撃の幅が広がるだろう。
「魔法の方が強力だし、便利だろう?オーラは魔法には全然及ばないぞ?」
やはりオーラでは、魔法には叶わないらしい。それでも何も出来ないよりはマシだ、と璃采は思った。
「それでもいいんです」
「私には視えないのでね。上手く教えられるか判らないがいいだろうか?」
「はい。よろしくお願いします」
璃采はマッサージを終えた後、オーラを飛ばすコツを教えて貰った。
フォガートの教え方は、ティティやロントのようでは無かったので助かった。
とはいえなかなか直ぐに出来る物では無い。
その日は一回も飛ばす事は出来なかった。
翌日も次の中継地点の町までフォガートは走って行った。さらに速くなったように感じる。
町に着くと、璃采はマッサージを施し、その後オーラを飛ばす練習をする。
「私は以前から魔力とは違う力を感じていたのだ。その力を体に纏うようにイメージしていたのだよ」
ロドルーブが魔力を使って生命力を感じる事が出来たように、フォガートもまた無意識に魔力を使って感じ取っていたのだろう。
「掌に集めた力を押し出すイメージを持つのだ」
璃采は掌に集めたオーラが、盛り上がっているように視えた。だが飛び出すまではいかなかった。
フォガートの病気の事を考えて、一日の移動距離を決めてあった。
移動自体はエブロ村へ向かう時よりも速いスピードだったのだが、ゆっくり五日かけて首都カストラへ戻って来たのだった。
魔物の死体は街に入れる事は出来なかったので、門の外に置いて貰った。
璃采達は宿を取りフォガートにマッサージをした後、冒険者ギルドへ行った。
魔物討伐の証明の為の頭を受付に持って行く。
「あのこれ討伐証明なんですけど」
璃采はそう言うと、ロントが魔物の頭を見せる。
「ひっ。あ、はい依頼完了ですね。ではこちらが報酬になります。お確かめください」
「あと、魔物全部持って来ちゃったんですけど。街の門の外に置いてあります。それってこちらのギルドで買い取りとかってしてもらえるんですか?」
「えっ全部。あ、はい買い取り致します。あとでギルド職員を向かわせますので、明日買取料金をお渡し出来るかと思います」
「ありがとうございます」
「結局西の魔女には会えなかったな」
「そうですね」
「まだ一匹だけじゃない。他のも見てみましょ」
「そうねえ」
璃采達は掲示板を探した。
魔物関連の依頼はあるにはあったが、素材調達だった。
「素材の場合、山奥とかの魔物の生息地まで行って討伐するんですよね」
「それじゃあ西の魔女には会えないわね」
「そうねえ。魔物で困っている村や町じゃないと駄目かしらあ」
「また直ぐ依頼出るんじゃね?」
「まあ今は待つしか無いですね」
翌日もフォガートにマッサージをした後、向かったのは冒険者ギルドだ。
「あの、昨日の討伐した魔物の件なんですけど」
直ぐに話が通るように昨日と同じ受付の女性の所へ行く。
「ああ、昨日の魔物ですね。解体が終わりました。こちら買取料金になります」
金を受け取った璃采達は、今日も掲示板をチェックする。
その日も魔物討伐依頼は出ていなかった。
璃采は宿に戻りオーラの練習をする。
他の皆はロントの案内でカストラの街の観光へ出て行った。
黙々と練習をする璃采。
「あっ」
掌に集めたオーラが放たれた。ポヨンという感じで。十センチ程飛んだかと思うとシャボン玉のように霧散してしまった。これでは実践で使えない。まだまだ練習が必要だ。
それでも掌から離れた事が璃采には嬉しかった。
魔物の討伐依頼が無いまま五日が経過した。
その頃には既にフォガートの魔塞病は完治していた。
「ありがとう。リト。君は恩人だね。困った事があったら何でも言ってくれたまえ」
「いえ、お金も貰ってますし、オーラの使い方も教えて貰って、こちらこそ感謝してます」
それにしても、と璃采は思う。
元気になったフォガートのオーラの量が半端無く多い。普通の人の五倍はありそうだ。
やはり人間離れしている。
璃采には感じる事が出来ないが、魔力の量も多そうだった。
「フォガートさんはこれからどうするんですか?」
「そうだな。ゼリメラ大陸まで来たのだ。暫らくこの大陸を回ってみようと思う」
「そうですか。フォガートさん程の強さなら大丈夫だと思いますけど、気を付けてくださいね」
翌日、フォガートは完全防備でカストラの街を去って行った。
璃采達がその日、冒険者ギルドで依頼を探すと、魔物討伐依頼が貼り出されていた。




