第二十話 決意
「リト、ほら肉食え肉。もっと食わないと大きくなれないぞ」
クレアが璃采の皿に肉を盛る。
「えっちょっ、こんなに食べられません」
「リトは痩せ気味なんだからこれ位食べろ」
微笑むクレア。その栗色の瞳が優しく璃采を見つめる。
クレアには敵わないと言った顔で肉を食べる璃采。クレアはその様子を嬉しそうに目を細めて眺めている。璃采もまた食べながらそんなクレアを見つめていた。
璃采は固めのベッドの上で目を覚ました。どうやら夢を見ていたらしい。
その日は暗く重い灰色の雲が空を覆っていた。
今にも泣き出しそうな空なのに何故か泣けないでいるようだった。
まるで璃采の心をそのまま映したような空模様。
璃采には空だけで無く、目に映る物全てが灰色に見えていた。
そんな中クレアの葬式が厳かに行われた。
クレアの葬式の間、璃采は夢の中にいるようだった。周りの音がよく聞こえない。視界に入るもの全てがぼやけている。自分が今息をしているのかさえ解らなくなりそうだった。涙は一滴も出なかった。
クレアの葬式が終わり、璃采達は宿屋へ戻って来た。
クレアの家族が家に泊まるように言ってくれたが断った。
宿は二部屋取り、一人にして欲しいとティティにはリズフィの部屋に行って貰った。
璃采はベッドに横になり考えても何も変わらない事をひたすら考えていた。
――もしも僕がもっと早く戻っていたら
そう思うが例え璃采がその場にいた所で変わらなかっただろう。
ヨンバイの町のビルの家にいた時毎日のようにダルに剣の稽古をつけて貰った。しかしたかが一ヶ月である。剣を持った事も無い素人よりも少しは振る事が出来るようになったという程度だ。
クレアが負ける様な相手に、魔法も使えない璃采がいた所で何の役にも立たない。
――底知れない魔力を持つティティがいたなら
そう思ったが、妖精は本来人間の前には姿を現さない。璃采の許にいるのは気まぐれだろう。
そしてティティ自身も言っていた嫌な人間の前には姿を現さないという言葉。襲われたのなら話は別だが、わざわざ行って助けてくれとは強要出来ない事である。
ロドルーブが死んだ事は悲しいし寂しかった。殺されたのだという事に憤りも感じた。だがロドルーブは老人で五百年以上も生きている。
璃采は悲しいと思いながらも、璃采自身も知らない何処かで、自然の摂理だと受け入れていたのかもしれない。
だがクレアは違う。まだ二十歳だ。これから結婚もして子供も産んで幸せな人生が待っていたかもしれない。姉のように思っていたクレア。もう二度と会えないのだ。
璃采は死が身近にあるこの世界を初めて恐ろしいと思った。
(本当はここは日本で、僕は悪い夢を見ている途中なのかも。そうだよ。だいたい召喚なんてあるはず無いんだ)
璃采はそう考えないと壊れてしまいそうだった。
体が重たい。
喪失感と絶望で璃采の心は空っぽだった。そして――全てを拒絶した。
何もする気が起きないまま五日が過ぎようとしていた。
トントンとドアをノックする音が響く。璃采の返事は無い。
勝手にドアを開けリズフィが顔を出す。
「リト。何か食べないと体がもたないわ。食堂から料理を少し持って来たから食べて」
璃采はベッドに横になったまま虚ろな目で天井を見上げている。
「ねえお願いだから……」
悲しげな顔で言うリズフィ。その声は泣きそうだ。
だが璃采はそんなリズフィに気付かない。
ティティも毎日様子を見に来る。しばらく璃采の周りを金色の粉を振り撒いてパタパタと飛んで戻って行く。
「フコー」とは一言も口にしなかった。もし言われていたのなら璃采の精神は粉々に砕けてしまっただろう。
そして璃采はティティの事も目に入らなかった。
翌日ビルがやって来た。璃采の事を心配して国王代理の仕事も放置して来たのだ。
「リト大丈夫か?」
璃采は相変わらず反応しない。
その様子に見かねたビルは璃采の襟元を掴んで無理やり起こした。
「おいリトしっかりしろよ」
体を起こされて流石に璃采も虚ろな目をビルに向けた。
「お前がそんなんでどうする。リズだってお前と共に行くって決めて着いて来てるんだろうが。そんなんじゃ周りもみんな不幸だ」
その言葉に璃采はピクリと反応した。
ロドルーブもクレアも死んでしまった。前王も。璃采と係わった人は死んでしまう。
璃采は気が付いてしまった。
ロドルーブ然り、クレア然り、前王然り、いずれも璃采がマッサージをした事のある相手である。
マッサージによって治すのでは無く、死を植え付けているのではないか。
璃采の心は暗い深淵に沈んで行く。
「……忘れてた。僕、死神だった」
やっぱり自分は死神なのだ。自分の所為でみんな死んで逝くのだ。
「は?」
何を言い出すんだと唖然とした顔をするビル。
自分が死神である事を思い出した璃采は誰に言うでもなく叫ぶ。
「僕と係わった人はみんな死ぬんだ。両親も。おじさんも。おばあさんも。王様も。ロドルーブも。クレアも。みんなみんな死んだ!」
璃采は止まらない。
「僕の所為で。僕が死神だから。僕なんていない方がいいんだ。僕が死ねばよかったんだ」
ビルの脇からリズフィが両手で璃采の頬を掴んで自分の方へ向けた。
「そんなこと言わないで。リトは死神なんかじゃない。私の事助けてくれたわ」
リズフィの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「……リズフィも城へ帰った方がいいよ」
璃采はリズフィの顔を見ずに目を伏せたままだった。
「さっきから聞いてりゃ。リト、リズの顔をちゃんと見ろ。辛いのが自分だけだと思うな。自分だけが不幸だなんて甘えてるんじゃねえ!」
ビルが璃采の胸倉を揺する。
璃采はしょうがなくといった様子で目線を上げリズフィの顔を見た。誰かの顔を見たのはクレアの死以来初めての事だった。
「お前がいなくなった方がいいなんて、この場の誰が思ってるって言うんだ」
リズフィの顔はやつれていた。陶器のような白い肌には隈が出来、頬はこけているように見える。
リズフィだって父親が殺された。それも兄によって。クレアにも懐いていた。辛くないわけがない。
ティティも心なしか元気が無い。
ティティにしてもロドルーブの事もクレアの事も好きだと言っていた。妖精が人間の死をどこまで理解しているのかは不明だが、光が弱まって悲しそうに見える。
「クレアが死んで辛いのはみんな一緒だ。だが俺達は生きてる。これからも生きて行かなきゃならないんだよ。辛い事も何もかも抱えて前に進むしかないんだ。」
ビルの声が璃采の胸に突き刺さる。
璃采はクレアの惨劇の日から誰も見ていなかった。
自分の事しか考えていなかった。
誰もが辛いのにそんな璃采を心配してくれている。自分の事より璃采の事を気遣ってくれている。
「……ごめん」
璃采の目にリズフィ、ビル、ティティの顔が映る。その顔がすぐに涙で歪んだ。
「みんなごめん。僕は自分の事ばかりで。みんなの気持ちも蔑ろにして――」
璃采はうずくまり、激しく泣いた。堰を切ったように涙が溢れ出す。クレアが死んでから初めて見せた感情だった。
リズフィもティティも一緒に泣いた。クレアの事を思って。
ビルは天井に顔を向けていた。
泣き疲れていつの間にかベッドに重なるように、三人は眠ってしまっていた。
「赤ん坊かよ」
そう一言残してビルは部屋を出て行った。
五日後、璃采達三人はシュオリブ王国の西に位置するロマノブ皇国のチットンという町にいた。
全員で泣いた日、目を覚ました璃采は自分自身に誓った。もう自分に負けない、弱い自分を捨てるのだと。
弱い自分を捨てると言っても、他人の死に何も感じなくなるという意味ではない。寧ろ死を重く受け止めなければならない。受け止めてそれでも悲しみに押し潰されないように前へ進むのだと決めた。
本当はもう誰も死んで欲しくない。だがそれは何の力も無い璃采の傲慢である。無力な自分に苛立つ。みんなを守る為に、何か自分にも出来る事を探さなければと焦る気持ちもあった。
悲しみが癒えたわけではない。璃采の心に突き刺さった悲しみは果たして癒える事等あるのだろうか。
「ここから更に西のカリゼっていう港町へ行くのね」
「うん。まだ先は長いけど」
三人は西のゼリメラ大陸を目指していた。
勿論魔女に会うためだ。
ロドルーブは二人の魔女に会うと言っていた。一人は東の魔女。もう一人はおそらく北の魔女だろう。
北の魔女にはロドルーブが既に会っているのなら、三人は西の魔女に会いに行こうという事になったのである。
「ねね、カーノジョ、すんごいかわいいね。オレっちとお茶しない?そっちの子も一緒にどう?」
声をかけて来たのは軽そうな男だった。年は璃采より少しだけ上に見える。明るいオレンジ色の肩位までの髪を靡かせて、同じくオレンジ色の目でリズフィの顔を覗き込む。
生まれて初めてナンパされたリズフィは、この人はいきなり何を言っているの?ときょとんとした顔をしている。
ナンパを初めて見る璃采も思わず観察してしまう。男の顔は甘いマスクという表現がぴったり当てはまる。ただ一人称が残念だと思った。どうやらオレっち男は、ロドルーブから貰ったローブをすっぽりと着こんでいる璃采を女だと勘違いしているようだ。
「名前何て言うの?オレっちはロント」
ロントと名乗った男はリズフィの腕を掴んだ。リズフィが驚いて払い除けようとした時、璃采がリズフィの間に割って入り男の両腕をガシッと掴んだ。
「それどうやってるんですか?僕に教えてくれませんか?」
ロントの方が驚いて腕を振り解こうとしているが、璃采が思いっきり掴んでいる所為で振り解けないでいる。
「えっお前男だったの。なんだよ男連れかよ。先に言ってくれよ。今まで見た事無い位、極上のかわいい子だったのに」
本当に残念だというように肩を落としたロントだったが、一瞬力を込めたように感じだ。その瞬間璃采の手が簡単に離れてしまった。
璃采にははっきりと視えた。ロントの周りのオーラが動いているのが。
「んじゃ、彼氏と仲良くな」
璃采を無視して去ろうとするロント。
「か、彼氏じゃないわ」
思わず言い返すリズフィ。小声で「まだ」と語尾に付けたのは誰にも聞こえなかった。
ロントの足が止まった。
「そこんとこ、詳しく」
「リズフィは旅をする仲間です。僕達はゼリメラ大陸へ行こうと思っています」
ロントは満面の笑顔になり璃采と肩を組む。
「いやあ奇遇だね。オレっちも旅の途中なんだよ。旅は道連れ世は情けって言うしさ。一緒に行こうぜ。まあオレっちはゼリメラ大陸から来たんだけどな」
「じゃあ一緒には行けないですね」
「問題ないない。ゼリメラ大陸ならオレっちに任せな。案内も通訳も出来るぜ」
それでは帰る事になってしまう。それでいいのだろうかと疑問に思う璃采。
「えっとロントさんの旅の目的は何ですか?」
よくぞ聞いてくれましたと言うようにロントは得意げな顔になる。
「自分探しの旅さ」
立ち話も何だという事で食堂に入り、食事を摂りながら話をした。
「ティティも食べる―」
ティティがローブの中から顔を出した。
妖精は食べても食べなくてもいいらしい。ティティは気が向いたら食べるといった感じだ。
「うおっ。そっちのカノジョもかわいいじゃん。ティティちゃんて言うの?オレっちはロントよろしく」
キラリと白い歯を見せて笑うロントだが、ティティは知らん顔だ。
「そのツンとした所もかわいいねえ」
「ロントさんはゼリメラ大陸の事御存じなんですよね?僕達は魔女に会いたいんです」
璃采は西の魔女を探している事を告げる。
「魔女ねえ。ゼリメラ大陸じゃ御伽話だな。オレっちも信じちゃいねえし」
璃采達は先行きが不安になる。
だが、ネストルテは二十年程音沙汰無しと言っていた。という事は西の魔女が存在する事は確かである。
「ところで、ロントさんの自分探しの旅っていうのは?」
オレっちかっこよくね?みたいに言っていたが、生き方でも探しているのだろうか。
「ロントでいいって。んー、オレっちか。そのまんまの意味さ。オレっちには二十年前より以前の記憶が無いんだよな」
二十年前と言えば見た目から判断すると赤ん坊である。当り前ではないのかという顔をしていた璃采達を見てロントは付け足した。
「オレっち、二十年前もこの姿だったんだぜ。察するに魔族と人族のハーフなんじゃないかと思ってよ。十年前シュオリブ大陸にやって来たってわけだ」
魔族はゼリメラ大陸に住む種族である。シュオリブ大陸に住む人間と呼ばれる種族は魔族からは人族と呼ばれている。
魔族は人族より寿命が長い。平均寿命は三百年程だという。
魔族の特徴として人族より魔法に長けており、背中には羽が有り飛ぶ事が出来る。ただティティのように自由自在とはいかず、スピードは出ないし長距離も飛べない。
ロントは二十年前ゼリメラ大陸の荒野で目が覚めたという。それまで何処で何をしていたかさっぱり分からないそうだ。ロントと言う名前もその時に自分で付けた物らしい。
十年間ゼリメラ大陸で自分は誰なのか探していたが見つからず、代わりに十年経っても姿が変わらない事に気付いたそうだ。だが魔族のような羽を持っていなかったので人族とのハーフではないかという事に思い至ったという。
「まあこっちに来てもさっぱりだけどさ。でもこんなかわいい子と知り合えたんだ。来てよかったあ。それがさ――」
何でも暫らくこの大陸を放浪していたが、最近になってこの町の方角に来ればいい事がありそうだと直感したらしい。そして直感のまま行動していたらリズフィを見つけたそうだ。
リズフィは軟派野郎ホイホイなのではないだろうか。
「オレっちの勘て、たまによく当るんだぜ」
たまになのか、よくなのかどっちだよと突っ込みたい気持ちは押さえて璃采は尋ねる。
「それで、さっきのオーラの使い方を教えてくれませんか」
「オーラ?」
璃采は生命力をオーラと呼んでいる事、それが視える事、ロントのオーラが動いて視えた事、ロントのオーラに璃采の手が弾かれた事等を説明した。
「んなこと言われてもなあ。オレっちには視えねーし」
どうやらロントは無意識で動かしているらしい。
動かし方は分からなかったが、それでも璃采には光明が見えた。
翌日、璃采達は港町カリゼを目指して出発した。
ロントも付いてくる事になったので、ロドルーブの熊手にロントとリズフィが乗る。ロントは魔族とのハーフと言うだけあって熊手を飛ばす事が出来た。
璃采は今まで通りティティに運んで貰う。
「この乗り物便利でいいな」
ロントは足をプラプラさせながら喜々とした表情をしている。
「ゼリメラ大陸には無いんですか?」
魔力に長けた魔族なら乗りこなせそうである。
「魔族は自分で飛ぶ事が出来るからなあ」
「でも長距離は飛べないんですよね?」
「疲れたら休むの繰り返しさ。魔族は寿命が長いからな。その所為かみんなのんびりした性格なのさ」
緑色の大地が眼下に見える。町も玩具みたいでかわいい。
雄大な自然を空から眺める贅沢に異世界の神秘を感じたのだった。




