第十四話 王女救出
時は十三日前に遡る。
リズフィ王女はティティが帰った後、ティティとの会話を思い出し一人考え込んでいた。
「そう。ルデールお兄様がリトを助けて下さったのね。やっぱりルデールお兄様は素晴らしい方ですわ。ルデールお兄様の言う通りにしていれば全て上手く行くのですわ」
「ほんとー?ほんとにそーなのー?ほんとにそー思うー?」
「ええもちろんですわ」
「じゃあなんでこの部屋から出れないのー?なんでー?」
「それは、まだ王宮内部がごたごたしていて危険かもしれないからって仰っていましたわ。私の事を考えてくださっての事ですわ」
「ほんとー?ほんとにそれでいいのー?」
「ええ。ルデールお兄様は昔からいつも私を庇ってくださいましたもの」
「ほんとー?ほんとにあのニンゲンなのー?ほんとにそれはあのニンゲンだったー?」
「え、ええ」
「でもティティはあのニンゲンすごーく嫌な感じするぅー」
「ティティ?」
「妖精は嫌なニンゲンわかるんだよー。リズーほんとーにだいじょーぶぅー?」
リズフィ王女は、ティティが悪意を持ってルデール王の事を嫌な人間と言っているようには感じなかった。ティティから見た正直な気持ちなのだと分かった。そしてティティがリズフィ王女の事を心配してくれているのだという事も伝わった。
加えて、ティティに『リズ』と呼ばれて懐かしさも感じた。それは先日塔の中で幼い頃を思い出したからかもしれない。
――そういえば昔、そう呼ばれていましたわ
翌日ルデール王がリズフィ王女の部屋を訪れた。
「やあリズフィ、顔色が良くなったね。元気になったようでよかった。戴冠式が終わっても国王の仕事の引継やら何やら忙しくてね。なかなか顔を出せなかったのだよ」
最初は父親の死とその後の結末に心を痛め悲しみに臥せっていたリズフィ王女だが、ティティが来て話し相手になってくれたおかげでだいぶ心が落ち着いた。
「いいえ、お兄様。お忙しい中足を運んでくださりありがとうございます。私もお兄様の戴冠式拝見いたしたかったですのに」
「知っての通り王宮は危険なのだよ。レギール派だった者が何を仕出かすか分からないからね」
「あの、お兄様」
「なんだい?」
リズフィ王女は思い切って、気になっていた事を聞いてみる。
「昔はリズと呼んでいらっしゃいましたよね?」
「昔?私は昔からリズフィときちんと名前を呼んでいるよ。リズと略すような真似をしたことは無いよ」
微笑みながら言うルデール王。
「そ、そうでしたわ。昔からルデールお兄様はきちんとされたお方でしたものね」
ルデール王が去った後、リズフィ王女はまた一人思考に耽る。
誰がリズと呼んでいたのだろうか。双子であるフェルシュ王子でも無い。レギール王子は名前を呼んだ事すらない。両親でも無いし、リュレ王妃でも無い。だとすると残るは一人しかいない。第三王子ヴィドルだ。
リズフィ王女は考えがそこに至ると、ぼやけていた記憶が不思議と次々と鮮明になり、思い出す事が出来た。
――いつも庇ってくださっていたのは、ヴィドルお兄様でしたわ
リズフィ王女が六歳の時にヴィドル王子は姿を消した。
ヴィドル王子がいなくなった後は、ルデール王子が優しくしてくれた為、幼い頃の記憶が混同してしまったのだろうとリズフィ王女は推測した。
ルデール王子は優しかったが庇ってくれたわけでは無い。レギール王子が辛辣な事を言っている間は何もしなかった。レギール王子の陰に隠れるようにしていただけだ。レギール王子が去った後、優しくしてくれた。
幼い頃のリズフィ王女はレギール王子の事が怖かったので、レギール王子を面と向かって見る事が出来なかった。その為、レギール王子の背後にルデール王子がいたという事を覚えていなかったのだった。
――それでもルデールお兄様がお優しい事には変わりありませんわ
翌日リズフィ王女の許へ花嫁修業の指南役という女性がやって来た。女性はマレッティと名乗った。
もう十六歳になるリズフィ王女はいつ嫁に出されてもよい年である。
お父様が亡くなったばかりなのに何故?とリズフィ王女は思うが、王が変わった今だからこそとも思った。政略結婚により他国との結び付きを強くし国の安定を図るのだろう。
ルデール王の為、延いてはシュオリブ王国の為に政略結婚も辞さない覚悟はあった。
だが、小さい頃から知識、教養、礼義、作法、各国の言葉といったものは既に習って来たし身に就いている。今のままでも充分、何処へ嫁に出しても恥ずかしくない。今更何を教えるというのか。
マレッティの教えは何か変だった。
男性への甘え方やおねだりの仕方の指導だ。その為の会話術、表情、仕草、目線に至る迄事細かに指導された。
愛の無い政略結婚であるし、他国へ行くのだから相手に気に入られた方が良いことは解る。だが、相手を自分の思い通りに動かす方法まで指導された時には違和感があった。
リズフィ王女が花嫁指南を受け始めてから十日が経った。それは塔を出て部屋に籠ってから十九日目になる。
流石に部屋に閉じ籠りきりで花嫁指南を受けるだけという状況に嫌気が差し、窮屈さを感じるようになっていた。あれきりルデール王もリズフィの部屋へ訪れなかった。
王宮だけでなく城内、国の様子を知りたいと思い始めたリズフィ王女が部屋を出ようと隣の衛兵の間に行くと、近衛騎士に止められた。
「陛下より、王女殿下を部屋から出さぬよう命じられております故」
兄が妹の身を気遣っての事にしても、王宮内すら出歩け無いとは過保護過ぎではないかとリズフィ王女は思う。いくら危険だといっても護衛を付ければよい話である。
「そんなのおかしいわ。貴方達が警護してくれれば良い事ではないですの?」
別の近衛騎士が答える。
「我が主君の望みは、殿下が部屋で大人しくしている事なのです」
リズフィ王女はこの軟禁状態といい花嫁指南といいルデール王の考えを知りたかった。
「では、お兄様に会わせてください」
「陛下はお忙しい身であります故、難しいかと思われます」
部屋を出る事が叶わなかったリズフィ王女は、直接ルデール王に会いに行こうと考えた。
その夜、リズフィ王女は自身の控えの間から王族専用通路に入りルデール王の部屋に向かう。
「来ちゃった☆」で許される事では無いのだが、優しい兄ならば許してくれるのではないかと、楽観的な期待を胸に抱いて。
ルデール王の控えの間の前まで行くと中から話声が聞こえて来た。どうやら来客中のようだった。
リズフィ王女はいけない事とは知りながらもその場で待つ事にする。
扉の向こう側の話声が零れてくる。
「レギール派の残党の処分は滞りなく進んでおります」
声から察するに大魔法使いスラーキュのようだった。
「そうか。重臣や貴族には兄上の息のかかった者も多い。この城で信頼できるのはそたなだけだな。だが、それ故そなたへの妬みも多い。気を付けるのだぞ」
「ありがたきお言葉。して、リズフィ王女殿下の方はいかがです?」
「あれは見た目は良いからな。後は嫁ぎ先の者を傀儡に出来るだけの技術を身に付ければ、我が国にとって良い道具になるであろうな。リズフィは小さい頃から私の言う事を聞くように仕込んだから問題ない」
リズフィ王女は現実の姫である。
童話に出てくる姫は素敵な王子と恋に落ち幸せな結婚をする。
だがリズフィ王女にとって結婚とは政略結婚であり、そこに恋だの愛だのは存在しない。
現実に姫であるのに庶民よりも童話の姫は夢物語のようだった。
リズフィ王女も乙女である。憧れる気持ちはあった。だが物心着いた時から自分は政略結婚の道具になるのだと、憧れと現実は違うのだと割り切っていた。
それでもやはりルデール王の口から道具という言葉を聞くのは辛かった。そして何より――
――小さい頃から仕込んだ?
それではルデール王の優しさは全て嘘だったという事だろうか。
リズフィ王女を思う通りに操る為の演技だったという事だろうか。
リズフィ王女の事は本心では都合の良い道具としか見ていなかったという事だろうか。
そして同じ事をリズフィ王女にさせようとしているのだ。そんな話は信じたくなかった。
「傀儡とは、さすがルデール陛下でございます。陛下がいらっしゃればこの大陸の支配も夢ではございませんな。陛下が王になられる事を待ち望んでいた甲斐があったというものです」
「それもこれも兄上があのような事件を起こした所為であるがな」
「あのレギール殿下の気性でございます故。前王が回復に向かっては王への道が遠ざかる一方と早まった事をなさったのでしょうな。これはもう、ルデール陛下は王になられる運命だったのやもしれませぬ」
「引き続き、レギール派には注意するように。兄上がいなくなった今リズフィを担ぎあげようとする者も出てくるかもしれないからな。軍備拡大の方もよろしく頼んだぞ」
「お任せ下さい。では私はこれで」
スラーキュは控えの間から出て行った。
「――あのスラーキュでも全て私が仕組んだとは気付かぬか」
スラーキュが扉を閉めた後、ルデール王はポツリと呟いた。
それはリズフィ王女の耳にも届いてしまった。
リズフィ王女はその言葉の真意を知りたいと思いながらも部屋の中に飛び込む勇気が無かった。
隠しきれない動揺を抑えながら彼女はその場を後にした。
ルデール王は一瞬暖炉の方へ目をやったが、直ぐに立ち上がると寝室へ入って行った。
翌日ルデール王がリズフィ王女の部屋を訪れた。これには近衛騎士達が驚いていた。
毎日新王への謁見が山のようにあり、検閲したり承認したりしなければならない書類も山のようにある。私的な時間など取れないはずであった。
ルデール王自身も暫らくここへ来る事は無いと言っていた事もあり、近衛騎士達は何事かと気を引き締めてルデール王を迎えた。
「よい、兄が妹の顔を見に来ただけのことだ」
そう聞いた近衛騎士達は、妹思いの兄だとほっこりする者が殆どだったが、訝しむ者も中にはいた。
リズフィ王女もルデール王の突然の来訪に驚いた。
「久しぶりだね。元気そうで何よりだよ。花嫁修業の方は順調かい?」
「え、ええ。順調ですわ。お兄様はお忙しそうですが、どうかお身体を大切になさってくださいませ」
「何か私に聞きたい事があるのではないのかい?」
ルデール王は探るような目でリズフィ王女の目を見つめる。
その視線にリズフィ王女はたじろぐ。
聞きたい事はある。昨夜のあの言葉は何なのか。仕組んだとは何をしたのか。何についての事なのか。ルデール王からはっきり聞かないと恐ろしい事まで考えてしまいそうになる。
だが聞く事が出来なかった。立ち聞きしていた事を知られてはいけない気がした。
ルデール王はリズフィの瞳をじっと見つめていたが、やがて言った。
「三日後ドータス伯の領地へ視察に行く事になっていたのだけれど、私は行けなくなってしまってね。リズフィ、私の名代として行ってくれないか」
断る事は出来なかった。出来ないような凄味があった。
「……わかりましたわ」
それだけ言うとルデール王は出て行った。
後に残されたリズフィ王女は思わず両腕を抱きしめた。得体の知れない恐怖が襲ってきた。先程のルデール王の顔はリズフィ王女に初めて見せる顔だった。
その夜はよく眠る事が出来ず朝早くに起きてしまったリズフィ王女は、控えの間の扉の下に何か落ちている事に気付いた。それは二つ折りにされた紙だった。
開いてみると『お逃げください。視察へ行ってはなりません』と書かれていた。
一体誰だろうと控えの間の扉を開けてみるが、隣の衛兵の間には近衛騎士が二人いるだけであった。
リズフィ王女はどうしていいのか判らなかった。差出人不明のその紙きれは信用に値するものなのか。
何故逃げなければならないのか。
逃げなければならないという事は狙われているという事だろうか。
何故視察へ行かない方が良いのか。
狙われているという事は襲われる可能性があるという事だ。視察へ行くと襲われるという事だろうか。
もしそうなら、王宮の中では手を出し辛いので視察で外に出た時を狙って襲撃するのだろう。だから逃げなければならないという事である。
では誰に狙われているというのか。
リズフィ王女が視察に行く事は城の者なら既に全員知っているだろう。誰にでも襲撃計画を立てる事は出来る。だがやはり一番疑うべきなのは、急にリズフィ王女に視察へ行けと言い出したルデール王である。
そして、何故狙われる事になったのか。
一昨日の事が思い出される。ルデール王が最後に呟いた全て私が仕組んだという一言。リズフィ王女が立ち聞きしていた事に気付いていたのだろうか。リズフィ王女の事は都合の良い道具として扱うつもりだったはずが、消そうとしてくるとは余程聞かれてはいけない言葉だったのか。それとも他に原因があるのだろうか。
分からない事だらけだった。逃げるといっても何処へどうやって逃げればよいのだろう。普通に部屋から出ようとすれば近衛騎士に止められる。王族専用通路は出口付近に追手が配備されているに違いない。
では王族専用通路を使い、今は使われていない部屋に出てからコッソリと王宮を抜け出せばいいのではないか。街まで行けば璃采がいるかもしれない。事情を話せば協力してくれるかもしれない。
いつの間にかリズフィ王女は、紙きれを信じる方向で考えが纏まっていた。
「そうと決まれば善は急げですわ」
リズフィ王女は荷物をまとめ王族専用通路の扉に手を掛けた。
しかし、扉は開かない。
「……どういうことですの?」
反対側から何か細工がしてあるようだ。
他に脱出する案は浮かばなかった。
翌日も何も出来ずに過ぎた。明日は視察に出発しなければならない。もう視察に出た時になんとか逃亡するしかなかった。
ベランダに出て夜空を見上げる。
「私は明日死ぬかもしれないのですね」
悲壮な気持ちが湧いてくる。二つの月が冷たく輝いて見えた。
璃采達はルネムの街には入らず、城壁の外で夜になるのを待っていた。例え犯罪者で無くとも、璃采が来たら知らせるように等の手配が回っているかもしれないと考慮しての事だった。
夜になると闇に紛れて空から城を目指す。城への侵入に王族専用地下通路は使えない。璃采が知っているという事をルデール王も知っているに違いないからだ。流石に秘密とされる通路の中に警備がいるかは不明だが、なんらかの理由を付けて入口付近の警備は厳しくなっているかもしれない。
璃采達はそのまま空から行く事にした。
幸いこの世界には空を飛べる者が僅かであり、城の者で璃采が飛べる事を知っている者はいなかった為、空の警備は粗雑だった。
リズフィ王女の部屋はティティが知っている。ティティと璃采は見つかる事無くリズフィ王女の部屋のベランダに降り立った。
既にベランダには人が立っていた。それはリズフィ王女だった。
リズフィ王女が突如空から降りて来た人影に驚いて大声を上げそうになる。璃采は慌てて片手でリズフィ王女の口を押さえ、もう片方の手で自分の口に人差し指を立てた。
目をぱちくりさせるリズフィ王女。
リズフィ王女が落ち着いた様子を見計らって璃采は手を離した。
「リト?」
「はい、リズフィ王女様。助けに参りました」
「ティティもー」
リズフィ王女は戸惑いと嬉しさで心が早鐘を打っていた。窮地に助けに来てくれた魔法使い。まるで童話に出てくる姫のようではないか。
ティティは魔力を持つリズフィ王女を飛ばす事は出来ない。だがリズフィ王女が璃采に乗って飛ぶ事は出来る。まさにロドルーブの熊手と同じ原理である。
落ちたら困るので一応紐で璃采とリズフィ王女を結ぶ。
「しっかり捕まっていてください」
三人は王女の部屋のベランダから飛び立った。たとえ追手が来たとしても三人に追いつく事は出来ないだろう。
こうして璃采達がヨンバイを発って僅か三日目には、リズフィ王女を連れて帰還したのであった。




