アカシ
とある空港のロビーにて。
二人のタイプの違う男が、ソファーの上で談話している。
一人の男は、広域指定暴力団の構成員前川大志そして、もう一人は『オーガ製薬』の研究員門田隼人である。
「それでは、これがICカード。これで部屋のキー・ロックが解除されるだろう。そこに必要な物は揃えてある」
それと、これは向こうの相手に渡す奴だ。と、もう一つ別のカードを門田に手渡しする。
「悪りぃな。これで俺も、お尋ね者か」
‥‥‥彼が起こした罪。それは、一つの組織を丸ごと吹き飛ばし、100人近くの犠牲者を出したこと。
それと、合田が潜入した『灯曇の会』は、先に坊主と信者らを逃したので被害人数は最小限に食い止められた。だが‥‥‥
「でも、アンタにも悪い事をしたと思うよ。だって、愛人まで殺っちまったからな」
まぁ、そういう事もあるさ。確かにアイツはイイ女だったがな。
でも、もういいんだ。新しいオモチャを見つけたから‥‥‥
「それよりも、自分と全く同じ顔した奴が現われてどうだった?」
それは、前川の言う〝新しいオモチャ〟のことだった。
製薬会社に入ってきた怪しげな女を調べる為、顔がバレないくらい変えて『灯曇の会』に入り込んでいた門田は、よもや自分の《門田隼人》と同じ顔をした奴に遭うとは予想打にしてなかった。
ドッペルゲンガーを、見ているような感じではあったが、まさか奴の目当てが自分だったとは‥‥‥
不幸中の幸いは《新庄秀美》のパトロンに、巡り会えたこと。
彼女の狙いを知ってるからこそ、門田の研究に興味を持ったといえる。
これから行く場所は、ビジネスを兼ねての亡命である。
良い結果が残せなければ、自分が消される。難しい世の中だな‥‥‥
前川は自分の腕時計を見やると、時間だ。と言って門田と席を立つ。
これから、彼を某国へと旅立たせる。
前川は、彼の道案内と〝セキュリティ〟である。
これから行く国は、日本と国交がないから日本大使館が存在しない。だから、前川は門田の用心棒だ。
とりあえずは、VIP扱いをしてくれるみたいだが、紛争が絶えない国だから素人はまず助からないと考えた方が良いだろう。
‥‥‥‥門田隼人が、先の実験で発明したものは不老長寿の薬ではなく、新薬であった。
それとも抗体薬というべきか‥‥‥これからバラ撒く病原体のね。
‥‥‥一方、その頃。潜入した『灯曇の会』の新興宗教団体の地下にて。
その時、合田は意識を取り戻した。一体、何があったのか?
いつの間にか、気を失っていた彼はボンヤリと周りを見渡す。
え‥‥‥と、確か俺は‥‥何かを取ろうとして。あれ? 俺、なんで倒れてるんだろう。
その時、ズキッと頭に痛みが生じた。なんで、こんなに頭が痛いのか?
合田は、門田に投げられた懐中時計を取ろうとして、爆発に巻き込まれたのだった。
‥‥‥その時計には、火薬が仕込まれていた。
だんだん、その内に朦朧としていた意識もハッキリとしてきた。
合田は改めて周りを見渡す。すると‥‥‥
「く‥‥‥栗栖さん」
合田は見てしまった。
爆破で破壊された施設。彼のすぐ近くでは、瓦礫の下敷きになっている血塗れの《栗栖要》の姿が‥‥‥
そうだ‥‥‥確か、俺が懐中時計を取ろうとして栗栖さんに突き飛ばされたんだ!
すると合田は、急に冷水を浴びせられたかのように全てを思い出した。
彼が俺を庇って、爆風に巻き込まれちまったんじゃないか!
「なっ、なんで俺なんかを助けるんだよ!」
合田は、痛む体を無理矢理に動かし、虫の息となった栗栖の側に寄り、彼の頬をパチンパチンと叩く‥‥‥すると、その小さな衝撃に応えてか、微かに栗栖の唇が動いた。
「‥‥‥あ‥‥いだか‥‥‥」
栗栖さん! 良かった、生きてるんだ。
合田は、安堵の溜め息をつく。だが‥‥‥それも束の間。周りの壁は不安定で、いつ崩れてもおかしくなかった。特に、この地下一階は‥‥‥
あいだ‥‥合田‥‥‥大丈夫か?
栗栖の声はキチンと発しているが、彼の目は焦点が合っておらず、もちろん瞳は合田を捕らえてなかった。
合田は、懸命に栗栖に声を掛ける。
「どうしたの、俺だよ。栗栖さん! 家に帰るんだろ? 猫のマルタを迎えに行くんだろ?」
奥さんにも、会わなくちゃ駄目だろ? ちゃんと会って話し合わなくちゃ駄目だよ。だって、アンタは一人じゃ何も出来ないんだから、奥さんところに帰るんだ。
大丈夫、許してくれるよ‥‥‥
合田は、なんとか栗栖の上に乗っかった瓦礫を取り除こうとする。
だが‥‥‥助かってほしいと、願う合田とは裏腹に栗栖は彼の行動を制止する。
「あいだ‥‥も、お‥‥れ‥‥いい‥‥‥だ。や‥‥めて」
何言ってんだよ! 一緒にここを出るんだ。今すぐ助けるから‥‥‥頼むよ、諦めないでくれ。
知らず知らずのうちに、合田の目には大粒の涙が溢れ出ていた。
彼にとっては、実の兄のような存在の彼を見殺しにはしたくなかった。きっと、活路がある筈だ‥‥‥それだけを信じてみるが、彼の上に重く伸し掛かった瓦礫は、容赦なく栗栖の体力を奪ってゆく。
‥‥‥薄れゆく意識の中、栗栖は〝ある話し〟をし始めた。
「あの‥‥な、おまえ‥‥‥にいわな‥‥‥あるんだ」
途切れ途切れに話す彼は、合田に自分たちの組織が〝何者か〟の手によって襲撃を受けた事を伝え、そして中に居た仲間も全滅した事も。
え‥‥‥そんな‥‥
驚愕に震える合田。それもその筈、裏組織に闇ルートで売り飛ばされて以来、彼の両腕に嵌められた見えない箍が、栗栖の一言により一気に外れた。
「お‥‥ま‥‥ぁこ‥‥‥れで‥‥じゆ‥‥なる‥‥だ‥‥ゴフッ!」
‥‥‥彼の口から吐き出される大量の血。顔からは生気が失われ、目は完全に閉じてしまった。
栗栖の名前を、懸命に呼ぶ合田。本当は分かってた筈なのだ、彼が〝生き急いでいた〟を、だから何時死んでもいいように愛猫を誰かに預かってもらったのじゃないのか‥‥‥合田は、そう勘ぐって仕方がない。
‥‥‥だが、ここで感傷に浸る訳にもいかない。どうやら、さっきの爆破で建物自体が危ないらしい。
ギシギシッと軋むヒビの入った壁。
近くで《門田隼人》に刺されて死んだ《新庄秀美》の遺体は、既に瓦礫に埋もれて姿が見えなくなっている。
パラパラと壁が崩れゆく中、瓦礫の下敷きになった栗栖はピクリとも動かず、瞼も閉じてしまった。
‥‥‥そんな彼の死を看取った合田は、止まらない涙を手で拭いながら、ある決断をする‥‥‥多分、これから何かが起ころうとも構わない。
もう一度栗栖の顔を覗き込み、自分の瞳に焼き付け、その場から離れる事にした。
‥‥‥‥同時刻。宗教団体『灯曇の会』本部の外にて。
もう合田以外には、誰一人残ってない教団施設の外には、何台ものパトカーが停まっている。
何人もの刑事と警官たちが入り口を包囲して、中から〝ある人間〟が出てくるのを待ち構えていた。
中には《久保田》という中堅の刑事もいた。
‥‥‥それは、ある一本の電話から始まった。
それは、まるで眉唾のような話しである。
噂だけは、聞いた事のある《栗栖要》という男。彼は顔や姿形を変え、強盗から始まり崩壊殺人までする〝非道〟な人間だと言われていた。
だが、その人物像は全てが謎で、どんなに探し出そうとも見つからず、仕舞いには〝存在しないのでは?〟と言われたまでだ。
匿名の電話だった。女の声で『灯曇の会』教団施設に《栗栖要》という男が潜んで爆弾を仕掛けていると連絡を貰ったのだ。
‥‥‥危険を察知したので、信者らを避難させたとも。
まさか? 誰もがそう思った。
逆探知で、女は教団近くの公衆電話から掛けてきたのが分かった。
だが通報された手前、確認せざるをえなく渋々っといった感じで、彼らは出動したのだが実は、ここに居る誰もが《栗栖要》の顔を知らなかったのだ。
‥‥‥電話では、この建物に残っているのは噂でしか聞いた事のない《栗栖要》という奴だけだ。
すると、反対側で待機している奴からの連絡網で、中に人影らしきものを見かけたというではないか。
彼らは入り口を囲み、一人の男を取り押さえることが出来た。
そして、男に問う。お前は《栗栖要》か? と‥‥‥‥
そいつは肯定しなかった‥‥‥だが、否定もしなかったので、現行犯で逮捕されたのだ。
その直後である! もうギリギリで耐えていた支柱が折れ、地下の壁が崩れ落ちるのと同時に建物全体がガラガラと音とともに崩れてゆく!
さっきまで、形に残っていた立派な寺社は一瞬にして跡形もなく崩れ、残ったのは瓦礫の山だった。
‥‥‥‥聞こえるは、刑事らの阿鼻叫喚。男は、俯いたまま立っていた。
その様子を見て、久保田刑事が男に近寄る。
「お前が、栗栖要だな。お前に合わせたい人が居るんだ」
‥‥‥‥これが、刑事の《久保田》と栗栖の出会いである。ただし、こちらは偽者だが。
合田は、黙ったまま連行される。
‥‥‥これから、彼は《栗栖要》として生きることを決めた。
生きてたって、普通の生活には戻れない。どうせ、生きるなら《栗栖要》として〝彼〟の代わりに軌跡を残してやりたい。
それが、アナタの生きた証となるなら‥‥‥
‥‥‥この物語は、一人の《栗栖要》を名乗るペテン師の話しである。
全ての事柄が嘘で塗り固められた人生の中で、彼の真実を知るのは《合田》という男だけである。
合田は、彼亡き後《栗栖要》を語って生きていく。
それが『アンティークショップ《マーロン》へようこそ』に出てくる人物である。
彼は、自分の過去に向き合いながら、現実を生きる。
次回からは《マーロン》に戻ります。
飛来颯