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魔女は動揺を隠せませんでした。


自分の油断とも言えぬ気の緩みが原因となり、このような事態に陥るとは思ってもいなかったのです。


ですが、誰が思うでしょう。世界で最も強い魔力をもつ魔女の庭――それも、高い塀で囲われた――に盗みに入る者がいようとは。


せめて、できるだけのことをしなければ。


魔女は震える身を叱咤して、隣の家に向かうのでした。










森のなかに啜り泣く声が静かに響いておりました。その甘やかな声が悲しげに詰まる度、小鳥は声の主を慰めようと降り立って囀ります。茶色の愛らしい野うさぎやら黄色のふわりとした狐、果ては森の暴れん坊と言われる熊までその人影に近より、その涙を止めようと必死にすりよるのでした。


けれども、一向に涙は止まらないようでした。


瞬きをすれば音をたてそうな長い金色の睫毛は涙で重くなり、春の朝の空よりも透き通った青い瞳を半ば隠してしまっています。声をおさえようとしゃくりあげると、淡い金色の豊かな波打つ髪が切なげに揺れました。


「うぅ…ひく、うう」


15歳という年に見合わぬほっそりとした雪よりも淡く白い肢体は、か細い泣き声と一緒に今にも消えてしまいそうです。


「どうして、こうなのでしょう…私には、自分を変えるだけの力も、勇気も、ありはしません。だめだとわかっていても、いつも泣くばかり、どうして、こんなに意気地がないのでしょう…」


血の繋がった家族に追われ、身体を引きずるようにしてやってきた西のはての森。動物達は優しく慰めてくれましたが、どうにも心は晴れません。むしろ、その優しさが自分の弱さを証明してるようで、胸が苦しくなる思いでした。


「…あら、なにか、歌が聞こえるような…」


突然聞こえてきた歌に、泣いている人影がゆっくりと顔を上げました。その歌には、自分が持っていないもの全てが籠っているようで、どうしようもなく心が惹かれたのでした。


「あちらに行ってみたら、なにか変わるでしょうか…」


明るい森の出口から朗々と響く歌声は、夜空の道標のような、なにかしら尊く導いてくれるものに聞こえたのでした。






ラプンツェルは、罪の子でした。両親が欲から魔女の大切な庭から青いラプンツェルを盗んだ為に、魔女に取り上げられ高い搭に閉じ込められてしまったのです。


高い搭には窓しかなく、扉も階段もありません。それに、魔女の強い結界がかけられておりました。だからラプンツェルは外に出られません。ラプンツェルの必要な食事や種々の小物は魔女が運んで来ますので、生きていかれることには生きていかれるのですか、やれることは殆どないのです。


ラプンツェルがやるべきことなど、魔女が物を届けに来たときに長く伸ばした髪の毛を部屋の隅にある折れ釘に引っ掻けてから窓の下に残りの髪を垂らして、髪を伝って魔女が登ってくるのを待つくらいなのですから。


まあ、それでもラプンツェルは退屈しのぎになる楽しみをたった二つだけ持っていたのでした。


それは、歌を歌うこと。魔女は歌なぞ歌ってはくれませんが、自分で考えて節をつけるのは自由です。ラプンツェルは、歌うのが大好きでした。


もうひとつ、ラプンツェルには楽しみがあります。それはもう、歌を歌うのよりもずっとずっと大好きでした。


だからラプンツェルはそろそろ歌を歌うのをやめにして、一番の楽しみに勤しもうと窓の縁から奥の方へと移動することにしました。


「…!」


歌をやめてラプンツェルは初めて搭の下から声が聞こえることに気がつきました。小鳥の囀ずる声よりも細い声はラプンツェルの歌にかき消されて、今まで聞こえなかったのです。


ラプンツェルは、魔女が来るにはまだ早いと不思議に思いながら窓から身を乗り出して下を見ました。


すると、そこには今までみたことない人がいて、搭の上のラプンツェルを見上げているのでした。


「あ、あのぅ、名前も知らぬお方…無礼は承知ですが、どうか、私の悩みを聞いてはもらえないでしょうか。あなた様にお頼み申し上げたいことがあるのです…」


これ以上ないほど注意しなければ聞こえない小さな声の主にどう返せばいいか、ラプンツェルは少しだけ考えました。


『いいかい、ラプンツェル。搭の外には出てはいけないよ、搭の外にいる人もここにはあげてはいけないよ、危ないからね』


と魔女はいつも口を酸っぱくして言っておりましたから、どうしたものか悩んでしまったのです。でも、塔の下にいる人は青くて澄んだ目をしているし、その白く細い姿はどうしても自分を害するものとは思えませんでしたので、やっぱりこちらに上げて話を聞くことにしました。


なんといっても、ラプンツェルは世間知らずで何が危険かも知らないような乙女でしたので、初めて見た魔女と自分以外の人間というものが、どうしても気になってしまったのです。


ラプンツェルは黙って髪を折れ釘にくくり、魔女にしてやるようにして搭の下の人を招きいれてやることにしました。


それは、ラプンツェルにとって忘れ得ない運命の出会いとなるのでした。









私は、今日、運命の人に逢いました。


武功を重んじる国の王子に生まれて、15年。身体が弱いのと、見た目が女のようなのを悔やむばかりの人生でしたが、初めて自分の師を得ることができました。


その人は訳があり、扉も階段もない高い搭の天辺に住んでおられるお方で、今まで見たどんな武将より凛々しく猛々しいのです。名前をラプンツェルといい、あの有名な魔女様の養い子だそうです。


3ロル(約150㎝)しかない私とは違って、4ロルもあろうかという背丈に筋骨隆々と言って差し支えない体躯。縄をひきしぼったような筋肉は強かで柔らかく実戦向きで、戦の才はないと言われた私でさえその強さが伺えるほどでした。


当のラプンツェル様と言えば、私が一目見て感動して思わず「驚きました…あなた様ほどの偉丈夫は見たことがございません。どちらの国の将軍さまでしょうか」と言えば、その精悍なお顔に照れたようなぎこちない微笑みを浮かべてご謙遜なさっていらっしゃいましたが。


ラプンツェル様は、物心ついた頃に一度だけ搭の外に出たことがあると仰いました。


が、養い親の魔女様のご意向により以降は一度も外に出たことはないそうです。


その時、ラプンツェル様は盗賊と出くわして怪我をしてしまったために魔女様に外出を禁じられたそうです。それでもやっと6歳になるという頃に30人もの盗賊を一人残らず倒したラプンツェル様の凄まじさ。そんなお方を搭に閉じ込めるのは過保護が過ぎる気がします。


それからというもの、ラプンツェル様は狭い搭の中ではやることもないので趣味の歌と筋トレをして過ごしていたそうです。

歌はともかく、筋トレで暇を潰そうなどという発想は私には想像もできませんでした。それよりも、この狭い搭でどうやって鍛えているのでしょうか。いえ、無粋ですね。秘技の詮索はよろしくありません。


そう、私が森で聞いたのは彼女が無聊を慰める為の適当な歌だったとだと聞いた時は、たいそう驚きました。私が聞いた歌は、雄々しい軍歌のようで、てっきり古い国の軍歌だと思っていたのです。


盗賊との戦いは一度きりでしたが、得るものは多かったと仰い、今でもイメージトレーニングをして鍛えているというラプンツェル様には感服しました。たった一度の戦闘をそこまで執拗に覚えていらっしゃる記憶力も凄まじいです。


私など、城の兵士の模擬戦をしたあとは痛みに泣くばかりで考えて上手くなろうという努力をしたことなどありませんでした。


私の国では、女も子供も戦います。それでも、やはり筋力や体格から女よりは男が強いとされていますので、子供よりも弱い私の立場は非常に狭く、ひどくラプンツェル様が眩しく見えました。


研鑽をつむ相手も教えをくれる師もいないのに、戦わずに過ごせる環境にあっても己を磨き、力を蓄えるラプンツェル様の気高さは怠惰な私とは比べ物になりません。


もう宮廷にも師となってくださる人がいない私の師になってくださるというラプンツェル様は、実戦を積まぬ我法ゆえに心構えのみを教えてくださることになりました。お返しに私は、城の軍事関連の書物を持ってくることにしました。城では私は誰にも関心をもたれていないので、大丈夫でしょう。


ラプンツェル様は一通り私の質問に答え、自分のことを話すと私のことを訊かれました。


私は自分の国のことを少しずつ話していきました。


ラプンツェル様は兵法や軍歌、武器がやはり気になるようで、それに触れた折りには何度も質問を繰り返しました。


我が国で人気の戦歌を一度歌えば、それはもう完璧に覚えてしまい、私よりずっと上手に雄々しく歌うのでした。ああ、あのバスに近いテノールの、少しだけ掠れたお声の素晴らしさ。まるで歴戦の英雄が出陣を控えたぎる熱をどうにかしてその身に留めようにも、また率いる軍の意気を天まで突き上げんとするようにも聴こえる調べは…これまでのどの吟遊詩人よりも胸に響いてきます。


きっと、私の国へいらしたなら、誰がラプンツェル様のお心を射止めるのかと壮絶な戦いが繰り広げられるでしょう。女性の間で。…ラプンツェル様は、溶けた金のような艶やかな長い髪に吸い込まれそうな深い碧の瞳で整ったお顔立ちをしていますが、殿方にしか見えませんので。私も、魔女様がラプンツェル様にこれ以上なく可愛らしい桃色のドレスをご用意していらっしゃらなかったのなら信じられなかったでしょう。


…魔女様、わかりますが、このドレスは…。


恐らく、男の私が着た方がまだましなのではないかと…。


ラプンツェル様ほどの美しく偉大なお方をいつまでもこのような状態にしておくことなど考えられません。この桃色ドレスは人としての尊厳を害してると言って過言ではありませんもの。一度城に帰ったら、ラプンツェル様の丈にあった動きやすい服を縫ってきましょう。


「ラプンツェル様、ご迷惑でなければ、動きやすい服をお持ちしますが、よろしいでしょうか?」


ラプンツェル様は驚いたように私を見てから、少し考えてこう言いました。


「動きやすい服、か…いや、我としては有り難いが、ふむ、いや…外では金なるものが必要なのだろう?我は金とやらの価値を知らぬが…うむ」


ラプンツェル様は世間知らずなお方ですが、先立つものの心配はあるようです。しかし、私とて王族の端くれ。物を贈るのに金銭の心配をされるのは初めてでした。


「ラプンツェル様、私とて王族の端くれです。服一つ仕立てることなど、なにも問題はありません」


私がにっこり微笑んでも、ラプンツェル様のお心の曇りは晴れないようです。


「いや、しかしだな…」


自分の知識に自信を持てないながら、悩んでいらっしゃいます。太めでも形のよい眉を八の字にして、精悍な顔つきと凛々しいお声に似合わないちょっとだけ情けない表情になりました。


きっと、ラプンツェル様には王族であることを言っても意味はないのでしょう。気乗りしませんが、ラプンツェル様を尊厳の危機から救うためです。仕方ありません…自分で縫うと言った方がいいでしょう。


「ら、ラプンツェル様…」


自分で縫う、と言おうとした途端に口が重くなります。剣も槍も持たずに裁縫ばかりする王子など、我が国では恥でしかなく、私が槍玉に上げられるときにはいつもあがる人気のネタ、というものだからでしょう。


「やはり相当な負担があるのではないのか、無理はしなくて良いのだ。本来、我にとっては話し相手ができただけで思わぬ僥幸、望外の幸せなのだから」


相変わらず困った表情で、ラプンツェル様が慰めてくださいます。しかし、私は余計に引くに引けなくなる思いでした。私の趣味が否定されるよりも、やっと見つけた師匠を困らせる方が悪いに決まっています。


「い、いえ、違うのです。あの、その…布はともか、自分で縫えば、出費は抑えられますし…えー、ラプンツェル様に、着ていただきたい、服、というのは、その、私が趣味で以前から考案してました軍服でして…私には似合いませんし、わ、渡す人も、おりませんので…」


頭の奥に宮廷で囁かれる嘲笑が響くような気がして言葉が詰まってしまいましたが、なんとか言い切りました。急に言葉をつまらせながら、裁縫が趣味と言う王子などきっと気味が悪いことでしょう。


「何、今、そなたはなんと言った?」


案の定、ラプンツェル様は険しい顔をして射殺さんばかりの圧力を湛えた深緑の瞳が私の瞳捉えます。ここに至っては、宮廷での嘲笑がハエの羽音のように脳内で響き渡り、目がまわりそうでした。そうして、私の意識が遠のきそうになった瞬間、ラプンツェル様が口を開きました。


「素晴らしいッ!」



ごう、と部屋が震えるほどの大音声。耳がじんじんして、何が起きたのかわからず固まってしまいました。


「そなた、服を縫えるのか!我は針に糸を通すことすら叶わなかった故、まこと羨ましいぞ!」


夏のからりとした清々しい陽射しのような真っ直ぐな顔一杯に広がった笑み。手放しに称賛するなど王宮ではありえません。いくら武の国と言えど、王族や貴族にとって相手への言葉というのは政の手札なのですから。


「…そ、それほどでもありません。裁縫など戦では役に立ちませんし、王子が…」


先程の大音声に吹き飛ばされてしまったのか、私の頭に響いていた嘲笑はすっかりなくなっています。けれど、その代わりに頭のなかは空っぽで、自分でもどう言っていいのやらさっぱりわからなくなっていました。


「何故謙遜するのだ?できるということは、何にせよ素晴らしいではないか」


きょとん、という表現が相応しいほど目を見開いてラプンツェル様は仰いました。その表情には純粋な疑問が浮かび、逞しい体つきに似合わぬほどお顔だちを幼く見せます。


「それに、戦に役立たぬだと?馬鹿らしい!塔に閉じ籠るばかりの我すら服は必要なのだ。戦では要らぬなどあり得ぬだろう」


至極当然のことと言い切る低くて凛とした声が私の心の底、ひび割れて砂漠のように乾いてしまっていた部分に染み入りました。


ああ、この人はなんと無垢なのか。


ラプンツェル様にとっては、自分にできぬことであろうと誰かが蔑むものであろうと、何かを成すこと自体が誉めるべき事なのでしょう。


そこには一切の不信も妬みも偏見もありはしません。それはきっと、ある意味でラプンツェル様に相応しい強みで、それと同時に私に劣るほどの弱みなのでしょう。


何より純粋で強く、どうしようもなく無垢で弱いお方。


「…そのようなこと、初めて言われました…ラプンツェル様…ありがとう、ございます…」


生まれて初めて私ができることを認められた嬉しさで沸き返る胸のうちに、それ以上に使命や決意に似た思いがあるのがなんとはなしにわかります。


このお方を支えたい。物理的には自分より強いお方で、世界一の魔女様のお膝元にいらっしゃる以上、私の出る幕は無いのかもしれません。


それでも、それでも。


私は、ラプンツェル様の澄んだ笑顔とそのお心を守りたいと思ったのです。


何処かにおわす神様。


嘆くばかりで逃げていた私に彼女を守ることをお許しくださいますか。


私は今からでも間に合うでしょうか。









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