暁よ、覚めないで(2)
「あんたがそうしていたって、事態は全く好転しないのよ」
彼女はそう言ってボクの隣に座った。
真っ暗闇の海を臨む砂浜に腰掛けて、ただただボクは呆然とそれを眺めていた。
隣で揺れる真紅の髪を直視できない。 いや、そんなことすら考えられない。 もう全くの思考停止状態。
何が起きたのかも、何がどうなったのかもわからない。
頭を抱えて蹲りたい気持ちで一杯のはずなのに、何故かそうできない。 心の中で何かが麻痺してしまったようで、言葉が出ない。
目を瞑れば思い出す。 エアリオの気が触れてしまったかのような痛みに悶える表情を。 一瞬の出来事に何も出来なかった自分の無力さを。
ただわかることは、ボクは敵に負けて、そして自分じゃ何も出来なくて、結局救助の潜水艦が来るまで呆然と立ち尽くしていることしかできなかったってこと。
情けなくて涙が出そうだった。 何が楽勝だ。 何が余裕だ。 全然見えなかった。 何にもわからなかった。
いや、きっとわかったはずなんだ。 わかったはずなのに、余裕ぶってボクはそれを見逃してしまった。 そしてエアリオは・・・。
居ても立っても居られないのに、暗闇の中に消えてしまいたいのに、風に揺れる鮮やかな彼女の髪がそれを許してくれない。
月明かりに照らされる彼女の髪は漆黒の中で尚燃える様に明るく、鮮明にその存在を世界に示し出す。
ボクをじっと見つめる彼女の視線から逃げるように顔を背けると、彼女・・・・イリアはボクの襟首を掴んで強引に視線を合わさせた。
「・・・・・・自分で招いた結果でしょ? 逃げるなんて許されない」
「・・・・・・・わかってるよ・・・」
それでも目を逸らす。 わかってるさ。 バカだったのはボクのほうだ。 勝てるはずの戦いを負け戦に変えてしまったのだから。
でも、だから、だからこそ、ボクはそれを認められない。 認めてしまったら、ボクの中のすべてが台無しになってしまう気がして。
イリアはそんなボクの事を目を細めじっとただただ見つめていた。 その瞳からはどんな感情も窺い知れず、彼女らしさとは掛離れて見えた。
それが仲間を傷つけたボクに対する怒りなのか、それともミスを嘲笑しているのか・・・何にせよいい感情ではない事くらいはわかる。
でも仕方ない。 甘んじて受ける責任がボクにはある。
だってエアリオは、まだ目を覚まさないのだから。
⇒暁よ、覚めないで(2)
作戦行動は中断されていた。 それはリイド・レンブラムの不注意のせいではあったが、すべての責任が彼にあったかといえばそうでもない。
故に旧オーストラリア政府は即座に対応し、レーヴァテインを回収。 遅れてヴェクターとイリア、そしてレーヴァの応急修理に必要な機材を載せた輸送機が到着し、ロック状態のコックピットを外部操作で強制開放し、リイド・レンブラムとエアリオ・ウィリオを救助。
無傷のリイドを放置し、負傷状態だったエアリオは即座に応急処置を施され、『敵』が存在する陸地の対岸に設置された緊急対応司令部へと搬送された。
レーヴァテインは外部装甲を失い左腕を破損。 左腕はクレイオス戦でも損傷しており、応急処置すら不可能。 よって続行される作戦行動中は左腕の修復は不可能だった。
左腕修復を完全に工程から排除し、ルドルフ・ダウナー率いる整備スタッフが全力でレーヴァテインの素体を修理したとしても、どんなに急いだとしても、どれだけ人手を使ったとしても、それが終わるのは夜明けになる。
誰もが騒がしく己の成すべき事を成す戦場で、ただ何も出来ないまま一人立ち尽くしている事に耐えられなくなったリイドは逃げるように海岸へと走った。
一時間近くそこで蹲り、海を眺めていた少年の背後から歩み寄ったのはイリア・アークライトだった。 真紅の髪を風に靡かせ、少年を見下ろしている。
イリアは既に戦闘に備えてか、ジェネシスの特殊制服に着替えていた。 外見は女性用スーツそのものだが、一般人の知識では到底理解不可能な要素が織り込まれ、干渉者を保護する役割を持つ簡易装甲だ。
それに大してリイドは学園の制服のまま。 夜の海辺ではそれでは寒いだろうに、本人はそんなことにも気づかないほど焦燥していた。
そのせいだろうか。 或いはイリアという少女は元々『そう』だったのか。 彼女の頭の中からリイドに対する怒りの感情はすっかり抜け落ちていた。
口では厳しい事を言ったとしても、所詮リイドは彼女にしてみれば年下であり・・・新入りであり、そして仲間なのだ。
カイトならばこんな時落ち込んでいる後輩相手に怒鳴りつけたりはしない。 そう考えるだけで自然と彼女は冷静になる事が出来た。
無論、エアリオが戦闘不能ならば彼女がレーヴァテインに乗って出撃せねばならない。 それに対してカイトはそうできない以上、留守番となるのは当然の事だった。
何よりリイドが無傷であり、まだ戦えるというのであればそれは不幸中の幸い。
隣に座り、彼の事を見つめながら少女は自分が輸送機の中で彼にしてやろうと思っていた事を思い出した。
撃墜されたという知らせを聞いたとき、イリアは怒り狂っていたのは言うまでもない。 乗り込んでリイドをぶん殴ってやると、カイトに啖呵まで切ってきた。
だというのに、目の前の少年の姿を見たら何となくそんなのはどうでもよくなってしまったのだ。 少なくともぶん殴るのはやめてやろうと思う。
結局彼女にとってリイドは世話の焼ける後輩であり・・・・守るべき仲間の一人なのだから。
「・・・・・・何はともあれ、戻るわよ。 ほら、立って」
「・・・・・・・・・・・」
自らの上着をリイドの肩にかけ、その手を引いて立ち上がらせる。 彼女が自ら意識したわけではないのだが、その表情は柔らかい笑顔に満ちていた。
驚くのはリイドの方で、さんざ自分と折り合いが悪いと思っていた人間が見せる意外な優しさに涙腺が急激に刺激されてしまっていた。
みっともないとわかっていながらも止まらない涙に両手の拳を強く握り締めて耐えるリイドの頭に優しく手を回し、その身体を抱き寄せる。
「情けないから泣くんじゃない。 別にもう怒ってないし誰もあんたのことなんか責めやしないわよ」
「違うんだ・・・・っ! ボクは・・・自分自身が情けなくて・・・・っそれで・・・・っ」
呆れながらイリアは苦笑する。
少年にとって自分のプライドを傷つけられたという事は余程堪えたらしい。 今まで躓く事が無かったであろうリイドの人生だからこそ、立ち上がるのがより難しくなってしまっているのかもしれない。
何はともあれ少女は少年の手を引き歩き出す。 ここにいて風邪を引いてしまっては、作戦どころではなくなってしまう。
ヴァルハラに比べればかつては温かかったはずの旧オーストラリアの海岸も、今はコートなしでは肌寒い。
二人は臨時司令部に建てられたテントのうちの一つに入り、木製の椅子に腰掛けた。
現地の防衛政府に借与された施設ゆえにそれはヴァルハラのような高性能さを感じさせるデザインではなく、手作りの温かみのあるものだった。
相変わらず落ち込んだままのリイドに溜息をつきながら支給品の缶コーヒーを手渡し、自らもそのプルタブを空けた。
「エアリオは・・・・どうなったのかな・・・」
「状態は安定したみたいだけど、しばらく戦闘は無理そうね」
「・・・・・・・・・エアリオに謝らなくちゃ。 ボクのせいで、彼女は・・・」
「あら、珍しく弱気じゃない。 それともエアリオが自分のパートナーなんだっていう自覚がようやく芽生えてきたの?」
「自分が悪いのに、その責任を他人に押し付けて生きていける程ボクは無責任じゃないだけだ・・・・」
額に手を当て、リイドは溜息をついた。
不器用な少年だった。 別に、他人を傷つけたいわけではない。 ただ自分の中にあるプライドや様々な正義が彼自身を雁字搦めに縛り付けている。
悪い事は悪いと素直に言える。 いや、何もかも包み隠さず言ってしまう分、自分に対しても他人に対しても恐ろしく素直なのかもしれない。
そんな少年の様子にイリアは缶を傾けながら昔話を始める。
「あたしにもあったわよ。 そういうこと」
「・・・・・・・・?」
「昔ね、イカロスで出撃して・・・・負けちゃった事があるんだ。 ボロ負けでさ。 でも、あたしその時自分はすごい才能があるんだって、自分は選ばれた人間なんだって、有頂天になってたんだ」
干渉者という限られた人間であるという事実。 そして巨大な力を自由に扱え、誰からも褒められたならば。
舞い上がらない人間など居るのだろうか? 特に彼女たちのように幼さを残す者たちがそれを真摯に受け止める事など出来るのだろうか?
少女もそうだった。 少年が今、そうして落ち込んでいるように。 彼よりほんのわずかでも先を行くからこそ、その苦しみを理解出来る。
「だって、あたしね・・・・負けたことって無かったんだ。 あんたも知ってるでしょうけど、運動は何でもいつも一番。 勉強はちょっとアレだけど、でもいつも誰からも頼られててね・・・・あたしの事を信じてくれる人がいたから、自分自身の強さを信じてた」
自らを信ずる理由は人それぞれだろう。 孤独であること、他人に理解されない事、自らの才能を自信とするリイド。
同じようにイリアにもまた自らを信ずる理由は存在していた。 そしてそれは、いつも誰かに褒められ、認められ、前を行く事から来ていた。
見下していたつもりはない。 ただみんなが褒めてくれるから、認めてくれるから、レーヴァに乗って戦って、そして自分も嬉しくて。
いつの間にか、それが当たり前になりすぎて・・・・自分が何をどうしたいのかもわからなくなってしまった。
「でも人間、自分を律する心がないと、だめね。 怠けちゃったり、誰かの所為にしちゃったり・・・とんでもないヘマをやらかしちゃったりね。 あたしは宇宙で戦って、そいつに負けて、地上に落とされた」
装甲の大部分を破壊されたイカロスでの準備も何もない強制的な大気圏突入。
燃え盛る機体とコントロール出来ない何もかも、熱くなっていくコックピットは彼女にとって凄まじい恐怖だった。
「そうやって落とされて。 海に落っこちて。 死んじゃうかもしれないって思ったらすっごく怖くてさ・・・・情けないくらい泣き喚いて、一緒に乗ってた人の所為にして。 コックピットが開かなくって、でもあたし情けないから中でずっと我慢してた。 きっと誰かが助けてくれるだろうって思って。 でもね、気づいたの」
「気づいた?」
頷くイリア。 目を閉じれば鮮明に思い出せるその景色に想いをはせる。
コックピットが開き、海から引き上げられたイカロスの隙間から見上げる蒼い空を見た時。
「ああ、自分じゃ結局何も出来なくて、誰かの助けを待ってたんだって。 誰かがいてくれるから自分は戦えたんだって。 あたしが無事だった事を喜んでくれる仲間が居て、友達が居て・・・・そういうの忘れて一人で戦ってるつもりになってた自分がかっこ悪くて、わんわん泣いた」
「・・・・・・・・・・・・・」
コーヒーを飲み干し、缶をテーブルの上に置いてイリアは立ち上がる。
「正直に言うとね? 今でもイカロスに乗るの・・・怖いんだ」
少しだけ恥ずかしそうに、頬を人差し指で掻きながら苦笑する。
「でもさ、それ以外にあたしが出来る事ってないから。 頭、悪いしさ・・・・・それに、負けっぱなしは口惜しいから」
「・・・・・イリアらしいね」
「負けず嫌いはお互い様でしょ? あんたこそ、負けっぱなしでいいの?」
イリアが白い歯を見せて笑う。
差し伸べられた手の平。 それは少年に『一緒に行こう』と、『一緒に戦おう』と、ストレートに呼びかけていた。
だから少年は思うのだ。 自分だってこんな風に負けっぱなしの状況で落ち込んでいるような暇なんかないって。
その手を取って立ち上がれば、自分の成すべき事はあっさりと当然のように・・・・目の前に見えているのだから。
「舐めるなよ。 次は絶対に勝つ。 あんな奴・・・・余裕さ!」
「ええ、エアリオの仇、討ってやりましょう?」
二人が交わす握手。 それは二人が出会ってから初めて交わす握手だった。
同じ目的のため、同じ苦悩を背負い、だからこそ共に闘える。
「どうやらリイド君もちゃんと復活したようですね、うんうん・・・偉い偉い」
簡易司令部には副指令であるヴェクター、そして開発主任であるルドルフが待っていた。
他の指示は本部施設からも可能であり、名目上やってきたヴェクターと実質修理に必要だったルドルフ以外のスタッフが居ないのは当然の事だった。
無数の照明に照らされたレーヴァは大地に膝を着き、下方から夜の闇に照らし出されている。 その左腕は当然無く、特殊な布が巻かれていた。
「結局、腕は直らなかったんですね・・・」
「ええ。 この間の出撃の時も左腕は破損してますからねえ・・・・レーヴァの腕一本修理するのにもお時間とお値段がかかるんですよ?」
「それはあたしに対する嫌味?」
「いえいえめっそうもない。 では、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか」
二人は同時に黙り込む。 それを見計らい、ヴェクターは言葉を続けた。
「先ほどの出撃でマルドゥークの腕を切断したのは超高速震動する光波動弾です。 言わばフォゾンを圧縮して打ち出したカッターというわけですね」
映像的に解析すればそれは長方形の薄っぺらい四角の何か。 それを打ち出し、対象を切断するという構造。
無論それはほぼ光速で飛来するため、回避するのは非常に難しい。 射程距離は地球半分ほどと予想されるが、一定の距離まで飛ぶと爆発するらしい事が分かっていた。
先ほどの戦闘で地図がまた大きく書き換えられる事になった。 旧オーストラリア大陸近海にあった島が複数消滅。 自然も破壊され、圧倒濃度のフォゾン拡散による周囲への汚染も酷く、もはや着弾店から周囲数十キロは生命の住める場所ではなくなっている。
「それに伴いオーストラリア防衛政府は何がなんでもあれをすぐに排除したがっています。 こちらも失敗してしまった手前断ることも出来ませんし」
レーヴァテインの・・・特にマルドゥークの装甲は通常のそれよりも厚い。 普通の攻撃ならば弾き飛ばし無傷で終わるほどのものだ。 それが一撃で貫通された以上、当然軽量装甲のイカロスでは耐え切れるはずもない。
「つまり、当たらず避けろって事ね・・・」
「コックピットに直撃したら即死は免れられませんしね。 それともう一つ分かっている特徴として、目標は周囲のフォゾンを通常の数千倍の速度で吸収する能力があるようです」
「・・・・・・・フォゾン吸収能力?」
「ものすごい勢いで周囲の自然環境が破壊されているのは目標がとんでもない勢いでフォゾンを根こそぎ奪っているからです」
リイドは思い出す。 戦闘前に感じた違和感。 そしてユウフラテスが通用しなかった理由。
「そうか・・・・フォゾンによる攻撃は一瞬で吸収されてしまうのか・・・」
「はい。 特に遠距離からであればあるほど奴に対して効果は望めません。 故に遠距離からのフォゾン攻撃を主とするマルドゥークとは相性最悪というわけです」
仮に接近し流転の弓矢を打ち込んだとしても効果的な打撃は期待できないだろう。
どちらにせよマルドゥークでは倒す事の出来ない相手だった、というわけである。
「だったらどうやって倒せば・・・」
「だからあたしがここにいるんでしょ?」
腕を組んだままニヤリと笑うイリア。
そう、レーヴァテインというロボットは、『相手との相性を考えそのスタイルを変更する事が出来る』のが最大の強み。
「マルドゥークと違ってイカロスはもっと早く動けて、殴って敵を倒すスタイルなの。 要はこういうことでしょ? 攻撃は避けて、殴って倒さなきゃいけない相手。 だったらイカロスにとっては楽な相手だわ」
「左腕が破損している事をお忘れなく、イリア。 それと、フォゾン兵装が殆ど無意味な以上、やつは強力な物理攻撃で破壊する必要があります」
「で、俺様の出番と言うわけだ」
全員の視線が黙っていたルドルフに向けられる。 ルドルフがテントを出て指差したのは、今正にレーヴァに装備されようとしている巨大な筒だった。
右腕に装備されたそれは丸い筒。 肘の方向に向けて長居鉄の棒が突き出しているのが見える。
「目標を潰すには光武装ではなく物理攻撃が必要だ。 イカロス用に開発したパイルバンカーシステムを使う」
「パイルバンカーシステム?」 お約束にようにリイドとイリアは声を揃えた。
「パイルバンカーシステムってのはまあ、イカロス用の腕部装備方換装兵器のことだ。 いろんなモンを打ち出して攻撃、防御、補助目的に使用するための装置で、今回打ち出すのは通常兵装である鉄杭だ」
「目標を手っ取り早く潰すには心臓を潰す必要があります。 コアっていうのはまあ、レーヴァでいうところのコックピットですね」
しかし目標はその卵のような外見どおり、外部は強力な障壁で覆われており、コアまで攻撃を届けることは非常に困難である。
簡単に言えば、パイルバンカーは卵を割る為の装置であり、その後コアに対する一点攻撃でそれを破壊する・・・という内容である。
「問題はやはり腕が片方しかないという事実だ。 こればっかりはどうにもならんが、やってもらわなければ困る。 それもあと一時間以内にだ」
「一時間・・・? なんでまたそんな急に」
「リイドの疑問も尤もだが、あいつは太陽光を動力源にするタイプだ。 夜間は月明かり・・・どっちにしろ太陽の反射光を動力源とするわけだが・・・あー、この場合の動力ってのは生命動力ではなく兵器動力であって活動には問題ない・・・で、くそ、バカに説明するのは面倒くさいな」
「つまり、朝日が出てしまわない限り、奴の攻撃回数には制限があるってこと?」
「おお、その通りだ! 一発撃つごとにアイツは光を受信して攻撃動力を回すわけだが、ただでさえ夜間でエネルギーが足りていないのにやつは六時間前に二発も撃ってる。 しかも一発は完全な空振りで、命中したのもコックピットを外していることから考えて精度は結構甘い。 避ける気になりゃよけられるが・・・」
「朝日が昇って動力が復活して連打されたら避けきれないってわけか」
「・・・・・ねえ、あんたたちが何の話をしているのかさっぱりわからないんだけど?」
一人だけ話についていけず首を傾げているイリアを置き去りに作戦会議は終了した。
「では、実際の攻撃ルートを決めるとしましょうか。 目標は本時点を持って『アルテミス』と命名します」
アルテミスはその攻撃射程は果てしなく広いものの、実際に敵を認知し、攻撃してくる範囲というのは極端に狭い。
アルテミスの周囲20〜30kmほどで、超遠距離砲撃タイプではなく、あくまで接近する敵を迎撃するだけのものであるということだ。
通常兵器に対してはその射程距離は脅威の一言に尽きるが、レーヴァに関してはそうではない。 その気になれば2,30kmなど『一瞬』の出来事だ。
「しかしイカロスは空を飛べませんので、空路は使用できません。 マルドゥークなら対岸まで飛んでいくだけで済みますが、イカロスの場合は対岸・・・それも30km以上離れた地点までまず輸送し、そこから陸伝いに走る事になります。 パイルバンカーの装着時間も考えると、どんなに早くても出撃は二十分後になるでしょう」
「そうなれば残り時間は30分・・・間に合わない時間じゃないわね」
残り時間は40分なのだが、誰も真面目な表情のイリアにはツッコまなかった。
「俺様たちも急ぐが、まあお前らもメシくらいは食っときな。 最後の晩餐になるかもしれねぇからな」
こうして一同は一時解散。 作戦開始予定に伴い、イリアとリイドは防衛政府が所持するヘリコプターにて対岸へ先に移動。
続いてレーヴァを格納したコンテナを牽引する運搬船二機による移動で、対岸までレーヴァを先行移動。
同時にコンテナ内でパイルバンカーの装着作業を継続。 作業完了時点で残り時間は40分。
予想以上に手間取る作業の中、イリアとリイドは海辺でレーヴァが到着するのを待っていた。
冷たい夜風が吹きすさぶ中、二人はポケットに手を突っ込んで海を眺めている。
「そういえばあんた、エアリオの事聞かなかったわね」
「・・・・・・・・別に忘れてたわけじゃないよ。 ただ・・・・今は敵を倒してからだ」
それはリイドなりの決意の形だった。 エアリオのことが心配でないわけがない。 だが、それも自分の責務ならばそれを果たしてからだと。
「エアリオが苦しんでた理由、教えてあげようか?」
「・・・・・・・・・・知ってるの?」
「なんで意外そうな顔してんのよ・・・・同じ干渉者なんだから当然でしょ?」
「そっか・・・・・で、どうしてなの?」
「干渉者ってのはね、文字通り適合者とアーティフェクタとを結ぶ存在なのよ。 本来肉体的にも精神的にも繋がらない二つの存在を仲介し、干渉し、その行動をサポートする・・・・でもね、言わば干渉者は戦闘中はレーヴァと感覚を共有することになるのよ」
適合者の命令、意思を干渉者が仲介し、レーヴァを動かす。
レーヴァの動作を、情報を干渉者が仲介し、適合者に理解させる。
だからこそレーヴァは常識を超えた操作が可能であり、同時に干渉者にかかる負担は適合者のそれに比べても大きい。
「レーヴァが怪我しても、別にあんたは痛くないかもしれないけどね。 後ろに乗ってるこっちはダイレクトに痛みを受けるわけ・・・わかる?」
「・・・・・エアリオは急に腕を切られたのと同じ状態にあったのか・・・」
「特にあんたみたいに開放値が高い人間の場合、レーヴァと共有する感覚の割合も高くなる・・・そりゃ、とんでもなく痛かったんでしょうね」
「・・・・・・・・・・・・・何も知らなかった、ボク」
レーヴァが傷つけばパートナーを傷つける事になる。
だから適合者は必死でレーヴァを傷つけないように戦う。
それは言われなくても当たり前のことで、リイドにとってもそのはずで。 でも知らなかったから、自分ひとりで何もかもやっているつもりになっていた。
エアリオの苦労も、痛みも、知る事は無かった。 変わっていく自分にだけ恐怖し、力に酔いしれていた。
それが悪いとは少年は思わない。 でも、何も知らず、知らないからといって愚行を繰り返すことは限りなく馬鹿げたことなのだと知っているから。
「やっぱり謝らなくちゃね・・・・エアリオに」
「いいのよ、別に。 あんた一人で動かしているわけじゃないんだから。 責任もあんた一人にはない・・・でも覚えておきなさい」
前髪をかき上げながら目を細め、月を仰ぐ。
「あんた一人で戦ってるなんて、あんた一人のお陰で全部何とかなってるなんて、思いあがりもいいとこよ」
反論する事は出来なかった。 無論、リイドのプライドとしてはそれに反論しないわけにはいかなかった。
それでも堪える事が出来たのは、少年が少しだけ成長したのか・・・それとも自らの愚かさに打ちひしがれているからなのか。
何にせよ言葉を飲み込み、代わりに少年は静かに頷いた。
「やらせないから」
少年も月を仰ぎ、静かに呟く。
「今度はもう、エアリオみたいなことにはさせない」
己に誓うように。
「あんたは、ボクが守ってみせる」
空が白むより早く、闇の中を駆けろ。
『では、作戦開始です。 頼みましたよ』
「はい!」
残された時間はそう多くない。 だが、やりとげられないと断言するにはまだ早い。
夜が明ければ次の夜を待たねばならないだろう。 そしてまたその弾数を制限する為に尽力せねばならない。
出来ればもう一発だって撃たせてはならないのだ。 ならばここで、この夜で、ケリをつけてしまうしかないだろう。
そうすることこそ撃たれたエアリオの努力を汲む事であり、リイド・レンブラムのプライドを守る事に他ならないのだから。
暁が訪れる前に、全力で闇の中を駆けろ。
大地を振るわせる巨大な鉄の行軍。
片腕しかないそれを振り回し、低い姿勢で獣のように大地を疾走する真紅。
飲み込まれ朽ちていく大地を、森を、山を踏みつけ、川を飛び越え、まるで障害物競争のように。
穿たれた腕には布を巻き、それは包帯のように見える。 見るからに満身創痍。 それでもその瞳は輝いていた。
歩みは確かで、勝利する事を微塵も疑ってなど居ない。
狙いは確かで、寄り道をする事など考えても居ない。
ただただ真っ直ぐに、勝利する事だけを目指しイカロスは疾走する。
空も飛べぬ愚かな足で、太陽よりも早く、息を切らせ、ただその拳だけを持って。
「リイド」
「・・・・何?」
「口惜しいけど、あんたは天才よ」
「・・・・いきなりなんだよ・・・」
「だから、あんたが負けることなんて・・・本当に誰も考えてなんかいないのよ?」
それはプレッシャーだった。 期待であり、信頼であり、根拠の無い笑顔だった。
しかしそれが力をくれる。 言われるまでもないさと心を震え立たせる。
このまま歩みを止めてしまわなければどこまでも走っていけるだろう。 海が陸地を阻み、歩みを止めてしまうまで。
勝利する事を微塵も疑っていないのは・・・・誰よりもリイド・レンブラムという少年なのだ。
だから少年は自らの矜持を傷つけた相手を許す事はない。
「ああ・・・・」
自らの友を傷つけた相手を許す事はない。
「当然だろッ!!」
川を飛び越える。 あの恐怖の刃が届くまで、あと何メートル?
森を踏みしめ、やがてそれが砂の大地に変わった時、少年は空気が変わる音を聞いた。
光の刃が投擲される。
着弾するまで一秒も必要ない。
ほんのわずか一瞬。 瞬きする間にでもイカロスの心臓を穿つような一撃を、
「当たる・・・かよっ!!」
かわしていた。 一瞬の出来事。 スローモーションのような一連の出来事に続き、後方で光が立ち上る。
イカロスは光の中を駆け抜ける。 強く濃く引く陰の中、同じく浮かび上がった円形の影を目指して。
何度も繰り返され投擲される刃。 あとどれくらいの数が飛んでくるのかもわからない。
ただただ避けて。 一発でも命中すれば致死となるそれらの雨を避けて。
あと何発? あと何発? そう考えながら汗を流し、生唾を飲み込みながら屈み、飛び、空中を舞う。
跳躍した空に向かって光の刃は飛んでいく。 漆黒の夜の闇を照らすそれはさながらイルミネーションであり、空中を華麗に舞うイカロスの姿は曲芸師のよう。
二人きり、どちらかが確実に命を落とすはずの争いだというのに、滑稽な程美しく、息を合わせるかのように、『当たらない』。
至近距離でそれを撃たれればかわす手段は存在しない。 外周を巡りながら、何度も降り注ぐ光の刃を避け続ける。
「・・・・・リイドッ!! 走れぇっ!!!」
刃が、止まる。
これで、打ち止め。
「・・・・・んのおおおおお〜〜〜っ!!!」
急ブレーキなど利かない。 大地を根こそぎ抉る爪先を何とか曲げようと、リイドは歯を食いしばる。
圧倒的な暴力を制御するのは針に糸を通すような繊細な精神力。 イカロスの瞳が輝き、曲芸がかった動きで反転し、低い姿勢でアルテミスに迫る。
そしてそこで気づくのだ。 空が白み、夜明けが訪れようとしている事を。
放たれていた無数の光の柱の所為で気づく事が出来なかったかすかな光。 それは今まさにアルテミスへ力を与えようとしている。
アルテミスまでの距離、数キロメートル。 ほんのわずか、あと一歩の距離だというのに、アルテミスは力を取り戻そうとしている。
そんなのがあってたまるか。
リイドの脳裏に数時間前の光景が過ぎる。
また仲間を傷つけるのか。
また負けて涙するのか。
そんなのはもう嫌だ。
逃げてたまるものか。 逃げるくらいなら、戦って死んだほうがマシというもの。
「もっと早く走れよ・・・・・ボクが走れって言ってんだから、走れよぉっ!! イカロス――――ッ!!!」
イカロスが、飛翔する。
大地すれすれを、背後に炎の翼を広げ、一瞬でそれまでのスピードの数倍へと加速する。
だから、それは元々早かったのに数倍になったから、本当にほんの一瞬。
次の瞬間と表記するのもおこがましいほどの速さで、イカロスは卵の殻に向かって杭を打ち付けていた。
粉砕される甲羅。 露出するコア。 しかしコアには光が集い、今正に刃が穿たれようとしている。
もう片方の腕があれば、直後に続いて破壊する事も出来ただろう。 だがしかし、腕はない。
腕がないという事実を今この瞬間一瞬だけ忘れてしまっていたリイドの目が見開かれる。 今撃たれたら確実に、死は免れられない。
死ぬのか?
その疑問が脳裏を過ぎる。
死ぬのが自分だけならいい。
自分がいなくなるだけならいい。
でも。
「リイド!! 足ッ!!!」
ここにいるのは自分だけじゃないから。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
土を巻き上げながら足が高く振り上げられる。
時が静止したような瞬間の中、降り注ぐ大地に塗れながら、リイドは叫び、そして踵を、振り下ろす―――!
「潰れろおおおおおおおおお―――ッ!!!」
ぐしゃ!
奇妙な音が聞こえた。 一体何の音かも分からず、聞き覚えのないその音に首を傾げる。
それに気づけなかったのはそれがあまりに早すぎたからであり、認識できなかったのはリイドが干渉者ではなく適合者だったからなのだろう。
太陽が昇る。
真紅の光に照らされながら、少年は自らが倒した敵の姿を見た。
アルテミスのコアは砕け散り、今正に、光となって消滅しようとしていた。
鋭く振り下ろされた踵がコアを木端微塵にし、発射は中断されていたのである。
「・・・・・・・・・・・やった・・・・」
全身の力が抜け、額の汗を拭いながら少年は笑う。
「何よ、やれば出来るじゃない」
優しい声に振り返る。
そこには紅の髪の少女が笑っていて、差し込む朝日を眩しそうに見つめていた。
その笑顔に心底安心して、少年は目を閉じた。
「当たり前、だろ・・・・・?」
暁を背にイカロスはゆっくりと膝をつく。
長い長い夜が、終わりを告げようとしていた。
「おやおや、何がどうなってこうなったんでしょうねえ?」
帰還命令に応じないイカロスを心配して内部の様子をモニタリングしたヴェクターは腕を組んで苦笑した。
それはきっと、イリアの反動のせいか。 それともリイドの反動のせいか。
きっと両方だろう。 二人は結局、自分達が一番安心できる形で眠っていた。
強がりな二人は床に座って、背中を合わせ、手をつないで眠っていた。
「よっぽど疲れたんでしょうねえ。 こういう作戦は始めてでしたし」
抱き合った方がラクだろうに、そうしない二人の意地の張り合いを微笑ましく眺めながらヴェクターはモニターの電源を落とす。
「もう少しだけ、休ませてあげるとしますかね」
椅子に座ってコーヒーを口にする。
夜明けは美しく、眩く世界を照らし上げていた。
〜用語解説その3〜
*今回はロボと敵だけ*
『レーヴァテイン=マルドゥーク』
レーヴァテインの干渉者としてエアリオ・ウィリオが搭乗している状態。
装甲のカラーリングは銀がメインでところどころ金。 外見は西洋甲冑に近いが、生物的デザイン部が多い。
細身な機体が多いレーヴァテインタイプの中では珍しく重装甲であり、攻撃を受け付けない。
エアリオの心理である排他的な精神が影響しているものと思われる。
頭部に一本角があり、リイドはこれを攻撃用に利用したが、本来は飾りのようなもの。
流転の弓矢は大気中のフォゾンをかきあつめいくらでも矢を生み出す事が出来るほぼ無制限遠距離攻撃であり、命中した対象を氷結させる効果を持つ。
具体的には冷たいわけではなく、接触対象を凍結させるという概念を打ち出す兵器。
主武装である流転の弓矢のほかにもいくつかの武装を持つが、どれも中〜遠距離武器であり、マルドゥークは近接戦闘には向かない遠距離攻撃タイプである事が伺える。
名前の引用元はメソポタミア神話の水神マルドゥク。
最高神なくらいなのでスゴい神様ですが、説明すると長いので割合。
『レーヴァテイン=イカロス』
レーヴァテインの干渉者としてイリア・アークライトが搭乗している状態。
装甲のカラーリングは赤一色。 外見は細身なシルエットで鉤爪のように鋭い両手足の指からモチーフとしているものは猛禽類だと思われる。
マルドゥークに比べると遥かに生物的なデザインで、装甲は薄く機動力にすべての性能を持ち込んでいる。
既に素手で引っかいてもそれなりの威力であり、フォゾン武装はほぼ存在しない。
イリアのフォゾン使用法は自らがイメージする『必殺技』を発動する際に使用し、拳に炎を纏わせたり『気』みたいなものを発射したりする。
これは彼女の性格上、格闘ゲームのイメージを強く受けている事もあり、マルドゥークのフォゾン使用法とは掛離れている。
全レーヴァの中で唯一翼を持たないレーヴァだが、本来は炎で構築する出し入れ自由な翼があった。
とある理由からイリアはその翼を出現させる事が出来なくなっているため、機動力は現在ガタ落ち状態である。
名前の引用元は有名すぎるがギリシア神話に登場する人物名から。
鳥の羽を蝋で固めて飛んだはいいものの・・・という馬鹿な若者がモチーフとなっている。
『クレイオス』
第三神話級。
透明化能力と複数の腕による格闘性能でイカロスを追い詰めたが、あっさりリイドにやられた。
神全てに言えることだが、白い光で肉体は構成されており、クレイオスは若干人型に近かったものの、足がなく浮遊していた。
市街地で暴れてみたものの、やられてしまっては意味がないですよね。
『アルテミス』
第三神話級。
球状の形状と遠距離に対する光刃の投擲攻撃、周囲からの驚異的なフォゾン吸収を能力とする。
特に周囲に何をするでもなく進軍するでもなくただ居座るという迷惑な存在。
マルドゥークの腕を切断するなどちょっと活躍してみたものの、やられてしまっては意味がないですよね。
どうでもいいけどレーヴァは左腕がのろわれてるんでしょうか。