偽りの、感情(3)
なんか時間かかりました。
警報が鳴り響いていた。
危険を知らすそれはしかし日常になんら影響を与える事もなく、晴れ渡った空に響き渡っていく。
カタパルトエレベータが封鎖されたとしてもそれ以上の影響はない。
音速でエレベータ内部を吹っ飛んでいくその巨大な影にすら誰もが目を向けず、その戦いの意味を知る者も居ない。
「あ、警報」
少女だった。
空を見上げ、自転車を押しながら坂道を登る。
その視線の先にはエレベータ・・・いや、もっと遠くにある何かを見ていたのかもしれない。
この平日の真昼から何をするでもなく歩いていた少女は無邪気な笑顔を浮かべて空に手を翳す。
「いってらっしゃい、リイド」
震動と共に風が吹き、世界を少しだけ揺らしてレーヴァテインは飛び立つ。
たった一人、その少女にだけ見送られて。
⇒偽りの、感情(3)
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」
強烈な重力付加がコックピットを襲っていた。
制服姿のままレーヴァに乗り込んだリイドとエアリオにかかるその負荷は本来ならば生身の人間に耐えられるようなものではない。
地面に這い蹲れと行動を強制するかのような強烈な重力の中、リイドは必死で面を上げる。
初めてのカタパルトエレベータの全力稼動。 それはリイドの日常には存在し得なかった感覚だ。
故に一瞬の驚き、そしてより自らが特別な世界へと足を踏み入れた実感へとそれはすぐに変わっていった。
心境が落ち着き、リイドが体勢を整えればレーヴァもまた正常な状態へと戻っていく。 実際に過負荷は変わらないのだが、少なくともコックピット内部は、リイドに対しては平静であるように感じられるだろう。
「はは、すごいなレーヴァは・・・・本当にボクの思い通りだ」
「当然の事。 特に適合者を守るのはレーヴァの最優先事項」
後方でコンソールを操作しながらエアリオが答える。 リイド自身がレーヴァをコントロールできなければその付加はエアリオにも降りかかる。
重力制御はその最たるもので、リイドがそれを克服できなければエアリオもまたその被害の巻き添えになる。
故に彼女は久々の重力付加を味わったわけだが、それを瞬時に克服するリイドの才能に若干の感動すら覚えているところだった。
「もうすぐ宇宙」
「まだエレベータの中なのに?」
「合図と同時に飛んで」
見上げる塔の遥か彼方、突き抜けた宇宙の果てが迫ってくる。
それは尋常な速度ではなく、合図など必要ないほどほんの一瞬で訪れた。
「今」
「・・・・・っくう!」
全力で飛翔するマルドゥーク。 巨大な翼を広げ、飛び立つと同時にヴァルハラの最上部から宇宙に向かって放り投げだされる。
エレベータはいわば投擲機。 その勢いをつけたまま、宇宙に向かって羽ばたくレーヴァを支援するものだ。
音速で宇宙に向かって飛んでいくその速度はおよそ地球上に存在するあらゆる物体よりも早く、一瞬で大気の層を越え暗闇へと向かう。
それはまるで落ちているかのようだった。 蒼い星から真っすぐに墜落していく流星・・・暗闇の中へと沈んでいくかのよう。
羽ばたき、減速する。 果てしなく広がる宇宙を眺め、リイドは目を輝かせた。
「すごい・・・・・」
機械の両手を広げても全く持って届きそうに無い星たち。
果てしなく広がる宇宙は、リイドにとっていずれ到達したいと願っていた場所でもあった。
それがこんなに容易に叶えられたのだから、感動は一入だろう。
「一生無理だと思ってた・・・・でも、こいつなら・・・・レーヴァならこんな・・・日帰りみたいな感覚で来られるんだ」
いや、実際に日帰りだろう。 ここから地上に戻るのに三十分も必要ない。
その事実が少年を興奮させる。 自分自身の手に入れた力の凄まじさ、その自分に対する有効性が背筋をゾクゾクさせた。
「今が作戦行動中であることを忘れないで。 無重力空間での行動は可能?」
「余裕だね。 無重力ってのがどんなもんだかは知らないけど、動かすのに支障はないよ」
重力下と無重力下とでは人間の行動には果てしない違いがあるのだが、重力下ですらマルドゥークの能力により慣性を無視した動きをしていたせいなのか、それとも本人の宇宙への才能なのか、その場所になれたエアリオの目から見てもリイドはその状況を物ともしていなかった。
羽ばたき、飛翔する。 ブースターが搭載されているわけでもないのにマルドゥークは優雅に宇宙を飛翔する。
『その様子では全然余裕そうですねえ、リイド君』
コックピット内部に声が響き渡る。 無論それは本部からの通信であり、声の主はヴェクターである。
少々その素っ頓狂な声にうんざりしながらリイドは応えた。
「余裕ですよ。 ちなみにその余裕のお陰で宇宙に感動していたところなんですが、あなたのお陰で台無しです」
『ハハハハ、それは失敬。 ですがそれは後でゆっくりやってください。 今は頭上の天使を何とかしましょう』
「分かってますよ・・・・エアリオ、流転の弓矢を出してくれ」
「わかった」
光が収束し、マルドゥークの手の平の中で巨大な弓矢が創造される。
そうして弓を構え、頭上を見上げ、リイドは目を丸くした。
「なんだこれ」
天使、というのは『敵』の中でも下級の存在、小型の存在を指し示している。
それらは単体では上級存在である『神』には遠く及ばない。 レーヴァであれば腕の一薙ぎで肉片へと変化させられるだろう。
通常兵器ですらこれらにはある程度有効だ。 ではそれら天使と呼ばれる下級存在は人類にとって脅威と呼ぶに値しないのか?
その答えは、NOである。
頭上に果てしなく広がる蠢く群体。 それら一つ一つが全て天使であり、その数は当たり前のように5,600は居る。
天使は単体で出現しない。 必ず大挙として訪れる群体なのである。 故に人類にとって脅威なのは、出現頻度の低い神よりも当たり前のようにいくら倒しても沸いてくるこれら天使であると言えるだろう。
流転の弓矢を放つ。 それは当然のように一撃で数十体の天使を凍てつかせ粉々に砕く。 しかしその勢いは衰えない。
「おいエアリオ! いつもこんなウジャウジャいるのか!?」
「そう。 今日は少ないくらい」
「ウソだろ!?」
「必要性のないウソはつかない」
「わかったよ、全く!」
高速で飛来する天使群。 それらと距離を一定に保ちながらマルドゥークは宇宙を逃げ回る。
大挙として押し寄せる天使に対し格闘戦闘を挑むのはマルドゥークでは不利と判断したリイドの機転だった。
それはともかく、全力で飛行しているはずなのに一向に天使を引き離す事が出来ないのはマルドゥークが重いからだとリイドはまだ気づかない。
マルドゥークは重装甲のレーヴァテインだ。 故に機動速度はさして早くはなく、イカロスのそれに比べると数段劣っている。
格闘に対する適正も低く、今のリイドではこの群体に対処することは難しい。
むしろ先日のクレイオス戦で見せた格闘適正、速度のほうが異常であり、今のマルドゥークは本来の性能に戻っていると言えた。
あまりの大軍にそこまで頭が回らないリイドは逃げ回りながら何度も流転の弓矢を放ち、徐々にその数を減らしていく。
「しかしキリがないな・・・っ!! エアリオ、何かもっと都合のいい武器とかないのか!?」
「ないわけでもないけど、流転の弓矢で十分対応出来る」
「つまり出す気はないってことか・・・・非協力的なパートナーだな、全く!」
笑いながら振り返る。 口ではそんなことを言いながら、リイドはもうその解決策を講じていた。
手を翳し、空中に無数の矢を創造するとそれを束ねて弓を引く。
「要は使い方って言いたいんだろ!」
ギリギリまで引き絞られた矢は広い範囲に拡散し、押し寄せてきていた大挙とした天使の群体を薙ぎ払った。
同じ要領で逃げ回りながら何度も矢を束ね撃ち、天使をあっと言う間に掃討していく。
その映像を本部で眺めていたヴェクターは腕を組んで嬉しそうに笑う。
「なるほど。 どうせ矢は作り放題なんですから一発ずつ撃ってやる義理もないと・・・カイト君では思いつかないやり方ですねえ」
「それにあんなに宇宙で動き回れるなんて・・・正直驚異的です」
モニタリングしていたオペレーターのユカリも複雑そうな表情を浮かべていた。
本来ここまで出来るどころか訓練もなしにレーヴァテインを動かせるだけでも驚き・・・そもそも適正があるだけでも珍しいのだ。 こんな常識はずれな展開が続いてはあまりに都合が良すぎて諸手を上げて喜ぶ事も出来ない。
しかしヴェクターはそんなことは気にしない。 彼は彼なりにその全てに理由付けをしていたし、天使を倒せるのであれば何でもいいのである。
「武器もさっきから流転の弓矢しか使っていないのに・・・・本当に彼はすごいですね」
「まさに救世主ですねえ〜! カイト君が復活するまでは彼に頑張ってもらわなくちゃいけないんですし、喜ばしい事ですよ」
「・・・でも、その『反動』も必ずどこかで来るはずです。 あれはそういうものですから」
「ま、それもなんとかなるでしょう。 そのためのエアリオなんですからね」
マルドゥークは弓矢を捨て、数が減った天使の中に突っ込んでいく。
腕を振り回し、蹴り飛ばし、大量の肉片を生産しながら漂う血の雨の中を突き抜けていく。
それは頭のいい戦法とは呼べないものだった。 あのまま安全に戦えばそれでいいというのに。
それでもリイドは笑ってあえてその手段を取る。 自分の持つ力を誇示するように、両手を振り回して強さをアピールするように。
「・・・・・でも、危ういです」
インカムから聴こえてくる少年の笑い声を掻き消すように、ユカリはそれをテーブルの上に置いた。
「彼は自分の為だけに戦って居るように思えてなりません・・・・そんな子に強大すぎる力を預けたらどうなるか・・・」
「仕方ないでしょう、子供じゃないと適正が発生しないんですから」
「子供にそれをやらせる時点で割り切ってはいます。 ただ、あのままでは危険すぎる、というだけの話です」
「そうですねえ、ま、一応配慮はしておきますよ」
ユカリにはヴェクターが話を真面目に聞いてくれているとは思えなかった。
しかし何も言わなかったのは、彼もまた新しい玩具を見つけた子供のように目を輝かせてマルドゥークの戦いを眺めていたからだろう。
彼女が認める認めないは関係ないのだ。 それは事実、英雄と呼ぶに相応しい人材の登場だったのだから。
「マルドゥーク、戦闘行動の終了を確認しました。 直ちに本部に帰還してください」
その違和感はレーヴァを降りてすぐボクの全身を駆け抜けた。
頭がぼーっとする。 自分がここで何をしているのかよくわからなくなる。
段々その不明瞭な感覚は激しい苛立ちに変わって行った。 自分でも何故こんなにイライラしているのか全く判らない。
「う、うう・・・・?」
両手で頭を抱えて冷たい鉄板の上に膝をついた。 視界がグルグルしている。 何が、何かが、おかしい。
「よお、お疲れさん! 見てたぜ、スゴかったな! 初めての宇宙とは思えなかったぜ」
カイトが声をかけてくれている。 ボクの苦労をねぎらって、しかも褒めてくれている。
なのに。
「うるせぇな・・・・頭が痛いんだよ・・・・ボクに話しかけるな・・・・っ」
カイトの手を払いのけ、口元を抑えた。
酷く気分が悪い。 胃の中がぐるぐるしている。 頭の奥が熱い。 何かがおかしい。 違和感が拭い去れない。
「おいリイド?」
「うるせええええええええーーーーーっ!!!」
自分でもワケがわからないうちにカイトに掴みかかっていた。
後一歩で殴ってしまう。 殴りたくなんかないのに、とにかく全身を駆け抜ける衝動に逆らう事が全く出来ない。
次の瞬間、ボクの体は宙を舞っていた。 背後に居たらしいイリアに思いっきり投げ飛ばされたのである。 しかし衝動は収まらない。
わけのわからないことを喚きながら暴れ狂う。 作業員たちが集まってきてボクの全身を押さえつけた。 それがまたイラついてまた暴れる。
そんなことが何度も続いた。 何かが無性に気に入らなくて声を張り上げて暴れまわった。
結局筋肉隆々の大の男二人に左右から掴まれ、しかも後ろで手首に手錠を嵌められ、挙句どこだかわからない牢屋みたいな小部屋に押し込められた。
そこは狭くて、何も無くて、真っ白で、本当に何一つない、ただの箱の中みたいな部屋だった。
「はあ・・・・はあ・・・・・はあ・・・・」
少しは気持ちが静まってきたとは言え、未だに苛立ちと気分の悪さが拭い去れない。
気づけば壁に向かって頭を叩きつけ、その激しい痛みで何とか気持ちを落ち着けようとしている自分がいた。
額から流れる血が頬を伝ってようやく少しだけ冷静になり、壁を背にずるずると座り込んだ。
「気持ち悪い・・・・」
目を閉じて自分の心臓の動悸と呼吸の音にだけ耳を澄ませていた。
しばらくすると扉が開き、ゆっくりと顔を上げるとそこにはエアリオが立っていた。
エアリオを連れて来たらしい制服姿の男たちはさっさと部屋を去り、エアリオだけが取り残される。
しかしそのエアリオはぴくりとも動かないし、ボクのことも見ていない。 何も無い虚空を見つめたまま、虚ろな目をして立ったままだ。
「エアリオ・・・・?」
何故か酷く不安になって声をかける。
「エアリオ・・・・おい・・・・どうしたんだ・・・・?」
なんとか立ち上がり、エアリオに近づく。 しかし目の前にボクが立っているというのに、エアリオはその瞳にボクを映してはいなかった。
まるで死んでしまったかのようだ。 だというのに確かに彼女は立っていて、きちんと生きている。
何がおきているのかさっぱり理解出来ないでいると、どこからとも無く間抜けな声が聴こえてきた。
『安心してくださいリイド君。 エアリオはちゃあんと生きてますから』
全方向から聞こえてくる声に潜んでいた苛立ちがまたふつふつと湧き上がってくる。
周囲をきょろきょろ見渡しながらボクは叫んだ。
「あんたの仕業なのか!? てめえ、ボクたちに何しやがったんだ!?」
『落ち着いてください。 別に何もしていませんから』
「だったらコレはなんなんだよっ!! 降りたとたんにこれだぞ!? 意味わかんねえっつってんだろ!!」
『話になりませんねえ・・・とりあえずエアリオ。 彼を抱きしめてあげてください』
エアリオに声は届いていたのだろうか。 なにはともあれ、彼女はその声に反応し、目の前に居るボクをしっかりと抱きしめた。
両手が後ろで拘束されているボクはそれに全く抵抗できなくて、いや、突然の事にどうすればいいのかもわからなくて、なされるがまま彼女の胸に埋もれた。
体と体が密着している。 心臓の動悸すら響いてくる。 その距離は本当なら拒絶するほど近すぎるはずなのに、何故かボクはそれに安心していた。
心の底から安心したのだ。 何もかもが同でもよくなって、ゆっくりと目を閉じた。
何故先ほどまであんなにもイライラしていたのかよくわからない。 よくわからないけれど、エアリオと一緒にいられればもうなんでもいい・・・。
『そのままゆっくりと座ってください。 体は離さないで。 今なら私の言う事もわかりますね?』
「・・・・はい」
ボクたちはタイミングを合わせてくっついたままその場に座り込んだ。
エアリオの小さな体がボクを包み込んでいて、それが続いている事がこれ以上ないくらいの幸福に感じられる。
思考に冷静さは戻ってきたものの、エアリオに対する感情だけは正常とは言い難いようだった。
『とりあえず、事情を説明しますから、それまで彼女とずっとくっついていてください』
「どうしてですか・・・・?」
『それが最も安定するからです。 それと、エアリオは今何か話しかけても無駄ですのであしからず』
「無駄・・・・?」
それがどういう意味なのかはよくわからなかった。 なんだか頭の中にモヤがかかったように、何故かエアリオに関してだけ正常な思考が働かなかった。
とりあえずこの状況が妙である事は客観的に理解出来るのだけど、それを拒否はどうしても出来ないのだ。
何はともあれ説明してもらわなければ解決策もわからない。 ボクは黙って話を聞く事にした。
『あなたたちは今、レーヴァに乗った反動により異常な精神状態に陥っています』
「反動・・・・?」
『簡単に言いますと、とにかく感情のコントロールが出来ない状態ですね。 どうもリイド君の場合は『敵意』が前面に押し出されるみたいですが』
敵意。
その言葉を聞いた瞬間、様々な何かが頭の中を横切っていった。
そうだ、ボクがこうなるのは初めてじゃない。 そんな気がする。 いや、実際にそうなのだろう。
何故ならばボクはあの時、クレイオスと戦う時、一度レーヴァに乗っているのだから。
思えばその周辺の記憶は曖昧だ。 全く記憶していないと言ってもいい。 けどそれはきっとボクが何も記憶できないほどの状態だったということなのだろう。
それを今まで都合よく忘れていた自分にも腹が立ったが、それを教えてくれないヴェクターにも腹が立った。
『前回の時に比べれば大分マシですよ? あの時はもう半狂乱でしたからねえ。 もう暴れること暴れること・・・だから今回はスタッフを待機させておきましたから、被害が拡大しないで済みました』
そりゃボクが悪いのだが、そんな言い方をされるとちょっとむかつく。
いや、こんなにイライラしているのもやっぱりその反動の影響なのだとしたら、ここは冷静さを保たなければならないだろう。
「それで、エアリオはどうしちゃったんですか?」
『彼女も反動の影響を受けているんです。 彼女の場合はちょっと特殊で、あらゆる感情が奥に引っ込みまして・・・まあ、無感情になるんですよ』
エアリオは普段から口数も少なく、必要以上のことを口にしない。
その態度も抑揚の無い表情も無感情と呼ぶに値する態度だったとボクは思っていた。
しかしこれはそんなレベルではない。 もう完全に生き物としてどうなのかと思うくらい、本当に何も考えていない状態だった。
だからこんなことも平然と出来る。 いや、命令なら実行するのがエアリオという人間なのかもしれないが。
何はともあれ状況は把握できた。 出来れば事前に知っておきたかったんだけど。
「それで・・・・これはいつまで続くんですか?」
『まあ一時間くらいじゃないですか? 状況にもよりますが、今回はそれほど長引かないと思うので少しそこで大人しくしていてください』
まるで投獄だ。 しかしそれも仕方がない。 それに一時間の間ずっとこうしていられるのであればそれも悪くない・・・そう思ってしまう。
エアリオのワイシャツは甘い香りがして、きっとさっきの戦闘の影響か、少しだけ汗のにおいがして、『他人』だって感じられる彼女の何もかもが温かい。
自分とは異なる存在であると彼女を認識すれば認識するほど安堵感は強まり、もっと彼女と触れ合いたいという気持ちに変わっていく。
抱きしめられているということがこんなにも嬉しい。 傍に居てくれる事が本当に幸せだ。 もう何もかも思考する事すらバカらしく思える程に。
声をかける事もしなかった。 ただただ抱きしめられ、体重を彼女に預けていた。 重いだろうに。 大変だろうに。 そんなこと考えられない。
ただそうしてもらうのが当然であるかのように、遠い昔からそうなる事を知っていたかのように、ボクはエアリオの存在を求めていた。
それは言い換えれば恋とか愛なのかもしれない。 言い換えれば陶酔とか妄想なのかもしれない。
何はともあれ丸一時間以上、ボクらはそこで抱き合っていた。
部屋とボクにかけられていた手錠のロックが音を立てて解除される頃にはボクらも普段どおりの感情を取り戻していた。
ゆっくりと身体を離し、ボクは自分の手を拘束していた手錠を外して床に転がした。
正面から見詰め合うと妙に照れくさく、エアリオもきっとそうなのだろう。 先ほどまでの何も感じられない死んだような表情ではなく、照れ隠しのために長い髪を指先でクルクル弄りながらそっぽ向いていた。
「とりあえず・・・・・出ようか」
「うん・・・」
長く広く喰らい廊下は何故か普段よりも不安を煽った。
ただ立っているだけで前後不覚に陥りそうなこの不安な感覚は、酷く落ち着かない感覚は、やはりまだボクらがまともではない証拠で。
「リイド・・・・手・・・」
隣に立つエアリオは顔を赤くしながらおずおず小さな手を差し出す。
「つないで・・・・行く」
少しだけボクは不意を打たれた。
その時彼女の事を愛しいと思ってしまったのも、その手を迷わずとってしまったのも、文字通り気の迷いだと思いたい。
「そうだね」
ボクらの歩幅は違う。
背の高さも違う。
歩くペースも違う。
何もかもが違いすぎる。
他人同士が触れ合う事は冷静に考えると酷く滑稽で不思議な事で。
きっといつも彼女がボクにあわせていてくれたのだろう歩幅を、ボクは少しだけ合わせる。
それに気づいたエアリオは嬉しそうに笑って、それから恥ずかしそうに明後日の方を向いた。
何でそれだけでこんなに嬉しいんだろう? その疑問は頭からずっとずっと離れないで今も付きまとっているのに、
ああ、このままずっと廊下が続けばいいのに。 そう思ってしまった。
司令部の扉の前で流石に手を離し、中に入るとヴェクターとユカリさん、それにカイトとイリアまで待っていてくれた。
駆け寄ってきたカイトはボクの肩を派手に叩き、それから軽く笑い飛ばす。
「よお、正気に戻ったかい?」
「・・・・・・・・さっきは・・・ごめん」
「おぉ〜、リイドが素直に謝るなんてな・・・」
「なんだよそれ。 ボクだって悪いことは悪いっていうよ」
「そう怒るなよ。 ほら、こっちこっち」
カイトは相変わらずだった。 あんなことがあった後なのにサッパリしている彼の性格はこういう時とてもありがたい。
全員が椅子に座るとエアリオはもういつもどおりの表情に戻っていたのでボクもまた普段どおりを装うことにした。
「大分落ち着いたようですね。 ちなみに今後レーヴァに乗るたびにああなりますので憶えておいてください」
だろうとは思っていたけれどいざ告げられるとショックだったりする・・・。
「そんなに落ち込まないでも、反動はその戦闘中どれほどレーヴァとシンクロしたかによって変化しますからね。 まあ早い話、頑張れば頑張るほどあとで辛いわけです」
「なんですかそれ・・・理不尽ですよ」
「そういわれましても、カイト君もイリアさんも同じ事を何度も味わってきているわけですからねえ」
そう言われ、初めてレーヴァに乗った日のことを思い出した。
あの時イカロスから降りてきたイリアは降りてくるなりボクにつっかかってきた挙句、泣きながらカイトに縋っていた。
その時はもう何かこの人はおかしい人なんじゃないかと思ったものだけど、翌日からごく普通だったのでそんなことはすっかり忘れてしまっていた。
思えばあの時のイリアも恐らくは反動の影響を受け異常な状態だったのだろう。 そう考えれば納得は行く。
「まあ、あなたたちが搭乗後どうなるのかも、その後の処置もみんなスタッフは知ってますから安心してください」
「ま、そういうことだ。 色々とおあいこなんだから気にすんな」
「そうさせてもらいます」
馴れ馴れしく笑うカイトから視線を逸らして溜息をついた。
全く、本当にろくでもないことだ。 しかしそれでもレーヴァに乗りたいというボクの気持ちは揺らぐ事はなかった。
思えば戦闘中、ボクは酷く感情が高ぶっていたようにも思える。 あれもレーヴァに乗った影響なのだろうか。
戦闘中はレーヴァに拡大された感覚と強大な力が痛快な感情を与えてくれる。 エアリオの思考もボクにリンクされ、彼女を手足のように働かせる事が可能だ。
逆に言えば彼女もそうなのだろう。 適合者と干渉者はレーヴァによって一時的に同一の感覚を得る事になる。
レーヴァから降りた時妙に不安になるのはきっと自分がちっぽけな存在だと思い知らされるから。
そして、妙に人恋しくなるのは、さっきまで確かに繋がっていた誰かの心と引き裂かれてしまうからなのか。
なんにせよこの現象から逃れる術がないのならば、ただ我慢するしかないのだろう。
話は短く終わった。 長話するにはボクもエアリオも疲れていたし、詳しい説明を求められるほどボクの口は軽くならなかった。
結局ボクとエアリオを挟むようにして並んだカイト、イリアと一緒に帰ることになった。
学校はまだ続いているはずの時間だったけれど、戻ろうなんて気にはちっともならない。
「あんまり反動の事を気にしても仕方ないわよ? 確かに恥ずかしいけど、要は慣れなんだから」
気を使ってくれたのか、イリアがにやにやしながら言った。
くそ、むかつくはずのイリアの態度ですらなんだか優しく感じるのは反動のせいなのか・・・?
「ちなみに、イリアの反動っぷりはお前らを越えるぜ? いっつも泣き出して倉庫の隅に蹲るからな」
「そういえばイリアの反動ってやっぱりボクみたいな敵意なの?」
「いや、イリアは『憂鬱』だ。 激しく不安になって本人にはどうしようもなくなる。 そして役得である俺に抱きついてくるという寸法・・・うごっ!!」
ボクとエアリオは同時にしゃがんだ。 ボクらを挟んで反対側にいたカイトの顔面を蹴り飛ばすその足の機動をボクもエアリオも予想していたのだ。
カイトが倒れてもボクらは足を止めずに歩き続ける。 しかしあの人いつも派手にけられてるけど痛くないのかな・・・。
ネクタイを締めなおしながら溜息をつくとイリアは顔を赤くしてなにやらぶつぶつ言っていた。
「・・・イリア、はずかしがりや」
「うっさい!」
にやにや笑うエアリオに怒鳴りつけるイリア。 この二人はいつも仲がいいのか悪いのかよくわからない。
けれどまあ、こういうところだけ見ていれば仲のいい友人に見えない事も無いのだけれど。
「それであんたたち、学校に戻るつもり?」
「ボクはパスかな・・・・そういう気分でもなくなったし」
何となくエアリオといるのが気まずいのだ。 それは目が覚めて翌日の朝になればすべてすっきり消え去ってしまいそうなほどの違和感だったが、これ以上拡大するとどうなるのかわからないわけで。
結局エアリオとイリアは学校に戻るらしく、本社エレベータから出たところでボクらは別れた。
平日昼のプレートシティは何となく少しだけ静かな気がした。
学生達はみんな学校。 社会人は仕事中。 まるでボク以外のすべてがめまぐるしく動いているような・・・逆に言えばボクだけ取り残されてしまったような感覚。
果てしなく広がっている、ずっとずっと向こうまで続く雲の海を眺めながら歩く町。 思い返すのはあの時のエアリオの姿ばかりだった。
奇妙な感覚だ。 断言するがボクはあいつの存在をなんとも思っていない。 事実上仕方がなく同居して仕方がなくパートナーをやっているだけの相手だ。
そのはずなのに、自分の意思とは関係なく彼女の事を大切だと思ってしまうのは、何か勝手に自分を操作されているようで気に入らなかった。
気に入らないはずなのにそれをはっきりと気に入らないと言えず、それはそれで悪くないと思えてしまうのも、きっと反動の影響なのだろう。
これから先何度もレーヴァに乗っていけばボクは元々のボクとは掛離れたものになってしまうのかもしれない。
その不安は思ったよりも大きく、レーヴァに乗るという決意は揺るがないものの、若干の不安要素として胸にしこりを残す。
「でもそんなの・・・・些細な事か」
どうなろうとボクはボクだ。 それにたった一時間程度の出来事じゃないか。 人が変わるなんてありえない。
そう自分に言い聞かせ、帰路を歩いた。
所詮は偽りの感情だ。
そう、自分を宥めながら。
〜用語解説その2〜
*やっぱり古い設定なので・・・色々とあれかもしれない*
『干渉者』
アーティフェクタを操作する上で必要な適合者とアーティフェクタを繋ぐデバイス。
適合者以上のフォゾン耐性とアーティフェクタの一部を肉体に埋め込む手術を必要とする。
フォゾン適合者のことを理解していればしているほどアーティフェクタの性能を引き出す事が出来る。
適合者に対し日常的に積極的な関与を必要とするため精神的な強さも必要。
また有する様々な内面によりフォゾン兵装が変化するため、個性的であるとよいとされている。
『精神の侵食』
干渉者と適合者の組み合わせが一定のまま戦闘を繰り返すと、
お互いの肉体、精神の干渉、融和が進行し、日常的に精神、肉体に支障をきたす。
この干渉者と適合者の精神、肉体的融和を一般的に侵食と指す。
侵食は他の干渉者などと操縦をローテーションすることで未然に防ぐ事が出来るが、
互いが強く互いを望んでいる場合などに一気に悪化することもある。
故に二人は常にある程度の距離とアイデンティティを保つ必要がある。
一度侵食が悪化した場合、お互いを引き離して置けば侵食は収まる。
しかし肉体、精神がお互いを強く求めてしまうため非常に難しい。
強力な浸食の場合、体が離れるだけで壮絶な苦痛を味わうため、死に至る場合もある。