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霹靂の、レーヴァテイン(1)

最終話です。


真昼のヴァルハラは不思議な静寂に包まれていた。

ジェネシスによる避難勧告から数時間。 町に残っている人々の姿は限りなくゼロに近い。

住民のほとんどが町の外に逃げ出した今、この巨大な塔に残っているのは戦う為に踏みとどまったものだけ。

静かな街中を黒いバイクが走っていた。 ぽつんと、ただ何をするでもなく走り続けるバイク。

プレートシティ中央付近のエレベータに近づき、操作パネルに触れてみるものの何の反応もない。


「やっぱりか」


町は死んでいた。 命を失い、どんな声も聞こえない。

ベルグ・リヒターは空を見上げた。 まだ見えぬ遠い空を。 その向こう側から強烈な脅威が迫っている事は生き物なら誰もが理解できることだ。

だというのに少年は引き下がろうとはしなかった。 逃げるなんていう考えは元よりなかった。

実は、そうした考えでこっそりと町に残った人はベルグだけではない。 このヴァルハラという楽園に思い入れのある人物なら、命を失う危険があってもそこを離れられないなんて事はありえない話ではなかった。

避難勧告を完全に無視したベルグは見事ヴァルハラに残る事に成功した。 避難誘導は完全ではないし、そんなところに割いている余力もない。

終焉が迫っている。 旗を振りかざし、死を振りかざし、行軍してくる。 わかる。 わかるけれども。


「よう、イリア」


少年は目的地にたどり着いていた。

そこは墓地。 十字架があっち並ぶ平原の中、少年は両手を上着のポケットに突っ込んだまま遠くを見据える。


「あの馬鹿連中のこった。 どうせ誰にも知られないところで戦うつもりなんだろうな…」


自らの無力を嘆くつもりはない。 人にはそれぞれ役目があり、その役目を目いっぱい果たすしかない。

イリアの亡骸は回収されなかった。 ホルスから取り出されると同時にフォゾンとなり消えてしまったからだ。 ゆえにここにはイリアの何も眠っては居ない。

それでもそこを墓地としてよりどころとするのは、生きている者がまだ悲しみを拭い去れないエゴからなのだろう。

ゆっくりと腰を降ろし、煙草をふかす。

紫煙を吐き出し、十字架に指先を伸ばした。


「頼むぜイリア。 あの馬鹿連中を守ってやってくれ。 俺には何もできねえからな…」


そう、自分に出来ることなど何もない。


「ここでこうして…あいつらが戻ってくるのを信じて待つ以外はな」


強い瞳で空を仰ぐ。

その先にある脅威も、きっと何とかなると信じている。

友を。 そして、全ての業を背負って戦う少年の姿を、ベルグは知っているから。




「よう親父、避難の時間だぜ」


ジェネシス社内牢獄。 白い鉄格子を硬く閉ざしていた錠の落ちる音が響いた。

カイト・フラクトルは父であるハロルド・フラクトルを開放すると静かに扉を開いた。


「…カイトか。 何が起きている?」


「ありえないくらい強い敵が攻め込んでくる。 ここも安全とは限らない…だから、あんたもさっさと逃げろ。 地下ドックから、避難用の大型船舶が出てる」


「そうか…。 ユピテル、だな」


「やっぱり知ってたのか」


言葉を交わしながらハロルドの手錠の鍵を外し、スーツを手渡す。


「当然だ。 今のままのジェネシスでは勝利する事が不可能な事もわかっている。 カイト、お前…死ぬつもりか?」


「勝手に決めつけんなよ。 俺はまだ微塵も諦めちゃいないぜ?」


「…正気か? リフィル・レンブラムの画策するレーヴァテインプロジェクトについて、お前は何も知らないから…」


「別に知らなくてもいいんだよ俺は。 なんら問題ない。 俺は、俺に出来ることをやるだけだ」


強い視線で正面から見つめ返して来る息子の姿に父は思わず言葉を失った。


「考えるのは、得意じゃねえんだ。 元々頭の出来は悪くってさ…。 だから、出来る事といえば敵を思い切りぶん殴ること…それだけだ」


「………………そうか」


男はスーツに着替えるとネクタイをぴしりと閉めなおし、格子を出る。


「では見せてもらうぞカイト。 お前が出した答えとやらを」


「おう」




「いよいよですねぇ、司令」


「そうね…。 ここから指揮を出すのも、もう最後かもしれないわね」


ジェネシス本部は静まり返っていた。 本来ならば多くのオペレーターなどでにぎわうその場所も、今は最小限の人数しか残っていない。

それは司令であるリフィルが全員に撤退命令を下したからである。 それに逆らって残ったのは、結局はいつもの面子だった。

インカムを耳につけたユカリが一人でオペレーションの準備を進めている。 格納庫ではルドルフと整備班が最後の戦いに備え最後の機体調整の真っ最中だった。


「私の無理に付き合ってくれなくてもいいのよ?」


「いえいえ、これも副司令としては当然の役目ですからねぇ」


胡散臭い笑顔を浮かべるヴェクターに苦笑するリフィル。

もう、迷ったり後悔したりしているような状況でないことはわかっている。

だから、両手を強く握り締めて前を見る。

自分たちが望んだ理想の世界を手に入れる為に、出来る努力はすべてやるしかない。


「みんなの命、私が預かるわ」


応えはなかった。

けれども誰もが心の中で頷いていた。

そんなのいまさらだと。

小さく微笑んでいた。



終焉の足音が聞こえる。


遥か彼方の空から、白い闇が駆けて来る。




⇒霹靂の、レーヴァテイン(1)




作戦は開始された。

洋上に展開した無人輸送艦の上にヘイムダルカスタムカイト機、ならびにラグナロク蒼の旋風隊を配備。

接近してくるオーディンに近接戦闘を挑む。 すでに出し惜しみはなし、最初から全力での作戦だ。

アイリス機はジェネシス防衛プレートにて狙撃体勢で待機。 出来ることといえば、その程度だった。


「作戦要員全員に告げるわ」


リフィルの声が、全ての機体に響いた。


「あなたたちにこうして呼びかけるのは、最初で最後になってしまったわね。 私は結局、この世界…ううん、他の誰かとかかわるのをいつの間にか恐れていたのかもしれないわ」


空は青く、海は青く、誰もが胸の中に独自の色を描く。


「子供に全てを託す事は本当ならば許されない事。 全ての悪意や業は、大人が引き受けてしかるべきものでしょう。 それでもあなたたちに頼らざるを得ない私たち不甲斐ない大人を、許して欲しい…なんて、そんな甘い事は言わないわ」


大きく息を吸い込む音。 それからそれに負けないほどの大きな叫び声。


「全員生きて戻りなさいっ!! それからちゃんと生きて、成長して、大人になって…! 私たちは駄目だったって罵りなさいッ!! それが私から貴方たちに下す、最初で最後の直接命令ですッ!!」


返事はなかった。 大見得切っていて何の反応もなかったため、司令部でマイクを握り締めていたリフィルは顔を紅くしていた。


「ちょ、ちょっと〜…。 誰か反応してよう〜…」


しかし、返事の変わりに聞こえてきたのは子供たちの笑い声だった。

あっけにとられるリフィル。 通信機越しに口々に子供たちは笑い出す。


『何を今更! 俺はジェネシスに入った時から、そのつもりですよ!』


カイトの声。


『今の大人が不甲斐ないことくらいちゃんとわかってここにいます。 それに、自分で願って望んで歩んできた道ですから』


アイリスの声。


「みんな…」


微妙に涙ぐんだリフィルは鼻声で呟く。

他の全員も、立場柄返事は出来なかったものの戦いに対する意欲は一向になえていない。

勝って、大切なものを守る。 それぞれの目的や意志は違えども、手段は同じ。

ならば。


「行こうぜみんな。 神様に決められた運命のレールなんて、叩き潰してやろう」


「ふん、貴様に言われるまでもない…。 僕らはそのために生まれてきた」


「そうかいそうかい…ったく、本当にお前嫌なやつだな…」


「お互い様だ」


前衛の蒼い二機が前に一歩踏み出す。

パイロットの少年二人は苦笑して正面を見据えた。


「ん…? なあカロード、なんかこっちに飛んできてねえか?」


「そのようだな…ん? カイト、回避行動を取れ!」


「今やってる!」


二機が立っていた無人輸送船に何かが突っ込んで大爆発を巻き起こした。

海面を疾走し、きりもみ上に転がったそれは何とか空中で静止し、飛翔した。


「ガルヴァテイン…! スヴィア先輩か!?」


ガルヴァテインの全身はぼろぼろで見るに耐えない状態だった。 全身から火花やら血やらを吹き出し、原型をとどめているのが奇跡的なほどだった。


「スヴィア先輩…! いや、まさかあれ相手に今まで戦ってたんすか!?」


「…すまないな。 時間稼ぎにしかならなかった」


誰もが唖然とする。 エース級が束になってかかっても太刀打ちできなかったユピテル相手に時間稼ぎが出来ただけでも僥倖だと言わざるを得ないだろう。

そして苦笑する。 だったら、まだ負けが決まったわけじゃない。


「ガルヴァテインの自己修復の時間が欲しい…。 少し時間を稼げるか?」


「了解しましたよ! で、何分くらいですか?」


「三分もあれば…」


「だったら三十分は持たせてみせますから、マジで何とかしてくださいよ!」


「…ふ、しばらく見ないうちに強気になったものだな」


「リイドとオリカのやつが見当たらないんです。 先輩、何かわかりますか?」


「心当たりがないわけではないが…。 とにかく時間稼ぎを頼む。 少しでいいんだ」


「カイト、来るぞ! 僕が前に出る!」


「あっ…まてこの野郎!! 見せ場を持っていくな!」


先行するカイト機とウロボロスを中心にフォーメーションを組むエリザベスとミリアルド。

子供たちの背中を見送り、ぼろぼろの翼を羽ばたかせるガルヴァテインは出来うる限り迅速にヴァルハラに向かう。


「…すまないな、エンリル…」


「…大丈夫です、マスター。 もう少し…もう少しの、辛抱ですから」


声だけを聞いていた一同は理解していなかったが、スヴィアは片目から血を流し、脇腹に鉄板を突き刺していた。

激しい攻防はコックピットを変形させ、搭乗していたスヴィアにも影響を及ぼす。

エンリルもまた、度重なる破壊で意識を保つのがやっとだった。 虚ろな瞳にスヴィアを映さないまま静かに微笑む。

もう、互いに限界だった。 死はすぐ近くまでやってきている。 それでも尚、まだ、諦められない理由がある。

瞳は一向に曇らない。 スヴィアは強い意志をこめたまなざしで、司令部に呼びかけた。


「リフィル―――ボクだ。 スヴィアだ。 君にお願いしたい事が、一つある―――」





「貧弱、脆弱、虚弱…! ハハハハハッ!! 死にたい奴から前に出なアッ!!! 人間人間、人間んんんんッ!!!」


怒涛の勢いで猛追してくるオーディンはグングニルを光速で振り回しながら一同に迫る。

その迸る気迫に思わず気おされそうになるが、もう一歩も引くわけにはいかない。 あの光速の動きも、なんとかよけなければならない。

そのためにはコンビネーション。 一対一で絶対に勝ち目がない以上、協力して翻弄する必要がある。

唐突の取れた動きを展開する蒼の旋風隊の中に、カイト機の姿もあった。 四機はつかず離れずの距離を移動し、オーディンに弾幕を浴びせる。


「くそっ!! あいつ言ってる事がめちゃくちゃ怖いぞ…!」


「怯えたのならば帰るか? お前一人いなくとも、なんら問題はない」


「抜かせ…っ!!」


パイルバンカーを展開し、突撃するカイト。

それを援護するように一斉に放たれるフォゾンライフルを弾き飛ばし、オーディンが哂う。


「君がカイト・フラクトルか…。 リイド・レンブラムが随分とお世話になったみたいだね」


「何っ!?」


突然の言葉に思わず迷いが生じてしまった。

パイルバンカーを片手で受け止めたオーディンの顔が近づき、メインカメラの目の前でぎらぎらと銀色の瞳が輝いていた。


「何を驚く必要があるの? ボクはリイド・レンブラムであり、スヴィア・レンブラムであり、エアリオ・ウィリオなんだから…この世界に来た時点で、情報の汲み取りくらいしているよ。 それにしても君は随分とリイドに慕われているみたいだね。 さしずめ兄貴分ってところか。 不完全な神には丁度いいお守りだ」


「リイドを馬鹿にするんじゃねえ!! あいつはなあ…あいつは…?」


何か、思い出す。

ちょっとした違和感だった。 だからそれは戦闘に支障をきたすようなものではなく、けれどやはり拭い去れるものでもない。

距離を開ける二機。 オーディンの放雷をテイルヴァイトが捌き、チェーンソーを構える。


「何ボサっとしてんのよ、馬鹿!」


「いや…。 なんだ、あいつ…。 くそ…!」


歯を食いしばる。

似ている。 似すぎている。 いや、きっとそれがそのまま続いたのであればこうなっていただろう。

かつて力に魅了され、力を所望し、力を振り飾り、愉悦に浸っていた少年がいた。

少年は仲間との出会いや別れ、多くの戦いや問答を繰り返し、自らの強い意志や正義を獲得した。

しかしあのまま、少年が…リイド・レンブラムが、あのまま進んでいたのならば。 どうなっただろう。

奇跡的な力を振りかざす、傲慢な神。 それが目の前にいる。 目の前にいるのは―――リイド・レンブラムという少年の可能性に過ぎないのか。


「だったら、尚更負けるわけにはいかねえ…アイリスッ!!!」


ヴァルハラから放たれる一筋の光。 グングニルでそれを叩き切り、割れる海の水しぶきの中、ユピテルは哂い続ける。


「可能性を受け入れなよ人間。 君の目の前にいるのは、リイド・レンブラムであり、スヴィア・レンブラムに他ならないのだから―――」


「テメエとリイドは違うッ!!! あいつは…あいつはなあ!!」


振り上げる拳、蹴り。 カイトの強い思いは限界以上にヘイムダルの性能を引き出し、オーディンを攻め続ける。


「あいつは確かに不器用で正義感が強くて我侭で甘ったれで…! でもテメエとは違うッ!!! あいつは―――リイドは―――」


悲しい事もあった。 楽しい事もあった。

ただ何も知らなかっただけだ。 喜怒哀楽を知らずに育った、いや、生まれたばかりの少年。

正しい力の使い方を判らないまま強くなってしまった少年。 それは確かに目障りで、危険で、乱暴だったかもしれない。

それでも自分で歩いてきた。 破壊衝動や快楽や愉悦などという、陳腐な感情に流されたりはしなかった。


「あいつは、もう、守るべき者を見つけたんだ…! だから、テメエとは違う! 壊すことしか、奪う事しか出来ねえ…テメエみたいなモンとは違うんだよオオオオッ!!!」


気迫を込めた蹴りはオーディンを弾き飛ばす。 しかし次の瞬間残像を残し、カイト機の背後に回りこんでいた。

反応できない光速の行動。 振り上げられた爪が振り下ろされる瞬間、死を覚悟するカイトだったが…。


「一人で戦ってる気になってるんじゃないわよ! 馬鹿カイト!」


エリザベスのチェーンソーがオーディンの爪を受け止めていた。

しかし振り上げられるグングニル。 それは二機まとめて貫通せんと凄まじい破壊を巻き上げて一気に突き上げられる。

だが、それもまた宙を待っていた。 ヴァルハラから放たれた光りの矢がグングニルを吹き飛ばしていたのである。

海中に落下しそうになる槍をすれすれで回収したユピテルが舌打ちし、ヴァルハラを睨みつける。

防衛用プレートの上、薬莢を排出しながら照準を合わせるアイリスの姿があった。


「そうです、私たちは一人じゃない。 一つ一つじゃ敵わない力でも…皆で力をあわせれば…」


「理想論だな、女! 君のいう力をあわせるなんて理屈、現実の前では通用しない!」


「…やっぱり貴方は先輩とは違いますね」


静かにため息をつき、再び弾薬を装填し構える。


「知らないでしょう? 先輩ってああ見えて―――意外と熱血タイプなんですよ? そんな冷めたセリフ、言いません」


「へぇ…。 そう、君たちはそう思ってるんだ。 でもねぇ、残念! ボクがこういう性格してるのはねエ…心の根本ッ! 魂がッ! 存在がッ!! こういうものだからに他ならないんだよ!! だってボクは何も考えていない…無我の先にあるのは純粋なる存在の在り様だッ!!! これがリイド・レンブラムの本質なんだよ―――!」


「う…ざいッ!!!」


チェーンソーで斬りかかるテイルヴァイト。 同時に反対側からウロボロスが回りこむ。


「あんたのその声を聞いてると…頭が痛くなってくるのよねぇ!!!」


「実に目障りだ。 人間人間というが、貴様もその人間の延長戦だろうが」


「ボクをお前らと一緒にしないでほしいなあ…。 出来の悪い、下等生命の分際でさぁ」


近づいた二機を吹き飛ばしたのはオーディンが掌から放った不思議な衝撃だった。

その衝撃の中心部…青空を切り取ったかのように開いた白い闇があった。

まるで空間というガラスを叩き割った後のようなその穴は、不思議なフォゾンを放っている。


「君たち面白いね。 少し遊んであげたくなったよ。 ほら、感謝してよね…付き合ってあげるんだからさぁ!」


割れた空間に突き刺すグングニル。

ユピテルは狂気的な笑顔を浮かべながら、楽しそうに呟いた。


「開け、天国ノ扉キーオブヘヴンスゲート




地鳴りはユグドラシルの間にまで響いていた。

そこには何故かリイドとカグラだけではなく、オリカとそのオリカに手を引かれてやってきたエアリオの姿があった。

四人は対面する。 そうしてそれぞれその状況を理解した。


「リイド君、カグラちゃん…何をするつもり?」


オリカの問いかけ。 不安そうな瞳。 リイドは何も応えず、ゆっくりと歩み寄る。

それからオリカをすぐ近くで見つめ、静かに視線をそらし、エアリオの頭を撫でる。


「やあ、エアリオ。 もう二度と会わないつもりだったけど、あっちゃったんだから仕方ないね」


「………?」


「何もわかってなくてもいい。 判ってなくてもいいんだ…。 大丈夫、オレは約束を果たすよ。 みんなとの…約束。 一つだって破るもんか」


エアリオは何もわかっていなかった。 リイドが何を言おうとしているのかも、その約束というものも、それにリイド・レンブラムであるという認識さえも。

何一つ記憶の中に残っていないはずなのに、その少年の笑顔を見ていると胸が苦しくなり、何も感じないはずなのに涙がこぼれた。

自らの頬を伝う熱い涙。 小さな掌に零れ落ちたそれは、しばらくすると冷たく冷えて何も感じられなくなった。


「リイドくん、オレ…って?」


「そこに突っ込むんかい。 まぁ、何ていうか…ユピテルが『ボク』っていってたでしょ? スヴィアは『私』だし…オレ、がいいのかなって」


「あは。 なんだ、二人のこと意識しまくりなんじゃない。 かわいいなあ」


「うるさいな…。 自分でも違和感は拭い去れないんだけどね」


地響きは続いている。 揺れる大地。 そんな非常時の中、二人は笑い合った。

ひとしきり笑ってから、顔を上げたオリカは寂しそうに、それから不安そうに表情を歪め、帽子を目深に被って訊ねる。


「…行っちゃうのかな? リイド君」


「…うん。 もう、決めた事だから」


「…なんとなく、そんな気はしてたんだ。 こういう結末になるんじゃないかって事も…本当はわかってた。 でも…」


顔を上げ、涙を流すオリカはリイドを強く抱きしめた。


「リイド君、本当にそれでいいの!? そんなので、本当にいいの!? ねぇ、だって、リイド君は…この世界が大事なんじゃなかったの!?」


「…」


オリカの背中に手を回し、困ったように笑ってみせる。


「…いいんだ。 それが、ボクの役目だから」


「役目とか…そんな…ッ! そんなの…ッ!!」


「…オリカ、泣いてるんだね。 お前が泣いてるの、初めて見たよ」


突然の言葉に顔を真っ赤にするオリカ。 自分でも何故だかわからないうちに恥ずかしくなり、その紅くなった顔を見られるのがもっと恥ずかしくてしがみついたまま離れようとしなかった。


「オリカだって…役目にとらわれる必要はないんだよ。 もう、君にとっても…仲間やこの世界は大事なものになってるはずだ」


「…え?」


「ボクもお前も、エアリオもカグラも…誰だって世界の…日常の一部なんだよ? 誰か一人が特別なわけじゃない…ボクが居なくなって悲しいのは、君の…オリカ、お前の日常が狂ってしまうからだ」


ゆっくりと身体を離し、両肩を掴んだまま少年は笑う。

その笑顔は、今まで見た中でも最高で、胸を打つ―――恋に落ちずにはいられないような、そんな素敵な笑顔。


「運命に逆らえ、オリカ。 君はボクのためだけに…母さんのように生きる必要はないんだよ。 君には君だけにしか出来ない、運命があるはずだ」


「…リイド…くん?」


「ボクは結局、お前に何もしてやれなかった。 でもお前はボクにたくさんのことを教えてくれた。 困った時、お前の笑ってる馬鹿顔がありがたかったのも、今思うと笑えるよ」


「あは…。 リイドくん…口調、ボクに戻ってるよ…」


「おっと…。 ボク…いや、オレは君に感謝してる。 君がいてくれなかったら、立ち直れなかったシーンも数え切れない。 だから―――」


「ま、まってよ…ちょっとまってよ」


リイドの口を塞ぎ、涙ぐんだ瞳で首を横に振る。


「何、それ? なんでそんなこというの? へんだよリイド君…なんでそんな、お別れの挨拶みたいな事するの? ねぇ、明日でも明後日でもいいじゃない…そんなの、いつでも聞くよう…! だって私…リイド君の事が…」


一段と強い揺れが地下を襲った。

顔を上げるリイドは悲しそうにオリカを突き放す。


「オリカ…みんなをお願い」


「リイド君…? リイド君、待って…っ!!!」


背後に進むリイドは揺れの中、奥に続く扉へと消えていく。

自動で閉じていく扉が閉まってしまう。 指を伸ばし、しかし微かに届かない。

無情にも閉じきった扉を拳で叩き、それから弱弱しくその場に崩れ落ちた。


「リイドくん…やだよう…。 私を置いていかないでよう…。 リイドくんがいなくちゃ…わたし…っ。 わたしい…っ」


力なく何度も扉を叩く。

少年の姿はもう、幻のように消えてしまっていて、思い出す事も難しいくらいで。

何故だろう。 あんなにも心の中に強く鮮明に残っていた彼の笑顔さえ、今は思い出せない―――。





開かれた天国の扉は、見る見る内に空を天使で埋め尽くした。

強制的にゲートを開き、そこに簡易のヘヴンスゲートを生み出す能力―――グングニル・キーオブヘヴンスゲート。

怖気を感じるほどの量の天使、神、その数合計数百万。

絶望、という言葉をここまで強く感じるのは初めての事だった。 足が震え、今すぐ逃げ出したい気持ちがその場を包み込んでいく。


「ほぅら、人間…! 抗って見せなよ、運命にさぁ…。 くは、ははははははっ!!!」


「か、カイト先輩…!」


「くっそ…! どうすりゃいいんだよ…どうすりゃ…!」


歯を食いしばる。 所詮出来ることなど限られている。 運命には抗えないのか。

ここまできて。 こうやって何とかみんなで心を重ねて努力してきたのに、勝利出来ないのか。

そこまで人類は無力なのか。 血が滲むほど握り締めた指先。 沸騰しそうな思考では、敗北のイメージしか浮かんでこない。


「さあ、懺悔は済んだかな…? それじゃあ公開処刑だ。 くたばっちまいなァ! 人間ッ!!」


オーディンの合図で一斉に飛び掛る天使の群れ。

息を呑む。 よけるも弾くもない。 もう、眼前全てが敵意の塊。

逃げ場もない。 どうしようもない。 諦めかけ、目を閉じかけたその時だった。



「一つでは折れる矢も、三本揃えば屈強になる」



眼前全ての敵を押さえ込む剣の森。

空にはためくマントに包まれ、騎士の光りの刃が解き放たれる。


「元より負け戦ならば…こちらも総力戦…違うか? カイト・フラクトル」


エクスカリバー=ヴァルキリア。

騎士の姿を象った戦の女神は高らかに剣を構え、天使の海を前に毅然と胸を張っていた。


「ようカイト! 遅れたけど、ギリギリ間に合ったさ!」


「…シド…ルクレツィア! た、助かったあ…」


「おうよ。 でも残念ながら、おいらたちの能力だと抑えるだけで限界なんよ」


「…おいいいい!! どうするんだよ!? 徐々に押されてきてるぞ!」


「困ったな」


妙に冷静なルクレツィアの一言に誰もが唖然とする。

状況は全くいい方向には転がっていなかったのである。

数万の数の巨大な刃の壁ももうじき破られる。 そうなればあとは食い尽くされるのを待つのみである。


しかし。


「なら、攻撃は任されたよ」


優しく吹き込む一陣の風のような、朗らかな声。

それに似つかわしくない圧倒的な火力の光が一瞬で天使の群れを薙ぎ払う。

遥か彼方、海上に展開されたSICの艦隊の先頭に、長距離砲撃モードのオヴェリスクを携えたトライデント=アヌビスの姿があった。

そして次々に発進するヨルムンガルド部隊。 それを援護する母艦、スレイプニルの群れ。

トリガーを連続で引き、オヴェリスクを乱射するトライデント。 その中でさわやかに微笑む少年が困ったように呟いた。


「倒してもいくらでも出てきちゃうんじゃ、きりがないね」


「む…。 トライデント…セトか?」


「やあ、久しぶりだね。 この間の作戦以来かな?」


先行し飛翔してきたトライデントがオヴェリスクを構え、エクスカリバーの隣に並ぶ。


「いつぞやのように共同戦線ということか」


「そうなりますね。 僕としては、歓迎な状況なんですけど…」


「ま、しょうがねえだろ。 オレとしても強ェやつと戦えるのは嬉しいしな」


舌なめずりするネフティス。 そんな粗暴な態度に苦笑を浮かべ、セトは強い眼差しでオーディンを見据える。


「君はやっぱりリイド君とは違うね。 彼はなんだかんだでプライドが高い―――物量で押すなんて、醜い作戦は使わないよ」


「その通りだ。 リイド・レンブラムは今ひとつ幼さの拭いきれない少年だが…まっすぐで強い瞳を持っている。 貴殿のように歪んではいない」


戦闘が始まる。 ヨルムンガルド部隊と天使の群れとの戦いが。

それはもはや戦争だった。 たった一個の神に対し、人類の全力を投入した大戦争。

その戦争の最中、話をただ停止して聞いていたユピテルが久方ぶりに顔を上げた。


「…君たち…最高だよ」


口を開き、けたけたと哂うオーディン。


「この世界にはまだ壊すものがある…けははっ!! こんなに楽しい事はないよおおおおおおおっ!!! ねぇ、スヴィアああああああああッ!!!」


放たれる膨大なフォゾンを前に、しかし怯むものは居ない。


恐れを勇気に代え、立ち向かうのみ。



鳴り響く雷鳴を合図に、最大の闘争が幕を開けた。


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