夢の、始まり(1)
怒涛の急展開ですがお願いですのでついてきてください。
夢を見ていた。
その世界でボクは、たった一人で戦い続けていた。
いつ終わるとも知れない無限の闘争。 守るべき者も世界もない、ただ戦うだけ、抗うだけしか意味のない闘争。
行動には理由があるものだ。 しかし、理由と原因、その両方が存在しないその戦いはあまりにむなしく、あまりに無意味だった。
世界は全て真っ白に染まり、逆にその光景は美しささえ覚える。 けれどもそこに命は無く、だからボクはそこがもう終わってしまった世界である事を知る。
そこでもボクはレーヴァテインに乗っていて、もう何日も、何週間も、何年も、何世紀も、ひたすらに永遠に戦い続けている気がした。
意識も意志も磨耗し、争いで削られた自我は何も考える事も出来ず、吐き出す息の温度さえ冷え切っていて、もう生きているのか死んでいるのかもわからなかった。
そんな時、彼女の存在を思い出す。 戦いの中、ずっと背中で見守っていてくれた彼女の存在を。
帽子を被った少女は疲れた笑顔で、けれどもまだ意志を失わない磨耗しない強さで、ボクに呼びかける。
「逃げちゃおうか?」
両手にする刀。 延長する感覚。
激突する刃。 腕が震え、指先からは血がたれている。
いずれ生命活動に支障が出始めたとしても、ボクは戦い続ける事になるだろう。 自然と蘇生してしまう。 死ぬ事が出来ないから。
もう、疲れた。 それは言葉にならず、深いため息となって空に消えた。
あいつの槍が、ボクの心臓を穿つ。
「目が覚めた?」
誰かの優しい声にふと瞳を開く。
先ほどまでの景色はどこへやら、そこは地獄のような場所に変わり果てていた。
全ての命が燃え尽き灰燼に帰す。 瓦礫と朽ち果てた命の残骸が無残に転がる大地。
いや、ここは大地なのだろうか? 雲があまりに近く、あまりに太陽が近い。
彼女、名前も思い出せない彼女はボクを抱きかかえながら穏やかに微笑んでいる。
胸の辺りがやけに苦しい。 自分の体を目で追ってようやくこれからボクがどうなるのか理解する。
全身血まみれ。 それは紛れも無くボク自身の血液に他ならない。 つまりは死に体。
いずれはこのかすかな感覚すら無へと消え去り、彼女の中のボクもまた思い出に変わる。
何もわからないというのに心だけは妙に安らかで、まるで既にボクの命は失われていてとっくの昔に幽霊かなにかになっていて、心だけここに浮いているような感覚。
何せよ体の感覚はないのだから仕方ない。 痛みもなければ、ぬくもりも無い。
酷く寒いということだけが理解できる。 それを少しでも和らげようと彼女は体を寄せる。
ああ、どうやら彼女は怪我をしなかったらしい。 それは何よりだ。 それは幸いだ。 だったらいい。 ボクはいい。 死んでも、いい。 彼女が無事なら、きっとボクの人生には何か意味が残るんだ。 だからいい。 大丈夫だ。
「ありがとう…ありがとうね…きみのおかげ。 きみはやり遂げたんだよ。 きみは勝ったんだよ」
指差すその先には何か…そう、巨大な人のようなものが膝を付いていた。
巨大な鋼の翼は今は朽ち果て、その全身から血液を零しながら、命尽きてそこで死んでいた。
ボクがアレに勝ったのだろうか? なんだかもうよくわからない。 何もかも、わからない。
意識が薄れていく。 何も判らなくなる。 風が気持ちいい。 最後はこんなでも、かまわない。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう………きみのことが大好きだったよ…」
誰かの腕の中で死んでいけるのならば、それはきっと幸せだ。
それがもし恋する人や愛する人であったのであれば、それはきっとこの上なく。
だからボクはここで死のう。
いつかまたこの夢の続きを見るために。
でも。
「まだ…まだ、終われない」
身体を起こす。 痛みはない。 呼吸は苦しいけれど、立ち上がれない程ではない。
まだ死んでしまうわけにはいかない。 死はボクにとっての終わり。 だから、まだ終われない。
彼女は不安を隠せない瞳でボクを見ていた。 ぼんやりしている場合じゃない。 あいつがボクに追いついてくるよりも早く、なすべき事をなさねばならない。
「ボクは諦めたくないんだ…。 みんなを…この世界を…」
空に差し伸べる両手は血塗られていて、それでも世界は美しい。
「世界を救いたい…。 この世界でなくても構わない。 ボクは、もう一度…まだこんなところで終われないから、だから―――」
振り返り、彼女を見つめる。
「ボクと一緒に来て欲しい―――オリカ」
曖昧になりかけていた全てをゆっくりと思い出していく。
それはボクという存在がつい先ほどまで消えかかっていたせいだ。
何も思い出せず考えられずそこに未来はなく死を待つだけのもの。
けれどボクは生きると決めた。 決めた以上、世界も身体もそれを肯定する。
「どうして…? もう、いいじゃない。 これ以上戦っても、あなたが傷つくだけだよ?」
そう、みんな死んでしまった。
仲間も敵も、何もかも死んでしまった。 だからもう何も残っていない。 これがボクのエンディングだ。
それでも諦めない。 諦めきれない。 変えられるのならばもう一度、変えてみたい―――やりなおしたい、この世界を。
「あいつもどうせ死んじゃいない。 あいつもまた、死ねない身体だ…。 目覚めるより早く、ここから逃げよう」
「…どうしても、行くんだね」
「ごめん…」
「ううん、いいの。 だったら私ももう少しだけ、あなたの夢に付き合うよ。 あなた一人にだけ、苦しい思いなんかさせないからね」
風が吹く。
見つめる先、崩れ落ちたレーヴァテインが折れた翼をゆっくりと広げ、ボクらに手を差し伸べた。
そうだ、まだ終われない。
この世界はまだ終わらない。
まだボクが生きている。 全ての命が燃えて尽きて灰燼になったとしても、それでもまだ、ボクが生きている。
「行こう、レーヴァテイン。 この世界を、救う為に」
機械の神は何も言わず、静かに燃える瞳でボクを見つめていた。
⇒夢の、始まり(1)
ボクが目を覚ましたのは、あの戦いの翌日の事だった。
また、あの日の夢を見た。 けれどこうしてぶっ倒れて夢を見て、その繰り返しの中でボクはようやくその正体を掴みはじめていた。
だから混乱や悔しさや悲しさよりも、ボクは真実を知らなければならないという重い気持ちで胸がいっぱいだった。
目を覚ますと傍らにはアイリスの姿があった。 いつだったか、ボクが眠りっぱなしになっていた時、似たような事があった気がする。
「まるで君のお姉さんみたいだね」
椅子にもたれて眠っているアイリスの肩に毛布をかけて病室を後にする。
既に二十四時間以上が経過していて、時刻は深夜。 夜明けを待つ静かな町の中、ボクは一人で歩き始めた。
あれから何がどうなったのかは、もう判っている。
ボクが眠りについた後、オリカたちは撤退。 ユピテルはガルヴァテインに乗ったスヴィアが抑えてくれていたけれど、それが抑えきれたかどうかはわからない。
いや、きっとスヴィアならまだ戦っているだろう。 まだたかが一日程度の時間経過だ。 彼ならまだ戦い続けているかもしれない。
世界の滅亡が目前まで迫っているというのに、世界は酷く静かだった。 そもそも誰もが寝静まっている時間帯の本部は、より静かに感じる。
廊下を歩く。 静かに靴音を立てて。 もしかしたらもう、この道を歩くのも、最後かもしれない。
そう考えると少しだけ感慨深いものがある。 色々あったけれど、ここはボクの青春の全てだったといえるのかもしれない。
「リイドくん」
司令部に向かう途中、壁に寄りかかっていたオリカが笑いながら手を振っていた。
「おかえり」
「ただいま」
互いに笑いあい、何を言うでもなく肩を並べて歩き始める。
出来る限りゆっくりと、司令部についてしまう時間を遅らせるように歩いた。
その途中、オリカはらしくないほど悲しそうに目を伏せながら口を開く。
「…見た?」
「…うん、まあ」
「そっか」
足を止める。 オリカは数歩、ボクの前を行き、それから止まった。
時間が止まってしまったかのようだった。 とても気が重い。 これから自分がどうなるのかを考えると、もう一歩も動きたくないくらいだった。
自分の足がこんなにも重く感じるのは始めての事だ。 自分で選んできた道とは言え、本当に嫌になる。
「オリカは知ってたの?」
「ううん。 リイドくんのフィードバックに対応して、さっき思い出した」
「フィードバック…そうか。 そうだね」
頭の中でずっともやのかかっていた過去の記憶を取り戻していく作業。
いや、厳密にそれは記憶ではない。 ボクの記憶ではなく、他人の記憶。
「オリカは…もう、自由になってもいいと思う」
気づけばそんな事を言っていた。
そんな事を言ったところで意味なんてないのに。
ボクの言葉を聴いて、彼女は腕を組んで困ったような微笑を浮かべていた。
「私たちは、それをユピテルと呼んでいたわ」
深夜の司令部。 真っ暗な闇の中、非常灯だけがボクらを照らしている。
ボクとオリカは並んで立ち、かつて母と呼んだ人の前に居た。
司令官でもある彼女、リフィル・レンブラムはインスタントコーヒーを口にしながらそんな言葉を皮切りに話し始めた。
「月の地下に、神の拠点があるのは知ってるわよね?」
「うん。 人間がそこに立ち入ったから、神が目覚めた。 テラフォーミング計画の影響で…」
「そう。 でもね、本当は違う。 テラフォーミングはただのきっかけに過ぎなかったのよ。 それはこの世界に定められた運命だった」
「…最初から、彼らは目覚める事が決まっていた」
「そうね…」
神は何の為に目覚め、何の為に人を殺すのだろう。
感情も無ければ無論慈悲もなく、人間を塵芥のごとく踏みにじり、その命を吸い取って生き続ける生命。
それは生きていると言えるのだろうか? 知的生命体という枠にとらわれない彼らの存在は、そもそも生命の定義に該当しない。
全く人間とは異なる存在。 フォゾンさえあれば生きていけるし、傷ついても痛みを感じない。 生命の定義から大きく外れているのなら、それは宇宙人といったほうが早いのかもしれない。
炭素系生命体である人類とは全く異なる彼らは何の為に、人を襲うのか。
「それが定めであり役割だから」
そこに感情も損得もないのだとしたら、最後に残るものはなにか。
それは本能だ。 『あたりまえ』という驚異的な言葉だ。 ボクらが息を吸い、息を吐くように彼らは人を殺すのだ。
殺すという意義や定義さえ理解できない彼らにその意味を説く事は無駄でしかない。 だからどちらかが滅ぶまで徹底的に争いを繰り返さねばならないだろう。
神は人を追い詰めるために大地を薙ぎ払い、浄化し、人の住めない場所にし、どんどん追い詰めていく。
星を侵食する。 けれど、星を本当に汚していたのは誰なのだろう。
「彼らは星の、世界の守護者。 私たちが望んでいないだけで、世界は人間という存在を排除したがっている」
例えば、このまま人類が全滅したとしたらどのような結果になるだろう。
世界が終わり、その世界を観測するものがただ一人さえ居なくなったとしても、そこに世界は確かに存在する。
ボクらはその意味をまだ理解していない。 自分にとって世界がどうなのかという自意識ばかりが先行し、大局的に世界の善悪を判断できない。
それは仕方のない事だ。 生き物ならば誰もがそうであるのだから。 ボクもその、例外ではなかった。
この世界が辿りつく最終的な境地を考えれば、その思考にたどり着く人間が一人も居ないほうがむしろおかしいのだ。
「この世界は、平和になる」
生き物は少なからず争いを繰り返すものだ。
けれどそれは星を傷つけず、他の種族を傷つけず、命の循環を犯すほどのものではない。
星を傷つける争いを繰り返すのは、たった一つの種族…人類だけだ。
人類がいなくなればこの世界は平和になるだろう。 それは誰だって考えてみればわかることだ。 人はこの世界に必要な存在なんかじゃない。
神はまさに人に裁きを下す存在。 人を滅ぼし、星を守ろうとする世界そのものの防衛手段。
始まりや理由や根拠は必要ない。 それが、現実なのだ。
「気づいていなかったわけじゃない。 利害に関係なく彼らが行動するとしたら、その先にある目的は…それしかないんだから」
「そうね。 でも、それだけでもないんだけどね」
どうやらボクの推理は100%正解とは行かなかったようだ。
どちらにせよこの世界の正義は人類にないという事は確かだろう。 だから神は躊躇なんかしない。 神は等しく命に平等だ。
「でも確かにね、こんな調査結果があるわ。 神によって破壊された大地は高濃度のフォゾンに満たされた白い砂漠になる。 その大地は創世記のこの世界にそっくりの環境だそうよ」
つまり、この世界をリセットするということ。
不純物のない、限りなくゼロの世界。 命が再びはぐくまれる可能性を持つ、穢れ無き大地。
だからボクらはその大地を恐ろしいと感じる。 命の気配のないそこは魂の根源に刻まれた孤独の象徴であり、それは逆に美しくもある。
「このまま神に世界が滅ぼされたのなら…いえ、『浄化』と呼ぶべきかしら。 そうなったら、確かに世界は元通りになるでしょうね」
長い歴史の中、人は取り返しのつかないほど世界を汚してきた。
だからこそ、神は大都市を集中的に攻撃したのではないか。 今となっては先進国と呼ばれていた国は一つとして原型をとどめていない。
人が多いところを攻撃するのではなく、世界にとって有害と判断する場所から攻撃するという仮定。 けれどそれは笑い飛ばせるほど馬鹿馬鹿しくもない。
「それでも、人を守りたいんだね…母さんは」
「そうね。 そうでしょう? 大局的な善悪の判断や星のことなんて人には関係ない事…そうやって自らの利益のみを追求し生きて来た命なら、いまさらその生き方を放棄する事は出来ない。 それに、大事なものが何一つ、自分さえ存在しない世界が平和になったところで…それは人類にとっての平和ではないわ」
しっかりとした言葉で話す母さん。 ボクの前ではいつもほわほわしていて、間が抜けていて、そんな印象ばかりだったけれど。
司令官というくらいなのだから、そんなとぼけているわけがないのだ。 けれどもそれを実際目にして、改めて思う。
ボクらは本当は…親子なんかじゃなかったんだな、って。
「…スヴィアは何て?」
立ち上がった母さんは憂いを帯びた瞳でボクに問いかける。
「…それは、スヴィアに直接聞いてよ」
そう答えると、彼女は目を伏せ、静かに微笑んで見せた。
「改めて自己紹介するわね。 私の本当の名前は、オリカ・スティングレイ―――レーヴァテインの干渉者の一人よ」
向かい合う二人。 互いに自分の姿を眺めているのはやはり不快なのか、なんともいえない表情を浮かべていた。
二人はお互いを避けていた。 それはきっと、直感的に自分を認められなかったからなのだろう。
まだあどけなく、理想を信じていた無邪気な子供の自分を、
理想に押しつぶされ、現実を堅実に生きる手を汚した大人の自分と。
帽子を脱いだオリカは母さんと向き合い、静かに目を細めた。
「あなたが…私」
「そうよオリカ。 私があなた。 あなたもあと六年経てばこうなるわ。 現実に磨耗し、希望を見失いかけた哀れな元英雄にね」
腰掛ける母さん。 インスタントコーヒーを一気に飲み干し、それから静かにため息をついた。
「私はスヴィアと一緒にこことは違う遠い場所からこの世界にやってきたの。 それは一言で言い表す事は難しい場所だけれど、端的に言えば…それは未来ね」
「未来から来た…母さんが?」
「そう、スヴィアと一緒にね。 私たちは未来でもレーヴァテインに乗っていて、ユピテルと戦っていた。 そうして結局過去に戻り、過去を変えることにしたの…その理由は、わかるわよね?」
「…うん」
世界は、滅んでしまったんだ。
人類はオリカ・スティングレイを除き全てが消滅した世界…それが、彼女たちの未来だったのだろう。
様々な戦いがあり、悲しみがあり、犠牲があり、最後にユピテルにたどり着いた時には既に世界は滅んでしまっていた。
だから、買っても負けても負け戦。 彼らはその結末を受け入れず、理想を求めて過去に向かった。
「人類の敗北という運命を変えるためなら何でもやったわ。 人道的にどうかと思う事さえ、率先して手を染めた。 手段を選んでいる余裕も、時間も、私たちには残されていない。 だから戦って勝つためなら何でもした。 だってそうでしょう…? 世界が滅んでしまったら、何の意味もないんだから」
「………」
「もう、ここまで言えばわかるわね? レーヴァテインプロジェクトとは、私とスヴィアが立案した計画よ。 人類を勝利に導くための、完全なる計画書。 未来を予知する人知を超えた人間のね…でも」
くしゃりと、紙コップを握りつぶす音がした。
「私にはもう、スヴィアの気持ちがわからない…。 どれだけ努力しても人類は駄目なのよ。 どいつもこいつも自分勝手で、本当に大切なものがなんなのかまるで判っちゃ居ない…!」
「母さん…」
「…あなたは私たちの希望だった。 私たちにとってはそうね…確かに子供みたいなものだったのかもしれない。 彼との間に、子供を産んでいる余裕なんてなかったから」
何もいえなくなる。 彼女が求めていたのはやっぱりスヴィアで、ボクはその代用品に過ぎない。
彼らはきっと愛し合っていて、けれど離れ離れで少しずつずれていってしまったのだと思う。
世界を守るために誓い合った最後最後の絆でさえ、時間は容赦なくすり減らしていく。
声が聞けなければ不安になるし、触れ合う事がなければ鼓動は実感を失う。 それは、誰にでもありうること。
永遠の愛なんて存在しないように、彼女もまたそうしてゆっくりと疲れ果てていったのだろう。
「話に聞きに来るって事は、大体思い出したんでしょう? スヴィアが過去に何をしてきたのか…いえ、リイド・レンブラムという人間がなんであるのか」
静かに頷いた。
オリカ・スティングレイの未来がリフィル・レンブラムであるように、ボクという存在の未来は…やはりこの世界に存在している。
世界の終焉を良しとせず、摂理に反し人道に反し世界に反すると知っていても、それでも理想の為に全てを犠牲にした男。
「ボクは…スヴィアなんでしょ?」
ボクらはよく似ていた。
オリカと母さんだって、並んで立つことが一度もなかっただけでよく似ている。
似ているなんてものじゃない。 ボクらは同一人物なのだから。
この世界に未来から彼らがやってきたとしても、過去にだって彼らは存在している。
存在の重複。 それは世界に誤作動を引き起こさせる。
全く同じ存在二つが接近し触れ合った時、それは起こる。 互いの記憶と存在の混濁…つまるところ、強制的なフリーズ状態。
思い起こせばボクが倒れるのはいつもスヴィアにあった後の事だ。 そうしてボクはスヴィアから知識や技術だけではなく、記憶さえ受け取っていた。
オリカと母さんも同様だ。 そしてボクらはお互いに世界の摂理に反した存在として通じるものがあり、それが記憶の混濁に影響していた。
「ボクがオリカを知っていたのも…オリカがボクを知っていたのも…。 母さんとスヴィアが、恋人同士だったからなんでしょ?」
「…そうね。 そういう時期もあったわ。 もう随分と、昔のように感じるけれど」
オリカが一人だけずばぬけたレーヴァテインに対する適正を持っている理由。
それは彼女もボクと同じように母さんからレーヴァテインに対する知識などを受け取っていたからなのだろう。
重複した存在は互いに影響を及ぼし、ボクらは記憶を受け取り、彼らは少しずつ忘れていくのかもしれない。 記憶という総量を半分ずつ分け合い続けるボクらは、世界というもののシステム上個別に存在は出来ない。
世界に全く同じ存在が二つあることなど本来はありえないことだ。 だからそうなる事は誰も知らないし予想もつかないしそれは別におかしなことなんかじゃない。
そうして彼らの思いを引き継いだボクらは、彼らの思いに応える義務がある。 スヴィアが望んでいたものを、ボクは少しだけ理解できるから。
常にボクのそばにあり、ボクを見つめていてくれた彼の存在を大切に思う。 その想いや感情はすれ違ってしまったとしても、ボクは彼を理解する。
自らの掌を見つめる。 いつか彼の背中に追いつける日が来ることをボクは信じる。 そしてそれはそう遠くない未来だって、信じる。
「どうすれば…。 どうすれば…ボクは世界を救えるの?」
彼女は答えない。 理由はわからないけれど、きっと答えはわかっていても口にしたくないんじゃないか…そんな風に思う。
自分自身に課せられた運命のあまりの重圧に心が押し負けてしまいそうだった。 そんな時、隣に立つオリカがボクの手をそっと握り締めてくれた。
「…ボクは、この世界が好きだ。 みんなを失いたくない。 たとえ間違いや後悔の繰り返しばかりの世界だとしても、それでもボクはそこで生きていたい」
胸に手を当てる。 全ては今この瞬間の為にあったのだと思う。
後悔はしない。 もう迷わないと決めた。 力が無くても、ボクはやり遂げたい。
「私の一存じゃ、リイドに全てを託す事は出来ないわ」
母さんは立ち上がり、それからボクの肩を叩き、静かに抱き寄せる。
「私は彼につきしたがってここにきただけ。 結局、私に決められる事なんて何もない…。 あなたが考え、自分で決めなさい。 あなたが思っているよりもっと、この世界はもっと、もっともっと、複雑で暗闇に満ちているわ」
「…うん。 ボクが…スヴィアをつれてくるよ。 母さんをこれ以上、寂しい目に合わせないように…」
そっと背中に触れると、彼女は悲しそうに、けれど幸せそうに微笑んでいた。
そのにおいは、やっぱりオリカに似ている。 懐かしさを覚える暖かい感触に別れを告げる。
もう、この町にボクのやるべき事は何もないのかもしれない。
静かに踵を返す。 同様に母さんに背を向けるオリカに、彼女は強い口調で言った。
「そのまま行っても、あなたに幸せな道は残されていないとだけ…忠告しておくわ」
振り返るオリカ。 強い瞳だった。 敵意とさえ受け取れるそれで、はき捨てるように言う。
「私は、私です」
それが全てだった。 他に言葉は何も要らない。
ボクらは背を向け歩き出す。 けれどもボクは足を止めた。
司令部の入り口に、見覚えのある少女が立っていたから。
彼女は包帯の合間から覗く金色の瞳でボクを見つめていた。
「…エアリオ…?」
エアリオは何も言わない。 けれど、ボクはなんとなく理解する。
ここから全てが始まるんだってこと。 ようやくボクは、自分自身の戦いを始める時が来たのだ。
世界の全てを守る事が出来なかったとしても、ボクは自分自身の守りたいものくらい守り抜いてみせる。
そうして静かに彼女に手を差し伸べると、エアリオはボクの手をとり、不思議そうに首をかしげた。
「…誰?」
それが、ボクの夢の始まりだった。