嘘と、真実と(1)
謎の解明が始まるネタバレ編スタート。
エンディングに向け出発です。
「これは…すごいな」
全ては三年前。 地球に墜落した一つの流星から始まった。
淡い光を放ち、翼を広げて堕ちる一縷の輝き。 それが落下した場所…旧日本列島には巨大なクレーターが生まれた。
星を砕く威力を持つ何かの墜落―――それは、天使の襲撃に疲弊した人類にとって興味を引かないはずのないものだった。
そこに真っ先にたどり着いたジェネシスの調査隊の中には、当時はまだアーティフェクタ運用本部に所属していなかったアルバの姿もあった。
その日は丁度雨が降っていて、空は曇に覆われていた。 クレーターに下りていく調査隊に混じって、アルバもその姿を確かに目にする。
それは、巨大な機械の神だった。 宇宙から墜落してきたのは鎧を纏った神―――後にガルヴァテインと呼ばれるものだった。
アーティフェクタという言葉すら知らないただの科学者であったアルバはその姿に衝撃を受けた。 ぼろぼろに破損した肉体はすでに修復を開始し、ひしゃげたコックピットがゆっくりと開いて中から人影が顔を出した。
誰もが銃を構える中、現れたのは青年だった。 いや、少年だったのかもしれない。
まだ幼さを残した顔つき。 スーツ姿の彼は、額から血を流しながら少年を抱きかかえ、立ち上がる。
降りしきる雨に身を濡らし、しかし大事そうに抱えるその腕の中、彼より一回り小さな少年の姿があった。
二人の姿はよく似ていた。 抱えられた少年に上着を着せ、青年は機体から降りる。
ふらつく足取りでアルバの前に立つと、少年を降ろし、自らも倒れそうになる。
あわててその身体を咄嗟に支えたその耳元で、彼は呟いた。
「すぐに手当てをお願いします…アルバさん」
「―――っえ?」
初対面であることは間違いない。 少なくともアルバに、こんな物騒なものに乗り込んだ知り合いなど居なかった。
青年はアルバを信じるように微笑み、自らも意識を失い、大地に伏せる。
警戒する兵士を下がらせ、アルバは直ぐに二人を助けるように指示した。 それがその後、世界の運命を変える程の出来事になる事を彼はまだ知らなかった。
雨が降りしきる星の傷跡―――。 それが、アルバ・アルドリッヒと…スヴィア・レンブラムの出会いだった。
⇒嘘と、真実と(1)
それは本当に唐突に、何の前触れも無く、地上に舞い降りた。
どこから現れたのかも謎。 ただ判る事は、月方面から降りてきたということだけ。 ジェネシスがそれを察知した時には、既に止める事は出来ない場所に迫っていた。
ガルヴァテイン。 それはそう呼称された。 当時まだアーティフェクタというものを人類が扱う事が出来なかった時代、それに乗って現れたスヴィアは非常に重要視されていた。
地上は天使による攻撃を受けていたが、それは現在ほど激しいものではなく、人類は互いにまだ逃げ道を模索している最中だった。
決定的な神に対する攻撃能力を持たない人類が切り札としてガルヴァテインとスヴィアに期待を寄せる事はなんら不思議なことではなかった。
スヴィア・レンブラムはファーストコンタクトから三日間眠り続け、その名前を知る頃には既に墜落からいくらかの時間が過ぎ去っていた。
アルバはそのスヴィアの身体を調査するように命じられ、眠ったままのスヴィアの診断を行った。
そうして驚異的な事実を知る。 スヴィア・レンブラムという人間の形をしたそれは、しかし人間とは全く異なる部分が多すぎる。
機能的には人間に間違いは無い。 しかし人間のようなものであり、人間とは決定的に違う。 その差異そのものは微小なものだったが、その差異の発生している箇所があまりにも多すぎる。
いや、その状態を表現できるだけの文明や言語が人類は発展していなかっただけなのかもしれない。 とにかくそれは、往々にして化け物と呼ばれる身体だった。
傷だらけの肉体は翌日には完治し、急速に体力を取り戻していく。 それだけで最早化け物と呼ぶに値する。
目を覚ましたばかりのスヴィアは複数の兵士に監視された病室で特に何かしらの感情を見せる事も無く、冷静にアルバと向き合っていた。
「スヴィア君…だったかな。 そろそろ話を聞かせてもらえないだろうか」
「構いませんよ。 元よりそのために来たのですから」
スヴィアの言葉の意味は無論誰にも理解出来なかった。
しかしその時迷いの無いスヴィアの口調から、彼は何らかの明確な目的を持ってやってきたのであろう事は明らかだった。
「その前に、一つ。 『彼』と…あと、私の干渉者は無事ですか?」
「ああ、君と一緒にガルヴァに乗っていた二人だね。 二人とも無事だよ。 ただ、まだ眠り続けているけど」
「そうですか」
質問が始まると、スヴィアはそれに答える場合もあれば、答えない場合もあった。
自分がどこから来たのか、という質問には答えなかった。 それだけではなく、自分たちの素性については何一つ答えることも無かった。
しかしガルヴァテインがどんな力を持ち、どのように動かすものなのか、ということについては簡単に答えてくれた。
地上にたどり着いた経緯も、簡単に言えば月周辺宙域で神と交戦し、結果墜落した…という内容だった。
そしてスヴィアは簡単な質問に答えると、直ぐに本題を切り出す。
「私をユグドラシルに連れて行ってください。 それと、今から私の言う名前の人間を探し出してください」
「…それを見つけてどうするんだい?」
「検査するなり何なり調べてください。 結果は直ぐにわかるはずです」
「…君の言うとおりにしよう。 それと、ユグドラシルについてどこで知ったんだい?」
ユグドラシルの存在については誰にも知られていない極秘事項であるべき出来事だ。
優秀な医者兼科学者でもあるアルバでさえ、自らの足元に奇妙な樹があることなどごく最近まで知らない事だった。
外部からの来訪者であるスヴィアがそれを知っているという事は重要な情報漏えいの可能性があった。 しかし、スヴィアは何も答える事はなかった。
素性不明の謎の男、スヴィア・レンブラム。 そんなまず絶対に信用する事の出来ないような男の言うとおりにジェネシスという企業が動いたのは本当に人類が追い詰められた状況に合ったという為だろう。 しかしそれは結果的にジェネシスにこの世界で特別な立場をもたらす事になるのだが。
当時、ジェネシスの社長はカグラではなく、その父のゴウゾウ・シンリュウジであった。 アルバの報告を受けたゴウゾウは、すぐさまスヴィアをつれてユグドラシルに向かった。
果てなく続く無限回廊。 がっしりとした体格のゴウゾウの左右には、狐の仮面を被った二人の護衛が居た。
スティングレイの名を持つ二人の男女。 オリカの両親。 二人はゴウゾウの護衛としてユグドラシルまで同行した。
広い草原。 白い砂の大地。 その空間の景色は時々変化し、心変わりするように見るものを翻弄する。
そのときのその場所は赤い夕暮れの景色であり、草花の生えた緑の大地を踏みしめ、スヴィアは感慨深そうにユグドラシルを見上げていた。
「それで、どうなのだ。 貴様にはわかるのだろう? あれの動かし方も」
ゴウゾウが顎で促す先には壊れ果てた人形のようにみすぼらしく大地に転がるレーヴァテインの姿があった。 スヴィアは両手をポケットに突っ込んだまま、静かに頷く。
「レーヴァテイン…そう呼んでいるのでしょう?」
「そうだとも。 あれは人類が手にした神なる刃よ。 神罰の類を両断する、我らが希望の力。 魔剣…貴様もそれに乗っていたな」
「ええ。 では社長、私が乗ってきたアーティフェクタをここに格納しましょう。 変わりにレーヴァテインを表に出し、運用します」
「可能なのか? あれはわしらがどれだけやっても動かなかった代物だぞ。 木偶にしか見えぬが」
「神を動かす為にはコアが必要になります。 コックピットを作り、人間によって操れる構造にする必要があるでしょう」
「いかにして?」
「私が言う人間を集めてください。 レーヴァテインのコックピットを作れる人間は、私が知る限り一人しか居ません」
そうして計画は動き出した。 その名は、レーヴァテインプロジェクト。
レーヴァテインと呼ばれる巨大な人型兵器を生み出し、人類の切り札とする起死回生の一手。
神々が本格的に地上を侵略してくるよりも早く、それをなさねばならない。 時間に余裕など、わずかばかりも存在していなかった。
スヴィアが指名する人類の切り札を生み出す人間。 それを確認したとき、流石に誰もがそれはありえないと考えた。
それは齢十歳の少年だった。 名前はルドルフ・ダウナー。 ロースクールさえ卒業していない子供。 しかし確かに彼は天才だった。
スヴィアがまとめたガルヴァテインのデータを元に、レーヴァテインに人間が乗れるようにするための仕組みを作り出した。
「元来コイツは、人間が乗るもんじゃない」
コックピット取り付けのため、様々な機材がレーヴァテインの体内に組み込まれた。
それは肉をそぎ落とし、内蔵を引き出すような作業だった。 レーヴァテインは紛れも無く生きている一個の神。 故にそれはそれだけで既に完成している。
「神様ってのは基本的に常に完全だ。 それに手を加えるのは蛇足ってもんなんだろうが、まあ仕方ねえわな」
中に乗る人間を神の一部として組み込み、その眠りを一時的に覚ますというシステム。
人間を代価に、生贄に、神を動かすという仕組み。 それはあながち理にかなっていないわけでもなく、ルドルフによってレーヴァテインは確かに完成した。
もとより美しく纏まったものを弄繰り回し、人間の手によって動かせる形に作り直すという作業だったが。
ユグドラシルの周辺にはレーヴァテインだけではなくトライデントとエクスカリバーの姿もあった。 それらも同様に修復が進められ、ジェネシスは最強の力を同時に四つも所持する組織となろうとしていた。
襲い来る敵はスヴィアが薙ぎ払い、ヴァルハラは安全。 ヴァルハラこそ楽園―――そんな噂が世界を包むのにも、それほど時間は必要なかった。
レーヴァテインの力が無くとも、簡単な天使程度ならば迎撃できる能力を持つヴァルハラという要塞は、それまで以上に強固な城となったのである。
同時期にそれらを動かすパイロット候補として、数名の少年少女がヴァルハラから招集された。
そのリストの中には、イリア・アークライトやカイト・フラクトルの顔もあった―――。
「…どうして、ボクは生きているんだ…?」
額に手を当てながら身体を起こすリイド。 しかし全身に走る激痛で直ぐに倒れこむことになった。
乱れる呼吸。 見上げる視界。 ここはどこだ? という思考が全てを支配する。
そこは白い部屋だった。 牢獄とも言えるだろう。 存在を隔離し、覆い隠す静寂。 ただ一人、ベッドの上で眠っていた。
全身が悲鳴を上げているのを感じる。 ありとあらゆる箇所が壊れ、生きていることにさえ疑問を浮かべる。 それほどまでに、リイドは壊れていた。
冷静になる思考。 そうして全てを思い出す。 ここがどこなのかは相変わらずわからないままだったが、何故ここにいるのかはわかる。
「…エアリオ」
額に手を当て、歯を食いしばる。 強くシーツを握り締めることさえ出来ないほど満身創痍。 強く願う事さえ、今はもう思い出せない。
ただ心の中が静かだった。 冷たく冷え切る鼓動は浅く、あれほど全身を支配していた怒りも今はどこかへ潜んでしまった。
悲しすぎる出来事に直面したとき、人は心を凍らせる事がある。 それ以上傷つかぬようにと、まるで生きるために必要な動作であるように、自然に。
涙も流れない。 ただ静かにそうして見上げる天井は高く、窓はなく、そこがどんな場所なのか全く想像もつかなかった。
結局のところ、自滅しただけだった。 冷静に対処したところで勝機など無かったが―――そういう問題ではない。
自分自身の弱さに、感情に、つけこまれ―――敗北した。 それは自分自身に敗北したということ。 それは何よりも悔しかった。
「暴走、か」
何故まだ自分は生きているのだろう?
思考の行き着く先、しかしそれは不思議なことではない。
常人ならば廃人。 そうならなかったのは何故か。 ぞくりと、背筋に走る悪寒。 自らの存在の異質さを知る。
過去を振り返れば、自分はいつでも異質だった。 それを化け物と言い換えることは、きっと不可能ではない。
傷を負うこともなく、痛みを感じる事もない。 人とは違う肉体―――思えば怪我をしたことなど、一度もなかった。
焼け焦げるように死滅していく細胞の痛み。 全身が死を覚悟する瞬間。 肉体が光になってしまう恐怖。
しかし、ばらばらに砕け散ったはずの身体はまだそこにある。 その心臓はまだ動き、生命の存在を誇示している。
「死んだんじゃ―――なかったのかよ」
天井に翳す掌。 手の甲は今だ焼け焦げ、黒ずんだ細胞が痛々しく血を滲ませていた。
しかし、目を見開く。 傷口は見る見る内に修復され、最も健康な状態…無傷の状態へと一瞬で回復してしまった。
「何だ、これは―――!?」
身体を起こす。 痛みは確かにあるが、全身の傷は見る見るうちに治癒していった。 そんな事はありえない。 致命傷だったはずなのに。
混乱する頭で思い出す。 自分がかつて、ベリルに殴られた時の事を。
あの時も―――怪我は、翌朝には完治していた。
イリアに顔を張り飛ばされた時も、出撃して戻る頃には完治していた。 そう、そんな異常が、当たり前のように繰り返されていた。
フォゾン化しない肉体。 フォゾン化して消え去っても、新たに蘇生する細胞。 自分自身の異常さに、ここにきて気づいてしまった。
ハンマーで頭を強打されるような衝撃。 冷や汗が流れ、掌を強く握り締める。
「こんな…。 嘘だろ…」
震える身体。 恐怖を覚える。 強い、とても強い恐怖だった。
その対象は敵でも神でもなく、自分自身という圧倒的矛盾―――。
「ボクは…『何だ』…!?」
「あなたは、あなた」
顔を上げる視線の先。 エアリオと同じ顔をした少女―――エンリルが立っていた。
純白の髪を揺らしながら一歩ずつ近づいてくるエンリル。 その姿はあまりにエアリオと酷似していて―――一瞬、気が緩みそうになる。
けれど己を奮い立たせる。 目の前にいるのはエアリオではない―――もういない少女ではない。 確かに存在する、全く別のモノだ。
「ティアマト…つまり…お前が乗ってたのか…」
「…」
エンリルは答えない。 後ろで手を組んだまま、静かに伏した瞳でリイドを見つめている。
奇妙な空気が続いた。 リイドは項垂れ、頭に手を当て首を横に振る。
「お前の顔…見たくない。 頼むから、消えてくれ…」
「…わたしを、殺さないのですか?」
「あ…?」
自らの胸に手を当て、エンリルはまっすぐに…リイドの瞳を覗き込む。
「あなたの大切な人を、わたしは奪った」
怒り狂い、その首を絞め殺す。 それくらいされるのが妥当なのだろう。
しかしリイドにはそんなつもりは毛頭なかった。 いや、そんな余裕はなかったと言うべきだろうか。
エンリルの顔を見ているだけで胸の中に溜まって渦巻いている何かが炸裂しそうで、いてもたってもいられなかった。
それに何より、
「出来るわけないだろ…。 ボクに、二度もあいつを殺せっていうのか…」
もう、あんな悲しい顔を見たくない。
エンリルは何も言わなかった。 二人はそうして黙ったまま、視線を交差させないまましばらくの時を過ごす。
「あなたは…」
沈黙を破ったのは、エンリルの声。
「あなたは…まだ、消えてはいけない人だから」
「…ッ!!」
しかし、その言葉はリイドの中の何かに触れてしまった。
「じゃあ…ッ!! エアリオは…ッ! あいつは、消えていい人間だったっていうのかよッ!!! いるかよッ! そんなヤツッ!!!」
消えてしまったら、もう戻らない。
「消えていい人間なんているのかよォッ!!! てめえっ!!!!」
悲痛な叫び…エンリルは目を丸くし、不謹慎な事を言ってしまったと反省した。
息を切らして倒れこむリイド。 腕で視界を覆い、歯を食いしばった。
「ざけんなよ、どいつもこいつも…! 生きてる人間なんだぞ…! 命なんだぞ…! 死ぬとか殺すとか、簡単に口にしやがって…!!」
エンリルにそれを言ったところでどうなることでもない。 そんなことは無論判っている。
「何で殺すんだよ…。 何で死ぬんだよ…。 ボクを…殺すならボクを撃てばよかったじゃないか…」
「………」
止められなかった。 一度流れ出したらそれは止められない。 暴走する心の吐露。 静かに、しかし確かにリイドは絶望していた。
救えぬ命。 自分がどれだけ力を手にしても、守れないものは守れない―――。 力を行使する自分自身の甘さや弱さで、一瞬で全ては台無しになってしまう。
そんな世界。 そんな自分。 森羅万象。
「―――もう、帰ってくれ…。 頼むから…」
祈るような言葉だった。 しかしエンリルは無言でリイドの倒れるベッドに近づくと、その傷だらけの手に触れる。
「あなたに、謝りたくて」
「…」
申し訳なさそうに、静かに眉を潜めるエンリル。 その以外な表情にリイドも言葉を失っていた。
「出来れば、あなたを巻き込みたくはなかった」
「…んだよ、それ」
「わたしも、マスターも、」
「ふざけんじゃねえっ!!」
襟首を掴み上げ、ベッドに引き込む。 額と額がぶつかり合うような至近距離で、リイドは涙を流しながらエンリルに食らいつく。
「許せるかよ、そんな言葉で! 被害者みたいなツラしやがって…くそおっ!! あいつと同じ顔で、そんな事言うなよぉぉぉぉ…っ」
すがりつくように、徐々に力を失い倒れこむリイド。
それを受け止め、エンリルは静かに呟いた。
「…ごめんなさい、リイド」
彼女と同じ、静かな声で。