例え、意味などなくとも(2)
まさかの番外編です。
某所で人気のアイリスの番外編。時期的には多分ジェネシス内部抗争のあとあたり。
あとはもう、色々悟ってください。
私の両目の視力は、2.0だ―――。
アイリス・アークライト
『IF』
⇒例え、意味などなくとも(2)
「あんた…またケンカしてきたの!?」
昔から、他人との対立は多かった。
傷だらけになってたどり着いた我が家。 リビングでテレビを眺めていた姉さんは、いつもあわてて飛んでくる。
私の髪を撫で回し、傷口を見て苦笑に表情を歪め、少しだけ痛む傷口と姉さんの手に私は片目を閉じた。
午後七時のプレートシティ。 母さんの姿はどこにもなくて、姉さんだけが私を待ってくれていた。
昔から姉さんはとてもしっかりしていた。 誰とでもちゃんと仲良くなれて、成績も優秀で運動もばっちり。
そんな姉さんがうらやましくて、大好きで、少しだけいつももどかしい気持ちになる。
ソファに座った私のすりむいた膝に消毒液をしみこませたガーゼを当てながら姉さんは優しく微笑む。
「今度は誰とケンカしたの?」
「…隣のクラスの男子です」
「また男子? いつも思うけど、あんた女の子の癖にすぐ男に突っかかるわよね」
「間違っていると思う事を黙って見過ごすなんて、私には出来ません…」
包帯を巻かれる足。 子供のケンカじゃいつもたいした事にはならないけれど、これはケンカ中に転んでしまった怪我だ。
むしろ相手はいつも私の気迫にひるんで引き下がる。 けれどそれは向こうとしてもか弱い女子に手を上げるのが気まずいだけなのだろう。
私は別に強くない。 力もないし運動は姉さんみたいに得意でもない。 男子となんかケンカになるわけがない。
なのに、口出ししてしまう。 ゴミのポイ捨てからクラスメイトへのいじめ行為まで、私は何一つ許せない。
許せない事が多すぎるんだと自分でも思う。 誰もが見過ごすような細かいことまで私は頭にきてしまう。
気に入らないと口が止まらない。 相手を怒らせる技術だけはいつも一級品で、直ぐに私はケンカになった。
そうするといつも負けて、悔しくて痛くて泣いた。 自分でもわかっている。 私は、泣き虫だ。
悔しいと直ぐに泣いてしまう。 悲しいことやつらい事は耐えられても、悔しい事にだけは耐えられない…自分のプライドが高すぎる事も判っている。
泣き顔を見たら姉さんはすぐに私を守ってくれるだろう。 だからそれが嫌で涙が止まるまで一人で泣き続けた。 後者裏の物陰で膝を抱えて泣く。 その間は誰にも邪魔されず、心配されることもない。
姉さんはいつもそうだ。 私を守ってくれる。 今もこうして余裕で『仕方ないなあ』なんて顔をしているけど、本当はすごく怒ってる。
包帯を巻く手が微かに震えていた。 私は申し訳なくなって、それ以上なにもいえなかった。
翌朝、家には姉さんの姿がなかった。 母さんは早くに家を出て仕事に行くが、姉さんはきまって私を待っていてくれる。
その姉さんがいないことを私なりに納得し、制服に着替えて学校に向かう。
まだ小学生だった私にとってこの世界はあまりに広くて、姉さんはあまりに頼りになって、あまりに遠い存在だった。
校門に続く坂を上ると、入り口には姉さんとカイト、それとベルグが立っていた。 三人とも少しだけ汚れていて、その足元には昨日私を泣かせた生徒たちがしょんぼりしながら正座していた。
「アイリス!」
姉さんが一番傷だらけなのは、姉さんがほとんど一人でやっつけてしまったからだろう。
二つ年上の姉さんはいつもとても強くて、私が追いかける間も、休む間もなく全てを解決してしまう。
ブイサインを作りながら無邪気に笑う姉さんの笑顔。 ありがたいけれど、それは少しだけ寂しかった。
当時、私はまだ十一歳で。 レーヴァテインとか、天使とか…そんなことはまだ知らなかった。
けれど姉さんはそれからしばらくすると家を出て、私は母さんと二人きりになってしまった―――。
いつでも追いかけていた姉さんの姿が見えなくなったとき、私は何故か少しだけ安心した。
どうしても追いつけない姉さんの姿は、鏡を見るといつもそこにあった。 私の姿は姉さんにあまりにも似すぎていて、なんだか好きになれなかった。
何もかもで自分より優れている姉さん。 華やかで人気者で、強くてかっこいい姉さん。
私も、あんなふうになりたいのに。
大好きなのに鏡を見ていると苦しくて、何故かひどく寂しくなった。 そんな風に思う自分自身が情けなくて、少しでも姉さんとは違う分野で活躍しようと努力した。
だから姉さんよりよっぽど勉強は出来たのに、どうしてかそれでも胸の痛みは治まらず、つかえは取れないままずっと私を苦しめ続けた。
何故そんな事を思い出したのか。
「アイリスって、視力いいよね?」
時は進んで三年後。
姉さんと同じ道を選んだ私は、姉さんのいなくなった世界を生きていた。
リイド・レンブラム先輩。 一度は憎しみの対象とし、自分の弱さをぶつけて甘えていた人。
姉さんがホルスという神のコアにされ、本当にこの世からいなくなってしまってから数日。
ジェネシスの内部紛争の影響は無論私たちにも及んだ。 母は今頃どうしているのだろうか気になっていたけれど、それを誰にも問う事は出来なかった。
丁度その時、私は自分自身の弱さと無力さに酷く落ち込んでいて、シャワールームの鏡を見つめながら物思いに耽っていた。 すると背後から突然声がかかり、鏡にリイド先輩の姿が映りこんだのだった。
「いっ!? なっ…何してるんですか!?」
「え? 何って…ここのシャワールーム男女共用でしょ」
訓練室の隣にあるシャワールーム。 共用スペースは鏡とドライヤー、化粧台などがあるここだけで、あとはシャワールームごとにちょっとした個室のようになっている。
それはともかく、突然目の前に現れた先輩の姿に気が動転していた。 顔が赤くなるのを感じてそっぽ向くことにした。
「…どうしたんですか? エアリオ先輩と訓練してたんじゃ」
「うん。 でもあいつはなんか用事があるってどっか行っちゃったから。 ボクは暇になったから、シャワー浴びにね」
うん。 まあ、そりゃそうだよね。
急に二人きりになると言葉に詰まる。 なんだかついこの間、先輩とちょっとしたいざこざがあった気もするし。
一緒に訓練しようと誘ってくれた先輩の手を思い切り弾いてしまったのだ。 我ながらどうかしてる。
本当は嬉しかったのに、どうして素直にそれを受け入れられないのだろう? 姉さんに抱いていたもやもやした気持ちと同じく、心と身体はいつも矛盾する。
手にした眼鏡。 先輩の指摘どおり、私の視力はいい。 両方2.0だ。 眼鏡なんて必要ない。
「いつから気づいてたんですか…?」
「んと、割と最初から…」
「そうなんですか」
かわいらしいウサギのレリーフが刻まれた木製のケースに眼鏡をしまう。 鏡に映る自分の姿は、まるで姉さんそのものだった。
姉さん。 私の中にある姉さんのイメージは、丁度今の私くらいの歳で止まってしまっている。 姉さんが家を出て行ってから、会える機会はそう多くなかった。
会ったとしてもなかなか近づけないでいた私たちの仲は少々ぎくしゃくしていたのかもしれない。 今思えばもっと様々なことを話しておけばよかったのに。
鏡に向かって伸ばす指先。 触れた冷たい感触がもう姉さんはそこにいないんだと教えてくれる。
「どうして眼鏡かけてるの? それ、伊達でしょ」
「伊達です。 でもこれは…大事なものですから」
そっと両手を添えるケース。 それは、姉さんから私に贈られた最後の贈り物だった。
二年前の誕生日。 姉さんが買ってきてくれたのは、何故か伊達眼鏡で。
かわいらしいケースは姉さんの趣味でもなければ私の趣味でもないのに、姉さんは笑って私に手渡すのだ。
その笑顔がとても素敵で、断れない。 真っ黒で地味で無難なデザインでいいのに。 姉さんはいっつも派手だ。
自分自身の真紅の髪も本当は好きになれない。 きれいだとは思うけれど、私は姉さんみたいに輝いて生きてはいけないから。
「眼鏡、似合うと思うわよ」
姉さんはそんな事を自信満々に言う。
少しだけおしゃれなデザインの眼鏡。 かけてみても視界は濁らず、ガラス越しの世界はそれでも少しだけ明るくなった気がした。
鏡に映った自分の姿は姉さんよりも少しだけ内向的な自分を顕示しているようで、馬鹿馬鹿しいけれど、少し嬉しかった。
姉さんが、『私は私でいいんだ』って言ってくれているような気がして、幸せだった。
「いつもそばにいてあげられなくてごめんね」
私を抱き寄せながら姉さんはそんな事を囁く。
「つらい時はいつでもどこでも飛んでいく。 アイリスを悲しい目になんか、絶対あわせないから」
姉さんのにおいはとても優しい。
だから大好きだった。 何故こんなにも大事だと思うのに、そう思うほど心を開け放つ事が出来ないのか。
けれどこの眼鏡をかけていれば、私は姉さんとは違って良いんだと思える。 姉さんにそれを肯定されている気がした。
「可愛い可愛い妹のためだもんね。 あたし、これからも頑張るよ―――だから、泣くんじゃないってば」
度の入っていないガラスのはずなのに視界が滲んでいた。
すがり付いて頬を寄せると、姉さんは優しき抱きとめてくれていた。
私たちの父親はとっくにこの世にいない。
母親はいつも私たちの事は気にせず、仕事に没頭している。
私たちはいつも二人だった。 片方いなければ一人だった。 だから互いが大事で、私たちは互いを縛り付けていた。
姉さんは私がいればどこにもいけなくて。 私は姉さんがいたらどこにもいけなかった。
姉さんはそのことも知っていたのだと思う。 家を出て行く彼女の最後の笑顔は、酷く寂しそうだったから。
その笑顔が頭に張り付いてとれない。 今もまだ、胸にずきずきと微かな痛みだけが残っている。
鏡に映る自分の姿が好きになれた。
なのに今は、また自分が好きになれないでいる。
どうしてこんなにも自分が嫌いなのかわからない。 苛立ちの正体がわからない。
何故こんなにも、素直になれないのか。
「それじゃ、ボクはもう行くよ…。 なんだかお呼びじゃなさそうだしね」
「あ…っ」
去っていく背中。 いつでも私は誰かを追いかけて、その背中が離れていくのを見ているだけ。
気づけば身体が勝手に動いていて、先輩の手を強く握り締めていた。
いかないで。 そんな風に思ってしまう。 何故だかわからないけれど、もう手放したくない。
いつか貴方もどこかへ消えてしまうのではないか。 そんな不安が脳裏を過ぎり、上手く喋れなくなる。
先輩は振り返る。 意外そうな表情で。 私はゆっくりと指先から力を抜き、首を横に振る。
「―――何でもありません」
ああ。
行かないでってどうしていえないんだろう。
一緒に訓練したいのに。 一緒に食事したいのに。
ああ。
馬鹿だ、私は―――。
「あのさ」
なのに、彼は私の手をとり困ったように笑う。
「よかったらこの後、ご飯でもどうかな…?」
「――――――っ」
くそう。 なんだそれ。
反則だ。 反則だ。 反則だ。
何で貴方はいつも、私の望んでいる事を、平然と叶えてくれるのか―――。
苛立ちの正体はよくわからないけれど、いつしかその背中に姉さんの面影を重ねていたのかもしれない。
私はまだ子供のままで、何一つわからないままで、それでも―――。
「…少し、くらいなら」
無邪気な笑顔を浮かべる先輩の姿が、あの日の姉さんを思い出させる。
それでも、少しくらいなら。
甘えてしまえる。 嫌な自分を忘れて、もう少しだけ。
けれど思ってしまう。
彼が望んでいるのは、私に見ているのは、姉さんの面影なんじゃないかって。
自分も同じ癖にそんな事を考えては悲しくなる自分がいる。
眼鏡はやっぱり、つけたままでいよう。
そうしている間は姉さんにも、先輩にも、自分の居場所を保障してもらえる気がするから。
これからどうなるのかはわからない。 何が起こるのかもわからない。 けれど―――。
どうか、いなくならないで。
私はただそれだけを、願い続けます。
もう超えられない背中を思い出すのは、もういやなんです。
だからどうか。
いなくならないで―――。
手をつなぎ歩く道。 少しだけ縮まった私たちの距離をあらわすように、肩が少しだけ触れて、直ぐに離れた―――。
好評ならまたなんかやってもいいんだけど…。
一時間くらいで書けるから楽だしね…。