偽りの、感情(1)
二話スタートです。
「それじゃあカイト君、身体を楽にしてくれ」
「はい」
ジェネシス本社には様々な施設が存在する。
例えばレーヴァテインの戦闘行動をサポートする司令部。 レーヴァを格納するハンガー。 武器、装甲などの生産工場。 社員の一時的な生活の為の部屋や食堂、シャワールームなど最低限の生活必需施設。 そして、精密検査が可能な最新の設備を取り揃えた医療施設。
カイト・フラクトルがそこに来るのはおよそまる一月ぶりのことだった。 理由は様々だが、彼があまり検査などを好まない事が最大の理由だと言えるだろう。
検査台の上に腰掛けながらシャツをはだけるとジェネシスお得意の精密機器たちが身体につながれていく。 痛みは無いのだが、中々盛大な違和感があった。
「毎度毎度これだけは慣れないぜ……」
「他のところではやらないような検査だからね。 それじゃあちょっと待ってて」
端末を操作しながら肉体の構成情報を調査する医師。 無精ひげと一応括られてはいるもののぼさぼさに伸びきった髪からしてあまり爽やかな印象はもてないが、彼がレーヴァテインのパイロット――通称『適合者』専属の医療スタッフである。
名前はアルバ・アルドリッヒ。 少年少女で構成される適合者たちと比べると随分と歳が離れているのは言うまでも無い。
カイトはアルバという人物自体は気に入っていたのだが、検査のたびに自分の生態構成を調べられるとなるとここを敬遠してしまうのも仕方のない事なのかもしれない。
しばらく調査が続き、いてもたってもいられなくなったカイトが口を開く。
「アルバさん、どんなカンジだ……?」
「ふむ……」
少々険しい表情だった。 その表情にカイトは思わず息を呑む。
しかし端末から顔を上げたアルバは優しく微笑み、
「一ヶ月も検査に来なかったからどれだけ悪化しているものかと冷や汗モノだったけど、これならどうやら大丈夫そうだ」
「マジっすか!? うお〜〜! こええ〜〜〜……いっつもおっかねえんだよこの瞬間……」
「ただし相変わらず君の構成情報の連結が緩くなり始めているのは変わらない。 ただ、新しい適合者の彼……リイド・レンブラムが仲間に加わった以上、君が一ヶ月か二ヶ月の間出撃を控えていれば順調に回復すると思うよ」
「一月二月か……そんなに休まなくちゃいけないのかよ」
「本来ならばもう戦闘行動は継続不能な筈だ。 まだ戦えるだけありがたく思わないとね。 君も、僕たちも」
適合者である以上、その肉体への付加から開放されることは出来ない。
しかししばらくの間身体をレーヴァと接触させて休み続けていれば回復する。 それはカイトにとって希望の言葉だと言えた。
彼にとって戦えなくなるという事は自らの死よりも重い意味を持つのだから。
「当分はリイド君に任せるとしよう。 それじゃ、検査終了。 もう上がって構わないよ」
機器が片付けられ服を着る。 しかしカイトは部屋を出て行こうとせず、黙って椅子に座り込んだままだった。
アルバがその様子に気づき、正面から向き合って微笑むとカイトも意を決したのか口を開き始めた。
「あの……差し出がましい事かも知れないんスけど……」
「なんだい?」
「イリアの事なんですけど……あいつ、大丈夫なんですか?」
「その質問は漠然とし過ぎていて答えに困るけれど……恐らく君が言う『大丈夫なのかどうか』と言う事であれば、君同様休んでいれば回復する問題だよ」
「そうですか……。 それじゃ上がります。 あの、イリアのことでなんかヤバいってわかったら――、」
「真っ先に君にも知らせよう。 安心してくれ」
「はい! ありがとうございました!」
深々と頭を下げて部屋を出る。
そうして医務室をカイトが出て行くのを確認するとアルバは溜息をついて先ほどの検査の結果を吟味し始めた。
誰もいない部屋で一人端末を操作し続け、表情を険しくしていく。
「肉体情報の欠損……治るかどうかは怪しい所だな……」
しばらくその情報とにらめっこを続けた後、デスクに設置されていた電話を手に取る。
「ヴェクター。 医務室です。 少しカイト君の体の事でご相談したいことがあるのですが――」
自らに起きている異変に気づきもしない少年は一人ジェネシスの廊下を悠々と歩いていく。
今日の昼食は、イリアに何を作ってやろうか……そんなことを考えながら。
⇒偽りの、感情(1)
僕の世界が変わってはじめての休日は、朝からてんてこ舞いだった。
まずは一番最初から説明するとしよう。 まず目覚めてベッドから出て着替えを済ませて部屋を出たところで問題が発生した。
何も考えず寝ぼけ眼で廊下を歩いていると何かに躓いて盛大に階段の上から下までストレートに転落してしまったのである。
相当痛かった上本気で死ぬかと思いながら何に躓いたのかと階段を上って確かめると、そこには――、
「エアリオ……!? なんで廊下で寝てるっ!!」
「んう?」
いやいやいや。
エアリオと奇妙な共同生活が始まって数日が経過したのだが、一つだけ判った事がある。
せっかく部屋を用意してやっても、こいつは眠くなるとその場で寝付いてしまうというとんでもないクセがあるのだ。
パジャマのまま廊下でぶっ倒れているところを見ると、恐らく部屋に向かう途中で力尽きたのだろう。 昨日は階段で志半ばに倒れていたので、階段から二階まで移動距離が伸びた分進歩といえないことも無いのかもしれない……。
何はともあれエアリオの朝は壮絶だ。 まず、起きているのかまだ寝ているのかさっぱり判断出来ない。
「んう……」
「ほら、階段だぞ……階段! しっかりしろー……」
うつらうつらしながら目の前で階段を降りられるのがこんなに心臓に悪いものだなんて思いもよらなかった。
普段なら学校に通うためさらにバタバタしているのだが、今日が休日で本当に良かったと思う。
わざわざ手を引いてやってダイニングに降りるわけだが、エアリオはまだうつらうつらしているので放置しておくと床の上でぶっ倒れて眠り始める。
なので必死で声をかけたりテレビをつけたりしながらエアリオの興味を現実にひきつけつつ朝食を用意。
と、このあたりでだんだん腹が立ってくる。 何故に居候の面倒をここまで見てやら無くてはならないのか?
いくらレーヴァという力を操るためのデメリットとは言えこれはあんまりだ。 訓練で時間が取れないとかならともかく、何故介護しなければならないのか。
腹が立ったので背後からエアリオの肩を掴んで激しく揺さぶりまくる。 目を真ん丸くして驚いてボクを見ていたら作戦は成功だ。
「起きたか? ったく、あんたの神経を疑うよ……」
何故人の家でそこまでだらける事が出来るのか……そして何故ボクはエアリオの分まで食事を用意しているのか……。
まあ一人分作るのも二人分作るのも大して差はないし……あくまでついでなのだから特にこれといってどうにかしたいほど不服でもないのだが。
朝のエアリオは目が覚めても色々と酷い。 寝癖はぼさぼさにも程があるし、パジャマのまま一日中うろつきそうな勢いだ。
さっさと食事を終えるとパジャマを洗濯してしまうためさっさと着替えさせる。 ちなみにこいつはどこでも急に着替え始めるので注意が必要だ。
洗濯機を回してダイニングに戻るとニュース番組を真面目に見ているエアリオがいる。 ここまでくれば大分意識もはっきりしてきているのだろう。
ようやくボクは今日一日の予定について話し合う事が出来ると判断し、隣の席に座った。
「それでエアリオ、今日はどうするんだ?」
「どうするって……?」
「レーヴァに乗る以上、こう、パイロットとして色々訓練があるとかさ……。 秘密のアイテムの授与があるとかさ?」
「そんなものはない。 秘密のアイテムなんてものはもっとない。 それをリイドが言い出した事が凄く意外。 非現実的すぎる」
そこまで完膚なきまでに言われるとは思っていなかった。 無論冗談なのだが、そこまでいうか普通?
「でも訓練はしたほうがいいんじゃないのか……?」
「それはそう。 でもリイドがしたいといわない限り、わたしは訓練なんて持ち掛けない。 わたしはリイドの命令に従うだけ」
―――わたしはあなたの命令に従うだけ。 あなたが死ねといえば死ぬし、生きろといえば生きる。
「――――っ?」
脳裏を過ぎった言葉。 ソレは確かにエアリオに言われた言葉のような気がするのに、どこで聞いたのかが不確かだ。
エアリオに会ったのはあの日、クレイオスに襲われた日・・・それ以降のことは記憶にあるのだから、その日だと思うのだけれど・・・。
「……ま、いっか。 そういえばあれからジェネシス本部に行ってないけど、行かなくていいの?」
「確かにそろそろ受け入れの準備が出来ているかもしれない。 スタッフとの顔合わせも完全ではないし」
「じゃあ本社に行ってみるか。 スタッフとかと顔あわせなきゃいけないのは面倒なんだけど」
そもそもレーヴァについてもまだ何も教えてもらっていないわけだし、やはり最低でも一度は顔を出しに行く必要がありそうだ。
そんなわけで早々に仕度を済ませると午前中の賑やかなシティを抜け、ジェネシス本社直通のエレベータに乗り込む。
以前から町のあちこちにあったそれだが、社員のみ使用が許されており、ジェネシス社員ではなかったボクにしてみればあってもなくても同じシティの背景の一部だった。
どうやらエアリオは既に社員として登録されているのか、網膜認証であっさりエレベータは動き出した。 あとはこの間のホールまで一直線だ。
特に会話も交わさずホールに入る。 確かに今日は休日のはずだったが相変わらず人気は全くない。
妙に自分の靴音が響き渡るホールを歩き、司令部に向かっていく。 エントランスから司令部までは一直線なので迷いようもない。
司令部に先日のような喧騒はなかった。 数人のオペレータが何やら作業を進めているだけで、あの時の緊迫感は感じられない。
「ま、普段からあんなんだったら困るけど」
ぼやきながら上を見上げるとそこにはヴェクターとかいう男が何やらにこにこしながら手を振っていた。
「こんにちは〜〜リイドく〜〜ん! 元気でしたか〜〜?」
職員の視線が全てボクに集中する。 恥ずかしいからそういうのはやめてほしい。 さっさと階段を上って最上部に向かう。
どうやらこのヴェクターとかいう男が高い立場にいる人物で、この司令部で最も高い場所であるここに席があるのはそうした理由なのだろう。
相変わらず本心の見えない怪しい笑顔で近づいてくると、コーヒーカップを片手ににこやかに肩を竦めた。
「中々会いに来てくれないので寂しかったところですよ。 ようこそジェネシス本社へ」
「……」
「だんまりですかー。 随分嫌われてしまっているようですね。 ウッフッフ!」
嫌いとか嫌わないとか以前にどうにもこいつには心を開いてやる気にはなれない。
仕事上仕方がなく付き合うのであれば構わないけれど……それ以上係わり合いにはなりたくないタイプだ。
「まあ掛けて下さい。 とりあえずこちらが用意しておいたリイド君用の契約書類、それからジェネシスの制服、IDカードです」
「ちょ、ちょっと待ってください……!? なんですかこんなにごっそり!」
予め用意していたらしい大量の書類とジェネシスの社員用制服、そして最新鋭のIDカードがデスクに並べられる。
「実際にサインしてもらうのは一番上の書類だけなので安心してください。 それとこの契約書類の内容を簡単に説明しますと、リイド君はジェネシスの社員として我が社と契約する、という内容になっています。 詳しく説明しますと、あなたはレーヴァに乗って敵と戦う事を代価に毎月の特別給与とジェネシス本社施設への自由な立ち入り、施設の使用が認められます」
成る程。 つまりカイトやイリア、エアリオもジェネシスの社員と言う事になるのか。 そしてボクも同様だと。
「これを拒否したらどうなりますか?」
「ふむ、拒否されちゃうと困りますねえ。 なにせレーヴァの適合者は滅多にいないもので……。 まあこちらはとっても困ってしまう、ということですかね」
「レーヴァの所有権はやはりジェネシスが保有しているんですか?」
「その通りです。 他の国家などにその存在を秘匿し、レーヴァを専有しています。 一般市民にも公開していない我が社最高の『商品』です。 無論我が社の所有物である以上、契約書にサインし社員となっていただかない限りレーヴァをお預けする事は出来ませんねえ」
まあ当然だろう。 部外者に好き勝手レーヴァを動かされたらジェネシスとしてはたまらないだろうし。
しかしこれはどちらかというとレーヴァに乗って戦うという過酷な環境に対する代価をジェネシスが支払う為の契約だろう。 つまり希少価値の高い適合者を戦いに赴かせるための契約だと見てまず間違いない。
そうなればこの契約に従わないのはむしろ損だ。 怪しい契約書ではあるが、ざっと読んだところ戦闘中にレーヴァで市街地を破壊してしまっても超法規的措置で許される、みたいな内容なので適合者を擁護するためのものということだ。
サインをしながら思考を続ける。 ジェネシスは企業であると同時に政府でもある。 これで政府の保証の上で好き勝手暴れられると、そういうことになる。
「はい、結構です。 ようこそジェネシスへ! 改めて自己紹介しましょう、私がここの副指令、ヴェクターです。 どうぞよろしく」
胡散臭い笑顔と共に握手を求められる。
私はヴェクターですと言われてもどう考えてもそれは名前ではないだろう。
「……リイド・レンブラムです。 あの、ヴェクターっていうのは?」
しぶしぶ握手に応えると、ヴェクターは何度か軽くつないだ手を上下させた。
「私の愛称みたいなものですかね。 ヴェクターと呼び捨てにしてくれて結構です。 既にヴェクターという言葉そのものに敬意の意味が込められていますので」
「はあ……。 わかりました、ヴェクター」
軍隊の階級みたいなものなんだろうか? よくわからない……。
「皆さんは社員と言えど特別な立ち位置ですので制服の着用はしなくても結構です。 特に学校で多くの時間を過ごす皆さんはいちいち着替えている暇なんてありませんからね」
それはそうだ。 この間は学校が終わった時間だったからよかったものの、昼間に敵に来られたらボクらは学校にいるはずだ。
一々着替えろといわれてもそんなことが出来るはずがない。 それに別にこの間学校の制服のままレーヴァに乗り込んでも大して問題はなかったし。
特に制服について気にしなくてもいいのはエアリオが私服でここに来ていることを見れば一目瞭然だ。 とりあえず受け取るだけ受け取っておこう。
「そちらのIDカードがあれば本社内の様々な施設を無料で利用する事が出来ますし、食事もタダですよ? ガンガン使っちゃってくださいね」
「は、はあ」
「レーヴァの適合者は繰り返し言いますが貴重なんです。 途中で投げ出したり逃げ出したりしないでくださいよ?」
「誰がそんな事……。 ボクは降りろって言われてももう降りませんよ」
「それは結構! それでは色々とご説明せねばなりませんねえ……。 あー、ユカリ君!」
上から声をかけられた一人のオペレータが階段を上ってくる。
ジェネシスの制服に身を包んだ女性だった。 短い髪からイヤホンを外してボクの前に立つ。
「彼女が一応レーヴァとコンタクトを取る管制官のユカリ・タリヤ君です。 今後レーヴァで行動中にサポートしてくれるので仲良くなっておいて損はないですよ。 何より美人ですしね、ウッフフ」
「ヴェクター! もう、子供相手に……! あ、ごめんなさい。 私が貴方達の担当になるユカリ・タリヤよ。 この間の戦闘データは見せてもらっているわ。 素晴らしい才能ですね、リイド君は」
「はあ、どうも」
人懐こい笑顔だった。 大人の女性とまともに口を利いたことがないせいか、なんとなく物怖じする。
「そんなに緊張しなくて大丈夫よ? とりあえず仕事があるから今は失礼するけど、ヴェクターの言う事は話半分くらいに聞いておくのよ?」
「……わかりました」
その言いたいことは良く分かる。 この男の話を全部真に受けていたら非常に疲れそうだし。
階段を降りていくユカリさんを見送るとヴェクターはポンと手を叩き、笑顔で振り返った。
「さて、では他にも会っておかなければならない人たちに会うとしましょうか。 それとレーヴァの説明も必要でしょうし」
司令部を後にすると入り組んだ本社の中を歩き回っていく。 相変わらず社員らしい人物には一人として遭遇しない上に入り組みすぎていてもう自分がどこをどう歩いてきたのかさっぱりわからなくなっていた。
「さて、歩きながらご説明しましょうか。 ではリイド君、あなたはレーヴァテインがどんなものであるかご存知ですか?」
「――それは、」
レーヴァテイン。 それがあの巨大ロボットの名前なのはわかっている。
あれを作ったのがジェネシスなのかそうでないのかはともかく、今はジェネシスが保持している。
そしてレーヴァテインは空から襲ってくる敵と戦うために生み出されたもので、あれらに対抗できる戦力を有している。
ボクがしっていることといえばそれくらいだ。 レーヴァについて理解していることはそう多くない。
「レーヴァは神を倒す兵器――そう、認識しています」
「ふむ、それは正解です。 それ以上でもそれ以下でもないわけですからね。 では秘匿情報である神について少しご説明しましょう」
神という存在はヴァルハラにいる人間ならば誰もが知っていることだ。
しかしそれを実際に目撃した人間はおらず、地上までそれらがやってくる事も今までなかった。
「発端は月面でした。 人類は当時フォゾン技術の開発により月面への移民計画は爆発的に進歩しました。 人類はフォゾンの力を持ってして大空を制覇し、宇宙もまた非常に近い物としたのです」
元来宇宙というのはそう易々といける場所ではなかった。
それをこのヴァルハラはあっさりと打開している。 中央部に配備されたカタパルトエレベータならば、一発で宇宙にレーヴァを放つ事が可能だ。
他にも人昔前には同様のエレベータ施設や簡易的な宇宙旅行船も開発されていたと聞いている。 宇宙は人類にとって『遠く』ではなくなったのだ。
「月面のテラフォーミングは順調でした。 フォゾンは生命のいる地上でなければ非常に濃度が薄いのはご存知ですね?」
「はい。 フォゾンは大気中に漂う気化物質のようなもので、樹木を筆頭に生命体が発生させるものですから」
「ほお、よく勉強していますね。 そう、フォゾンは人類にとって最新鋭のエネルギーではありますが、それは地球という自然環境化においてようやく実用可能な濃度なのです。 宇宙空間や月面に生命が存在しない以上、フォゾン濃度は非常に薄い。 そこで月面でも地上と同様の生活をするために、テラフォーミングでは地質改造や植林など、とにかくフォゾン環境を安定化させることが第一とされました」
フォゾンは今や電力と並ぶほど人類にとって必要不可欠なものになりつつある。 特に地上を離れより過酷な状況である月面下での人類の活動によりいっそうフォゾンが必要なのは当然の事だろう。
地球から一々持ち出していたらそれは完全なテラフォーミングの成功とはいえないし、自給自足が可能になるようにするのは当然の流れだ。
「で、実際に計画は成功して地質改造と植林により月面にもいくらかフォゾンが満ちるようになったわけです。 でもそれがきっかけでした」
「きっかけ……?」
「月の地下から突然異形の怪物が現れたんですよ。 テラフォーミングのため地下の研究は進んでいたので奇妙な空洞があることは研究者達も理解していたのですが、そこにまさか先客がいるとは思っていなかった。 地下はフォゾンを生産し温存するのに有効な場所だったので、そこでフォゾンを作りまくったわけです」
「そしたら化物が――そうか、あいつらはフォゾン生命体なんですね」
「つくづくお勉強が進んでいるようですね。 その通り、彼らはフォゾンにより肉体を構築し、生命活動を維持する生き物なのです。 地下でのフォゾン開発は彼らの目を覚ます結果になり、活動再開した化物たちによってテラフォーミングは失敗。 月面は完全に連中にのっとられ、生存者はゼロ。 故にあそこが今どうなっているのか、生産プラントがどうなっているのか、誰にも何もわからないのです」
「その化物が神とか天使と呼ばれているものですね」
「その通り。 連中の行動は迅速でした。 理性があるのかどうかはいまいち判っていないんですが、周囲の宇宙施設をすべて破壊し地球に攻め込んできたわけです。 こうして人類と神――まあ宇宙人みたいなものですね。 異種生命体との戦争が始まったわけです」
人類はお陰で宇宙での覇権を完全に失い、空からどこにでも飛来する敵との戦争に非常に苦戦した。
お陰でいくつかの大陸は連中に奪われ、戦争は今でも世界中で進んでいる。 世界が滅ぶかもしれないという状況であることは、無論誰もが理解していることだ。
しかし全くこの町の人々がそんなことは関係なしというように能天気でいられるのはこの町が被害に全くあっていなかったからだ。
この町はジェネシスによって防衛されている。 様々な防衛システムとロボットの存在が住人から危機感を奪い去っていた。
そしてこの忌まわしい敵の存在が、大空と宇宙での人類の権利を無作為に略奪したのだ。
通常の航空兵器ではあれらには立ち向かえない。 むしろ連中は地上のほうが苦手なのだ。 空で戦うよりも地上から迎え撃つ方が効率がいい。 そうした理由もあり、今や空を飛ぶ機械など殆ど世界中から失われてしまったと考えていいだろう。
そうした事情は空に憧れるボクとしては無論知っていたし、下調べは十分だった。 しかし改めて考えてもすごい状況だ。
「宇宙に行こうとするだけで迎撃される現状では人類は守りを固めるしかないわけですが、連中は月からどんどん来ますからねえ。 それらを撃退するための町が要塞都市ヴァルハラであり、レーヴァテインなのです」
「それはわかりましたけど、レーヴァは結局何なんですか?」
「我が社の商品としか言えませんね。 ただまあ、その性質はいくつか理解しておいたほうがいいでしょう」
そうして長話を続けているといつの間にか広い倉庫……つまり、ハンガーに出ていた。
そこにはレーヴァがあの時のまま、灰色の体でそこに立っていた。
無数のケーブルがレーヴァにつながれ、機械油と血の混じったような奇妙な匂いが充満している。
「さて質問です。 神や天使が人類にとって脅威なのは何故でしょう?」
「え? ええと……?」
いきなり言われるとちょっと戸惑う。 とにかくやつらに人類は勝てないんだ。 それは何故か?
先日、一瞬で人々を惨殺した天使の力を思い返してみる。 あの時放たれた光――つまり、
「ああ……連中がフォゾン生命体であり、フォゾンを武器として扱うから、ですよね」
「その通りです。 実に素晴らしい」
人間もまたフォゾンを必要として生きる生き物だ。 酸素が無くなれば死ぬように、フォゾンが無くなれば人は死ぬ。
しかし連中はそれとは全く別だ。 構成物質がすべてフォゾンなのだ。 フォゾンは本来目には見えない気化エネルギーであり、『生命体になる』なんてことは考えられない。
考えられないのだが実際そうなのだから仕方がない。 どういう構造なのかは知らないが、連中はフォゾンそのもので構成されているエネルギー生命体なのだ。
高濃度のエネルギーの塊である連中に物理的な攻撃はあまり意味がない。 燃え盛る炎の渦にマッチを投げ込んでも意味が無いとの同じだ。 やつらは物理的な破壊概念で倒せる相手ではない。
故に無敵。 いくらミサイルを撃ち込もうが刀で切ろうが傷一つ負わせる事は出来ない。 有効なのは同じくフォゾンを内蔵したフォゾン弾頭による攻撃だが、それはまだ人類全体が手に出来るほど復旧しているものではない。
そして同時に連中は周囲のフォゾンを操り武器化したりすることも出来る。 まあ厳密に言えば自分自身の一部にしてしまうわけだけれど。 この間の戦闘で見た感じ、フォゾンそのものを速射することにより生命体だけを殺す事も出来るようだ。
戦闘機で近づこうが音速でフォゾン波動を広域照射されたら機体は無事でもパイロットはぐしゃぐしゃになる。 やつらは殺人のプロってことだ。
守ってよし、こちらはどんなに逃げても隠れても殺される。 これじゃ勝てるはずがない。
「でもレーヴァは神に対して有効なダメージを与えられていました。 ということはレーヴァも、フォゾンにより武装するんですね」
「その通りです。 レーヴァは今そこにある状態、つまり待機状態の場合、通常兵器同様、天使や神に対し有効な攻撃手段を持ちませんし、攻撃されれば一発でパイロットは即死です」
確かに見たところ全くフォゾン武装らしいものはうかがえない。
しかしこの間は確かに空を飛んでフォゾンの装甲をまとって弓矢まで構築したはずだ。
「レーヴァは適合者と干渉者――つまりパイロットとパートナーが搭乗して始めてフォゾン武装を展開します。 フォゾン装甲は敵のフォゾン攻撃を打ち消しますし、装甲で敵を殴れば物理ダメージも与える事が出来ます。 神同様周囲のフォゾンを自らの一部として再構築することで武装化も可能です。 この間の流転の弓矢がそうですね」
なるほど、だから適合者が貴重なのか。
いなければレーヴァはただの兵器も同然だ。 無論神に勝つなんてのは到底無理な話。
だからこそ選ばれた人間が乗り、戦う必要がある。 いいじゃないか、そのシチュエーション。
「それでは適合者と干渉者について説明しましょうか。 適合者とはこの場合カイト君やリイド君のようにレーヴァを動かすメインパイロットのことです」
レーヴァは二人一組で動かすものらしい。 操作系統すべてを任される適合者とそれを補佐する干渉者。 この二名によって操縦は行われる。
「レーヴァに意思を与え動かし敵を殲滅するのは適合者の役目ですが、一人ではレーヴァは戦えません」
「どうしてですか? 別にボク一人でもいけると思いますけど」
だってエアリオはこの間特に何もしていなかったような気がするし。
「ところがどっこい、それは二人の役割が違う事に由来しますね。 リイド君は『レーヴァを動かす』のが仕事です。 では、エアリオのお仕事はなんでしょう?」
さっき戦闘補佐って言ってたような気もするけど、確かにそうだ。 武器をただ出し入れするだけの役割だとは思えないけれど、この間の戦闘でレーヴァを動かしていたのは全てボクの意思だ。 となるといまいち存在の意味合いが薄い気がする。
ただの火器管制だったら普通に機械にやらせればいいような気もするし――。
「正解は、『フォゾン装甲を構築する』、です。 いいですか? レーヴァを動かすこと自体は一人でも可能です。 しかし常時フォゾン装甲を展開し、フォゾン武装を構築するのは全てあなたではなくエアリオなのです」
そこでようやく気づいた。 だからこそエアリオは武器を出す事が出来たのだ。 ボクは周囲のフォゾンをかき集めて武器にするなんて出来ない。
装甲の展開も、翼の出し入れも、全てボクがやったのではない。 ボクがやりやすいようにエアリオがやってくれていたのだ。
そしてそれはつまり、干渉者が装甲を構築する概念である以上、『レーヴァの外見や性能は干渉者に左右される』ということでもある。
レーヴァを動かすのは意思の力だ。 適合者はレーヴァの細胞の隅々にまで張り巡らされたフォゾンに呼びかけ我が身のように動かす。
その戦い方や性能は適合者によって全く異なるだろう。 それは適合者の思考、精神、倫理観などがレーヴァの行動に反芻されるからである。
同様、レーヴァの装甲を展開し武器を構築するのも意思によるものだとしたら、その内容もまた干渉者の思考、精神が反芻される。
だからイリアが搭乗しているレーヴァと、エアリオが搭乗しているレーヴァとでは外見も性能も異なるのだ。
「わたしの『マルドゥーク』は厚い装甲と狙撃が得意な遠距離戦闘タイプ。 イリアの『イカロス』は軽装甲、超スピードが特徴の格闘戦闘タイプ」
「なるほど。 つまり一機しかないレーヴァというロボットを様々な状況に対応させる手段でもあるんだ」
前回のケースのように接近タイプの装甲を展開するイリアが乗る『イカロス』で倒せない敵ならば、遠距離攻撃に優れた『マルドゥーク』にするためにイリアとエアリオが乗り換えればいい。
そうやって様々な状況に対応する――つまり干渉者を乗せかえる事によってレーヴァの戦闘スタイルを変える事が出来る、ということだ。
「装甲の性能と戦闘スタイルはむしろ操縦する適合者よりも干渉者の精神、趣向が反芻されます。 イリアさんは見ての通り直情的ですから、手が早い格闘戦闘タイプのイカロスと……まあそのように」
ということは今後ここで戦っていけばいつかはイリアと組んでイカロスで出撃しなければいけないこともあるってことか……。 想像したくない。
しかしそうなると干渉者の存在は対神戦闘の肝だ。 組み合わせ一つで状況が随分と変化してしまう。 エアリオと意思疎通しておくのは確かに必要そうだ。
だからこそ出来る限りの行動を共にするようにとの命令なんだろうけど。
「そういえば他の干渉者とか適合者はいないんですか?」
「今のところ出撃可能なメンバーは君達二人とあとカイトくん、イリアさんの四人だけです」
「成る程……。 そりゃ、ボクが貴重なわけだ」
いくら装甲を構築できても実際に動かすのは適合者である以上カイトがやられたらもう代わりはいなかったわけだ。
随分綱渡り的な状況だったことに少し背筋がぞっとするが、とりあえずボクがここに来た以上その心配はもういらないだろう。
しかし格闘専用のイカロスと遠距離狙撃のマルドゥーク。 二つしかタイプがないとなると、結構不便なような気もする……極端だし。
「とりあえずレーヴァの戦いは理解出来ました」
「それは結構結構。 それではとりあえず今日のところは説明はここまでにしましょう。整備員の皆さんも今は昼休み中みたいですしねえ。 もし何か不便があればエアリオに言ってやってください」
「わかりました」
さっさと去っていくヴェクターを見送ってレーヴァを見上げた。 壮大すぎるそのスケールに圧倒され、胸が高鳴る。
巨大なロボット。 必要不可欠な自分と言う存在。 自分が操るロボットしか勝てない敵。 人類滅亡のカウントダウン。
いいじゃないか。 面白いシチュエーションだ。 これをクラスの連中が知ったら何て思うだろう? 隠れて正義の味方というのも、中々悪くない。
「これからどうする?」
エアリオからの質問だった。 もう少しレーヴァを眺めていたい気もするけれど、見ていたって何か起こるわけじゃないし。
「とりあえずせっかくだから本社で何か食べていこうかな。 ちょっとまだお昼には早いけど」
「わかった。 でも、本社に行くにはエレベータに乗る必要がある」
「ここがジェネシスの本部じゃないの?」
「歩きながら説明する。 ついてきて」
しかし何度あるいても迷子になりそうな会社だなあ……。
エアリオが歩きながら説明してくれたところ、どうもレーヴァに関係する部分は本社の中でも切り離された場所にあるらしい。
隔離されたその場所は本社とそもそも物理的にエレベータでしか繋がっていないため、本社の施設を利用するためにはエントランスから移動する必要がある、とのこと。
あの大量に並んでいたエレベータはどうも全て別々の場所に通じているらしく、そのうちの一つに乗り込むとあっと言う間に地上に出る事が出来た。
冷静に考えてみると今までずっと地下にいたことになる。 地上の本社のエントランス……こちらが本来の、だが……は、社員や人々で溢れかえっていた。
108番プレートにあるこのジェネシス本社は食事施設やジェネシス製品の直売所となっており、一口にいってしまえば巨大な百貨店も兼ねている。
人でごった返しているなんて思っても見なかったボクは先ほどまでの静か過ぎる迷路のような本社とのギャップに戸惑いながら近場にあったレストランに入った。
「しかしすごいな……。 ジェネシス大人気なんだ」
「当然。 政府であると同時に大企業でもある。 ここの払いはIDカードを見せればいい」
「そんなにすごいのかこのカード……。 なくさないようにしないと」
エアリオは相変わらず無表情にメニューを選んでいる。
その姿を眺める限り、あんなごつい鎧を生み出すような精神には見えないのだけれど。
まあ人それぞれ。 こいつが作れるのがマルドゥークだというのなら、ボクはとりあえずマルドゥークに慣れさえすればいいのだろう。
イカロスの干渉者がイリアである以上、あまりあれには乗りたくないし。 どうせカイトがいるのだから、特に問題もないだろうけれど。
こうしてボクの初めての休日は順調に終了し、事件は週明けの学校で発生した。