涙、枯れ果てるまで(1)
後半に向かう重要な一話です。
「本当の君は、どこにいるんだ」
視界は暗く塞がれている。 聞こえるのはレーヴァテインの飛行音と、背後に立つ彼女の吐息だけ。
水着から私服に着替えたボクは布で視界を塞がれ、背後からエアリオに銃口を突きつけられながらレーヴァを動かしていた。
指示される方向にひたすらに飛び続けるだけ。 シンクロしているはずなのに、相変わらず彼女の心のうちは全く理解できないままだった。
後頭部の冷たい感触だけがボクと彼女を繋いでいる。 そう、まるで最初から、ボクたちはまるでつながれていなかったかのようだ。
「本当の…わたし?」
「いつからこうするつもりで、いつから…どこから…」
ボクを好きだと言った彼女の小さな唇。
「どこから、嘘だったんだ?」
そんなことは訊ねずとも判っているはずなのに、淡い希望を求めて唇は言葉を紡ぐ。
エアリオはどんな顔をしているのだろうか。 きっといつもどおり、無表情に、無慈悲に。 そっと目を細めて。
「最初から」
「―――だよね」
ため息が漏れる。 ショックでないはずがない。 けれど、思えばおかしなことしかなかったのではないだろうか。
彼女との出会いも、あの日起きたことも。 そうだ、疑問に思っていたじゃないか。 ボクはそのヒントを与えられていたのに。
それを確かめなかったのも、つらい事実から目をそらして逃げていたのも、ほかならぬボクだ。
「情けないな、ボクは…」
小さく漏らす。
「君が怪しいって事くらい、ずっと前からわかってたのにさ」
彼女がボクと行動を共にしていた理由。
過剰と言えるほど彼女は常にボクのそばに居た。
何も言わず、静かな金色の瞳でボクを見つめていた。
そこまでボクらが共にある必要などあったのだろうか。 干渉者と適合者は一緒に居たほうがいい。 それくらいはわかる。
けれど、そこまで。 あんなにも。 常に一緒である必要はあったのだろうか。
タイミングを見計らっていたとしたら? ボクをこうして拉致するタイミングを。 いや、だとしたらおかしい。 むしろあのタイミングでボクを拉致するのは危険性ばかりで有利になる要素なんて一つも無い。
そう。 一見彼女の行動は道理にかなっているように見えるけれど、よく見ればその行動は矛盾と穴だらけだった。
「君を信じてたんだよ、エアリオ。 こんなボクでもね…君と判り合いたいと願っていたんだ」
彼女は答えない。 ただボクだけの言葉がむなしく響いて、胸が締め付けられるように苦しくなる。
エアリオ・ウィリオ。 ボクのそばに居てくれた少女。 小さくて、面倒くさがりで、ぼーっとしていて、無口で、よく寝てよく食べる女の子。
最初は面倒なだけだった。 疑っていた。 彼女は怪しいと、そう思っていた。 それがどうして、気づけばこんな事になってしまっているのか。
信じすぎたのがいけないのか。 それとも裏切られるは必然だったのか。 今となっては考えたところで意味はなく、答えも無い。
「リイドは、勘違いをしている」
彼女の言葉。 振り返ろうとするボクの後頭部に強く押し付けられる銃口。 おとなしく前を向いて耳を傾けた。
「本当も嘘も、最初からわたしには存在しない」
「…存在しない?」
「わたしは、ただ命令に従っているだけ」
命令に従っているだけ。
その言葉は何度も耳にしていた。 なのにそれが何の命令で、誰に出されたものなのか確認しようともしなかった。
最初から指示に従い、そうして誰かに矛盾さえ命じられていたのだとしたら、ボクが信じていたエアリオという少女はどこにいるのだろう。
君はどこにいるんだ。 エアリオ。 本当の君という人間は、一体どこにいるのだろう。
全てが嘘だったのなら、ボクは一体君の何を信じればいいのだろう。 未練たらしくそんなことを考える。
割り切ることなんて出来ない。 裏切られたなんて思えない。 だってあんなにも彼女は、真摯に、無邪気に、ボクを見つめていたはずじゃないか。
「ここで降りて」
「…ああ」
レーヴァテインを下降させる。 大地は見えないけれど、なんとなく感じることが出来る。
ゆっくりと滑空し、徐々に高度を下げていく。 普段より強い揺れがレーヴァを襲ったのは、いつもより上手に着地できなかったからだろう。
静かに息を吐き出す。 これから何が起こるのかはわからないけれど、とにかく覚悟は必要だろう。
そう、最悪死ぬ覚悟も―――エアリオを殺す覚悟も。
「ハッチを開いて」
そう命令しながらボクの視界を覆っていた布を解く。 ボクはゆっくりと目を開き、ハッチに手を伸ばした。
外は雨だった。 まだ太陽は出ているはずの時間なのに薄暗く、どんよりとした雲に覆われ大地は静まり帰っていた。
白い砂漠。 そこはきっと天使の攻撃を受けて虚無に帰した場所なのだろう。 誰もいなければ、何の命も感じられない。
寒い景色。 それを見てエアリオの心を思い出したのはきっと偶然などではない。 振り返るとエアリオはレーヴァから降りるように促していた。
昇降ロープを伸ばし、白い砂の大地に足を伸ばす。 少しだけよろける不確かな足元。 吹き込む風は冷たく、雨は静かに、しかし確実にボクの身体を凍えさせていく。
真冬の砂漠の雨。 冷たい。 振り返ればエアリオが立っていて、彼女は何も言わず塗れた髪の合間からボクを見つめていた。
「…エアリオ」
「…何?」
「エアリオは………ボクの事を、殺せるのか?」
我ながら馬鹿な質問だと思う。
けれどそんな事を聞かずにはいられなかったのは、自分の中で覚悟を決めるためだ。
そして、彼女の本当の気持ちを理解するためだ。
だから微かな希望を宿していたはずのその言葉も、エアリオの冷たい瞳で否定される。
「わたしは何もないから。 殺せるかどうかじゃない。 命令されればそうする。 されなければしない」
「そっか―――」
「リイドも、割り切ったほうがいい。 そんな甘い考えは、もう通用しないから」
「―――それでも」
信じていたい。 信じていたかった。 その結果ボクがどうなろうとも。 疑いたくはなかった。
心の中に、自分でも気づかないほど大きな彼女への信頼があり―――ボクらはこれから先も、ずっと一緒にいられるのだと信じていた。
見上げる頭上。 舞い降りてくる機体に気づいたから。 そしてボクは目を見開き、それから歯を食いしばる。
「何だよ…」
着陸する黒い翼。 無骨なデザイン。 静かに舞い降り、それはコックピットを開いて現れた。
「久しぶりだな、リイド」
当たり前のようにそんな事を言う。
信じていたかった。 けれど、現実はそう甘いものでもないらしい。
「何であんたなんだよ…! よりにもよって…!」
雨に打たれ、スーツはより深い暗闇へと色を落としている。
白い砂浜に舞い降りた男は傘も差さず、降りしきる雨の中いつもと変わらない微笑を浮かべていた。
「スヴィア―――ッ!!」
⇒涙、枯れ果てるまで(1)
「レーヴァテインの付近に新たなアーティフェクタ反応あり! この反応は…が、ガルヴァテイン=ティアマトですッ!!」
司令部に響き渡るユカリの叫び声は戸惑いに満ちていた。
リイドがエアリオに拉致されたことに一同が気づいたのはレーヴァテインが無許可でエレベータを使い、ヴァルハラの外に飛びだしたのを確認してからだった。
すっかりバカンスムードは崩され、水着から着替えた一同はモニターに出てきた地図の反応を見つめ、目を見開く。
「何でスヴィア先輩が…!?」
無言で振り返るオリカ。 早足で出口に向かうその背中を呼び止めたのはリフィルだった。
「どこに行くつもり? オリカ」
「決まっているじゃないですか。 リイドを助けに行きます」
「今は駄目よ。 何が起こるかわからないわ。 このままレーヴァ不在のうちにジェネシスが攻撃を受ける事だって考えうる」
「関係ないでしょうそんなのは。 私の役目はリイド君を守る事です」
ぎりぎりと、拳を強く握り締めるオリカ。
その爪が手のひらに突き刺さり、鮮血をにじませている事にそばに居たアイリスだけが気づいていた。
穏やかなオリカの表情は怒りと憎しみに満ちている。 叫ぶ事も語調を強める事も無く、ただ瞳だけがぐるぐると渦巻くように暗く沈んでいる。
仲間でさえ恐怖を覚えるようなその瞳の矛先は他の誰でもなく自分自身に向けられたものであり、そこには役目を果たせもしないおろかな自分に対する憤りが強く滲んでいた。
「駄目よ。 戻りなさいオリカ。 あそこにはガルヴァテインがいるのよ。 スヴィアが相手なら勝ち目はないわ」
「勝算で物事を考えた事はないんです、私。 やりたい事をやりたいだけやってるだけですから」
「止まりなさい。 司令官は私よ。 命令が聞けないというの?」
立ち上がり銃を向けるリフィル。 二人は強い視線で向き合い、オリカも静かに腰に携えた刀に手を伸ばす。
「や、やめてくださいっ!! どうしてしまったんですか、二人ともっ!!」
二人の間に割って入ったのはアイリスだった。 その声に二人とも我を取り戻したように視線をそらし、武器から手を離した。
「司令! 俺も今すぐリイドを助けに行くべきだと思います! レーヴァテインを失ったらまずいのはジェネシスでしょう!? 今ならまだ間に合うかもしれない!! こんなところでぐだぐだ喋っている間にも、リイドは…ッ!!」
「駄目よカイト。 今は待機して」
「でもっ!!」
「命令を聞きなさい。 とにかく一切の出撃行動は禁じます」
「ぐっ…」
ぴしゃりと言い放ったリフィルの一言に思わずカイトも黙り込んでしまう。 それほどまでに強い気迫が言葉には込められていて、逆らう事すら出来ない。
重い空気が司令部を包み込む中、飛び出していったのはオリカだった。 結局とめられなかった事にため息をこぼし、リフィルは一同を見下ろす。
「誰かオリカを止めなさい。 それと、命令が下るまで部屋で待機を命じます」
「………」
リフィルをにらみつけるカイト。 これ以上仲間を失いたくないという気持ちが誰よりも強いカイトは、司令相手だろうがなんだろうがそんな態度を取ってしまう。
「行くぞ、アイリス」
アイリスの手を引き司令部を駆け出していくカイト。 それに続きシドも司令部を後にし、ただ一人残ったルクレツィアだけが顔を上げた。
「私はその命令に含まれていないのでしょう?」
「…そうね。 あなたに命令する権限は私にはないもの」
「ふむ。 では失礼します」
「待ちなさい」
ジェネシスの制服に身を包んだルクレツィアの背中に投げかける声と視線。
「余計な事をしないでと、お願いだけはしておくわ」
「…そうですか。 ならばこの場でお断りさせて頂く」
強い口調。 ばっさりと一撃で願いを切り捨て、少女は振り返る。
「友を救うのに理由など要らぬ。 私は私の魂に従う。 行く手を遮ると言うのなら自由にするがいい。 全て切り伏せ進むまでだ」
一礼し、司令部を後にするルクレツィア。
再びため息を漏らすリフィル。 傍らでそれを見守っていたヴェクターが耳元で囁く。
「よかったんですか?」
「…仕方ないもの。 それに―――それがむしろ幸運に働く可能性だって無いわけじゃない」
大画面に浮かんだガルヴァテインの反応を見つめ、リフィルは静かに目を伏せた。
「どういうつもりなの…スヴィア」
「オリカッ!! ちょっと待てよ!!」
駆け寄りその
腕を掴むカイト。 オリカは振り返り、その手を強引に振り解いた。
「邪魔しないでカイト君。 今変なことされたら私うっかりきみのこと殺しちゃうかもしれない」
いつ抜いたのか。 その手に刀を持ち、鋭く光を反射する刃をカイトの首筋に突きつける。
驚くカイト。 しかし引き下がる事はない。 刃を押しのけ前に進む。
「ほっとけるかよ。 お前だって仲間だろうが」
「…仲間?」
「そうだ、仲間だよ! にしたってお前、あの態度はなんだよ? お前と司令ってあんなに仲悪かったか?」
刃を収め、目深に帽子を被るオリカ。 カイトの疑問ももっともだったが、別に今までだって仲がよかったわけではない。
顔を合わせることが無いように互いに避けていただけで。 理由は何かといわれると答えようもないのだが、とにかく『嫌い』だった。
馬が合わない。 空気が違う。 そんな感覚。 いまいちなじめないのだ。 どうしても認められない。 それがリイドの母親だとしても。
「仲悪いっていうか…お互いに嫌いっていうか」
「それ仲が悪いっていうんじゃないのか?」
「うっ…かも」
「とにかく、一人で行こうとすんなよ。 司令だって何か考えがあるのかもしれないし…」
「考えがあるからって、リイド君をこのまま見殺しにしろって言うの?」
「それは…」
カイト自身、腑に落ちていないのは確かだった。 あの命令には従いかねる…それが本音である。
自分ひとりなら無茶も出来る。 しかし仲間をそれにつき合わせていいのだろうか。 そんな想いが胸にあった。
「リイドの事ならおいらたちが見てくるけど」
三人同時に振り返る。 すでに用意を済ませたルクレツィアとシドの姿がそこにはあった。
「お前たちは命令に従っていればいい。 確かにリフィル殿の言葉も一理ある。 ここは部外者の私が行って来るとしよう」
「私は命令に従うつもりなん―――て?」
思わず言葉をとぎらせる。 背後からアイリスがしがみつき、オリカを行かせまいと必死に訴えていた。
「はっ―――?」
自分でも素っ頓狂な声だと思う。 ぜんぜんこんなの関係ない。 今までの自分なら切り捨てて強引に突き進むだけ。 そのはずだったのに。
アイリスの必死な瞳を見ていると動けなくなる。 身体が硬直して言葉も出てこない。 何故?
「ここはルクレツィアさんに任せましょう…! 先輩が帰ってくる場所、私たちが守らなくちゃいけないんじゃないですか…!?」
「―――っ」
アイリスも。
本当は形振りかまわず駆けつけたいはずだ。 あの場所に。 彼の元に。
けれど、それだけではいけないのだと。 押し付けるだけが全てじゃないのだと。 彼女はそう悟ったのだ。
強く歯を食いしばり、ゆっくりと身体から力を抜く。 顔を挙げ、アイリスの髪を撫でながらルクレツィアを見つめた。
「…不本意だけど…任せても、いいかな?」
「―――フッ。 ああ、任されようとも」
思わず笑う。 ルクレツィアにとってオリカがそうして引き下がるさまは想像できるものではなかった。
どうせ強引にでも着いてくるのだろう。 そう考えていただけに、そのオリカの反応は格別に愉快だった。
「では、向かうとしよう。 急ぐぞシド」
「あいさ! じゃ、みんなはおとなしくしてるさ!」
二人の背中を見送る瞳。
少しだけ弱くなった自らの手のひらを見つめながら、オリカは目を閉じ必死に祈っていた。
「リイド君…っ」
「こうして向かい合って話すのは、お前がヴァルハラから逃げ出してきた時以来か」
「………待てよ…」
歩いてくる。 近づいてくる。 目の前に、ボクのあこがれた人が。
信じていた。 いつでもボクの前に居て、導いてくれると。 なりたかった。 彼のように。 例え、その背中に追いつけなかったとしても。
ボクの記憶の一番奥、根本的な部分に刻まれた彼に対する信頼と憧れと嫉妬。 それはボクという人間を構成してきた重要なファクターだ。
たった二年しかないボクの過去のほとんどを占める彼との思い出はボクにとってとても大切なものだった。 心を許せるのは、彼だけだった。
ボクを哀れむ事も気味悪がる事も無く、様々なことを教えてくれた。 宇宙のこと。 星のこと。 この世界のこと。 様々な知識、技術。
心の中でいつかあこがれるようになっていた果てない宇宙の先―――今はもう容易にたどり着けるはずのその場所を夢見たのだって…。
「何でそんな、普通の顔してんだよ…」
スヴィア・レンブラム。
ボクは、自分のレンブラムという名を誇りに思っていた。
何も無い空っぽの過去を埋める、ボクという名前。 リイド・レンブラムという名前。 教えてくれたのは、彼だったじゃないか。
「スヴィア…っ!!」
零れ落ちる水は涙なのか、それとも雨なのか。 もうよくわからない。
胸の中で渦巻いていた様々なことへの感情が破裂して、濁流のように感情を押し流していく。
浮かんでは消えていく様々な言葉の中、ボクはどこか客観的にその事実を捉えようとしていた。
思い返せ。 スヴィアという人間を。 エアリオとの関係を。 目を逸らしていただけだ。 そこにはヒントがあった。 手がかりがあった。
近しすぎる二人の距離。 スヴィアの過去。 二年以上前に、彼は何をしていた。
目覚めたボクの視界で彼は何をしていた。 何のために、ヴァルハラを離れた―――ッ!!
「スヴィアアアアアアアア―――ッ!!!」
雄たけびと共に駆け出す。 拳を握り締め、それをあいつの顔面にぶち込んでやるために。
けれどそれは出来なかった。 背後から聞こえた銃声はボクの身体のバランスを一瞬で崩し、そして白い手がボクを砂浜に叩きつけていた。
「っぐう…!?」
足を撃たれた。 右足の太股だ。 歩く事は無理ではないが、完全にエアリオに背後からねじ伏せられてしまっていて動く事もままならない。
こんな軽い体なのに跳ね返せない。 そりゃそうか。 エアリオはちゃんとした訓練を積んだ―――スパイなんだもんな。
「どいてくれエアリオ…! ボクは…ボクは…ッ!!」
「動かないで。 次はどこを撃たれたいの?」
「エアリオッ!!!」
無言でボクの後頭部を銃で殴りつけるエアリオ。 鈍い痛みと同時に一瞬思考が吹っ飛びそうになる。
頭と足から血が流れて、妙に熱い。 燃え盛るような痛みは、傷口だけではなく瞳をも襲っていた。
こぼれる涙。 ごまかせないほどの痛み。 胸が苦しくて、どうしようもなかった。 暗くどろどろとした感情がボクの存在を覆い、飲み込んでいく。
「何なんだよこれ…! 何なんだよぉッ!? なんでスヴィアが…! なんでエアリオが…っ!!!! なんで! なんでぇっ!!」
「相変わらずだな、リイド。 お前は二年前と何も変わっていない」
ボクのそばで。 手の届きそうな距離で。 スヴィアは静かにボクを見下ろしている。
「無鉄砲で、無責任で、感情的で…。 絵に描いたような我侭小僧だ、お前は」
「…何だよ…。 何いまさら、兄貴面してんだよ…」
「いまさらではないさ。 元々俺とお前は兄弟などではない。 そういうことにしておいたほうが都合がよかっただけでな」
「…」
何も考えられない。 頭の中が真っ白だ。
どうすればいい。 どうすればいい。 どうすればいい。 どうすればいい。 どうすればいい。 どうすればいい。 どうすればいい。
「やはり、お前は戦いには向かない。 人を信じすぎる。 こんな世界で、信じられる物など何一つない。 お前は強いが―――愚かだ」
「エアリオの事は…」
どうすればいいのかわからないのに。
「エアリオの事は、信じてるのか…?」
そんなことを訊いていた。
「気づいてんだろ…!? エアリオがあんたのこと好きだってことも…! エアリオは…最初から、ボクの事なんか見ちゃ居なかった…!!」
ボクとすごした彼女の日々は、無意味だったのだろうか。
考えたくない。 何も。 ボクは。 何を。 してきたのだろうか。
「エアリオはあんたを信じてる…! あんたのために全部投げ捨てて…! 何やらせてんだよ、こんな女の子にっ!! あんたはっ!!!」
「…勘違いをするな。 エアリオを信じるも何も…私は彼女を認めた事は一度もない」
エアリオが息を呑む音が聞こえた気がした。
「最初から全て。 この世界全て。 私は元より興味などない。 私は私の目的のためだけに、この世界を犠牲にする覚悟がある」
「なんだよそれ…。 じゃあボクも…エアリオも…ただの犠牲だって言いたいのか」
「そうだ」
「…なんだよそれ…」
エアリオが。
「何だよ、それえええええええっ!!!」
涙を流さなくても。
「離せよ!! コイツぶっころしてやる!! 離せエアリオッ!! エアリオォォォォォッ!!!」
きみが、悲しくて。 泣いてるの、わかる。
エアリオが涙を流さないのは、悲しくないからじゃない。
きっと悲しい事ばかりで、涙は枯れてしまったんだ。
ボクは。
こいつを。
許せない―――。
「レーヴァテインンンンッ!!! 力を寄越せぇぇぇぇぇええええっ!!!」
遠隔操作の機能など、レーヴァテインには着いていない。
装甲もなく、干渉者も乗っていない無人のアーティフェクタ。 しかしボクはそれを知っていたかのように、命じる。
レーヴァテインは。 アーティフェクタは。 ボクの命令に、ちゃんと従ってくれる―――。
立ち上がり、近づいてくるレーヴァテイン。 しかしスヴィアが手を翳すと、ガルヴァテインがレーヴァを押さえ込み、二機は砂漠の上で力比べを始める。
取っ組み合い、ぎりぎりと押し合う二機。 それを背景に、スヴィアはボクに背中を向ける。
「ガルヴァテイン…そしてレーヴァテイン。 あれらはな、リイド―――全く同じものだ」
「何を…!?」
「同じものなんだよリイド。 呼び名が違うだけだ。 あの二つは完全に同じもの…そう言っている」
「同じアーティフェクタが二つもあるもんか…」
「ある。 それがあの二機だ。 あの二機だけは全く同じ存在。 似ているのではない、同じなんだ。 そしてお前の言うとおり、レーヴァテインは、二機も要らない」
振り返るスヴィア。 その表情はなんらかわらない。 今までのスヴィアと―――何一つ変わらない。
「お前は何か勘違いをしているかもしれないが…」
その変わらない表情で、彼は言う。
「私は別に、今でもお前を弟だと思っている」
虫の良すぎる言葉を。
「出来ればお前にこんな手段で迫りたくはなかったが―――時と場合を選んでいられないものでな」
「どういう意味だ…」
ガルヴァテインの振り上げた拳がレーヴァの顔面を殴り飛ばし、銃剣でレーヴァの両手を大地に串刺しにする。
身動きの取れないレーヴァを踏みつけ、ガルヴァテインはうなり声を上げていた。
「このままレーヴァを破壊するのはたやすい。 お前を殺してしまうのもたやすい。 どちらかの手段をとれば、レーヴァテインはもう戦えなくなる。 あれはなリイド。 本来は私かお前―――どちらしか乗りこなせぬ機体だ。 それを無理に操ろうものならば、急速にフォゾン化し…一年待たずに死を迎えるだろう」
「な―――!?」
「最近、反動の影響を強く受けたか?」
「はっ?」
「反動だ。 お前の場合は敵意か。 それを強く表層に出してしまった事があるか?」
「………!?」
まて。 言われてみれば。 おかしくないか。
最初あんなに激しく、一時間近く反動を食らったのに。 ただちょっとレーヴァを動かすだけで、反動の影響を受けていたのに。
この間はあれだけ強い力を使っても、反動なんてほとんど…いや、全く―――なかったじゃないか。
何でだ。 エクレシアとシドでさえ反動の影響を受けるのに。 何故急に、全く影響を受けなくなった…?
「お前と私は特別だ。 フォゾン化もしないし、反動を強く受けることも無い。 レーヴァがお前の心を記憶し、お前に合わせてくれるだろう」
「どういうことだよ…? ボクたちの何がカイトたちと違う…!?」
「全てだ」
自らの胸に指を当て、スヴィアは静かに微笑む。
雨が降りしきる中、ガルヴァテインの雄叫びが響き渡り、吹き荒れる風の中、スヴィアは自らをそう呼ぶ。
「私とお前は、化け物さ」
化け物と。
「そろそろお仲間が助けに来るかもしれんな…。 リイド、お前を守ってやりたい、助けてやりたいのは山々だが…そうも言っていられない。 さあ、選べ」
銃を取り出し、それをボクに向けて。
「レーヴァテインを破壊するか、お前が死ぬか。 私としてはレーヴァは持ち帰りたいところでな。 お前がもう戦わないと誓ってくれるとありがたいのだが」
「絶対に断る…!」
即答だった。 頭の中ではうだうだ考えていたのに、いざ問われると答えはどうも決まりきっていたらしい。
「ボクはレーヴァは渡さないし死にもしない…! せっかくみつけたんだ…ボクの居場所を」
みんなが待っている場所に戻り、みんなを守るために戦いたい。
そうしなかったら、ボクはもうリイド・レンブラムではなくなってしまう。 その名前と容姿を持つだけの、別の何かになってしまう。
そんなものにはなりたくない。 せっかく手に入れた居場所を失いたくない。 失うくらいなら、いっそ―――。
「それがお前の選択か―――。 残念だよ、リイド」
セーフティが外される音がする。
向けられる銃口。 スヴィアの目は普段どおり何の感情も見えない。 けれどそれが本気だという事くらいわかる。
目を閉じる。 このまま死ぬのか? こんなところで死ぬのか? 誰も助けになんか来てくれない。 間に合わない。 一秒あればボクは死ぬ。
死ぬ。 そのはずなのに。
「何で…」
彼女は震えていた。
エアリオは、がたがたと怯えながら、呼吸を乱しながら、その銃口をスヴィアに向けていた。
ボクをかばうように前に出た少女は全身を小刻みに震わせながら、肩で呼吸をしながら。 けれど確かにこの状況を何とかしようと、変えようと、努力していた。
「どういうつもりだ、エアリオ」
「わたっ…わたしはっ…! あ―――あああぁぁぁっ!!!」
銃声が響き渡った。
薬莢が砂に飲まれ、エアリオの手から拳銃は落ちていた。
発砲したのはエアリオではなくスヴィア。 エアリオの手を撃ち抜き、武装を排除していた。
「エアリオ…なんで…」
「いいから…」
振り返り、震える身体で笑ってみせる。
それは。
「わたしはいいから…! お前は逃げろ…!」
つい数時間前の、プールでののんきなやり取りのようで。
涙がこぼれそうになる。 逃げ出したくなんかない。 エアリオをおいていけるわけがない。
「どけエアリオ。 二度目はない」
「撃つなぁぁぁぁああああああっ!!!」
叫び声。 それが自分のものだと気づくよりも前に、エアリオが落とした拳銃に手を伸ばしていた。
スヴィアがそれに気づきボクに銃口を向ける。 間に合わない。 ボクは拾って、構えて、撃つ。 スヴィアは角度を変えて、撃つ。 それだけ。
圧倒的に所要時間が違いすぎる。 終わる。 今度こそ殺される。 ボクはここで、死ぬ―――。
「リイド!」
手に触れる冷たい感触。 ボクとスヴィアの間に割って入ったエアリオ。 それを前に一瞬だけ、スヴィアの表情が驚きに支配された。
止まる時間。 手にした拳銃を、スヴィアに向かって放つ―――!!
銃声が何度も繰り返し空に響き渡る。 スヴィアにはかすっただけ。 腕にダメージを追い、しかし銃を再び構えるのに何の問題もない。
エアリオの手を引く。 逃げなくちゃ殺される。 このままこんなところでむざむざ死んでたまるか。
そうだ、まだ始まったばかりじゃないか。 エアリオと少しだけ分かり合える気がする。 手にした彼女の指は強く震えていて、怯えきっていて。
ずっと我慢していたんだ。 命令だからって何も考えないわけじゃなかった。 彼女の心は空白なんかじゃなかった。 ちゃんと想いはそこにあったんだ。
自らの心を押し殺してまで命令に従っていたのは―――スヴィアのことが、好きだったからなんでしょ?
一歩一歩が恐ろしく遅い。 吐き出す呼吸さえ重く感じる砂の上、少しだけ彼女の心に触れられた。
揺れる瞳が。 自らの行動を理解出来ないと訴えていた。 ぬれた髪が、静かに揺れている。
言葉は交わせない。 それは一秒にも満たぬ一瞬の出来事。 ボクは彼女を理解し、彼女の心に触れた。
真っ白い場所にうずくまっている彼女の世界。 それは自らが多い尽くしていた壁のせいだ。 彼女は誰にも心を見せない。 誰にも悟らせない。
本当は寂しがりな、どこにでもいる―――ただの女の子なのに。
スヴィアのためにがんばって。 仲間を裏切るのはつらいはずなのに。 ボクを裏切るのだってつらいはずなのに。
きっと身体が動いてしまったんだと思う。 それだけ彼女はボクを思ってくれていた。
矛盾した行動と思考。 彼女の中で揺れ動いていた何かが、ボクを救わなくてはとその小さな身体の背を押した。
でもそれは大好きなスヴィアを裏切る事であり。 様々な思いの呵責にゆれ、彼女は戸惑っていた。
それでいい。 ボクはかまわない。 ボクたちを、選んでくれたなら。 きみを絶対に、死なせたりするもんか。
ボクのもてる力全てで君を守る。 君を守って連れて行く。 ボクの居場所は君の居場所だ。 ボクたちはいつでも一緒だ。
だから帰ろうエアリオ。 みんながいる場所に。 一緒に逃げるんだエアリオ。 ボクが君を―――。
「 」
エアリオが、揺れる。
背後から放たれた銃弾が彼女の頭を貫通した。
大量に頭から流れる血と、次々に彼女の身体を撃ち貫いていく弾丸と。
ボクは、何も出来なくて。
崩れ落ちるエアリオの身体を、あわてて抱きとめていた。
「エアリオォッ!!」
全てが真っ白になってしまったようだった。
何故そんな風にしてしまったのだろう。
わけがわからないのは自分自身。 いや、何よりもきっと―――そう。
守りたいものがいつの間にか摩り替わってしまっていた。 アイリスや、リイドのように。
変わってしまった自分がいて、その行動は矛盾に満ちていて。
大事になりすぎて動けなくなる。 その二つの狭間で、選べる事はたった一つだけ。
もし両方を選べないなら、自分が朽ちて果てて、それを代価に選びたい。
だからどうか争わないで。
だからどうか悲しまないで。
これでよかったのだと思うから。
それで、よかったのだと、信じているから。
だから。
「何でだよ…エアリオ………なんで…」
エアリオは冷たかった。 雨で体温を奪われ、今もどんどん冷たくなり続けている。
普通ならもう死んでいるのにまだ意識があるのはユグドラ因子のせいなのだろうか。 頭部を撃たれ意識があるというのは相当驚異的だ。
でも今はそんな事関係ない。 目の前で血だらけの少女が今まさに消えてしまいそうになっている事実が、何よりも重要だった。
信じられないくらい大量の血液を口から吐き出し、焦点のあっていない瞳でボクを探している。 その血まみれの手を取り、自分の頬に寄せた。
「エアリオ………!」
「わたしは…ばかだった」
リイドのぬくもりを指先に感じ、静かに安堵のため息。 そして、目を閉じる。
もう、見えては居ない。 ならば指先で感じていたい。 全ての感覚をそこに集中させて。
「いくらスヴィアが好きでも…あの人と一緒には…いられな…知ってた…の、に…」
「いいよもう…。 いいよもう言わなくて…。 判ってるってもう全部…。 だから、いいんだよ…」
「気づいたら…よく、わからなくなって…命令…だった………のに…みんな…ごほっ」
「やめろよもうっ!!! もういいじゃないか! 苦しむ必要なんかないんだよっ!!」
「………みんな、大好きで…だめだった。 裏切れなかった…。 最後の最後で、ばかだ…」
苦笑する。 その身体を強く抱き寄せ、リイドは泣いた。
何故いつもこう。 目の前で。 大事なものが消えていくのを、黙ってみている事しか出来ないのか。
無力すぎる。 腹が立つなんて気持ちはとっくに通り越し―――全てが静かだった。
「おまえと居られて、よか、った」
「エアリオ…エアリオォォォっ」
「もっと、素直に―――なれたら―――。 リイドと…もっと…」
最後の言葉は言葉にならなかった。
だからそれは心の中にしまったまま、思考を閉ざす。
心が焼ききれるような音がして、少女の中身は本当に空っぽになってしまった。
空ろな瞳は雨に濡れ、静かに力が抜けたその身体を抱え、リイドは声にならない声で泣く。
小さな身体を必死で抱きしめ、頭を抱える。 血まみれの自分と、それを洗い流す雨と。 そして手にした銃の重さ。
「―――ろす」
エアリオを抱いたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「殺してやる…!」
心にあるのはもうその想いだけ。
たくさんのエアリオとの優しい時間も、今だけはもう、思い出せない。
「殺してやる、殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる―――ッ!!!」
見詰め合う兄弟の視線。 交錯する思い。 少年は叫ぶ。
「レーヴァテインッ!!! そんな偽者…さっさと跳ね除けろォッ!!」
言葉に呼応するように、レーヴァを中心に光が渦巻く。
何の武器も装甲も無いレーヴァテインは銃剣を引き抜き、ガルヴァテインを蹴り飛ばす。
主の命令に忠実に従うかのように、リイドの背後に馳せ参じる。
同様にガルヴァテインもまたスヴィアの背後に立ち、二人の視線はゆっくりと後退する。
背後の機体に語りかけるように、リイドは涙を流しながら動かないエアリオの顔に頬を寄せる。
「エアリオ………ッ!」
許せないものがある。
絶対に倒さなければならないものがある。
レーヴァテインに乗り込んだリイドは血まみれの手で操縦桿を握り締める。
その脳裏を過ぎる衝動は、殺意という言葉一色で染め上げられていた。