謳え、その凱歌(3)
「全軍迎撃用意! 目標を迎え撃つ!」
『了解!』
スヴィアの号令に従い作戦が結構に移される。
頭上を舞う巨大すぎる神。 それに向かい、洋上の艦隊から砲撃と弾道の雨が舞い上がる。
同時に飛翔する数え切れぬ数のヨルムンガルド。 その先陣を切り、ガルヴァテインが両手に銃剣を構え飛翔する。
爆発と炎と風と夜の闇。 月明かりを覆い隠すその闇の中へまっすぐに突き進むガルヴァテイン。
ウガルルム。 ウリディシム。 魔獣の名を持つ二対の銃剣。 それを正面に構え、加速しながら引き金を引き続ける。
攻撃を受けてもびくともしないノア。 周囲にはフォゾンによる強固な結界が存在し、ガルヴァテインの攻撃でさえ通用しない。
同時に口を開くノア。 その咽奥からあふれかえるように大量の天使が空へ放たれた。
天国をひっくり返したような惨状。 まさに大乱戦の一言に尽きる。 その天使の数、およそ万単位。
「時間の無駄だ…。 エンリル、埒をあける」
「…はい」
ガルヴァテイン=ティアマト。 その背後に展開する三枚ずつの対翼。 飛翔し続ける推力を生み出すそれらは淡い光を放ち、ガルヴァテインを覆い尽くす。
放たれる光の弾丸も天使そのものの突撃もその光の結界は無力化する。 対神にのみ効果する絶対防御能力、『天の石版』。
結界を生み出す石版で自身の身体を覆いつくし、背後に続く部下に迫る脅威をわずかでも取り除く。
空中を高速で飛翔。 折り重なり津波のように空を塞ぐ天使の大群に銃弾を叩き込み、ブレードで十字に切り裂いていく。
爆発するのは天使だけではない。 味方のヨルムンガルドとて同じ事。 次々に撃墜され、戦線は一瞬で崩壊する。
訓練をつんだ軍隊ですらその物量には対処しきれない。 分断された部隊のヨルムンガルドは飲み込まれるように粉々に砕け散っていく。
艦隊からの砲撃もヨルムンガルドのアサルトライフルも通用していないわけではない。 わけではないのだが、単純に数に違いがありすぎる。
想像以上の状況に思わずスヴィアでさえ眉を潜めた。 近づく敵を次々に両断し、鮮血の中顔を上げる。
「まさかとは思っていたが…そういうことか」
目を細める。 その視線の先、天使に覆い隠されるようなノアの姿がある。
ノアは襲い来る同盟軍を相手にしようともしない。 ただただまっすぐに突き進むのみ。 そしてそれにガルヴァテインですら容易に近づけずにいた。
口から大量発生した天使。 それは巨大すぎるノアの肉体の容積よりもさらに大量。 つまり、内部に格納していたわけではない。
ノアの口から内蔵しきらないほどの天使が出現したという事が指し示す意味。 それは、ノア自体がゲートと同じ役割を果たしているという驚異的な事実であった。
まさに移動する要塞拠点。 単騎で空中を飛翔していたわけではなかった。 ただ、その背後には億千もの天使を常に従えていたのである。
しかし予想を裏切る事態など、スヴィアにとっては予想の範疇。 戦場では何が起こるかわからないのが常。 相手が人外だと言うのであればなおのことである。
絶え間なく攻防を繰り返しながらゆっくりと戦線を押し広げていく。 後方からは肩部に装備したオヴェリスクから放たれる砲撃で徹底的にトライデントが空中制圧を行う。
弾幕の雨。 敵味方が入り乱れての乱戦。 こうなってしまっては同盟軍が全滅するのは時間の問題だと判断する。
それは咄嗟の思考。 ヨルムンガルドにまだ慣れきっていない同盟軍の部隊は大量の天使に直に飲み込まれるだろう。 トライデントとガルヴァテインもまたどれほど持つかは判らない―――そう、今のままならば。
「少し…」
本気を出すか。
心の中でそんな事をつぶやいた直後。
「スヴィアッ!」
声に振り返る必要もない。 静かに目を伏せ、スヴィアは両手の銃剣を周囲に向かって連打する。
降り注いだのは蒼い流星。 遥か彼方より放たれたそれらの光は次々に降り注ぎ、天使を氷結させ砕いていく。
水平線の向こう側。 弓矢を構えたマルドゥークが身体をひねりながら光の翼を羽ばたかせ飛翔する。
月光を背に光を放つレーヴァテイン。 弓を構えるその脇を無数の影が通り過ぎ、天使の群れと接触する。
エクスカリバーの光の剣が天使の大群を薙ぎ払い、流転の弓矢が空中に氷山を生み出す。
氷結した天使の群れを切りつけ、砕くガルヴァテインとエクスカリバー。 空中を舞い散る美しい氷片は月明かりに照らされほのかに輝いて見えた。
⇒謳え、その凱歌(3)
鳴き声が聴こえる。
それは謳うように大空に響き渡る。 その声だけで周囲に居る機体も天使も震え上がり、空を見上げた。
全てのアーティフェクタを前にノアもまたようやく自らの重い腰を上げた。 その巨大すぎる肉体のありとあらゆる場所から光線が周囲に放たれ、ノアを包囲しようとしていたヨルムンガルドを一瞬で壊滅させる。
迫る光の矢をそれぞれ回避する。 マントで自分自身を覆い隠したエクスカリバーに直撃した光は拡散され、微かな余波を残し消滅する。
着地。 大地を砕き、顔を上げる。 エクスカリバーのマントはフォゾンで構成されている。 そしてそれはフォゾン攻撃を弾き飛ばす防御能力も備えていた。
同時に周囲を見渡すシド。 隣接しているのはトライデント、そしてヘイムダル、アイリス機。 攻撃により隊列を乱された一同は同様に空を見上げる。
「久しぶりさっ、トライデント! お隣失礼するさ!」
「シド君か。 久しぶりだね…でも、とりあえず今はこの状況を何とかしないと」
右側面からトライデントとエクスカリバーがノアに攻撃を仕掛ける中、遅れて飛来した光の余波を回避したマルドゥークが前進する。
巨大すぎるノアの真正面から矢を放ちながら接近し、その上空に停止する。
「でかい…っ!? 聞いてたのよりぜんぜん巨大じゃないか!」
舌打ちするリイド。 エアリオは静かに目を閉じ、その巨大な神の波長に耳を済ませる。
干渉者のみが感じる事の出来る神の波長。 それをレーヴァテインから受け取り、適合者であるリイドに受け流す。
そうしてリイドは理解する。 その巨大な存在そのものが、一つのゲートの姿なのだと。
ヘヴンスゲート。 神や天使を召喚する門。 それらが果たしてどうやって作られているのかどうかはわからない。 どういった仕組みで動いているのかも全て人間が想定した過程に過ぎない。
故にそんなものがあったとしても何も問題は無い。 しかし驚きは隠せない。 それほどまで巨大なものが。 ゲートが。 今まさにヴァルハラに迫っているという一つの事実。
「…正確には体内にゲートを内蔵している」
「判ってるよ! くそ、中に入れって言うのかよ!?」
今この瞬間も天使は増え続けている。 まったくそれらの勢いが衰える気配は見られない。 いくらマルドゥークの装甲が頑丈だとしても、数千もの天使に取り付かれては一瞬で破壊されるのは道理。
突っ込むことに踏ん切りをつけられずに戸惑っていると、光の矢が天使の集団に一閃、闇を切り裂いて浮かび上がる。
「レーヴァテイン! じっとしてる場合!?」
「―――テイルヴァイト!? エリザベスか!」
フォゾンライフルを放ち、レーヴァテインに隣接するエリザベス。 直後レーヴァのコックピットにエリザベスの顔が表示された。
「あれが一種のゲートそのものだってことはもうわかってるんでしょ!? あたしたちはどうすればいいのよ!? あんたが指示を出してくれなきゃ動きようがないでしょ!」
「…う、うん…でも、エリザベス…ええと…」
思わず口ごもる。 ラグラロクであるはずのエリザベスが、しかし誰よりも必死な表情でリイドに呼びかけているという現状。
多少理解出来ないで戸惑ったとしてもそれは不自然でもなければ失態でもないだろう。 リイドは首をかしげ、眉を潜める。
「エリザベスってラグナロクだよね?」
「そうよ?」
「ラグナロクって悪い組織なんじゃなかったっけ」
「あんたが何を言いたいのか、よくわからないけど―――」
尾を取り外し、刃を高速回転させる。 チェーンソーとして強力な切れ味を保有したそれで接近する天使を薙ぎ払い、振り返る。
「こいつらは人類の敵でしょ? 違う?」
「あ、うん…そうだけどさ」
なんだか調子が狂う。 民間人に向かって容赦なく八方したり何度も襲い掛かってきたりするくせに、こんなときには迷いの無い瞳でそんな事を言うのだ。
だがしかし、そんなところにかまっている余裕はエリザベスも、無論リイドにもない。 操縦桿を強く握り締め、弓矢を構える。
「エリザベス! あの障壁が邪魔だ! 何とかならない!?」
「結界壊そうにも天使の数が多すぎてたどり着けない!」
片手でチェーンソーを振り回し、フォゾンライフルを放つ。 それでも尚天使の勢いは止まず、最早それ自体が一つの兵器のようだった。
それら仲間を無視して全方向に放たれるフォゾン攻撃。 空を焼き、海を割るノアの一撃の前に、近づく事は決して容易ではない。
フォゾン攻撃に対して手をかざし、光の障壁で弾いたリイドは後方に浮遊するテイルヴァイトに振り返る。
「とにかく、あの弾幕と数が厄介すぎて…!」
問題点は二つ。 まず一つはノアそのものが強力な神であるという一つの事実。
もう一つはノアを覆う圧倒的な物量の天使である。 一対一ならば負ける確立など零だと断言出来よう力なきそれらも、群れを成すことで脅威となる。
それは天使の基本戦術であり、究極戦術でもある。 とにかく数が多く、対処しきれない。
四機のアーティフェクタが揃ってこのざまである。 その戦闘力が如何程のものなのかは論ずるに値しないだろう。
「とにかく、障壁を突き抜ければいいのだろう」
レーヴァテインと肩を並べるガルヴァテイン。 光の結界で自身を覆いながらノアを見据える。
「一分くらいならあそこの雑魚全てを引き受けられるが、その間にどうにかできるか?」
「ぜ、全部!? スヴィア、それはいくらなんでも無理なんじゃ…」
「私は自分に不可能な事は口にしない」
「…」
それは誰よりもリイドがよくわかっている事だった。 理知的な思考を基本とするスヴィアは、感情や虚言で大口を叩いたりはしない。
両手を広げるガルヴァテインの背後、広がる鉄の翼から吹き出る大量―――否、水蒸気。
光を乱反射し虹色の輝きを放つ白い闇の中、ガルヴァテインの瞳が輝く。
「いいか、一分だ。 その間に結界を破壊し、奴の中に一撃を叩き込め」
ガルヴァテインが霧の中輝きを放つ頃。
ノアの後方、水しぶきを上げながら飛行するウロボロスの姿があった。
後方には無数のヨルムンガルドを追従させ、日本列島に着地し、ノアを見上げる。
「第一目標はあくまでレーヴァテインだ。 ほかの連中は放っておけ」
カロードの指示に従い飛翔する無数の影―――それらを両断し、上空より飛来する影があった。
両手に刀を携え、ノアが通り過ぎた月明かりを背に着地する黒いヘイムダル。 それはノアから離れた場所、日本に留まりカロードたちを待ち伏せていた。
そう、まるで乱入がある事をあらかじめ予測していたかのように。
黒いヘイムダル。 軽量化された装甲が一撃で破壊されかねないほど脆く危うく、しかしそれゆえに軽やかな動きはカイト機さえも越える。
痩躯の鬼神。 腕を組み、両腕に纏った布を風に靡かせながら単騎でそれはラグナロクと向かい合う。
「…また貴様か…。 オリカ・スティングレイ」
微笑で応えるオリカ。 近づくヨルムンガルドを薙ぎ払い、その残骸を踏み潰しながら顔を上げる。
「何度我々の邪魔をすれば気が済むのやら…!」
「邪魔をしているのは、私に言わせればきみたちのほうだよ。 さっさとリイドから手を引けば、痛い目見なくて済むのにさ―――」
今まで何度もそうしてきた。 リイド・レンブラムという少年の周辺には常に危険があった。
ラグナロクのメンバーは自らの命を惜しまない。 死ぬ事が判っていてもヴァルハラに潜入し、リイドに接近しようとした事などいくらでもあった。
そのたびに少女はリイドの知らぬ場所で戦い、その命を守ってきた。 幾度となくラグナロクの行動を阻害し、少年にそれを悟られまいとしてきたのである。
それが一族の掟。 少女が強者である理由。 自らの幸福を削り、守るべき人を守るためだけに人生の全てを注ぎ込んできたのだ。
その意志が、努力が、想いが。 刀の切れ味となり、月明かりを映し出し鈍く光る刃の輝きそのものであると言えるだろう。
ラグナロクの精鋭である兵たちですら敵わないそれは最早人の身を超えていると言っても過言ではない。 まさに化け物…少女はパイロットスーツの胸元を緩めながら踏みつけているヨルムンガルドのコックピットを踏み砕く。
攻撃の一撃一撃が急所狙い。 万が一はずしたとしても、確実に行動を阻害する方法を選択する。
少女にとって人の死は軽いものでしかない。 己の命すら軽いのであれば、どうして他者の命を重んじる事が出来ようか。
「この間は機体が無かったからやられちゃったけど、今回はそうは行かないよ。 それにね…私、怒ってるんだよ…?」
微笑を浮かべたまま、虚空を見つめるほの暗い瞳。 ぎりぎりと音を立てて握り締める操縦桿。 殺気はダイレクトにウロボロスに伝わり、カロードに伝わる。
「きみたちは、ちょっとやりすぎたよね?」
歩き出す。 フォゾンライフルを構えたヨルムンガルドが一斉に光を放ち、迎撃する。
しかし一撃たりとも命中しない。 豪雨のようなその光の嵐の中、刃で切り裂き、跳躍し、踊るように頭を、胴を、足を切り裂いていく。
死の嵐―――そんな言葉を連想する漆黒の機体。 ヨルムンガルドから放たれる血の雨を浴びながら銀色の瞳でカロードを捉えた。
思い出すのはいつでもリイドの事。 リイドが悲しみにくれ、必死でカイトを探していた後姿。
怪我をしたエアリオを心配そうに眺め、声をかけるその表情。
リイドが。 リイドが。 自らの愛する人が。 守るべき人が。 そんな顔をしているのを、何故か、見たくない。
「だから、皆殺してあげる。 一人も、ただ一人も残さず、きれいさっぱりこの世界から消し去ってあげる」
彼を傷つける物も、悲しませる物も、何一つ存在していなくていい。
交差させ構える刃。 ラグナロクの面々がたじろぎ、じりじりと後退してしまうのも無理の無い事だった。
勝ち目をまるで感じないのだ。 目の前に居る、ただの量産機に乗り込んでいるだけのたかだか十代の少女に対し、一切の勝ち目を感じないのだ。
第一神話級などこの明確で純粋な殺意の前では秤にかけるも馬鹿馬鹿しいほどあからさまな恐怖。 息を呑み、汗をかく。
そんな中たった一機のみ、前に出る機体があった。 カロードの駆るウロボロスである。 表情を一切浮かべないまま、無言で銃を向ける。
我慢の限界なのはお互い様だった。 二人とも相手に対していい印象など皆無。 いや、むしろ、この場で排除しておかねば気がすまない―――。
フォゾンライフルに取り付けられていた大型のブレードを手に取り、カロードは獲物を見据える。 最早二人の間に言葉は要らない。
駆け出す二機の影は月明かりの中、空中で激突する。 刃と刃が火花と唸りを上げ、ぎりぎりと、空間そのものを振動させる。
圧倒的な気迫。 だがしかし、戦闘のプロフェッショナルとして育ってきたのはオリカだけではない。 カロードもまた、その道を歩んできた。
機体の出力差でウロボロスは片腕でヘイムダルを押しのける。 そう、性能だけで言えばウロボロスはヘイムダルを圧倒しているのだ。
吹き飛ばされたとしても体勢を全く崩さないヘイムダル。 追撃で放たれたフォゾンライフルも全て刀で弾かれてしまう。
この刀のためにルドルフは三日間徹夜をする羽目になった、フォゾンコーティング済みの実刀。 オリカ唯一の武装であり、究極の武装でもある。
崩れたビルの上に着地したヘイムダル。 フォゾンライフルの攻撃をかわし、空中を回転しながらオリカはコックピットで笑っている。
白い歯を見せながら、無邪気な子供のように。 見開かれた蒼い瞳が光を吸うように輝きを帯びる。
オリカが戦場で感じる感覚は呼吸をするのと同じ。 いや、厳密には水を得た魚―――彼女のあるべき場所は戦場であり、朗らかな笑顔はそこにはない。
リイドがいるからオリカは優しく笑う。 リイドの友達だから優しく笑う。 それが他人、ましてや敵であれば容赦などという言葉は微塵も浮かばない。
「強いな―――オリカ・スティングレイ」
「はっ♪」
障害物は全て薙ぎ払い、大地を駆け抜ける漆黒の機体。
「はははははは―――っははっ!!」
狂ったように笑いながら、ウロボロスに斬りかかる。
鍔迫り合いしながら二機のパイロットはにらみ合い、互いに微笑を浮かべる。
「きみも強いね。 殺してしまうのが勿体無いくらいに」
「喋りの過ぎる口だ」
「選ばせてあげるよ」
「ほう…何をだ?」
「どんな死に方がいい? 抵抗しなければ、痛くないようにしてあげるけど」
「それは、どうかなッ!」
至近距離で突きつけるフォゾンライフル。 顔面に押し当てられたその銃口から光が放たれるより早く、腕で銃口を逸らす。
背後のビル郡が吹き飛ぶ中、その一瞬だけ銃口を逸らす為に生まれた隙をカロードは見逃さない。
銃口をそらされる頃には既にライフルから手は離していた。 開いた手で今度こそヘイムダルの顔を掴み、ブレードを突きつける。
その突きを片方の刀で受け流し、開いている腕でウロボロスに刃を突き立てる。
しかし、蹴り。 膝で打たれたヘイムダルの腕から刀が放られ、二機はつかみ合ったままにらみ合いを続ける。
ぞわりと、背筋を悪寒が駆けるような感覚をカロードが覚えた瞬間、ヘイムダルの間接はありえない方向に捻じ曲がり、捕獲を突破し、ウロボロスを蹴り飛ばす。
出力で言えばヘイムダルはウロボロスに絶対的に敵わない。 圧倒的な力の差を強引に突破したオリカだったが、無論その間接を外した痛みはオリカ自身に若干フィードバックする。
しかしそんなことは関係ない。 大地に突き刺さったままの刀を引き抜き、吹き飛ぶウロボロスに投擲する。
「ちっ!」
刀を弾くウロボロス。 その一瞬ふさがった視界を切り抜け、捻じ曲げられた腕を伸ばし、ヘイムダルが迫る。
外れた関節は不気味に伸びきり、通常のヘイムダルの腕よりも長く、相手を捕らえる。
「何っ!?」
そんな戦い方は見た事も聞いた事もない。 いや、考え付いてもやろうとしないのが人間だ。 それを呼吸をするように平然とやってのけるのは、オリカの強靭な精神力と戦場という特殊な環境下が彼女にとって適しているという二つの異常がもたらされているからである。
ウロボロスの手から離れたブレードを奪い、その胴を斬り付ける。
鮮血があふれ、自らの名誉そのものとも言えるウロボロスが傷つけられた事を悟った瞬間、カロードの我慢は限界を超えた。
フォゾンライフルを構える―――のではなく、その巨大な銃身で直接ヘイムダルを殴りつける。
ひしゃげるライフル。 同時に折れたヘイムダルの腕。 二機は互いに血を流しながら距離を取った。
そんな尋常ならざる戦いを眺めていたのは真紅のヘイムダルだった。
オリカを援護しようと駆けつけたというのに、全く入り込む余地が無く思わず息を呑む。
オリカは、強い。 ウロボロスのパイロットも並大抵ではないが、そのウロボロスとまともにやりあえるのは単純にオリカが強すぎるだけの話なのだ。
美しさすら感じるその闘争の最中、アイリスは呼吸する事も忘れただそれに見入っていた。
「…!?」
しかしそこはあくまでも戦場。 ノアから離れ、主戦場は程遠いとは言え、敵は確かに存在する。
ウロボロスをさえぎるように舞い降りた蒼いヨルムンガルドのカスタム機。 ガトリングを構え、迎え撃つ体勢を取る。
「やめておきな。 お前、人間撃つのに向いてねえよ」
「何…っ」
ヨルムンガルドカスタム、モデル『アローヘッド』。
カロードに続くラグナロク部隊内二番手、蒼の旋風副隊長の少年、ミリアルド。 長大過ぎる対物ライフルを肩に乗せ、アイリスと向かい合っていた。
「お兄さんの邪魔をするんじゃねえよ。 あれであの人ストレスたまってて色々と今あぶねえんだ。 お前みたいな女が向かってっても死ぬだけだぜ?」
「やってみなければそんなことは判りません」
「そいつはやった事のない奴の理屈だな。 自分が甘ちゃんだって公言してどうすんだよ」
「…っ」
思わず顔を紅くするアイリス。 容赦なく引き金を引き、ガトリング砲から大量の銃弾が放たれる。
それを回避しながらミリアルドもまた対物ライフルを構えた。
「やれやれ。 俺の相手はレーヴァテインなんだけどねえ」
「前回の雪辱を果たさせてもらいます。 それに…」
歯軋りする。 アイリスの頭の中も心の中も既に怒りであふれかえっていた。
「姉さんをあんなふうにした罪は…! 貴方たちの死程度では軽すぎるッ!!」
「―――行くぞ、エンリル」
返事はない。 答えの言葉の変わりに、ガルヴァテインのコックピットに光の線が走る。
駆け巡るエネルギー。 全身からあふれんばかりのその力は間接から黒い光を周囲に照射し、水蒸気を照らし上げていく。
水蒸気に見えるそれらは細かいフォゾンの粒子の集合体である。 それらに照射する光は光であって光ではない。
いわば情報と概念の収束。 それらをフォゾンに照射することにより、ティアマトは自らの幻影を空中に生み出す事が出来る。
空を舞う八機のガルヴァテイン。 同時に銃剣を構え、正面にたむろする数え切れない天使の隊列に向かって一斉に攻撃を開始した。
幻影の放つ弾丸さえ実体を持ち、威力を持つ。 それらは確かな破壊力で、同時に圧倒的な数で天使を薙ぎ払う。
アーティフェクタ八機分の同時銃撃。 見る見るうちに薙ぎ払われていく天使たち。 ユウフラテスを構えるレーヴァテインの中でリイドはそれを見つめていた。
「そんなのアリなのか…!?」
兄は自分の何歩も先を歩いている事を知る。 たった一機のガルヴァテインだけで戦況が圧倒的に傾いた。 世界を変えうる力、アーティフェクタ。
その中で長年戦ってきたそのキャリアはリイドの才能を以ってしても追いつけない遥か彼方。 銃弾の雨の中、黒いレーヴァテインは美しく舞う。
「今だ! 結界を突破しろ!」
「その大任、我らが任された!」
光を帯びた刃を構え、天使の群れに突撃するエクスカリバー。 そのエクスカリバーに続きカイトのヘイムダル。 さらにその二機を後方からトライデントとテイルヴァイトが援護する。
近接戦闘に特化したエクスカリバーとカイトのヘイムダルは徒党を組む天使の大群を薙ぎ払い、一直線にノアを目指す。
接近する脅威を感じ取ったのか、ノアは全砲門をエクスカリバーとヘイムダルへと向ける。 放たれた数百の光は一直線に二機に収束し、しかしエクスカリバーが翳す手に弾き飛ばされていた。
拡散する光と衝撃と破壊の螺旋。 周辺の天使を巻き込み暴発するその力の濁流をさえぎっているのはエクスカリバーが構えたただ一振りの刃だけ。
高密度のフォゾンを圧縮して生み出されるエクスカリバーの刃はフォゾンを切り裂き、自らもまた対フォゾン効果を持つマントで覆い、後続の機体を守る盾となる。
「その程度でエクスカリバーを落とせると思うなさ! こいつは、守る事に関しては―――何者にも負けやしねえさーーーーッ!!!」
切り裂く光の豪雨。 エクスカリバーの背後からトライデントとテイルヴァイトが放った攻撃がノアに届き、障壁にかき消される。
空中をぐるぐると回転しながら右腕に装備したパイルバンカーを障壁に叩きつけ、カイトが引き金を引く。
「どおりゃあっ!!」
一撃。 障壁はびくともしない。
二撃。 しかしトライデントとテイルヴァイトの攻撃は続く。
三撃。 幾度と無く放たれる攻撃はついに障壁に亀裂を発生させ。
「はああっ!」
振り上げる蒼いヘイムダルの踵。 鋭くとがった鋭利な足が障壁を貫通すると、まるで薄いガラスが連鎖して砕け散っていくかのように、障壁は一瞬で甲高い音と共に砕け散った。
「「 シンクロ 」」
大空の闇が一瞬で振り払われる。
まるでそうなる事を誰もが知っていたかのように。 そして二人もまたそうする事を理解していたかのように。 目を閉じ、心を重ね合わせる。
シンクロ。 魂の共鳴。 存在を重ね、二人の間にある境界線を、掻き消して行く―――。
「これは…」
不思議な感覚だった。
初めて入り込むエアリオの心の壁。 それはまるで半透明な扉を前にするような不確かな感覚。 しかし触れてみればそれは実際には強固な城壁であると容易に気づく。
エアリオ・ウィリオという少女の心を覆う壁。 それは今まで触れ合ってきた心の持ち主の誰よりも他者を望まず、立ち入らせず、鍵のありかは皆目検討もつかない。
シンクロなど出来るのだろうか? そんな疑問がリイドの脳裏をよぎる。 そうだ、今まで一度としてエアリオだけは、彼女だけは、自分に心を開いてくれたことはなかった。
それはきっとリイドもまたエアリオに対して心を開いてこなかったから。 しかし二人はようやくパートナーとして協力していく決意を固めたのだ。 たとえそれがどんなに強固な境界線だろうと、手を触れ、押さない限り、扉は決して開かないのだから。
「リイド」
「うん?」
振り返らないリイド。 その背中を見つめながら、エアリオは震える手を強く握り締め、不安を隠さない揺れる瞳で問いかけた。
「わたしの心を見ても…軽蔑したりしないでくれるか?」
「はっ?」
素っ頓狂な声が出てしまったのもある意味仕方のない事である。 何しろ、イリアもオリカもそんな事は一言も口にしなかった事だ。
適合者と干渉者の心がつながってしまえば、見たくないものも相手に隠しておきたいことも互いに知ることになるだろう。 そうしたものを喜ばしく思うはずがないのは人間の常だ。
しかし、エアリオは真顔で、本当に不安そうに、自らの心を開け放つ事を恐れていた。 だからこそリイドは驚く。
エアリオがそんな顔をするのを、見た事がなかったから。
「それは、むしろボクのセリフだよ」
目を閉じ苦笑する。 弱弱しくて女々しいのは自分の方だ。 迷い、苦しみ、素直になれず、人とすれ違う。
「それでも、ボクはお前を信じてる」
「…」
「ボクのパートナーである…エアリオ・ウィリオを―――リイド・レンブラムは、信じてるよ」
だから。
「ボクを信じろ、エアリオ。 ボクがお前を信じるように、お前もボクを信じてくれ」
まっすぐな言葉。 エアリオの心の中に、あの日のリイドの姿が思い浮かぶ。
初めて二人が出会った日、少年は危機的状況下においてそれを楽しんでいるような幼い感情の持ち主だった。
信頼など出来るはずもない。 ただ波風を立てないために黙っていただけで、エアリオはイリア以上にリイドを信用していなかった。
命令だから仕方ない。 それ以上の感情は持ち合わせていない。 誰に対しても好意的になれない少女にとって、それはリイドを特別に仕立て上げるには及ばなかっただけの話で。
それがいつの間にか自分の特別になり、そのどうでもいいエリアから飛び出し、自分を導くようにさえなってしまっているという事実。
苦笑する。 変わったのは自分だけではない。 リイドも十分すぎるほど―――成長したのだ。
だから、心を預けよう。
「わかった」
光が扉から放たれるイメージ。
闇を切り裂く一縷の光。
天地を二分する蒼い光の線が消え去った時、レーヴァテインの瞳は金色に輝いて翼は虹を浮かべ大気を震わせる。
あふれ出す膨大なフォゾンは周囲に浮かぶ天使を破裂させ、味方であるはずのテイルヴァイトやガルヴァテインを吹き飛ばし、その勢いは尚留まらない。
空に轟く雷鳴。 レーヴァテインの間接から金色の光が放たれ、雷を纏い、空に君臨する。
シンクロを得て本来の姿へ近づいたマルドゥークの装甲は変化し、ぎりぎりと、軋むように巨大化する。
空中に浮かべたユウフラテスは一度光となって消え去り、矢を引くような仕草をするレーヴァテインの正面に、金色の弓矢が生み出される。
再構築されたユウフラテスは今までのそれとは対比にならないほどの圧力を持ち、斜線軸に並んだ天使たちが何も言わずとも逃げ出していった。
それはゲート、拠点を守らねばならないという命令を無視して逃げ出したことを意味する天使の反逆行為。 しかしそれよりも何よりも優先したのは、本能が告げる明らかな絶対上位存在からの死の警告だった。
「これがマルドゥークの…エアリオの、心…?」
すさまじい力に驚きながらも、しかしリイドの関心はそこには向けられていなかった。
力を解放したレーヴァテインのすさまじさには多少の心得がある。 しかし、エアリオのその心の中身だけはどうしても見慣れないものだった。
しいて言うのならば、空っぽの器。 真っ白い部屋の中、何一つ物が置かれておらず、そこにエアリオがぽつんと座っているようなイメージ。
何もない。 感情もない。 全てが白い。 白く、真っ白だ。 空白の中、周囲のその白さに埋もれるように、エアリオは部屋の隅でうずくまっていた。
感情を感じない。 イリアや、オリカが抱くような…否、人間ならば誰もが胸に抱く感情を、エアリオからは感じられなかった。
それはありえない事だ。 心を持たない人間など居はしない。 不気味な君の悪さと不安定になる気持ちを抑えるように胸に手を当てる。
「それが、どうした―――!」
エアリオの中身が空っぽだったとしても、そこに芥ほども関係はありはしない。
「ボクはエアリオを信じている―――!」
たとえ何一つ存在しない、人形のようなものだったとしても。
「ボクは、それでもお前を信じてるッ!!」
弓矢の放たれる先を指し示すように黄金の光がノアを照らし出す。 それはユウフラテスの照準。
黄金の十字架が空中に浮かび上がり、巨大な魔方陣がマルドゥークの足元を回転し始める。
「謳えッ!! その凱歌をッ!!」
ぎりぎりと音を立てて引き絞る矢。
その矢は光を帯び、淡い光の波紋をを描きながら巨大化し、マルドゥークの力ですら抑えきれない程のフォゾンの塊へと変貌を遂げる。
「貫けえぇぇぇぇ―――っ!!」
矢が、放たれる。
それは眩い黄金の光を放ち、神の放った怒りの雷のように天使を、ノアのを、貫通していく。
響き渡る悲鳴。 ノアの肉が焼け焦げる音が聞こえる。 無数の雷鳴が轟き、ノアの口から尾までを貫いた矢はそれでも飽き足らず空の彼方で光を拡散させ、柱を立ち上らせる。
一撃。 おそらく体内に所有していたと思われるゲートごとノアを貫いた矢。 レーヴァテインは雷を帯びた矢を下ろし、ゆっくりと浮遊を続ける。
金色の光の粉を撒き散らせながら、氷結した海の上に着地する。 完全に凍てついた海。 敵も味方もその光景を黙って見ているしかなかった。
「霹靂のレーヴァテイン、か」
誰かがそんな言葉を呟いた。 それを最後に、戦闘は完全に終了した。
シンクロを解除し、元のマルドゥークに戻っていく形状。 コックピットの中でため息をついたリイドは振り返り、エアリオの笑いかける。
その少年の優しい笑顔に、少女もまた穏やかに微笑むのだった。
吹き飛ばされた雲。 晴れ渡った空の闇の中、月と星の光が惜しみなく降り注いでいた。
その姿は神々しく、驚異的な存在である事は誰もが理解しているのに、思わず目を離すことが出来ないような―――そんな景色だった。
「す………っげえ…」
残存した天使たちは何もせずとも散り散りに逃げ帰っていく。 空中からレーヴァテインを見下ろしながらカイトは思わず息を呑んだ。
興奮せずには居られない。 あれだけ強力な敵でさえ、リイドは一撃で薙ぎ払ってしまったのだから。
人類は神に勝利出来る―――そんな予感を感じずには居られない。 その場で生き残っていた人間の誰もが歓声を上げ、レーヴァテインを称えていた。
「…っ! 今の―――マルドゥーク!?」
東京の廃墟で刃を交えていたオリカとカロードもその光に気づく。 互いに顔をしかめ、まるで良くない事が起きてしまったかのように舌打ちする。
「レーヴァテイン…まさか、イヴとシンクロを果たしたのか…」
翼を広げ後退するカロード。 リイドがエアリオとシンクロを果たしたのであれば、全ての計画を繰り上げる必要がある。
こんなところで不毛な争いをしている場合ではない―――そう判断すると即座に後退しヘイムダルを引き離す。
「逃げるの?」
「ふん、好きに言え。 それにどうせ貴様とではケリがつかない」
「んー、まあそれは同意するけど」
二機たお互いに傷だらけだった。 どれだけ攻防を繰り返しても互いに決め手を得られないのは二人の実力が拮抗してしまっているからだろう。
互いに相手を倒す決め手を持たないのであれば、だらだらと戦闘を続けていたら不利なのはカロードの方である。 乱戦のおかげで自分の存在に気づかれていなかったおかげで成立していたオリカとの一騎打ちだ。 リイドたちがそれに気づけば、残りの戦力を単騎で相手にせねばならない。 そのような勝ち目のない戦いに命を駆けるほどカロードもおろかではなかった。
「退くぞミリアルド。 いつまで遊んでいるつもりだ」
「はいはいっと。 お兄さんはまじめだねえ」
アイリスのヘイムダルと戦闘していたミリアルドも後退する。 アイリスに背を向けると、その状態のまま攻撃を回避しり、ゆっくりと目を細めた。
「お前、弱いな…? 無理せず素直に仲間と行動したほうがいいと思うぜ?」
「このっ!!」
「おっと。 危ない危ない…。 ま、ここは撤退しときますか。 とりあえず次は容赦しねえから、覚悟しときな」
飛翔するアローヘッド。 ウロボロスと並び、二機は飛び去っていく。
撃墜したヨルムンガルドの残骸の山の上に腰掛けるオリカのヘイムダルを見つめ、アイリスは強く操縦桿を握り締める。
「私が…弱い…っ?」
朝はまだ遠く、光は見えそうにもない。
雷と氷を纏ったレーヴァテインが手を振り、アイリスとオリカを呼んでいる。
戦いは終わった。 あっさり過ぎるほど、あっさりと。
しかしそれが、全ての問題の引き金になってしまった事を、まだリイドたちは知らなかった―――。