謳え、その凱歌(1)
第十五話・・・?
ロシアゲート攻略戦。
鳴り響く銃声と爆音。 吹き飛ばされていく大地。 粉々に砕け散り、大地に転がるヨルムンガルドの残骸。
「くそ! 退け! 陣形を立て直せ! 何だあれは、くそ!!」
アサルトライフルを連射しながら後退するヨルムンガルドの隊列。
ロシアゲート周辺に展開し、常にその動向を監視するエリートのみで構成された防衛隊は、得体の知れない恐怖と戦っていた。
正面から飛んでくる攻撃はあまりに激しく、豪雨のように降り注ぐ光の一つ一つが致死性を持つ破壊の波動。
次々に破壊されていくヨルムンガルドの隊列は頭上を見上げ、そこから差し込む影に息を呑んだ。
「何だこいつは・・・」
それはまるで船。
大空をゆっくりと移動するその巨大すぎる神は、その全身から無数の攻撃を大地へ降り注がせ、謳うような鳴き声を響かせて空を舞っていた。
その大きさはあまりにスケールが違いすぎてヨルムンガルドなどでは測定できない。 まるで島が一つ浮かび上がったかのようなスケールのそれは、あえて何かに類似していると言うのならば、鯨に良く似ていた。
無数の翼を羽ばたかせる度ヨルムンガルドは破壊され粉みじんに分解、そして光の砂へと回帰していく。
誰もが頭上に向かって叫びながら攻撃を仕掛けているのに、もはや命中しているのかどうかさえわからない。
それも無理はない。 彼らは気づいていなかったが、その神の大きさは全長20km。 ヨルムンガルドの弾丸では傷を与える事も出来ない代物だったのだから。
「駄目だ・・・話にならねえ・・・! 増援を! 増援を呼べ―――!」
叫びながらも朽ち果てていく戦場の映像を眺めながらアレキサンドリアはSICの社長室で目を細めていた。
傍らには腕を組んでその様子を眺めているスヴィアと表情一つ変えないで人の死を見つめているエンリルの姿があった。
溜息を着きながら両手を挙げてアレキサンドリアは振り返る。
「だめだこりゃ。 落ちたね前線・・・」
「当然だな。 こんなものを倒せる兵器、戦地に置いているわけがない」
「でもま、スヴィアのおかげで被害は最小限ですんだよ。 アレが来るのを知らなかったらもっと酷い事になってたろうし」
「知っているからどうと言うことでもあるまい。 何はともあれ、これでジェネシスも動かずにはいられまい」
「お目当てのイベントは発生しそう?」
「・・・さぁな。 なんにせよ、全戦力を以って迎撃しない限り人類はここでジ・エンドだ」
「ふうん。 ま、スヴィアが言うんだから間違いないんだろうね。 それじゃあ計画を次のステップに進めるということで」
「・・・ああ」
背を向け歩き出すスヴィア。 エンリルはその背中を不安そうな瞳で眺めていた。
⇒謳え、その凱歌(1)
「ホラ、飯だぞ」
「・・・・・・ありがと」
手作りの弁当箱を広げるジェネシス地下牢獄。 あれから数日が経過したその場所で、二人の姿は馴染みになっていた。
苦悩を浮かべながら弁当を手渡し、項垂れるカイトとそれを受け取り不思議そうな顔をしながら食事を取るエリザベス。 奇妙な二人の関係はしかしいつの間にか当たり前に変化していた。
から揚げにフォークを突き刺し、口に運びながらエリザベスは視線を合わせずに口を開いた。
「ねえ・・・」
「なんだよ」
「こんなことしてたら、あんた・・・裏切り者扱いされちゃうんじゃないの・・・?」
「そう思うなら食うなよ・・・」
「・・・」
「だああーーーわかった!! 食っていいから泣くなっ!!!」
「な、泣いてないもんっ」
と言いつつ涙ぐんだ目をドレスの袖で擦るエリザベス。
この状況を不可解だと感じているのはエリザベスだけではない。 誰よりもその張本人であるカイト自身が理解出来ていないのだ。 そんなことを聞かれても困るしかない。
水筒に入れてきた紅茶を口にしながらカイトは目を伏せ、それからエリザベスの様子を伺う。
二人の視線が交差し、奇妙な沈黙が続いた。
「お前もうさ・・・いい加減吐いちゃえよ」
「いや」
「こんなところ何日も閉じ込められてていい気分しねえだろ?」
「喋ったらどうせ殺されるもん・・・同じ事よ」
「・・・だよなあ・・・そうだよな。 話すわけねえよな。 俺でもきっとそうするよ」
「・・・」
再びの沈黙。 二人の会話が長く続いた事など一度としてない。
玉子焼きを口に放り込みながらエリザベスは弁当箱を覗き込み、挙動不審な目つきでカイトに問い掛ける。
「あのさ・・・」
「んあ?」
「このお弁当、あんたが作ったの・・・?」
「そうだけど、それが何だ?」
「いや・・・うん・・・。 おいしい・・・よ?」
「そりゃそうだろ。 イリアにも毎日俺が作って―――」
そこまで口にして額に手を当てた。
自分は何を言おうとしていたのだろう。 こんな幼い、しかも敵の・・・仇の少女に何を。
「もういいだろ? もうさっさと食えよ・・・さっきから全然手が進んでないぞ」
「うん・・・」
フォークを握り締める手を止めてしまっていたのにはちゃんと理由がある。
この弁当を食べ終えてしまったら、また一人暗闇の中に取り残されてしまう。
今だけなのだ。 一日でほんの数分間。 今この瞬間だけ、一人きりではなくなる。
暗闇の中閉じ込められていると嫌な事ばかり思い出して死んでしまいたくなる。 それでもまだ正気を保っていられるのは、良くも悪くもカイトがここを訪れてくれるからに他ならない。
食べ終わったらカイトは何も言わず帰ってしまう。 そう考えると美味しいはずの食事も箸が進まなかった。
「ねえ、イリアって人・・・この間の、」
「いいから。 その話は。 ほっといてくれ」
「ご、ごめんなさい」
遮る言葉に思わず口を閉じる。 申し訳がない気分になって慌てて弁当を口にかきこんだ。
後片付けを済ませるとカイトは立ち上がり、出口に向かって歩いていく。
その背中が見えなくなったらまた自分は一人暗闇の世界に取り残されて・・・もう出てこられないんじゃないかって、そんな気がして恐ろしい。
堪らなく恐ろしいその感情をどうにかするために、少女は思わず口を開いていた。
「ねえ!」
扉に手をかけたカイトが振り返る。
「あの・・・あのさ・・・あのね・・・」
鉄格子にしがみ付き、懇願するように、しかし矜持のためか、視線を逸らしながら尋ねた。
「次・・・いつ、来るの・・・?」
少年は振り返る。
「心配せずとも毎日来るよ。 お前が洗いざらい喋るまではな」
部屋を出て行く後姿。 寂しさと共に安堵する自分がいる。
少女は自分の胸に手を当て誓う。 だったら、『なおさら』だ。
「絶対・・・喋ってやるもんか」
少しだけ、苦悩の中、微笑みながら・・・思うのだった。
「どうよ? ヘイムダルだって空を飛べないわけじゃないって証明してやったぜ」
「おおー。 さすがだねルドルフ」
「まぁ、お前の協力あってこそだったけどな」
見上げる頭上、紅いヘイムダルの背中には鋼の翼が美しく伸びている。
ヨルムンガルドはフライングユニットを装備しているのに、ヘイムダルだけ空が飛べないのでは話にならないということで、ルドルフとボクとで協力して作り上げたのがこのウィングユニットだった。
暇な間はずっとルドルフと一緒に研究室に篭り、フライトユニットの設計をしてきたのだ。 元々理論は完成していたとは言え、一週間程度で完成したのはやはり快挙だろう。
フォゾンエンジン内部で半永久的に動作を続けるエーテル・リブート・ドライブ。 それは昔ボクが作ろうと思って作れなかったシステムだった。
一度は理論だけでも完成させたものの、結局資材がないボクには実現不能な話だったわけで。
それがこうして日の目を見る事になったのはある意味とんでもないことなのかもしれない。
「しかし、俺様が考えるより早くあんなの纏めてたとはな。 どうして思いついたんだ?」
「どうして・・・? うーん」
どうしてと問われると少し疑問が残るものではある。
気づけば作っていたのだけれど、なんでまたこんな高度な技術を作ろうと思ったのだろうか。
強いて言うならば、『元々こういうものだ』と知っていたような感覚だろうか。
まあそんなことがあるわけもないので、多分偶然の産物なのだろうけれど。
「何はともあれ、こいつのおかげでヘイムダルの機動性は格段にアップするぞ」
「本当ですか?」
声に振り返ると、そこにはアイリスの姿があった。 ヘイムダルの翼を見上げ、強い視線でボクを見つめる。
「この翼があれば、ウロボロスにも負けないんですか?」
「性能的にウロボロスってやつは多分段違いだ。 あの一機だけはアーティフェクタ並の性能を持っていると考えて良いだろうからな。 だがまあ、ヨルムンガルドカスタムにだったら引けをとらねえ代物だ」
「そうですか・・・。 ウロボロスには、敵わないんですね・・・」
少しだけがっかりしたような表情のアイリス。 何て声をかければ良いのかわからなくて曖昧に笑って見せると彼女は不機嫌そうにボクに歩み寄る。
「性能なんか関係ないです。 パイロットの腕でカバーしますから」
「そ、そっか・・・」
「・・・はい」
あの日・・・彼女と訓練室で会った日から、ボクらの関係はぎくしゃくしたままだった。
元々彼女とボクとの間には何らかの壁のようなものがあったのだと思う。 それを何とか壊そうと必死でやってきたけれど、結局彼女はボクに心を開いてはくれなかった。
イリアがどうのこうのというのはもう彼女も気にしていないだろう。 だから何か問題があるとすれば、単純にボクと彼女の問題。
それがどこにあり、なんなのかわからないボクは、きっとアイリスとは相性が悪いのだと思う。
助けてあげたい。 守ってあげたい。 そう思っているのに、そうさせてくれない。 それはちょっとした悲しみだと思う。
気まずそうな顔をしたルドルフはボクらの肩を叩いていつもどおり生意気な笑顔を浮かべた。
「性能をテストしてみるか?」
「え?」 「はい?」
ボクらの声は重なった。 同時に首を傾げる。
「だから、実戦テストだよ。 空中戦闘の模擬試合だ。 それで実力差がはっきりするだろ?」
「ちょ、ちょっとまってよ・・・!」
模擬試合なんて、そんなのどう考えても危ないじゃないか。
レーヴァテインが所持する武装じゃどれを使っても一撃でヘイムダルを貫いてしまう。 驕りとかじゃなくて、単純に今のボクの力ではヘイムダルなんて相手にならないんだ。
そんなことになったらアイリスに怪我をさせるかもしれない。 実力差があまりにもあれば手加減も出来るけど、彼女は残念ながら強い。
ただいつも彼女に勝利が巡ってこないだけで、訓練の成績だけ見れば実力は十二分にあるはずなのだ。
それに模擬戦闘だとしてもレーヴァテインを動かす以上、浸食の影響を受けるし反動だって発生するじゃないか。 出来れば乗りたくない代物なんだから、模擬戦のためだけの乗るのでは割に合わない。
そんなボクの考えを読み取ってか、ルドルフは振り返って蒼いヘイムダルを指差した。
「お前が乗るのはあっち。 カイト用のヘイムダルだよ」
「・・・つまり、ヘイムダル同士での模擬戦闘ってこと?」
「ああ。 両方の動作チェックもできて丁度いいだろ?」
「丁度いいだろって・・・あのねえ、」
「やりましょう」
口を閉じる。
アイリスは真剣な眼差しでボクを見上げている。
「私、やりたいです」
「・・・っと、本気・・・?」
「はい。 先輩と、戦いたいです」
「・・・・・・アイリス、どうして・・・」
「理由なんてどうでもいいじゃないですか。 とにかくそうしましょう。 私、着替えてきますから」
「ちょっと・・・アイリス!?」
さっさとハンガーを後にするアイリス。 ルドルフはボクの背中を押して意地悪な笑顔を浮かべた。
「まあ、付き合ってやれよ。 そうすりゃ全て丸く収まるんだ」
「・・・そうかなあ」
ボクは不安しか残らないんだけど。
どうして彼女はあんなにボクを嫌うのだろう。 わからない。 ボクはどうすれば、彼女を守ってあげられるのだろう。
女の子って、本当に・・・よくわからない―――。
「わからない・・・」
女子更衣室でパイロットスーツに着替えたアイリスは鏡の中の自分を見つめながら溜息を着いた。
眼鏡を外してコンタクトレンズに入れ替えた自分の姿はまるで憧れていた姉のようだった。
いつか、その背中に追いつきたいと。 その隣を歩きたいと、いつでも願ってきた。
いつだって結局は自分は部外者で守られた存在で。 だから、今度こそ戦って何かを守れるようになりたいと思ったのに。
「違う」
私は何のためにここに居るのだろうか。
「そうじゃない」
私は守るためにここに居るのだろうか。
「私は」
答えは皆目検討つかないわけでもない。 けれど確信するには至らない曖昧な感情。
試してみたい。 自分の力が、あの人にどこまで通用するのか―――。
そのために日々努力を重ねてきた。
強く在りたい。 強くなりたい。 そう願ってきた。
毅然としていよう。 誰かに守られて生きていくのなんて、真っ平御免だ。
『それじゃあ、模擬戦を始めるけど・・・』
「はい! 宜しくお願いします!」
数百メートルの距離を置き対峙する赤と蒼のヘイムダル。 二機の武装はそのままで、故に蒼のヘイムダルは格闘戦闘を主眼に置いている。
アイリスが構えるのは巨大なガトリングライフル。 追加武装であるミサイルポッドを肩部に、レールガンを腰部に折りたたんで装備している。
遠距離戦闘に主眼を置くヘイムダルと格闘戦闘に主眼を置くヘイムダル。 リイドは格闘戦闘の経験は多くない。 故にアイリスに若干有利な状況だと言えた。
プレートシティの上部に存在する防衛用プレートの上。 二機は互いに構え、アイリスは操縦桿を強く握り締める。
『本当にやるのか、アイリス・・・』
「勿論です。 それとも何ですか? 先輩は、私みたいなのの相手をしている暇はないとでも言うんですか?」
『え? いや、そうじゃないけど・・・』
操縦桿を握り締める。 何故そういう言い方になるのか自分でもわからない。
ああ、そうだ。 きっと不安なんだ。 彼がそんな風に思ってしまうはずがないと判っているはずなのに。 そう不安に思う。
いつまでたっても弱いままなのは自分だけだと思うと悔しく、悲しく、情けない気分になる。
だから。
「だったら本気で来て下さい。 手加減なんかしたら―――絶対に許しませんから」
『・・・判ったよ・・・。 じゃあ先に謝っておく』
「え?」
『怪我をさせて、ごめん・・・アイリス』
見下しているわけではない。
勝ち目なんか最初からない。
そんなのは判っている。 それでも歯を食いしばる。
敵だと思って狙い撃つ必要がある。 もう余計な事は考えないと決めた。 絶対に、越えなければならないものが、そこにある。
蒼いヘイムダルは低い姿勢のまま駆けて来る。 それはカイトの動作に劣るとも勝らない、研ぎ澄まされた動きだった。
ガトリングの弾幕をかいくぐるその仕草はカイトのように大胆な動作ではないけれど、無駄のない、洗礼された回避行動。
当たらない。 シミュレーターならば。 神相手ならば。 いくらでも当てられるはずなのに。
何故当たらないのか。 目の前の少年が、それほどまでに、掛離れているとでも言うのか―――。
「私は・・・!」
紅いヘイムダルの両肩から無数のミサイルが放たれる。 弾道は雨のように降り注ぎ、炎を巻き上げリイドの姿を多い隠す。
「私は!」
銃弾を叩き込む。 レールガンを組み立て、フォゾンを圧縮した弾丸を速射する。
「私はーーーーーっ!!」
鳴り響く銃声と爆音。 炎の嵐の中から伸びた蒼い腕は弾丸の速度を持って伸び、数百メートル放れた場所にいるアイリス機のレールガンを掴み上げる。
ブレイクナックル。 カイト機の新武装であり、伸縮するワイヤーでつながれた、椀部兵器。
そのワイヤーに引っ張られるように本体そのものが飛翔しながら炎の嵐を飛び出してくる。
ウィングを広げてレールガンを分離。 空中に逃れるアイリス機を追ってリイドが乗る蒼い機体も空を舞う。
「貴方はどうしてそうなんですか! いつもいつも!!」
肝心な時になるとてんでだめな自分を、いつもいつもいつもいつも。
「貴方は・・・!!」
タイミングよく現れるのだ。 まるで正義の味方みたいに。 その姿を見て安堵してしまう自分が、何より嫌いだった。
「助けて欲しくなんか・・・無いのにぃぃぃぃぃっ!!」
空中を音速で交錯する二機のシルエット。 轟音を撒き散らし、鋼の装甲を引き裂きながら二機は舞う。
初めての空中戦だというのに、二機共に動きは信じられないほど滑らかであり、まるで空を飛ぶ事をはじめから知って産まれてきた鳥のよう。
上下左右などと言う概念が余計に感じるような激しい揺れの中、汗だくになりながらもアイリスはただ真っ直ぐに蒼い機体だけを見据えていた。
他の景色を見ていたのなら、いくらアイリスと言えども恐怖に支配され動きを鈍らせてしまっていただろう。 それは今までにもあったことだ。
ただ無心に。 一心に。 目の前の敵だけを、乗り越えたいと願うものだけを、見つめているから―――恐怖なんて飛んでしまっているだけ。
弾丸の雨を掻い潜りダガーを投擲するリイド。 その刃はガドリングを貫き、暴発した銃身に吹き飛ばされるアイリス。
それでも悲鳴は上げない。 自身もまた、腰部にマウントされたダガーを取り出し、黒煙を撒き散らしながらリイドに向かって突き進む。
「貴方なんていなくても、私は大丈夫なんですッ!!」
交差する二機の陰。 紅いヘイムダルに衝撃が走る。 擦れ違った瞬間、椀部にはダガーが突き刺されていた。
それでも振り返る。 蒼いヘイムダルは背を向けたまま両手にダガーを構え、顔だけで振り向いてみせる。
「貴方の助けなんか無くても・・・私はあああああッ!!」
振り上げるダガーが空を舞い、更なる衝撃にアイリスはシートに頭を叩きつけ、痛みに顔を顰めていた。
見上げる。 そこには蒼いヘイムダルの顔があり、紅い機体は完全に大地にねじ伏せられていた。
こうなってしまってはもうあとはコックピットを貫かれるだけ―――実戦だったならば死を意味している。
何がおきたのかすらよくわからなかった。 あの一瞬、振り返ったリイド機は加速し、両手のダガーでアイリスの動きを牽制し、大地に叩きつけた・・・理屈としては理解出来ても、それを納得は出来なかった。
『・・・大丈夫? 頭、打たなかった?』
「・・・・・・」
脱力する。 優しい声なんかかけてほしくないのに。 何でこんなに。
「ううっ・・・」
『あ、アイリス?』
「先輩なんか・・・先輩なんか・・・だい、だい、だい、だいっ」
『だ、だい・・・?』
「だいっっっきらいですっ!!!」
模擬戦闘はあっさり終了した。
アイリスに成す術など無く、性能の差などではない。 リイドは恐るべき天才であるという事実を再認識させられただけだった。
格納庫に戻り、ヘイムダルから降りたアイリスは涙を拭いながら顔を上げる。 そこにはパイロットスーツ姿のリイドが申し訳なさそうな笑顔を浮かべて待っていた。
視線を逸らし、涙を拭う。 泣きたくなんてないのに、涙ばっかり零れてしまってなんて女々しいのだろうと思う。
「ごめん・・・もしかして痛かった? ボクのせいで・・・」
「触らないで下さいッ!」
心配して手を伸ばしてくれたのはわかっている。 しかしその手を振り払い、アイリスは駆け出していた。
それで終わり。 そうして擦れ違い、二人の会話は終了する。 そのはずだった。
「待てよ」
しかし、その手をリイドは取っていた。 いつもならばかける言葉も見つからず、どうすればいいのかもわからず、振り返る事も出来なかったのに。
その手を懸命に振り解こうとするのにリイドがあんまりにも解かないものだから、アイリスはその場に立ち止まり、座り込んでしまった。
「離してください・・・! 嫌いです・・・! 貴方なんて嫌いです・・・っ!」
「嫌いでもいいけどさ・・・。 ほっとくわけにはいかないだろ・・・やっぱ・・・先輩として、さ」
「〜〜〜〜〜っ! なんなんですかっ!! 貴方はっ!?」
立ち上がり、涙を目に溜めたままリイドを睨み付ける。 困ったような顔を浮かべるリイドは何も言い返せず黙り込んだ。
しかし、アイリスは『それ』が気に入らなかった。 リイドの胸に拳を叩きつけ、俯いたまま叫ぶ。
「いつもいつもそんな顔ばっかりして・・・! どうせ私の事、お荷物だと思っているんでしょう!?」
「そんなこと思ってないってば・・・!」
「うそですっ! だったら・・・そう思ってないんだったら・・・っ!!」
遠くから、リイドを見つめていた。
訓練室でエアリオとリイドが抱き合いながら笑っているのを見て、胸が痛むのをとめられなかった。
カイトと笑いあい、下らない事を言い合って、追いかけっこしているのを見て、羨ましかった。
オリカに追い回され、少女の頭を叩くリイドの本気で困った表情を自分にも見せて欲しかった。
何故なのだろう? 自分が悪いのは良く分かっている。 素直じゃないのは自分だ。 正直に言わなかったのは自分だ。
けれど、何故なのだろう?
「気なんか、遣わないで下さい・・・っ! 私は・・・私は貴方の何なんですか・・・っ」
何で自分の前に現れる時は、いつも優しく微笑んでいて。
お荷物になんかなりたくない。 対等な立場でいたい。 相手を守りたいと考えているのは、リイドだけなんかじゃない。
アイリスだって守ってあげたい。 リイドに笑って欲しい。 本気で、いつでも、対等に、相手をして、かまってほしい。
壁を作っているのは、リイドの方だ。 自分が悪いのはわかっているけど、そう思ってしまう。 リイドが心を開いてくれないから、素直になれないのだ。
けれどそれはどういうことなのかよくわからない。 何故こんなにも自分が無力である事が・・・彼に仲間として対等に扱われていない事が悲しいのか。
「私、貴方の後輩ですっ!! 後輩なんですっ!!! もっと、もっと、構ってくれてもいいじゃないですか・・・っ」
「・・・え?」
「失敗したら、叱って下さいっ! どうしたらいいのか教えてくださいっ! 私が駄目だったら、頭叩いていいんですっ! 気ばっかり遣って・・・何なんですか、私はっ!! 邪魔なら邪魔って言ってくださいよっ! 要らないなら要らないって言ってくださいよっ!! 私、私、私・・・」
あの日。 リイドがヴァルハラに戻ってきた時。
妙な話だが、アイリスはリイドに頬を叩かれた時、少しだけ嬉しかった。
自分を本気で思ってくれている人の手。 そして、それは自分を対等な相手だと認めてくれているようだったから。
なのにそれからのリイドはいつもどこか余所余所しく、自分に対して距離を詰めようとしない。
エアリオやカイトやオリカとはあんなにも自然体で触れ合っているのに、ただ自分だけ・・・。
それが堪らなくいらいらして、何故だかいつも辛辣な言葉使いになってしまうのだ。 それがとめられなくて、もっといらいらする。
どんどん不安になって、堪らなくなる。 どうすればいいのかわからなくて、結局また振り出しに戻ってしまう。
悪循環の無限ループだ。 言葉に出来ない嫌な気分ばかりつもって、結局こんな事になってしまった。
何が許せないといえば、そんな風にしてしまう自分自身が何より許せなかった。
「私の事なんか、」
「アイリスッ!!」
「はっ・・・ひ?」
思わず背筋を伸ばしてしまったのは、リイドが真剣な顔で怒鳴りつけてきたからだった。
きょとんと、目を丸くしてアイリスはリイドを見つめる。 鋭い目つきでアイリスを睨み付けるリイド。 不安が胸にこみ上げてくる。
もしかして嫌われてしまったのだろうか。 怒らせてしまったのだろうか。 もう、後輩だなんて思ってくれないのだろうか・・・なんて。
しかし。
「お前なあ・・・ボクの事を超人か何かと勘違いしてないか?」
「えっ?」
意外にも、困ったような表情を浮かべその場に座り込むリイド。
二人してハンガーのど真ん中で腰掛け、ヘイムダルとレーヴァテインを見上げる。
「ボクなんかな、友達も居ないし、てんで人付き合い駄目などこにでもいる普通の人間なんだよ。 君の心なんかわからないし、自分がどうすればいいのかもわからない。 何が正しくて間違いなのかさえわからないでいつも不安だし、そんなのはお前と同じことだ」
「・・・先輩も?」
「そうだよ・・・。 あのなあ、お前に『嫌い嫌い』って言われる度・・・その・・・ちょっと傷ついてるんだぞ」
「・・・っ!?」
「何で驚いてんだよ? あのな、ボクは女の子になんか本当は免疫ないし・・・エアリオはまあ・・・なんかちっこすぎるし・・・オリカはあれはほら、馬鹿だからいいんだけどさ。 特にアイリスは、イリアに似てるしね・・・」
「えぇ・・・と?」
「ボクがイリアの事好きだったの知ってるでしょ?」
「は、はい」
「好きな女の子と同じ顔した子にさ、嫌いだの変態だの言われたら・・・ショックじゃないかな、普通」
「え・・・あ・・・はい」
「お前に嫌われたくないから、いっつもどうすりゃいいのかわかんなくなるんだよ。 意識しすぎてるってのはわかってるんだけど、そのせいでいつも余所余所しく見えたんだったら謝るけどね・・・そりゃ、君がボクの事を嫌いだのなんだの言うのが悪いのであって、ボクは断じて悪くないからね」
いじけるような口調でそういいきるとリイドは溜息をついた。
そんな横顔だ。 つまり何が言いたいのかというと、アイリス・アークライトはそんな少年の姿に一瞬だけ胸をときめかせてしまったということで。
「・・・・・こ、今後は・・・自重します・・・」
「そう? あのさ・・・前から聞きたかったんだけどさ・・・」
「え?」
「君ってボクの事嫌いなの? それとも好きなの?」
「えっ? えっ? えっ?」
真剣な表情で迫ってくるリイド。
自分の顔が赤くなっていくのを感じて、視線を逸らしたいのに両肩を掴んでどんどん近づいてくる。
「君が嫌いだっていうなら、ボクだって君に近づかないようにするし・・・こういうこともなくなるんじゃないかな」
「そんな・・・嫌い・・・なんかじゃ・・・」
「じゃあ好き?」
「なあっ!? いや、しゅきとか嫌いとか、きりゃっ・・・!?」
噛んだ。
「どうなの・・・?」
「そんな・・・こと言われても・・・」
「どうなの?」
「いや・・・あの・・・っ」
「どうなの!?」
「・・・きっ・・・嫌いです〜〜〜〜ッ!!!」
叫んでから、『あっ』っと思った。
非常に落ち込んだ様子で膝を抱えるリイド。 なんだか申し訳が無い気分になって、その肩を叩いた。
「あっ・・・あのぅ・・・」
「うん、いいんだ・・・嫌いだよね・・・そうだよね・・・イリアの仇だもんね・・・」
「それまだ気にしてたんですか・・・?」
「当たり前だろ・・・。 好きな女の子の事だぞ・・・? そんな簡単に、割り切れてたまるかっての」
「うぅ・・・」
「しかもイリアが好きなのはカイトだったわけだしね! ああああああもうっ!!!」
頭を抱えるリイド。 何か言ってあげたいのに何を言えばいいのかさっぱりわからなくて思考も熱に浮かされている。
「確かに姉さんは・・・カイト先輩の事が好きだったと思いますけど・・・」
「ハハハハハ・・・だよね・・・」
「で、でもっ」
髪を掻きあげ、目を伏せる。
「私は・・・先輩の事、結構好きですよ・・・?」
「えっ?」
「・・・だから、いいじゃないですか・・・別に、姉さんに好かれてなくても・・・」
目を丸くするリイド。 言葉の意味がよくわかっていないのはリイドもアイリスも同じことだった。
互いに顔を赤くしたまましばらく黙り込み、突然立ち上がったリイドが腕を組んで首を傾げる。
「えっ?? ど、どういう意味?」
「そ・・・そんなことを聞く人は嫌いですっ!!」
踵を返し走り去っていくアイリス。 取り残されたリイド。
「ちょっと・・・嫌いなの!? 好きなの!? どっちなのーーーーーっ!?」
わけがわからなくなり叫び出すリイド。 アイリスと擦れ違い、ハンガーに入ってきたカイトがリイドを見て目を細めた。
「リイド・・・お前なんかしたのか?」
「カイト・・・もう女の子なんてわかんないよ・・・怖いよ・・・」
「はあ? ・・・っておおい!? 俺のヘイムダルが滅茶苦茶汚れてる!? うおおおおっ!?」
「アイリスわかんないよ・・・」
「おいリイド!? 何で俺のヘイムダルこんなボロボロになってんだよ!? せっかく修理したばっかりなのにっ!!」
「そんなのどうでもいいだろ!?」
「いや、よくねえからっ!?」
そんな不毛なやり取りが数分間続き、疲れた様子のリイドにカイトが告げた。
「そうだ。 ブリーフィングルームに集合かかってるぞ」
「うん?」
「作戦だそうだ。 なにやらでかい戦いが始まるらしい」
「でかい戦い・・・?」
カイトの手を取り立ち上がるリイド。
そんな平和なヴァルハラに、今この瞬間も巨大な脅威が迫っている事を、まだ二人は知らなかった。