夢の、終わり(3)
第一話終了。
「ねえ、82番プレート、酷いことになってるんでしょ?」
「うん……なんか良く知らないけど、すごいたくさん死者が出たらしいよ。 まあ、学園のある81番は影響ないみたいだけど」
「影響ないって言ってもねえ……真下であんな事があったんだもん、やっぱり怖いよね……」
82番プレートで起きた事件は、少なからずボクの日常に影響を齎した。
教室でただ席についているだけでもそこかしらから聴こえてくる噂話の内容はどれも昨日の事件の事で持ちきりだ。
興味本位で話しているのが殆どなのは言うまでもない。 実際にあのプレートシティに残留していた人間は一人として今学園に登校してはいないだろうから。
クラス全体を見回すといくつかの席が空席のままホームルームを迎えようとしていた。 ボクは窓の向こう側を眺めながら昨晩の事を思い出す。
担任教師の男が教室に入ってくるとそれぞれ好き勝手に喋り捲っていた連中も渋々席に着き、ようやくホームルームが始まる。
「あー、まずはみんな、無事でよかった。 昨日の事は既に何も言わずとも皆分かっていると思う」
朝からがんがんニュースで情報公開していたのはジェネシスだ。 死傷者の名前も全てテロップで流していたはずだ。
だから何人かの生徒はさっきから席についたまま泣きじゃくったまま。 きっと知り合いでも死んだんだろう。 まあ幸い、このクラスの死傷者は3人くらいで済んだみたいだけど。
それを察してか、いや、恐らく事情は教師のほうが詳しいのだろう。 非常に言い辛そうに話を続ける。
「とりあえず学園の運営は問題なく今日から継続するが……もし精神的に辛いようであれば申し出てくれれば特別に休んでもいいそうだ。 それとこのクラスからも非常に残念ながら死傷者が出てしまった。 もうみんなも知っているかもしれないが――」
教師の話は続く。 何やら死んだ連中のことを長々と話していた。 ボクは話半分にそれを聞き流し続ける。
つまり、学校は今日からも普通に続く。 嫌ならしばらく休んでもいい。 何人かは死んだりした。 そういうことだろう。
最後に一分間の黙祷が行われ、ホームルームは終了した。 途中で号泣し始めた生徒が何人か教室を出て行ったが、特にこれといってボクがどうなるわけでもない。
日常は大きく変化したのかといえばそうでもない。 ごく普通に日常は継続されている。 ボクの世界はまだ何一つ大きく変わったわけではなかった。
授業内容がどうでもいいのはいつものことだ。 どうせボクが知らない事を教えてくれることなんてない。
長々と授業が続き、昼休みになった頃のことだ。
結局一日中沈んだ雰囲気のままの教室に嫌気が差しさっさと食事に向かおうと席を立った時だった。
「リイド」
教室の入り口からかけられた声に視線を向ける。
銀色の長すぎる髪がふわふわ揺れて扉に手をかけたエアリオがボクを見つめていた。
「一緒に来て。 昼食にするから」
「わかったよ……んっ?」
嫌々席を立つと急にクラスが静まり返っていることに気づき、視線をクラスメイトに向ける。
みんな目を丸くしていた。 一体何がそんなに驚きなのかよくわからなかったが、ボクはエアリオに手を取られ歩いていく。
早足で廊下を歩き続けるエアリオと、それに引っ張られるボク。 やはりみんなの視線はボクらに集中していた。
「お、おい……そんなに慌てる必要はないだろ?」
「迅速に行動。 間に合わなくなる」
「だから、何が?」
「カフェの席取りが」
至極当然に、真面目な表情で彼女は言った。
⇒夢の、終わり(3)
ヴァルハラ第三共同学園にはいくつか昼食を摂る施設が存在している。
典型的な学生食堂と中庭にあるカフェテリアがその双璧を成すものなのだが、ボクはどちらかと言うとカフェテリアの方が気に入っていた。
それを事前にエアリオが知っていたとは思えないので、恐らく彼女の好みもこちらなのだろう。 さっさとハンバーガーを受け取ってくると席取りをしていたボクの前にトレイを置いた。
共同学園の中庭の広さはハンパではない。 カフェテリアが丸々一つ大規模に鎮座していても余りある広さだ。 学園中の生徒達が周囲で食事を楽しんでいる。
クリアテーブルの上に置かれたハンバーガーと目の前に腰掛けたエアリオとを何度か視線を行きかわせ、それから溜息をつく。
「……で、念のため訊くけど、何でボクを連れて来たんだ?」
「その質問には昨日回答した……けれど繰り返せというのなら繰り返す。 わたしとあなたはパートナーの関係にある。 出来る限り時間を共有、同行すべき」
「ふうん……ま、いいけど。 時間を共有、同行って、こんなことでいいの?」
「構わない。 同じ時間を過ごす事が大切」
「あっそう……」
そのままハンバーガーを齧り始めたエアリオ。 彼女がそういうのだからそうなのだろうけど、ボクとしては今ひとつ面白味に欠ける。
なんというか、レーヴァの適合者になればもっと劇的に日常が変化するものだと考えていたのだけれど。
「ま、欲を言っても仕方ないか」
あの力を行使する権限を手に入れただけでも今はよしとしよう。
とは言えエアリオと食事を共にするというのは案外苦痛かもしれない。 目の前でただただ黙々とハンバーガーを齧り続けるばかりで一向に会話が始まりそうに無いのは何故だろう。
しかしこうして改めてみると驚くほど綺麗な髪をしている。しかしこれだけ長いと椅子に座ると地面に触れそうだ。
いや、実際によく見ると一部、ほんのわずかだが大地に触れているようにも見える。 そんなことは本人は全くお構いなしなのか、悠々と食事を続けている。
まあ確かに髪の毛に感覚などないのだから別段気にならないのかもしれないけれど、ボクとしてはそういうのは結構気になるわけで。
「エアリオ。 髪の毛が地面についてるよ」
「んう?」
「きたねえ!?」
食べながら喋ったせいか、パンズの破片がボクに向かって飛んできた。
まあ、テーブル半ばで力尽きたお陰でボクに被害はなかったわけだが……。
「食べながら喋るなよ! じゃなくて、髪の毛!」
「ああ、そう」
地面に触れている髪を一瞥し、紙コップに手を伸ばす。
「そう、って……気にならないのか? そもそもお前は後ろ髪が長すぎるんだよ。 前髪もだけど……切ればいいじゃないか」
「無駄だから」
そりゃ髪の毛は永遠に伸び続けるものだ。 老後どうなるかは知らないがとりあえず若い間はそうだろう。
そういう意味では何度切ろうが無駄だろうが、切るのは無駄だからといって切らないでここまで伸ばしているやつも始めてみる。
まあこいつはこういうやつで、昨日から何一つかわっちゃいない。 ただ単純に自分がこうだと思ったらもうそれ以外の選択肢が存在しない……そんな奴なのだ。
指についたケチャップを目の前でペロペロ舐めながら上目遣いにボクを見る。
「念の為に訊く。 さっきのは命令?」
「違う、ただの提案だ。 理由は単純。 あんたが髪の毛を切らなくてもボクになんらデメリットがないから」
「わかった。 だったら切らない」
命令ならば従うが提案は受け入れる気がないってことか。
舐められているのかバカにされているのか。 気に入らないのは事実だったが、大事な大事なパートナーさんと一々面あわせするごとに口論するのも問題だ。
ここはもうきっぱり割り切ってこいつはボクの奴隷だ、くらいに考えたほうがいいのかもしれない。
色々と考え事をしているとエアリオは指を舐めながらボクとボクの前に置かれた手のつけられていないハンバーガーを交互に眺め、
「食べないの?」
「いや、食べるけどさ……」
「気に入らなかったのなら言って。 すぐに交換してくるから」
カフェテリアで交換なんか出来るわけないだろ? そもそもそう思うなら最初からボクの注文を聞いてから買いに行けと言いたい。
全くこっちの話は何一つ聞かないで勝手に買ってくるんだから、ボクが食べたいものと相違があって当然じゃないか。
まあ別にBLTバーガーが嫌いなわけではないけれど……。
今更文句を言っても後の祭りだ。 さっさとハンバーガーを平らげて、でもってこんな居心地の悪い奴とはおさらばしよう。
そう考えてハンバーガーを口に運んでいると非常にお会いしたくない二人組みが近づいてくるのが見えた。
これ見よがしに溜息をついてみせるとエアリオは首をかしげ、振り返った。
「カイトと――イリア」
「よお新入り! 元気そうで何よりだぜ」
カイト・フラクトル。 学年は一つ上。 ボク以外のレーヴァの適合者であり、そうした意味でも先輩に位置する。
態度は明るく気さく。 頭は良くなさそうだが身体能力は高そうだ。 昨日は結局あれきり口を利く機会は無かったが、相変わらず暢気そうな顔をしている。
一方、赤髪の女の子……イリアとか言っただろうか。 そっちのほうは腕を組んでボクを睨みつけている。 随分とカイトとは違う対応だ。
「丁度四人用のテーブルだし、一緒してもいいよな?」
「別に構いませんよ」
ボクの正面にエアリオ。 左右にそれぞれカイトとイリアが腰掛けた。 食事は予め買ってきていたのか、テーブルにトレイが二つ追加される。
「いやぁ〜、ハラ減っちまって参ったぜ! お? お前らもハンバーガーか! 気が合うじゃねえか〜!」
「は、はあ……」
なんだこいつ、妙になれなれしいな……と言うか別にボクはハンバーガーが食べたかったわけではないんだけど……。
へらへら笑って妙にハイテンションで……何と言うか、ボクが最も苦手なタイプの人間だ。 思慮深さなんて言葉、きっと彼の辞書の中に存在していないんだろう。
それにしてもレーヴァの関係者が全員この第三学園の学生だったというのはボクをそこそこ驚かせた。
尤も、最大の驚きだったのはこの小さいエアリオがボクと同い年であったという事なんだけど。
制服の色を見たところイリアもカイト同様三期生らしい。 共同学園の中等部は一期から三期までの学年にわかれ、数字が大きいほど上級生となる。
二期生であるボクとエアリオの制服の色は白地に青のライン。 三期生であるイリアとカイトは黒字に赤のラインだ。
カイトは図体もでかいし上級生と言われても納得できるが、イリアはそれほど上級生に見えないのはボクが女性の年齢を判断する目を養っていないからなのだと信じたい。
「まあどっちかっていうとオレは学食でガッツリ食いたい派なんだけどな……カフェのはなんか美味いけど量が少ないっていうか」
「あたしたちはそんな世間話をしに来たんじゃないの。 リイド・レンブラム――あんたに話があるのよ」
「ボクが何か?」
最初から敵意むき出しだったからどうせ何かしら突っかかってくるんだろうとは思っていたけれど、やっぱり昨日の通り直情的な性格らしい。
ボクを睨みつけ腕を組んだままにらみ合いの姿勢が続く。 カイトは頭をぽりぽり掻きながら困ったようにボクらに割って入った。
「リイド、昨日の件なんだけどよ」
恐らくイリアの言いたいことを代わりに言うつもりなのだろう。 イリアに言わせると余計な事までいいそうだからオレが仕方なく代わりに言う、という魂胆が見え見えだった。
だとすればそれはそれで確かに賢い選択だ。 ボクは口を挟まず視線をカイトに向けることにした。
「初めての出撃で開放値平均20%以上。 いきなり神話級を撃破……それはいい。 だが教えてくれ。 何故流転の弓矢を使った?」
「……何かと思えばそんな事ですか」
「『そんなこと』じゃないのよ! レーヴァの力は不用意に人前で使っていいものじゃないの! それをあんな軽々しく放つなんて……どういうつもり!?」
テーブルをぶっ叩きながら立ち上がったイリアが顔を近づけて叫んだ。 何事かという周囲の視線もまるで気にしていない。
呆れるくらいに短慮だ。 バカすぎる。 ここでこれ以上会話を続ける事すら不毛に思えて仕方がない。
「レーヴァの力を本気で使ったらプレートが崩壊しちまう。 だからオレたち適合者はレーヴァの性能を抑えて戦わなくちゃならないんだよ」
「――成る程、先輩達の仰りたい事は良く分かりましたよ」
席を立つ。 イリアに肩を掴まれ、強引に振り返らされた。 昨日と同じように襟首を掴まれ、ネクタイを引っ張られる。
「舐めないでくれる? そんな子供みたいな態度で『はいわかりました』って言われてあたしたちが納得すると思わないで」
「――下らない」
「何よその言い方……!」
「分かったって言ってるだろ? 年上が二人して情けないと思わないんですか? それとも何ですか? ボクがいきなりあんな強いのを倒しちゃったから面目が潰れちゃいましたか?」
「何ですって……」
相当頭に来たのだろう。 歯軋りしながらネクタイを握り締めている。 しかしそんなのは馬鹿の愚行だ。
「あんた達は負けたじゃないですか。 ああ、そっか……プレートの事を気にして本気で戦えなかった。 だから負けたんだって言いたいんですよね? だったら大丈夫ですよ、よく分かりましたから。 でも次からは本気出して戦ってくださいよね。 だってそうでしょう? 負けちゃったら元も子もないんです。 プレート一枚二枚の話じゃ済まないんです。 それくらいわかるでしょう?」
「……ッ!!」
乾いた音が中庭に響き渡った。
言うまでもなくそれはボクの頬を激しく叩いたイリアの手の平の音で。
相当力が強いのか、頬が腫れて口の中が切れるのを感じた。 血の味がして、けれど怒りはない。
「図星を突かれたら殴る――馬鹿は気楽でいいですよね」
「あんたねえっ!!!」
「やめろイリア!」
「でも、カイト……こいつっ……こいつ最悪よっ!!」
「手を離せイリア。 ほら……」
「でも……っ! でも!」
背後からイリアの手を取るとカイトはゆっくりとボクの胸倉からその手を引き離していった。
イリアは相も変わらず親の仇を見るような目でボクを睨みつけている。 それを睨み返してやる気すら起きない。 こいつは結局暴力に訴えなくちゃ何も自分の意思を通せない……無力な雑魚だ。
こんなのがレーヴァに乗ってるから結局昨日だってプレートへの進入を許したんじゃないのかよ? 下らないこと言う暇があったら敵を倒せばいいんだ。
「エアリオ! あんたもあんたよ! なんでこいつのこと止めなかったのよ!?」
「わたしは彼の干渉者。 イリアだってカイトの指示には従うはず。 わたしも同じように従っただけ」
「こいつとカイトを一緒にしないで! カイトはあんな……っ! あんな自分の事しか考えないガキみたいな戦い方はしないわ!」
「論点がずれている。 カイトとリイドの戦闘方式が異なるのは当然。 論点はわたしが何故彼を止めないか、という部分。 答えはもう出た」
「〜〜〜〜〜っ! もういいわ! あんたたちなんかにレーヴァは任せられないっ!! これからもカイトとあたしでやるんだからっ!!」
喚くだけ喚くとイリアはさっさとカフェテリアから去って行ってしまった。
全くはた迷惑なやつだ。 口の中を切っただけでボクにはなんのメリットもない。 本当に無駄な時間を過ごしてしまった。
盛大に溜息をついたカイトは恐らくイリアを追いかけるのだろう、ボクらに背を向け、しかし言った。
「さっきのお前のセリフ、確かに事実だよ。 オレたちは全力でやればあいつも倒せた。 でもそうしなかったのも、そうできなかったのも、オレの甘さだ」
「……そう思うなら彼女何とかしてくださいよ。 会うたびこの様子じゃ先が思いやられます」
殴られた頬が熱い。 ひりひりするそこに冷たいドリンクが入った紙コップをあててため息を零した。
「そうだな、それはオレもそう思うよ……イリアはああいってるが、オレはお前達と仲良くやってきたいと思ってる。 だからリイドも少しイリアの気を汲んでやってくれ」
「汲むって言われても、あの人滅茶苦茶ですよ? 褒められはしても殴りかかられるようなこと、ボクはしていないと思いますけど……」
「そうだな。 まあ事実お前はよくやったよ! それじゃ、これからもその調子で頼むぜ、ルーキー」
ボクの肩を何度か軽く叩くとカイトもまた駆け足で中庭を後にした。
なんというか……やっぱり苦手なタイプだ。 普通あの状況でボクの肩を持つようなセリフを言うだろうか? てっきり一緒に殴りかかってくるものだと思ったんだけど。
何となく腑に落ちない。 でもまあ、別に悪い気分がするわけでもないのでよしとすることにした。
……カイト・フラクトル、かぁ。
「……何だよ?」
「別に」
エアリオはボクのことをみながら何やらにやにやしていた……ように思う。
元々無表情なだけに見間違いかもしれないけれど。
結局昼休み終了の予鈴が鳴り響き、ボクの食事はお預けになった。
結局その日一日は何事もなく終了した。
別段、敵が攻めてくるわけでもなく、日常は平和という枠内に収まって夕暮れを迎えた。
一人席を立ち、学校を後にする為玄関に向かって歩いていると突然背後から誰かに手を取られた。
振り返ると案の定そこにはすっかり帰り仕度を済ませたエアリオが立っているわけで。
「まさかとは思うけど登下校もできる限り……?」
「ん。 同行すべき」
「はあ……そうですか」
としか言う事はない。
第三学園はこのプレートシティという土地には珍しく多少小高い丘にある。
無論人工的なものなのだが、丘を下っていく帰り道の景色はそう悪いものでもない。
結局エアリオと会話は一切ないままエレベータまでたどり着き、乗り込み、82番プレートへ降りていく。
エレベーターからも見える景色の奥。 いまだ昨日の戦闘での傷跡がいくつも残されているボクの町。
学園がある上のプレートはなんともないのに、一つプレートを降りればこの有様だ。
倒壊したビルの群れ、町中に散らばっていた死体の後片付け。 このプレートだけは、まだもう少し立ち直るのに時間がかかりそうだった。
エレベータを降りて町を歩けば分かるこのシティの空気の違いを肌で感じながらふと、足を止める。
「ん……えっと、エアリオ?」
「何?」
「ちょっと待って……? なんでボクの家までついてきてるの?」
「家まで行くから」
ああ、そうですか。
どうせ家にはボク以外誰もいないので別段構わないのだけれど。
さっさと家に入り自室まで案内するブレザーをハンガーにかけてベッドの上に腰掛けた。
エアリオはしばらくボクの部屋の中を眺めていたが、あっさり眺め飽きたのかボクの隣、ベッドに腰掛けてお行儀よくしている。
こうしていると西洋人形か何かにしか見えないのはエアリオの顔つきが整っているというだけではなく彼女がどこか人間味に欠けているからなのだろう。
黙り込んでいるのもなんだか居心地が悪い。 というかなぜここはボクの家でボクの部屋なのにこんな空気にならなくてはいけないんだ。
溜息をつきながら立ち上がり窓の向こうを眺めるとそこには一際異質な景色が夕日に照らされて輝いていた。
街中に生えた巨大な氷山たち。 一つの軌跡をなぞるかのように乱立した氷の刃たちは一晩たった今も溶け切る事もなく、町に鎮座している。
あれをやったのが自分であり、その力を今後も行使出来る……その特異な状況についつい顔が緩んでしまう。
「流転の弓矢の傷跡・・・・多分撤去するのにあと二日はかかると思う」
いつの間に隣に立っていたのか、エアリオはそんなことを呟いた。
それから真顔でボクのことを見つめ、息がかかりそうな距離でタダひたすらにボクを見つめ続ける。
銀色の紙が斜陽に照らされて綺麗に輝いて、金色の瞳に赤みを宿したその色合いは美しく見るものを魅了するような……。
「な、何?」
「あなたは怖くないの?」
「だから……何が?」
「あれだけの力を持ったモノ……そしてそれと同等のモノと関わっていくということがどういうことか、理解出来るはず」
「そんなの怖いわけないだろ? だってボクが負けるわけがないんだから」
「そう……。 そうかもしれない」
髪を掻き上げながらそう呟くとエアリオはどこか遠いところを眺めるような目で氷山を眺めていた。
肩を並べて夕暮れ時の風を受け、深く息をつく。
ボクもまた、昨日の興奮を思い出すように静かに目を閉じた。
「はーーーーっはははははははっ!!!」
空中を飛翔する二つの影。 圧倒的な優位をクレイオスが維持していられたのは、レーヴァテインが換装してくるまでの間の話だった。
マルドゥークは翼を持ち、圧倒的な重量感を連想させるその身で自由自在に軽やかに空を舞う。 飛翔したマルドゥークはそれを良く知るエアリオですら信じられないような速度で加速し、逃げようとするクレイオスを容赦なく捉えた。
片腕でクレイオスの頭を掴み、そのまま一直線に市街地に落下。 大地に引き摺り下ろしたその神を容赦なくビル郡に向かって投げつける。
圧倒的な暴力――――そう表現するしかない恐ろしい状況。 先ほどまで優位に行動していたはずのクレイオスが、いとも容易く大地に貶められていた。
翼を折りたたんだマルドゥークは瓦礫と埃の中ゆっくりと立ち上がる。 そうして一歩一歩、何もかもを踏み潰しながら歩んでいく。
まるでその行動はただ町を破壊して楽しむためだけのように見えた。 家々を踏み潰し、車を踏み潰し、ビルをなぎ倒し、進んでいく。
空を飛べばいいだけの話だ。 町を壊して歩く必要性などない。 先ほどのように自由自在に空を飛べるのならばなおさら。
だが、リイドはそれをしなかった。 あえて町を壊し、悠々と歩いていく。
悲鳴が一つのあがらなかったのはただそこに生きている人間がいなかっただけの話だ。 仮に生きた人々がいたとしたら、口々に化物だと叫んだ事だろう。
いや、生存者がいないなんて保障はどこにもない。 事実リイドはフォゾン波動の直撃を受けても生き残った。 自分自身がそうでありながら、『まだ町のどこかに生き残りがいるかもしれない』という可能性はすっかりリイドの頭から抜け落ちていた。
それほどまでに少年は楽しくて仕方がなかった。 何もかもを忘れてぶち壊していくのがどれだけ快感か。 笑いが止まらず、少年はそれを止める気もない。
「すごいすごいすごいっ!!! これがレーヴァテイン……! これがボクの世界を変える力っ!!」
駆け出した。 レーヴァが吼える。 女性のようなシルエットからは想像もつかないような低い獣のような唸り声を上げて。
それは一種の暴走状態だったのかもしれない。 適合者であるリイドの精神状態は異常だった。 正常な範囲を大きく上回る感情の高揚がレーヴァの機動力を促進し、しかし周囲への注意力を散漫させていた。
起き上がりかけているクレイオスに突撃し、正面に捉えたまま町を疾走する。 その速度は一瞬で無数のビルをなぎ倒し、クレイオスを殴り飛ばし、宙に浮かばせるほどの威力。
翼を広げて空中へ飛翔。 クレイオスを捕らえると、拳を高く振り上げ、大地に向かって再びクレイオスを殴り飛ばす。
砕けるシティ。 陥没する大地。 何もかもが滅茶苦茶に破壊されていく。 巻き起こる炎の海の中、マルドゥークは悠々と飛翔していた。
その様子はむしろ先ほどまでのクレイオスに近い。 その姿は美しく、しかし禍々しく――狂気を絵に書いたような色。
大地に降り立ったマルドゥークに反応し、消えようとするクレイオスをしっかりと掴み、引き寄せて頭突きする。 甲高い悲鳴が上がり、クレイオスの頭部から大量の血液が噴出した。
それは当然だ。 マルドゥークの頭部にはイカロスと違い正面に向かって生えた一本角が存在する。 それがクレイオスの眼球を貫通したのだ。
頭部の一部を貫かれ引きちぎられても尚生存しているのはイカロスが神と呼ばれる人間とは全く生態の異なる存在だからであろう。
「それにこいつ、傷ついても再生するのか……ははっ! すごいや! やっぱり神様なんだね――でも!」
腕の付け根を掴み、強引に力を込めて引き千切る。
クレイオスの腕は左右四本ずつ、合計八本。 その無数の腕を次々とちぎっては投げ、ちぎっては投げ、大量の血液をぶちまけながら解体していく。
千切れようが腕は放って置けば再生する。 それを理解したリイドはクレイオスを押し倒し、両手でその全身を滅茶苦茶に殴り続けた。
肉が裂け骨が砕け血液が飛び散る不快な音も今のリイドにとっては興奮を促す一つの要素に過ぎない。
「再生出来ないくらいに、滅茶苦茶に引き裂いてやるッ!!」
プレートシティに化物の悲鳴が響き渡る。 それは泣き叫んでいるようにも許しを乞うているようにも聴こえた。
しかしマルドゥークの手は止まらない。 ひたすらに何もかもを引き裂き、ようやく立ち上がる頃には既にクレイオスの原型は存在していなかった。
「エアリオ! マルドゥークに武器とかはないの!?」
「敵の無力化には成功した。 これ以上はフォゾンの無駄遣い」
「まだ残ってるじゃないか? 肉の一片までも消し飛ばさなきゃ、危ないかも知れないし」
「――分かった。 マルドゥーク、流転の弓矢、装備」
マルドゥークが装備している甲冑が輝き、その輝きは粒子となって眼前で巨大な弓矢を構築していく。
何も無い場所から突然現れた流転の弓矢を迷う事無く手にしたリイドは後方に大きく跳躍すると流転の弓矢を構えた。
流転の弓矢に矢は存在しない。 ただ弓を引けばそこに光が収束し、銀色の矢となって眩い光を周囲に発するだけだ。
「徹底的に消し飛ばしてやる……っ! マルドゥーク! お前の全力をボクに見せてみろっ!!!」
光が増していく。 夜である事を忘れるほどの眩い光量。 何もかもを塗り潰すような銀の嵐は大気を収束し、次の瞬間、放たれた。
加速する銀色の嵐は通り過ぎた数秒後、その場所を一瞬で凍結させ凄まじい氷山を生み出した。 触れる大気・・・いや、空間そのものを凍結させる『概念の凍結』。
プレートを駆け抜け、空に向かって飛んでいったそれの後に残されたのは一直線に伸びた氷の樹林だけだった。
ばらばらに砕け散り凍てついたクレイオスの肉片は氷の中にばらばらの状態で押し込められ、最早生きているとはお世辞にもいえない状態になっていた。
それを見て満足したリイドは笑いながら氷を握りつぶし、光の粒が風に舞い散る中額を抑えて黙り込んだ。
「――――く……くくっ……くはははっ! あははははははっ!!」
町を蹂躙し、人類に敵対する存在をいとも簡単に薙ぎ払う、絶対的な『力』。
それを手にした喜び。 それを行使する快感。 圧倒的な自己への自信。
それら全てが、リイドが望んでいたものを現実へ引き寄せた。
「あーーーーーーーーーーっはっはっはっはっ!!!」
戦いは終わった。
所要戦闘時間、約八分間。
無傷の、初陣だった。
「すごく楽しそうだった。 昨日のあなた」
「そう? まあ、実際楽しかったんだけど」
夕日に照らし出された氷山は中々の景色だ。
確かあの後――あれ、あの後どうなったんだろう? よく覚えていないけれど、確かエアリオと出来る限り行動を共にするようにヴェクターに言われた気がする。
冷静に考えてみると戦闘後のことはあまり記憶にないけれど、まあ無事に帰ってきているのだから構わないだろう。
多少引っかかる事はあるものの、まあそれほど気にするような事でもなさそうだし。
「それよりエアリオ、いつまでここにいるつもりなんだ?」
「うん?」
そんな心底疑問、みたいな目で見られても困るんだけど。
「わたしはどこにも行かない。 ずっとここにいる」
その言葉の意味がさっぱりわからなかった。 残念ながらボクの思考の範疇を逸脱してしまっている。
首をかしげてもう一度その言葉の意味を吟味してみる。 しかし回答にはたどり着かない。 いや、たどり着きはするけれど、それを認めたくないのか。
額に手をあて片目を閉じる。 首を傾げるエアリオにボクは問いかけた。
「ごめん、それどういう意味?」
「今日からわたしはこの家で生活する、という意味」
ああごめん、やっぱそういう意味なんだ。
「ってえ!?」
「異議は認められない。 不服ならばヴェクターに進言すること。 わたしに決定事項を覆す権力はない」
「お、おい!? それはあのヴェクターとかいう胡散臭いやつが決めた事なのか!?」
「イリアとカイトもそうしている。 今更驚くことではない」
ええ〜〜……そうなの? それはそれで驚きなんだけどなあ……。
しかしいくら怒ったところでこいつはもう絶対テコでも動かないだろうし……無駄に広いのだし冷静に考えてみれば別段問題もない気がしてきた。
自分の家にこんな得体の知れない馬鹿女を置いておくのは多少抵抗があるが……あの力の代償と考えれば安すぎるくらいだろう。
「わかったけど……その代わりボクの部屋に勝手に入るなよ」
「何故?」
「い、色々集中して作業したい事もあるし」
そうだ。 ボクは将来宇宙に行く為に色々と論文を纏めたり機能を構築したり……。
でも意味あるんだろうか? もう別にこんなことしなくても特別な世界は手に入れたのだし。
まあ日課でもあるそれらをいきなり放棄したら調子が狂いそうだからこのまま継続するのは決定済みなんだけど……。
「わかった。 じゃあ他の部屋を使う」
「うん。 どこ使ってもいいから」
「そう」
さっさと部屋をでていったエアリオ。
ようやく一息ついてベッドに寝転がる。
「そっか……ボクの世界は変わり始めたんだな」
思い返すだけでにやけてしまう。 なんだか酷く疲れているような気もするけれど、そんなのは関係ない。
その日ボクは結局まともに寝付く事が出来なかった。
これから始まる様々な出来事を想像すれば仕方がないだろう。
だって、これからボクは――英雄にだってなれるのだから。
「成る程――やはり伊達ではなさそうですね、リイド君の能力は」
薄暗い司令部に二つの人影があった。 一人はオペレーターであるユカリ・タリヤ。 もう一人はこの司令部の副指令であるヴェクターだ。
ユカリはコンソールを操作し、先日のリイドの戦闘データを表示する。 それを覗き込み、ヴェクターは笑顔を浮かべた。
「開放値20%だけではなくフォゾン粒子の武装化も難なくこなす……長いこと待たされましたが、これならば十分収穫を待っただけの成果はありますね」
「ですがヴェクター……彼の戦い方はあまりに横暴すぎます。 今回の戦闘被害総額がいくらになるかご存知ですか?」
「それは仕方ないじゃないですかあ。 だって世界を守るためなんですからねえ」
「ヴェクター!」
「ウッフッフ、冗談ですよ……まあ、それは追々覚えて行ってもらうとしましょう。 何よりも今は、彼が我々の手に入った事を祝福するべきですよ」
ユカリは黙り込む。 客観的に捉えた映像の情報だけみれば、やっていることは天使や神と代わり映えしない、昨日のマルドゥークを見つめながら。
ユカリとは対象的に嬉しそうに微笑むヴェクターは細い目をゆっくりと開きながら、頬を歪ませた。
「ジェネシスへようこそ、リイド君」
それが少年にとっての夢の終わり。
運命はゆっくりと、再び動き始めたのだった。
〜用語解説〜
*連載開始前(もう半年くらい前)に書いた設定なので妙なところがあるかも*
『アーティフェクタ』
月内部から発掘された巨大な人型の生命体。
レーヴァテインを始めとし、全三種のアーティフェクタが確認されている。
フォゾン適合値の高い人間を内部に取り込み侵食することで活動する。
全長は30〜40メートルほどであり、どれも意思を持っているが人語を話すことはない。
『レーヴァテイン』
通称1st。 レーヴァと愛称で呼ばれることが多い。
アーティフェクタの一機であり、形状は女性に近く、頭部装甲の背後から髪が生えている。
本体と外部装甲が存在し、外部装甲はレーヴァそのものを覆い隠している巨大な鎧である。
外部装甲は付け替え、修理が可能であり、装甲が破壊されただけではレーヴァはダメージを負わない。
ある程度の自己修復能力を持ち、生身の本体だけでなく破壊された装甲もフォゾンにより修復する。
起動にはフォゾン適合者とそれを補佐する干渉者が必要。
干渉者は外部装甲の上にさらにそれぞれの思考、趣向を反映したフォゾン装甲を装着し、
レーヴァの主武装となるフォゾン兵装を構築する。
適合者は干渉者との肉体的、精神的接触が必要となり、操作中は感覚を共有する。
フォゾン装甲は多くの攻撃を無力化し、その下にある通常装甲もまた高い強度を持つが、
万が一本体までダメージが到達した場合、痛み、肉体的欠損はパイロットにも現れる。
またフォゾンの操作により干渉者は肉体がフォゾン化、多大な精神不可がかかるため長時間の戦闘は不可能である。
干渉者の存在によりカラーリング、性能が変化するが、レーヴァの特徴として全ての形態で翼を所有する。