愛よ、遥かなれ(4)
まさか(5)まで続く事になろうとは思いませんでした・・・。
「せ、先輩・・・本当にこんなところで道あっているんですか・・・?」
「大丈夫大丈夫・・・ほら、早く進めよアイリス」
「うー・・・」
そこは本来は通路ですらない配線が伸びつながっている通気口だった。
通路の隅に存在するフェンスを蹴破り、人一人がはいつくばってようやく進めるスペースを二人は四つんばいになって進み続けていた。
あまりにも埃っぽく、暗闇に包まれた不気味な空間を先人切って進むのは何故かアイリス。 道を知っているはずのカイトは後続だ。
というのも、廊下を行きかう兵士に見つかりそうになったカイトがアイリスをダクトに押し込み、出入り口に蓋をする、という姿勢で始まった行軍故に、もはやアイリスが後ろに回る事は不可能だったのである。
所詮一本道でこのままハンガーに通じているためどちらが前だろうが進んでいけば出口に行き着くので特に問題はないのだが。
仮に、問題があるとしたら、
「・・・先輩、もしかして私のスカートの中覗いてます?」
「覗いてはいない。 普通に見えているだけだ・・・ぐわっ!?」
顔面を何度も蹴り飛ばされ、鼻血を出して倒れるカイトを残してアイリスは今までの三倍近いスピードで行軍していく。
「嫌いです・・・! 先輩なんて大嫌いですっ! いやらしい、変態ですっ!」
最早埃っぽいとか暗いとか怖いとか言って居られる場合ではなかった。 全速力で突き進み、光の差し込む出口を蹴破り、スカートを押さえたまま飛び降りた先は格納庫のコンテナの上だった。
「ルドルフさんっ!!」
「アイリス!? どっから出てきてんだ・・・って、ダクトか・・・! 考えたな・・・!」
「他に道もなかったもんでな。 それにさすがにここまではばれちゃいないだろうと思ってよ」
アイリスに続き鼻血を拭ったカイトが飛び降り、さらにコンテナを降りていく。
作業スタッフたちはとっくにヘイムダルの出撃準備を済ませ、今は侵入してくる突入部隊を押さえるためにコンテナで入り口を塞いでいた。
「ルドルフ、パイロットスーツをくれ。 今すぐ出撃して首謀者を取り押さえに行ってくる。 もう止めるにはそれしかない」
「首謀者って・・・誰の仕業かわかってんのか?」
「親父だよ。 ていうか、みんな知ってたんじゃねえの?」
「ハッ、さあてどうかねえ・・・。 お前用のヘイムダルの準備は、とっくにできてらあっ!! さっさと行って来い!!」
「・・・ルドルフー! お前ってヤツは・・・いいやつだなあ!!」
ルドルフにしがみ付いて頬ずりする。 抱擁されるルドルフのほうは青筋を浮かべて今にもぶち切れそうな堪忍袋を必死で押さえていた。
見上げるハンガーには青いヘイムダルの姿。 手渡されたパイロットスーツも、専用の青カラーリングだった。
「ところで・・・更衣室もないのに私達はどこで着替えればいいのでしょうか」
「あ? コンテナの裏にでも行けばいいだろ」
「・・・そうですね・・・」
紅いパイロットスーツを胸にぎゅっと抱き、顔を赤らめながら二人を見つめる。
「・・・覗きませんよね?」
「「 覗かないって! 」」
二人の返答が重なった。
しかしコンテナまでの距離は数メートル。 ごそごそと聴こえてくる衣擦れの音に思わず二人は息を呑んだ。
「・・・お、俺も着替えるかなぁ〜」
「お、おう・・・俺様はエレベータ動かす準備してくるぜえ〜」
ギクシャクした動作で二人は別々の方向に向かう。
ヘイムダルの影で着替えを済ませ、カイトは静かに瞳を閉じた。
それは決意の動作。 自らの意思で、戦う事をやめない覚悟。
その脆く崩れ去ってもおかしくない儚い身体で、それでも戦う事だけはやめない。
そうしていままで生きてきた。 これからも、それは変わる事などない―――。
「先輩! 急いでください!」
駆け寄るアイリスの声に顔を上げ、瞳を開く。
「ああ! 今行く!」
一方、兵器開発部の格納庫ではホルスが起動準備に取り掛かっていた。
コアを模造したホルスのコックピットの内部は数え切れないほどのケーブルの山で構築されている。
操縦に必要なコンソールなど一切存在しない。 パイロットは操るのではなく、外部からの命令に従うだけの機械であればいいのだから。
「神経接続開始。 ホルスのフォゾン反応を中和します」
イリアの全身につながれた様々なケーブルに光が通り、身を引き裂くような激痛がイリアを襲う。
しかしもう声を出す事も出来そうになかった。 ヘルメットのような接続機器を頭部に装着するイリアの表情は窺い知る事が出来ない。
自分の肉体を消耗してホルスと同調するという行為は限りなくパイロットに過負荷を与える。 長時間耐え切る事などできるはずもなく、それがたまたま短時間でも成功するのはイリアが元々優れた干渉者だったからに過ぎない。
全身から吹き出る脂汗と乱れる呼吸。 バイタルモニターは安定せず、イリアの肉体が崩壊しそうになっているとサイレンを鳴らして警告していた。
「何とか定着させろ。 薬剤でもなんでも使って、まずは定着だ。 それが出来なければ話にならん」
「は・・・しかし、あまり強引な手段では・・・」
「急げ。 あまり時間が残されていないのでな。 とりあえず動かせればあとはどうなってもかまわん」
「・・・わかりました。 投薬開始、フォゾンの定着を優先。 おい、生命維持装置外せ!」
肉体の変質を促進する薬剤が投薬され、徐々に安定する肉体。 痛みは和らいだものの、最早それは生きているのかどうか判別できない状態だった。
肩で呼吸をし、口元から涎を垂らしながら何とかイリアはそこに座っている。 全身につながれるケーブルは増える一方で、彼女の原型を多い尽くしてしまいそうだった。
それを眺めながらハロルドは時計を眺める。 時間がない。 短時間で事態を収拾し、鎮圧するために切り札は必要だ。
計画に狂いはない。 最初からこうするつもりで用意しておいた全てのピースならば。
「起動実験を開始しろ! 会社を納得させる切り札だ! なんとしても動かせよ!」
電源が入る。
同時に、イリアの全身にも電流が流れるような衝撃が走った。
もう意思もなく、意識もないというのに、その責め苦は少女の口から絶叫を搾り出した。
その悲鳴が響き渡る格納庫内で、エアリオはただ涙を流しながら項垂れていた。
耳を塞ぐ事も、駆け寄る事も出来ない不自由な身で出来る事は、ただ祈る事だけだった。
「おねがいだ・・・やめてくれ・・・っ」
悲鳴は止まない。
「もう、これ以上・・・イリアを苦しめないで・・・っ」
苦しみは止まない。
何度でも繰り返すように。
絶望を迎えに来たかのように。
⇒愛よ、遥かなれ(4)
ユグドラシルは静かだった。
リイドが顔を上げたのは、頭上から聞こえてくる音のせい。
地上から聞こえてくる爆破音、激しい揺れ。 それは微かにこの世界樹の間にも伝わっていた。
「お。 始まったみたいねえ」
「・・・何が?」
「戦闘。 今頃上じゃ色々大変な事になってるだろうから」
事実今この瞬間、二機のヘイムダルは出撃を果たしていた。
それと同時に本部は制圧され、ハンガーもそう長くは持たないだろう。
ジェネシス本部は完全にハロルドの手に落ちようとしていたが、その事実をリイドは何も知らない。
クーデターが勃発した事も、そのために仲間達が戦って居ることも。
「大変な事ってなんだよ・・・」
「まあ、大変なことだね。 さぁて、目的も果たした事だし・・・そろそろアタシたちも行きますか!」
「だから、どこに」
「地上よ。 今頃みんな戦ってる。 ここに寄ったのは、『ついで』みたいなもんだし」
余裕を湛えた笑みを浮かべるカグラ。 この場所が『ついで』だというのならば、一体本命はなんだというのか。
リイドが疑心暗鬼になるのも仕方のないことだ。 なぜならまだ両手は爆弾のついた手錠で封じられたまま。 何一つ説明も受けていないままだ。
この場所が世界樹と呼ばれる場所であるという事、そしてアーティフェクタはこの場所にあったという事実しか正確に伝えられては居ない。
「カグラはボクに何をさせるつもりなんだ・・・! ここは一体何なんだよ!?」
「んまあ、ついてきなよ。 こっちにも色々と事情があるんだからさ」
入ってきた入り口とは別の扉に向かって歩いていくカグラ。 無論、逃げ出すなんて選択肢は存在しない。
振り返って世界中を見上げると、無数不気味な瞳は相変わらずリイドを見下ろしていた。
「・・・気色悪いなあ、もう」
愚痴を零してカグラの後を追いかける。
巨大な扉を通り、門を閉めると・・・再び暗闇と静寂の中へ戻り、リイドはむしろ安心していた。
余りにも異質な空間であったのは言うまでもない。 そこから通常の空間に出る事が出来た・・・これは十分安堵するに至る原因であろう。
「さーて、アタシも自分の仕事をしようかな。 行くよ、リイド」
怪しい事この上ないというのに、今はもうここから出る手段さえわからない。
最悪と言う状況が存在するのならば、今よりそれに該当するシーンはそう多くないだろう。
そんな事を考えながら、溜息と共に少年は暗い通路を歩き始めた。
本社ビル周辺では壮絶な銃撃戦が行われていた。
ビルに接近する青いヘイムダルの足を止めるため、防衛の為に出撃していた四機のヨルムンガルドが一斉にマシンガンを発射する。
「無駄だ!」
しかし、青いヘイムダルの勢いは止まらない。 ビルをかいくぐり、まるで人間のような動作で一気に間合いを詰めてくる。
熟練の戦闘機乗りを用するヨルムンガルドでさえ、その動きについていく事が出来ない。 マシンガンの薬莢だけが空しく道路に積もっていく。
「はああっ!!」
接近し、振り下ろすのは両手に構えたダガー。 それらで十文字にヨルムンガルドを切り裂き、爆発の中を飛びぬけていく。
目下、カイトの目的はザコにはない。 目指すは首謀者である父親ただ一人。
防衛ラインを抜かれた残り三機は振り返ってカイトを背後から狙い撃とうとマシンガンを構えるが、直後背後からの攻撃で次々に倒れていく。
「邪魔ですっ!!」
ガトリングを構えた真紅のヘイムダルが後方で待機していたのである。 ビルの合間に立ち上がり、折りたたまれたガトリングを組み立て、掃射する。
膨大な量の薬莢を吐き出すその化物はただ銃弾を乱射しているようにしか見えない。 しかし、その狙いは限りなく正確だった。
三機のヨルムンガルドの足を打ちぬき、三機とも横転して暴発したマシンガンの弾丸が市街地を破壊していく。
しかし今はそんなことに構っている場合ではない。 走りながら三機の腕を破壊し、カイトの後を追う。
「親父ーーーーっ!!!」
本社ビルに隣接し、腕を振るってビルの側面部のガラスを吹き飛ばした。
覗き込むようにハロルドの執務室に顔をよせ、カメラで望遠してみるものの、探し人の姿は見当たらない。
「あの野郎どこに逃げやがった・・・っと、増援か―――!」
兵器開発部のハンガーからは次々にヨルムンガルドが出撃してきている。
それを見てすぐにわかった。 ハロルドはそこにいる。 そこで、ヨルムンガルドを操っているのだ。
すぐにでも駆けつけて文句を言わねば気がすまない。 だが、そのためにはまずはザコをどうにかする必要がある。
飛来する無数のミサイル。 もはや都市部だという事は向こうも気にしていない。 多少の損害は気にせず形振り構わぬ戦法で攻めてきている。
カイトはダガーを腰にマウントし、背後に跳躍。 バック転を繰り返し爆発を逃れ、アイリス機のすぐ近くに着地した。
驚くべきアクロバティックな動作はカイト本人の運動能力・・・そして適合者としての戦闘経験によって実現した彼の力の形。
カイト・フラクトルという少年はレーヴァテインに乗る事が少なかっただけであり、その優秀さは間違いのないものだ。
レーヴァテイン適合者は今までに何人もいた。 けれど今残っているのは彼一人だけ。 それが意味する答え。
「先輩・・・すごかったんですね・・・」
「・・・今まですごくないと思ってたみたいな言い方だな・・・」
ダガーを構える。 そう、カイト・フラクトルは・・・リイド・レンブラムの先輩であり、フォゾン化が肉体を犯すまで戦い続けられるほど生き延び続けたパイロットなのだ。
故にベテラン。 いくら戦闘機での戦闘経験が何百時間もあろうが、そんなものはカイト相手には役に立たない。
今までずっと戦いだけをしてきたのは彼らだけではない。 カイトは自らの身も顧みず戦場に好き好んで身を置いて来たのだ。
その強さは白兵戦闘、格闘戦闘に置いて効力を発揮する。 格闘能力にすぐれるイカロスに乗り続けてきたその実力は、他の追随を赦さない。
才能だけで言えばリイドどころかアイリスにも劣る少年は、努力と根性だけでこの領域にまで這い上がってきた、愚かなる天才なのだ。
「アイリス!」
「は、はいっ!?」
「追加分五機を落とす! テキトーに援護してくれや」
「了解しました!」
思わずカイトの動きに見惚れていたアイリスもガトリングを構えなおす。
そうだ、見惚れている場合などではない。 相手は先輩なのだ。 強くて当たり前なのだ。
「落ち込んでる場合か、アイリス・・・」
小声で自らに戒める。
今は戦って勝利する事だけ考えねば。
余計な事を考えて、敗北するのはもう嫌だ。
「助けられてるだけでなんて・・・いたくないっ!」
発砲する。 迫り来る敵に向かって。
「助けるんだ! 仲間をっ!!」
青い影は低い姿勢で大地を疾走する。
近づく者に十字の傷跡を刻みつけながら、一目散に本陣を目指して突っ切る。
銃弾はかわし、剣戟は防ぎ、代わりに蹴りをくれてやる。
踊るような対集団戦闘。 たかだが十六歳の子供相手に、空を飛び続けてきたベテランのパイロットったちが。 大の大人が。 いいようにあしらわれる。
「どけっ!!」
投擲するダガーが最後の一体の頭部を貫通し、全てのヨルムンガルドは停止する。
一瞬の出来事だった。 敵の居なくなったハンガーに一歩ずつ、カイトは近づいていく。
格納庫に向かって手を伸ばし、その屋根を引き剥がしてやろうとした直後、予期せぬ方向からの攻撃にヘイムダルは吹き飛ばされていた。
「何ッ!?」
格納庫から伸びてきた手に吹き飛ばされ、その壁を貫通しながら駆けて来た何かはヘイムダルに組み付いたまま大地を疾走する。
無数のビルをなぎ倒し、全ての大地を平らにしながら疾走したそれは、ヘイムダルを投げ飛ばして天に向かって吼えた。
「んだと・・・ッ!?」
紅い炎を巻き上げながら息を荒らげる神の姿。 それは確かに、倒したはずなのに。
「何でこいつがここに居るんだ・・・!」
向かい合うホルスとヘイムダル。 にらみ合いが続く中、カメラで穴の開いた格納庫を望遠すると、そこにはエアリオとハロルドの姿が見えた。
ハロルドは冷静な眼差しでヘイムダルを見上げている。 きっとカイトが乗っている事など知りもしないのだろう。 それが気に入らず、スピーカーの音量を最大にしてマイクに向かって叫んだ。
「親父いいいいいいいいいいッ!!!」
驚きを露にするハロルド。 直進してくるホルスを受け止め、腕を組んで押し合いながら叫び続ける。
「もう逃がさないぞ・・・! こんなわけのわからんものまで持ち出して・・・一体何を企んで・・・!?」
二機は顔を顔とぶつけ合い、ギリギリまで接近した状態で力比べを行っている。
無論それはホルスの方が上であり、ヘイムダルはじりじりと後退を余儀なくされる。
しかしそんなことはどうでもよかった。 カメラの望遠方向を切り替え、ホルスのコアに向ける。
それはコアというよりはガラスの球体だった。 中身が丸見えであり、青い液体が充満した内部には、何故か人の姿がある。
「・・・」
目を見開く。 ゆっくりと、望遠を拡大していく。
望遠を七倍にしたあたりでもう確信した。 それから産まれて初めて、腸が煮えくり返りそうになる程の怒りを覚える。
何も言わず無言のままヘイムダルの出力が格段に上昇した。 ホルスを押し返し、その巨大な身体を大地に押し倒す。
「どういうことだ」
液体の中、イリアは全身をコードにつながれ、裸同然のパイロットスーツを着用し、力なく浮かんでいる。
震える拳を隠しもしない。 何か大事なものが、自分の頭の中で音を立てて焼ききれた気がした。
「説明しろォオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
仮に、ジェネシスを武力で乗っ取ったところで、それを正義と成すにはいくつかの問題がある。
いや、武力制圧などという行為そのものに最早正義という言葉は該当せず、一方的な制圧では人は納得しない。
故にその武力制圧の後、二つの段階がクーデター計画には組み込まれていた。
まず、民衆の説得である。 ハロルドが自らの言葉で全市民に向けて革命の内容を説明する。
そのためにわざわざエレベータを封鎖し、市民を出来る限り市街地にある公共放送用巨大モニター前に集め去れたのだ。
そして更に、その根拠として切り札である新しい力の運用法をアピールする事が必要だった。
単純にレーヴァテインを所持し、外部に対しての軍備を強化すると言ったところで具体的な改革性は民衆に与えられないだろう。
だからこそ、全く新しい技術と力を示し、今現在よりも改革によって力が増すのだという部分をアピールする必要があった。
そのためにわざわざ回収、複製したホルスだ。 そしてホルスを技術的に蘇生は出来ても、動かすのには人間のコアが必要になる。
だから急いだ。 イリアを手に入れ、ホルスを調整し、まずは動かして見せなければ。 序にレーヴァテインを倒して見せれば民衆もジェネシスの役員も納得するであろうが、敗北した際のデメリットを考えればヘイムダルもレーヴァテインも出撃させない方がよいと判断する。
力をアピールする方法は実戦でなくても構わない。 そんな手段はいくらでもあるのだから。
だからこの状況はハロルドの思惑とは異なっていた。 カイトはまだ予定では本社内で軟禁されているはずだったし、何よりホルスが戦闘状態に入るなど予想もしていなかった。
もはや民衆を説得しているような時間も余裕も余力もない。 そして、新たな切り札となりえる力が暴走してしまったのでは、市民には不安しか与えないだろう。
さらに言えばこの事態を収拾した現体制への支持率は上昇し、ハロルドの立場は失脚へ向かって大きく傾く。
「何故だ・・・」
全ては完璧な計画のはずだった。 念入りに計画を実行に移し、速攻を以って全てを行ったはずだ。
「だというのに何故・・・」
最早ハロルドは脱力し崩れた格納庫の壁から差し込む夕日に照らされてその場に崩れ落ちていた。
達成できた目標は、エアリオの入手だけではないか。 コレでは何も変わらない。 何一つ変えられないまま。
どこで狂ってしまったのか。 考える。 必死で考えるが、それがハロルドにわかるはずもなかった。
全ては軍人でも政府でもなく、ただ自分勝手に動き回った数名の少年少女によって打開されてしまったのだから。
少しずつ、ゆっくりと、狂ってしまった計画の歯車は最早修正できないほどに歪み、最終的に目指していた目標に届く事無く、静かに終わりを告げた。
まるで全てが無駄になってしまった。 こうなってしまっては正義などない。 正義なきものに民衆は付き従わない。 それは良く分かっている。
直に兵たちも引き下がり、この騒動は終わりを告げるだろう。 無論現政府の勝利という形で―――。
「くっ・・・だが、まだだ・・・! まだ私は・・・」
「ううん。 そろそろ終わっておいたら?」
声と同時に背後から頭に突きつけられる硬く冷たい感触。
オリカ・スティングレイ。 とっくの昔にここまで潜入し、警備を全てかいくぐってきた黒髪の少女は優しい笑顔を浮かべたまま言った。
「貴方の言いたいこともわからなくはないけどね。 でも、やりようってものがあったんじゃないかな」
「ふん・・・子供に何がわかる。 神や天使を利用する新たな兵力の増強さえ、ジェネシスは認めなかった。 私の長い間の研究の成果が全て台無しになってしまった」
「結局はそこなんじゃないですか?」
振り返るハロルド。 冷たく笑う艶やかな唇でオリカは責め苦を紡ぐ。
「結局、あなたは自分勝手な感情で動き、人を傷つけただけなんじゃないですか?」
「・・・」
「確かにこの町は能天気で誰もがバカですよ。 現実ってものを知らないから。 でもそれっていけないこと? 大事なものを守りたくて自分勝手になるのは誰だって同じ・・・あなただってね」
「私が同じだと・・・!?」
「違うって言うの? 自分勝手な、矮小な感情で。 町を壊して人を壊して。 結局あなたがした事って、なに?」
風が吹き込む。 夕暮れの紅い日差しに照らされオリカの挑発がオレンジ色に輝いた。
「計画が上手くいったとして、誰があなたの願いを聞き届けると思う? 民衆はそこまで考えてないよバカだもん。 あなたがジェネシスのトップに立つのなんか所詮最初から無理だったのよ。 どんなに計画を張り巡らせて大義を翳しても、あなた自身の矮小さや愚かしさまでは掻き消したりなんて絶対に出来ないんだから」
「黙れ・・・黙れえええええっ!!!」
振り返り拳銃を構えようとするその腕を、オリカは容赦なく撃ち抜いた。
乾いた銃声が夕暮れの空に響き渡り、ハロルドはその場に倒れこむ。
「貴様達はレーヴァテインプロジェクトの恐ろしさを知らんからそんな事が言えるのだ・・・! 今に後悔するぞ・・・自らのしてきた所業の結末を・・・」
言葉が吐き出されたのはそこまでだった。 繰り返し引かれる引き金。 拳銃は銃弾を連続で吐き出し、ハロルドの身体を貫く。
「ぐぬあっ!!」
みっともなく、無様に血の海であがく姿を見下ろしながらオリカは鋭い目つきで睨みつけ、顔面を拳銃で殴り飛ばす。
傷は全て致命傷ではない。 出血死の可能性はあったが、楽に死ねるような傷は負わせなかった。 それは情けなどではなく、単純にオリカ自身が憤っており、殺してやるのも生易しいと、そう思っていたからに過ぎない。
「くっ・・・そ・・・ソラリス・・・! 私は・・・っ」
「あなた、カイト君のお父さんなんでしょ・・・?」
「それがなんだ・・・!」
「悲しい事や辛い事があるなら、こんなことしないで・・・カイト君にまず相談すべきだったんじゃないんですか?」
「――――ッ」
目から鱗が落ちる思いだった。 しかし、気づいたところで最早遅い。
ハロルドは確かにカイトを愛していた。 何年も会う事も口を利くこともなかったとしても、彼なりにこの世界を変えたいと願い努力してきたのだ。
その結果、悲しみや苦しみを振り切れずソレに囚われ続けた男は、それを笑って乗り越えた息子とどこか決定的に擦れ違ってしまった。
存在のあり方が余りにも食い違ってしまった二人だからこそ分かり合えず、だからこそきっとお互いを理解出来るように努力すべきだった。
ハロルドはカイトが革命に巻き込まれる事を恐れ、その身を案じてわざわざ一刻を争うスケジュールの中、カイトを迎えに行かせた。
そしてビルに閉じ込めたのも、彼なりの愛情だったのかもしれない。 そうやって安全なところに切り離すくらいしか、息子を思う方法を知らなかったから。
「顔を上げてください」
見上げる場所。 避けた天井から空が見える。
夕暮れの光の中、カイトは戦っていた。 傀儡となった、自らが最も愛した少女と。
銃声と衝撃が響き渡り、カイトはそこで戦っていた。 愛した少女を目の前にしても、一歩も引き下がる事もなく。
それは果たしてハロルドが思い描いていたカイトの姿なのだろうか? 母親の後についてまわり、いつも一人で引きこもっていた少年の姿なのか。
断じて否。 少年は父親の予想を裏切り、立派に成長していた。
だからそこにあったのは、成長した息子と対面し、初めて自らが何も知らなかった事を思い知らされた・・・一人の父親の姿だった。
「人は成長します。 変わります。 だから生きていけます。 彼は強い。 少なくともあなたなんかよりずっと」
「・・・・・・・私は・・・間違っていたのか・・・?」
「間違いかどうかはわかりません。 貴方の言い分には正しいところもあったはずです。 でも、分かり合う努力を忘れたら、人は上手くかみ合わないものなんです」
例えば譲歩したり。 理解しあえるよう努力したり。
そんなものはビジネスだろうが人生だろうが変わらない。 それくらいのことも出来ず、何を成功と言うのか。
独りよがりな思想は誰かに理解されることはない。 それを押し通したとしても、いずれは何かに駆逐されるだろう。
それが独裁者の末路。 歴史が全てを語っているように、彼もまた同じ道を歩む運命にある。
「愚かな人々に絶望し、そこから逃げ出した一番愚かな人間は―――貴方ですよ、ハロルドさん」
もう、ハロルドに何か言い返すだけの力は残されていなかった。
力なく項垂れ、何も言葉に出来ない。
それを見届けてオリカは銃を投げ捨て、溜息を残して振り返った。
「助けにきたよ、エアリオちゃん」
エアリオを拘束していた錠を解除し、手首を擦りながら少女は地面に下りた。
夕日の中、項垂れたまま一歩も動かないハロルドを目にし、それからオリカを見上げる。
「・・・容赦ないな」
「うん。 ぶっ殺してやろうかと思ったけど、殺すとね、リイドが怒るから。 まだ今日一人も殺してないよ? えらい?」
「えらいえらい」
屈んでエアリオに頭を撫でてもらい、笑うオリカ。
「酷い事するんだねあの人・・・。 エアリオの髪の毛、血のりでパリパリになってる」
「いや、これは・・・」
「そこまでです、オリカ・スティングレイ」
声に振り返る。 そこにはカロードが立っていて、オリカが反応するよりも早く、カロードの放った銃弾がオリカを貫いていた。
「姉さん・・・どうして姉さんが・・・っ!」
ホルスとカイトの搭乗する蒼いヘイムダルは何度も拳を交え、町を破壊しながら戦い続けている。
しかしアイリスは一歩も動く事が出来ないでいた。 震える手足はまるで言う事を聞かず、理解できない状況に思考が上手く展開出来ない。
カイトの言葉が信じられなくて自らの目で確認したのに、まだそれがなんなのか理解出来ないでいる。
機械のような姿をした神話。 その内部にはもう目覚めないと思っていた姉が囚われていて、カイトがそれと戦って居る。
信じられない状況の中、それでもカイトを援護しなくてはならないのに。 それはわかっているというのに。
「うっ・・・」
吐き気がした。 何も出来ない自分に激しく嫌気が差す。 自己嫌悪の嵐の中、異の中の物が全てせりがあって来そうだった。
何故カイトは戦えるのだろう。 むしろ理解出来ない。 カイトにとってイリアは、それほど重要ではない人物だったのだろうか。
答えはわかっているくせにそんな疑問が脳裏を過ぎってしまう。
「姉さん・・・なんで姉さんなんですか・・・? なんで姉さんは、そんなところにいるんですか・・・?」
イリアは答えない。 意思などないのは知っている。 最早正常な思考が出来る肉体ではないのだから。
ホルスの振り上げた拳がヘイムダルに直撃し、防ごうと構えたダガーごと腕を圧し折られた。
「くそっ・・・!!! だめだ、強過ぎる・・・っ!」
第一神話級とヘイムダルとでは戦闘能力にそもそも差がありすぎるのだ。
二機でかかるのならばともかく、一対一での勝負ならばカイトの勝率は限りなく低い。
しかし言わずもがな、少年に引き下がるつもりなど皆無。 片腕の状態のまま、イリアを見つめる。
「はは・・・。 懐かしいよな、イリア・・・。 前にもこんなこと、あったっけ」
通信のボリュームは全開のまま。
「色々やったよな・・・なぁ、イリア!」
駆け出す。 コンマ数秒の景色の中、夕日の眩い日差しに目を細めた。
眩い真紅の中、様々な情景が脳裏に過ぎっては消えていく。
―――そうだ。 自分が言わなきゃいけない言葉はいくらでもあったはずなのに。
―――いつでもイリアは、その言葉を待っていたはずなのに。
ホルスが放つ炎の刃がヘイムダルを貫通し、何を血迷ったのか立ち上がったカイトはコックピットを開いてマイクを直接手に取る。
「イリアアアアアアアアアアアッ!!」
少女の名を叫ぶ。 その瞬間、ホルスの動きが一瞬だけ停止した。
カイトはそれを見逃さなかった。 それを耳にする誰もが目を丸くするような音量で、この命を取る取られるという戦場の最中で、
「お前の事が・・・」
精一杯酸素を吸い込み、信じられないような勢いで。
「好きだあああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
何の根拠があったわけでもなく。
だから、何をやっているのか誰にも理解できず。
緊張感のある戦場の空気を粉々に砕き、少年は真剣な眼差しで目の前に居る少女を見つめる。
「お前の事が好きだ、イリア」
本気の言葉だからこそ、意思のないはずのホルスの動きが停止する。
いつ動きが再開するかわからない場面で、尚カイトはコックピットのハッチを閉じる事無く、言葉を続ける。
「お前が俺の事好きだっていうのは、とっくの昔に気づいてた」
誰もが一瞬、『え?』と思った。
事情を知っている人間なら誰でも思っただろう。 アイリスも無論、状況を忘れて首をかしげた。
「お前とは色々あったよなあ? ガキの時からずっと一緒で、何やるにもお前が隣にいた。 いっつも俺の手を引っ張って前に進ませてくれるのは、他の誰でもなくお前だった」
自分の人生の半分を共にしたからこそ、判ることがある。
「シンクロすればお前の気持ちだって丸判りだ。 でも、俺の気持ちもわかってたんだろ?」
でも言葉には出来なかった。 だからイリアはいつもやきもきしていた。
心と態度とのギャップが寂しくて、時々耐え切れずカイトの胸を借りていた。
けれど。
「俺、不安だったんだ。 だって、反動のせいで俺たちレーヴァテインパイロットは無意識に相手を好きになるように刷り込まれていくから」
二人がもう離れてしまわないように。 そんな感情は脅迫的に相手への好意へと様々な感情を向けてしまう。
「だから、俺が選んで望んでお前の事が好きになったって胸を張って言えなかった・・・」
ビルの中、手錠を嵌められて窓辺に転がっていたベルグもそれを聞いていた。 聞き耳を立てながら、静かに目を閉じる。
「お前みたいな超可愛い女の子が、俺みたいな冴えないやつを好きになってくれたのが、本当にお前の意思なのか、それが不安だったんだ・・・でもっ」
そんな日々でいいと思っている自分がいた。
わからないことは曖昧にして。 傷つきそうなことは避けていけばいいって思っていた。
「でも・・・リイドのせいで、俺も変わっちまったみたいだ」
それがどんなことでも、たとえ自分にとってデメリットをこうむることでも。
リイドは全てにバカ正直だった。 決して賢いとはいえない、子供染みたただ感情を振りかざすだけの生き方。
しかしそれは、悲しみを経験していつしか賢く傷つかないように生きる事が当たり前になっていたカイトにとって、衝撃だった。
そしていつかその姿を信頼すると同時に・・・自分もそうなりたいと、願うようになっていた。
「だから、もういいんだ。 お前が居なくなってずっと考えてたんだ、俺。 どうすれば傷つかないのかとか、悲しくないのかとか・・・お前が居なくなった穴を埋められるんだろう、とか」
その少女の存在が余りにも自分の中で大きすぎて、ぽっかりひらいた穴はどうしようもなくて。
苦しみを表面に出さないようにしていられたのは、きっと自分以外の誰かが泣いて苦しんでいてくれたから。
自分は笑っていなければと思えばこそ、涙は流せなかった。
「でも俺、もうそういうの気にしないんだ。 お前のことに関してだけは特別だ。 もう、傷ついたっていい。 俺は―――」
カイト・フラクトルは。
「アイリス・アークライトよりも、ベルグ・リヒターよりも・・・リイド・レンブラムより、誰よりもっ!! お前の事が、好きだから・・・!」
助けに行く。 ヘイムダルでホルスを押し返し、馬乗りになる。
神経接続されたケーブルを強引に引き抜きコックピットを飛び出す。 勿論、全身の神経を引き抜かれるような激痛と共に。
「だからもう、いいんだ・・・・・・」
ガラスの球体の中に浮かぶイリアを見つめる。
そのガラスに手を触れ、涙を零しながら、微笑む。
「お前が苦しんでたら、俺が一番に助けに行くよ。 だから、もう苦しまなくても―――いいんだ!」
拳を、振り下ろす。
「お前の声が、好きだ!」
繰り返し、振り下ろす。
「お前の髪が、肌が、好きだ!!」
罅割れていくコックピット。 しかしカイトの手は血に塗れている。
「お前の蹴りも堪らない! パンツが見えたら最高だ!」
拳がつぶれる。 義手で殴ればいいものを、わざわざ生身の腕で殴り続けた。
「俺は・・・お前の事・・・本気で好きだったんだ・・・っ」
零れる涙はガラス球の表面を零れ、皹は広がっていく。
「もう、お前の声も聞けないし、キックも受けられねえけど」
最後の力を振り絞り、拳を叩きつける。
「助けに、来たよ」
コア内部の液状化したフォゾンが漏れ出し、光の風が空に立ち上っていく。
夕日の紅い光に照らされた蒼い光の粒は紫色に輝きを乱反射しながら二人を照らしていた。
物言わぬイリアの身体を抱き上げ、ヘルメットを外してその頬に触れる。
身体はとっくに冷たくなっていた。 今までは、口は利けずとも生きていたはずなのに。
もしかしたら、カイトの告白を黙って聞いていたのではなく、とっくに死んでしまって動かなくなっていただけなのかもしれない。
それでも構わなかった。 イリアにつながった無数のケーブルを一本ずつ丁寧に引き抜き、濡れた髪にそっと触れる。
「結局大事な事は、明日言える、明後日言えるって・・・先延ばしにして。 結局何にも、いえないままだったなあ」
涙を流しながら何も言わないイリアの額に自らの額を当て、静かに歯を食いしばる。
ふと、背後で何かが点滅していた。
カイトが振り返り、それを見つめて更に涙を零した。
「んだよ・・・お前、いっつもそうだよな・・・」
操作系等など存在しない、イリアの意思をホルスに伝えるための装置。
そのディスプレイには、『アイシテル』と、カタカナで文字が浮かび上がり、消えていった。
「お前、ほんと、いっつも遅え―――」
強く抱きしめたまま泣き崩れた。
少年の慟哭が夕暮れの中響き渡り、ハロルド・フラクトルのクーデターは失敗に終わった―――。
しかし。
「―――先輩ッ!?」
アイリスの声が響いた直後、ホルスに放たれた光の矢が二人の影を飲み込み、大爆発を起こした。
炎上する市街地。 陽炎の向こう側、ウロボロスがフォゾンライフルを構えてホルスを見下ろしていた。
『下らん余興に付き合わされた礼だ。 二人仲良く消え去るがいい』
冷たい声が聴こえて、見開かれたアイリスの瞳からとめどなく涙が零れ落ちて。
叫び声をあげながら、銃を構えてヘイムダルは駆け出していた・・・。