愛よ、遥かなれ(2)
果てしなく地中へと続く階段。
リイドは自分がどこにいるのかもわからないまま、ひたすらカグラの後に続き歩き続けていた。
彼がこの長い階段を訪れてから既に幾許かの時が過ぎ去っている。 振り返っても入り口は最早見えず、完全に異世界に迷い込んでしまったかのようだった。
しかし確かにそこは現実であり、実在する場所だ。 ヴァルハラの地下、全てのプレートシティよりも下、本部よりも下に、その場所はあった。
様々な入り組んだ迷宮のような道を歩き、二人はその禁じられた場所を訪れる。
薄暗い通路。 果てしなく高い天井と、果てしなく続く黒い大理石の階段。 靴音は反響し、それがまた孤独を煽る。
「・・・一体どこまで行くつもりなんだ?」
「一番下まで」
「・・・ここはどこなんだ?」
「ジェネシス本社ビルの地下」
「本社の地下!? 何でそんなところにこんな広い空間があるんだよ・・・!?」
合計百八のプレートシティに数えられない最後の場所。
人々の約束の地。 果て無き塔の根源にある場所。 まるで冥界へと続くかのような。
歩みを止めず、少女は語る。 振り返る事もせず、当然のように。
「レーヴァテインって、何だか知ってる?」
「・・・知ってるもなにも、ロボットだろ? アーティフェクタとかいう、神と同じ力を持つ」
「じゃあ、どこで作られたかは?」
「ジェネシスが作ったんだろ? ルドルフが・・・」
「ルドルフ・ダウナーはレーヴァテインを活動させるための外装を開発した人間であって、レーヴァテインを作った張本人ではないんだなぁ、これが」
「レーヴァを作ったのが・・・ルドルフじゃない・・・?」
考えてみれば当然の事だ。 あれほどまで人の領域を逸脱した兵器を、人間が容易に生み出せる筈がない。
それほど簡単に作り出せるのであれば、ここまで人類は追い詰められてはいなかっただろう。 そう、作り出せないからこそ、アーティフェクタは世界に三機しか存在しないなどという話がまかり通るのである。
人はその神の力を持つ神機から神を模した機械を生み出した。 それらはヨルムンガルドであり、ヘイムダルである。
だが、それらヘイムダル、ヨルムンガルドは歴史上最強の戦闘能力を持つ人類の兵器だというのに、それでも尚アーティフェクタには及ばない。
力の強さを数値化する事など出来はしないが、仮にアーティフェクタとヨルムンガルドを比べるとしたら、それは二倍三倍で利く数字ではないだろう。
その力は一瞬で全てを台無しにし、人の命を軽く無下にするだけのもの。 あらゆる存在の価値を排他する、指先一つで十分すぎる暴力。
アーティフェクタ。 そんな神機が、人の手によって生み出されたのか? どう考えても、答えはNOではないのか。
「・・・だったら・・・誰が?」
そう、ならば、誰が。
人類の頂点に立つやもしれぬ頭脳を持つ人間と人類の頂点に立つやもしれぬ技術力を持つ企業と。
それらに生み出せないのであれば、一体何が神の鎧を生み出す事が出来るというのか。
「わかんないねえそれは」
あっけらかんとした少女の回答に思わず脱力する。 しかし、そんな答えで納得できるはずがない。
思わず睨みつけると、カグラは困ったように苦笑して、嘘偽りなく、正しい答えを返した。
「『最初からそこにあった』んだよ」
『誰』が作ったわけでもない。
ただ、最初から、『そこ』にあったもの。
「だから、誰が作ったのかはわからないね。 だって、最初からあったんだもん」
「あったって・・・ど、どこに?」
「今から行く場所に。 もう何億年も前から」
「何億年って・・・」
「まぁ、もうすぐだから黙って待ってれば? 興味あるんでしょ」
「そりゃあ・・・」
渋々納得し、後をついていくこと数分。
辿り付いたのは更に細い通路に続く道であり、更にその先には小型のエレベータがあった。
全く揺れを感じない黒い棺に運ばれること数分。 辿り付いたのはジェネシス本部のエレベータホールにも似た巨大な広場だった。
ただし、本部のホールに比べればそのスケールの差は圧倒的であり、正に冥界への門を連想させる。
「なんでこんなに広い空間があるんだよ・・・」
「地球は広いってことだね。 ま、何はともあれ・・・ご対面だよ」
扉に備え付けられた端末を操作し、扉を開く。
ゆっくりと開く扉の隙間からあふれ出す大量の白い煙。 眩い光に思わず目を細める。
「何だ・・・!?」
差し込む光の中。 そこは地下空間であるはずなのに眩い光に覆われていた。
何の舗装もされていないむき出しの白い砂の大地が広がり、その景色はさながら地獄―――天使が通り過ぎた後の大地のようだった。
枯れ果てた生と死の渦巻く白い砂の大地。 その景色に、リイド・レンブラムは確かに見覚えがあった。
「なんで・・・『ここ』が・・・!?」
砂に埋もれた瓦礫の山。 そこはかつて何かが栄えた都だった。
地下であるにも関わらず、空には太陽・・・そして白い雲が浮かんでいる。
厳密にはそれらは太陽でもなければ雲でもなく、昼でもなければ夜でもなく。
こと人の世で同じ景色を再現するのは不可能である、神秘領域。
人類の常識と概念を越えた空間。 その中心には、巨大な一つの樹木があった。
覚束ない足取りでそれに近づいていく。 樹木と。 それを呼んでいいものだろうか。
それは岩でもなければ木でもない。 人工的に生成できるあらゆる物でもない。
最初からそこにあった。 解析は誰にも出来ない。 誰にも壊せず、誰にも触れられない、絶対的存在。
例えるならばそう―――まるで、神話に登場する神のような。
「世界樹―――そう、アタシたちは呼んでいる」
「ユグドラシル・・・?」
触れようと手を近づけてみる。 しかしその腕はカグラによってつかまれ、退き止められていた。
「触らないで。 猛烈な勢いで空間を移動し続けている『原初の可能性』の塊よ。 触った瞬間、アンタの存在そのものが木端微塵になるわ」
「なんだよそれ・・・」
「とにかく、触った瞬間死ぬって事よ」
「ウソだ・・・!」
振り返るリイド。 その瞳は苦悩と不安に満ち溢れ、泣きそうですらある。
震える声で、震える肩で、搾り出すように語る。
「ボクはこれを知ってる・・・!」
触った事だってある。
「だって、これは・・・っ!!」
『ありがとう・・・・ありがとうね・・・・きみのおかげ。 きみはやり遂げたんだよ。 きみは勝ったんだよ』
混乱する。 誰の声なのかわからなくなる。 頭を抱え、叫びだしたい気分でいっぱいだった。
世界樹は動きもしない。 見上げれば・・・その奇妙な樹木からは無数の手足が生えていた。
手足だけではない。 巨大な首、胴体、下半身・・・上に行くにつれ、樹木の枝木はどんどんおぞましいものになっていく。
巨大な手足、いや、人間の部品で出来た生きる何かの集合体。 それが世界樹の正体。 世界樹を構築するもの。
それらは全て、鋭い眼差しでリイドを見つめている。 無数の瞳が、手足が、リイドを見据えていた。
夢で確かに見たその巨大な樹は、禍々しい妖気を放ちながら、確かにそこにあった。
「世界樹・・・それが・・・こいつの名前なのか・・・?」
「そう。 何かの成れの果て。 そして、人類の希望」
枝木である手足は槍や剣で貫かれ、それらはまるで葉をつけているかのよう。
しかしそれは確かに命を何らかの手段でそこにつなぎとめているだけの・・・ただそれだけの、樹などではない、『何か』。
「レーヴァテインもエクスカリバーもトライデントも、この樹の周りにあったの」
「え・・・?」
「この、武器が突き刺さり樹林を構築する砂の大地に、釘付けにされていたのはユグドラシルだけじゃなかったってこと」
見渡す景色。 広すぎる空間。 確かに、そこには納められていた。
「知ってる・・・」
膝を着き、目を凝らす。
しっかりと精神を集中し、記憶ではない―――魂に問い掛ける。
「ボクは・・・ここを・・・知っている・・・」
大地は血に染まっていた。
そこには三体の神が、刃に貫かれ呻き声を上げていた。
あふれ出すグロテスクな血液と肉の断片が作り出す紅の海の中で、それらはもがいていた。
裂けた口から血を流しながら、鋭利な爪を伸ばした腕で空を仰いでいた。
無数の瞳のある顔は人間のそれではないのに。 その大きさは人間のそれではないのに。 まるでその姿は、天に許しを乞う、ヒトの祈り。
絶叫と呻き声と死と生と、そして歓喜が満ちていた―――始まりの場所。
そこに、レーヴァテインは、確かに、いた。
「あそこで・・・剣にささってた・・・」
貫かれた肉体から内蔵を零しながら、奇声を発しながら、無数の瞳でリイドを見ていた。
「あいつは・・・ボクを待ってたんだ・・・!」
近づいていけば、むせ返るような血の匂いが漂ってくる。
それは決して神などではない。 ただ、その名をかたるだけの、奇怪な化物。
おぞましいその外見を、たまたま。 人間は美しい甲冑で覆い隠しただけに過ぎない。
「意思を持っていて当然だ・・・」
彼らは一つの生命だった。
「でも何で・・・。 何で、ボクはこんなこと、覚えてるんだ・・・っ」
記憶なんてないはずなのに。 そう、『そんなことは知らないはず』なのに。
「やめろ・・・っ!」
その時、人類はレーヴァテインを動かす為に、生贄を捧げた。
「やめろ・・・っっ!!!」
少女は白い衣装に身を纏い、悲しげな顔で少年を見ていた。
その時は、何も出来なくて。 何をすることも、わからなくて。
だから無邪気に見送っていた。 何も知らないままで。
「やめろおおおおおおおっ!!!」
少女は、喰われてしまった。
紅い血が巨人の手の平からぼたぼた零れ落ちて。
「ああっ・・・あああああああっ!!」
涙を流しながら頭を抱え、震えるリイドの肩を抱き、カグラは微笑んだ。
「やっぱり知ってるんだ・・・。 ここで何が起きたのかを」
少年は答えない。 混乱する記憶の最中、返答しろと言うほうが無理難題であろう。
だから少女は立ち上がり、世界中を見上げる。
そこに生えた無数の首たちは笑うように目を細め、二人を見下ろしていた。
⇒愛よ、遥かなれ(2)
「・・・ついたぞ、アイリス」
長い追跡劇が終わった場所は、ジェネシス本社ビル前だった。
本社ビルの中へ入っていく高級車を確認し、ベルグはバイクのエンジンを停止させる。
「本社ビル・・・? ということは、ジェネシスが先輩方を拉致したということですか・・・?」
「お前らジェネシスの社員じゃなかったのかよ? なんで親会社に拉致されんだよ」
「わ、私に聞かれても・・・」
困り果てるアイリス。 そう、彼女は所詮新参。 ジェネシスが内包する様々な問題を知る由もなかった。
そんな様子のアイリスに溜息を着き、決意を固めベルグは皮のグローブをはめなおしながらバイクを降りる。
「べ、ベルグ! どうするつもりですか!?」
「ここに入ったのは間違いねえんだ。 直接問い詰めてやる」
「そんな無茶な・・・っ」
「無茶だろうが何だろうが、ダチがピンチなんだ。 形振り構ってる余裕はねぇんだよ」
鋭い眼差しは怒りに満ちていた。 例え自分は蚊帳の外だったとしても。 気まずくなり、口を利いていなかったとしても。
長年連れ添った親友が。 幼馴染が。 自分が負けたくないと願ったライバルが。
「勝手に連れ去られてんじゃねえぞ、カイト・・・!」
駆け出そうとするベルグの道を塞ぐように黒服の男達が立ちはだかる。
「何だテメェらは・・・?」
「尾行されているのに気づかないとでも思ったか? ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ」
「ビルの中に入るのに許可はいらねーはずだろ・・・」
「本日はビル内への一般人の立ち入りを禁じている。 例外はない」
「つけてるの知ってんだろ・・? だったら何で俺らがテメェらをつけてたのか理由も判ってんだろが! ウダウダ抜かすとぶっ殺すぞ!?」
黒服の胸倉に掴みかかるベルグ。 子供とは思えない壮絶な眼差しで睨みかかると、左右で待機していた男達が一斉にベルグを取り押さえるため駆け出した。
「べ、ベルグっ!」
「レーヴァテインだか何だか知らねえがっ!!」
自分より図体の大きいガードマンの腕を掴み、背負い投げる。
「生身のケンカなら、カイトにもイリアにも、負けた事は一度もねえっ!!」
ハイキックで頭部を強打し、気絶させる。
しかし数に圧倒的な差があり、そして相手もプロ。 油断したからこそダメージを受けたものの、油断しなければ敗北はありえない。
全員一斉に懐から拳銃を取り出しベルグに突きつける。
「べ、ベルグ・・・って、いやあっ! 触らないでください!」
「アイリス!?」
背後からにじり寄っていた男達に掴みかかられ、抵抗するもののアイリスの細腕ではどうにもならない。
「汚い手でそいつに触るな!」
「口数の多いガキだな・・・動くな!」
「ぐあっ!?」
ガードマンの一人に腹部を蹴り飛ばされ、アスファルトの上に倒れるベルグ。
その手を踏みつけ、ガードマンたちは銃口を向け続ける。
「やめてください! どうして乱暴するんですか!?」
「アイリス・アークライトだな。 探す手間が省けてありがたい。 おい、連行しろ」
「嫌ですっ! 嫌いですっ! 触らないで下さい、変態っ!!」
変態呼ばわりされたガードマンたちは顔を見合わせ一瞬怯んだが、仕事だと割り切って少女の両腕を掴みに掛かる。
最早少女たちに成す術はなく、このままむざむざ連れ去られるだけ・・・そう誰もが思った瞬間。
「昔のことわざにこんな言葉がありました」
夕日を遮る影。 ガードマンたちは声の主を探し、腑抜けた顔で頭上を見上げた。
その巨大な顔面を踏みつけるハイヒールのブーツが一足。 続いて二足。 倒れる男の首を横から蹴り飛ばし、颯爽と舞い降りた。
「悪、即、斬っ! 正義を愛する魔法少女! まじかる☆オリカ! 呼ばれなくても只今参上ッ!」
妙な構えを取りながら、少女は満面の笑みで叫んだ。
オリカ・スティングレイは、ビルの二階までわざわざ駆け上がり、窓から飛び降りてガードマンの一人をノックアウトしたのであった。
「アイリスちゃん、大丈夫〜?」
「オリカさん・・・? あの・・・」
どうしてここに? という疑問を引っ込める。
「なんですか、そのまじかる☆オリカって・・・」
「うん、正義を愛する魔法少女のねー」
「魔法少女って歳なんですか?」
「うっ!」
「何歳でしたっけ?」
「・・・魔法少女はね、歳をとらないんだよ」
「おい! 貴様、動くな―――」
という、ガードマンのセリフが終わるよりも早くオリカは動き出していた。
手にしているのは花屋の竹箒。 レジャーショップで安売りされていたその竹箒を頭上で高速回転させながら、天高く飛び上がる。
「ジェネシスのガードって結構甘いよね」
「うおっ!?」
箒を振り回し、無駄のない動作で周囲のガードマンが持つ拳銃を払いのける。
「貴様!」
三発の銃声。 オリカは音を聞くより早く反応し、二発の弾丸を壁を蹴って空中を跳躍し回避し、残り一発は箒で叩き落して男の顔面を鷲づかみにする。
「女の子に向かって発砲するんだね―――下種」
アスファルトの大地に叩きつけられる男の頭部から大量の血液が飛び散る。
まるで時が止まってしまったかのようだった。 アイリスもベルグも、ただ口をぽかんと開けたまま、その景色に見惚れていた。
「なんだお前はああああっ!?」
銃撃戦が始まる。 奪い取った拳銃を両手に構えたオリカは男達に包囲されつつ、踊るような動作で弾丸を回避し、引き金を引き続ける。
戦闘が続いたのはわずか数秒。 繰り返される男達の呻き声が鳴り止む頃、そこにたっていたのは華奢な少女たった一人だけだった。
両指の先で拳銃をクルクル回転させ、煙を吹いて目を細め、笑う。
「弱すぎ、おじさん」
ガードマンたちは全員が四肢を撃ち抜かれていた。 両手足から血を流し、誰もその場に立ち上がる事が出来ないでいる。
拳銃を投げ捨ててオリカは振り返る。 そして地面に落ちていた竹箒を拾い上げ、目を丸くした。
「はうあああ! これ、お店の竹箒なのに・・・折れちゃった・・・。 どうしよう、おばさんに怒られるぅ〜・・・」
頭を抱えるオリカ。 ベルグはアイリスを助け起こし、オリカに近づいていく。
「あんた・・・何なんだ?」
「え? あ、無事でよかったね〜二人とも。 だめだよ、危ない人にあったら助けを求めなきゃ〜」
「うっ・・・それは、もしかしてこの間の事を言っているのでしょうか?」
「たすけて〜〜、レンブラム〜〜〜」
「・・・・・・」
顔を真っ赤にして掴みかかるアイリスとくねくねと踊りながら逃げ回るオリカ。 その奇妙な光景をベルグは口をあけたまま眺めていた。
「それより、オリカさんが何故ここに・・・?」
「うん。 本部直通エレベータが使えなくなってたから、直接きちゃった」
真っ先にエレベータに向かったのだが、オリカが持つ特殊IDですらエレベータは稼動できなかった。
つまりIDがどうということではなく、完全にエレベータそのものが停止させられているということ。
そうなれば何か異常事態が発生しているのは最早明らかだ。 故にオリカはそのままの足で本社に向かい、そしてこの現場に遭遇した。
「いいタイミングだったみたいだけどね〜」
「アンタ何者なんだ・・・? アイリスの知り合いか?」
「正義を愛する通りすがりの魔法少女だよ〜。 それより、突入するんでしょ?」
「はい・・・! カイト先輩とエアリオ先輩が拉致されてしまったんです!」
「う〜ん・・・ねえねえ、リイドくんは?」
「・・・レンブラム先輩は・・・どこにいるのか・・・」
「そっかあ・・・。 ま、いいや。 カイト君たちを助けたら、リイドはきっと褒めてくれるもんね〜」
緩い笑顔で身体をくねらせるオリカ。 尋常ならざる戦闘能力の理由はともかく、頼りになるのは間違いない。
「じゃーいこっか? 丁度いいから銃もってく?」
「はい・・・!」
「ちょっとまてえい! 法廷速度は駄目で拳銃はいいのか!?」
「自衛手段ですから。 そんなことにこだわっていないでベリルも速くしてください」
拳銃を手にして走り去っていく少女二人。 ベルグは何も言わずそれを見送り、残されていた拳銃を拾い上げた。
「アイリス・・・なんかちょっと変わったか・・・?」
そんなことを、ぼやきながら。
本部占領まで、残り三十八分。
音を立てて閉まる両開きの扉。 自動ドアが当たり前のこのご時世でハロルドの執務室の扉が手動であるのは、単なる趣味の結果だった。
紅い絨毯の敷き詰められた部屋は高級感があり、半透明のデスクの上に並んだノートパソコンの合間から、主は息子を見つめていた。
「親父・・・ッ!! これは一体どういうことだ・・・!?」
「久々の再会だというのに随分な態度だな、カイト」
憎悪を込めて睨むカイトと冷静さを保ったままのハロルド。 二人のぶつかり合う視線はまるでかみ合わない歯車のようだった。
「エアリオはどうした・・・? エアリオはどこにやった・・・!」
「彼女なら丁重に取り扱っている。 彼女は我らにとって欠かせぬ重要なファクターだからな」
「何の話だ・・・。 今何が起きている・・・。 あんたは何をしようとしているんだ・・・」
「・・・一から語るのも面倒だ。 見ろ」
デスクの端に備え付けられたスイッチを押すと、部屋の中に立体映像が浮かび上がった。
それらのうちの一つを目にし、カイトは目を見開いた。 本部の入り口に無数の武装兵がとりつき、チェーンソーで扉を切断しようとしている真っ最中である。
「なんだこれは!?」
「本部の占領を以って、我が兵器開発部門がアーティフェクタ運用本部を接収する」
「・・・どういうことだ、それは・・・」
「レーヴァテインを、リフィル・レンブラム率いる人材に任せてはおけないということだ」
コーヒーの注がれたカップを片手にハロルドは続ける。
「現在、レーヴァテインの力はこのヴァルハラを守るため・・・あるいは維持するための戦闘行為しか行っていない」
例えば、町に襲い掛かる敵。
或いは、依頼をうけ、資金や物資の変わりに引き受ける戦い。
それらは最終的にはヴァルハラとジェネシスを守る為だけのものであり、それ以外の目的は何ら所有していない・・・それが現体制のジェネシスだと言える。
「だが、レーヴァテインほどの力を以ってすれば、ヘヴンスゲートも攻略可能。 さすれば、人類の脅威を駆逐することにつながるだろう」
「今だってヘヴンスゲート攻略はやってるだろ! それに、単騎で落とせるほどゲート攻略は容易くない!」
「だが、リイド・レンブラムと言ったかね・・・? あの少年、開放値40%を越えた事があるそうじゃないか」
それは、イリアと共にホルスと争った時。
少年の意志に呼応し、たった一人でその開放値をたたき出した。
封じられた炎の翼の戒めを解き放ち、空を飛べないレーヴァテインを強引に飛ばせるという遺業をなした。
それは間違いない奇跡の一つ。 ただその時の状況が異質であっただけで、本人がその偉大さに気づいていないだけで。
「彼なら可能だとは思わないか? レーヴァテインの真の力を引き出し、そして人類の手に地球を取り戻すことが」
「・・・レーヴァテインの・・・真の力・・・」
「そうだ」
立ち上がり、ハロルドはマグカップを傾ける。
「現体制のジェネシスはそれをしようとしない。 だから一度解体し、作り直す・・・。 ジェネシスという巨大すぎる企業は決して一枚岩などではない。 数え切れぬ人間によって構築された社会という名の居城は決して容易く動かすことなどできない。 だから生まれ変わらせる必要があるのだ。 改革を望む人間の手によって」
「それで、親父はどうするつもりなんだよ・・・」
「レーヴァテイン並びに量産したヘイムダルに、我が兵器開発部が生み出した武装を装備させ、神を駆逐する軍隊を生み出す。 同盟軍などに負けぬ、屈強な神の軍団だ」
「そんなの・・・誰も望んじゃいないだろ・・・っ」
「同盟軍はヨルムンガルドなる人型兵器を量産するSICと手を組み、勝手に世界中を飛び回っているのだぞ」
「だからなんだよ!?」
コーヒーを飲み干し、腕を組んで父は息子を見つめる。
「この荒れ果てた世界で、孤立し町を守り続けていく事がどれだけ危険な難題か、お前にわかるか?」
他国の協力を得ず。 他国に協力をせず。
孤立し、ただただ塔の中の人間だけを守り続けていくという事。
世界が終わってしまったとしても、それを続行しなければならない。 継続しなければならない。 守り続けていかねばならない。
「同盟軍はレーヴァテインの力も、ヘイムダルの力も、我がジェネシスの企業としての力も欲している。 連中がヨルムンガルドを使って大挙として押し寄せてきたならば、我らは抵抗の術もなく蹂躙されるだろう」
同盟軍は神によって故郷を失った人々からなるものが殆どである。
故に誰もが過酷な現実を乗り越え、それに抗う術として銃を手に取った義勇軍だ。
それに対し、ジェネシスは・・・ヴァルハラに住む人々は、世界が危機的状況に陥っている事すら実感を持たない、ある意味能天気な人間達。
帰る場所もない、もはや勝利するしか未来の残されていない決意する人間に対し、できる事など何もない。
仮に同盟軍がヴァルハラに侵攻してきたのなら、その結果は火を見るよりも明らかなこと。
「民を守るために現体制では無理なのだ、カイト。 もっと兵器を量産し、市民からそのパイロットを選抜する。 いいか? レーヴァテインと数えるほどしかないヘイムダルだけで、この巨大な塔を守ろうという現体制のほうが、むしろ狂っているのだ」
その為に。 この都市を守っていく為に。 より巨大な、攻撃的な勢力に生まれ変わる必要性がある。
ハロルドは常に会社にそう叫んできた。 しかしジェネシスはそれを受け入れず、現状維持。 レーヴァテインにより都市を防衛するの一点張り。
だからこそ、行動を起こした。 そのきっかけは、レーヴァテインがヴァルハラを離れた事であり、リイドの行動は確かにハロルドに強烈な衝撃を与えた。
「レーヴァテインを任された人間が、同盟軍についたら・・・。 その時どうなるか、お前にもわかるだろう」
「・・・っ」
レーヴァテインが留まっているからこそ、この世界は成り立っている。
それが無許可で居なくなったとしても、それを止める武力さえ今のこの町は持ち合わせていないのである。
「たまたまこの間の襲撃に間に合ったから赦された話だ。 今後そうそう運良く事が進むとでも本気でお前たちは思っているのか?」
「それは・・・」
「目を覚ませカイト。 本当に人々の事を思うのであれば、今後は憂いを払うため積極性のある組織に改革していかねばならんのだ」
「・・・・・・確かに・・・」
拳を握り締める。 確かに、そうだ。
父親の言う事は何一つ間違って聴こえなかった。 その通りなのだ。 今この町の、誰もが笑顔で暮らすこの町の。
敵も知らず。 外の世界も知らす。 平和が続き、誰もが自らの手を血に汚す事もないこの楽園のような町の。
平和を維持していくには、強い強い力が必要だ。 それも統率された、強力な軍隊が必要なのだ。
レーヴァテインを動かすのが子供だからこそ、不安定な感情を持つ若者だからこそ、それを押さえつける事はきっと必要なのだ。
大人たちが銃を持ち、武器を持ち、力を持ち、レーヴァテインを止めるだけの事が出来なければ、子供の気まぐれ一つで全てが終わってしまう。
それが現実。 限りなくアンバランスなロープの上を、ひたすらに誰もが笑って渡っていく。 そんな奇妙な光景が今のジェネシスなのだ。
「お前ならわかるはずだ、カイト・・・。 ジェネシスが何もしなかったからこそ・・・!」
カイトの肩を掴み、真剣な眼差しで見つめる。
「世界が何もしなかったからこそ・・・! ソラリスは死んだのだぞっ!!」
「母さんが・・・」
「・・・冷静に考えてみる事だ。 私の革命はまだ終わらない。 今こそ証明してみせる・・・ジェネシスの力を。 この世界のあるべき姿を、市民たちに理解させるのだ」
「どういうことだよ・・・。 それとエアリオと、どんな関係があるんだよ・・・」
「革命はじきに終わる。 お前は黙って見ているがいい。 ここにお前を呼んだのは・・・革命に巻き込んでしまわぬようにだ」
「何だと・・・」
ガードマンが背後からカイトの肩を叩き、両手を掴んで引っ張っていく。
「待てよ親父・・・話はまだ終わってねえだろ・・・」
「子供が粋がっていられるのはもう終わりだ」
「なんだよそれ・・・」
身体を引っ張る強い力に抵抗する。
思わず項垂れ、金の前髪で顔を隠したまま、歯を食いしばる。
「俺たちはガキだよ・・・。 確かに自分ひとりじゃ何も出来ねえ甘ったれたガキだ・・・でもなあっ!!」
吼える。
「俺たちだって今まで、辛い事も、悲しい事もっ! 俺たちなりに努力して踏み越えて来たんだっ!!!」
未熟だからこそ、迷い、苦しみ、それでも明日へ。 明日へと進みたくて、歩みを進めてきた。
「何でいつもそうなんだよ・・・。 なんでいつも親父は俺の話を聞かないんだよ・・・っ」
確かに、自分勝手な日々だったのかもしれない。
そこに、楽しみを感じる余地などあるはずもないのに。
確かにその日々は、幸せで・・・。 楽しくて・・・。 だから、失いたくない。
「俺の話を聞けよっ!! 親父ぃいいいいいいっ!!!」
ハロルドは振り返る事もせず窓の向こうを眺めていた。
「ちくしょう! 離せよ! 親父! こっち見ろよ!」
暴れ、もがいても、完全に捕まれてしまった腕を振り払う事は出来ない。
「ちくしょう・・・ちくしょうっ! ちくしょおおおおおおおっっ!!!」
叫びは空しく部屋に響き渡っていた。
本部占領まで、残り三十分。