夢の、終わり(2)
なんかいろいろごめんなさい。
「なんでこんなところにまだ民間人が居るんだよ……! 非難警告はどうしたんだっ!!!」
封鎖され月明かりが真上から届かないプレートシティの空。 上部のプレートの底にあるサーチライトが空中で舞う美しい幻影を映し出していた。
彼らから見ればそれはすでに見慣れた存在であり、しかし始めてみる形状であり、そして何より本来あってはならないプレートシティでの戦闘である。 本来は気にしなくて済むはずの周囲の民間人の行動に苛立ちながらクレイオスを追いかけ跳躍する。
イカロスに翼はない。 常時滞空していることが可能なクレイオスに対しそれは大きなデメリットであると言えた。 無論、イカロスの動作は素早く、かつ的確なものであったが、所詮は『跳躍』。
「避けられてる……! イリア、軌道を補正してくれ! とにかくプレートの外に弾き出さないと話にならねえっ!!!」
揺らめくように空中を移動するクレイオスはイカロスの動きを全て予期していたかのように跳躍からの蹴りをかわしてしまう。
しかし跳躍しなければクレイオスにイカロスの攻撃は届かない。 なぜならイカロスは、『遠距離武装を保有していないレーヴァテイン』なのだから。
凄まじい轟音を立てながらシティに着地するイカロス。 その震動は周囲のビル郡を易々と倒壊させ、自らの運動エネルギーを静止するために膝を着きながら大地を疾走、空を仰ぎ見た。
クレイオスはそんな空を飛べないイカロスを見下すかのように優雅に空を舞い、白く輝く半透明の羽を街に降り注がせる。
「くそっ! イカロスの性能じゃ追いつけねえ!」
「……ご、ごめん、あたしのせいで……!」
「あ、いや、イリアのせいじゃなくてだな〜……ええいっ! 今はそんな事言ってる場合じゃないだろ!」
今、クレイオスはただただ空で浮遊しているだけにしかみえない。 むしろシティを破壊しているのはイカロスの方であり、客観的に見ればクレイオスは驚異的な存在だとは言えないだろう。
ただしそれは、この状況を客観的に判断できる人間がいる、という前提の上に成り立つ仮説だ。 そしてこのシティに――少なくともクレイオスの周囲数キロメートル範囲に、生存している生命など一つとして存在していない。
ビルの中。 街角。 それぞれの民家。 そうした建造物の中、道端にはぐしゃぐしゃに弾け飛んだ元・人間たちの亡骸で溢れかえっていた。
ただクレイオスがそこで舞い、歌うだけの事。 例えばクレイオスは、町中の何一つの物体を破壊する事も無く、このシティの生命を皆殺しに出来るだろう。
そう、まるで罪人を罰する神の如く。 さもそれが当然であるかの如く。 ただ歌い、舞うだけで人を駆逐する。
それを兵器と呼ばずなんと呼ぶのか。 それを神と呼ばずなんと呼ぶのか。 生き物だけを裁く能力……たった数分間の出来事で、82番プレートシティは、死んだ。
主を失った摩天楼の輝きは最早不気味なものでしかなく、神を称賛する後光のようですらある。
それを見上げ、歯を食いしばりながらカイトは目を細めていた。
神に対する怒りよりも、自らがこの神を食い止める事が出来ず、プレートシティに進入を許してしまった事が何よりも腹正しい。
その少年の気持ちをイリアは察していた。 しかし誰が悪いわけでもない。 ただ、『イカロスでは追いつけなかった』だけの話なのである。
空中をたゆたうように移動するクレイオス。 しかしその移動速度は一定ではなく、自在に速度を変え、変則的に慣性に囚われず動く事が出来る。
空を飛翔するという能力に置いて高い性能を持つクレイオスと翼を持たないイカロスとではその相性は最早言うまでもないだろう。
「――――待ってカイト! まだ生き残りが居る!」
「フォゾン波動の直撃を食らったのにか……!? モニターに上げてくれ!」
驚愕しながらモニターを眺める。 そこに映し出されていたのは一組の少年と少女だった。
少年は手を翳しながらクレイオスを見つめ、そして笑っていた。
「頭おかしいんじゃないの!? 何でこの惨状で逃げる気ゼロなのよ、あの馬鹿は!」
「それより隣に居るのってエアリオじゃないか……? あいつあんなところで何やってんだ?」
二人がモニターに映し出された民間人に注意を向けていると、次の瞬間にはクレイオスの姿も、大空を覆っていた歌声も、ピタリと消え去っていた。
突然の出来事に慌てるカイト。 周囲を見渡して見ても、レーダー類にも反応は一切存在しない。
「き、消えた……!?」
「カイト後ろっ!!」
振り返る間もなかった。
浮かび上がるようにその姿を背後から現したクレイオスは何も無かった胴体から無数の手足を生やし、背後からイカロスを雁字搦めにする。
全く身動きが取れない状況に必死で操縦桿を引きながらカイトは舌打ちする。
「ああそうかい……! お前も結構、近接戦闘タイプなのね――ッ!」
ギリギリとイカロスの全身を締め付ける強烈な腕力に抵抗し必死で人工筋肉に力を込める。
ゆっくりとイカロスの肉が拉げ、砕け、徐々にその身体が崩壊していく。
クレイオスはそれを楽しむかのように歌い、そしてイカロスの左腕は奇妙な音を立てて千切れ、大量の血液が死の町に雨のように降り注いだ。
⇒夢の、終わり(2)
「何だよ、やられてるじゃないか」
大量に降り注いだ生臭いような鉄くさいような匂いのするロボットの血液に塗らされながらボクは腕がもげたロボットを見上げていた。
それにしてもどう見てもあんな戦い方じゃあの神様は倒せそうにない。 あっちのロボットは飛べないんだろうか? 何とも情けない状況だ。
腕を組んで冷静にそれを眺めていると肩を叩かれたので振り返る。 そこにはまだいたのか――銀色の髪の少女が立っていた。
「エアリオ・ウイリオ」
「は?」
「名前。 エアリオ・ウイリオ……あなたは?」
突然何を言い出したのかと思えば自己紹介の時間らしい。 この状況下で全く微動だにしていないあたり、こいつも相当変な奴みたいだ。
変と言えば、変以外の何者でもないだろう。 銀髪の人間なんて、見たこともない。
「リイド・レンブラム。 名乗られたから名乗るけど、特にその必要性は感じないんだけど……」
「……リイド。 すぐにここから離れて。 このままだとイカロスが自由に戦えない」
「イカロス? あのロボットの名前なの? ってことは、関係者か」
一本背負いだった。
イカロスというロボットは背後から絡みついてくる敵を自分の身体ごと背負い投げ、大地に叩き伏せる。 ロボットとは思えない壮絶な動き、そして続いて凄まじい揺れ。
倒壊していくビルたちを背にエアリオとか言う女と向き合う。 エアリオはこの揺れにも動じないで、ただボクに手を差し伸べていた。
「下のプレートに移動する。 今すぐに」
「冗談じゃない、断る」
目を丸くするエアリオ。 心底不思議そうに首をかしげ、言う。
「……何故?」
そんなの決まってる。 わかりきったことを聞かないでほしい。
「そのほうが面白そうだから」
エアリオは再び目を丸くした。 そして先ほどと全く同じ動作で首をかしげ、言う。
「……あなたはこの状況を理解したはず。 フォゾン波動の直撃を受ければ、人間は体内から弾け飛ぶ。 ここは有効範囲内。 次は、ない」
どうもさっきの激しい嘔吐感と偏頭痛、意識の混濁などはそのフォゾン波動とか言うのが原因らしい。 いつ放たれたのかわからないけれど、まあフォゾンは基本的に光速で移動するエネルギーだから気づけるわけがないのか。
というよりも冷静に考えてみるとその症状はどれも濃厚なフォゾンに生命が近づいたときの反応……フォゾン中毒症状に良く似ている。 まあ最も、教科書なんかに載ってるフォゾン中毒反応とはケタが違うみたいだけど。
「つまりあいつはものすごく圧縮したフォゾンを周囲に向かって速射したってことか。 やっぱり人間じゃないんだな」
「勝手に納得しないで。 それに、原因が理解できたのならその危険性も理解出来るはず」
確かにそれはそうだ。
フォゾンは『生命体』に対してのみ衝突する性質を持つエネルギーだ。
早い話、コンクリや鉱物、木材を含めそうした物体には全く衝突する事無く、生きているもの……人間でなくても犬でも猫でもいい。 生きてさえ居れば草花でもいいだろう。 とにかくそうした生命体にのみ効果を及ぼし、つまり物陰に隠れていようがなんだろうが関係のないこと。
それを周囲数キロに向かって超圧縮で放出したのなら、周囲に居る生命体は全員フォゾン中毒……いや、生命が許容できるフォゾン量の限界を超え、爆散――それがこの状況と言う事か。
フォゾンはエネルギーだが、照射された生命はその部分の細胞の動きが活性化する。 あまりに大量のフォゾンを集中して一度に浴びると細胞が超活性化――分かりやすく言うと電子レンジに放り込まれたような状態になり、細胞一つ一つが崩壊。 粉々に砕け散る。
今はあのイカロスとかいうのと戦って居るからましだが、もしもう一度アレをやられたらボクも確実に命はないだろう。
いや、まて。 そもそもなんでボクだけ生き残ったんだ? 隣にいた人たちはみんな死んでいるのに・・・。
「聞いて、リイド」
「え? あ、うん?」
すっかり思考に集中していたせいでエアリオが何か言っていたのに全く気づかなかった。
だからそう、気づかなかったのはボク自身のせいなのだけれど。
「――――どういうつもり?」
眼前に突き出されていたのは一丁の拳銃。
引き金に指をかけ、少女は表情一つ崩さないまま、美しく輝く吸い込まれそうな金色の瞳でボクを見据えている。
「繰り返す。 あなたがここにいるとイカロスは本気で戦えない。 ――迷惑なの。 今すぐ、わたしと、一緒に来て」
念を押すように言葉を区切って告げる。 その瞳はまるで冗談という言葉を感じさせない、真っ直ぐな瞳。
これ以上ここにいたら死ぬかもしれないし、このままじっとしていたら……多分この子はボクを撃つんだろう。
何、別段おかしいことでもない。 だってもう、この世界は死で溢れているのだから。
「一つくらい死体が増えてもあんたたちには関係ないってことか……わかったよ、それでボクはどこに行けばいい?」
「ジェネシス本社に連衡する」
「下のプレートに避難させるんじゃなかったの?」
「気が変わった。 あなたは異常。 それに、ジェネシス本社も『下のプレート』であることに間違いはない」
ああそうですか、としか言えない。
何はともあれあのロボットの戦いを最後まで見られないのは残念だけれど、ヘタに逆らって殺されたら笑い話にもならない。
大人しくエアリオの前を歩きエレベータに向かう。
振り返った視線の先では、片腕になったイカロスが無数の腕を持つ神と対峙していた。
エアリオの指示に従い一般用ではないジェネシス専用のエレベータに乗り込む。
周囲の景色どころか自分が今どのあたりにいるのかすらさっぱりわからない。 長い長い間小さい箱の中に押し込められ、今はもうロボットの戦いの音も届かない。
エアリオはエレベータを操作するパネルの前に立ったまま、一言も口を利かなかった。 そういう人間なのだろうけれど、変わっているといわざるを得ないだろう。
「あのさ、あんたってジェネシスの社員なの?」
退屈を潰す為に口を開いていた。 もしかしたら緊迫した空気がいやだったのかもしれない。 我ながら理由は不明瞭だが、とにかく寡黙な少女に声をかけていた。
そう、少女なのだ。 ボクと同い年か、いや、下かもしれない。随分と背が低く、平均身長ほどしかないボクよりも頭一つ分以上低い。
容姿もおよそ大人のそれとは言えない。足元まで延びた異常に長い髪と独特な会話のテンポが彼女の特異性を強固なものにしているが、だからといってジェネシスの社員と呼べる程成熟した人間には見えなかった。
もしかしたら返答はないかもしれないと考えていたのだが、エアリオは振り返るとボクと向かい合い、答えた。
「そう」
「そう……って、ジェネシスの社員?」
「そう」
全く同じイントネーションで二度『そう』と繰り返し、少女はボクを見つめたまま黙り込む。
なんというか、居心地がかなり悪い。 それにしても必要最低限の言葉しか口にしないのだろうか? ボクの質問の意図が若干変化している事くらい気づいてほしいものだけど。
「だってあんた子供だろ? そんな子供なのにジェネシスの社員っていうのはどうなの」
「ジェネシスがただの統合企業ではないということを、あなたはとっくに理解しているはず」
ジェネシス。
総合企業という言葉はこのヴァルハラに置いてすべての経済を支配しているという事を指す。 つまりヴァルハラの経済はジェネシスの手の平の上ということになる。
それだけではない。 ジェネシスはこのヴァルハラを管理する『政府』でもある。 究極的な話、このヴァルハラは国というよりは一つの企業が提供する住宅地なのだ。
政治も経済も操作する事が出来るジェネシスは絶対的な存在でありその社員であるということは古い言葉を用いれば『公務員』という言葉が近いかもしれない。
当然その審査は厳しく、余程優秀な人間でなければジェネシスに入社する事は出来ない。 子供なんてのは論外だ。
だがしかし、だからこそ。
「あのロボットはやっぱりジェネシスが保有しているんだ」
「そう。 あのロボット……レーヴァテインに関わる人間は、子供でもジェネシスの社員という扱いになる」
「――つまりあんたはあのロボットの関係者。 レーヴァテインを保有するのはジェネシスだから、当然ジェネシスの社員扱いって事か」
「そう」
納得は行くが、この子があのロボットとどう関与しているのかが良く分からない。
パイロットなのか? という選択肢が真っ先に脳裏を過ぎったのだが、何せあのロボットは実際今プレートシティで戦闘行動を取っているわけで。
いや、よくよく考えればあの場に彼女が居た事も色々と不自然だ。 ボクもそうだが、何故彼女はフォゾン波動を受けて無事なのか。
疑問は尽きなかったがここでエアリオに問答するよりも、これから連れて行かれる場所に居る人物に質問したほうが早そうだ。
エレベータがボクらを導いたのは暗く巨大なホールだった。 そこがジェネシスの本社である事に気づくのにボクは数分間を要した。
とてつもなく広い空間にボクらが乗ってきたのと同じようなエレベータの出入り口がずらりと並んでいる。
「エントランス」
単語のみの説明を受け、エアリオに続いて歩く。
殆ど迷宮のような場所でしかも完全に無人。 誰一人とも遭遇する事無く歩き続ける。
「入って」
案内されたのは巨大な扉だった。 自動的に開いたそこの中はやはり薄暗く、しかし広大な空間には恐らくプレートで続いているのであろう戦闘の様子が映し出されていた。
司令部、とでも言うのだろうか。 無論あんなものを動かす以上、誰かが指示、補佐をしている事は想像の範疇だったが、ここまで大規模だとは思っていなかった。
沢山のオペレータが端末を操作している中を悠々と歩いていくエアリオに続き、階段を上って司令部の一番上へ。
「ヴェクター」
「――おや、エアリオ。 そちらの方は?」
オペレータの叫び声が響く中、椅子に座って優雅にコーヒーなんて飲んでいるスーツ姿の男性は明るい声でそう言った。
眼鏡の奥から除く優しげな視線。 しかしこんな場所でへらへらしている時点で相当に胡散臭く、心を開けるような相手には見えなかった。
「リイド・レンブラム」
「あぁ、リイド君でしたか。 これは失礼しました。 コーヒーでもいかがですか?」
「要りません。 それよりどうしてボクをここに連れて来たんですか?」
この口ぶりからするとボクの事はとっくに知っていたようだし。
ヴェクターとか呼ばれた男は手を軽く叩き、笑顔のまま椅子から立ち上がるとボクの目の前に立つ。
「単刀直入に言いましょう。 君に、あのロボットに乗ってもらいたいんですよ」
「わかりました」
会話が終了してしまった。
ヴェクターもエアリオも目を丸くしている。 そんなに驚くなら最初から単刀直入に言わなければいいのに、と思う。
「どうしたんですか? あんたはこういいました。 『ロボットに乗ってくれ』、と。 だから答えました。 『わかりました』、って」
「ええ、それは理解出来ますが……普通はもっと驚いたり、何でボクが〜〜とか言うところではありませんか?」
「それは何の話ですか?」
「マンガとかアニメの話です」
「そんな非現実的なものを持ち出されても困ります。 事実ボクはそれを承諾したんですから、そういう無駄なプロセスは省いてください」
「ウッフッフ! エアリオ、彼はすごく面白いですねえ」
「あんたは面白くてもボクは面白くないんです。 話を進めてください」
睨みつけるとヴェクターは咳払いをし、少しだけ真面目な表情で椅子に座った。
彼が用意してくれた椅子に腰掛けるとヴェクターは空中に浮かび上がっているモニター映像を指差した。
「実際に君も目撃したでしょうが、あれが『神』です」
「で、それと戦うためのロボットがレーヴァテイン……イカロスとかいうやつですか」
「もうそこまで聞いているんですか? 話が早いですねえエアリオ」
エアリオは答えない。 何も言わずに僕の背後に立ったままだ。
本人にしてみればそこまで丁寧に説明したつもりは無論ないだろうから、ボクがあっさり受け入れてしまってまだ驚いているのかもしれない。
「まあ、早い話がそういうことです。 君はすぐにでもレーヴァで出撃してあのプレートの上にいる神、クレイオスを撃退して欲しいんです」
「……レーヴァテイン。 レーヴァってやつはいくつもあるんですよね?」
そうでなければ、エアリオもパイロットであるという事の説明がつかない。 それに、『今のレーヴァ』は負けているわけだし。
しかし、ヴェクターの返答はボクの予想を裏切る。
「いいえ、あそこで戦って居る一機のみですよ」
「は?」
思わず眉を潜めた。 だってそうだ。 そもそも、あの装備では勝てそうにない事が分かっているのに、何故わざわざアレに乗らなければならないのか。
だってそうだろう? 普通はアレに対抗できる新型みたいなのが用意されているものだ。 そうでなければわざわざボクがレーヴァに乗る必要性がない。
いや本来はボクではない正式なパイロットが搭乗すべきなのだろうが、では何らかの理由でボクが代行しなければいけないということか。
そんなことよりもあの機体で素人のボクがクレイオスとかいう神を倒せるのかどうか、そこが問題だ。
熟練したパイロットであるはずの今のレーヴァのパイロットが苦戦しているのに素人が立ち向かって勝利できるはずが無い。
「それはボクに死ねって言ってるんですか?」
「まさか! 君も理解していると思いますがすべての説明は後回しです。 とにかく時間がないので簡潔に説明しますね」
内容は簡単だった。
エレベータでジェネシス本社に引き上げさせたレーヴァテインのパイロットをハンガーで乗り換え、そのままエレベータで再射出。
82プレートから目標が移動してしまうよりも早く撃退、あるいはプレート外に誘導……まあそんなところか。
しかしあのレーヴァは空を飛べないんじゃなかったのか? プレート外に誘導しようにも、プレートの外は当然空だ。
そのまままっ逆さまに落下して海に落ちるのが目に見えている。 それとも海のほうが有利なのだろうか?
疑問は尽きなかったが、別段問題はないと思った。 乗れというなら乗る。 だって乗りたいんだから。 後はそれから考える。
「ではイカロスを引き上げさせます。 エアリオ、彼と共にハンガーに向かってください」
「了解」
さっさと歩き出すエアリオに続きボクもまた司令部を去る。
誰もいなくなった長い長い廊下を歩きながらロボットにこれから乗れるのだという想像に胸を躍らせていると、突然エアリオが立ち止まって言った。
「あなたなら問題なくクレイオスを倒せると思う」
「――そう? よくわかんないけど、だったらいいんだけどね」
「…………」
それだけだった。 だから彼女の沈黙の意味も、その後ボクを待ち受けている状況も、
ボクは、何一つ理解していなかった。
「カイトっ! 撤退命令! カタパルトエレベータまで戻って!」
「撤退……!? 何でだ!? ヴェクター、応答してくれ! 何で撤退なんだ!?」
通信機に呼びかけているというのに肝心のヴェクターからの返答は無い。
舌打ちをして背後に跳躍、エレベータ付近に着地して顔を上げた。
正面には相変わらずクレオスが浮遊しており、ゆっくりとイカロスを追いかけている。
撤退する事自体は簡単だ。 背後のエレベータにただ飛び込めばいい。 どの階層にエレベータ本体がたどり着いているかは分からないが、イカロスの性能ならば82番プレートから最下層であるジェネシス本社まで落下したとしても損傷は少ないだろう。
しかしそれを少年の個人的な感情が良しとしなかった。 確かにもうこのプレートには生き残っている人々はいない。 守るべきものももうないだろう。
だがそれでもあのクレイオスが他のプレートに移動しないとは限らない。 移動したならばもうそこでアウト。 82番プレートと同じ悲劇が繰り返されるだろう。
そうして人が死んだとしても、本社からの命令ならば従う義務が少年にはある。 それは決して軽んじてよいものではなく、遵守しなければならないものだ。
それを理解した上で、少年は歯軋りする。 このまま背後に引き下がり、逃げ帰っていいものかと。
「何やってるの!? いいから早く後退しなさい! 殺されるわよ!?」
「分かってる! でも、あいつが大人しく逃がしてくれるかどうかだって、」
「今なら距離が開いているし問題ないわ! 早く!」
「――でもよぉっ」
あえてカイトの弁明をさせてもらえるのならば、彼は命令に従い撤退する事が正しい事だと信じている。
こんな時にヴェクターにその真意を問いただしている余裕もなければ暇もない。 それはカイトが一番良く理解している事である。
どちらにせよ片腕を破損した状況で戦闘行動を継続するのは困難だ。 ましてやクレイオスを撃退する事はより難易度が高いといえる。
それでも撤退できないのは、彼が一分一秒でもここに残り、他のプレートシティの市民が避難する時間を稼ぎたいと考えているからだ。
実際82番プレートシティで被害にあった人々はごく一部だ。 殆どはエレベータを使い警報にしたがって他のプレートに避難した事だろう。
そうなれば83番、それ以降のプレートにその人たちが逃げ込んでいると考えるのが自然だ。 しかしこのまま放置すれば前記したようにクレイオスは移動するかもしれない。
せっかく助ける事が出来た命まで無駄にしたくはない。 その戸惑いが少年の思考を絡ませていた。
「ふざけないでっ!!! あんたもう、とっくに限界でしょ!? このままじゃ本当に殺されるっ!!!」
イリアの切実な願いだった。 そう、とっくにカイトは限界だ。 これ以上戦闘行動を持続するのは危険すぎる。
口惜しかった。 唯一のパイロットであるはずの自分がこんなところでへこたれていてどうするのか。 操縦桿を握り締める拳に力を込めた。
しかし、イリアの言うとおりなのだ。 そして、自分の死は・・・すなわちイリアの死でもある。
守りたいと願う彼女の命を背負っているからこそ、本当なら命を賭してまで残って戦いたいという少年の意志をこの場にとどめていたのだ。
「お願いカイト下がって……あんたが死んだら本当にヴァルハラは終わりなのよ!?」
「くそ……わかったよ。 こちらイカロス……ジェネシス本部に撤退する!」
ひきちぎられた腕を庇いながらエレベータに飛び込むイカロス。 それをクレイオスは黙って見送っていた。
カタパルトエレベータの移動速度は尋常ではない。 一瞬でイカロスを迎えに来ると、それを乗せて一気にジェネシス本部へと降下していく。
戦闘の音も聞こえない、システムも停止されたイカロスの内部……薄暗い闇の中、カイトはコンソールに拳を叩きつけていた。
「カイト、あのさ……」
しかし、言葉は続かなかった。
目の前で口惜しさをかみ殺している少年に、イリアはどのように声をかけるべきだったのだろうか。
そんなことは無論少女に理解出来るはずもなく、今すぐ駆け寄って慰めたい気持ちを抑え、伸ばしかけた指先を引っ込めた。
こんな所で、こんな事で、へこたれている暇なんてないのだから。
ヴァルハラ本部、カタパルトエレベータから直通しているレーヴァテインのハンガーにイカロスが搬入されると、コックピットを開いてイリアは席を立つ。
そうしてイカロスの足元を眺め、目を見開いた。 カイトもまたその事実に気づいてコックピットを降りる。
「そういうことか、ヴェクター……」
着地する鋼鉄の大地。 薄暗い倉庫の照明に照らされながらカイトは汗だくの額を上げてそこに立っていた少年を見つめた。
両手をポケットに突っ込み、鋭い目つきでカイトを睨みつけている少年に対し、何も言わず道を譲る。
「エアリオッ! これはどういうことなの!? そいつ、何!?」
ふらふらのカイトを突き飛ばして割り込んだイリアがエアリオににじり寄る。 エアリオは抑揚の無い口調で淡々と事実だけを口にする。
「彼が新しい適合者。 今からレーヴァの正式なパイロットになる」
「な……んですって!?」
イリアのエアリオに対する憎悪はとてもではないが仲間に向けるものには見えなかった。 こうなれば言うまでもないが、二人は不仲である。 しかしそれを差し引いてもイリアの怒りは異常だった。
隣に立っていたリイドの胸倉を掴み上げると、拳を振り上げる。 突然の事に反応できないリイド。 そして拳は振り下ろされた。
「やめろイリア!」
イリアの手首を掴み、静止していたのはカイトだった。 まるで人が変わったようにカイトのその言葉に大人しく従うとイリアは手を離した。
自由になったリイドは制服のネクタイを締めなおし、見下すような視線でイリアを見つめた。 それは『ような』、ではなく、事実彼女を見下した瞳だった。
「ジェネシス社員ってのは……。 レーヴァのパイロットってやつは、これから仲間になる人間にいきなり殴りかかるのが礼儀なのかよ?」
「何ですって……!?」
「敵も倒せないくせに、誰も守れないくせに、ノコノコ逃げ帰ってきたくせに、代わりにこれから出撃してやる人間に対して、その態度はどうなんだよって聞いてるんだよ」
「やめろイリアッ!!」
殴りかかりそうになるイリアを背後から羽交い絞めにし、カイトは目を細めた。
イリアの態度は異常だった。 無論リイドの言い方が悪いのは言うまでもないのだが、それにつけても過敏に反応し過ぎている。
肩で息をしながら必死で感情を抑えるかのように両手で頭を抱え、唸り声を上げるイリアに対しリイドもそれ以上何か言う事はなかった。
「悪いな新入り……。 出撃直後で気が立ってんだ。 許してやってくれ」
「許すも何も――そんな幼稚な反応、気にする以前の問題ですよ。 カイト・フラクトル先輩」
「オレのこと知ってんのか……。 だったら話は早いな。 エアリオ、お前が行くって事は、『マルドゥーク』か?」
頷くエアリオ。 それだけで状況は全てカイトに伝わっていた。 いつの間にか泣き出しているイリアを抱き寄せながら改めて道を空ける。
「さっきのお前の言うとおりだ。 オレたちじゃ倒せなかった。 でも、エアリオだったら……クレイオスを倒せるだろう」
「そうですか。 まあ、何でもいいですけど――ボクはあんたたちみたいにヘマはしませんよ」
「ああ。 期待してるぜ、新入り」
汗だくの顔で笑いかけるカイト。 その表情がなんだか腑に落ちなかったのか、それとも照れくさかったのか、リイドは返事をしないで前に出た。
エアリオと肩を並べてレーヴァテインを見上げる。 肩膝をついていた腕のないロボットはあっと言う間に作業スタッフによる応急修理が始まっていた。
いつの間に用意したのか、スペアの腕を強制的に接続している。 そして徐々にレーヴァの色は燃えるような真紅から灰色の状態へと戻ろうとしていた。
それに伴い機体そのものを覆っていた紅い鎧のような装甲も霧となって消滅。 生身の、レーヴァテインというロボットそのものの状態へと回帰した。
「あれ……? なんかショボくなっちゃったけど、これ大丈夫なの?」
「問題ない。 腕の接続作業があるから、コックピットに」
「わかった」
コックピットから伸びていたリフトに乗り、球状のその中へ立つ。
リイドの想像以上に広く、そして不思議な空間だった。 コックピットそのものが球状のため、床もまた平坦ではない。
「こんなところにどうやって立つんだ……それに操作は?」
「問題ない。 レーヴァテイン、起動」
なんら一切の光もなかったコックピットに光が宿り、二人の身体が浮遊していく。
その頃には出入り口はいつのまにか無かったかのようにしっかりと密閉され、少年は空中に確かに立っていた。
いや、その表現は的確ではない。 正しくは、『立っているかのように浮遊していた』のだ。
「これが――レーヴァのコックピット」
「レーヴァを動かすのは適合者の意思の力。 操作系統はあなたの好きなようにして」
「好きなようにって……どうやって動かすの? ちゃんと説明も受けてないんだけど?」
「レーヴァテイン、モード『マルドゥーク』で再起動」
『レーヴァテイン、モードマルドゥークで再起動! システム機能をイカロスからチェンジ! 総員、モードマルドゥーク換装に移行!』
どこからとも無く聞こえてくる声に耳を済ませていれば、コックピット無いが金色の光に満ちていくのが分かる。
リイドが立つ場所の背後2メートルほどの場所。 何もなかったそこには気づけば椅子と操作に必要なコンソールが発生していた。
席に座るとエアリオはコンソールを操作し、リイドの周囲にも同様のコンソールを出現させる。
間近に見れば分かるがそれはあくまでコンソールのようなものであり、実際の機械ではない。 立体的な映像に過ぎず、ただの立体映像と違う点といえば『実際に触れる事ができる』ということだけだ。
レーヴァの操作に必要なのは機械的な操縦ではない。 レーヴァを動かす方法はあくまでも適合者、この場合ではリイドにゆだねられている。
故に操縦方法は人によって全く異なるものであり、リイドにとって最もやりやすい形でレーヴァを動かす必要があるのだ。
「つまり、リイドがレーヴァを動かしたいと思えば……すぐにでも、思った通りに、動かす事が出来る」
「思っただけで?」
「そう。 正確には、適合者のイメージ、意思を機体のフォゾン神経に伝え、レーヴァそのものに意思を伝達する事が必要となる」
「つまり、レーヴァはイメージで動かすもので、そしてイメージを伝達するのに最もやりやすい……『ボクがその気になる』形で動かせって事か」
「飲み込みが早くて助かる。 とりあえず基本的な操縦概念であるコクピットを形成した。 あとはあなたの思うようにして。 不備があればわたしが修正する。 すぐに申し出て」
「成る程ね……とりあえず意思を伝達するならボクは立ったままがいいから椅子は消して。 あとコンソールはこんなに必要ない。 それからボクの肉体とも多少のリンクを取りたいから、そういう操作感度を向上させてほしいんだけど」
「……わかった」
エアリオが驚くのは今日これで何度目だろうか。
リイドの指示は的確だった。 他の人間の場合どうなのかはわからないが、少なくともそれがリイドにとって最良の指示だった。
そしてそれを、イメージで動かすという概念をあっさりと受け入れ、すぐに対応策を打って出るリイドに対し驚愕するなと言う方が無理な話なのである。
口で言うだけならば簡単だが、人間が自らの身体を動かすのとレーヴァテインという巨大なロボットを動かすのとでは全く異なる。
理由は単純な話だ。 大きさ、感覚、そしてレーヴァに出来て人間に出来ないこと。 イメージを元にするということはつまり本人が実現可能かどうか、そして本人が自らとは異なる感覚を理解出来るかどうか、この二点に難易度が集中する。
人は人であり所詮巨人ではない。 歩幅さえ違いすぎるレーヴァと肉体的感覚を照らし合わせることは非常に困難だ。
そしてそれが『出来る』と強く信じない限りこのロボットは歩むことすらしようとはしない。 自分に不可能だと判りきっている事を『可能だ』と本気で信じるという矛盾。
「人は空を飛べないから、空を飛ぶために何でもやった」
「……え?」
腕を接合しながらエアリオは首を傾げる。 目の前の少年は光に包まれたコックピットの内部からハンガーの景色を眺めながら目を細めていた。
「人はいつでも、『こうすればいける』と考えて生きてきた。 人の進歩には、人が不可能を可能にする瞬間には、必ず共通したものがあったはずだ」
「……共通したもの?」
「それはバカみたいに自分の理想を信じるという、たった一つの奇跡だと思うんだよね」
振り返ったリイドの表情はまるで新しい玩具を買い与えられた幼子のように無邪気であり、その様子は逆に狂気的とも取れた。
満面の笑顔で、身振り手振り、大空を飛翔した人間をイメージしてみせる。
「その当時は絶対に不可能だって言われていたことを可能にする――これは凄い事だよ! 意思の力が人を進化させてきた! 不可能を可能にしてきたのは常にその可能性を捨てきらなかった人類の意志のお陰さ! そしてレーヴァは、人類最先端の技術は、同じく人の意思を必要とする! こんなに筋の通った操縦方法、他にないよっ!!」
果たして誰もがそういえるだろうか。 むしろ意思で操るものなど漠然としたことを言われても疑問しか沸かないのが普通だろう。
そんなの出来るはずがないと。 もっとほかにまともな方法はないものかと。 誰でも思うはずだ。
それを少年はあっさり受け入れ、動かすのは今か今かと待ち望んですらいる。 まるで自分がこのロボットを動かせることを確信しているかのように。
そう、動かせなかったらどうする? なんて思考は少年の中にそもそも存在していない。
だからこそエアリオは確信する。 この少年ならばあっさりと、本当にあっさりと――レーヴァテインを操れるであろう事を。
「それで、タイプマルドゥークってのはどういう事?」
「見ればわかる。 説明している時間はないから」
「それもそうだな。 それじゃ、今はコイツの事をマルドゥークと呼んだ方がいいのかな?」
「そう」
「そっか……それじゃ、レーヴァテイン=マルドゥーク――――カタパルトエレベータに移動!」
瞳に光を宿し、立ち上がる巨体。
瞬間、灰色の期待を金と銀の光が覆い、次々に装甲となってレーヴァを覆っていく。
それはイカロスとは全く違うレーヴァの姿だった。 重厚感のある全身甲冑を装備したかような姿は薄暗い倉庫の中でも余りある輝きを放っている。
イカロスと比較すれば一目瞭然。 明らかに重く、西洋の騎士を彷彿とさせるデザイン。 全く同じ機体だとは想像出来ないだろう。
それこそがレーヴァテイン=マルドゥーク。 そう、レーヴァテインとは、
「同じ機体でもタイプが沢山あるのね」
だからこその一時撤退。 そう考えればすべてに納得がいく。 リイドは操縦桿を握り締め、笑う。
思考し、理解し、そして歩めと念じれば前に進む。 望んだとおりの歩幅、速度で。 エレベータに向かって。
戦地へ赴くマルドゥークの姿を見送りながらカイトはハンガーの隅でイリアを抱き寄せたまま腰掛けていた。
イリアの呼吸は相変わらず荒く、苦しそうに表情を歪めカイトの胸に寄りかかっている。
カイトもまたイリアと同じ苦しみに襲われていたのだが、それに耐えて冷静さを保てる分彼の方が精神が成熟していると言えるのかもしれない。
レーヴァの起動そのものに失敗するのではないか? カイトはそう頭のどこかで考えていた。
なぜなら今、このヴァルハラでレーヴァを動かせる人間はカイトしか居なかった。 そしてこれからもその状況は続くものだと考えていた。
新しい適合者が現れたことに安堵し、しかし自分に出来ないことを出来る人間が現れたという事実は少年にとっては複雑だった。
「なんでもいいさ。 これ以上、人が死なないのなら……」
それよりも気になっている事が一つ。 そしてその原因を少年はすぐに理解する事になる。
「――ヴェクター! これをっ!」
司令部でオペレータの一人が叫んだ。 ヴェクターは彼女の提示するデータを見つめ、溜息を漏らした。
「リイド・レンブラムの開放値です……常時安定して20%以上を維持しています」
「いきなりカイト君より高いんですか。 恐ろしい才能ですね」
「本来レーヴァを動かすのに必要最低限な開放値が5%……そこまでたどり着けない人間が殆どだっていうのに、これは異例ですよ!?」
「そのようですねえ。 じゃあ、アレなんじゃないですか?」
「ア、アレ……?」
「ハイ♪ ほら、よくいうアレですよ。 そうですねえ〜……例えばそう――――救世主とか?」
「ずっとさ、長い間……ボクは世界が終わってしまえばいいのにって思ってた」
突然語りだしたリイドの言葉にエアリオは耳を傾ける。
エアリオが聞いていようがいまいがリイドにとっては関係のないことだったのかもしれない。 リイドは振り返らないで言葉を続ける。
「夢だったんだ。 こういう『特別』な立場が。 だから別にそれはレーヴァのパイロットでなくてはいけなかったわけじゃあない」
「…………」
「いや、今までの世界が夢だったのかもしれない。 だとしたらエアリオはボクを目覚めさせてくれた恩人だ。 ふふ、そうだ、今までの方が夢だったんだよ!」
退屈ではない日常。 自分にならばもっと相応しい場所がある。 そう信じていた。
あえて事実を言おう。 リイド・レンブラムという少年は、あらゆる意味で天才だ。
彼はどんなこと、おおよそこの世界中で考えられる人間に可能である悉くを習得する事が可能な才能を秘めている。
そしてその思考もまたおおよそ常人には理解出来る領域を脱しており、常に蠢いている天才的な思考は無論レーヴァというイメージを動力とする存在にも通用する。
いや、彼の思考は常に何かをイメージすることに重点が置かれていた。 将来のことも、今の自分では不可能だと理解していてもいつかはなにもかもやり遂げるつもりだった。
当たり前のように将来の自分の思い描き、退屈な日常を壊すきっかけを得る日を心の底から待ちわびていた彼にとって、レーヴァは決して必要不可欠な存在などではなかった。
なんでもよかったのだ。 自分の力を、全力を出し、そして何かをなす事が出来るシチュエーションであれば、なんでも。
「そうだ、ボクはこれから自分の力を出し切ってやる! ボクの力で世界を変えるんだ! こんなに手っ取り早い方法はない!」
そして自意識過剰なまでに自らの才能を意識しているリイドにとって、レーヴァを動かす事など造作も無い。
この世界中において、こと想像力で何かを成すということに関して、リイドの右に出るものは数えるほどしか存在しないと断言できるだろう。
「だからこそ、ボクは……ッ!」
エレベータが82番プレートで停止する。 突然開かれた視界。 四方を覆っていた硝子の不透明処理が解除されたのだ。
開かれたエレベータから歩み出ると、そこには空中に浮遊したまま・・・まるで戻ってくるのを待っていたかのようにクレイオスが浮遊している。
『リイド君、ヴェクターです。 上空にクレイオスが確認出来ますか?』
「よく見えますよ」
『大変結構です。 では、あとはお好きにどうぞ』
「何をしてもいいんですか?」
『最終的な目的さえクリアしてくれれば結構です』
クレイオスの消滅、あるいはプレートシティからの迅速な排除行動。
言われなくても分かっている。 言われなくてもやるつもりだ。 なぜなら不可能など今や存在しない。
笑顔を浮かべ、そして目を見開いて神を見上げる。 心臓の動悸が早いのも身体が震えているのもそれは恐怖からなどでは断じてない。
「だったら――話は早いです」
それは歓喜。 嬉しくて仕方がないのだ。
だってそうだろう? 新しい玩具を与えてもらい、そしてどんな風に遊んでもいいよと告げられたのだ。
ならば子供がこれから行う事などたかが知れている。
感情に任せ、人形を振り回してはしゃぐ幼子のように。
「めちゃくちゃに叩き潰して引き裂いてやりますよぉっ!! あのクソ神様をねええっ!!!」
翼を持つのは神だけの特権などではない。
銀色の翼を広げたマルドゥークは大きく羽ばたき、飛翔する。
プレートの上空、リイドの精神状態を反芻するようにマルドゥークの瞳の光は輝きを増し、抑え切れない歓喜を放出するかのように、吼えた。
大空に響き渡る大気を振るわせる膨大なフォゾンの波動。 それだけでクレイオスは吹き飛ばされ、空中で静止行動を取る。
「さぁ……実験開始だ」
操縦桿を握り締め笑うリイド。
その笑顔は、もはや狂気と言う言葉でしか表現することは出来ない。
摩天楼に照らし出されるその姿は、およそ神などではなく、
悪魔のそれに、よく似ていた。