祈り、剣に映る時(1)
なんか間があいてしまったわけですが、まだ風邪っぽいので変なところがあるかもしれない!
第九話。SIC編です。
「リイドく〜ん、シャワーあいたよ〜?」
スレイプニル内部の空き室を与えられたリイドとオリカ。 部屋数の問題で同じ部屋になった二人は備え付けのシャワーに交互に入る事になる。
無論、二人一緒に入ろうなどというオリカの提案を呑むわけにはいかないリイドはベッドの上に寝転がって天井をぼんやりと見上げていた。
流石にシャワーを浴びた直後であるせいか、帽子を被っていないオリカは乾ききっていない黒髪をタオルで拭きながらリイドの隣に座り込む。
「リイドくーん・・・? どうしたの?」
「あぁ・・・オリカか・・・なんか・・・・・・・・・」
リイドの目はうつろで何度か開閉を繰り返している。 うとうと、意識を眠りに吸い込まれそうになりながらオリカを見た。
「妙に、眠くて・・・・・・身体が・・・だるいんだ・・・」
リイドの額に手を当て、それからしばらく考えた後、笑ってリイドの髪を撫でる。
「熱は・・・ないみたいだね。 疲れちゃったのかな? 先に寝ちゃってもいいよ」
「・・・・・・寝たくないんだよ・・・・・・前にも・・・」
そう、前にもそれは、あった。
イリアと共にフィリピンゲートを攻略した日から、しばらく続いた気だるさと眠気。
リイドとしては、それに抗うのは辛いことでしかなかった。 しかし、眠ってしまうのは好ましい状況ではない。
眠ってしまえば、またしばらく目を覚まさないかもしれない。 眠ってしまえば・・・また、何かが変わってしまうかもしれない。
目が覚めた後見る景色が違ってしまっていたらどうしようかと、本気で心配してしまう。
また、イリアのようなことがあったらどうしようかと、本気で不安になってしまう。
だから眠りに抗っていた。 もう何時間も少年を責め立て続けている睡眠への欲求。 脅迫的なまでなそれに、ひたすら抗い続ける。
オリカはそんなリイドの頭を撫でながら、隣に寝転んで毛布をかけた。
「後の事は任せてよ。 私がうまくやっておくからさ」
「・・・・・・お前に任せられるかよ・・・」
「大丈夫。 だから、寝ておいで」
「・・・おまえに・・・な・・・」
優しく白い指先がリイドの瞼を閉じる。 そうして少年の意識は空白の中へと落ちていった。
隣に寝転びリイドの寝顔を眺めながら少女はいつもそうしてきたかのように少年に別れを告げる。
「おやすみなさい、リイド」
母のように、微笑みながら。
⇒祈り、剣に映る時(1)
「私がヘイムダルに乗ります」
アイリスがそう言い出した時、本部に揃っていた一同はそれなりに驚いていた。
無論そうするつもりだったヴェクターを除く誰もが絶句し、カイトは腕を組んだまま静かに歩み寄る。
「本当にそれでいいのか? アイリス」
「ええ。 もう決めた事ですから」
そう言って頷くアイリスの頬は汗が伝っている。 唇を噛み締め、握り締めた拳は震えていた。
だから、決意したように見せても結局は迷っていて、恐ろしい事にはなんら変わりもない。 それでも少女はやるという。
むしろそれは意地の類にあるもので、お世辞にも立派な答えとは言えなかった。 止むを得なく、仕方がなく。 そんな決意なのだろう。
しかしそれでも少女のそのわずかばかりの勇気の先にある理解への努力を汲む事に対し、少年は吝かではない。
「ヴェクター。 俺からもお願いするッス。 アイリスをヘイムダルに乗せてやってください」
アイリスの隣に立ちヴェクターに頭を下げる。 無論、ヴェクターはそれを許可するつもりでいたので二つ返事でOKを出そうとしたのだが、
「ヘイムダルに乗ればあなたのお姉さんみたいな事になりかねないのよ。 それでも構わないの?」
口を挟んだのはユカリだった。 そう、ユカリとしてみれば・・・アイリスがヘイムダルに乗るのは個人的に反対なのだ。
そうするしかないということも、それが助かるという事も分かっているのだが、それでも諸手をあげて、とはいかない。
「生半可な気持ちで・・・誰かに望まれたからという理由だけで戦っても、あなたの為にならないわ」
「わかっています。 いえ・・・全部わかったわけではありませんけど・・・でも、わかろうと思ってるつもりです」
そっと、カイトに視線を向ける。 その目はすがるような、怯えるような・・・不安に狩られた視線。 それを後押しするようにカイトは笑顔で促してみせる。
「知りたいんです、私・・・姉さんが見た景色と・・・姉さんが何を願っていたのかを」
そうして彼女が笑っていたあの日の景色に追いつきたいから。
「姉さんがああなってしまわなければならなかった理由を、知りたいんです」
「その為に乗りたいっていうの?」
「・・・・・・本当はそれだけではありませんが・・・」
脳裏を過ぎる少年の後姿。
強い決意を胸に、少年は巨人に乗り込んでいく。
あの時の強い瞳と言葉と、誰もが言う彼なら大丈夫だという言葉の意味が、忘れられない。
だからきっとそれは呪いや恋のように少女の心の中に強く印象付けられ・・・そこから逃れる事など出来るはずもなく。
「でも、乗りたいって気持ちは変わらないと思います」
小さく頷き、ユカリはそれ以上は何も言わなかった。 最終的な判断を下すのはヴェクターであり、当然ヴェクターは二つ返事でOKを出した。
むしろユカリがなんだかんだ言ったとしても最終的なヴェクターの判断に影響を与えるはずはない。 それを待っていてくれたのは、彼なりの優しさだったのだろう。
「話はまとまったな? ヘイムダルを動かすなら色々と下準備が必要だぜ。 俺様はアイリスの為にヘイムダルを調整するとしようかね」
「あ・・・お願いします、ルドルフさん」
「・・・俺様の事をさんづけで呼ぶのはお前くらいのもんだ。 気分がいいからサービスしてやるぜ。 そんじゃ、あとはヨロシック」
大きすぎる白衣の裾を翻しながらルドルフは司令部を後にする。 スタッフたちは仕事に戻り、カイトはアイリスの肩を叩いて微笑んだ。
「レーヴァほどじゃないだろうけど、ロボット動かすのは大変だぜ? 本当にちゃんとできるのか?」
「ど・・・努力はします・・・っ」
既に緊張しているのか、がちがちのガッツポーズ。 小さく震える身体に苦笑して小さな頭をぐりぐり撫でているとアイリスよりもさらに小柄な少女が歩いてくる。
終始話の最中黙っていたエアリオはアイリスの前で立ち止まるとその真っ直ぐな瞳で少女の瞳を見上げていた。
先日の事もあり、思わず身構えるアイリスだったが、意外な事にエアリオは珍しく微笑んでアイリスの手を取った。
「よろしく、イリア妹」
「へ? あ・・・はい、は・・・よっ、よろしくお願いします・・・」
慌てて頭を下げるアイリス。 そんな二人の様子を眺めていたカイトの肩を叩き、ヴェクターが笑う。
「ところでカイト君・・・あなたもうレーヴァに乗れないんだからジェネシスをクビになったでしょう。 何で平然と出入りしているんですかねえ?」
「やだなあヴェクター冗談きついっすよ俺がジェネシスクビなんてそんなことあるわけないでしょう」
「これ解雇通知ですよ。 何度も読み返して結構ですから納得したら帰ってくださいねえ」
「・・・・・・・ヴぇくたあああああああああ〜〜〜〜〜ッ!! そんなこと言わずに! もうちょっとほら俺もなんか頑張りますからああああ!」
「ウッフッフッフッフ!」
号泣しながらヴェクターにすがりつくカイト。 そしてそれを無視して笑いながら引き摺っていくヴェクター。 一瞬にして始まった奇妙な光景にアイリスは口元を抑えて笑っていた。
少女の腰を肘でつつき、エアリオは満足そうに言う。
「何だ、笑えるんじゃないか」
「あ・・・ん、おほん・・・」
「イリアには、わたしも世話になった」
赤面するアイリスから視線を離し、遠くに見える男二人の奇行を真顔で眺めながら続ける。
「だから、今度はわたしがアイリスの面倒を見る」
囁くような声。 そう、イリアを失ったからこそ、今から自分達がやっていかなければならないことがある。
アイリスは照れ隠しの為か、明後日の方向を眺めながらつれない声で返答する。
「でもわたし、皆さんのこと・・・・・・きらい、ですから」
そう告げるアイリスの頬は、嬉しさのせいか、緩みきっていたのだが。
何はともあれこうしてレーヴァテイン不在の状況で、新たに戦力となる少女が決定したのであった。
また、夢を見ていた。
それは夢なのか、何なのかもうわからない。
そこにはイリアもカイトもいなくて、ボクは一人で戦っていた。
ヴァルハラなんて街もなくて。 世界もなくて。 ただ真っ白くて広大な大地を上をレーヴァテインで進んでいた。
立ちはだかるものは全て壊し、自らの手で何もかもを傷つけて。 そうしていく内にやがて何もかもが消え去って、灰になった。
原初の世界。 何もないけれど全てが産まれる可能性を秘めている場所。 降り立った白い砂の上、ボクはただ立ち尽くしていた。
或いはそれは楽園。 或いはそれは地獄。 或いは、ボクの夢の中の世界。
だというのに空は果てなく広がり、雲ひとつ無くて。 太陽の光がいやというほど降り注いで、自分の影さえ溶けてしまいそうだった。
何もかも壊してしまった。 全部自分の手で。 振り返れば積み重なる死と生の残骸の山には、きっとボクが大事だと思った人の姿もある。
だから、悲しい。 いや、悲しいという気持ちをその時のボクは理解できなくて。 だからこの最果ての景色の中、何も思わずただそこにいた。
「―――くん、こんなところにいたんだ」
再び振り返る。 正面にはオリカ。 背後には残骸。 ボクは残骸ではなくオリカに視線を向ける。
オリカがボクの名前を呼んだはずなのに、その名前が聴こえなくて。 だからボクは自分の名前を忘れてしまった。 誰だか最早わからない。
そういえばそうだ。 名前なんてのは誰かに呼んでもらえなければきっと忘れてしまう。 自己を示す言葉なんて、必要とされなければ意味もない。
だから彼女は名前のないボクを『きみ』と呼んでいた。 いつも『きみ』とボクを呼ぶ。
返り血の雨の中、笑いながら彼女は『きみ』とボクを呼ぶ。
花畑の真ん中で、笑いながら彼女は『きみ』とボクを呼ぶ。
たとえそこが地獄の底だろうと、雲を突き抜けた先に広がる天国だろうとも、彼女はボクを呼び続けるだろう。
それを知っているからこそ、きっとボクは彼女を好きになったのだと思う。
けれど、それは、いつの話だ?
「オリカ・・・」
不安を隠せない。 ゆっくりと近づくとオリカはやっぱり笑っていて。
何一つボクを否定しない究極の肯定存在。 だから彼女は何があっても笑っていた。
「あんたは一体何なんだ?」
どうしてボクの夢の中に出てくるんだ?
「なんであんたは、ボクを呼ぶんだ?」
どうしてボクの名前を呼んでくれないんだ?
現実ではあんなに嫌と言うくらい、リイドリイドリイドって―――名前を呼んでくれるのに。
「きみがそう望むなら、リイドって呼んでもいいよ」
でも。
「そのせいできみが本当の自分を無くしてしまうなら、それは私にとっては幸せな事ではないかな?」
「なっ・・・」
彼女の考えている事がわかった。 別に彼女は裏で何かを考えていたわけではないのだが。 彼女の考えている事がわかる。
そしてきっとボクのこのモノローグさえ、彼女には届いているのだろう。
微笑む少女。 この世界でボクと彼女の間に境界線はなく、二人は殆ど一つの存在で。 だから彼女はボクを否定しない。 理解する。
「でもまあ、これは夢だからね」
夢らしからぬ事を言いながらオリカはどこからともなく帽子を取り出しそれを頭の上に乗せる。
「これって本当にただの夢なのか? あんた、何か知ってるんじゃないのか?」
最早ボクも夢らしからぬ事を口走っていた。 いや、もう夢でも現実でも構わない。 問い掛けることで答えが返ってくるなら、なんでもいい。
「でも、それを知る事が常にきみにとってよいとは限らない」
そんなの知るか。 知らなきゃいけない何かがそこにある気がするんだ。 知らなくちゃ、知りませんでしたじゃすまないんだよ。
「本当にそうかな?」
なにが。
「本当にきみは、それを知りたいって願ってるのかな?」
なにが。
「私はね。 きみにそれを教えたくないの」
「どうしてだよ・・・?」
「だって、そうしたら・・・おわっちゃうからね」
物語の終わりはいつも少しだけ幸せで少しだけ寂しくなるから。
だからまた繰り返し読み返したくなってしまう。 そんな胸に抱いている大事な物語のように。
「終わらせたくないんだ。 最後の最後を、知りたくないから」
風が吹いて白い砂の世界を壊してしまう。
だからそれが嫌で、砂の世界に手を伸ばすけれど、
それらはまるでボクの意識とは無関係に、手を伸ばせば伸ばすほど崩れて消えてしまうのだ。
だって、世界は砂の城で。
求めて突き出したボクの手は、それを守るには乱暴すぎたから―――。
そうやって目を覚ました時、気分は勿論、最悪だった。
「・・・・・・・・・あのやろう・・・夢の中でもわけのわからないことを・・・」
抗いようのなかったほどの驚異的な眠気はすっかり息を潜めていた。 意識はまだぼんやりしているが、どうやらこれで目覚められたらしい。
問題はココがどこであるか、ということだった。 どう見てもスレプニルの部屋・・・つまり、ボクが眠った場所ではない。
広い部屋だった。 眠っていたのはダブルベッドで、ボク一人には少々広すぎるように感じる。
部屋の雰囲気は軍のものというよりはどこかのホテルのようだった。 ジェネシス本社宿泊施設並の設備なので泊まったらさぞお高いホテルなことだろう。
とりあえず起き上がる。 どれくらい眠っていたのかはわからなかったが、太陽は既に高く上っている。 眠りに着いた時が夕方だったので、もう結構な時間が経っているだろう。
少々汗臭いシャツが気になったがとりあえずはオリカかスヴィアを探さなければならないだろう。 状況も把握できないのでは落ち着いてシャワーも浴びられない。
部屋を出ると驚いた。 果てしなく続く広い廊下。 慌てて部屋に戻り、窓のブラインドを開いて見下ろしてみる。
そこはまるで、大地の上に築き上げられた城だった。 超高層ビルの足元には数え切れない程のヨルムンガルドが並び、警備を固めている。
このビルそのものを守るようにいくつかの砲台が存在するほか、滑走路や格納庫など数えればキリがない。 軍らしくはないがもしやここが軍なのだろうか。
「つーかここ、どこだろう・・・」
周囲を見渡してみるがとりあえず見覚えのない場所であることは確かだ。
こうなってくると本格的にオリカかスヴィアに説明してもらわないと最早どうにもならない・・・。
「ったく、ひどいよなあ・・・付き添ってくれたっていいじゃないか・・・って、うわああああっ!?」
振り返ったら足元に女の子が立っていた場合、多分誰でもこうなると思うわけで。
思わず退いてしまったが、そこにはエアリオと同じ顔をした少女・・・エンリルが立っていて、無垢な瞳でボクを見上げていた。
既に知り合っていたからいいものの、全く知らなかったら幽霊か何かだと思ってもっと慌てたかもしれない。 冷や汗をぬぐいながら屈んで見る。
「エンリル、だったかな? ボクに何か用?」
「はい・・・・・・」
「・・・・・・・・・ええと、何?」
「はい・・・あなたの目が覚めたら、案内するようにとマスターに仰せつかっております」
マスター? 仰せつかっております?
随分と仰々しい口調だった。 常に短い単語のオンパレードであるエアリオのセリフと比べると随分な違いだ。
そうして考え事をしているボクを無視してそそくさと部屋を出て行くエンリル。 案内をしてくれるのかしてくれないのかどっちなのか。
慌てて隣に並んで広い廊下を歩く。 誰ともすれ違う事がないのが不思議な規模のビルだったが、確かジェネシスも似たようなものだった気がする。
冷静に今思うとジェネシス本部は関係者や限られた人間しか行き来を許されていなかったのだから、ここも恐らくそうした理由なのだろう。
隣を歩くエンリルは随分とちっこい。 エアリオ同様、伸ばしっぱなしの髪をふわふわさせながら毅然と歩いている。 歩き方や歩くペースなんかはエアリオそっくりで、だからそれにあわせるのは意識せずともラクだった。
「そういえば、昨日はごめん。 なんかびっくりしちゃって、変な事言っちゃったよな」
「・・・はい」
「ええと・・・もしかして怒ってる?」
「いいえ」
「そ、そっか・・・えーと・・・なんだろうな・・・」
全く取り付く島がないというか。 ボクと会話するつもりなんか最初からないって言うか。
そんな様子のエンリルに声をかけるのは諦めて大人しく付き従う事にした。
エレベータに乗り込み地上へ。 地上、というのもボクにしてみれば珍しい場所だ。 レーヴァに乗ってあちこち行くようになっていなかったらはしゃいでいたかもしれない。
受付のような場所を通り過ぎビルから出る。 ビルの前には巨大な透明のモニュメントが立ち並び、周囲には水路が流れている。
水路の上にかかった橋を渡っていくエンリル。 巨大なヨルムンガルドがライフルを持って警備しているすぐ傍を慌てて抜け出し、エンリルに追いつく。
「ここって同盟軍の基地か何か・・・?」
「いいえ。 セラフィムインダストリアルカンパニーです」
「・・・ヨルムンガルドとかを作った?」
「はい。 通称は『SIC』。 マスターとわたしは厳密には同盟軍所属ではなく、SICのアドバイザーとして軍に籍を置いています」
「そ、そうなんだ・・・」
さてどこからつっこんだものか。
同盟軍本部に向かうって話だったと思うんだけど。 あとさっきから言うそのマスターってなに。
とまあ色々な疑問はエンリルに言うよりもそのマスターに聞いたほうが速そうなので、黙っているとそのマスターさんの下に到着したようだった。
「マスター。 リイド様をお連れしました」
「ご苦労だったな、エンリル」
エンリルはマスター・・・つまりボクの兄であるスヴィアにそう告げるとしがみ付き、隠れるようにボクの見えないところに行ってしまう。
さて、エンリルの言うマスターというのはこの会社のお偉いさんか何かだと勘違いしていたボクはとりあえず久々に見る兄に挨拶を交わした。
スヴィアが立っていたのは格納庫の前だった。 開かれたその闇の向こうにはレーヴァテインの姿がある。 スレイプニルからここまで勝手に運んでくれたようだ。
「調子はどうだ」
「うん、もう大丈夫。 それでスヴィア、ここは?」
「SIC本社だ。 位置は米国ワシントン州。 最も、この辺りは敵の襲撃を受けて一度更地になっていたのをSICが補強して使っている場所だ。 以前の面影はないが、昔はこの辺りにも人が暮らす町があった」
「ここにも?」
周囲を見渡す。 大地とは名ばかりでどこもコンクリートで埋め立てられている。 自然は一切存在せず、完全に人工物のみで構成される場所だ。
天使が荒らした台地は当分使い物にならなくなる。 故に住民が立ち退いた大地を、SICが埋め立ててしまったのだろう。
遠いとは言え歩いていけそうな場所に海も見える。 ほのかに漂ってくる潮風の香り。 ヴァルハラで感じるその海の様子と少しだけ違う気がする。
まあ何はともあれここが現在唯一と言っていい『国家状態』を維持している国・・・米国なのだろう。
天使や神の襲撃で国家崩壊しているのが常識のこの世界で最後まで抗い続けている国家。 空想の中立派な国家は現実にも立派と見える。
「それで、オリカは? あとレーヴァテイン・・・なんか分解されてない?」
「出撃したまま来たと聞いたのでメンテナンスしようと思ったのだが、なんら劣化がないらしい。 無傷で勝利でもしたのか? お前は」
ヨルムンガルドとの戦いは確かに無傷だった。 しかし傷がないにせよ色々と不都合なところは出てくるはずなのである。
それがまったく問題ないというのはもうちょっとした奇跡だ。 機体になんら負担もかけず、オリカはあの動作を行ったという事になるのだから。
「まあ一応メンテナンスは済ませておいた。 すぐにでも動かせるだろう。 オリカは・・・あそこだ」
スヴィアが指差す先には芝生・・・勿論人工のもので厳密には植物ですらない・・・の上に寝転がっているオリカの姿があった。
確かに今日は温かいとは言え、一応季節は冬だというのにまるで寒がる気配もなく、日差しの下で丸くなって眠っていた。
恐らく服装はスヴィアにでも借りたのだろう、同盟軍の女性用軍服だった。 いや、ここで動く以上ボクもそうしたほうがいいのかもしれないが、だからって道端で眠っていたら怪しさ爆発だと思う。
整備スタッフが被っているような野球帽を頭に被り、よだれをたらしながら寝ている。 その幸せそうな表情を見ていたらなぜか無性に腹が立った。
「オリカ・・・何やってんだよ起きろ」
「ふぎゃっ!? なんで!? なんでふむの!? なんで踏まれてるの私!? あれ、リイド? 起きたんだ〜おは・・・ふぎゃあっ! だからなんで踏むの!?」
なにやらもう存在そのものがむかつくのでしばらく土足で踏みつけていた。
立ち上がったオリカの上着にはくっきりと無数の足跡が残されており、涙目になりながらそれを叩いていた。
「ごめんスヴィア・・・こいつ迷惑かけなかった?」
「問題ない。 むしろユニークで中々楽しませてもらった。 人間関係とは貴重なものだ。 それらが予想もつかない出来事を生み出す可能性もある。 大事にしろよ、リイド」
腕を抱えながらなにやら頷いている兄だったが、果たして何があったのだろうか。 まあそれは知らないほうが幸せな気がするが。
「マスター・・・」
「ん、ああ・・・もう行っていいぞ」
それだけのやり取りだった。 エンリルは最後にボクを一瞥し、逃げるように走り去っていく。
何気にそういう態度をとられるとボクだって傷つくわけで。 最近は女の子に嫌われてばかりでなにやら悲しくなってきた。
アイリスの顔が脳裏を過ぎり少々憂鬱な気分になる。 気を取り直してスヴィアに尋ねる事にした。
「ボクってもしかしてエンリルに嫌われてるのかな?」
「ん? ああ・・・恥ずかしいんだろう。 エンリルは普段は私以外の人間とは一言も口を利きたがらないからな。 お前も会話は成立しなかっただろう」
「したようなしなかったような・・・ちょっとだけだったら応えてくれたよ」
「そうか。 ならむしろ好かれているのかもしれんな。 あいつは口を利かないのが普通の態度だ」
そんな事を言われても実感もないし気休めにもならない。 まあ、エンリルに嫌われたからといってどうというわけでもないが、エアリオと同じ顔のクセにボクを避けられるとなんというか、こう、思うものもあるのだ。
気を取り直して本題に戻る事にする。 ここはどこか・・・それからどうなったのか、だ。
「先ほども話したがここは米国のSIC本社だ。 私は同盟軍所属ではあるが、SICのアドバイザーとして出頭しているに過ぎない」
「そこはさっきエンリルが教えてくれたよ?」
「・・・そうか。 では、お前が眠りについてから丸二日経っている事はどうだ?」
「丸二日!?」
そんなに寝てたのか・・・前の時は高々半日くらいだったような気がしたのだけれど。
いや、予想できた事態だ。 前よりも悪化したという表現を使えばそれはわりとすんなり納得できる。
「そんなに寝てたのか・・・そりゃ誰もみててくれないわけだ」
「いや。 オリカは日がな一日笑いながらお前の寝顔を眺めていたぞ。 今は私がレーヴァのメンテナンスの話で呼び出したのでそこで転がっていたがな」
「えへへ。 リイド君の寝顔かわいかったなあ〜・・・ぎにゃあ! なんで蹴るのー・・・おこられたー・・・」
お前は会話に参加してこないくらいのほうが話がスムーズに進むんだよ。
「気持ち悪い事するなよ・・・」
「そうか、すまない。 実は私も暇があったらオリカと一緒にお前を見ていた」
「・・・・・・・・・・・・」
腕を組んで真顔で兄がそんな事を言い出した時、ちょっとだけ兄弟で居るのが嫌になった。
オリカと並んでひたすらにボクを見ている様子を想像したらちょっとだけじゃなくてわりと本気で嫌になった。
「心配するな。 可愛かったぞ」
「変なこと言うなあっ!!」
「まあそんなわけだ。 とりあえず、食事にするか? いや、シャワーが先か・・・。 どちらも本社内のものを自由に使ってくれて構わんぞ」
二日間も何も食べてないと思ったら急激に空腹感が襲ってきた。 ついでに言えば一刻も早くシャワーを浴びたい気分でいっぱいだ。
一日だってシャワーを欠かしたら気持ち悪いのに二日なんて冗談じゃない。 清潔好きなボクにとっては耐え難い屈辱だ。
「じゃあシャワー浴びに戻るよ。 食事はそれから考える」
「なら後で部屋に向かうから適当に食事にしよう。 まだガルヴァのメンテナンスが終わっていない」
「わかった。 じゃ、またね」
と言いつつ駆け出すボク。 今までの道を全速力で逆走し、エレベータに乗り込んで廊下に出たまではいいのだが、部屋がどこだかわからない。
さて、ここでカミングアウトすると・・・ボクは未だにジェネシス本部の構造も把握出来ていない。 認めがたいがボクは方向音痴なのである。
記憶力はかなりいいはずなのにどうしてか道に迷う事だけは頻繁に起こるのである。 まあ何はともあれ、記憶を頼りに戻るしかないのだが。
「ここだっけな・・・」
扉にドアノブはない。 タッチして開く自動ドアのようだ。 だったら話は早い。 指紋認証で開くはずだから、間違った部屋なら開かないだろう。
パネルにタッチして認識開始。 あっさりと扉は開き、どうやら方向音痴の称号は返上できそうだった。
自動ドアが開き、中に一歩踏み込む。 玄関と部屋を仕切っている引き戸を開いて部屋に入ると、
「・・・・・・・・・・・・っ!?」
「・・・・・・・・えっ!?」
ボクらは同時に目を見開いた。 そうして動きが固まる。
何故か部屋のベッドの前には今正にスカートを脱いでパンツに手をかけているエアリオの姿があった。 違う、エンリルだ。
相当混乱しているのか一瞬二人の区別がつかなかった。 いや、それよりなんだこの状況は。 ベッドの上に脱ぎ散らかされているのは同盟軍の制服だ。 服を脱いでいるのはエンリルだ。 それはまあいいとして、
なんでエンリルは上半身裸なんだ。 いや、それもわかる。 多分これからシャワーを浴びるんだろうけど、でもだったら脱衣所で脱げよって話なわけで。 いや、まてまて、そもそもここはボクの部屋じゃないのか? なんでこんな事になってる? なんでエンリルがボクの部屋で裸になってるんだ? 意味がわからないぞ。 誰か説明してくれ。
「い、いや・・・あの・・・あれだよ・・・・・・指紋認証で・・・開いちゃったみたいな・・・あは・・・あははははは」
「・・・・・・・・・・」
やばい! 泣き出しそうだ!!
「ご、ごめええええんっ!!!」
慌てて部屋を飛び出した。 大声でも出されたら逃れようもなく確実に変態扱いだ。 こういうとき男って大変だと思う。
「というかなんだよ・・・そんな展開は誰も望んでないぞ・・・無論ボクも・・・」
一息ついて再びエンリルの部屋? のパネルにタッチしてみる。
指紋認証はクリアされ扉の鍵は外された。 無論入ることはしなかったが、でもおかしいじゃないか。
ここがエンリルの部屋だったとして、なんでボクの指紋が既に登録されているのやら。
しかし、随分生々しいものを見てしまった。 エアリオは下着なんかつけてなかった気もするが、エンリルはつけていたのか。
ん・・・ボクと同い年で下着つけてなかったエアリオはなんなんだ? あいつの洗濯物もボクがやるわけだが、結局つけているところは一度もってそんなことはどうでもいいんだ冷静になるんだボクそんなことを考えても状況は何も好転しないのよ! ああ、なんかイリアのセリフが思い出されるけど!
「エアリオの裸もあんな感じなのか・・・むふふふ・・・・・とか思ってる?」
「うわあああああっ!?」
振り返ると何故かオリカがたっていた。 最近の女の子は背後にいつのまにか立っているのが流行りなのだろうか。
「・・・いつから見てた・・・?」
「え? 全力疾走始めたときにはすでにこっそりあとつけてたよ? あと部屋はこっちだからね・・・あいたーっ!? なんでぶつの!?」
「何でもない・・・ただムカついただけだ」
「うううううう・・・なんか最近すっごいぶたれてる気がするよー・・・うううー・・・」
「何でもいいからさっさと案内してくれ」
「むー・・・方向音痴で一人じゃ部屋に戻れないくせにー」
「ぐっ!!」
「でも、そんなリイドが可愛くて好き・・・・はうあ! だからなんでぶつの!?」
「もういい。 意地でも自力でたどり着いてやる」
「ま、待ってよ! もー、すぐふて腐れるんだから・・・冗談だよ、冗談!」
頭が混乱していたせいかもしれない。
無論、エンリルの裸を見てしまったのも理由の一つだろう。
オリカのバカ面にむかついたのもそうだ。
だが、そのせいでボクは一つ大事な事を見落としてしまっていた。
そのことに気づくのは、随分と先の話なのだけれど。