夢の、終わり(1)
「目標、熱圏に突入! 数は約300、全て天使級と断定! 特殊戦闘タイプ認知せず、全てアークエンジェル級!」
巨大なモニターに映し出された宇宙に限りなく近い空の映像。 そこには無数の異形の怪物たちが翼をはためかせている。
『天使』――そう呼ばれたそれらは様々な形状を持ち、それぞれランク分けされており、形状もそれぞれ違っていた。
空を埋め尽くすような数の天使。 しかしそこに居る誰もが特に慌てた様子もなく画面を眺めている。
「300、ですか? そんなちょっとで攻めてきたんですかねえ、ウッフッフ」
スーツ姿の男が笑った。 この組織の副指令であり、作戦指揮官でもある彼にしてみればこの状況は特に大したものではない。
まず確実に勝てるであろうという見込みがあるからこそ、彼らは余裕を持って対応できるのである。
オペレーションルームは広かった。 巨大なメインスクリーンに映し出される敵の映像をなめるような視線で見つめ、男は静かに微笑む。
コンソールの前に座ったオペレーターがマイクを通して指示を出した。
「レーヴァはカタパルトエレベータへ移行。 300秒後に射出します。 対ショック用意を」
『こちらカイト、了解した! 今回はイカロスで出撃する』
「了解しました。 識別コード『イカロス』は直ちに出撃、その後成層圏に敵勢力が到達する前に殲滅してください……ふふ、でもカイト君ならこんなの問題ないわよね。 がんばってね」
『無駄に期待されるとこっちもアレなんだけどな〜……了解、戻ってきたらさっさとメシにしたいよ』
「頑張ってくださいねえ〜、カイト君! 今のところ君しか『適合者』がいないんですから〜!」
副指令の男が大声で叫ぶと司令室に小さな笑いが起こった。
一方、その司令室よりも上部にある格納庫では巨大なロボットがハンガーの拘束より解き放たれようとしていた。
全長約40メートル。 アーティフェクタと呼ばれる巨大な人型ロボット。
細身であり、どちらかといえば女性のそれに近いシルエット。 薄くほとんど何も纏っていない装甲の下には機械というよりは人間そのものといえるシルエットが浮かび上がっている。
全身の細部に至るまで通されていた修復神経が抜き去られると腕部、脚部、胸部の順番でハンガーに固定していた拘束機が開放される。
ロボット、というよりは巨人が鎧を纏ったようなそれの兜の隙間、灯が点されるように瞳が輝く。
あまりに巨大な一歩。 ただ歩くだけで『そのために設計されている』格納庫ですら振動が広がる。
まるで人のように優雅に歩くそれの胸部、無色に輝く光球の内部に学生服を着用した男女の姿があった。
そこはコックピットと呼ばれる場所だったが、三百六十度に広がる景色は機神が見ている景色そのものであり、機神の目を通し世界を見ている。
まるで空中に浮いているように立つ少年の周囲には光で構築された操縦桿やコンソールが浮かび上がっている。
金髪の少年、カイトは実体のない操縦桿を握り締め、機神を歩かせる。
「さて……今日はどうなることやら」
静かに息をつくカイト。 しかしその目に恐怖の色はない。
少年の背後に浮かぶ少女はやはり光のコンソールに囲まれていた。 大きな違いがあるとすれば、少年は広いスペースに立っているというのに少女の方は椅子のようなものに腰掛けているということ。
それは二人の役割が違う事を理由とするものであり、少年は振り返ると大抵蹴られるなり物を投げられるなりするので振り返らないようにしていた。
「パンツ見えるからな……」
「何か言った――? イカロス射出位置に移動! さっさとしなさい!」
「何もしなくても怒られる、っと……はいはい、イカロス射出位置に移動」
直径1kmほどの巨大な円形の部屋。 その中心部まで移動した機神は腰を低く据え、膝を突いて空を見上げる。
「イカロス射出位置に固定完了! 射出許可もらえるか!?」
『こちら司令部。 カタパルトエレベータ使用許可。 カイト君、ご武運を』
「レーヴァテイン=イカロス、行くぜッ!!」
四方から、眩い光が頭上へ向かい光速で放たれた。
それはエレベーターだった。 ただし、超巨大であり、その上昇速度も限りなく光速の。
軋むように振動する大気の中、エレベーターは矢のように空に向かって突き進んでいく。
無数のフロア、エリアが目にも留まらぬ速さで目前を通り過ぎていき、やがて何も無い、青空だけが広がる場所、そしてそれすらも乗り越えた雲の上、果てしない空の向こう、どこまでも続く、ただその塔だけが続く、それだけの場所。
打ち出される。 投げ出されるように。 光を纏って。 翼を広げて。 摩擦に焼かれ、煌きながら。
レーヴァテイン。 それは空中を音速で雲を切り裂き飛翔しながらその形状を変化させていた。
何も纏っていなかった生身の装甲を翼から放たれた無数の光の粒子たちが覆い、造型していく。
腕を、肩を、足を、腰を、背を、胸を、そして翼さえその容を変え、羽ばたく。
無色から燃えるような真紅へ。 両手に光を纏い、頭上に広がる天使の群れへと突き進んでいく。
それはまるで地上から放たれた光の矢だった。 空を埋め尽くし今まさに地上へ降りようとしている天使たちの群れを嵐のように貫通し、巻き込み、消し飛ばしていく。
光は大地の遠いその場所で何度も何度も天使の群れを往復し、爆発を光を放っていた。
「全員まとめて――――消し飛べぇッ!!!!」
光を纏った両手を組み、そこから放たれる紅い波動が大気を熱し、融解させていく。
やがて巻き起こった無数の爆発は美しく、しかし無慈悲に全てのものを壊していく。
炎の嵐の中、無数の翼を広げ空に舞う機神の姿は神々しく、余りにも美しい。
そして誰もがその姿を知らない不可侵の神。
故に穢れを知らず、救いを知らない。
その眼下、遥か彼方に広がっている巨大な町へと降り立つために神は舞い降りていく。
やはりそして、穢れを知らないままに。
⇒夢の、終わり(1)
ボクはこの世界が嫌いだ。
黒板に記されていく白い文字の羅列。 ペンがノートの上を奔る軽快な音。
窓から差し込むゆったりとした日差し。 少しだけ暗くて、時々明るくて、それはいつもアンバランス。
教師の声も、クラスメイトの声も、ボクにとっては鬱陶しいものでしかない。
だからボクは耳を傾けない。 耳に入ってもそのまま言葉はどこかへ消えてしまう。
退屈な日々。 平和な日常に忙殺されていく自分。 幸せなことなんか何一つない。
窓の外、遥か彼方、悠久なる天空の先、そこにかつてボクが目指した場所がある。
全なる宇宙。 果てしない宇宙の先にあるまだ誰も知らない未踏の地。
本当はこの町はそのための町だった。 ロマンと夢と希望を載せて遥か彼方宇宙のどこかへ向かうための塔。
それがいつからか、夢でもある目的を奪われ、ボクはこの世界に失望した。
空を自由に飛ぶ事を許されたのは……実在するのかどうかもわからない、ロボットのパイロットだけ。
今日もプレートシティの中央部にあるカタパルトエレベータが動いていたから、きっとロボットは空へ向かったのだろう。
それを誰も疑問に思わない。 ロボットが出撃して空を飛んで何かと戦って帰ってくる。 それがこの町の日常的な景色でありそれに疑問を抱く人間なんているはずもない。
誰もが興味を持たないその存在の曖昧なロボットが、ボクはたまらなくうらやましい。
「――リイド。 リイド・レンブラム」
教師の少し苛立った声。 思い切り無視して窓の向こうを見ていたのがばれたらしい。
視線を空から黒板へ戻す。 初歩的なフォゾン理論式がいつのまにか書き込まれていた。
「リイド・レンブラム……この問題を解いてみろ」
「はい」
空を飛ぶ権利は、今のところそのロボットにしかない。 だからボクはうらやましい。
うらやましくて仕方がない。 でもパイロットどころか存在するのかどうかもわからない。
そんなわけのわからないものを恨むことも、ねたむ事も、はっきりいってばかばかしい。
だからといってこの気持ちをどうすればいのか……。 うまい方法があればぜひ教えて欲しいものだ。
「む……席に戻れ」
「はい」
こんな退屈な問題じゃなくてね。
問題を解いて席に戻る。
一体どんな勉強をしているのかはわからないが、解けといわれたら解く。 別になんてことはない。
退屈な毎日。 どうしてボクは空を飛べないのだろうか?
それともロボットも、この町を襲う何かも、本当はボクが生み出した幻覚なのだろうか?
そうかもしれない、と思う。
なんにせよ、ボクはきっとどこかがおかしい。
そうに違いないのだ。
「リイド、さっきの問題よく解けたねぇ! ずうっと余所見してたのにわかるなんてすごいじゃん!」
教室を出て長い廊下を真っ直ぐに歩き階段を降りた校舎の裏側にボクが足しげく通う部室がある。
部室……ボクが所属する『フォゾン工学研究部』の部室は部室とは名ばかりの倉庫棟にある。
しかも一番古くて狭い。 使用していい部屋が多いのだけが優遇されている部分だと言えるが、最新の学問であるフォゾン工学に取り組む部室がこんな倉庫なのは全プレートシティの中でもここだけだろう。
しかし、それもそのはずである。 何しろフォゾン工学部はとっくに廃部になっているのだ。 部活動というよりボクが勝手にこの元フォゾン工学部の部室を使用しているだけであり、ボク以外にここを訪れる人物はいない。
いないはずなのだが、私物の端末を操作するボクの背後には上級生の女生徒が立っていた。
「学年違うのにどうしてさっきの出来事知ってるんですか……正直怖いんですけど」
「いやいやいや、きみきみ、アタシを誰だと思っとるね? 生徒会長のカグラ・シンリュウジ、花も恥らう乙女の十五歳! 校内での主な出来事は完全に把握していて当然というやつだよ、リイド君!」
「そうですかー」
完全にスルーして作業を続ける。 イスの上に乗って身振り手振りで動作を続けていたカグラだったが無視を決め込むボクの態度に退屈になったのかずうずうしく顔を出して端末を覗き込んだ。
異様に近いこの人のスキンシップ方針は時々ボクを苛立たせる……。
「リイド何やってんの?」
「……エーテル・リブート・ドライブの設計です」
「エーテルリブ・・・リブ? なんじゃらほい」
「エーテルを再びフォゾンに再変換しエネルギーを一瞬ですが爆発的に上昇させるデバイスの設計ですよ」
「ごみんさっぱりだっぜ」
「あんたフォゾン工学の授業受けてんじゃねーのかよ……」
「なんか言ったかい?」
「いえ別に」
西暦2666年。
人類の文明は今までの歴史の例にもれることなく、飛躍的かつ爆発的な進化を遂げていた。
人類にとって踏破出来ない場所は既に地球上には存在せず、理解出来ない理論もまた存在しない。
人類は地球上のおおよそ全ての理を理解し、己の存在を上位の存在へと昇華させた。
新たな力を手にした人類はやがて大地を離れ空を目指し、その先にあるもの――宇宙を目指した。
千年前、地上で愚かにも戦争を繰り返していた人類は争いを放棄し、より高みを目指すため手を取り合った。
そして新しい力と文明をその手に、天を貫く塔を作り上げた。
それが天空要塞都市ヴァルハラ。
ボクらが住む、空に浮かぶ町だ。
実際にヴァルハラが空中に浮遊しているわけではない。 その規模が巨大すぎてわかりづらいが、それは地中に根ざす一本の大樹のように天空に向かって伸びている言わば一本の『棒』だ。
恐らく宇宙まで届くほどのその巨大な塔を軸に円盤状に建造された108のプレートシティ。
そして塔の内部を高速で移動するエレベータシャフト。
それらかつての文明では実現不可能な数々を実現させたのは、フォゾンという新しいエネルギーの発見と運用だった。
人類はかつて炎を明かりとしていた。 しかし電気を運用しランプが生まれ人は夜を克服した。
原子力や太陽光、風や光、人類にとっては危険すぎるものまで自在に操り新しいエネルギーとしてきた人類の文明。
人類の発展の歴史は常にエネルギーと共にあったとボクは考える。 その先にフォゾンがある。
フォゾン。 それは大気に満ち満ちた生命の力。
自然……木や草、まるで酸素のように日々生み出されているフォゾン。
それは肉眼では捕らえる事の出来ない無色の力。 生けとし生ける者ならば全てが必要とし生み出すもの。
世界と言う、地球と言う巨大な生命が呼吸をするために必要なエネルギー――生きる力なのかもしれない。
目には見えないその力を利用出来る形に変化させ、新たなエネルギーとしたもの――それがフォゾン、エーテル。
人類はまた、新しいエネルギーの光に導かれその文明をよりいっそう進歩させた。
その象徴がこの町、ヴァルハラだ。 ボクはこの町に生きることだけは誇りに思っている。
「つまり、一度エーテルにしたフォゾンをもう一度フォゾンの形に戻す時、その量を増幅させて変換する……永遠機関の開発をしているんですよ。 これが実現したら偉人伝間違いなしです」
「ふーん。 難しいことはよくわかんないけど、アンタやっぱり頭いいんだね」
年上のクセに頭はよくないらしい生徒会長は軽快に笑いながらボクの肩を叩く。
この人は結局のところ何一つわかっていないのだろう。 けれど別にそれでいいと思える。
人間嫌いを自負しているボクが気兼ねなく接する事の出来る数少ない人物……それには間違いないわけで。
「……あれぇ? あれって今噂のカイト・フラクトルじゃない?」
「カイト・フラクトル?」
作業を中断して顔を上げた。 カグラが指差す先、人気の無い校舎裏には金髪の少年の姿があった。
長身でいかにも活発そうな外見をしている。制服をだらしなく着崩している辺り、あまり育ちは良くなさそうだ。
何やら隣に立っている女子と話しこんでいるようで、ボクたちが見ている事には気づきそうもない。
「噂って、何の噂?」
「アンタ知らないの? も〜、少しくらい噂話とか聞いた方がいいわよ? そんなんだから友達できないんじゃない?」
「余計なお世話だ……それより内容」
「ああ。 簡単な話だよ? 彼、ロボットのパイロットなんじゃないかって噂。 ホラ、ヴァルハラにはロボットがいるでしょ? 見た事ないけど」
そう、ヴァルハラにはロボットが居る。 ただ、ボクら一般市民は拝む事すら許されないけれど。
ロボットはいつもヴァルハラという巨大な塔の中央に位置し、海中から中間圏にまで伸びた巨大なエレベータで宇宙へと打ち上げられる。
それは最早エレベータと言うよりは巨大な射出台と言えるだろう。普段は一般開放されている中央エレベータも、その時、ロボットが出撃する時だけは完全に閉鎖される。
普段はガラス張りで透けて見える内部の様子も完全に伺えなくなる。ガラスそのものが不透明になるように細工が施されているのだ。
だから実在するという証拠はロボットが通りすぎる時のあの衝撃と町中に流れる警告のサイレンだけ。
それでもロボットは実在する。ロボットがいなければ、ボクらはこの町で生きていけないのだから。
「あいつがロボットのパイロット……? あんなバカそうなやつが?」
顔は悪くないし運動神経もよさそうだけれど、お世辞にも頭がよさそうには見えない。
ロボットなんて高性能なものを動かすからにはそれなりに――しかもそれがヴァルハラの機密とくれば余程知的な人間が動かしているのだろうと思うのだけど。
仮に彼がパイロットだとしたら、ボクはちょっとあのロボットの存在に幻滅せざるを得ないだろう。
「まあ確かにバカと言えばバカだけどね。 でも、ロボットが出撃する時必ずアイツは教室にいないんだ」
どうやらカグラは知り合いらしい。 ならその話も少しは信憑性が生まれると思うけど……。
「でもどう見てもあれ、不良じゃないですか。 単純にサボってるだけじゃないですか」
「かもねえ。 だからあくまで噂。 でも隣に立ってる女の子も関係者じゃないかって話」
そうしてカグラが語り始める頃にはボクはもうその話題から興味を失って作業に戻っていた。
何といわれてもそれが不確かならばボクにとっては興味の対象外だし、あんなやつがパイロットだなんてどうしても思えない。
だったら自分のやるべきこと……自分自身が好きなことに時間を費やしたほうが余程有意義だと思うから。
「そういえばリイド、宇宙に行きたいんだっけ?」
「……そうですけど、何で今そんな話?」
「いや。 だったら興味あるんじゃないかと思ってね、あのロボット」
カグラは頭は悪いけれどこういう時の鋭さは目を見張るものがある。
そう、ボクはロボットに乗りたい。ロボットに乗って宇宙に行きたい。そう願っている。
何故か? 答えはシンプルだ。 とにかくボクはもう地球に飽き飽きしている。 もうこれ以上ないってくらい、この世界に飽きたんだ。
下らないことばかりが毎日延々と続いている退屈と理不尽が交互にステップを踏むようなこの無限の日々を終わらせたいんだ。
そうして一人きりになって宇宙の果てで綺麗な世界を目にして死ねたらどんなにいいだろう。 うんざりするような人の声から開放されて。
誰も居ない空――それは、ずっと昔からボクが憧れた約束の場所だった。
「興味ないわけないじゃないですか。 ロボットですよ。 子供の憧れじゃないですか」
「なるほど、そう来ますか……。 ま、アタシはもう行くけど、程ほどにしなよ」
去っていくカグラを見送るとガラクタの山の上に寝転んだ。
部屋の隅に山済みにされた用済みのそれらはボクにとっては居心地のいいものだ。 だからそうして空を仰ぎ見る。
校舎裏にあるこの部室にはいつも日が差し込まない。 空はこんなに晴れているのに、どこかいつも薄暗い。
それはまるでボクの心を写し取ったかのように、退屈で日々代わり映えのしない青。
先ほどまで立っていたはずの噂の少年は居なくなっていた。 当たり前だ、ここには何も無い。 誰も居ない。 居る理由がない。
作業を進めるのも嫌になって後片付けを済ませて部室を出た。 鍵だけはしっかりかけて、帰路を急ぐ。
急ぐと言ってもすることもしたいことも無い。
ボクが暮らしている82番プレートシティは第三学園がある81番プレートの一つ下にある。
ヴァルハラは108の巨大なプレートによって構成された天空都市だ。 一つのプレートごとに一つの町が存在し、たくさんの人々が暮らしている。
番号が若くなるほど上に……つまり82番プレートシティはプレートシティの中ではかなり地上に近い場所にある。
町中に張り巡らされたプレート間を移動する無数の巨大なエレベータに乗り込み、81番プレートから82番プレートへと移動する。
水平線の向こうから差し込む夕日の輝きを数分間揺れも存在しないエレベータから眺め続ける。
それぞれのプレートシティは巨大な硝子によって覆われている。 無論ただの硝子というわけではないのだが、町から景色を見渡す事は容易だった。
ただぼくにいわせればこのプレートシティに本当の空なんて存在しない。確かに見る事は出来るけれど、だって真上には他のプレートがあるのだから。
そのプレートの上にもまたプレート。 それが全部で108。 実に気の遠くなりそうな話だ。 空は果てしなく遠い。
何十人もが同時に移動できるエレベータの中は帰路を急ぐ学生で一杯だった。 その隅っこで移動を耐え、自らのプレートに足を踏み出す。
町の構造はどこも殆ど変わらない。 住む人や建造物は違っても、大本の構造はどのプレートも同じなのだから仕方がないだろう。
町中を巡っているモノレールに乗って移動・・・するのが普通なのだろうけど、生憎ボクの家はエレベータからかなり近い場所にあるので必要ない。
歩いて数分で目に付いた巨大な豪邸、それがボクの家だ。 自分で言うものあれだけれど、ボクはちょっとした金持ちの息子なのである。
玄関を網膜認証でパスして帰宅する。 家には誰もいない。 誰か居るはずも無いのでただいまとはいわなかった。
即座に二階の自室に向かい、ベッドの上にカバンと制服の上着を投げ捨ててテレビの電源を入れた。
「…………」
TVで流れるたくさんのコマーシャル。その殆どが『ジェネシス』という企業と関わりの在るものだ。 ついでに言うとボクの母親の勤務先でもある。
世界中、特にこのプレートシティでは圧倒的なシェアを占める超大企業、ジェネシス。 そこの幹部が自分の親だとしたら、生活に困らなくても疑問はない。
ボクはこの広すぎる家で母親と二人暮しだった。 他に家族はいない。 あの人は仕事で忙しいから中々戻らないし、実質一人暮らしのようなものだ。
家に帰っても特にする事もない。 テレビを消してベッドの上で目を閉じた。
思い浮かべるのは宇宙の事とフォゾンの事ばかり。 気づけば端末をいじって構想を練っていた。
こんな生活があと何年続くのだろう? 本当にただただうんざりするしかない。
困った世の中だ。 空を飛ぶどころか、人類がせっかく手に入れた輝かしい希望に満ちた道すら誰も行く事が出来ないなんて。
「宇宙にいけたらいいのにな」
宇宙に行く事は出来ない。
行けるだけの力はある。
でも、誰も行く事は出来ない。
宇宙に行く事だけは、
人類には、絶対に出来ない。
「だって、人はそれを許されていないから……」
人ならざるもの、天の先、宙の先、遥か彼方、どこかも分からぬ果てしない場所に居る。
「神様って奴に、大地にしばりつけられたままだから……」
指先が弾いたペンが机から落ちて、空しく音を立てた。
「カイト!」
第三学園がある81番プレートシティ。
夕暮れの紅い光を背に人気の無い通りを歩く少年の姿があった。
少年の名前はカイト・フラクトル。 長身と金髪の髪が印象的な、外見的には不真面目と呼べる15歳。
15歳という年齢を考えれば彼の容姿は少々大人びすぎているようにも見えた。 しかしこの人種という言葉が意味を持たない天空都市では彼のように身長が180を越えている少年も少なくは無い。
声をかけられ振り返ったその視線の先には彼が良く見知った少女が立っていた。 燃えるような真紅の髪を揺らしながら少年に駆け寄り、隣に並ぶ。
「なんだ、イリアか。 わざわざオレが学校から帰るのを待っててくれたのか?」
そこは学園から市街地に向かう下り坂だった。 多くの生徒は殆ど下校してしまい、残っているのは部活動に勤しんでいる生徒達。 逆にこの中途半端な時間にこの下り坂を歩いている人間は少ないといえる。
少年の予想通り、少女は少年が学園を出るのをわざわざ校門前で待っていたのだが、どう声をかけたらいいのかわからなかった上、待っていたという事実を認めるのもなんだか納得がいかず、遅れてたまたま鉢合わせたかのように演出するようにしたわけである。
「そ、そんなわけないでしょ? 自惚れるんじゃないわよ、バカ」
ならばこそ当然少女が素直に事実を認めるはずもない。 自分自身が気づいていないだけで、少女は赤面しながら髪を掻き揚げた。
しかしそれに気づかないカイトはあっさり引き下がり『そうだよなあ〜』などと口にしながらへらへら笑っている。 それが少女は気に入らない。 気づかれたくないのか気づいて欲しいのか、そこは二律背反な少女の心というわけである。
「……まあいいわ。 今日、ジェネシスに寄るようにってヴェクターが言ってたのちゃんと覚えてる?」
「あのなあ、いっくらオレだって昼間に言われたことを夕方に忘れるってのはないぞ? まあ……気は乗らないんだけどな」
「最近出撃多くなってるし……ちゃんと精密検査を受けた方がいいんじゃない?」
生返事をして前髪を掻き揚げ、困ったような表情を浮かべるカイト。
そう、噂通り『ロボットに乗って戦って居る』彼は精密検査を受ける必要があった。 理由はともかく、この際問題なのは彼がそれをもう何日も拒否しているというところにあるだろう。
イリアにとってそれは何よりも不安な出来事だった。 カイトという少年が無理をしてしまう性格である事を理解していればこそ、尚更。
一見しただけではカイトの身体は健康そのものにしか見えない。 無論、『それ』が分かっているイリアから見ても同様だ。 外部から見ただけでは影響を第三者が図り知ることは出来ない。 だからこそ不安になる。
「あたしも検査受けに行くからさ……。 どうせ二時間くらいで済むんだし、いいでしょ?」
「ああ……そうだな」
徐に少年は少女の頭の上に手を乗せ、ぐりぐりと乱暴に撫で回した。
唐突なことで少女は何も口に出来ず、ただ顔を真っ赤にして口をぱくぱくしていた。 それは突然であるということより、少女から少年に対する感情が理由していたと言えるだろう。
何はともあれ唖然とする少女に対し、少年は屈託の無い――15歳らしい無邪気な笑顔で言う。
「心配してくれてありがとな、イリア」
「あ、あのねえ……女の子の髪に気安く触るんじゃないわよ!」
「いぃいってえ!? わ、悪かった! ごめんってっ!」
照れ隠しに思い切り踏みつけたカイトの足がちょっと表現し辛い鈍い音を立て、手は頭を離れた。
涙目になりながら歯を食いしばっているカイトを置いてイリアは歩き出す。 あからさまに置いていくというモーションで、早足で。
それが素直になれない少女なりの全力の照れ隠しであり……恐らく彼女の恋が中々成就しない理由でもあるだろう。
慌てて駆け出した少年は隣に並ぶなり、急に真剣な顔つきで空を見上げた。 その顔つきにまたドキドキしながら上目遣いにカイトを見つめる。
「何よ……今更真面目な顔になっても意味ないわよ」
「――――イリア! 上だ!」
「上って――?」
少年が指差す真上を見上げてみるが、そこにあるのは一つ上のプレート……80番プレートであって、そこには何の景色も存在しない。
少女にはそうとしか見えない景色も、少年にとっては何かを感じ取るに値するのであろう。 厳密に言えば、『確かに彼には見えていた』のだから。
イリアの手を取り駆け出すカイト。その足取りは非常に速く、少女はつんのめりながら少年に問う。
「ちょ、ちょっと!? 急に何!?」
「天使だ! しかもちょっと今までの奴と違う! さっさとジェネシスにいかねーと!」
「ええっ!? 何でそんなこと分かるのよ……ちょっとお!! 少しは人の話をきけえええーーーーっ!!!」
必死に駆ける少年に少女の叫びは届かない。 なぜならカイト・フラクトルという少年は思い立ったら一直線と言う絵に書いたような直情を行動原理としているのだから。
そして少年の読みは正しかった。 遥か上空約100km地点に視覚的には捉える事の出来ない一つの巨大な影があった。
それは輪郭だけを僅かに大気と大気の間に揺らめかせながら実体も無く、音も無く、ゆっくりと漂う様にして舞っていた。
「い、今になってどうして……!? ヴェクター! たった今、熱圏に正体不明の反応を確認しました!」
同時刻。 ヴァルハラの直上に漂う反応をようやく捉える事に成功したジェネシスは突然の反応にパニック状態に陥っていた。
ヴェクターと呼ばれるスーツ姿の若い男は眼鏡を指先で押し上げながら鋭い目つきで映像を確認する。
「目視不能なのはともかく、全くフォゾン反応も無く大気圏を突破してくるとは……今までの天使級ではなさそうですね。 神話級――ですかねえ?」
「恐らくはフォゾン迷彩のようなものだと思うわ。 直接レーヴァで叩いてみれば正体を現すかもしれない」
ヴェクターが問い掛ける先、この司令部で最も高い位置にある空中の椅子に鎮座する女性が囁く。
彼女の言葉はこの司令部の総意であり、この場に居る多くのスタッフ全員が耳を傾けるべき重要なものである。
故にヴェクターは彼女の言葉に微笑みを返し、手を振りかざして叫ぶ。
「あなたの仰せの通りに――。 対象を神話級の敵性と判定します。 以後、対象をクレイオスと呼称。 至急、レーヴァを出撃させて迎撃させてください」
「クレイオスは既に大気圏内です! しかも後数分でヴァルハラに到達する予想です!」
「上部の迎撃用プレートで対応してください。 足止めにはならないでしょうが、まあ気休めにはなるでしょう」
「ヴェクター! カイト君とイリアちゃんがジェネシス本社に到着したのを確認しました!」
「出撃指示を。 それと念の為ヴァルハラ全域に警戒令を出してください。 市街地防衛を最優先で」
薄暗く広がっている司令部、その副指令の座で男は足を組んで微笑む。
空中に浮かび上がったホログラムに映し出される目にも見えない空中に存在する何かの映像を眺めながら。
ヴァルハラという都市はその存在そのものがひとつの巨大な要塞であるとも言えるだろう。
108のプレートで構成されるその巨大な塔の上部に人は住んでいない。 何故ならば『空に近ければ近いほどこの世界では危険』だと言えるからだ。
ではなぜここまで巨大な、ただ真上に伸びる塔が必要なのか? 理由の一つとしてはロボットを空に打ち上げる必要があることが上げられるだろう。 だが何よりもこの町に住む人々の安全を守る上でこの膨大すぎるプレートは必要なのだ。
そう、『脅威』は常に『上』から到来する。 上部にあるプレートは重火器を搭載し、空から迫り来る脅威に対応するためにある。
そのプレートそのものを盾とし、空から到来する敵に対応するために108もの膨大すぎる数の『鉄板』が必要なのだ。 そしてそれは完全に自動的に操作が行われ、ロボット・・・『レーヴァテイン』が出撃するよりも早く脅威を攻撃する事が可能となる。
正体不明の敵――クレイオスは身体を透明化したままあっと言う間に20kmの距離を降下し、塔の最上部である1番プレートに近づいていた。
待ち構えるように次々にプレート内部から飛び出してくる無数の砲台。 1番を含め上部のプレート十数枚は単純な戦略兵器として存在している。
一斉に放たれる無数のプレートからの砲撃。 その一つ一つを避ける気配すら見せず、ただただその身に受け続けているクレイオス。
本来ならば、『多少の脅威』ならば、このプレートの火力だけで撃退する事が可能であろう。 無論、この驚異的な存在たちに対抗する事を前提として設置されているこの戦略用プレートの攻撃能力は秀逸であり、人間が作り出した通常兵器の中ではトップクラスの性能を持っていると言えるだろう。
しかし、それは『多少の脅威』ならばの話であり、『それを超える脅威』に対してその火力は時に無力だ。
空中に鳴り響く無数の爆音。 しかしクレイオスにとってそんなものは『あっても無くても同じ事』。 だから破壊もせず、自らも破壊される事も無い。
直撃を受けていた。 しかしなんらかの目には見えぬ守護がクレイオスの存在から火力を退けていた。 悠々と舞うように、しかし着実に加速しながらクレイオスは落下していく。
「こちらカイト! レーヴァに搭乗した! 出撃許可をくれ!」
『同席しているのはイリアさんですか? カイト君、それは、』
「ヴェクター……! 今はああだこうだ言ってる場合じゃない、そうだろ? とにかくカタパルトで出る! どの辺りで待ち伏せればいい!?」
カイトはパートナーであるイリアと共に巨大ロボット、レーヴァテインのコックピット内部に居た。
すぐさまジェネシス本部のハンガーに向かうとレーヴァに乗り込み、エレベーターに向かって歩みを進める。
『対象はクレイオスと命名されました。 クレイオスはかなり緩いスピードで降下中です。 今からなら……30番プレート辺りで迎撃出来るはずです』
「了解した! イカロスで出る! 色々な許可は後で貰ってくれ!」
ハンガー内でレーヴァを走らせ、カタパルトエレベータに滑り込む。
40メートルを越える巨体が走り回るとハンガーは盛大に揺れまくる。 誰もがその巨体を見送り、頑張れよと声をかけた。
しかし当の本人のやる気はともかく、背後から少年を見守る少女は余り出撃に乗り気ではなかった。 結局乗ってしまったものの、この状況に未だに納得がいかないのか不安そうに少年の背中を見つめていた。
その視線に少年は気づかない。 いつも前を見て、上を見ているカイトは背後のイリアがどんな気持ちで自分を見ているのか知る事は無いのだ。
それは無論、少女も理解していることだ。 だから少しでも気持ちを切り替え、ならばこそ早く決着をつけねばならないと気を引き締める。
「ねえカイト……この出撃が終わったら本当に、検査受けなさいよ?」
「なんだよまだ言ってたのか? 大丈夫だ、判ってる。 それにこのまま放っておいたらあいつはすぐ人が住んでるプレートまでたどり着いちまう……そんなのやらせるわけにはいかねえだろ」
「それは、そうなんだけどさ……」
そうやって決意に満ちた真っ直ぐな眼差しで言われるとイリアとしても返す言葉が無い。 そういうところがカイトの長所であり、短所でもある。
だから結局言い争っても折れるのはイリアのほうだ。 普段はともかく、いざこうなってみると。 だからイリアはいつものように頷いて深呼吸する。
「イカロス、行くわよ! さっさとケリをつける!」
「おう! レーヴァテイン=イカロス――行くぜっ!!!」
「ボクは行かない」
独り言だった。
町中に鳴り響いている警報の音がまどろみの中にあったボクの意識を強制的に現実へと引き戻す。
誰もが逃げ惑い、何が危険なのかもわからないまま逃げ惑い、次々と下のプレートへと避難していく。
そんなのはいつもの事だ。 ロボットが出撃する時はいつもそうだ。 だからボクは行かない。 行って、やらない。
だってどうせ今日もロボットは空に行って、戦いは空で行われる。 そもそもこんな下の方のプレートが危険にさらされる事なんてあるはずもない。
なんだかんだ言っても結局何も変わらない。 ここで寝ていたって、誰の迷惑にもならないんだし。
そう考える人は少なくなかったのだろう。 確かに少数ではあったが、窓から見渡すエレベータ付近には下に下りようとしない人間もいた。
とんだ迷惑なお祭り騒ぎだ。 見に及ぶはずも無い危険から逃げ惑う事ほど愚かな事も無いだろう。 ベッドに寝転んで目を閉じようとした、その時だった。
大地が大きく震動した。 いや、厳密にはプレートが。 しかしそれはとんでもない事実を表している。 プレートが揺れたということは・・・。
「な……んだあれ――?」
窓辺に駆け寄り、かじりつくようにして摩天楼に浮かび上がる半透明な影を凝視した。
『そいつ』は空中を優雅に舞いながら美しい純白の翼を広げていた。 一言で言うのなら、天使か神か――そんな類の幻想的な存在にしか見えない。
だからすぐにわかった。 あれが『そう』なんだって。 人類が恐れている、天に住む生き物。
「あれが神様……なのか……!?」
生まれて初めて心が躍るという言葉の意味を理解した。
驚きの上着を着込み、階段を駆け下りて家から飛び出していた。
エレベータへと逃げるためにこちらに向かってくる人々とは真逆、彼らが逃げてきた方向に向かって全力疾走する。
神が。 天の上に住んでいるという存在が。 人類の脅威が。 目の前に居る。
それは恐怖よりも戸惑いよりも何よりもボクの中にある好奇心を刺激した。 胸がドキドキして、ワクワクして、ただ走った。
美しかった。 輝きを撒き散らしながら羽ばたく姿。 そいつは燃え盛る摩天楼の上、まるで人に罰を与えに来た神のように神々しくたゆたう。
「すごい……! あれが、空の上の存在!」
息を切らして笑いながらそれを見上げた。 何故こんな事になっているのかわからないが、ともかくすぐ目の前に神がいる。
これにワクワクしないやつはどうかしている。 地球を制覇したといっても過言ではない人間が唯一恐れる自分達以外の生命。 それが天使、神。
人類を踏破するような存在が、すぐボクの手が届きそうな場所に浮かんでいるのだから。
しかし胸の高鳴りは長くは続かなかった。 その何かが羽ばたき、何とも言えない威圧感を放った瞬間、ボクは大地に膝をついた。
「――――うっ……!?」
単刀直入に言うと、嘔吐だった。
胃の中の物を全部道路のど真ん中にぶちまけ、それでも飽き足らず胃液を一滴残らず搾り出した……そんな気がするぐらい激しく嘔吐する。
突然のことで頭の中が混乱……違う、何も考えられない。 ただただ気分が悪く、思考を働かせる事も出来ない。
一瞬で思考を組み立てる脳のシステムがすべて破壊されてしまったような気分だ。 考える、ということをいままでどうやっていたのか思い出せない。
ただただ頭を抑えながら道端に倒れ、気づけば視界は真っ黒に染まっていた。眼球があさっての方向を向き、自分の視界を視界と認識できない。
五感が次々とおかしくなっていく中、ただ耳にだけ……非常に高音の、美しい旋律だけが届いていた。
そしてそれが原因であると気づくより前に、意識が途切れそうになり――――、
「しっかりして」
顔を上げた。 誰かの声。 その声がボクの五感をボクに取り戻し、正常な状態へとゆっくりと導いていく。
次の瞬間目にしたのは大空を飛翔し神に向かって蹴りを加えた巨大なロボットの姿だった。
いや、その姿はむしろ機械で模倣した神だと言えた。 本質的に二つの巨大なそれらは同じものであると直感的に理解出来る。
ロボットは両手で神を大地に引き摺り下ろすと、まるで市街地から引き離すようにそいつをプレートシティの端にまで投げ飛ばした。
真紅の機体は夜のプレートシティの輝きにうっすらと照らされながら壮大なその身体を隠す事も無く、そう、今までずっと目にする事も出来なかった、実在するかどうかもわからかったそれは、ボクを助けて神を放り投げていた。
「……生きてる?」
視線をロボットから目の前に戻す。
ロボットが町を疾走する激しい震動の中、目にしたのは鮮やかな銀色だった。
銀色の髪の少女。 非常に長いそれは巨体同士の戦闘が巻き起こす風に靡かれながらその隙間から金色の瞳でボクを見つめていた。
吸い込まれそうになるほど幻想的なその容姿にまるで時が止まったようだった。 ただその姿に見とれるボクに少女は言う。
「生きているなら、立って。 今すぐに、ここを離れて。 そうでないと、レーヴァが思うように戦えない」
「……あんたは……!? うっ、うわあああああっ!?」
絶叫した理由は少女にあったわけではない。
ただ、ボクの周りには無数の……多分元々は……人間だった……今はよくわからない何か――――。
沢山の肉片が、道端に転がっていた。
理解出来ない。 ただどれも、恐らくはさっきまで物見遊山でここにいたボクと同じような人々だろう。
どれもまるで体内から爆発したかのように四肢と臓物をぶちまけながら道端で息絶えていた。
一体何が起きているのかわからない。 先ほどすべてぶちまけてしまったせいか、嘔吐はしないで済んだが、直視は遠慮願いたい様子だった。
つい先ほどまでごく普通の日常だったのに、目の前に神が現れてロボットが現れてなんかされて死に掛けて、周りはみんな死んでいて……。
「………」
「……大丈夫?」
「――ああ、大丈夫……いや、最高だ」
顔を上げる。 少女は怪訝そうに目を丸くしていた。 それも仕方がないかもしれない。
立ち上がってロボットを見上げる。 ボクは両手でそれに手を伸ばし、目を細めた。
「最高だよ! ずっと待ってたんだ……退屈な世界をぶっ壊してくれる何かをッ!」
血の匂いが包み込む道路の真ん中で、悲鳴一つすら聞こえない皆殺された世界の一部で、諸手を上げて喜んだ。
「ボクは、これでいい! これでいいんだよっ!!!」
すべての世界をぶち壊して。
おかえりなさい、ボクの世界。
はじめまして、ボクの世界。
楽しくて仕方がなくて笑った。
そうだ、世界はまだまだ。
「だから……!」
闇の中に浮かぶ二つのシルエット。
今はもう、そのことしか考えられなかった。
そう、まるで今までの思考の全てを、焼ききられてしまったかのように――。