翼よ、さようなら(3)
一区切り終了です。
町は静まり返っていた。
真昼のヴァルハラ。 本来ならば人々で賑わうその場所は住民の避難に伴い人の声も聴こえない場所になっていた。
まるで時が静止してしまったような世界の中、ただ一人だけ、公園で空を見上げる少女がいた。
長い黒髪を風に靡かせながら何をするでもなくただ空を見上げている。
誰も居ない町で、しかしただ一人だけその結末を知るかのように。
「もうすぐ会えるかな・・・」
風の中、髪を押さえる。
揺れるその前髪の間から覗く蒼い瞳をゆっくりと細めながら。
「早く会いたいな・・・」
町に再び警報が流れる。
聞くものは誰一人居なかったとしても、それは流れていた。
カタパルトエレベータを使用し、レーヴァテインが空へ向かう前触れ。
空から聞こえてくる銃声と爆発音の嵐。 きっともうすぐ、この場所にも死を運ぶものが訪れるだろう。
けれど少女は逃げない。 なぜなら自分は助かる事を知っているから。
その機械の巨人に乗り込んだ少年は、きっと自分を救ってくれると信じているから。
「行ってらっしゃい、リイド」
今まで何度も繰り返した言葉を呟こう。
そうして彼が星の海に飛び出して、必ず戻ってこられるように祈りを込めて。
だから、風の中歩みだすその少女の口元は、薄く、微笑を湛えていた。
⇒翼よ、さようなら(3)
「イリア・・・入るよ」
だから、ボクは―――勇気を出してその場所に一歩目を踏み出した。
自動ドアが開き、暗い病室のベッドの上でイリアは膝を抱えていた。
綺麗な髪は血のりでべたべたで、乱れきっていて。 その体中が血まみれで、あの時のまま、時間が止まってしまったかのようだった。
息を呑む。 ああ、こんな時ボクはどうすればいいのかさっぱりわからない。 今までそんなことなかった。 そうするつもりも、なかった。
でも今は違う。 勇気を出す時だ。 近づいて、その正面に座り、肩に手を置く。
「イリア・・・・・・」
ゆっくりと顔を上げたイリアの頬には血の流れた跡があった。 目は赤く腫れ、今も涙を止める事無く、綺麗な顔をくしゃくしゃにして、唇を噛み締めていた。
だから、そんなの見てるだけでも辛くて。 こんなに辛いなんて思わなくて。 締め付けられるような胸の痛みに耐えながら、声を出した。
「シャワー・・・浴びなきゃだめだろ・・・? じっとしてても、しょうがないじゃないか・・・」
そんなことしかいえない自分が。 声を震わせてしまう自分が、酷く情けなかった。
「・・・・・・・たしの・・・せいだ・・・」
消え入りそうな声で彼女は繰り返す。
「あたしのせいだ・・・・・・あたしのせいで、カイトが・・・カイトがあ・・・っ」
「あんたのせいじゃない・・・!」
「あたしのせいよ・・・あたしがもっとちゃんとしてれば・・・こんなことにはならなかったのに・・・」
「・・・・・・しっかりしてくれよ・・・」
「カイト・・・・・・」
「しっかりしてくれよっ!!」
その両手を掴み、ベッドに押し倒す。
涙を流しながら、歯を食いしばりながら、でも、何一つ抵抗なんかなくて。 弱弱しく握り締めたその手の平がゆっくりとほどけていく。
ぎりぎりと、締め付けるように彼女の手首を掴む。 力の加減が出来ない。 自分の手も震えていて、本当に・・・情けないな。
「あんたたち、先輩だろ・・・あんたいつでも強かったじゃないか・・・いつでもボクを導いてくれたじゃないか・・・」
間違っている事を、間違っていると言ってくれた。
失敗した時、一緒に頑張ろうと手を差し伸べてくれた。
みんなと一緒にどう笑えばいいのかわからなくて。
そんなときも、ボクの背中を押してくれた―――。
「あんた言ったじゃないか・・・! 落ち込んでても何も好転しないって! 泣くなよぉっ! こんなとこでじっとしてる場合じゃねえだろっ!?」
何故、優しく出来ないのだろうか。
何故、もっと他のやり方を思いつかなかったのだろうか。
それはきっとボクが余りにも未熟で幼すぎて。
そうする以外の方法なんて考える余裕さえなくて。
これ以上ぼろぼろのイリアを見て居たくないってだけの、本当に個人的な・・・自分の為の理由で。
ああ、本当に嫌になる。
ボクは、最低だ―――。
「ごめん・・・なさい・・・・・・・っ」
イリアは、
「ごめんなさい・・・っ」
イリアは、
「ごめんなさいぃぃぃぃ・・・っ!」
泣きながら、謝っていて。
きっと、ボクが、
「・・・・・・うあぁぁぁ・・・もう嫌だよぉおお・・・もう、嫌なんだよぉぉぉう・・・っ」
きみを、許すよって。
優しく微笑んだって、きみは、
「痛いのいやあああ・・・助けて、かいと・・・・かいとぉぉぉ・・・っ」
きみは、きっとボクの事なんか見てなくて。
だから、ボクが許すよって笑っても、きみは自分を許せないだろう。
それじゃあ、ボクに何が出来るだろう? 出来る事はあまりに少なくて、きっとやっぱり、ボクは馬鹿だったから。
「ボクは、あんたを許さない―――」
そんな言い方しか、出来なくて、
「お前が勝つまで、許さない―――」
顔を上げる少女の、あっけにとられたような顔。
ゆっくりと手を振り上げて、
「立てよッ!!」
思いっきり、顔をひっぱたいた。
紅い髪が揺れて、イリアは目を丸くしている。
襟首を掴み上げて、強引に顔を上げさせる。
「逃げてんじゃねえ! 一生ボクはあんたを許さないぞ! このまま駄目になりましたなんて、そんな結末許してなるもんかよっ!!」
止まった涙はきっと驚きもあったのだろうけど、
「また逃げたら何度でもぶん殴ってやる! だから、だから、だからなあ・・・・っ」
きっと、殴られて、安心したんだと思う。
誰かに罪を裁かれる事で、彼女は少しだけ安心したんだと思うのだ。
「立てよ・・・・・・ッ!! あんたのパートナーはカイトじゃない・・・このボクだっ!! ボクの言う事を聞けよ、イリア・アークライトォッ!!」
自分自身が泣いている事に、ようやく気づいた。
イリアは涙をぼろぼろ零しながら、何度も何度も、小さく頷いて。
ボクの背中に手を回し、すがりつくように、弱弱しく声を上げて泣いていた。
それにつられてなのか、どうなのかわからなかったけれど。
ボクも子供みたいに泣きじゃくって、イリアの身体を強く抱きしめていた。
どうすればいいのかなんて、正しい手段はボクにはわからない。
だから、その時はやっぱりそうするしかないんだと、自分に言い聞かせる事にした。
イリアにはとりあえずシャワーを浴びさせる事にした。 全身血まみれの涙まみれでもう見られたものじゃなかったから。
それも、ボクが『命令』した。 シャワーをさっさと浴びて来い、と。 イリアは驚くほど素直にそれに従って、併設されたシャワー室に入っていった。
ベッドの上で頭を抱えるボクの心の中にあったのは、理解できないもやもやしたドス黒い感情。
苦しくて、全然楽しくなくて。 ああ、なんだこれ。 なんなんだこの状況。 そんなことばかり、頭の中を駆け巡り―――。
「ごめん・・・ありがと、リイド・・・・・・」
シャワー室から出てきたイリアが浮かない表情で笑顔を浮かべながらボクの隣に座る。
溜息以外、出てきそうになかった。 言われなくてもわかってる。 今ボクがやっていることは、紛れもなく間違っている事だ。
「あたし、どうすればいいのかな・・・・・・? どうすれば、いいんだろう・・・? どう、しよう・・・」
何度も繰り返したその言葉。 彼女の精神状態はどう考えても普通じゃなかった。
ブツブツとうわごとのようにそんな言葉を何度も繰り返し、すがるような目つきでボクを見つめる。
だからボクは、歯を食いしばって、本当に嫌なのに、嫌だけど、彼女の頬を軽く打った。
元々傷ついていたのかもしれない。 さっきボクが殴ってしまったからかもしれない。 イリアは口元から薄っすらと血を流しながら、心底安心したように微笑んだ。
「出撃するよ、イリア・・・あんたはボクの後ろでイカロスの制御をする・・・ボクはイカロスを動かして、ホルスを倒す・・・いいね?」
「うん・・・・・・わかった。 あたし、上手にやるから・・・ほんと、ごめん―――」
思いっきり食いしばった奥歯が折れてしまうんじゃないかと思った。
「謝るなよ・・・・・・っ」
拳を思いっきり握り締めて、表情を隠す為に俯いた。
「ただ、ボクが・・・勝手に命令してるだけだろ・・・っ」
何かが、決定的に食い違ってしまった。
それまでのボクらと、今のボクらとでは、もう何かが決定的に違ってしまっている。
イリアは弱弱しい力でボクのシャツの裾を掴みながら前を歩くボクに続き、廊下を歩いていた。
目の焦点はあっていなくて、どこを見ているのか、何を考えているのかもよくわからない。
イリアは。
コロコロ表情を変える、明るい女の子だった。
でも本当は弱弱しくて、いつでも辛くて、怖くて。 逃げ出したい気持ちを抑えて必死で戦っていた。
自分自身の犯したかつての過ちを正したくて。 でも、それと向き合うのが怖くて仕方がなくて。
そんな不安定でアンバランスな自分自身と正直に向き合って、一生懸命に生きている女の子だった。
『『そんなこと』じゃないのよ! レーヴァの力は不用意に人前で使っていいものじゃないの! それをあんな軽々しく放つなんて・・・どういうつもり!?』
本気でボクを叱ってくれた。
『情けないから泣くんじゃない。 別にもう怒ってないし誰もあんたのことなんか責めやしないわよ』
不器用な笑顔で、ボクに手を差し伸べてくれた。
『正直に言うとね? 今でもイカロスに乗るの・・・怖いんだ』
それでも、彼女は強く在る為に戦っていた。
『まぁ、カイトの反応を見ればわかるでしょ・・・? あ り え な い ・・・・そうだから!』
ふてくされたり。
『そ、そう? へ、へぇ〜・・・カイトとあたしがお似合いね・・・ふうん・・・リイド、このフライドチキン食べる?』
浮かれたり。
『そう。 だってあたしは、あの人を乗り越えない限り・・・・一生飛べないままだもの』
自分の弱さと正直に向き合って、そこから逃げる事は絶対にしなかった。
『あたしは負けないよ・・・負けないから・・・勝ち続けるから・・・・だから要らないなんて言わないでよ・・・』
本当は弱くて、怖くて。 いつもいつも逃げ出したいのに。 誰かに不必要とされる事を恐れていたのに。
『空も飛べなくて何がレーヴァテインよ! あたし、誰かの力を借りなきゃまともに出撃も出来ないのなんてもう嫌なのっ!! 乗り越えたいのよ! 自分自身の弱さを! お願いヴェクター・・・お願いしますっ!!』
そんな自分が大嫌いで。
『だからあたしは仲間を見捨てない・・・何があっても必ず救って見せる。 それはあんたでも同じ。 あたしは全てを諦めない』
だからこそ、誰かのために一生懸命で。
『多分似たもの同士だから、でしょ・・・?』
そんな彼女の事が、気づけば大好きになっていたんだ。
でも、イリアは今魂の抜けた人形みたいな足取りで、弱弱しくボクの後についてくるだけで。
彼女はもう壊れてしまっていて、誰かに命令してもわらなきゃ動けないくらい、本当に何も考えられなくなっていて。
きっと悲しくて辛くて怖くて痛くて、それがあんまり酷かったから、自分自身を壊してしまったんだと思う。
でも、そんな彼女の姿を見て居たくなくて。 それを見ているだけで、辛くて仕方がなくて。
だからボクは結局自分自身のために、彼女を無理矢理戦場に引っ張り出すんだ。
なんて自分勝手で、情けない・・・。
ボクは、自分が出撃してホルスと戦いますと、ヴェクターに伝えた。
無論彼は反対した。 イリアをつれてなんてなおさらだ。 彼女はとても戦えるような状態ではなかった。
でも、今倒さなくちゃイリアは一生このままだと思った。 だから、本当にチャンスは今しかない。
いつまた現れるかわからないホルスを待って、その間こんなイリアを見続けるのは嫌だったから。
許可がもらえなくても出撃すると言い切った。 命令違反とイリアと・・・そんなの秤にかけるまでもなかった。
許可は渋々下りた。 ボクはイリアの手を引いて、ボロボロの彼女を引っ張って格納庫に走った。
格納庫ではエアリオが待っていて、何も言わずにボクはその隣を通り過ぎた。
コックピットに乗り込んでもすぐにはレーヴァは動かせなくて、ボクはそこで少し泣いた。
少しだけ、数分間だけ、泣いた。 声を出さないように静かに泣いた。
こんな辛い戦いなら、最初からやりたくなんてなかった。
こんなに悲しくなるなら、最初から友達になんかならなければよかった。
こんなに胸が苦しいなら、彼女の事を好きにならなければよかった・・・。
「あたし、駄目だね」
イリアは静かに呟く。
「駄目なんだ、あたし・・・ホントいやになるくらい弱くて・・・自分ひとりじゃ立ってる事も出来ないくらい、情けないくらい駄目で・・・」
前髪の間から覗く紅い瞳を揺らしながら、ボクを見ていた。
「リイドが居てくれなかったら、ずっとあのままだったかもしれない」
だから、ありがとう。
彼女はそう言うけれど、そんなのは違うんだ。
お礼を言われるようなことは何一つしてないんだ。
ボクはただ自分の為だけに、自分を守る為だけに、ここにいるんだ。
「ごめんなさい・・・あたし・・・偉そうな事言っておいて何も出来なかった・・・あんたに最低なんて言う資格―――ないよね」
なのに、彼女は謝るんだ。
それを聞いていたくなかった。 だってそうだろ? 彼女はボクを叱る存在でなくちゃいけないんだ。
そうじゃなきゃ、元通りになれないじゃないか。 また、ユーテリアに遊びにいけないじゃないか。
四人揃って、笑えないじゃないか―――。
「お前は駄目なやつだって叱ってよ、リイド・・・お前は最低だって罵ってよ・・・死んでしまったほうが良いって、滅茶苦茶に傷つけてよ・・・っ」
彼女は優しかったから。
自分を許せなくて。 誰かに許してもらっても、それを受け入れられなくて。
だから、最低だって言って欲しかった。 それはきっと、ボクも・・・・そうだ。
ボクもきっと彼女と同じだ。 ボクたちはきっと同じだったんだ。
ボクもまた、きっと、今もそうだ。 自分を許せない・・・だったらせめて、誰かに傷つけられた方が、よっぽどラクだって気持ち、わかるから・・・。
「ああ・・・あんた、最低だよ」
抱き寄せて唇を奪った。
長い間そうしていた気がする。
彼女が好きなのは、ボクなんかじゃないはずだった。
だからこれでいい。 好かれていないボクだからこそ、きっと彼女にとって最高の、最悪になるはずだから。
ゆっくりと唇を離す。 柔らかくて温かい感触に溺れてしまいそうになるけれど、彼女が求めているのはボクではない。
誰だっていいんだ。 自分を叱って、最悪だって罵って、無理矢理鞭打ってレーヴァに乗せてくれる存在であれば、なんでも。
だからボクは泣きたくなる。 ボクは彼女が好きなのに、彼女が求めているのはボクなんかじゃない。
そう、だから、ボクは―――。
「・・・死んでしまえよ、イリア」
今出来る最高の笑顔で、彼女にそう告げた。
ヴァルハラ上空では既に戦闘が開始されていた。
ゆっくりと降下を続けるホルスは、今度こそレーヴァテインを見逃すつもりはなかった。
ここで叩き潰すのはレーヴァだけではない。 そこに住まう命全てを消滅させんと、ホルスは降下していく。
防衛用プレートから放たれる無数の火器弾薬の雨は、しかし第一神話級には全く通用しない。
煙幕の中から放たれる無数の炎の刃はプレートを一撃で炎上させ、融解させていく。
紅い炎の海に照らされながら、降下を続けるホルス。 既にいくつものプレートを蒸発させ、直に居住プレートにまで迫るであろうと、その時だった。
一陣の炎が、太陽の神へと激突する。
プレート中央部に近づいていたホルス。 その身体を掴み上げたのは、エレベータの壁から飛び出してきたイカロスの腕だった。
イカロスは強引にホルスを拿捕し、何枚ものプレートへ叩きつけながら音速で宇宙へ向かって突き進んでいく。
「それ以上、下に行かせてたまるかよおおおおおーーーーッ!!」
少年が叫び、イカロスの全身から炎が噴出し、二つの燃焼体はカタパルトによって宇宙に投擲された。
重力の支配領域を逃れ、漆黒の闇の中へホルスを投げ飛ばしたイカロスの腕は無茶な動作により既にボロボロだった。
じくじくと、溶け出す装甲は赤熱し無重力空間をゆっくりと漂っている。
その痛みを感じながら、イリアは静かに自分の胸に手を当てる。
恐怖はなかった。 痛みは確かにある。 その痛みが、自分にとって、恐怖に打ち勝つ何かになる。
ホルスは円柱型の突撃形態から人型へ一瞬で変化し、胴体部分から炎のフォゾンで構築された刃を打ち出す。
無数のそれらは光速でイカロスに向かい、そして空中で燃え尽きた。
「これ以上―――」
少年は虚空に手を伸ばし、
「イリアに触るなあああああああああああああーーーーーーッッ!!!」
叫びと同時に、攻撃を全て弾き飛ばす。
それはありえない出来事だった。 レーヴァテインの間接各部が輝き、生命の存在しない死の闇の中で尚、その咆哮は全てを振るわせる。
その場にある命全てを恐怖させる神の叫び。 気づけば当たり前のように、イカロスの背中には翼があった。
燃え盛る紅蓮の翼は、イリアの意思とは無関係に、制限できない程の力で、強く、強く、羽ばたいている。
イカロスに、防護障壁など存在していない。
全身を覆うほどの燃え盛る炎は、攻撃の為の炎。
だというのに、第一神話級の攻撃を・・・全く物ともしない。
全て触れる前に消滅され、光の粒となって消えていく。
光の粒となったフォゾンは、見る見る内にイカロスへと吸収され・・・・。
そう、それはフォゾンの搾取だった。 レーヴァテインも、神に違いはない。 だから、命を吸い込んで、力に変える。
かつてアルテミスはそのフィゾン吸収能力で遠距離攻撃を無力化していた。
理屈はそれと全く同じ。 ただ、再現できるだけの機能も能力も、イカロスには存在して居ないという決定的な差があった。
「・・・・・・・開放値・・・四十六%・・・」
本部で様子を伺っていたユカリが呟いた言葉はその場に居た誰もを驚愕させた。
神々しい光を放ちながら燃え盛る翼を広げるその姿は、正に神話にでも登場しそうな神の姿そのもの。
見ているだけで、じりじりと伝わってくる強烈な敵意と威圧感の全てはホルスに向けられており・・・そのプレッシャーは計り知れないだろう。
「すばらしい・・・! これがレーヴァテインの半分近い能力!」
「おいっ! シンクロはどうなってる!?」
「し、シンクロ率0%・・・イリアとは全くシンクロしていません!」
「おいおいおい・・・じゃあなんだ・・・?」
苦笑いしながら、生唾を飲み込むルドルフ。
映像に浮かび上がる壮絶な姿は、
「リイドが一人で引き出してるっていうのかよ・・・?」
それが地上での戦いであったならば、周囲には相当な被害が出た事だろう。
宇宙空間だからこそ、フォゾンがほぼ全く存在しない空間だからこそ、イカロスはこの程度の力しか出せずに居る。
それでも十分に第一神話級を圧倒するだけの出力・・・いや、出力だのなんだのと、そんなことは最早無意味だと言えるだろう。
少年が心底抱く、絶望的なまでに研ぎ澄まされた殺意は・・・最早ホルスを細切れにしない限り、収まる気配すらない―――。
「・・・・・・・神様にはわからないんだろうな・・・人間の感情って物が・・・」
俯きながら操縦桿をきつく握り締める。
「みんな一生懸命に生きてんだよ・・・それを・・・それを、平然と壊す権利がお前たちのどこにある・・・ッ」
接近するホルスの速さは光そのもの。 瞬時に目前に迫り、鋭く尖った腕でイカロスの胸を穿つ。
しかしそれは受け止められていた。 片手でその刃を握り締めたイカロスは、手すら傷つける事無く・・・無慈悲にそれを握り潰す。
宇宙空間に声は響かない。 だというのに、聴こえてくる神の悲鳴・・・漂う大量の鮮血。 少年は、許さない。
「答えろォッ!! 一体何の権利があってッ!!」
腕を、引きちぎり。
「一体、何の為にィッ!!」
足を、引きちぎり。
「奪うんだ! 人の気持ちを! 返せよッ! 返せよぉッッ!!!」
思い切り振り上げた拳は、技でもなければ武器でもない。
ただただ単純な拳。 少年が始めて振り上げる、自分自身の敵意による、シンプルな暴力。
「イリアを、返せよおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーッ!!!」
ごしゃっ。
拳はあっさりと胴体を貫通し、四肢をもぎ取られたホルスは逃げるように地球へ向かって降下していく。
イカロスはそれを許さなかった。 瞬時に追いつくと、片腕で頭を掴み、胴体部分にあるコア目掛けて何度も拳を振り下ろした。
抵抗する腕すらないホルスは悲鳴を上げながらイカロスと共に地上に落ちていく。
「この! この! このおおおおお!」
それが、神の怒りに触れる事になった。
ホルスは最早消滅するだろう。 しかし、彼は、『決して好戦的な神などではなかった』。
だから、本気でイカロスを潰すつもりもなければ、人を傷つけるつもりもなかった。
ホルスは、太陽の名を持つ神は、ほうっておきさえすれば人に危害を加えるような神ではなかったのだ。
だというのに人間は、イリアは、リイドは、彼を執拗に攻撃し、今まさに命を奪おうとしている。
そうなってようやく、ホルスは怒り狂った。
全身から吹き出る炎は一瞬で四肢を再生させ、地上が近づくにつれ、曖昧な人型のシルエットのようだった形状から、明らかに・・・レーヴァテインのような機械型に変化しようとしていた。
「何なのあの姿・・・あれが本当に神なの・・・?」
「ユカリ、解析を急いでください! すばらしいですよこれは! すばらしい結果ですよっ!!」
狂喜する本部のヴェクター。 それも仕方のない事だった。 神は所詮、光で象られた何かのような形状でしかなかった。
今まではそう。 しかしホルスは、明らかに指向性を持つ形状へ・・・機械のような形状へ、変化しようとしていたのだから。
伸びた炎の腕はイカロスの腕を握り潰し、あれほど強固だった結界を貫通してイリアに痛みを与える。
右腕でイカロスの腕を。 左腕でイカロスの頭を掴み上げたホルスは、燃え盛る腕でぎりぎりとイカロスを締め上げる。
「何でまだ生きてんだよ・・・! さっさと死ねよ! 死ねよっ!! 死ねよおおおおっ!!!」
地球へと落ちていく。 大気圏の熱の中、蒼い星の光に照らされながら二機は交差する。
つかみ合ったまま、しがみ付いたまま、イカロスはホルスのコアを叩き続け、ホルスはイカロスの腕と頭を焼き続ける。
「っつ・・・ああああああっ!!」
イリアの悲鳴と同時に左腕の人工筋肉と骨格が音をたててめきめきと折れ、血を噴出しながらあらん方向へと拉げていく。
その激痛は直接イリアを襲い、自らの左腕を押さえつけながら狂ったようにその場で叫び続ける。
そんな声を聞くたびに、不安になる。 イリアが壊れてしまうと、これ以上壊したくないと、傷つけたくないと、少年も半狂乱になって拳を振り上げ続けた。
「何なんだよおおおお! さっさと死ねよおおおっ!! なんで砕けないんだよこのコア! なんでなんだよっ!! くそおおおおおっ!!」
一撃で神を倒すような力強い拳でも、コアは砕けなかった。
何度も何度も叩き、自分達が落ちている事も忘れながら、二機は炎の帯を残しながら、ただただ堕ちて行く―――。
「リ・・・イ・・・・・・ド・・・」
「イリア、ごめん・・・さっさとこいつ倒すから・・・もう少しだけ我慢してて・・・くそ・・・ごめん・・・っ」
必死で拳を振るうリイド。 その背中にゆっくりと近づいて、イリアは背後から不安に狩られる少年を抱きしめた。
だから、手が止まってしまう。 そんなことされたら、戦いに集中できなくなる。
消えてしまいそうな背中の温もりが、壊れてしまった彼女の感触が、堪らなく、悲しくて・・・。
「あたしのことは気にせずやりなさい、リイド・・・」
声に、振り返る。
痛みに堪えながら、小さく笑うその姿は、少年が知るあの少女の姿だったから。
嬉しくて、堪らなくなる。
「今更になってかよ・・・」
俯いて、焼け焦げるコックピットの中。 鳴り響く警報の中。
「こんな状況になってかよ・・・」
笑いながら、涙を流しながら。
「負けっぱなしは口惜しいよな・・・イリア・・・・・・・」
「うん・・・だから・・・・・・リイド」
シンクロして。
少女の唇は最後の願いを告げ、そして少年は心を重ねた。
今だから判るその心の温かさ。 流れ込んでくる感情は恐怖や痛みだけではない。
彼女はずっと戦っていた。 自分の弱さや悲しみと。 長い間、それと戦い続けてきた。
不器用で素直になれなくて、『彼』に好きだと告げる事も出来なかったイリアの心を、
リイドは理解した。 彼女がどんな人間であり、どんな人生を歩み、どんな心を持っていたのか。
それは心地よい感覚だった。 自分ではない誰か・・・しかし自分が心を許す人と一つになれるということ。
恍惚の感情の中、ゆっくりと、目を覚ます―――。
「前を向きなさい。そして・・・あたしたちのその手が砕く敵を、見届けなさい―――」
震える空。
叩きつける力強い拳は、コアに傷を刻んでいく。
「「 うぅぉおおおおおおお〜〜〜〜ッ!! 」」
ばき、めき、ごしゃ。
コアにめり込んでいく拳。 ホルスは悲鳴を上げながら、手の平から刃を引き出し、鋭いそれはイカロスをあっさりと貫通した。
「ぎっ―――!?」
それは両手の平から、それぞれイカロスの胴体と、イカロスの右顔面を貫通していた。
噴出す血液。 コックピット内のイリアは自らの右目を押さえながら、耐え切れないような激痛の嵐の中、はっきりとした口調で告げた。
「・・・・・・・・たおして・・・りいど・・・」
だから、炎の翼は羽ばたいて。
「お願い・・・・・・・・」
鋭い神の拳は、神の心臓を穿たんと。
「壊して―――」
鋭く、振り下ろされる―――!!
例えば、朝焼けの中で見る夢のように。
朝霧の中、寝ぼけた目を擦りながらようやく目を覚ますように。
少女は最早自我さえ確立しない曖昧な自己認識の中、止まった時間の中で目を凝らす。
瞳は既に潰れ、心臓は刃で貫かれている。
それでも、目の前で必死で戦う少年の姿を見て、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
だって、そうだ。
この子は、本当は自分が守ってあげなきゃいけない後輩君で。
ああ、なのにあたしはその子に守られて、その子のお陰でここにいるなんて。
自らが犯してしまった罪は消えないけれど、それでも、幸せなんだ。
こうして一緒に無茶をしてくれた仲間がいた。
ひどい事、つらい事、いっぱいさせて、ごめんね。
これが終わったら、ちゃんと謝るからね。
ああ、そうだ。 これが終わったら、もっとちゃんとしよう。
もっとちゃんと生きて、もっとちゃんと、弱さと向き合って。
それで、カイトに好きだって伝えよう。
そうしたらどんなに素敵だろう。 明日は輝いていて、どこまでも素晴らしくて。
澄み渡った青空の下、あたしたちは四人並んで・・・・・・ああ、またいつかきっと、そう・・・。
あの日のように、大切な思い出をいくつも抱えて、生きていけるはずだから。
「砕けろぉおおおおおおッ!!!」
リイド―――。
ごめんね―――。
宛ら、二つの影は太陽だった。
夜の闇を切り裂いて、堕ちていく二つの太陽。
紅い光を撒き散らしながら、塔に住む誰もにその存在を証明していた。
振り下ろしたイカロスの拳はホルスのコアを砕き、光へ還って行くその神を突き抜けて、イカロスは堕ちていく。
燃え盛る炎はやがて折れ、力を失って墜落していく惨めな姿で、海に向かって。
このまま海面に叩きつけられれば、神話のように命を失うのだろうか。
少年はそんな事を考えながら、朦朧とする意識の中、ゆっくりと目を開く。
逆さまになった世界の中、目の前には片目から血を流している少女の姿があった。
彼女は何もいわない。 ただ感謝を伝えるように、リイドの手を力なく握り締め、消えてしまいそうな笑顔で笑っていた。
最後に彼女はリイドの唇に自らの唇を重ね、
その口付けは、血の味がした。
格納庫で少年は膝を抱えていた。
担架で運ばれていく少女の手からはぽたぽたと血が零れ落ち、格納庫に血の跡を残していく。
少年もまた傷だらけだったが、手当てをする気にはとてもなれそうになかった。
「うっ・・・・ううっ・・・っく・・・ふぐっ・・・」
もう、我慢できそうにもなかった。
涙を流し、歯を食いしばると奥歯からは血の味がした。
少年の前にはエアリオが立っていた。 エアリオはそんな少年を見下ろしながら、声をかけられないで居た。
手と手を組み、指を絡めながら、何度も声をかけようと、慰めようとするのだけれど、上手い言葉が見つからなかった。
だから隣に座って、少年と同じように膝を抱える。 触れそうで触れない二人の肩は、その距離感を表しているようで。
「リイドは・・・・・・よくやったと思う」
そんな言葉しか言えない自分がもどかしく、少女もまた静かに目を伏せた。
「イリア・アークライト・・・並びに、カイト・フラクトル両名のジェネシス戸籍を取り消し、レーヴァテインプロジェクトから抹消」
司令部ではユカリがそう呟きながら、端末を操作していた。
そこにあったイリアとカイトの個人情報は抹消され・・・それはもう、二人がレーヴァに乗れない事を示していた。
ユカリは何とも言えない、神妙な面持ちだった。 それは当然の事で、今まで長い間カイトとイリアを見守ってきたオペレーターとしては、この状況が本当に口惜しくてならないのだ。
ただそれを顔に出さないのは、単純に彼女が大人であり・・・今まで多くの生死と向き合ってきたからに他ならない。
立ち上がって振り返ると、そこにはアルバの姿があった。 先ほどまでイリアの様子を伺っていた男は、力なく首を横に振る。
「イリアは、ひどいことになってる。 相当なダメージを受けたんだろう、神経がズタズタで、脳もまともに機能しないだろうね・・・」
「・・・どう、なるんですか?」
「よくて植物人間・・・最悪、緩やかに死んでいくだけ、だ」
その二つに明確な差などあるのだろうか?
死への速度が違えど、あの明るかった少女が二度と笑ってくれないという事実にはなんら変わりはない。
また一人、何の罪もない子供がレーヴァテインのせいでその将来を失ったという事実に、大人たちはやりきれない気持ちで一杯だった。
「カイト君は・・・?」
「彼は一応無事だよ。 一命は取りとめたけど、もうレーヴァテインに乗るとかどうとかそういう状態じゃない」
「・・・それじゃあ・・・レーヴァのパイロットは・・・もう、たった二人だけになってしまったんですね・・・」
「これからもリイド君は戦ってくれるだろうかね・・・」
アルバは煙草を咥え、使い捨てライターで火をつける。
「もう、彼も・・・・・・駄目かもしれないね」
「はい、そうです。 カイト・フラクトルもイリア・アークライトも使い物になりそうもありません」
司令部の最上部、アルバとユカリの二人を見下ろしながらヴェクターは頬を緩ませていた。
手にした携帯電話の向こうの相手にもその浮かれ具合は伝わったのだろう。 男はその質問に笑顔で答える。
「開放値四十%越えですよ? それだけの力を引き出すきっかけにパイロット二人なら、まあ等価でしょうしねえ」
既に今回の件は男の頭の中にはなかった。 既に男の思考は次の段階に進んでいる。
「あなたの気が乗らないのもわかりますが、そろそろ三人目を使うべきかと・・・ええ、まあその辺りはお任せを」
通話が終了する。
男はポケットに電話を突っ込んで、端末から格納庫で蹲るリイドの映像を見つめる。
「さあ、もっともっと強くなってもらいますよ・・・我らが救世主様」
薄気味悪い、笑顔を浮かべながら。
そうしてその日、少年は大切な何かを失った。
〜普通のあとがきコーナー〜
第19部、作中では五話である『翼よ、さようなら』まで読んで頂きありがとうございます。
現在朝の四時半です。 眠いです。 眠すぎてもうなんか誤字とかいろいろあるんだろうなあとか思いながら(3)の執筆を終えたところです。
明日は休みなので全力で寝たいと思います。 さてそんなわけで、あとがきです。
えー・・・・あとがき。 別になんも思いつきません。 えー・・・。
あ、とりあえず五話で一区切りです。 これから先は第二部的な、ちょっと変わった展開になっていきます。
今までの部分はまあなんかプロローグ的なものでようやく本編というか。 主人公自身の戦いが始まるのはここからかな、と思ってます。
全体の話が非常に長い構想なので、現時点で全然なんも進んでなかったりするのです。
話が急展開すぎるなあと自分でも思うのですが、これ以上日常シーンとかだらだら入れても長くなるだけでうっとうしいかなあという思いとさっさと本編入ろうという気持ちがあるため、こんな形で一区切りとさせていただきました。
ひとまずはここまで読んで頂いた方々にべりーべりー感謝の念を。
・・・・・・・・。
届きましたか?
さて、次からはちょっと主人公リイド君の心境が変化していくと思います。
自分勝手で子供っぽいリイド君も、先輩達の闘いを乗り越えるため自分自身が戦う目的、理由を捜し求めて苦悩していきます。
この話はまあロボットとか戦ったりなんなりありますが、ボクは一番メインに置いているのは主人公がいかに変わっていくかということだったりします。
リイド君は現時点ではウザったい・・・いや、最初に比べればまだましになりましたが、かなり性格悪い子です。 でも最近ってこういう子結構いますよね。
子供っぽくて我侭で自分勝手で。 それが通って当然だと思う。 守られていて当たり前みたいな時代、ボクにだってありました。
そういう見苦しいくらい、痛々しいくらい自分を信じていられる間は幸せだったと思うんです。
でも変わっていく世界の中で変わらないわけには行かない自分がいて、そうしたものを見つけたとき過去の過ちを気づき、変わる事が出来るんだと思います。
無論ロボットは好きなんですが、リイド君を見捨てないでやってほしいと思います。
こんないやな主人公が果たして受け入れられるのか些か疑問ではあります。 というか今でも『こんな作品連載してていいのかなあ・・・』と思う事は多々あります。
でもできれば、気が向いたらでいいのでもう少しだけリイド君にお付き合いいただければと思います。
ここまで読んでくれた方になら、それくらいお願いしちゃっても怒られませんよね?
あ、怒った人は・・・なんか低い評価でもつければいいと思います。 ていうか評価してください。
登場人物は殆ど子供で、十代前半で、未完成で。
そうした子供が強くあるためにどうしていくのか、そんなところを見ていただけたら幸いです。
そしてむかつく登場人物たちのじれったい成長を応援していただけたら、作者名利に尽きるわけですが、そんな都合よくいくわけねええええええっ!!!
これからも頑張りますので何卒、何卒! 見捨てないでやってくださいね。
ではでは、眠すぎる明け方の意味不明なテンションでお送りしました。