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神話、狩る者たち(3)

お兄ちゃん登場です。


「いやぁ、お久しぶりですねえ〜・・・スヴィア君」


ジェネシス本部、アーティフェクタ専用格納庫。

広大な広さを持つその場所にスーツ姿の男の姿が二つ。

片方は陽気な笑顔を。 片方はぶっきらぼうな鋭い視線を向け、対峙する。


「お久しぶりです、ヴェクター」


「君がジェネシスを抜けて以来ですから・・・まだ一年・・・いや、もう一年、ですかね」


「時は待たない。 ならば僅かな期間であれ、それは過ぎ去ったものとして同義でしょう」


「相変わらず後ろ向きな発想ですねえ〜・・・ま、いいでしょう。 それはお互い様ですしね」


格納庫には二つのアーティフェクタが並んでいた。 一つはレーヴァテイン。 そしてもう一つは、レーヴァテインと全く同じ外見を持つガルヴァテイン。

二つの違いといえば基本素体のカラーリング程度だろう。 無論細かい差異はあれど、白いか黒いか・・・その程度の差しか存在しない。

アーティフェクタの性能を決定するのは干渉者が構成する機体装甲にあるのだから素体が似ていようが似て居まいが関係などないが、その二機は筆舌に尽くしがたい何かが似通っているように見えた。

ガルヴァテインを背にポケットに手を突っ込んだままのスヴィアの影から覗く小さな顔が一つ。

褐色の少女、エンリルはスヴィアの影に隠れたまま一向にヴェクターに挨拶する様子はない。


「なるほど、彼女が今の貴方の適合者と・・・そういうことですか」


「エンリル・ウィリオ・・・とでも名乗りましょうか。 何はともあれ、優秀な干渉者ですよ」


「ふむ、なるほどなるほど・・・・それはともかく、そろそろお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「何を?」


「理由ですよ。 ジェネシスから離反し、同盟軍に参加したあなたが今更何の目的でジェネシスに戻ってきたのですか?」


スヴェンは特に表情も変えず、ガルヴァテインと並ぶレーヴァテインを見上げる。

何かを懐かしむように・・・いや、彼は実際にそれを懐かしんでいた。 それは特別おかしなことではない。


何故なら。


「弟に会いに来た・・・・という理由では不足ですか」


「まぁ、不足と言うこともありませんがね。 あなたが彼の事を気にするのは至極当然の事ですし」


何故なら。


「それに、後輩がどれほど育ったのか・・・・確認したくもある」


何故なら、彼こそはかつてのジェネシスエースパイロット。


「色々と、手を焼いているでしょうから」


スヴィア・レンブラムなのだから。




⇒神話、狩る者たち(3)




「・・・・旧アジア大陸奪還作戦・・・?」


ジェネシス本部に存在するブリーフィングルームに呼び出されたリイドはその作戦名を復唱した。

ブリーフィングルームにはイリア、カイト、エアリオの姿もある。 説明をしているのはヴェクターで、その傍らにはユカリが待機していた。

急遽呼び出しに続き、唐突な作戦内容に四人は戸惑いを隠せない。 それはヴェクターも同じなのか、困ったように苦笑を浮かべていた。


「現在アジア方面は殆どが敵に侵略されている状況にあるのはご存知ですか?」


ユカリが地図を広げる。 アジア大陸の殆どの場所が真っ赤に染め上げられていた。


「赤くなっているところが侵略されている地区ですね」


殆どがそうだったので四人とも特に何も言わなかった。 なんといえばいいのかわからなかったのかもしれない。

こうして図で表さなければ自分達の星がどんな状況にあるのかすらわからなかったのだから。


「人類防衛同盟軍はご存知ですか?」


「ええ、まあ」


人類防衛同盟軍、通称『同盟軍』。

地球に存在する人類により構成される大規模な同盟軍隊であり、対天使、神の戦闘、および掃討を目的とする軍事勢力である。

そんなものが存在するのはごく自然な流れであり、地球人類が敵に対抗する為に抗い続ける為の軍隊が同盟軍であった。

規模は世界各国からの同盟参加国家による軍事力の総合・・・いわば世界中の戦力が集う現存する軍事勢力では最高峰と呼べるものであろう。

ジェネシスは民間企業であり、あくまでも軍隊ではない。 自らが経営する都市であるヴァルハラを防衛する戦力として軍事力を所持してはいるが、厳密に軍隊とは言えないだろう。

仮にレーヴァテインを所持するジェネシスが軍隊であったとしても、その総合戦力は同盟軍には劣る。


「同盟軍が数日後に実行する旧アジア大陸奪還作戦の第一陣の補給、中継地点としてヴァルハラをご利用いただく事になりまして」


ジェネシスは上記したように民間企業である。 それも『金になりさえすればなんでもする』のがジェネシスという企業だ。

軍隊に対する補給物資、スペースの提供なども金になるのであればいくらでも行う。 それが街を危険にさらす事になろうとも。


「既に第一陣の先行部隊が本部の格納ブロックにて整備行動中です」


「ってことは、あたしたちもそのアジア大陸奪還作戦に加われって事?」


「いえ、違います。 レーヴァテインに大陸を取り戻してもらうほど向こうはお金を出す余裕がないそうで。 よって作戦行動そのものには参加しません」


では何故呼び出されたのか? 当然四人の疑問はそこへ向けられる。

ヴェクターはすぐにモニターの映像を切り替える。 そこには先ほどの地図の上に矢印のマーカーが記されていた。


「これは同盟軍が旧アジア大陸へ進軍するルートです。 台湾、香港を経由してベトナム方向へ進軍します。 ジェネシスに立ち寄るのは北米大陸から遠征してきている部隊になるわけですが、その進路上には実はいくつかの問題が存在するのです」


「旧フィリピン領北部に存在する『ヘヴンスゲート』の索敵範囲に艦隊が引っかかる可能性があるの」


ユカリは地図を拡大し、フィリピン北部を映し出す。 そこには『HEAVENS GATE』と記されたポインタが赤く点滅している。


「ヘヴンスゲートはいわば天使の一つの拠点。 彼らは地上の一地区を制圧し終わると、そこに月と直通する転移ゲートを作り出すの。 それが超時空転移光通路ヘヴンスゲート


「え・・・・天使って、上から来るだけじゃなかったんですか!?」


「大気圏外からやってくるのは新しいヘヴンスゲートを設置する為の先遣隊。 地上に被害を与えている敵の殆どはヘヴンスゲートから出現する増援なのよ」


「先ほども言いましたが、レーヴァは今回の作戦には参加しません。 しかし、同時に別の作戦を依頼として同盟軍から頂戴する事になりましてね」


「まさか・・・・・」


四人の脳裏に嫌な想像が過ぎる。 無論、そうなのだろう。 その通りなのだろう。 他にやることなど、ないのだから。

パイロットたちの何とも言えない表情を眺めながら、ヴェクターは頬をぽりぽり掻き言った。


「今回の任務は旧フィリピン領ヘヴンスゲートの破壊です」


やっぱり・・・という表情を四人同時に浮かべる。

月と地球を結ぶ天使の転移ゲート。 それを破壊するのが非常に困難なのかは火を見るよりも明らかだ。


「それでは作戦内容の説明に入ります・・・とは言え、やる事は一つなのですが」


台湾へ向かう北米大陸からの同盟軍が移動を開始すると同時にレーヴァテインもフィリピン北部へ向かって出撃。

同盟軍が台湾へ移動する中、囮を兼ねてヘヴンスゲートへ攻撃を開始。 その後、ヘヴンスゲートを破壊しヴァルハラに帰還する。


「まぁもはや何がきてもボクは驚きませんけどね・・・」


「その息でお願いしますよ。 作戦開始まではまだ時間がありますから、ゆっくり休んでくださいね。 それでは忙しいのでここいらで失礼〜」


ヴェクターは資料を抱えてそのままブリーフィングルームを飛び出していった。 余程忙しかったのだろう、思えば早口だった気もする。

続いて去っていくユカリを見送り四人は溜息をついた。


「さっきの様子を見る限り、カイトもヘヴンスゲート攻略はした事無いみたいだね・・・」


「ああ。 ヘヴンスゲートの存在は知ってたが、俺たち自らヘヴンスゲートに攻撃を仕掛けた経験はない」


「旧フィリピンゲートって言えば結構大規模なゲートだって有名よ? レーヴァ一機で落とせるのかしら」


その辺りは行って見なければわからないわけで、リイドは余り考えないようにすることにした。

どちらにせよレーヴァに乗り続ける限りは倒さねばならないわけで、逃げるなんて選択肢は最初からない。

そしてまた、この間のように仲間を・・・パートナーを傷つける結果にしない為にも・・・せめて意思だけは強くあるべきだと思うから。


「とりあえず食事にしようかな・・・放課後でおなかすいたし」


席を立つリイドに続き、三人もブリーフィングルームを後にした。

そうして廊下に出たリイドはポケットに手を突っ込んだまま歩いていく。

しかし、数時間後にはヘヴンスゲートに出撃せねばならない以上、緊張するなと言うほうが無理な話だった。

今までのリイドなら緊張などしなかっただろう。 レーヴァでの戦いなどお遊び程度にしか考えて居なかったからだ。

だが今は違う。 レーヴァが傷つけばパートナーが傷つくと分かってしまった以上、そんな態度で作戦に望むわけにはいかない。

そもそもヘヴンスゲートを攻略するのにイカロスで出るのか、マルドゥークで出るのか・・・そこから考えなければならないわけで。


ドン。


そうして考え事をしながら歩いていたせいだろう。 リイドは正面の曲がり角を曲がってくる誰かに気づく事無く、正面からその人物に突っ込んでしまった。

慌てて下がり、背の高いその男を見上げる。


「すいませ・・・ん?」


「構わん・・・・子供がぶつかった程度、痛くも痒くもない」


スーツ姿の男はそう言ってリイドを見下ろし、静かにその場に佇んでいた。

静かな男性だった。 それは彼自身が寡黙であるという事実より、彼が纏っている不思議な雰囲気が原因だと言えるだろう。

リイドと同じ、緩くカーブを描いた黒い前髪の合間から除く紅い瞳。 穏やかで、冷静で、全てを見透かすような落ち着きのある光。 きちんとした身だしなみ。

何もかもが彼の中の静を演出し、落ち着き払った大人の男である事を示していた。


「久しぶりだな、リイド」


「スヴィ・・・・」


「スヴィアっ!!!」


リイドの声を遮り、その名前を大声で叫んだエアリオはリイドを押しのけスヴィアに駆け寄っていく。

そのスーツ姿に満面の笑顔で飛びつくと、スヴィアは無表情にエアリオの頭を撫でていた。

状況が飲み込めないリイドは名前を呼ぼうと開いた口を渋々閉じてから一歩後退し、二人から距離を開く。

背後から駆け寄ってきていたイリアとカイトも驚きの表情を浮かべ、二人の様子を遠巻きに眺めていた。


「スヴィア先輩・・・なんでここにいるんだ」


「・・・・・・・・・・」


イリアはスヴィアの顔を眺め、それから何も言わずに唇を噛み締めた後、逃げるように走り去って行ってしまった。

その後姿を見送りながらリイドは首を傾げる。


「みんな知り合いなの?」


「あ、ああ・・・・知り合いもなにも・・・・」


「久しぶりだなカイト。 相変わらずのようで何よりだ」


腕にしがみ付いているエアリオの髪を指先で梳きながらスヴィアはカイトに歩み寄る。

カイトとしては複雑な心境だった。 嬉しいような、気まずいような・・・しかしやはり嬉しかったのか、照れくさそうな笑顔を浮かべて頷いた。


「先輩も変わらないようで・・・・今日はどうしたんスか?」


「弟に会いに来た」


「弟って?」


「そこに突っ立っているやつだ。 リイド・レンブラム」


カイトの視線がリイドに向けられる。 その先に居るリイドは居心地悪そうに視線を逸らし、頬を指先で掻いていた。


「ん・・・・ってことは・・・リイドの兄貴が・・・スヴィア先輩?」


「そうだよ・・・・さっきからそう言ってるじゃないか」


確かに言われてみると似ている。 似ているのだが、何と言うか二人は違いすぎて兄弟のようにはみえなかった。

きょとんとしているカイトを押しのけ、リイドが前に出る。 その二人の表情はとてもではないが兄弟の再会のようには見えなかった。

二人とも胸に複雑な想いを抱えているせいであろう。 ともかくこの奇妙な再会はどちらにしてみても急な展開に違いはなかった。


「レーヴァテインの適合者になったそうだな」


「なんであんたがそれを知ってるんだ・・・?」


「それも含め、久しぶりに話さないか。 本社内レストランなら、そう時間もとられまい」


「別にいいけど・・・」


リイドはこの再会に若干の不満があった。 しかし、だからといってそれを望んでいなかったわけではない。

なぜならばリイドにとってスヴィアはやはりかけがえのない兄であり、そして自らが心を許せる数少ない人間だったから。

だというのにこの再会に不満を覚える理由とは何か。

その理由が目の前で兄にじゃれついているエアリオや。

仲間達の過去を知るであろう、兄の存在に対するものであると。

少年は理解出来ないから、正体不明の気持ちのもやに首を傾げていた。


「では行くか・・・・カイトはどうだ?」


「遠慮しとくッスよ。 せっかく久々の再会なんでしょ? 俺はイリアと食いますから」


去っていくカイトだったが、エアリオは相変わらずスヴィアにべったりであり、一向に離れる気配がなかった。

溜息をつきながら踵を返し、スヴィアは『仕方がないからこのままいく』とリイドに促していた。

本社の中にあるレストランへはエレベータですぐに向かう事が出来た。 そこは一度だけエアリオと共に来た事がある店だった。

正面の席にスヴィア。 その隣にエアリオがくっついたまま。 向かいの席にリイドが座り、料理を注文する。

その間もずっとエアリオはスヴィアに寄り添ったまま、幸せそうに表情を和らげて腕にしがみ付いていた。

今のエアリオの視界に自分は全く入っていない。 その事実はリイドにとって少なからず不服だった。 理由は明白だが、少年はそれに気づけない。

妙に喉が渇いている事実に気づきグラスを一気に空にして腕を組んだ。


「それで、どこ行ってたんだよ・・・・? そもそもスヴィアがレーヴァの関係者だったなんて聞いてないよ」


「当然だろう。 私がお前に告げていないのだからな。 あの時のお前には関係のない話だった・・・当然だろう」


「まあね・・・・で、どういうことなの?」


「そうだな・・・・端的に言えば、私は元々レーヴァテインの適合者であり、一年前にジェネシスという組織を抜けた裏切り者だ」


告げる唇に迷いはない。 自らの弟にそれを告げることに何一つ感情も無く実行に移す事が出来る。

無論そこに偽りは無く、嘘はなく、だからそれがただ一つの真実で、リイドはそれを真正面から受け止めねばならない。


「聞いてないよ・・・・あんたがレーヴァの適合者だったなんて・・・」


「当時は私がヘヴンスゲートの攻略も天使の撃退もメインで行っていた。 不自然だとは思わなかったのか? ヘヴンスゲート攻略経験の無いカイトやイリアの事を」


「・・・・・っ」


カイトやイリアしか今までに適合者がいなかったのだとしたら、二人はかなりの実戦経験者ということになる。

事実それには間違いないのであろうが、それにしては二人は幼すぎる上にジェネシスという組織の事についても知らない事が多すぎる。

例えばそれはルドルフの存在であったり、ヘヴンスゲート攻略経験であったり。

しかし全ては別段おかしなことなどではなかったのだ。 カイトしか適合者がいなかったわけじゃない。 そうなったのは最近というだけの話で。


「じゃあ序に聞いておくけど・・・スヴィアがジェネシスを裏切ったっていうのはどういうこと・・・?」


カイトは笑顔でスヴィアを『先輩』と呼んだ。

エアリオはリイドには見せないような心を許した態度でスヴィアに甘えている。

イリアだけはスヴィアを避けているように見えたが、とてもではないが裏切り者への対応とは思えなかった。


「今も敵と戦い続けている事に変わりはない。 ただジェネシスのやり方では世界を救えないと感じただけだ」


「ジェネシスのやり方では世界を救えない・・・・?」


「私は今、同盟軍に居る」


ウェイターが運んで来たコーヒーの入ったマグカップを手に取り、口元に運ぶ。


「同盟軍は全世界で敵と戦う軍隊だ。 だがジェネシスは違う・・・金になることしかしない」


「・・・・・・同盟軍なら世界を救えるって言うのか?」


「いや。 ただ、ジェネシスに居るよりはそれに近づけると思った。 私はいまのところその選択に後悔はしていない」


コーヒーの暗い水面に映りこむ自らの顔を掻き消すように角砂糖を放り込む。

ティースプーンでそれを掻き混ぜながら顔をあげるスヴィアの目に映るリイドは酷く困惑しているように見えた。

それも仕方のないことだと男は理解している。 だからリイドが話し始めるまで気長に待つ事にした。 告げるべきことは既に告げたのだから。

やがてリイドは盛大に溜息をつき、ガラス窓の向こうを眺めながら口を開く。


「じゃあボクは、スヴィアの居た場所にたまたま収まっただけなんだね・・・」


自分は一体、何を喜んでいたのだろう?


力を手に入れた事。 大事な仲間が出来た事。 敵を倒して褒められる事。

何もかも、ただ兄がそうして歩んだ道の後に続いていただけなのだろうか。

エアリオと心を通わせた事も、イリアとの反発も、カイトとの友情も。

そうした全ての、自分が自らの手で始めて掴み取ったと信じていた何かが、ただ後に続いただけの・・・子供の模倣だったのだとしたら。

全てが急に嘘っぽく見えてしまって、なんだか浮かれていたのは自分だけのような気がしてしまって。

なんだか急に嬉しくなくなってしまって、自分自身が間抜けに見えて、気分が悪かった。

エアリオは相変わらずリイドのことなんて見ていない。 だからその事実は徐々に少年の心の中に染み渡り、拭い去れない程になった。

それが寂しいという感情であると、少年はまだ理解出来ない。


それは何故か?


「どうかな・・・・確かに積み重ねてきた時間はお前より余程上だろう。 だが、仕方のないことだ」


カップを呷り、静かに目を細める。


「お前の記憶は、まだたった二年間しか蓄積されていないのだからな」


少年は額に手を当て、静かに眉を潜めた。

リイド・レンブラムという少年の過去は、ほぼ全てが空白で構成されている。

その記憶に残っているのはたったの二年間だけ。

スヴィアと家族として過ごしたのも、たったの一年間だけ。


「仲間にはまだ話していないのだろう。 記憶喪失の事は」


「・・・・・話す程の事でもないしね」


記憶の喪失。

それはリイド本人にとってたいした問題ではなかった。

自分自身の思い出がたった二年しかなかったとしても、これまで一度だって困ったことなんてなかった。

『過去』がなくたって自分は変わらない。 その先にあるものは『未来』で、それは自分には関係のないこと。 そう思っていた。

だから誰にも語らず、誰にも理解されない。 二年という記憶しか持たない故に、少年は孤独であり、誰からも理解されなかった。

過去を知らず、知ろうともせず、それを良しとし、他者の思い出を否定してきた。

その景色の中の一つに埋もれる事を、ただただ否定してきた。

過去がないという事実は、足がかりが何もない事を示している。

だから少年は常に独りであり、誰かを理解する事もなければ、誰かを理解する事もない。

孤独であることは少年にとっての強さであり美徳だった。 失うものが最初からないのであれば、恐れるものなどなにもないから。

けれど、失いたくないといつしか思うようになってしまっていた何かは、少年の僅かな記憶の中で確かに息づいていたから。


「そういうので哀れまれたりするの、嫌だしさ・・・・生活に困るわけでもないし・・・・だから、言う必要なんかない」


「相変わらずという事か・・・・お互いにな」


「世界を変えるような力も・・・誰もたどり着けないような場所も・・・手にしてしまえばやっぱりなんともないもんだって気づいたよ」


「そうか」


「だからなんだって話なんだけどね。 まあ、ボクが言いたいことはそのくらいだよ」


会話は途切れた。 それ以上兄も弟も口を開くことは無かった。

食事を終え、レストランの前でスヴィアは立ち止まる。 腕にしがみ付いているエアリオを引っぺがし、その頭に手を乗せた。


「他にも色々とやる事がある・・・また今度だ、エアリオ」


「わかった」


ぐりぐりと銀色の髪を撫で回し、幸せそうに片目を瞑っているエアリオの表情からリイドは目を逸らす。

何故だろうか。 遠巻きに眺めるその二人の様子を見て居たくなくて。 なんだか気分が落ち着かなくて。

ざわつく気持ちを抑えるため、ポケットの中で拳を握り締めて兄を見送る。


「また近々会うこともあるだろう。 お前もこっち側に来たのならばな」


「ああ・・・・その時までお別れだ、スヴィア」


「気をつけろよ」


「お互いにね」


短い別れの挨拶だった。 スヴィアは踵を返し、人ごみに消えていくまで一度として振り返らなかった。

残されたリイドは溜息をつき、それから一人で歩き出す。


「リイド?」


「ごめん・・・・ちょっと、一人になりたいんだ」


「どうかしたの・・・?」


何もわかっていないという様子の普段どおりのエアリオが気に入らなかった。

だから近づいてくるその手を振り解き、初めて会った日のような冷たい視線を彼女に向ける。


「ほっといてくれ」


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


立ち尽くすエアリオを残し、人ごみに歩いていく。

やがてその足取りは速く。 気づけば駆け出し、逃げるように本部に向かっていた。

エレベータを折り、まだ足を止めず、誰も入り込まないような狭い通路を駆け、ようやく壁に背を着いてずるずるとその場に座り込む。

息を切らせ、汗を掻き、だから喉はからからで、胸は苦しいままだった。

そんな痛み、知る事はなかった。 いつも一人だったから。 でも今は・・・違ってしまったのだろうか。


「所詮他人だろ・・・・何をやってるんだろうな、ボクは・・・」


自らに呆れ、嘲笑する。

その視線の先、最初からそこにいたのか・・・それとも今やってきたのか。

廊下の角を曲がった影はリイドの隣に座り込み、そして俯いたまま口を開いた。


「リイド・・・・・次の作戦、あたしを乗せて」


紅い髪の少女はリイドに告げる。 その眼差しは真っ直ぐで、真剣そのもので、視線を逸らす事が出来なくなるような不思議な力を持っていた。

イリアは本気だった。 リイドの手を取り、懇願するように言う。


「お願い・・・! 次の作戦だけは、どうしてもあたしが乗りたいの!」


「・・・・・・・・・・・いいけど・・・・どうして?」


何となく、エアリオが後ろに乗っているのは気まずかった。 だから最初からイリアを乗せるつもりでいたリイドにとっては別段不当な要求ではなかったが、その理由くらいは知りたいと思う。

少女もそれは当然だと感じたのだろう。 立ち上がり、それから路地の暗闇から踊り出るように、照明の下で振り返った。


「あの人に、強くなった自分を見せる為よ」


「あの人って・・・・スヴィアに?」


「そう。 だってあたしは、あの人を乗り越えない限り・・・・一生飛べないままだもの」


その言葉の意味をリイドはすぐに考え付かなかった。

そんなことより、光の下で不安を隠すように強く拳を握り締めているイリアの姿のほうが、ずっと印象的だったから。

立ち上がってその手を取り、自分もまた不安を隠すようにその手を強く握り締めた。


「どうやらボクも・・・口惜しいけど、『そう』なのかもしれない」


スヴィアを乗り越えなければ、飛べないのかもしれない。

なんにせよきっと・・・自分自身の居場所なんてものは手に入れる事が出来ないだろうから。


「やろう、イリア。 全部見返してやるために」


「・・・・・ええ!」


二度目の握手は力強く、そして二人の間により強い絆を生んでいた。


そうして動き出したいくつもの運命が、その手を離れ離れにしてしまうことすら知らないまま、



ただただ、目の前の何かに向かって走る事しか知らない子供のように。



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