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輝石草原の女剣士  作者: xxx
第二章
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1・回想

 記憶に残る彼はいつも穏やかな笑みを湛えていて、その表情がするどく研ぎ澄まされることは滅多になかったように思う。

 他の部族と餌場を巡って争っているさなかも、彼はシャリファンのように感情を剥き出しにして取り乱したりはしなかった。

 厳しい冬の寒さに恐れを抱いてもそれを見せることはせず、山を歩いて拾ってきた巻貝をこっそり加工して、その美しい音色で人々を和ませた。


 穏やかで心優しいリズルカ。

 彼は、シャリファンにとって義兄にあたる。

 父の三番目の配偶者・ティグナが、死別した前夫との間にもうけた息子だった。


 草原の生活において、一家の担い手であり護り手でもある夫を、父を亡くすことは、すなわち自分たちの死にも繋がる。残されたものがこうして再びどこかに嫁いでいくことも、子どもを共に連れていくことも、さして珍しい話ではない。

 そうしてリズルカがシャリファンの元に迎えられたのは、物心つくかどうかという頃の話だった。

 形式上は兄ということになってはいたが、二人は同い年で、単に男の方が立場が上だという慣例で決められただけのことだ。

 シャリファンの母である父の第二夫人は娘を産んですぐに体を壊し、娘が十を数える頃に亡くなった。第一夫人はといえば、何故かいつまでも父の子どもを産めず、そのためシャリファンをひどく嫌っていた。


 そんな環境で生活していたため、気付いたら一緒にいた。

 ずっと、一緒にいた。ただそれだけのことだった。

 特別なことなんて何もなく、自然の理に等しい関係性。

 すべて、当たり前のことだと思っていた。


 ――あの日までは。




 狼の遠吠えが聞こえた気がして、シャリファンは目を覚ました。


 草原に生きるものの眠りは浅い。

 大切な家族であり、蓄えでもある家畜の鳴き声を、常に意識しなければいけないからだ。

 肉食の獣に襲われれば、草を食む弱い生き物はひとたまりもない。


 しかしそのとき、今考えても不可解なことなのだが、同じ天幕に寝ていた大人たちは誰ひとりとして目を覚ましたりはしなかった。

 夢を見ていたのかとも思ったが、それにしては生々しく聞こえた。

 不可解な気分で寝返りを打ったら、かまどを挟んだ向こう側、天幕の中において男たちが暮らす領域にリズルカの姿が見えないことに気付く。


(リズも、あれを聞いたのか?)


 よくわからないままに身を起こそうとした、そのときだった。

 どん、と何かが突き刺さる音がして、それからすぐに天幕が赤く燃え上がった。


「……火矢だ!」


 その正体に気付いた瞬間、シャリファンは叫んでいた。

 大人たちはその声でようやく覚醒し、慌しく天幕の外に出ようとした。

 入り口に被さる不織布を大きく開いた瞬間、剣を携え、誰よりも早く外に出ようとしていた父が倒れた。

 喉をひと突きされて、血を噴き出しながら絶命した。


 悲鳴が上がる。

 混乱は恐怖を生み、それからの記憶は混沌としてひどく曖昧だ。


 小柄なシャリファンは、天幕をつくる木枠の隙間から抜け出し、そのおかげで助かった。

 腹違いの妹と、それから義母(はは)――父の第一夫人も同じように助けることができた。

 けれど、リズルカの母であり、シャリファンを育ててくれた第三夫人のティグナは、倒れた父に駆け寄ったため、天幕の外にいる殺戮者によって同じように殺された。

 殺戮者の顔は見ていない。

 彼が天幕に押し入るよりも早く、シャリファンは妹と義母を連れて逃げ出していたからだ。


 あちこちの天幕を、狼の群れが襲っていた。

 シャリファンは天幕の外に繋がれていた馬に飛び乗り、ただひたすら草原を走った。


「……戻りましょう」


 義母がそう提案したのは、空が白み始める頃のことだった。


「このままこうして逃げていたところで、その先に何があるわけでもないわ。それよりも、集落を率いる長の一族が我先に逃げ出すなんて、なんて恥さらしなことでしょう」

「しかし、義母上」


 彼女の言っていることはもっともなことだ。

 父はエルトーの氏族を率いる長だった。その正妻と長子がすべてを見捨てるように逃げ出すなど、本来ならばあってはならない。

 だが、シャリファンは腕に妹を抱いていた。ティグナがこの春に産んだばかりの赤子だ。

 シャリファンが命を落とすことは構わない。義母一人なら逃げることもできるだろう。

 しかし、もしもあそこで戦う道を選んでいれば、目前に迫っていた冬、初めて石を授けられるはずの彼女をも失ってしまっただろう。


「……そうね。わかっている。無理を言ったわ」

「申し訳ありません」


 義母は誰よりも父の妻であることを誇りとしていた。

 だからこそ子どもを授かることができないことを人一倍気にしていたのだし、第二夫人が産んだシャリファンを嫌っていたのだ。

 こうして逃げているさなかですら、ティグナが産んだ娘を抱こうともしない。

 本当なら、シャリファンに助けられたのですら屈辱なのだろう。


 シャリファンたちはそれ以上言葉を交わすこともなく草原を駆け、集落へと戻った。

 想像以上の惨状だった。

 焼き払われた天幕と野ざらしになった仲間たちの亡骸、無為に殺された多くの家畜たちを目にして、シャリファンはただ立ちつくすことしかできなかった。

 義母はさすが長の妻というべきか、呆然としているだけのシャリファンを気にかけることもせず集落の天幕をすべて回り、生存者がいないことを確認して怒りに震えていた。


「これは本当に、同じ草原を生きるものの所業なの……!?」


 怒りを滲ませて、義母は呟く。


「人も、家畜も、すべての命を奪い、尊い赤き血で草原を穢すなど……けして、許されることではないわ」

「……はい」


 静かにうなずいて、シャリファンは住居としていた天幕に戻った。

 あまり火の勢いが強くなかったのか、中はほとんど焼けていなかった。入り口からすぐの場所で、父とティグナは重なるように絶命している。

 シャリファンは二人の髪を少しずつ切り取り、皮袋に入れて懐にしまった。


 天幕の外に出たところで、シャリファンは不意に声をかけられた。


「……よう、族長の娘だろ、お前」


 振り返ると、薄灰の髪をした男が立っていた。


「お前は……」

「サーナ・イシク!」


 シャリファンが彼の正体に気付くよりも早く、外で嫌々ながらも幼い娘の相手をしていた義母がその名を呼んだ。


「おう、お前も生きてたのか。そいつは何よりだ」

「はい……。本来ならば最後まで戦わねばならぬものを、生き恥をさらすようにこうして長らえております。サーナ・イシクも、ご無事で何よりでございますわ」

「そんなこと言うなって。たった一人でも生きていてくれれば、俺は嬉しいぜ。……それくらい、予想のできない襲撃だったからな。土地神(イシク)だってのに不甲斐ないもんだ」


 サーナは重々しくため息をつく。それから、視線を再びシャリファンへと向けた。


「……よくやってくれた。一人でも多く生きていてくれて、俺は嬉しいよ」

「いえ」


 そっと俯く。

 義母の言葉どおり、本来ならば最後まで戦わなければいけない身であるにも関わらず、集落を守護する土地神の前に姿を晒していることが、ひどく恥ずかしかった。

 けれど。不意に腕が伸びて、温かな手のひらがシャリファンの頭を撫でた。


「そんな顔、するなよ。……お前の兄ちゃんにも、泣かすなって言われてるんだ」

「リズが……?」


 シャリファンは視線を上げた。

 サーナは、そんなシャリファンの胸中など見通しているかのように柔らかく、けれどどこか苦いものを含むようにして笑う。


「俺を守り、逃がしてくれたのはリズルカだ。あいつは勘が働くんだな。俺が気付くよりも早く、襲撃に気付いてた」

「……それで、リズは」


 シャリファンの声が、小さく震えた。


「リズは、何処に」


 外に打ち捨てられた屍の中にも、天幕の中でこと切れたものの中にも、どこにもその姿はなかった。

 さっきからずっと考えないようにしていた。自分が目覚めたとき、既に天幕を飛び出していた彼がどこに姿を消したのか――。


「襲ってきた奴に向かっていって……それきりだ」

「…………そう、ですか」


 悲鳴を呑み込む。それだけを答えるのが、精一杯だった。


 心優しく、穏やかなリズルカ。けれどだからこそ、誰かを守ろうとする気持ちは人一倍強い、リズルカ。

 シャリファンが果たさなければいけなかった義務を、彼は立派に果たしたのだろう。

 だから、分かるのだ。


 ――彼はもう、帰ってこない。


 その年の冬、シャリファンは父とティグナの遺髪をアラワ山の岩肌へと流した。

 けして泣くまいと気を張って、リズルカの作った飛笛(ディカル)を回し鳴らす。

 アラワ山の雪景色に響くその音色は、作り手の性質をよく現すかのように優しいものだった。


 そして。シャリファンは、サーナと共に集落を持たない放浪の旅に出る。


 目的はたったひとつ。

 殺戮者を探し出し、仲間たちの――そして、リズルカの仇を討つことだけ。

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