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輝石草原の女剣士  作者: xxx
第一章
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3・飛笛(ディカル)

 遊牧民の集落は、いくつかの天幕が一定の距離に集まることで構成される。

 天幕の周囲には家畜を囲う柵がいくつも作られているが、その大半は(から)だ。太陽は高く上り、男たちはすでに家畜を連れて草原に出かけたあとである。

 男たちの護衛として草原に出ていたシャリファンは、緑の草原に白く点在する天幕を認めると、ほっと息を吐いた。

 どうやら、不在の間に襲撃を受けることはなかったようだ。

 念のためにサーナを残していたとはいえ、先日のように男たちのいない状態で『黒き悪魔(ガル・マーラー)』の襲撃を受けてはたまらない。


「おう、帰ってきたか。随分と早かったみたいだが、まさか向こうが襲われる……なんてこたぁねぇよな?」


 女たちに混じり、天幕の近くに作られたかまどで鍋をかき回していたサーナは、のんびりと馬を歩かせるシャリファンに気付いて片手を上げた。


「ああ、草原の方は問題なさそうだ。家畜たちが怯えることもないし、ここから先は男たちの仕事だろう。餌場の場所は、簡単に外の人間に教えられるものではない」


 天幕の近くに馬を繋ぐと、シャリファンはサーナのかき回す鍋を覗いた。

 熱せられた牛の乳の表面には、ふつふつと小さな泡が生まれている。


「……そろそろ攪拌した方がいいぞ」

「そうか? いやあ、こういうのって俺やったことねぇからさ」


 シャリファンの言葉に従い、サーナは柄杓を使って乳を高く掬い上げて、再び鍋の中へと落とした。

 これを何度か繰り返せば、表面に乳の脂肪分が浮き上がり、クリームが出来上がる。

 草原の生活には欠かせない加工品のひとつだ。


「へぇ、結構おもしれぇな、これ」

「真面目にやれ、サーナ。お前にとっては遊びでも、私たちにしてみれば糧を得るための大切な作業だ」


 移ろいの激しい生活を送る性質上、草原の民が口にするのは家畜の乳と肉が大半を占める。

 特に様々なかたちに作られる乳の加工品は、主食といっても差し支えがない。


「はいはい。ったく、相変わらず真面目だな」

「土地神のくせに、お前が軽すぎるだけだ」


 シャリファンは小さく息を吐くと、サーナの近くに腰を降ろした。


「お疲れ様です、シャリファンさん」


 声と共に乳茶を差し出される。顔を上げると、そこにはラエラの姿があった。


「餌場までの往復でお疲れでしょう。どうぞ、お飲みください」

「ありがとうございます、奥方」


 礼と共に器を受け取ると、シャリファンは一息で中身を飲み干した。


「この集落はとても家畜の質がよいですね。羊もヤギも、よく肥え太っているように思います。少なくとも、私が今年見た中では一番です」

「まあ、ありがとうございます。でも、シャリファンさんこそ、私がお会いした中ではもっともお強い戦士様だと思いますよ」

「いえ、私などまだほんの未熟者です。現に、いまだ土地神の過剰なまでの保護を受けている半人前なのですから」


 そう言ってサーナに視線を送れば、彼は鍋をかき回す作業を終えて、周囲にいた幼い子どもたちと遊んでいた。


「おう、飛笛の鳴らし方なら教えてやれるぜ。こう見えても昔は上手かったんだからな」


 飛笛(ディカル)を持ったまま立ちすくんでいる少年に、サーナは気さくに声をかけた。途端、ぱっと少年の顔が明るくなる。

 無理もないことだ、とシャリファンは苦笑する。

 普通の土地神ならば、儀式以外で祭祀用の天幕から外に出ることはない。

 先日、シャリファンはルルに会うことができたが、ああいったことは滅多にあることではない。現にシャリファンも、集落が滅ぼされるまではサーナと口を聞いたことすらなかったのだ。


 サーナは少年の腕に手を添えると、その手に握られた飛笛をくるり、と軽く回してやった。

 風を切るように、高い音があたりに響き渡る。


「な、こうだ。わかったか? ただやみくもに力を入れるんじゃなくて、風に遊ばせてやるような感じでいいんだ」


 少年は頬を紅潮させて何度もうなずくと、教えられたとおりに飛笛を回し鳴らした。

 集まっていた子どもたちもそれぞれ、それに倣うように飛笛を回し始める。

 たちまち、周囲は飛笛の音で満ちた。


「……ああ、落ち着け。平気だよ、ゆっくりしていればいい」


 鼻息を荒くし始めた己の馬に気付き、シャリファンは苦笑しながらその首を撫でてやった。

 飛笛の音色は草原の動物たちを興奮させる。子どもたちの生み出すたどたどしい音色ではあるが、ゆっくりと草を食んでいた馬一匹を覚醒させるには充分な効果だ。

 やがて、飛笛を鳴らしていた少女の一人が、シャリファンに気付き、駆け寄ってきた。


「おねえちゃん!」


 先日、シャリファンが命を助けた幼い少女、ネルグイだった。

 彼女はそのまま、シャリファンの腰元に抱き付いてくる。


「お帰りなさい、おねえちゃん。お仕事おつかれさまでした!」


 幼いネルグイはシャリファンを姉と慕った。

 幼い笑顔がいじらしく、シャリファンはその頭を優しく撫でた。


「ただいま、ネルグイ。私がいない間、なにか変わったことはなかったかい?」

「ううん、なぁんにも! 今日も、サーナさまがいっぱい遊んでくれたの」

「そうか。あいつは暇人だが、色々なことを知っている。話を聞くのはいい勉強になるぞ」

「うん!」


 ネルグイは満面の笑みを浮かべてうなずいた。シャリファンも小さく笑う。

 ぱたぱたとサーナのいる方に走っていくネルグイの背を眺めながら、シャリファンの隣に並ぶラエラが苦笑を浮かべた。


「ふふ、ネルグイはすっかりあなたに懐いてしまいましたね」

「私にもあれくらいの妹がいました。腹違いではありましたが、ネルグイを見ているとその子を思い出します」

「まあ……その方は今、どうなさっているのですか?」

「……わかりません」


 シャリファンはかすかに笑って首を振った。


「私の集落が滅ぼされたのは以前にお話したと思いますが、その子は、生き残った父の正妻と共に親類の集落へと移りました。それきり会っていませんし……生きているかも、わかりません。大いなる力が望めば、いつかの冬に会うこともあるでしょう」

「それは……ごめんなさい、私、考えもなしにものを言ってしまって……」

「いえ、構いません。……自らの意思で剣を選んだときから、覚悟はできています」


 シャリファンは、腰に下げた剣に触れた。

 草原の民は生まれ落ちて最初の冬を越す際に、アラワ山の奥でひとつの(シュピルァ)を授けられる。

 薄青のそれは子どもが成長するための(まも)りであり、また、数えで十六になる冬の成人の儀で、草原の生活には欠かせないふたつのもの、どちらかに姿を変えた。


 ――すなわち、剣と首飾りである。


 男たちの振るう剣は外敵を打ち払い、仲間や家畜を守るための武器になる。

 その硬さは南の農耕民族が生み出す鉄器にひけを取らず、また、持ち主の命が尽きるまでは決して折れることがなかった。


 そしてもう一方の首飾りは、婚礼の際に女の胸元を飾り立てる主役となる。

 また、次代の命を体内で育むためのみなもとでもあった。


「では……やはり、その剣は(シュピルァ)の……」

「はい」


 言いにくそうに言葉を濁すラエラに、シャリファンははっきりとうなずいた。


「滅ぼされた集落と、殺された仲間たちの仇を討つため、私は剣を選びました。……後悔はしていません」

「ですが……復讐を終えたのちは、どうするおつもりなのですか」


 ラエラはほう、と重く息を漏らした。


「首飾りを持たないものは、子どもを作ることができません。愛する殿方と、次代へ繋がる家庭を築くことも、当然……。シャリファンさんは、それで本当によろしいのですか」


 シャリファンは、小さく首を振る。


「……望む心は、とうに捨て去りました」

「そうですか。……あなたはいい母親になると、私は思いました。残念なことです」

「…………ありがとうございます」


 シャリファンはそっと剣を撫でた。

 未来と引き換えに得た剣は、何度となく彼女のみちゆきを助けてくれた。が、サーナやラエラのように、彼女の境遇を嘆くものは少なくない。

 心配されることはとてもありがたいが、シャリファンは本当に後悔などしていないのだ。


(……未来なんて、いらないんだ)


 心の中だけで呟く。

 記憶に残る穏やかな日々は、もう二度と戻ることはない。


 ただの平穏を得るのは簡単だ。

 例えばこの集落に留まり、共に生きることを望めばいい。

 家畜の乳を搾り、他の女たちと同じように働いていけば、やがてシャリファンは仲間として受け入れられるだろう。


 けれど、違うのだ。

 シャリファンが幸せを思い描くたび、たったひとつ必要とするものがそこには欠けている。


 何故なら――――。


「ねぇ、おねえちゃん」

「……!」


 急に声をかけられて、シャリファンは思わずびくりと身をすくめた。


「あ、ああ……どうした、ネルグイ」

「おねえちゃんは、飛笛鳴らすのが上手なの?」

「飛笛……?」

「サーナさまが教えてくれたの。お姉ちゃんの音はすごくいい、って」


 ネルグイの言葉に、シャリファンは小さく笑った。


「残念だが、それは私の力量じゃないんだ」


 シャリファンは胸にかけていた飛笛を外すと、ひゅん、と軽く回し鳴らした。

 草原の空気を切り裂くように、澄んだ音が響き渡る。


「きれいな音だろう? ……けど、これは私が作ったものじゃないんだよ」


 試しにネルグイに渡してみても、シャリファンが鳴らしたときと同じ音が出た。


「幼なじみ……というか、死んだ義兄(あに)が作ったものでね。彼が、飛笛作りの名人だったんだ。私はその恩恵を受けているだけさ」


 飛笛作りは、厳しい冬における数少ない楽しみのひとつだった。

 子どもたちは息を凍らせながらアラワ山の凍った川沿いを歩き、材料になる巻貝の殻を拾い集める。

 大人たちの仕事が終わり、晩の食事も終えたのちのわずかなひとときで、家族は火の近くに寄り集まるようにして巻貝に加工を施すのだ。


「私は彼から飛笛作りを教わったけれど、同じような音は出せなかったな。……っと、ネルグイ、どうしたんだ?」


 目を細め、過去を懐かしんでいたシャリファンは、不意にネルグイの様子がおかしいことに気付いた。

 ネルグイは先ほどまで回し鳴らしていた飛笛をじっと見つめて、不思議そうな表情を浮かべている。


「……これ、聴いたことがあるよ」


 やがて、ぽつりと呟かれた言葉に、シャリファンはひどく驚いた。


「本当か、ネルグイ」

「うん。きれいな音だったから、すごいなって思ったの。だけど……」


 と、ネルグイの顔が歪む。


「だけど、そのあと……黒いものが、わーって……」


 ネルグイは恐怖に震え、そのまましゃがみ込んだ。

 ――シャリファンのものと同じ飛笛の音が聞こえてきたのは、そのときのことだった。

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