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輝石草原の女剣士  作者: xxx
第一章
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1・女剣士と土地神

 広大なガラハーンの草原に、細く尖るような飛笛(ディカル)の音がこだましてゆく。


 飛笛は、北のアラワ山にしか生息しない巻貝を加工して作られる楽器だ。大小いくつかの穴を開け、そのうちのひとつに髪を編んで作った長い紐をくくりつける。手に持って回せば、風を切るような音が生まれた。

 馬や家畜はこの音をひどく好む。使い方を誤りさえしなければ、草原の生活には欠かせない道具だった。


 音のみなもとは、果てしない草原を駆けるひとつの点――一人の娘が、飛笛を回し鳴らしながら馬を走らせていた。

 十六を過ぎて成人した様子ではあるが、その顔にはどこか幼さが残っている。短く切られた髪は赤茶で、鋭い光を同じ色の瞳に宿していた。

 娘は草原で暮らす多くの遊牧民と同じように、毛皮と不織布で作られた服を着ていた。

 帯の色は赤で、中央に黒い線が入っている。腰元には鞘に収められた細い剣がくくりつけられていた。


「おい、シャリファン。そろそろ休憩するぞ」


 すぐ後ろを同じように馬で駆けていた男が、娘に声をかけた。


「俺もこいつも休憩が必要なんだから、そっちの馬にだって必要だろう。お前はともかく」

「……馬鹿を言え」


 飛笛の音が止む。馬を止めて、娘――シャリファンが振り向いた。


「私とて人間だ。休息が必要なことには変わりない。それを言うならば、お前にこそ休息は必要なのか、サーナ・イシク」

土地神(イシク)っつっても、大まかなところは人間と変わりねぇよ。ただ歳を取らず、その結果で死なねぇってだけだ」


 サーナと呼ばれた男は馬を下りると、腰に結わえていた皮袋の口を開けた。

 鼻を刺す酸味は夏のあいだ頻繁に作られる馬乳酒のものだ。酒と名がつくものの、滅多なことでは酔わない。滋養があり、携帯するにも最適な飲料として扱われている。

 手綱を放した馬はのんびりと足元の草を食んでいる。サーナが馬乳酒で指先をわずかに湿らせ、祝詞を呟いてから草原に雫を放つのを、シャリファンは興味深く見つめていた。


「それは、私たちのようなものがお前たちに向けて行うものではないのか?」


 同じように馬乳酒で指先を濡らし、シャリファンは祝詞と共に雫を放った。

 しかし、こちらは草原ではなく、サーナに向けてのことだ。


「人間だったときの慣習はそう易々と抜けるもんじゃねぇんだよ。忘れるほど長く生きてるわけでもねぇし」


 ――土地神(イシク)

 それは、遊牧民の集落を守る現人神(あらひとがみ)の総称だ。

 彼らは大地を支配する大いなる力によって選ばれ、その声を人間に伝えることを生業としていた。


「……しっかし、今日も山が綺麗だなー」


 地面にあぐらをかいて、サーナは馬乳酒を勢いよく流し込んだ。

 視線の先、はるか北の大地には、連綿と続く封山脈(ふうさんみゃく)と、その中でもひときわ背の高いアラワ山が見えた。山頂付近は、既に白く雪を被っている。


「寒くなってきたし、そろそろ秋も終わりだな。俺たちも急がないと、アラワ山に着く前に冬が来た、なんて洒落にもならねぇ。お前ひとりならともかく、土地神であるこの俺が旅の供だってんならなおさらだ」

「誰も、無理について来てくれとは頼んでいない」


 固い声でそう返したシャリファンは、しかし次の瞬間、す、と目を細めた。


「……獣、か?」


 唇から漏れた呟きは、はるか視線の先にたなびいた黒い波に向けてのものだった。


「おいおーい、ちょっと洒落にならねぇぞ」


 同じものを目にしたサーナの言葉は軽いが、その響きは重い。


「見ろよ、シャリファン。……狼たちが向かっている先は、何処だ?」

「……!」


 シャリファンは、はっと目を見開く。


 黒い波――狼の群れが向かう先には、ぽつりぽつりと白い天幕が見えた。




 集落は、悲鳴と怒号の中に在った。

 狼たちはひどく賢く、常に数頭の群れに分かれて人間を襲う。剣を持った大人の男であっても、隙を見せればひとたまりもない。

 しかし、外で作業していた女たちが天幕に戻る間もないまま、戦いは始まってしまった。

 日は高く、若い男のほとんどは家畜を連れて放牧に出ている時間だ。集落に残っていた男たちは(シュピルァ)の剣を抜いて狼に挑むが、数に押され、戦況は次第に劣勢へと転じていった。

 鋭い牙で喉笛を噛み切られ、またひとり、大柄な男の体が大地に伏した。

 周囲で様子を窺っていた他の狼の視線は、男の背後にいた幼い娘へと向けられる。

 狼の群れから発せられる低い唸り声に、娘の体は小さく震え続けていた。


「……ぁ、や……」


 無意識的に発せられた吐息のような悲鳴は、狼たちが飛びかかる合図へと変わる。


「ひっ……!」


 引きつった悲鳴。しかし、娘の口から断末魔のそれが漏れることはなかった。

 娘に飛びかかった狼の喉元に、彼方から飛来した矢が突き刺さったのだ。


 娘が首を巡らせると、一頭の馬が集落に向けて駆けていた。馬上の人影は間髪いれずに次の矢をつがえ、狼へ向けて放ってゆく。

 集落との距離が詰まると、馬上の人影――シャリファンは腰から剣を抜き放った。

 飛びかかってきた狼を、振り下ろした刃でやすやすと切り伏せる。しかし、狼たちはすぐに群れを成してシャリファンを取り囲んだ。

 新たな驚異に対して、狼たちは警戒心も露わに唸り声を上げる。シャリファンが隙を見せれば、すぐにでもその背に鋭い爪を、牙を立てるつもりだろう。

 こうなってしまえば下手に動くわけにもいかず、シャリファンは小さく舌打ちしつつ、彼らを牽制するように剣を構えた。

 ――しかし、その均衡はすぐに崩れることとなる。


「ったく、さっさと走っていくんじゃねぇよ」


 サーナだった。

 シャリファンと同じように弓を扱い、次々に狼たちを屠っている。


「狼の群れは賢い。ひとりで突っ込んでも馬鹿見るだけだって、昔、教えてやったろうが」

「お前を待っていては、この子を助けるのに間に合わなかった」


 馬の首を巡らせて、シャリファンはうずくまっている幼い娘を庇うように移動した。

「まあそうだが、それにしたってよ……ああもう! ったく、俺は娘に甘い父親だぜ」

「誰が父親だ、私と大差ない外見をしておいて」

「っるせぇな」


 シャリファンの言葉に小さく笑って、サーナは腰の剣を抜く。

 シャリファンと同じように毛皮と不織布で作られた衣服を身にまとい、赤い帯を締めているが、髪と瞳の色は薄灰だ。編み込まれるわけでもなくただ長く伸ばされている。


「大差ねぇっつっても、俺は土地神になった時点でハタチ越えてますー。お前みたいに成人したばかりの小娘とは違うんだよ」


 サーナが剣を振るえば、長い髪は絹糸のように流れ、広がった。

 軽口を叩いているものの、その剣さばきは軽やかな舞のようだ。


「長く生きているにしては軽薄だな、サーナ。精神の成長も肉体と共に止まったか」


 ふ、と口の端を上げて、シャリファンは皮肉を言う。その顔には、先ほどからは考えられないほどの余裕が生まれていた。


「それに、私もそろそろ成人して三年になる。もうすぐお前の年齢を飛び越すぞ」


 と、飛びかかってきた狼に剣を振るう。

 シャリファンたちとは反対に、彼らにはわずかな焦りが見え始めていた。


 やがて、一頭の狼の断末魔をきっかけとして、彼らは一斉に撤退を始めた。


「やれやれ、やっとあきらめてくれたか」


 サーナが剣から獣たちの血を振り落とす。その横で同じように剣を振りながら、シャリファンはかすかに眉を寄せた。


「ん、どうした?」

「……ああ」


 と、シャリファンが口を開く。


「助かりました、旅のお方」


 しかしその言葉は、飛び込んできた声によって遮られた。

 集落の中心部から、一人の男がシャリファンたちの方へ歩いてくる。


「私たちだけでは、恐らく助からなかったことでしょう。助力をいただけて、感謝しております」


 壮年の、落ち着いた雰囲気を持つ男だった。衣服を返り血で汚してはいるものの、がっしりとした体躯に優しげな雰囲気を宿している。


父さま(アーウ)!」


 シャリファンの足元にうずくまっていた幼い少女が、ぱっと顔を輝かせた。立ち上がると、どこかおぼつかない足取りで男の元へと駆けてゆく。


「ああ、ネルグイ……無事だったか……!」


 娘を抱き上げて、男は感嘆の息を吐いた。安堵したのか、抱き上げられた少女はやがて小さく泣き始める。


「あのような頃合で襲撃を受けては、助からなくとも仕方なしと思っていたが……こうして娘の命まで救ってくださいまして、どれほど感謝すればよいか……」

「草原に生きているものを助けるのは当たり前のことだ。そこまで感謝されるようなことではない」


 シャリファンは小さく首を振った。


「いえ。このガラ・ゾーノ、娘のネルグイと共に、集落の長として心よりお礼申し上げる。先を急ぐようでなければ、ぜひとも我らの天幕に立ち寄ってはいただけませんか。帯に黒い線が入っているということは、旅のお方なのでしょう。幸いにも、家畜に被害は出ておりません。心づくしの歓迎をさせていただきましょう」

「なら、喜んで」


 ガラと名乗った男の申し出に、今にも歌い出しそうな調子で返答したのはサーナだった。


「……っと、いいよな、シャリファン。集落に合流するのは久しぶりだし、戦ったし。ここらでひと休みしていこうぜ」


 言葉にしたのち、彼はおそるおそるといった風にシャリファンを振り返った。いつもなら怒声の落ちる頃合いだ。


「……ああ、そうだな」


 しかし、視線の先に立つ彼女は、じっと地面に落ちる血の跡を見つめていた。


「すまないが、厄介になる。ゾーノの長、ガラ殿。私の名はシャリファン。ご覧のとおり集落を失った身なので、氏族の名は持たない。こちらの土地神はサーナだ」

「おう。まあそういうわけで、今はこのじゃじゃ馬娘の保護者をしている」


 土地神、と聞いてガラはかすかに目を瞠る。

 愉快そうに、サーナはにや、と口の端を上げた。

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