2・終焉(1)
「もう止めろ、リズ! お前はどうして、そこまでして復讐を遂げようと望むんだ!」
シャリファンの言葉が、混沌とする戦場に響き渡る。
「どうして、だって……?」
リズルカはぴたりと動きを止め、やがてゆっくりと振り返った。
「そんなの決まってる。……君が、死んだからだ」
「……しかし、私は生きている。ここで、こうして、お前と同じ目的を抱いて」
「違う。君は、あの娘を殺そうとはしなかった」
「同じだ」
外套の奥で揺らぐ瞳を、シャリファンはまっすぐに見据えた。
「私が剣を向けるべきは、彼らを袋小路に迷い込ませた忌神だ。ネルグイではない。……リズだって、本当はとっくにわかっているんだろう」
「……っ」
リズルカの体が小さく震えるのがわかった。
「……だからって、僕にどうしろと言うんだ。君が死んだ――そう母さんから告げられたときから、僕の世界は闇に沈んだ。仲間のことなんてどうでもいい。君の仇を討つことだけが、僕にとって唯一の光だったのに」
「なら、もう終わらせるべきだ。私は今、確かにここにいる。……お前の目の前だ、リズ」
「でも、僕は……!」
「私だって、同じだったんだ!」
なおも言い募るリズルカの言葉を封じるように、シャリファンは叫んだ。
「義母上が、父上が、そして多くの仲間たちが死んだ! でも、こうして剣を持つことを選んだのは……お前が、死んだと思ったからだ……!」
シャリファンの顔がくしゃりと歪んだ。
目の奥が熱くなるのを必死で堪えようとするように、手のひらを強く握り込む。
「ネルグイのことだって私たちと同じだ! 可愛い娘を忌神に奪われたくないという思いの結果が、私たちの生活を侵したんだ! ……でも!」
シャリファンは、握りしめていた剣をおもむろに地面に放った。
空いた両手を、目の前のリズルカへと伸ばし、その体を抱き締める。
「私は生きている! お前も、生きているんだ! ……もう、それだけでいいだろう」
「ファン……僕、は……」
ためらいがちに、リズルカの手が動いた。シャリファンの体を優しく抱きしめる。
「……リズ……」
「…………悪い夢だと、何度も思った。けれど一度も目は覚めなかった。今日まで、ずっと」
「……ああ」
吐息のように囁かれた言葉に、そっとうなずく。
「けど、君にひとつだけお願いしなきゃいけないことがある」
言葉と同時に、リズルカの体はさっと離れた。
「僕がこれからどうなったとしても……君はもう、自由に生きて欲しい」
「リズ……? お前、いったい何を」
するつもりだ、と。問う声は最後まで言葉にならなかった。
突然、リズルカに突き飛ばされて、シャリファンの体はそのまま地面に向けて倒れていく。
「大丈夫か、シャリファン」
駆け寄ってきたサーナが、シャリファンを優しく受け止めた。
「私よりも、リズが……!」
「……駄目だ。ここにいろ」
慌てて走り出そうとしたシャリファンを、サーナの腕がきつく引き止めた。
「何故だ、サーナ! リズだけを、あの忌神の元に向かわせようというのか!?」
「ああ、そうだ。これはあいつの問題で……俺ですら、手を出せるような領域じゃねぇ」
「……どういうことだ」
「見てれば、すぐにわかるさ」
リズルカは黒い外套を脱ぎ捨て、今や昔のように草原の男としての姿を取り戻していた。
「止めなさい、リズルカ! この母をどうしようと言うのですか!」
「……忌神の分際で、僕の母さんを汚すな」
ぞっとするほど冷たい声だった。
リズルカはそのまま手に持った剣を、己の母の姿を借りるそれへと突き立てる。
「無駄ですよ、愚かな息子。……わたくしは草原の大いなる力を司るもののひとつ! 石の力で我が体を滅することはできませぬ!」
「愚かなのは、果たしてどちらかな」
本性を現した忌神の哄笑に、しかしリズルカは冷たい声でただ一言を告げた。
「僕の剣は石で作られたものじゃない。……知っていると、思ってたんだけど」
呟くようにそう言って、リズルカは剣を引き抜いた。
――瞬間、声にならない絶叫が草原に響き渡った。
ティグナの姿を形作っていたものが、溶けるように大地へ崩れ落ちていく。
「僕の剣は、草原の外で暮らす南の人々から譲り受けた鉄で作ったものだ。草原の理から外れたものであり、だからこそお前を滅ぼすことができる」
「ああ、あああ……」
ぐずぐずに崩れていくそれは様々な女の形に姿を変えたが、やがて動きを止め、言葉にならない言葉を怨嗟のように発してから、大地に吸い込まれるように消えた。
「……終わりましたな、シャリファン殿」
気付けば、サーナに抱えられたままのシャリファンの近くに、ガラが立っていた。
「あれは、間違いなくネルグイを狙ったものです。いくつか、見たことのある姿が混じっておりました」
「ええ。……これで、すべて」
けれど。
――まぁだだよ、愚かな人の子たち!
その声は、どこからともなく辺りに響き渡った。
「わたくしは忌神! 姿を失えど、わずかな力くらいは残っているものよ! ……だから、終わりを迎えるまでの短い時間で、ひとつ教えておいてやろうと思うの!」
「……」
剣を持ったまま、リズルカはきつい顔で空を睨みつけていた。
「ねぇ、ねぇ! わたくしの愛しいリズルカ! ……わたくしが失われれば、お前も終わりだと知っているのでしょう? それなのに何故、わたくしを斬ったんだい!」
優しげに響く問いが、にわかには信じられない言葉を突き付けた。
「お前は本当は死んでいたの! それをわたくしの力で生き返らせて、多くの命を喰らうための手足にしたのよ! 賢いお前ならば、目覚めた今、心のどこかでそのことに気付いているでしょうね?」
「……本当なのか、リズ」
「そうだよ、ファン。だから君を、あの忌神に向かわせるわけにはいかなかった。君が復讐を選んだのが僕のためだって言うのなら、なおさらだ」
振り向いたリズルカは、かすかに笑っていた。
「あの忌神が滅びるのと、僕の死は同義だ。君は僕から解き放たれる。……自由に、ファン」
「待て! リズ……!」
頑なに自分を繋ぎとめようとするサーナの腕から逃れようと、シャリファンは必死に足掻いた。
「止めろ、シャリファン。ここで見てるんだ」
「離せ、サーナ!」
「……あいつは、それを望んでる。そして俺は、あいつを守護する土地神でもある。その願いを聞き届けてやりたいんだ」
「だが、それでは、リズは……!」
サーナは無言で首を振った。シャリファンは足掻くのを止めない。足元が、頭の中が、今にも崩れ落ちそうなほどに揺れている。
「リズ……!」
叫んだ、その瞬間。
――リズルカの体もまた、忌神と同じように地面に崩れ落ちていた。