表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輝石草原の女剣士  作者: xxx
第四章
13/16

1・決戦

 冬を迎えるにあたって草原の民が行うことといえば、まるまると肥え太った家畜を屠殺することだ。

 とは言っても、けして無益な殺生ではない。

 草原を取り巻く自然の中でもひときわ厳しい環境にあるアラワ山で冬を生きるため、家畜の数を減らし、また、人の蓄えを増やすためのものだ。

 ガラの率いる集落においても例外ではなく――それは、集落に住まう人々すべてが見守る前で、その年で最初の羊が屠られたときのことだった。


 聞き慣れた飛笛(ディカル)の音が、澄み切った空に高く響き渡る。

 それを合図とするように女たちは子どもを連れて天幕に急ぎ、男たちは一斉に(シュピルァ)の剣を抜き、また弓を構えた。


 獣の数は、今までの比ではなかった。

 屠られたばかりの家畜から発せられる血の匂いに魅せられたのか、狼たちは獰猛に集落の男たちに襲いかかっている。

 今までのように、こちらの出方を窺うような様子は見えなかった。


「これが最後だと、あちらも承知しているか。……上等だ」


 素早く弓を捨てると、シャリファンは腰の剣を抜いて飛びかかってきた狼を一撃で切り伏せた。


「リズ、いるんだろう!」


 どこに向けるでもなく、叫ぶ。

 天幕に取り付こうとする獣を切り捨てながら、シャリファンは走った。

 獣など相手にしてはいられない。命を失った肉の塊が連なるように道を作る。

 その果てに、彼女は目指すものを見つけた。


「……来たね、ファン」


 外套の隙間から、笑みを形作る唇が覗いた。

 漆黒の影のように地面に立つリズルカを、シャリファンはきつく睨みつける。


「リズ。……私は、お前を止める」

「へぇ。エルトー氏族の生き残りともあろう君が、随分と愚かな選択をしたね。君が守ろうとしている子どもこそが、僕たちの生活を壊した張本人だっていうのに」

「違う。争いは、草原に生きるものの定めであり、私たちはそれに負けただけだ」

「……それで死んだ父上や義母上(ははうえ)が、何よりも僕の妹が納得すると思っているのかい。同じ運命を背負わされて、片方だけが生き残るなんて不公平じゃないか」

「待て、リズ……お前、何を言っている」


 リズルカの言葉に、シャリファンは怪訝そうに眉を寄せた。


「父上は確かに亡くなったが……義母上も妹も、どこかで生きているはずだぞ。二人とも、私が助けてゾゾルの集落に送り届けたのだから」

「そんなはずないだろう。他でもない母さんが、僕に教えてくれたことだ。みんな死んでしまった、と。かろうじて僕と母さんだけが生き残ることができたんだ、って……」

「違う! 生き残ったのは、私と義母上、それに妹だけだ! お前の母は……ティグナ義母上は亡くなられた。それだけははっきりと言える。遺髪をアラワ山に流したのは、他でもない私なのだから」

「ファン……君の方こそ何を言っているんだ。母さんならこの四年、ずっと僕の傍にいた」

「ええ、そうね」


 艶やかなその声は、唐突にシャリファンの耳に届いた。

 音もなく浮かび上がるように出現した人影は、そっとリズルカの傍らに寄り添う。


「リズルカ、わたくしの可愛い息子……」


 記憶の中に残るそのままの声だった。まったく同じ姿をしていた。


「長子でありながらおめおめと生き残り、旦那様の仇を討とうともしないシャリファンに代わり、あなたがあの娘にまつわるすべてのものを滅ぼすのです。それでこそ、行き場を失ったわたくしたちを快く引き取ってくださった旦那様へ恩を返せるというもの」


 ティグナの姿をした何かは、そっとリズルカの頬へ手を伸ばす。

 不織布と毛皮で作られた服の袖口から垣間見えた手の白さに、シャリファンは思わずぞっとした。

 外見こそ記憶と違わぬ姿のティグナだが、中身はまるで違う。

 草原の女が、あのように傷ひとつ負っていない手を持つはずがない。

 そもそも、記憶とまったく同じ姿であることがまず奇妙だ。

 彼女が亡くなって、そろそろ四年が経とうというのに。


「はい、母さん」


 けれどリズルカは、シャリファンが感じているような疑問をひとつも抱いていないらしい。

 母の言葉に素直にうなずくその姿もまた、昔とまったく同じだった。


「さあ、リズルカ。お父様の……あの日殺された皆の仇を討ってちょうだい」

「はい、母さん」


 ティグナの体が離れると同時に、リズルカはぶら下げるように握っていた剣をシャリファンへと向けた。


「止めろ、リズ!」

「邪魔をするというのなら、たとえ君でも容赦はしないよ」


 その言葉どおり、リズルカはためらうことなくシャリファンへその剣を振るった。

 幾度となく刃の打ち合わせられる音が響く。

 やがてシャリファンは、徐々に押し負けていく自分に気付いた。

 性別としての非力さを補うために、シャリファンはサーナと契約を交わし、身体能力を上げている。

 常に鍛錬を欠かさないこともあり、草原の男たちと比べても見劣りしない、それどころか優れた能力と技術を持っていた。そのはずだった。

 けれど今、リズルカはそれ以上の力と能力を以って、シャリファンを凌駕しようとしている。

 草原を放浪し、数多くの男たちと手合わせしてきたが、これほどに優れた能力を持つ相手は初めてだった。

 ――と、いうか。


「常軌を逸しているぞ、これは……!」


 憎々しげにそう呟いて、舌打ちをひとつ。

 風を切って振り下ろされた刃を限界まで体を捻ってかわすと、シャリファンは空いたリズルカの胴に向けて低く剣を振るった。


「無駄だよ」


 短く吐き捨てられた言葉と共に剣を弾かれる。

 それから、ぞっとするほどの早さで振るわれた刃に胴を裂かれた。

 とっさに体を引いたため、衣服を切り裂かれるだけで済んだが、もしもあれをまともに喰らっていたら――思わず背筋を凍らせる。


「あきらめてそこを退いてくれ、ファン。君のことを殺したくないけど、このままじゃあそうも言っていられなくなってしまう」


 外套の隙間から覗く瞳が、かすかな憂いを帯びる。

 ああ、とシャリファンは胸中で嘆息した。

 目の前にいる人間が自分の知っている幼なじみだ、とこれ以上ないほどに理解してしまうのだ。彼とは何度も剣を合わせている。


「殺しなさい、リズルカ!」


 一方で、ティグナの姿をしているものはヒステリックに叫び続けていた。


「ただ一人、あなただけが皆の仇を討てるのよ! 殺しなさい、殺しなさい殺しなさい殺せ殺せ殺せぇぇぇぇええええ!」


 やがて声は変質し、内側に隠された『何か』の本性が曝け出されてゆく。

 それでも、リズルカは気付かない。

 自分の母の姿をしているものが何者なのか、疑問にも思わない様子で剣を振るい続けているだけだ。


「……シャリファン殿!」


 じりじりと追い詰められていたシャリファンの元に、ガラの声が届いたのはそのときのことだった。

 同時に、日の光を反射してきらめくものが飛来する。

 投げつけられた短剣は、軽い音を立ててティグナである何かの背中に突き刺さった。


「殺せ殺せぇええあははははは!」

けれど、それ(・・)が怯む様子はまったくなかった。

 ガラは続けざまに三本の短剣を放ったが、そのすべてを背に受けてなお、ティグナの姿をしたものは興奮したように笑い続けている。


「……やれやれ、俺もいつかはこうなっちまうのかねぇ」


 乱戦を抜けて走ってきたサーナは、展開された光景を見て苦いため息をついた。

 それから彼は、片手に持った剣をおもむろに振り下ろす。

 笑い続けていたものの背中が大きく切り裂かれ、服の下の白い肌からは赤い肉が覗いた。

 鮮血が衣服を赤く染めていく。それでも、笑い声は止まない。

 傷を負うことに対する抵抗も見せないまま、それはなおも醜悪に笑い続けた。


「あー、やだやだ。完全に血の匂いに酔っちまってるよ、こいつ。……それほどに、多くの人間の命を喰らうことは大きな快感だったのか?」


 サーナは軽く剣を振ると、付着した血を払った。


「悪いけど、俺は一生そんなもんに手を出したくねぇな。見苦しいことこの上ない」

「母さんに何をする、サーナ・イシク……!」


 今まさにシャリファンに振り下ろさんとしていた剣を止めて、リズルカは振り返った。


「お前もお前だよ、リズルカ。俺を守ってくれたときの、あの気概はどこに行っちまったんだ。どうしてこれを見て、こんなもんを母親だと思う……って、ああ」


 不意に、サーナは得心したとばかりにうなずいた。


「そう思えって、刷り込まれてるのか……。それくらい、忌神(デシク)なら簡単なことだもんな」

「なら、それを解くにはどうすればいい、サーナ……!」


 肩で息をしながら、シャリファンが叫ぶ。


「うーん……俺が解いてやるわけにはいかねぇんだよな。どこをどういう風にいじってるか全然わかんねぇから」


 斬りかかってきたリズルカの剣を適当に流しながら、サーナは苦々しく唸った。


「ただ、こういうもんは綻ぶきっかけを見つければ、意外とどうにかなるもんだ。……何でもいいから、こいつの動揺するような言葉をぶつけてみろ!」

「無理を言うな! 私に、いったいどうしろと……!」

「それ以外に方法がないんだから仕方ねぇだろ!」


 リズルカにもこの会話は聞こえているはずなのだが、彼は相変わらず恐ろしいほどの早さでサーナに向かって斬りかかってくるばかりだった。

 改めて、背筋が凍る思いだった。

 知っているはずの人間なのに、その動きは得体の知れない何かに操られているようだ。


「さっさとしろ、馬鹿娘!」


 サーナが叫ぶ。


「あのバケモノの傷が治り始めた! あいつ、次は本格的にこっちを殺しに来るぞ!」


 その言葉どおり、あちこちを裂かれたティグナの体はゆっくりと元の姿を取り戻しつつあった。

 ガラはそれを阻もうとしていたが、多くの獣たちに取り囲まれ、身動きが取れないでいる。


「急げ!」

「っ……! 言われなくとも!」


 シャリファンは吐き捨てるようにそう言うと、剣を振るい続けるリズルカを鋭く睨みつけた。

 何を言えばいいのかなんて、まったくわからない。

 それでも。


(同胞として、家族として、……共に過ごしたものとしての、それが務めだ)


 口を開き、息を吸う。

 そして――――。


「もう止めろ、リズ! お前はどうして、そこまでして復讐を遂げようと望むんだ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ