2・苦悩
「……それで、どうすんのお前」
あてがわれた天幕に戻り、中央に据えられたかまどを挟んで向かい合ったサーナは、そうしてようやく口を開いた。
「どうする、とは」
かまどに薪を投げ込みながら、シャリファンは重たげな視線をサーナに向ける。
「仇は、見つかったぜ」
「そうだな」
小さなため息をついて、それから、
「……妹は、元気だろうか」
「なんだよ、突然。……元気じゃねぇの、生きてれば、の話だけどよ。あいつはもう俺の庇護下にいるわけじゃねぇから、いくら土地神だっつっても俺にはわかんねぇぜ」
シャリファンの言葉に、サーナはわずかに瞠目しつつもそう返す。
「いや、不意に思い出してな」
「何をだよ」
「……義母と妹を、ゾゾルの集落に送り出した日のことだ」
「ああ……」
サーナは納得したとばかりにうなずいた。
「お前の母ちゃん、すげぇ剣幕で怒ってたな、あの日」
「ああ」
シャリファンも同じようにうなずくと、どこか遠くを見るように目を細めた。
生きていればネルグイと同じ年頃になるだろう妹。
――同じように忌神避けのまじないを施されていた、妹。
「あいつは生まれてすぐに俺が気付いたから、ネルグイみたいに実際の忌神につけ狙われたことはない。……それでも、よその集落に送るときは散々揉めた。それくらい、忌神ってのは名前どおりの忌々しい存在なのさ」
サーナが、苦いものを滲ませるようにして笑う。
――ゾゾルは、シャリファンたちの父から見ると弟にあたる人物が率いていた集落だった。
ただの娘でしかなかったシャリファンは、サーナの力を借り、義母と妹を守りながらゾゾルの集落に合流した。
義母と妹を、同胞として受け入れてもらうためだ。
シャリファン自身は数に入っていない。すでに復讐の道に進むと決めていた。
しかし、忌神避けのまじないを施された幼子など、何の関わりもないものにしてみれば厄介な存在以外のなにものでもない。
共に引き連れてきたほんのわずかな家畜を対価として義母を受け入れてもらう算段はついたものの、妹の存在については渋い答えしか得られなかった。
そのときだった。義母が、ゾゾルの族長の頬を勢いよく張ったのは。
「同じ氏族の、しかもこんなに幼いものを庇護することもできず、よくもそれで族長を名乗れたものですね。恥を知りなさい……!」
義母の言葉に、シャリファンはひどく驚いた。
けして平坦とはいかなかった旅のさなかで、義母は一度たりとも妹に優しく接したことがなかったからだ。シャリファンに対してもそれは同様である。
「……シャリファン!」
「は、はい!」
勢いよく振り返った義母に、シャリファンは思わず声を裏返らせてしまった。
「この娘のことはわたくしに任せて、お前は自分の成すべきことをなさい」
シャリファンの腕からそっと赤子を抱き上げると、義母はかすかな笑みを浮かべてふくよかな頬をつついた。
「ティグナの腹から産まれた割には、彼女に似ているところはさほどありません。寝顔も、旦那様によく似ておられること……」
「義母上……」
「……わたくしにも矜持というものがあります。心配せずとも、旦那様の最後の子どもを無下に扱うような真似はしません。そうでなくとも、この子は残されたエルトー氏族の一人なのです。この命に代えても、彼女のことを守り通してみせましょう」
だから、と義母はシャリファンを見据えた。
族長の第一夫人という肩書きの名に相応しく、思わず体がすくみそうになるほどきつい眼差しだった。
「お前は必ず、旦那様や同じ氏族たちの仇を討ちなさい。……そのために、サーナ・イシクと共に行くと決めたのでしょう」
「…………はい」
シャリファンは重々しくうなずく。
「族長の長子としての義務、必ずや果たして見せます」
「ええ。……体に気を付けて、サーナ・イシクの言葉をよく聞くのですよ」
そのときの義母の眼差しの向こうに、憂いのような光があったことをシャリファンは今でもよく覚えている。
親子らしい会話を交わしたのは、それが最初で最後のことだ。
――心配してくれたのだ、と。
そう気付いたとき、シャリファンは初めて義母を『父の妻』ではなく、己の母であるうちの一人なのだと感じた。
ただ二人だけ残った家族と別れたその日、シャリファンはひとりで泣いた。
かまどにあかあかと燃える炎を見つめながら、シャリファンは長い息を吐く。
「奥方……ラエラ殿は、あのときの義母上のようだな」
「あー、そう言われたらそうかもなぁ。……あいつ今頃どうしてるだろう」
サーナの言葉に、シャリファンは答えない。
草原で配偶者を亡くしたものの行く末は、ティグナを見ていれば容易に理解できることだ。サーナもそれがわかっているから、それ以上を口にしたりはしなかった。
「あれからの日々はとてもつらくて、苦しいことの連続だった。いくらお前の助けを借りたとはいっても、ただの若い娘が草原で生き抜くのは容易なことではない。……肉食の獣に侮られたこともあったな」
「そうだな。お前が少しでも剣を使えてよかったぜ。下手したらあのまま、食われておしまいだったかもしれねぇし」
茶化すようにサーナはそう話すが、その目はけして真剣さを失っていなかった。
「最初の冬が来て、お前はどうしても剣を選ぶって聞かなくて……俺は止めろって言ったのに、結局、お前はそうして復讐を選んだ」
「ああ」
「そして今……復讐するべき相手の一人……いや、三人か……は、お前の目の前にいるぜ」
「……ああ」
シャリファンは、それきり口を閉じる。
「…………まあ、お前の好きにすりゃあいいさ」
サーナはごろりと寝転がった。
「土地神である限り俺はお前を守るし、契約がある限り、すべてが終わった後のお前の時間は俺のもんだ。……何を選ぶにしろ、俺はずっとお前のそばにいるぜ」
小さく笑う気配は、目前の小さな火のように温かい。
目を閉じて、シャリファンはじっと考えた。
――己の進むべき道はどこにあるのか。
答えなど、即座に出るはずもない。