S2-1
昔、むかし。 ある所に一人の少女が住んでいました。
少女は生まれつき体が弱くて、あまり外に出れません。
そんな彼女が、いつも思っていたことは「海を見て見たい」でした。
少女が住んでいる町は、海がありません。
写真や絵で見る海はとても綺麗で、実際に見て見たいと、いつしか夢見るようになっていたのです。
けれども、少女は中々外に出られません。
しかも、海のある町までは車でも数時間かかるほど遠いところ。
自分では、一生かかっても辿り着けないだろうと少女は思うのでした。
・・・そんなある日、家の近くにある公園までやってきた少女はそこで絵を描いている一人の青年に出会うのです。
「・・・・・・」ぱたり、と本を閉じる。
そのまま視線を本から病室の窓の外へと移す。
夜の世界、真っ暗で何も見えない世界。
ずっと見てたら、まるで吸い込まれてしまいそう。
目を閉じ「淳は・・・」ポツリと、呟く。
―――淳は、私の―――に、なってくれるのかな。
・・・・・・。
・・・。
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【12月11日】
翌日、日曜日。
俺は再び、病院に足を運んでいた。
もちろん、鈴に会うためだ。
昨日あの後、無事に鈴と仲直りできた俺は
今日も病室に顔を出すと約束してから、家路に着いた。
俺が今日も来ると「本当? 来てくれるの?」と目を輝かせた鈴。
やはり、この病室で年頃の女の子が一人っていうのは大層退屈なのだろうと
その様子を見て思った。
病院の正面出口の自動ドアをくぐり、すぐにあるカウンターを見渡す。
が、琴乃。 鈴の姉の姿はそこにはなかった。
今日は休んでいるのだろうか?
ちょっと残念なような。 ・・・残念? どうしてだ?
・・・。
コンコン、鈴の病室の前まで来るとドアを軽くノックする。
「・・・」 しかし、中からの返事はない。
コンコン、もう一回ノックをする。
が、やっぱり返事は返ってこなかった。
病室にいないんだろうか?
と、そんなことを思っていた時だった。
「淳くん」聞き覚えのある声が後ろからして、その方に顔を向ける。
「琴乃」 そこにいたのは昨日の受付の制服ではなく私服であろう薄ピンクのコートに濃い目のブラウンの
色をしたスカートを履いた琴乃の姿があった。
「こんな所で何してるの? もしかして鈴蘭に会いに来た?」
「えっと、まぁ、はい」
「そっか。でも残念、あの娘は今検査中よ。
あと一時間くらいは戻らないと思うけど。」
「そうなんですか、じゃあ少しどこかで時間を潰してきます」
軽く会釈して、その場を後にしようとした俺だったが。
「待って、淳くん」
呼び止められ、動きを止める俺。
「なんですか?」
「良かったら、少し歩きながら話さない?
ほら、鈴蘭が帰ってくるまで暇でしょ?
あたしも今日休みで、ちょっとあの娘の様子見に来たんだけど
あの娘が帰ってくるまで暇だからさ」
「えっと・・・」
少し悩んだ俺だったが、断る理由もなかったので
「はい、いいですよ」 これを承諾。
「良かった。なら少しあたしに付き合って」
・・・・・・。
・・・。
「さむぅ」 白い息を吐いて俺は軽く身震いした。
琴乃に連れてこられたのは、病院の屋上だった。
勝手に入っていいのか分からない所だったから琴乃に
大丈夫なのかと聞いたら
「あたしは関係者だから大丈夫なのよ」とケラケラ笑っていた。
「んー。風が気持ちいいわねー」
琴乃が欠伸をするように、体を上にピンと伸ばした。
確かに、そよそよと弱い風が吹いているが今は12月なのでそれなりに寒い。
コートを着ているとはいえ、寒くはないのだろうか?琴乃は。
さて、あそこに座りましょうか。と琴乃が指を差した場所には
2~3人は座れるであろう大きさの、古びた木製のベンチが置いてあった。
屋上にベンチって置いてあるものなのか?
そんな疑問を抱きながら、先に座っていた琴乃の横に腰掛ける。
「ねぇ、淳くん」
「なんですか?」
「昨日は、その失礼な事言ってごめんなさい。」
「失礼な事?」
「ほら、あの娘のことで色々言いすぎたから」
「いや、それなら気にしてないです。
むしろ感謝したいぐらい。琴乃の言葉で色々気づいた点も多かったですし」
「そう? それなら良かったんだけど」
琴乃はそう言い終わると俯いてしまう。
「どうしたんですか? 何か元気ないような」
「なんていうか、淳くん。 あの娘のことどう思う?」
「どう、というと?」
「その、好き・・・とかある?」
「は、はい?!」 何を唐突に言い出すんだ、この人?!
「いや、そのあの娘結構顔は良いじゃない?
だから今までにも何回か鈴蘭に近づくのが目的で
男の人が声をかけてくることが多くて」
確かに、鈴は普通に可愛い。
俺の好みかそうじゃないかと問われれば、かなり好みだが。
「好きとかは、ないです・・・勿論嫌いではないですけど。
ていうか、まだ知り合って時間あまり経ってないんですよ?
好きになるとか、まだそんな考えられないですよ」
「そう、よね。 それならいいんだけど」
「ていうか、なんでいきなりそんなこと」
俺からすれば、なんでいきなりそんなことを訊かれるのか分からない。
「あー、うん。これはきっと、あの娘の“姉”としては言ってはいけない
事なんだと思うけどね・・・」
重い口振りで、琴乃は語りだした。
「ほら、あの娘あの状態じゃない?
もし病状が悪化したら大変だし、それがいつになるかも分からない。
でも最近思うの、鈴蘭も年頃だし本来なら恋の一つもする時期じゃない」
それは分かる、丁度恋に恋するような年頃だ。
普通に恋をして、彼氏を作って、思い出を作って。
そんなことが当たり前の年頃なんだ。
「あの娘は今まで恋もしたことないし。
でもね、あたしはそれでいいと思ってるんだ」
「・・・?」
「さっきも言ったけど、あの娘はいつどうなるか分からない体。
ううん、体だけじゃない。心だって、いつまで平穏で居られるか分からない」
自分がいつどうなるか分からない不安。
絶望感。劣等感、悲壮感。それが混ぜこぜになって
精神的に支障をきたす可能性だってあるってことか。
確かに、何もかもを諦めると言った彼女の目はそんな感じがあった気がする。
「だからね、あの娘には・・・恋をしてほしくないの」
「え・・・?」
思わず、琴乃の顔を覗き見る。
辛いのだろうか、唇をキュっと噤んでいる。
「恋をしたら、きっと一時は幸せな気持ちになれると思う。
もちろん、あの娘にはそういう感覚も覚えててほしい。
でも、いざ“その時”になったら、あの娘はどう思うかって考えたら。
やっぱり、それは違うんじゃないかって思えて」
・・・。好きな人が出来る、それは素晴らしい事だと俺は思う。
でも確かにそうだ、好きな程に別れの痛みも比例して大きくなっていく。
「だから、鈴蘭は恋人を作らない方がいいと思うの」
「・・・・・・」
俺は何も言うことが出来なかった。
「だからね、淳くん。 これはあたしからのお願い。」
琴乃は顔を上げて俺の瞳を真っ直ぐに見た。
気のせいか、琴乃の黒い瞳は少し濡れていたような気がした。
「鈴蘭がもし、淳くんを好きになったような素振りを見せたら
さり気なく、自分には恋人が居るからってことを言ってほしいの」
「え?! ていうか、俺恋人なんて・・・」
「嘘でもいいの、あの娘に、そう言ってくれるだけでいいから」
「大体、鈴が俺の事好きになるなんてことないと思いますけど・・・」
「ああ見えてあの娘は男の人にあまり接してこなかったせいで
ちょっとしたことで意識したりして、恋愛事には免疫がないのよ」
「・・・」
「だから、ちょっとしか事で好きになってしまうことも・・・」
「いやいや、いくらなんでもそんな・・・」
「もちろん、なってしまったら。の話よ。
貴方は鈴蘭に危害を加えなさそうだし、いい人そうだから。
きっと貴方なら、鈴蘭を笑顔にしてくれる、そう思うから。
あの娘から、貴方を離したいなんてしない。
でも、あくまで妹みたいに接してあげて。絶対に“恋人”関係には
ならないでほしい。 お願いします。」
琴乃は、俺にそう言うと深々と頭を下げるのだった。




