3.暗黙のルール
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あの人は一体何なのだろう?
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私は高校の登下校で電車を利用している。
田舎のローカル電車なので一時間におよそ一本程度しか便が出ていないワンマン電車(運転手が一人のっているだけの電車)である。
都会の通勤通学も一秒一刻を争うもので、一本乗り過ごせば大変なことなのだろうが田舎の朝も、都会とは若干違った種類の大変さがある。
なにせ乗り過ごせば、そこから一時間あいてしまうのだから。
それを肝に命じて毎朝、どんなに眠くても、寒くて布団から出たくなくても、起きる。
共働きの両親には頼ることができないため電車の時間に間に合わせるべく意地でも、起き上がる。
こんなふうに学生生活を送っている人は、けして少なくはないと思う。
この電車を利用している学生達ならば尚更のこと。
必然的に早朝六時五十分発の二番電車は学生やら通勤の人やらが次々と乗車してゆくため、とても混み合う。
この通勤通学ラッシュの時間帯だけ三十分に一本電車を増やしてくんないかな、なんてのが私の密かであり、切実な願いであったりするのだが。
まあ、それはさておき。電車を待つ間、もうしばらく通学時の電車についての話を続けようと思う。
というか、この話しは徹頭徹尾、乗車はしても降車することはないのでご了承ねがいます。
私はそんな車内の混雑ピークをむかえる、始発駅から数えて五番目の駅よりもわりかし前に乗車するため席は所々空いている。
それでもあと二、三駅もすればあっという間に席は人で埋まってしまいその後五番目の駅から乗車する人達は座っている人の前でつり革を持つなり壁にもたれるなりして車内に立つこととなる。
その時は私の前にも人は立つので視界は遮られ、向かい側の窓の景色など到底見えなくなる。
ちなみに言うと、私は景色を眺めることが好きなのだ。
向かい側に誰かが座らない限り車窓の景色を眺めることを通学時の日課にしているとも言って過言ではない。
それでも人が車内になだれ込み視界が塞がってしまえば前方を見ることは難しくなる。
変に顔を上げて人と目があっても気まずいしね。
電車がやってきた。
今日も私は乗車して、空いている座席へと座る。
私が乗車してから二駅目に来たところで正面の空席に人が座ったため視線を車窓からモザイク柄の床へと落とす。
もう、車窓の外がどんな景色になっているのか見ることはできない。
あのそこに誰がいるのかも。
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ある日の朝。
私はいつものように、やって来た電車に乗り込む。
それからは電車の中で人と目が合わないように伏し目がちに車内を進みいつもの、扉から入ってすぐの空いている席にさっと腰かける。
扉が閉まり、電車がゆっくりと動き出す。
ここで、車内には暗黙のルールなるものがあるので紹介しよう。そう大々的に紹介するまでもなく一般常識として周知されていることかもしれないけれど、一応。
暗黙のルール。それは、
『車内では下を向いて過ごす』ことである。
誰も言葉にはしないが誰もがそうすること。
車内では皆、自身の携帯を見るなり、本を読むなり、眠るなりして下を向き、視界を遮断し極力周りと目を合わせないようにしている。
合わさらないように努力している。
私もそうする。
中学生の頃、いつかのときに見た外国のドラマがあった。
作中の主人公が始めて地下鉄に乗る天真爛漫なヒロインへ向けてシリアスに忠告をしていた気がする。
何でも、地下鉄では一切人と会話することも目を合わせることも駄目、というぐらいに言っていたので少し大袈裟な気がしたが。
それくらい海外の地下鉄は危険だということを伝えたい風刺的な演出だったのだろうか?
外国のドラマを見た中学生の頃、私は町内の学校へ通っていたので、なかなか電車に乗る機会がなかった。
クラスメイトのように都会へ買い物へ出かけるようなこともしていなかったので尚更あのシーンはしっくりこないものであった。
ゆえにこの、『車内では下を向いて過ごす』という暗黙のルール。
あまり電車の勝手を知らない一年次の頃は少々困惑した。
それでも二年次となった今ではだいぶこの空気感にも慣れた。
そのため今は、全てでなくとも中学生の時よりかはその真意が分かる気がする。
電車や地下鉄、バスなどはあくまで目的へ向かうための公共交通機関なのだ。
そんな、目的地に着くまでの中継地点では極力トラブルなんて起こさずにスムーズにいきたいものだ。
本来の目的以外で労力は割きたくない。
それも朝っぱらからのトラブルなんて尚更ごめんこうむりたい。
ゆえに、朝の車内では大人しく目的の駅まで息を潜めるように待ち、無駄なエネルギーを使わないようにするのが適策。
と、おそらくそんな結論に大半の乗客は行き着くのだろう。
しかし、ここまで思考がたどり着いた私には、それでもなお、どうしても顔をあげて、いつもの席から目の前の車窓の外を見たくなってしまう『目的』がいつの日からかできてしまったのだ。
そう、どんなに人で混雑し始めて、人が目の前に立っても。
人と目が合うリスクをはらんでいても。
現在、まだ通路を挟んだ向かい側の正面には、誰もいない。
乗車してから二駅目。次の駅にもうすぐ着く。
おそらく席は埋まり車内は混み始めることだろう。
そうなれば、きっと、前に目線を向けることはできなくなる。
それでも私は、目を向けたい。どうにかして、車窓の外にいる『目的』の正体を確かめたい。
お願いだから、目の前の席に誰も座らないでください……
『ピンロンッ』
ここでいつものようにアナウンスが車内にかかる。
『この電車は一両編成の~ワンマン電車になります
次の駅は、霊花~霊花でございます』
次の駅に着くまでは正面が開けているため他の人達とは違って、堂々と前を向いて外の景色を見ていることができるのだ。
だから、いつの日か、気づいてしまったのだ。
あの違和感に……
電車が徐々に減速してゆく。
じきに次の駅が車体の右側、私の座っている座席側に見えてくる。
そして、あの人は……
次の駅、霊花駅は木造の小さな待合室があるだけの無人駅だ。(ここでは駅員がいないため乗車する人は降りるときに運賃を払うことをする)
そんな霊花駅から十数メートル進み、線路をまたいだ駅の向かい側の土手の上にて、今日も制服姿の男子が一人、俯いたまま立っている。
あの人は一体何なのだろう?
線路にはこの、一時間に一本のローカル鉄道以外は通らない。
無論行きと帰りで停車する駅が変わることもないし、反対側に駅があるわけでもない。
車両同士がすれ違う地点でもない一本線である。
私は今まで、次の駅に到着するアナウンスが流れ始めると共に日課の景色を眺めることを止めて視線を床に落としていた。
しかし、いつの日だったか、アナウンスを聞き取るのが少し遅れたため普段よりも少し長めに外の景色を眺めていたときがあった。
減速してゆき、アナウンスが入り、自分の真後ろの窓越しに電車を待ってばらばらと立っている人達が見え、ホームに車両が停車するまで。
扉が開くぎりぎりまで駅の向かい側の景色を眺めていた。
そしたら、たまたま『あの人』がいることに気付いたのだ。
あれ?と。
あんなところにいるけど、電車を待っているわけではないよね?
あそこで誰かを待っている?
それとも電車を眺めるのが毎朝の日課の人だろうか?
……何にしても、あの人は何をするでもなくただ俯いているばかり。何かを眺めている素振りもない。
今朝も、様々な疑問をいつものように浮かばせていると電車が止まり扉が開く。
ここまでかあ。
私はここで、いつものように視線を車内の床に落とす。
同時に私の座っている脇から数人車内に入ってくる音がする。
靴が三足分私の前を横切ってゆく。
そして、空席だった私の正面にはついにスーツのおじさんがどっかりと座ってしまう。
これで完全に正面を向くことができなくなったわけだ。
強行突破っ、と正面の車窓を見ようものなら、きっと正面のおじさんと目が合い、私が見ていると勘違いされてしまうというのが目に見える。
ゆえに、できない。朝からそんな変な空気を味わうのは嫌なのだ。
電車は動きだす。
私は本日もいつも通り、終点の駅まで車内の暗黙のルールに従うのだった。
*
数日後のある朝。
いつもの通学時間にて。
私は車内の暗黙のルールを破ることにした。
『……次は、霊花~霊花でございます』
次の駅が近づく。
今日こそは……
車体の振動だけが響く静かな車内で私は一人決心する。
あの人は一体何なのか。今日こそ突き止めたい。
あの人が車窓から見えるぎりぎりまで見る。
そうして電車が通り過ぎた後、あのままあそこにいるのか、それともどこかに行ってしまうのか。
それだけでも知りたい。
制服姿のあの人。
ここでふと思う。
そういえば、ここら辺の学校では見ない制服だな、あの人……。
駅のホームが見え電車は減速してゆく。
そして今日も駅から少し進んだ反対側にあの人が立っているのが見える。
何をするでもなくただ俯いていて、どんな顔なのかも分からない。
停車し、ホーム側の扉が開く。
いつも通り三人ほど私の前を通ってゆく。
いつもならば床に落としているはずの視線を正面に向ける。
少しどきどきする。
出来るだけ通る人の顔ではなくその奥の車窓を見るようにしている。
一人目。二人目。三人目。
幸い、正面の座席はまだ埋まっていなかった。
そのため、前方の光景をはっきりと見ることができた。
三人目の人が私の前を通る瞬間。
必然、奥の車窓の景色も遮られ、ほんの零点数秒、正面が見えなくなる。
そして人が通り過ぎると、あの人の姿は消えていた。
ほんの一秒足らずのそんな光景を目撃し、私はすんと納得してしまった。当然と。
妙に府に落ちる感覚。
そうか、今までもきっとそうだったのだ、と。
普段は視線を落としていたからあの人が見えなかったわけではない。
あの人はきっといつもここで消えてしまうのだ。
あの人の正体を悟り、なお釈然と車窓を眺める私。
その正面の開けた席には、いつの日かのスーツのおじさんが、いつもよりも少々遅れて車内へ入ってきて、どっかりと座った。
案の定、私と正面のおじさんは互いに一瞬ぱちっと目が合ってしまう。
私はこの暗黙のルールの理由をここでやっと理解できた気がした。
(完)




