焦土の砦 ― 初陣の光と影
焦土の砦 ― 初陣の光と影
王都の警鐘が鳴り響く中、アレンの直属騎士団はすでに出立の準備を整えていた。
黒馬に跨がる兵たちの鎧が朝日にぎらりと輝き、緊張と焦燥を帯びた空気が辺りを支配する。
リリアナはその列の中央、アレンのすぐ後ろの馬車に乗り込んだ。
王都から前線砦までは約半日の距離。
揺れる馬車の中、リリアナは両手を組み、深く息を吸った。
(こわい……でも、行くと決めた。)
胸の奥がずっとざわついていた。
契約の環が響くたびに、アレンの魔力を感じる。
それが心強い一方、己の中の光と闇がぶつかり合う痛みに変わる瞬間もあった。
癒す力。
救う力。
だが、破壊すらもたらす力。
どちらに傾くのか、自分でもわからない。
だが――現場に行けば避けられないはずだ。
魔獣の惨状。
倒れる兵たち。
泣き叫ぶ者もいるかもしれない。
(私は……本当に皆を救えるの?)
手が震えたその瞬間、馬車の扉がノックされた。
「リリアナ、入るぞ。」
アレンの声だ。
彼は馬車に乗り込み、向かいに座った。
騎士団長のバルドウィンや他の兵士たちへ指示を飛ばし、
最後に彼女の顔をじっと見つめる。
「緊張しているか。」
「……はい。」
「当然だ。初陣は誰だってそうだ。」
アレンは少しだけ目を細めた。
戦場を怖れた者を責めるのではなく、
それを当たり前と受け入れる優しさだった。
「だが、忘れるな。
君はひとりではない。俺の声と魔力がそばにある。」
「……ありがとうございます。」
リリアナの心は少しだけ軽くなる。
けれど、その直後――アレンは急に真剣な表情を見せた。
「前線砦は……壊滅している可能性が高い。」
「……!」
リリアナの胸が締めつけられる。
「この侵攻には異常性がある。
ただの魔獣の群れではありえない動きだ。
まるで、ひとつの意志に従っているかのような……」
彼の言葉には迷いがなかった。
ただし、その瞳の奥にわずかに揺れているのは――恐怖ではなく、決意。
(アレン様は……何を知っているの?)
問いかけようとしたとき、馬車が大きく揺れた。
前方から騎士の叫び声が響く。
「殿下! 視界の先に――砦が!」
アレンはすぐに馬車を降りた。
リリアナも裾を控えながら後を追う。
丘の上から見えた光景に、言葉が失われた。
焦土。
砦の石壁は崩れ、黒煙がまだ立ち昇る。
焼け焦げた木材、倒壊した塔、裂けた大地。
地面には深い爪痕――魔獣のものだ。
兵たちが息を呑む。
誰もが覚悟はしていたが、実際の惨状は想像を超えていた。
リリアナの鼓動が早まる。
(こんな場所で……私は、力になれるの?)
震えている自覚があった。
しかし、逃げる選択肢はもうない。
アレンが静かに言う。
「リリアナ、ここが戦場だ。
だが……」
彼の目が彼女を射抜いた。
「恐れる必要はない。お前の力は俺が支える。」
胸の奥が熱くなる。
契約の環が響き、リリアナは小さく頷いた。
騎士たちが砦跡へ突入すると、
崩れた石壁の陰からうめき声が聞こえた。
「……生存者だ!」
血に濡れた兵士が、倒れた仲間の体を必死に抱えていた。
腕は砕け、体には黒い腐食痕――魔傷だ。
リリアナは駆け寄った。
「治療を——」
手を伸ばした瞬間、兵士が怯えたように身を引く。
「し、聖女……? 本当に……?」
噂は知っているのだ。
追放された偽聖女と。
その視線は恐怖と希望の入り混じり。
リリアナは静かに微笑んだ。
「大丈夫です。
私は……あなたを救いたい。」
祈りが胸に満ちていく。
光が手のひらに集まり、患者を照らす。
しかし――次の瞬間。
(……また……!)
胸の奥で蠢くものが暴れ始めた。
癒す力の裏に潜む破壊の衝動。
光が黒へと揺れ、形を歪ませる。
兵士の傷口に触れたところで、リリアナは急に手を引いた。
「リリアナ!」
アレンがすぐ側に回り込む。
「制御だ! 意識を俺に集中しろ!」
リリアナは彼の腕を掴み、必死に呼吸する。
(落ち着いて……落ち着いて……!)
しかし光と闇の境が曖昧になっていく。
癒しが壊しへ変わる寸前。
その時――アレンがリリアナの手を包み、
「戻ってこい、リリアナ!」
契約の環が輝き、暴走が吸い込まれるように鎮まった。
祈りが正常に戻り、患者の傷が閉じていく。
黒い腐食は消え、呼吸が安定した。
兵士が涙を流しながら言う。
「……ありがとう……ございます……聖女様……!」
リリアナは胸を押さえた。
(危なかった……また壊しかけた……)
その肩にそっと手が置かれる。
アレンだ。
「よく戻ってきた。
――お前は、できる。」
言葉は短いが、深い意味を含んでいた。
その直後だった。
騎士長バルドウィンが地を蹴り、剣を抜いた。
「構えろ! 影の中から――何かが来る!!」
砦跡の奥、崩れ落ちた兵舎の裏から、
黒い霧が揺れながら立ち昇る。
風はない。
だが霧は意志を持ったように蠢き、形を変えていく。
凶悪な牙。
巨大な爪。
牛のような巨体に、蛇のように伸びた首――
魔獣が霧の中から姿を現した。
リリアナは目を見開く。
(あれが……魔獣……)
しかし――その魔獣からただならぬ違和感を感じた。
通常の魔獣から感じるただの暴走する命の匂いではない。
これは――
意志だ。
憎悪や渇望を超え、
まるで誰かの感情そのものが具現化したような圧力。
アレンが剣を構え、低く呟く。
「……まただ。
以前から感じていた……魔獣の背後の何かを。」
リリアナは息を呑む。
アレンは知っているのか?
魔獣の背後に、人ならざる何者かの意志があることを。
問いかけようとした瞬間、
魔獣が突進してきた。
「リリアナ、下がれッ!!」
アレンが叫び、間に割って入る。
大地が砕け、泥と血の匂いが舞う。
リリアナは震える手で祈りを構えた。
(逃げない……私がここにいる理由は――救うため!)
しかしその祈りは、
癒しの光と、黒い焔のような力を同時に帯び始めた。
光か、闇か。
慈しみか、断罪か。
初陣――
リリアナの覚醒は、まさにこの瞬間に始まっていた。




