契約の儀 ― 選ばれし光、迫る影
契約の儀 ― 選ばれし光、迫る影
薄曇りの朝だった。
王城の高い塔から差す光は柔らかく揺れ、儀式の間には静謐な気配が満ちている。
リリアナは白い式服を纏い、胸元に手を添えて立っていた。
淡い薄布が肩を覆い、裾には聖紋が浮かぶ。
かつて祖国で捧げた聖女服とは違う――重さではなく、気高さを宿す衣。
鏡に映る自分は、昨日までと別人のように見えた。
覚悟を飲み込み、前を見る顔。
(もう逃げない。これは……私が選んだ道だから。)
儀式の準備が進む大広間には、王族や高官たちが整列していた。
中央には光を集める魔法陣――聖契の環。
王家と聖女を結ぶ唯一の儀だ。
その先で、アレンが静かに彼女を待っていた。
いつもより少しだけ厳しい眼差し。
だが、その奥に微かに揺れる温度を、リリアナは昨日の訓練で知っていた。
アレンが手を差し出す。
「来い、リリアナ。契約の儀を始める。」
少しの逡巡ののち、リリアナはその手を取った。
触れた瞬間、掌から伝わる体温に鼓動が跳ねる。
だがそれを悟られないように、目を伏せて歩いた。
円環の中心へ立ち、二人は向かい合う。
評議長が厳粛に宣言する。
「聖女と王家、その契約は命の共有である。
片方が倒れれば、片方も傷つく。
互いの命運を、一つの環に束ねるもの――」
リリアナは息を呑んだ。
命の共有。
その重みが胸に降りてくる。
(私の制御が失敗したら……アレン様も……)
恐れがよぎる。
しかし、逃げ道は用意されていない。
アレンが小さく笑った。
「怖れるな。これは王家が君に託す誓いだ。
――お前が崩れそうになった時、俺が支えるという誓い。」
「……アレン様。」
その言葉に、心の奥まで灯が届く。
二人の手が重なり、魔法陣が光を放つ。
白金の光が円環となり、二人の胸へ流れ込む。
――熱い。
だが痛みではない。
生命が混ざりあう不思議な感覚。
(……あたたかい……)
アレンの魔力がリリアナの中へ入り、リリアナの光がアレンに流れ込む。
どちらも拒絶なく、自然に溶けあう。
評議長が宣言した。
「これより、聖女リリアナ・フィーネは、アルスター王家第1王太子アレン・アルスターと聖契を交わす!」
光が弾け、天井まで舞い上がる。
広間に歓声と拍手が広がった。
しかし――すべての者が喜んでいるわけではなかった。
その奥の陰、柱の影でひとりの男が視線を細める。
反聖女派の筆頭、側近長エルドレッド。
彼は口角だけをわずかに上げ、つぶやいた。
「王太子殿下……危険な賭けをお選びになったようですな。」
その声は誰にも届かず、影の中へ消えた。
儀式が終わった後、アレンはリリアナと二人きりで控え室へ向かった。
誰もいない廊下は静まり返り、窓から差す光が白いタイルを照らす。
リリアナはまだ胸の奥に熱を感じていた。
それは契約の余韻――アレンの魔力が自分と共鳴している証だ。
「顔色が悪いな。」
アレンが立ち止まり、彼女の肩に触れた。
その仕草は丁寧で、指先に迷いがない。
「……すこし、胸が重いだけです。」
「契約の負担だ。慣れれば落ち着く。」
「慣れる……のでしょうか。」
リリアナは視線を伏せる。
自身の中の光と闇が蠢く気配は、昨日よりさらに濃くなっている気がした。
アレンは彼女の頬にかかる髪を払った。
その動作には理由があるのか、ただの癖なのか――わからない。
「リリアナ。」
「はい……?」
「俺がお前を選んだのは、実力だけではない。」
「……それは。」
アレンはふいに視線を逸らした。
王太子の顔とは違う――ほんの一瞬、素の揺らぎがある顔。
「お前は……自分が傷つくことより、人が傷つくことを怖れている。それは本物だ。
光を求めていなくても、光を宿してしまう者がいる。
――俺は、そういう人間を放っておけない。」
投げかけられた言葉は、リリアナの胸を柔らかく刺した。
自国では偽物と切り捨てられた心。
それを、この青年は迷わず拾おうとする。
(どうして……?)
問いは飲み込んだ。
まだ聞くには早い気がした。
アレンは続けた。
「だからこそ、お前に生きてほしい。
そして――選んでほしい。」
「選ぶ……?」
「救うか、壊すか。
お前の力は、そのどちらにも傾けられる。」
リリアナは息を呑む。
アレンの瞳は冷静で、しかし深い情が宿っていた。
「だが……俺はお前に、救う方を選んでほしい。」
それは願いであり、命令ではなかった。
けれど、どんな強制よりも強く響いた。
リリアナが口を開こうとしたその時――
城の奥から急速に駆け寄る足音。
騎士が扉を開け、膝をつき叫ぶ。
「王太子殿下! 緊急報告です!」
アレンは眉を寄せ、声を落とした。
「何があった。」
「国境砦が――魔獣の大群に襲われました!
現地からの連絡は断絶。生存者の確認はできておりません!」
大広間の空気が一瞬、凍る。
リリアナは胸を押さえた。
契約の環が熱を帯び、心臓がざわめく。
未来の影が押し寄せるような、不穏な波。
「魔獣……また……」
騎士は続けた。
「大陸東側で発生した異常震動と同時に、黒い霧が砦全体を覆ったとの報告が……
魔獣の規模は過去最大と思われます!」
アレンはすぐに立ち上がった。
「救援隊を編成する。俺も前線へ出る。」
「殿下!? 危険すぎます!」
騎士が慄くが、アレンは迷わない。
そして振り返り、リリアナに視線を向けた。
「リリアナ。」
「……はい。」
「来るか、来ないか。
――選ぶのは、君だ。」
胸に宿る光が揺れる。
闇が囁く。
破壊の衝動が微かに疼き、指先が震える。
救うか、壊すか。
リリアナの力は、どちらへ傾くのか。
だが――答えはひとつしかなかった。
「……行きます。
私を必要としている人がいるのなら。」
アレンはわずかに目を見開き、微かに笑った。
その笑みに、騎士ですら息を呑む。
「ならば俺がお前を守る。
前線で、お前の力を証明しろ。」
リリアナは深く息を吸い、頷いた。
恐れは残る。
しかしそれ以上に――胸の奥で確かな灯が燃えている。
かつて追放された少女は、いま救世の鍵として立ち上がる。
王都に警鐘が鳴り響いた。
魔獣侵攻――
その影が、二人の未来を飲み込もうとしていた。
リリアナは薄曇りの空を見上げた。
光と闇の狭間で、彼女の選択は確かに始まっている。




