王の前へ ― 聖女は何を語るのか
王の前へ ― 聖女は何を語るのか
王都アルスターへ向かう街道は、
かつてよりも静かだった。
それは平穏の静けさではない。
人々が息を潜め、
「次に何が起こるのか」を待つ沈黙だった。
聖女軍の陣地に、
王都の紋章を掲げた使者が現れたのは、
初戦から数日後の朝だった。
「王命である」
白髪混じりの老騎士は、
そう前置きしてから言った。
「王太子アレン・アルスター、
ならびに聖女リリアナを
王都へ招く」
その言葉は、
命令でも、
懐柔でもなかった。
対話の要請だった。
陣地に、
ざわめきが走る。
王都へ戻るということは、
守りを離れるということ。
捕らえられる可能性も、
排除される可能性もある。
副官が、
慎重に口を開く。
「……条件は?」
使者は、
即答した。
「護衛の同行を許可する」
「教会軍、王弟派の
一切の干渉を排除する」
「王は――
話を聞くと仰せだ」
その言葉に、
リリアナの胸が
わずかに高鳴った。
(……聞いて、くれる)
それだけで、
行く理由は十分だった。
アレンは、
一瞬だけ目を閉じ、
そして言った。
「……分かった」
「王都へ向かう」
王城アルスター。
かつて、
アレンが当たり前のように
歩いていた回廊。
今は、
ひどく遠い場所に感じられる。
玉座の間へ向かう途中、
アレンは足を止めた。
「……久しぶりだな」
リリアナが、
小さく頷く。
「……怖いですか?」
「……ああ」
アレンは、
正直に答えた。
「だが……
逃げる理由も、
もうない」
扉が、
ゆっくりと開く。
玉座には、
老王が座っていた。
痩せた身体。
深い皺。
かつての威厳は、
薄れている。
だが――
その目は、
まだ鋭かった。
「……アレン」
老王が、
息子の名を呼ぶ。
「久しいな」
「……お久しぶりです、父上」
二人の間に、
重い沈黙が落ちる。
剣を抜くことも、
膝をつくこともなく、
ただ立って向かい合う。
それが、
彼らなりの再会だった。
「……王太子として、
戻る気はないか」
老王の言葉は、
探るようでもあり、
試すようでもあった。
アレンは、
首を横に振る。
「王太子としてではありません」
「一人の人間として、
話をしに来ました」
老王の視線が、
彼の後ろへ移る。
「……聖女か」
リリアナは、
一歩前に出た。
祈りも、
儀礼もない。
ただ――
まっすぐ立つ。
「……はじめまして」
その声は、
小さいが、はっきりしていた。
「リリアナと申します」
老王は、
じっと彼女を見つめる。
「……聖女とは、
こうも……
普通の娘なのか」
「はい」
リリアナは、
即答した。
「普通です」
「怖がりますし、
迷いますし……
間違えます」
その答えに、
老王は
わずかに笑った。
「……では、聞こう」
「なぜ、
戦場に立った?」
「なぜ、
教会に逆らった?」
「なぜ、
国を割る存在に
なった?」
問いは、
鋭かった。
だが――
断罪ではなかった。
答えを、求めていた。
リリアナは、
深く息を吸った。
(……神でも、
政治でもない)
(……わたしの言葉)
「……戦場で」
彼女は、
静かに語り始める。
「祈りました」
「でも……
癒すためだけじゃ
ありませんでした」
「恐怖で、
動けなくなった人たちに……」
「まだ立っていいと
伝えたかった」
老王は、
黙って聞いている。
「教会に逆らったのは……
神に逆らったからではありません」
「神の名で人が殺されることが……
怖かったんです」
声が、
わずかに震える。
「……もし」
「神が本当にいるなら……」
「人の声を、
奪わないでほしい」
その言葉は、
祈りではなく、
願いだった。
「国を割ったのは……
わたしじゃありません」
「人が……
考え始めたからです」
「信じるって、
何だろうって」
「守るって、
誰のことだろうって」
リリアナは、
王を見つめる。
「……陛下」
「わたしは……
王を裁けません」
「神でもありません」
「でも……
戦場で見たことは、
嘘じゃありません」
「だから……
それを、
話しに来ました」
長い沈黙。
玉座の間には、
風の音だけが響く。
老王は、
ゆっくりと目を閉じた。
(……神か)
(……人か)
彼の脳裏に、
過去がよぎる。
王として下した決断。
守れなかった命。
便利な言葉として使った
神意。
「……なるほど」
老王は、
低く呟いた。
「聖女とは……
答えを与える者では
なかったのだな」
彼は、
リリアナを見る。
「……問いを、
残す存在か」
リリアナは、
何も言わず
頭を下げた。
老王は、
アレンへ視線を移す。
「……お前は」
「この娘の言葉を、
信じるのか」
アレンは、
一瞬も迷わなかった。
「はい」
「……王よりも?」
「……人として」
その答えに、
老王は
深く息を吐いた。
「……そうか」
彼は、
玉座から立ち上がる。
それだけで、
場の空気が変わる。
「王命を下す」
その声は、
老いてなお、
力を持っていた。
「聖戦を、
一時停止とする」
ざわめき。
「教会軍、王弟派に
即時通達せよ」
「聖女リリアナは、
国家の保護下に置く」
「――ただし」
老王は、
リリアナを見る。
「神の代弁者としてではない」
「一人の人間として、
この国に在る」
その言葉は、
完全な勝利でも、
終戦でもなかった。
だが――
流れを変える一手だった。
謁見が終わり、
回廊を歩く。
リリアナの足は、
少し震えていた。
「……終わりました、ね」
「……いや」
アレンは、
静かに答える。
「始まった」
彼は、
彼女の手を取る。
「だが……
今日の言葉は、
きっと残る」
リリアナは、
空を見上げた。
王都の空は、
思ったより広い。
(……わたしは)
(聖女だけど……)
(人間でいて、
よかった)
その想いが、
胸に満ちる。
遠くで、
鐘が鳴る。
それは――
宣告でも、
聖戦の合図でもない。
変化の始まりを告げる音だった。
〈了〉




