聖戦の名のもとに ― 神は誰を選ぶのか
聖戦の名のもとに ― 神は誰を選ぶのか
鐘の音が、王都アルスター全域に響き渡った。
それは祝福の鐘ではない。
悲嘆の鐘でもない。
宣告の鐘だった。
大聖堂の前広場は、
朝から異様な熱気に包まれていた。
白衣の司祭たちが整列し、
武装神官が剣を掲げる。
司祭長エルドレッドは、
高台に立ち、
沈黙を命じた。
「神の名のもとに――」
その声が響いた瞬間、
民衆は膝をついた。
「我らは今、
大いなる冒涜を目にしている」
「聖女の名を騙り、
王権を分断し、
民を惑わす存在」
「それは――
偽りの救済者である」
ざわめき。
「よって、
神意に背く者を討つため――」
エルドレッドは、
両手を広げた。
「聖戦を宣言する」
一瞬の沈黙のあと、
歓声とも悲鳴ともつかぬ声が
広場を埋め尽くした。
「神よ……!」
「聖戦だ……!」
「異端を滅ぼせ……!」
それは、
疑う余地を奪う言葉だった。
その日の午後。
王城の地下回廊。
王弟ルグランは、
ゆっくりと歩いていた。
彼の前には、
司祭長エルドレッド。
二人は、
互いに深く礼をすることもなく、
視線だけを交わした。
「……聖戦とは、
ずいぶん大きく出ましたな」
ルグランの声は、
皮肉を帯びている。
「民衆は、
理由を必要としません」
エルドレッドは淡々と答えた。
「神がいれば、
十分です」
ルグランは、
小さく笑った。
「結構」
「こちらも、
王太子派を潰す口実が
欲しかったところだ」
彼は、
地図を広げる。
「我が軍は、
南方から合流できる」
「教会軍が正面を叩き、
こちらが背を断つ」
エルドレッドは、
一瞬だけ眉をひそめた。
「聖女は……
生け捕りが望ましい」
「当然だ」
ルグランは、
薄く笑った。
「だが……
抵抗するなら、
事故も起こる」
二人の視線が交わる。
そこに、
神も正義もなかった。
あったのは、
利害の一致だけだった。
聖戦の宣言は、
瞬く間に広がった。
町では、
人々が二つに分かれ始める。
「聖女は偽りだ!」
「教会が正しい!」
「いや、
あの聖女に救われた者がいる!」
市場で、
怒号が飛ぶ。
「神に背く気か!」
「神は人を殺せと
教えたのか!」
石が飛び、
悲鳴が上がる。
家族が、
分かれる。
父は教会側。
息子は王太子派。
「目を覚ませ!」
「父さんこそ……!」
剣が抜かれる前に、
兵が割って入る。
だが――
溝は、埋まらない。
祈りは、
人を繋ぐものだったはずだ。
それが今、
人を切り裂いている。
夕暮れ。
聖女軍の陣地に、
急使が駆け込んだ。
「殿下!」
「教会が……
聖戦を宣言しました!」
一瞬、
静寂。
誰もが、
その言葉の意味を理解していた。
「……民衆は?」
アレンの問いに、
急使は唇を噛む。
「……分断されています」
「町によっては、
暴動も……」
誰かが、
低く呟いた。
「……もう、
戻れない」
アレンは、
目を閉じた。
「……そうだな」
リリアナは、
胸の奥が冷たくなるのを感じていた。
(……聖戦)
(神の名のもとに……)
夜。
リリアナは、
陣地の外れで
一人、座り込んでいた。
祈ろうとしても、
言葉が出ない。
(……神様)
(あなたは……
誰を選ぶの?)
教会は、
神の名を掲げている。
でも――
その結果、
人が傷ついている。
(……わたしが)
(祈りを拒めば……
それは、神を否定すること?)
彼女の中で、
二つの声がせめぎ合う。
「従え」
「疑うな」
「守れ」
「考えろ」
そこへ、
アレンが来た。
「……眠れないか」
リリアナは、
小さく首を振る。
「……わたし……
聖女なのに……」
声が、
震える。
「神の名を使って、
人が殺されるのを……
止められない……」
アレンは、
彼女の隣に座った。
「……俺は、
神を信じていない」
その言葉に、
リリアナは目を見開く。
「でも……
人が人を守ろうとする意志は、
信じている」
彼は、
彼女を見る。
「お前が迷うなら、
それは……
人を見ている証拠だ」
「迷わない聖女より、
ずっといい」
リリアナの瞳に、
涙が溜まる。
「……でも……
聖女として……」
「聖女は、
役割だ」
アレンは、
静かに言った。
「だが――
お前は、人間だ」
「神が誰を選ぶかは、
分からない」
「だが……
俺は、お前を選ぶ」
その言葉が、
胸に深く沈んだ。
リリアナは、
ゆっくりと息を吸う。
(……信仰と、人間)
(どちらかじゃない)
(……両方を、
見なきゃいけない)
その夜。
リリアナは、
初めて問いかける祈りをした。
「……神様」
「もし、
あなたが本当にいるなら……」
「どうか……
人を殺せとは
言わないでください」
風が、
静かに吹いた。
答えはない。
だが――
彼女の胸の奥で、
あの温度が
わずかに強くなる。
人の痛みに、
寄り添う感覚。
それは、
信仰の形を
変え始めていた。
夜明け前。
斥候が戻る。
「教会軍と王弟派、
完全合流を確認!」
「進軍開始は……
明日!」
誰も、
声を上げなかった。
アレンは、
剣に手を置く。
「……準備を」
「俺たちは、
聖戦と戦う」
リリアナは、
立ち上がった。
「……わたしも」
アレンが見る。
彼女は、
迷いながらも
はっきり言った。
「神の名じゃなく……
人の命のために、
祈ります」
それは、
宣言だった。
遠くで、
教会軍の篝火が
増えていく。
光は、
一つではない。
だが――
どの光が、
人を救うのか。
その答えは、
これから血と祈りの中で
問われることになる。




