9. 話の長いギデオン②
ジョナがほうぼうに問い合わせをした結果、返事が戻ってきた。大半は手紙だけど、たまに自ら訂正に駆けつけてくれる人もいる。
「ちょっとー、お父さま、あんな嘘八百。よくもいけしゃあしゃあと」
疎遠になっていたギデオンの娘がバーンと登場した。
「メアリーではないか。久しぶりじゃの」
「お父さま、思ったよりお元気そうね」
ふたりの間の空気がしんみりする。メアリーがジョナを見て笑顔になる。
「ジョーリーンさん、お手紙ありがとう。父の伝記を売るために契約結婚までしてくださったそうね。悪いわね。この人、昔からめちゃくちゃなのよ」
「とんでもございません。仕事ですから、お気になさらず」
ジョナはしとやかに微笑む。メアリーを座らせ、お茶を手渡し、紙とペンを持つ。
「それで、嘘八百とはどのような?」
「それよ、それそれ。わたくし、お母さまからよく聞いてましたの。ですからふたりの馴れ初めは熟知しておりますの」
ギデオンが新聞を広げて顔を隠した。
「スイカでハンカチまでは合っていますわ。その後は真逆ですわ、真逆」
「ほうほう」
「お父さまはね、お母さまがハンカチで口を拭いているときにね、お母さまのベタベタの手を取って、跪きましたのよ。そして、叫びましたの」
メアリーがお茶を飲み干し、空のカップを机に置き、跪いてジョナの手を取った。
「好きだ、惚れた、結婚してくれーって」
メアリーが大声で叫ぶ。使用人たちが扉を少し開けて覗いた。
「あら、わたくしったら、つい。みんな、気にしないで。お芝居の練習をしていただけよ。さあ、仕事に戻りなさい」
使用人たちは目を丸くして去って行った。メアリーは椅子に座り、スカートのシワを伸ばした。
「とにかく、お母さまがお父さまを口説いただなんて。大嘘ですわ。お父さまったら、オウムみたいに、好きだ惚れた結婚してくれーって連呼したのよ。市場中の人が寄ってきて、お母さま恥ずか死ぬ寸前だったそうよ」
「いいお話ですね。それから?」
「騒然としてしまったので、マッケランおじさまがお父さまを殴って気絶させて担いで帰ったのよ。マッケランおじさまにお礼言わなきゃ」
「それには及ばん」
扉が勢いよく開き、白髪の老人が現れる。
「マッケランおじさま」
「マッケラン、お前、この死にぞこないめが。生きておったか」
「おうよ、この通り、ピンピンしておるわ。メアリー、相変わらず美しいな。そなたがジョーリーンか。これはまた、ダイアナにそっくりではないか」
マッケランがジョナの手を取り、口を近づける。紳士らしく、口を近づけるだけで唇がジョナの手の甲についてはいない。
「相変わらず気障な男だ、ハッ」
新聞を投げ捨て、ギデオンが立ち上がる。
「なにおう、この大ぼら吹きめが。ヒュードラーの首は、俺が五つだ。ギデオン、お前は四つだけだったではないか。しかも、あれは俺のお情けで取らせたやっただけ。本来なら俺ひとりで倒せた」
「マッケランのバカめ。すっかり耄碌しておるようだの。髪もヒゲも真っ白ではないか」
「ほざけ、お前こそヨボヨボではないか」
「ぐぬぬ、かくなる上は剣で結論を出そう」
ギデオンが壁から剣を取り、マッケランに投げる。
「望むところだ」
ギデオンとマッケランが剣を構える。
「やめなさーい」ジョナとメアリーが叫ぶ。
「いざっ」ギデオンとマッケランが剣を振りかざす。
「ああっ」ふたりの手から剣が落ちた。
ふたりとも、妙な姿勢で固まっている。
「ど、どうされました?」
「む、無念。龍の息吹にやられたようだ」
「同じく。魔女の一撃。不意打ちとは卑怯なり」
ギデオンとマッケランが冷や汗を垂らしながら答える。
「なあんだ。ギックリ腰になったのですね。年寄りの冷や水ですね」
「まったく、ふたりとも。いい年してみっともない」
ジョナとメアリーは冷ややかに言い、男性使用人たちを呼んだ。
「腰が治るまで、安静にしてくださいな」
老人ふたりをベッドに送り、ジョナとメアリーは話に花を咲かせたのであった。
***
よく晴れた夏の日。じいさまと貴婦人がしんみりとつぶやく。
「ささいな意地の張り合いで仲たがいをし、疎遠になったのだ」
「同じくですわ」
マッケランとメアリーは鼻をすすった。
「普段だったら聞き流せたことを、母が亡くなって余裕がなかったの。だから、わたくしも言いたいことを怒鳴ってしまって。売り言葉に買い言葉」
「あやつは口が悪いからな。ワシも家族の問題が積み重なっておったところだったからの、許せなんだ。辺境の領地に住んでいる親族から助けを請われて、急に引っ越しが決まってな」
メアリーはハンカチを目に当て、マッケランは上を向いた。夏の空はどこまでも高い。
「夏風邪はバカがひくと言う。ギデオンは昔からバカだったからの」
「まだまだ若いとか言って、マッケランおじさまに張り合って、湖に飛び込んだりするから。お父さまの、バカ」
ふたりの前には、騎士たちがズラリと並んでいる。若い騎士から年寄りまで、年齢幅は広い。
「国王陛下までいらっしゃってくださるなんて」
「ギデオンは無茶な師匠だったがの。陛下は心の広いお方だ。どんなにギデオンに立腹されていても、義理を欠くようなお方ではない。ギデオンも、もっと早く素直になって、陛下を立てていればよかったものを」
「本も、売り切れ続出ですのに。もう遅いのですね」
「そうだな、なにもかも、もう遅い」
マッケランはハンカチを取り出し、盛大に鼻をかんだ。
騎士団長のヒューゴが前に立つ。騎士たちが一斉に剣を上向きに掲げる。柄を持った手で拳を叩いた。
「ギデオン・モートメン侯爵。我らが騎士団長。国を愛し、民のために戦い、血を流した英雄。豪傑で、口が悪く、憎まれ、愛された。正しいと信じることを行い、不正を許さない、正義の人。今日流した汗、体にある傷、筋肉の痛み。戦う前はそれらを信じよ、そう我らを鼓舞した熱き魂。我らが恩師」
鳥たちがさえずりをやめる。ヒューゴの弔辞に耳を傾けているのだろう。
「なぜ今。どうしてですか。まだ、恩返しができていない。私をはじめとして、そう悔いる者が多いでしょう。聞こえますか、閣下。我らの思い」
ヒューゴが剣を持つ腕を伸ばす。騎士たちが続く。斜め上に掲げられた幾多の剣が、太陽に照らされてきらめいた。
「ギデオン・モートメン侯爵。我らが騎士団長。我ら、深い悲しみを乗り越え、あなたの遺志を継いで参ります。我が騎士団長に」
ヒューゴの声が一瞬止まる。
「敬礼」
騎士たちが敬礼する。
痛いほどの沈黙。
カタン、ゴンゴン。木を叩く音。騎士たちの目線の先にある棺が揺れた。
棺の蓋がずれ、中から老人が顔を出す。
「こらー、お主ら。ちゃんと泣かぬか」
ギデオンの怒鳴り声が響き渡った。しんみりと弔辞を述べていたヒューゴがため息を吐く。
「閣下、勘弁してください。葬儀の予行演習なんて前代未聞ですよ」
「バカ者。死んでから惜しまれても何の意味もないじゃろがい。ええーい、もうええ。さあ、飲むぞ。こわっぱと死にぞこないども」
現役の騎士たちと白髪の元騎士たちが、笑いながらギデオンを棺から担ぎ出す。
「師匠はいつまでたっても無茶苦茶ですな」
国王がギデオンの肩を支えた。
「お前の葬式、本番は地味にするぞ」
マッケランが逆側から、よろけるギデオンを助ける。
「何を言うか。お前の方が年寄りではないか、マッケラン。お主の葬式では盛大な弔辞をワシが述べてやる。参加者全員があの世に逝くぐらいに長いやつをな」
「俺には聞こえんから、どうでもいいな」
「おのれ」
「やるか?」
「おふたりとも、くだらない言い争いはやめてください。はい、ヒュードラーを漬け込んだウィスキーですよ」
ジョナが国王とふたりのじいさまにグラスを渡す。三人はニヤリと笑って、カチンとグラスを打ち合わせた。
「乾杯」
騎士たちが後に続く。グラスを合わせる音が青空に吸い込まれた。
***
「モーリッツ、何を読んでいますの?」
「ああ、ジョナ。これ、ものすごくおもしろいね」
モーリッツが『腑抜けども、俺の言葉を聞け ~英雄ギデオンの生涯。嘘かまことか、今それが明らかに~』をジョナに見せる。
「笑えるでしょう? どこまで事実で、どこから妄言なのか。神のみぞ知るって感じよ」
「ところどころにある、ジョナの突っ込みがツボにはまるよ」
「フフフ、そうでしょう。突っ込みどころが多すぎて、大変だったわあ」
ひとりで突っ込むのも大変なので、協力者を募ったところ皆がノリノリで書いてくれた。
「ヒュードラーの九つの首のところは、ギデオン様の師匠のひ孫さんが書いてくれたの」
『ギデオン様が四つ、イアン様が四つ、私の曽祖父である師匠が一つ。ギデオン様とマッケラン様の中ではそう結論づけられたようですね。曽祖父の日記によると、ギデオン様が一つ、マッケラン様が一つ、残り七つは曽祖父が切ったようです。証拠もあります。七つのヒドラの首がつけられたウィスキーです。我が家では誰も飲みません。七つの樽をギデオン様当てにお送りいたしました』
『責任を持ってギデオン様とマッケラン様に飲んでいただきますね。ジョーリーン』とジョナが注釈で返事を書いておいた。
ギデオンの生前葬で、屈強な騎士たちが飲んでくれた。もうほとんど残っていない。
「父上まで書いていて驚いたよ」
「陛下には突っ込み用の脚注ではなくて、巻末の解説をお願いしたの。陛下の本音なんて、庶民は聞く機会がないから」
「『ギデオン師匠の鍛錬は厳しく、毎日吐くたびに恨めしく思ったものだ。今ではあの時の愛の鞭を感謝しています。そろそろダニーと呼んでください』か。みんな、これが国王だと気づくだろうか」
「もちろん気づいているわ。大っぴらには言わないけれど。そういうウワサ、あっという間に広がるもの」
「ジョナの手柄、第一弾を祝して」
モーリッツがヒュードラー酒を小さなグラスに注ぎ、ジョナに渡す。
「乾杯」
ひと息で飲み干し、ふたりは顔をしかめた。
「おいしくない」
「そうね、でもそれがいいのかも」
口直しのワインを飲みながら、ふたりは本について語り合った。