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5. 父ニコラウスの決意


「目立たない、抜きん出ない、みくびられるぐらいでちょうどいい」


 ジョナの父は、いつもそう言う。王家の影が目立っても、いいことは何ひとつないのだ。しがない子爵家、パッとしない貴族、そう思われていないと仕事にならない。


 ジョナの父ニコラウスは、人前に出る時は困り顔で、肩身が狭そうにしている。王宮を歩く時は、廊下のはしっこ。夜会は壁際が定位置だ。割と、ヨレッとした服装をしている。お金がなさそう、貧相、あんまりな言葉がひそやかにささやかれる。


 表の顔は、ボンクラ中年の父ニコラウス。王家の影としては有能だ。殺しも、死体の処理も、必要なら誘拐も、なんでもござれ。汚れ仕事をイヤな顔ひとつせずにこなせる、できる男である。


 王家のために、率先して手を汚してきたニコラウスであるが。最愛の妻セルマが娘ジョナを産むにあたって、ある誓いを立てた。


「おお、神よ。生と死を司るトーデモロスよ。我が妻セルマとお腹の子を救い給え」


 ニコラウスは、難産で命の危機が迫った妻と赤子のため、祈り続けた。


「もしも、妻と赤子を助けてくださるなら、十年間の不殺を誓います。仕事柄、やむにやまれずヤッてしまうことがあるかもしれません。その際は、ひとりの死につき三人の孤児を援助します」


 ニコラウスは、抜け目なく抜かりなく、万一の不足の事態も踏まえた上で、不殺の誓いを立てた。ニコラウスの小狡さ、神に対しても出てしまう。生と死の神トーデモロスは、必死なニコラウスを哀れに思ったのかもしれない。


 セルマは無事にジョナを産んだ。それ以来、ジョナが十歳になるまで、ニコラウスは不殺を貫いた。うっかり瀕死の重体に追いやってしまったときは、癒しの力が強い妻セルマに治してもらい、誓いを守ってきたのだ。


「やれやれ、ジョナが無事に十歳になったことだし。これからは気兼ねなくヤレるな。王家の敵や他国の間諜をこっそり生かしてきたが。食費も世話代もバカにならんからな」


 ニコラウス、最初の頃は屋敷の地下牢に賊を幽閉していた。数カ月はちゃんと監禁しようとした。


「とはいってもなあ。ずっと狭い部屋に閉じ込めると病気になるだろうし。定期的に運動させて、日の光を浴びさせ、新鮮な空気を吸い込ませんと。死んだら元も子もない」


 律儀なニコラウス。賊たちを鎖でつないだ上で、庭を散歩に連れて行ったりした。


「お前ら、肉ばっかりじゃなくて、ちゃんと野菜も食べんか。病気になるぞ」


 賊が飢えることのないよう、かつ健康を維持できるよう、食事にも気を配った。


「地下牢は暗いから、気分が滅入るだろう。もう少し窓を大きくして、日の光が入るようにしよう。うむ、これなら本も読めるな」


 地下牢を快適空間に改造し、賊たちが暇を持て余さないように本も与えた。そのうち、すっかり気が緩んで、賊と家族みたいになってしまった。


「お前らの食費だけで俺の稼ぎが全部消えるじゃねえか。食費分ぐらいは働け」


 そんなことを言って、賊を屋敷でこき使うようになった。屋敷や庭の手入れ、掃除、動物の世話。長くいる賊は、給仕や侍従にまで上り詰めた。


「おかしな人だな。俺たちを生かした上に、食事も住むところも仕事までくれて。その上、少ないとはいえ、給金まで。意味分かんね」


「お子さんたちの教育係まで俺らにやらせるって、解せん」


「元賊に給仕させるしな。毒を仕込まれたりとか思わないのかね。まあ、入れねえけどさ」


 賊たちは、ニコラウスの意味不明な行動を生温かくからかう。長年の生ぬるい監禁生活で、すっかりニコラウスにほだされてしまった。地下牢はもはや、居心地のいい寮のようになっているし。


「お前らのお国の言葉を子どもたちに教えてやってくれ。普段使うようなくだけた言葉から、貴族の言葉まで、全部だ。頼んだぜ」


 他国の間諜に子どもたちの家庭教師をやらせている。


「給金はあまり出せないんだけどな。なんせ食費が」


 ニコラウスは、家族と賊たちを食べさせるために、身を粉にして働いている。



 ジョナ誕生から十年経って、もうヤッてもいいとなったニコラウス。


「ヤルってどうやるんだっけか」


 すっかり勘が鈍っている。清らかになった手を見て、どうしたもんかと考えているとき、ジョナがモーリッツ第三王子救出に向かった。ニコラウスと各国の間諜たちに鍛えられたジョナ。ニコラウスは、あまり心配はしていない。でも、念のため神に祈った。


「おお、神よ。生と死を司るトーデモロスよ。我が娘ジョナとモーリッツ第三王子殿下を救い給え」


 ニコラウスは前回にならって、こう続けた。


「もしも、ジョナとモーリッツ殿下を助けてくださるなら、十年間の不殺を誓います。仕事柄、やむにやまれずヤッてしまうことがあるかもしれません。その際は、ひとりの死につき三人の孤児を援助します」


 ジョナとモーリッツが無事に出てきたので、ニコラウスは仕方なく、また十年の不殺期間に入ったのであった。


「神に誓ったからには、不殺を続けないと」


 ニコラウスは困った顔で肩をすくめる。


「あんなこと言ってら。もう俺らの間じゃ、お人よしのニコさんって呼ばれてるのに」


 元賊たちは、仕方のねえ親分だなと頭を振った。


***


 家族と賊たちからの愛情をたっぷり受け、ジョナはスクスクと育った。ついでに、各国の間諜技術も余すことなく受け継いだ。


「お嬢、お嬢は一流の影になれますぜ。でもね、その白い手を血で汚す必要はないですぜ」

「お嬢は追い込むところまでやってください。仕留めるのは俺らが」

「うむ、そうだな。ジョナはまだヤラなくていい」


 心配傷の賊と父から、ヤルなヤルなと止められ、ジョナはヤレない間諜となった。


 ちなみに、姉と兄も殺しの許可はまだ出ていない。ふたりとも、ヤル気はまんまんなのだが。


「もうちょっと待とうか」


 ニコラウスはのらりくらりと、かわしている。いざというときのために、先んじて孤児も援助している。もちろん、シャッテナー子爵家当主ということは隠している。もの好きなニコおじさん、というテイでひっそり孤児院を訪れているのだ。


「いいか、寄付をただ待ってるだけじゃダメだ。なんでもいいから仕事をしろ。稼げ。自力で食ってけるようになれ」


 孤児院の運営なんて面倒な仕事は、引退した修道士に押し付け、生臭い世知辛い知識を孤児たちに叩き込む。


「春は農作業の手伝い、夏は洗濯、秋は落ち葉掃除、冬は雪かき。下働きなんていくらでもあるんだ。貧乏貴族に口をきいてやるから、しっかり働いてくるんだぞ。裏表なくきっちり働けば、お駄賃もはずんでくれるはずだ。ケチくせえ貴族がいたら、俺が悪口広めてやるから」


 子どもたちは、神のお恵みや、国からの援助、お金持ちからの寄付をポカンと待つのではなく、せっせと働いている。たまーに、ニコおじさんからおかしな依頼があったりする。


「この手紙な、クズ入れの中に突っ込んでおいてくれるかい。そう、お前さんがよく行ってる屋敷のクズ入れな。ほい、手付金。うまくできたら、同額をあげるからな」


「あの獅子の銅像が立ってる貴族のお屋敷あるだろう。明日の早朝、裏口をホウキでキレイに掃いてほしいんだわ。二階の窓から光りが三回見えたら、この小瓶を裏口の扉の前に置いてくれるかい。ほい、これで新しい靴でも買いな」


「明日の夕方、下町のパン屋が古くなったパンを捨てるんだと。拾ってもらってきてくれ。みんなで食べればいい。パンのゴミ袋の中に、封筒が入ってたら、明日の夜おじさんに渡してくれるか? おじさん、孤児院にでっかい肉を持ってくるから。そのとき交換だ」


 子どもたちは、尊敬しているニコおじさんのために、言われた小さなお仕事をきっちりこなす。


「ニコおじさん、いつも僕たちに仕事をくれて、ありがとうございます」

「ニコおじさん、冬場にお湯で体がふけるようになったよ」

「この前、お屋敷の料理人さんから、ちょっと悪くなったリンゴをたくさんもらったの。みんなで食べたんだ。おいしかった」


「よかったな。真面目に働いてりゃ、いいこともある。いいことなんもないときもあるけどな。でも、腐らずちゃんと生きるんだぞ。そしたら、おじさんがおいしいもの持ってきてやる」


 ニコラウスは子どもたちに仕事を与えながら、影として王家を守っている。物の数に入らない、人として見られることの少ない子どもの下働き。どこにでもいるのに、誰の目にもとまらない。最高の間諜なのだ。もちろん、子どもたちに危険がないように、細心の注意を払っている。全体像はニコラウスしか知らない。細分化して、ちょっとずつ役割を分担させているのだ。


 さて、そんな、もしやちょっといい人なのでは、影のくせに、疑惑のあるニコラウスであるが。少し困っている。まさかまさかで、モーリッツ王子とジョナが晴れて長年の純愛を実らせたのだ。


「よもや、万一のことを思って、ジョナの手を汚させなかったのは我ながら慧眼だったな。でも、まさか、ええー」


 どうせ若気の至りで終わるだろうと思っていた、王子の初恋。


「王子のくせに、影の娘と本気で結婚しようと思っているだなんて」


 大丈夫なんだろうか、あの王子。ちょいと不敬な疑問まで湧き上がってしまう。


「そりゃね、ジョナはかわいい。すごくかわいい。とてもかわいい。でも、貧乏貴族で影の娘ですぜ。無理が過ぎるってもんでしょうが」


 陛下に土下座したらなんとかなるだろうか。いや、陛下はノリノリの乗り気なのだった。困る。


「ううーん、参ったな。ジョナには恋多き女を演じさせてたしな。バカバカ、俺のバカ」


 おまけに、契約結婚までさせている。あの王家の信認の篤い三人。どれかと本当に恋仲にでもなってくれたらなと、かすかな期待を持っていたのだけれど。


「ジョナもモーリッツ殿下も、意外に一途だった」


 えらいこっちゃ。お家の一大事でっせ。だってねえ。


「目立たざること苔のごとし、で生きてきたのに。王家と縁づきになってしまったら、みんなからの注目を浴びてしまう。影としての仕事がやりにくくなってしまう」


 どうしたもんでしょうか。娘の幸せはもちろん嬉しいけれど。ニコラウス、王家の影の長として最大の危機に直面しているのだ。


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