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3. ジョナとモーリッツ①


 ジョナの一日は、念入りな化粧から始まる。ジョナにとって、化粧は仕事なのだ。


 三人の妻役を演じ分けるには、入念な準備がいる。彼女の設定、生い立ち、立ち居振る舞い、話し方、それぞれを頭と体に叩き込まなければならない。覚えこんだからといって、そう簡単になり切れるわけではない。それ相応の儀式が必要だ。ジョナにとっては、それが化粧。


 ジョナは三人の妻、それぞれに小さな化粧部屋を持っている。騎士団長ヒューゴの妻、ジーナの部屋は活動的だ。濃い緑色の壁紙に、馬の絵がたくさん。もちろん、ヒューゴの肖像画も飾ってある。衣装棚には動きやすい服ばかり。緑色や茶色がほとんどだ。


 鏡台には、安くてほどほどの品質の化粧品が少し。馬用のクリームや傷薬も雑然と並んでいる。


「ジーナは騎士で、馬が大好きっていう設定。馬に効くものは自分にも効果があるって信じてる」


 ジーナの化粧は、簡単、早い、自然を信条としている、ように見せている。清純そうに見える化粧が、ものすごく手間暇と時間をかけているのと同じ。


「殿方は、薄化粧の令嬢が好きって言いがちだけど。薄化粧って実は厚化粧なのよね。薄く見せるの、大変なのよね」


 パパッと化粧しました風に見せつつ、ジョナからジーナの顔になる。大変な技術がいる。


 化粧水を念入りになじませ、クリームをすりこみ、やや濃い色の白粉をはたく。余分な粉を落とし、眉毛は太めにくっきりと。目の際を茶色の鉛筆で囲み、健康的な印象に。頬骨の高いところに白い粉を載せ、目をキリッと見せる。口紅は控えめな薄い赤。


「最後に、赤毛のカツラをかぶれば、お転婆で元気なジーナができあがり」


 ジョナは鏡の前で剣を抜き、クルッと宙返りをしてみる。


「うん、カツラもズレないし、武器も落ちてこないし、大丈夫ね」


 鏡に映るジーナを見て、ジョナは満面の笑みを浮かべ、ムチを打つフリをする。ジーナは腹が立ったときは、ムチを持っていなくても、ピシッと打つ仕草をしてしまう。そうやって、細かな設定を落とし込んでいくと、より深い演技ができる。



 魔導師ヴィクターの妻ジーン用の化粧部屋は、研究室のような雰囲気。真っ白な壁には、魔法陣がたくさん張ってある。無機質な鏡台には高品質で知られる化粧品。


「ジーンは研究室に閉じこもっている設定なので、肌が白いのよね。何を食べれば健康にいいか、自分の体で実験しているから、意外と美肌でもある」


 美白に見える白粉の後は、目と鼻の間にやや濃い粉、眉間から鼻先までスーッと白い粉を載せる。


「鼻筋がスッキリ見えて、デキる女風になってきたわ」


 頬骨の下に濃い粉をポンポンとつけ、頬が少しこけている感じに。眉毛はやや細めで直線的に。口紅は鮮やかな赤。会議でバカな魔導士を威嚇するのには、強めの赤が最適だから。


「女性なのに髪があごの下までしかない。私は他の有象無象とは違うのよ。研究者なのよ。そういうちょっと高慢な雰囲気を出したいのよね」


 黒いカツラをかぶり、メガネをかけ、顎をツンッと上げる。


「なんとなく上から目線の知的美人ジーンの出来上がり」


 ちょっと偉そうな才媛ジーン。イラッとしてるときや、誰かをやり込めるときは、メガネのつるをクイッと上げる。それがジーンの癖。



 近衛騎士ライアンの妻ジョリーの化粧部屋は、可憐で甘い。白とピンクとレースの世界。


「愛され、モテ、小悪魔。それがジョリーよ」


 ジョリーは薄化粧に見せる必要はない。技術の粋を見せつけるぐらいでいい。


「透明感があって、人形のようなかわいらしさもあって、でも老若男女をドキッとさせる魅力にあふれてなきゃいけないの」


 みずみずしい桃のような、ほんのりピンクの頬。うるうるプルプルのピンクの唇。眉は細く、優美な曲線で。つけまつげはビッシリ、クルリンだ。ピンクのカツラをかぶれば、完成。


「うーん、これは惚れるわ」


 自分でも見てもドキドキする。淡いピンク色のドレスが文句なしに似合っている。


「ジョリーの人形を作ったら、子どもたちに売れるでしょうね」


 まとまったお金が必要になったら、家族に相談しよう。ジョナは鏡の中のお姫さまに上機嫌でウィンクした。ウィンクと絶妙なアヒル口。それがジョリーをジョリーたらしめる特徴。




 そうやって、それぞれの化粧部屋で儀式を行い、三人の妻になり切ってきたジョナであるが。自室の雑然とした鏡台の前でウロウロしている。


「明日はモーリッツとの初デートなんだけど。どんな化粧をすればいいのかしら。服は? 髪型は? どんな設定?」


 仕事なら簡単なのだ。相手の好みを事前に調べ上げているから、それに合わせるだけでいい。


「えーっと、モーリッツの好みって何かしら? 好きな色はなんなの?」


 ジョナは、モーリッツのそういう情報は持っていない。モーリッツは鉄壁の防御壁を築き上げていると評判の王子だ。


「アレクサンドロ・カール・モーリッツ第三王子殿下は、名前と年齢ぐらいしか知られていないのよね」


 もちろんジョナだって、社交の場に出るたびに耳を澄ませ、水を向け、モーリッツの情報を得ようとしていた。


「殿下はどなたか心に決めた女性がいらっしゃるのですって」

「舞踏会には妹のエマ第一王女殿下と参加されますもの」


「しかも、愛している女性としか踊らないって公言されていらっしゃるでしょう」

「あれほどの情熱を傾けられている女性って、どんな方なのかしら」


「亡国の王女殿下というウワサですわよ」

「まああ、素敵ですわ。ときめきますわ」


 そんな会話が繰り広げられるが、肝心なことは何ひとつ分からない。これまでは、その女性って、私のことかしら、でも違ったらどうしよう。喜びたいけど、別の女性だったら絶望して生きていけないので、私だとは思わないようにしよう。そうやって、心を押し殺して生きてきたのだ。


「モーリッツが、本当に、ずーっと私を好きでいてくれたなんて。夢みたいだわ」


 毎年、届けられるオレンジとクッキーは大事に食べた。箱と包み紙は捨てずにとってある。辛くて苦しくて、消えてしまいたくなったとき、箱と包み紙を抱きしめ、もらった指輪をギュッと握る。名前は呼ばない。口に出したら、会いたくて心が裂けてしまいそうだから。


「夢じゃないのよね。もう喜んでいいのよね。口に出していいのよね、モーリッツって。ああ、モーリッツ。あなたは何が好きなのかしら? 明日たくさん聞いてこなければ」


 プロポーズされたときは、すっかり浮かれてポーッとして、聞くのを忘れていた。ジョナは、忘れないうちに聞きたいことを紙に書き留める。


「好きな髪型、色、香り、趣味、話題、食べ物、飲み物、動物、馬車は右側と左側どっちに座るのが好きか。あと……」 


 本当に私でいいのか。ジョナは小さくつぶやく。


「十年だもん。十年前の私と今の私は違うもの。十年の間に、モーリッツの中で私の思い出が美化されてるもの、きっと。あれ、なんか思ってたんと違うな、って思われたらどうしよう」 


 考えただけで吐きそうだ。


「そしたら、明日は最初で最後のデートってことに」


 ジョナは鏡に映る青ざめた顔を見る。うっすら涙まで出ている。


「まさか、最初のデートで見切られるなんてこと、あるかしら。でも、捨てられるなら、早い方がいいわよね。どんどん好きになったあとに、やっぱりいりませんわってなったら」


 ゾゾゾーッとジョナの全身が粟立った。


「だったら、だったらさ。そのままの私でいけばいいと思う。それなら、モーリッツもすぐに判断できるでしょう。今の私を望むのかどうなのか」


 さて、そのままの私って、なんだっけか。ジョナはまた頭を抱える。


「振り出しに戻ったわね。取り繕わない、自然な私。それって、どんな感じだったかしら」


 演技するのが日常になっているので、ありのままの自分を見失いつつあるジョナであった。


「とりあえず、ドレスを着てみて、考えましょう」


 ジョナは衣装棚を開けて、とっくりと眺める。色んなご令嬢からもらったお下がり、姉のお古。新しいドレスは、ない。ジョナは、心が惹かれるものから順番に袖を通してみる。


「ピンクは、ジョリーになっちゃいそうだから、やめておこうかな。緑はジーナ、紺はジーンだからなしで。私って髪も瞳も茶色だから、地味なんだよね」


 地味なのは、誰かに化ける面ではとても有利だ。元の素材が主張しすぎていないので、柔軟に変装できる。


「変装は得意なんだけど。そのままで勝負ってなると、途方に暮れるわ」


 モーリッツは濃い茶色の髪に、引き込まれそうな青い瞳をしている。雪の切れ目の寒い冬の日、久しぶりに見える青空、澄み切った空気。光の感じによっては緑色にも見える。モーリッツの宝石のように美麗な瞳のことは、あまり知られていない。モーリッツは社交の場ではメガネをかけている。あの目を表に出すと、モテて仕方ないからじゃないかなとジョナはにらんでいる。


「ああ、明日着たい服が決まったわ」


 姉からもらった薄い水色のドレス。モーリッツの瞳に少し似ているドレス。


「明日はしっかり楽しもう。そして、私もモーリッツの幻に恋をしてないか、確かめてこよう」


 ジョナは鏡の向こう側の、真剣な顔をした自分に言い聞かせた。


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