24. 諦めないライアン③ <完>
ジョナとノラは、まだ修道院にいる。お嬢様に扮したノラは、サラになりきったジョーと歓談していた。
「ふたりは無事に出発したわよ」
「ああー、よかったー。サラさん、もっと迷うかと思ったけど。割とあっさり決断したわね」
「あんな長い手紙もらったらね、そりゃあね。ふたりの次は、いよいよジョナの番ね」
「これがうまく行ったら、もういいかなあ。最後をどう締めるか、まだ決めてないんだ」
「よさそうな場所、いっぱいありそうじゃないの、ここ」
「そうなんだけど。後世に語り継がれるような有終の美を飾りたいじゃない」
「ド派手にぶちかましちゃって、ジョナ」
ノラが両拳を握って、応援してくれる。
「うん、がんばる。ヴィクターとアダム、ふたりの天才魔導士から色んな便利道具もらってきたの。持つべきものは、有能な夫よね」
「そういえば、目の色が茶色に戻りかけてるわよ。目の色変える目薬使ったら?」
「そうね。本当に、ヴィクターとアダムに感謝よ。この目薬のおかげでサラになりきれるもん。モーリッツの目にはあんまり効かないんだけど、私の目には大丈夫なのよね」
ジョナは目薬を両目にさした。しばらくすると、目の色が灰色っぽくなる。
「色んな人と契約結婚しててよかったわね、ジョナ」
「人生に無駄なことなどないって言われてるけど、本当だったわ」
「誰が言ったか知らないけど、いいこと言うじゃない」
「ねー。じゃあ、そろそろ始めようかな。ジワジワ初めて、三日後ぐらいに終幕って感じかな」
「分かった。では、お互いがんばりましょう」
「うん、臨機応変でお願いします」
「了解」
仲良し姉妹は、最後の仕上げにとりかかる。
***
よく晴れた日なのに、院長の顔はうかない。どうしてもため息が出てしまう。
平穏で静謐な修道院だった。あの、猫の令嬢が来るまでは。あの猫令嬢が来てから、何かがおかしい。ひとりで歩いていると、何か気配を感じる。振り返っても何もいない。気のせいかと思いたかったけど、他の修道女たちも同じようなことを話題にしている。
夜、妙な動物の鳴き声が聞こえる。狼の遠吠え、カラスの鳴き声、今まで一度も聞いたことのないパオーンという声。寝ているとき、虫が体をはい回っているように感じ、飛び起きてベッドを隅々まで確認したが何もなかった。
頼みの綱のサラも、なんだか様子がおかしい。いつも以上に静かで、疲れているように見える。それも無理もないこと。あの強烈な猫令嬢をひとりで対応しているのだ。並みの精神力ではない。
「私など、一度話しただけで生気を吸い取られたようにグッタリしてしまいましたものね」
サラは、本当にかわいそうな少女。力を見込まれ男爵家の養女となり、働き続けたあげくに、こちらに送り込まれた。
「よくあることですが、ていのいい厄介払いとしか言いようがありません」
ここにはそういう女性がたくさんいる。決して修道院から出さない代わりに、多額の寄付金をもらえるのだ。
「なんと罪深いことでしょう。修道院の運営費欲しさに、かわいそうな少女たちを閉じ込めているのですから。こんなことをしているから、神の怒りに触れたのかもしれません」
晴れ渡っていた空が、急に暗くなる。上を見ると、真っ黒な何かが空を埋め尽くしている。院長は、渡り廊下から庭に出て目を凝らした。
「あれは、カラス?」
黒い塊は、よく見るとカラスの大群。
「カラスは、笑いを司るツェーロスの眷属と言われていますが。でもこれは、笑いごとではありません。背筋が凍る光景ではありませんか」
院長は目を閉じて手を組んだ。
「おお神よ。笑いを司るツェーロスよ。私の罪をお許しくださいませ」
必死で祈る。卑小な人間にできることは、祈ることのみ。
「院長様、これは何事でしょう?」
「嵐がくるのでしょうか?」
「恐ろしいです」
いつの間にか集まってきた修道女たちが空を見上げて震えている。
「皆、祈るのです。今まで犯してきた罪の許しを請うのです」
祈ろうと芝生の上に跪いた修道女たちは、悲鳴を上げて立ち上がった。いくつものネズミがこちらめがけて走ってくる。
「キャー」
「イヤー」
修道女たちの叫びが響き渡る。何人かの修道女は院長にかじりついた。
「助けて、誰か」
「助けて、サラさん」
いつもは、不吉な力と避けていた修道女たちが、結局サラの力を求める。サラはここで一番強い聖女だから。
突然、辺りが真っ白になった。霧のようなものに覆われ、何も見えない。上からのカアカア、足元のチュウチュウ。修道女たちは恐怖のあまり、声も出ない。
「皆さん、大丈夫ですか?」
霧の向こうから、静かな声がする。
「サラさんだわ」
「サラさん、助けてください」
修道女たちは声を上げる。
「分かりました。やってみます」
サラの声がいつも通りに穏やかで、修道女たちは気持ちが少し落ち着いた。徐々に霧が晴れてくる。辺りにラベンダーの香りが広がる。サラがせっせと霧を布袋に吸い込み、ラベンダーを詰め込んでいた。
霧が消え、お互いがよく見えるようになると、自ずと足元のネズミへ意識が向く。
「皆さん、ご安心ください。都合のいいことに、猫のお嬢様がいらっしゃっています。お嬢様の猫を使わせていただきます」
渡り廊下の柱の陰から猫の令嬢がのぞいている。修道女たちの視線が一斉に集中し、猫の令嬢はビクッとして柱に隠れた。柱が膨らんだ。見ていた修道女たちは、そう感じた。そんなこと、あるわけないのに。
「ねえ、あの柱。何かおかしくない?」
「あんな色だったかしら?」
ごく薄い茶色、羊毛のような色の柱だったはずだ。だって、他の柱はその色だ。でも、猫令嬢が隠れている柱は、いつの間にかオレンジと白の縞模様になっている。
「イヤッ、目が合った。柱に、目があるわ」
「そんなわけ」
ない、という言葉は途中で止まった。そこにいる全員が巨大な目に見つめられたから。よく光る金色の目。誰もが目をそらすことができない。目の次に、三日月のような口が現れた。そして三角の耳。
「猫の顔」
誰かがうめくようにささやいた。三日月の口が半月のように大きく開く。鋭い歯がビッシリと生えている。ネズミたちが騒がしく叫びながら修道女の足元を回る。ネズミの群れが小さな竜巻のように風を巻き起こす。砂が浮き、修道女のスカートの裾が持ち上がり、ベールが揺れた。
ブワッと猫の顔が近づく。大きな口が修道女たちに向かってきた。
「キャー」
「ヂュー」
悲鳴と断末魔。数人の修道女が意識を失い、地面に崩れ落ちる。
「いい子ねー、さすがだわー、レオー、全部食べちゃいなさーい」
阿鼻叫喚の渦の中、たったふたりだけ、様子が違う。淡々と呪文のようなものをつぶやくサラと、柱の陰から声援を送る猫令嬢。絶望の淵にいた修道女たちは、ポカーンと口を開けた。ネズミが次々と猫に食べられていく。地上が静寂を取り戻したとき、猫はゆっくりと形を崩していった。
「レオ、行かないで。ここにいて。またわたくしと一緒に暮らしましょう」
猫令嬢が懇願する。大きな猫は、口をニャアの形にし、猫令嬢と見つめ合ったあと、はかなく消え去った。猫令嬢は、柱にしがみつき泣き崩れた。猫令嬢のすすり泣きをかき消すように、上空のカラスが騒ぐ。
「カラスは、笑いを司るツェーロスの眷属。カラスに去ってもらうには、笑うのが一番です。さあ、皆さん、笑ってください」
サラが静かに言った。そんな無茶な。皆が思った。恐怖と混乱の極みで、笑えるわけがない。
「心から笑っていなくてもいいのです。口を開き、お腹から声を出し、ハハハハハハ」
カラスに日差しを遮られた薄暗い庭で、ニコリともせず笑い声を出すサラ。今まで生きてきた中で、最も恐ろしい光景だ。院長はそう思った。
「皆さん、何をしているのです。皆さんの力が必要なのです。さあ、続いてください。ハハハハハハ」
「ハハ、ハハハハハハ」
やるしかない。院長は腹をくくって笑い声を出した。院長にしがみついていた修道女たちが、顔を上げ、弱々しく後に続く。
「ハハハハハハハハハハハハ」
虚ろな目をして、半ばやけっぱちの、作り物の笑い声が広がっていく。狂気じみた世界。
「カアカアカアカア」
カラスの鳴き声が、満足気に聞こえた。気のせいかもしれないけど、そう感じた。そして、それは正しかったようだ。修道院の上空を旋回していたカラスの大群が、南の方に飛んでいく。青空が見えるようになった。
修道女たちは放心状態で芝生にへたりこむ。
「やった、やったわ」
「終わったのね」
「ハハ、ハハハハハ」
乾いた笑いが起こる。放心状態の修道女を、サラの言葉が追い詰める。
「いえ、まだです。何かが、来ます」
草や木の葉が音を立てる。建物が軋む。生ぬるい風が吹く。
「来ました」
ヘビの群れが四方八方から寄ってくる。石垣をのぼり、木々を揺らし、井戸の中からあふれてくる。修道女たちを取り囲み、鎌首を持ち上げ口を開く。鋭い牙と、長い舌。
「イヤ、もうイヤ」
逃げ場のない修道女たちは、お互いに抱き合って目をつぶる。無策で無気力な修道女は、サラの力を当てにした。
「ヘビは、生と死を司るトーデモロスの眷属。おお神よ。私が最も多く祈りを捧げてきたトーデモロスよ。この身を捧げます。どうか、他の修道女たちをお助けください」
サラの切々とした声に、修道女たちは薄目を開けた。今、なんて?
「ヘビたちよ、私の後についてきてください」
サラが走り出した。サラのそういう姿を見るのは初めて。意外と足が速い。
「サラさん?」
修道女たちが声をかけても、サラは振り向かない。一心に走り、鐘楼に向かっている。ヘビたちが、滑らかな動きで追いかける。サラとヘビたちは、鐘楼の中に消えて行った。
「まさか、サラさん。いけにえになる気なのでは?」
「止めなきゃ」
修道女たちはよろけながら立ち上がった。足に力が入らない。おぼつかない足取りで歩きだす。
「見て」
誰かが鐘楼の上を指さす。サラが鐘の隣に立っている。ベールが風に吹かれ、飛んで行った。銀色の髪が風にたなびく。サラが両手を広げる。そして、一歩を踏み出した。何もない虚空へ。ヘビも一緒に飛ぶ。修道女たちは手で目を覆った。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「サラさん、許して」
「どうして、癒しが利かないのー」
積み重なったヘビの上に、サラが倒れている。真っ白で血の気のない顔。顔にかかった銀の髪を、修道女たちはそっと後ろに流す。
「脈がありませんし、息もしていません。もう──」
誰も、致命的なひと言を発しない。
「ごめんなさい、サラさん。死神なんて陰口を言って。私、最低です」
「誰よりも神に祈って、清く正しく美しく生きていたサラさんなのに」
「わたくしの邪悪な性格を矯正してくださって、ありがとうございました」
「私の命をいくらでも吸い取ってください。だから、」
泣いて詫びたところで、サラは目を開かない。聖女たちが必死で手をかざすが、サラは動かない。自分たちが無力だったために、サラに全てを押し付け、こんなことになってしまった。もう神に仕える資格などない。
「サラ、サラなのか?」
後ろから男の声が聞こえた。男子禁制の修道院では、聞こえるはずのない声。耳当たりのいい声だ。爽やかな香りもする。靴、ズボン、ベルト、上着、全て上質。貴族に違いない。逆光で、顔はよく見えない。男性がかがみこみ、サラの頬に手を当てる。
彫刻のような横顔。長いまつ毛。形のいい鼻、薄い唇。柔らかそうな金髪が額に垂れた。
「サラに何があったのですか?」
修道女は目が合って息が止まった。このように美しい人を見たことがない。絵のような美貌。緑や青が混ざった、湖面を思わせる瞳。
「カラス、ネズミ、ヘビの大群に妙な霧。神の怒りなのか、魔の呪いなのか、それは分かりません。サラが退治してくれました。最後はあの鐘楼の上からヘビと共に飛び降りて、私たちを救ってくれました」
院長が悲痛な声で言う。物語の中の王子様のような美貌の青年は、ポケットから薬瓶を出した。
「まだ、間に合うかもしれない。これは、リヒトヘルレン王国の国宝であるポーションです」
憂い顔の青年が、ポーションを口に含むと、サラにキスをした。悲惨な状況なのに、青年の動き一つひとつが絵になるので、修道女たちの目がとろけそうになっている。
長いキスが終わり、青年の顔が少し離れる。青年とサラの唇がポーションで濡れている。青年はくいいるようにサラを見つめ、微動だにしない。全身から、心配と愛情が伝わってくる。
サラのまつ毛が震えた。ゆっくりとまぶたが持ち上がる。修道女たちは叫びたい気持ちを押さえて、お互いに抱き着き合う。
サラの目が、青年をとらえた。何度も瞬き、口を開く。
「モー」
「サラ、サラ、よかった。俺だ、ライアンだ」
サラが瞬きを繰り返し、青年をじっくり見たあと、目だけ動かして見下ろしている修道女たちに視線を送る。サラが深呼吸した。
「ライアン様。どうして、ここに?」
「ずっと探していた。サラに会いたくて。やっと見つけたと思ったら、大変なことになっていて、心配したよ。男爵とは話をつけた。どうか、リヒトヘルレン王国に帰って俺と結婚してくれないか。ずっと、サラを愛していた。これからも愛すると誓う」
修道女たちが手を組み、祈った。はい、というのです、サラさん。全員の気持ちがひとつになった。
「はい」
「やったー」
修道院が歓声で満ちる。皆、幸せの涙を流した。
***
「ジョナ、起きて。もうすぐリヒトヘルレン王国の王都に着くよ」
モーリッツはもたれかかって寝ているジョナを優しく揺らした。ジョナがパッと目を開け、モーリッツを見上げる。
「モー、ライアン様?」
「もうモーリッツで大丈夫だよ、ジョナ」
「焦ったー。よかったー。うまく行ったわね」
「焦ったーは、こちらのセリフだよ、ジョナ。あのときは演技だと思いたい気持ちと、もしかしてジョナが目覚めなかったらどうしようという不安で、いてもたってもいられなかった」
モーリッツの目が光る。ジョナはモーリッツの目元に親指を当てた。
「ヴィクターが作ってくれた、仮死状態に見える薬が効きすぎたのね。ヘビたちと、うまく着地できたんだけど」
「ジョナとヘビたちが無事でよかった」
「本当よ。ヘビたちは幼馴染だからね。わざわざ来てくれたのよね。優しい、いい子たち。演技まで上手」
ヴィクターとアダムが作ってくれた魔道具で、落ちる速度をゆっくりにすることができた。地面に残っていたヘビたちがきちんと受け止めてくれた。だから、大丈夫だったのだ。
「修道院のみんなも、うまく信じてくれたみたいだ。ジョナの演出がよかった、さすがジョナ」
「催眠がかかりやすくなるお茶を何日も飲ませたから。みんな簡単にひっかかってくれたのよ。ネズミもカラスも、ほんの少しの数だったんだけど、大群に思ってくれたのね。猫の幻はアダムの力作。霧を出すけむり玉と一緒に使えたから、効果抜群だったわー」
いくらでも悪いことに使えるけむり玉は、門外不出の魔道具だ。ジョナだからこそ使わせてもらえた。
「けむり玉は使わないにしても、煙幕を立てるのは舞台の演出にもいいと思う」
「いよいよ、私とモーリッツの馴れ初めを舞台で演じるのね。ドキドキするわー」
「鐘楼から飛び降りるよりは簡単だと思うよ」
「まあ、そうね。契約結婚でやったあれやこれやに比べると、舞台上は安全そのものよね」
「最高の舞台を作ろう。そして、ジョナの素晴らしさを民に広めよう」
モーリッツがジョナの髪をかきあげ、おでこをコツンと当てる。
「やっと、公の関係になるのね。緊張する」
「そう? 僕は嬉しくて叫びたいぐらいだ。みんな、見てくれ、これが僕の最愛、ジョナだーって」
「モーリッツったら。大好き」
ジョナはモーリッツに抱き着いた。
「大好きだ、ジョナ。これからは、どこででもジョナに愛を伝えられる。色んな人を助けて、手柄を立ててくれて、ありがとう」
「楽しかったから、これからも少しは続けようかな」
「僕も手伝う」
「ありがとう」
ジョナとモーリッツの舞台が、間もなく始まる。成功は約束されたようなものだ。ふたりの未来はどこまでも明るい。
お読みいただき、ありがとうございました。
ポイントいいねブクマを入れていただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




