17. 不器用なオーウェン③
「それで、どうだったのよ」
「もう、めっちゃかわいくて。やばいんです。ウェンディさん、めっちゃかわいくて」
「ほほう。詳しく」
「髪が夕焼けみたいなオレンジ色なんですよ。目は薄い緑色で。完璧な自然の調和がウェンディさんの顔に現れているんです」
「うんうん。いいわね」
「薄紫色のワンピースが似合ってて。そして、めっちゃいい匂い。香水とかの匂いじゃなくて、ウェンディさんそのものが、めっちゃいい匂い」
「うんうん。それは、本人への伝え方は考えようね」
「なんと、手作りのマフィン。ウェンディさん自らが、ブルーベリーマフィンを。めっちゃおいしくて。あんなおいしいマフィン、食べたことない。全部食べてしまいました」
「ほうほう」
「考え方とか、すごく似てるんです。いつもだったら沈黙が気になって焦るけど、今日は大丈夫だったとか。俺も、まさに、それって感じで」
「フフフ」
「次のデートは紅葉を描きに行くことになりました」
「素晴らしい。よくやりました。物覚えのいい弟子で、先生嬉しいわ」
「何もかも、師匠のおかげです。ウェンディさんと引き合わせてくださって、ありがとうございます」
「いやあ、一回のデートでそこまでベタ惚れするとは予想外だったけど。うまくいって何よりです」
「俺も驚いてます。やっぱり、あれですかね。自分のことを好きになってくれた子って、他のどの子より百倍ぐらいかわいく見えますよね」
「そ、そうね。そうかな。うん。ちょっとチョロ過ぎて、先生心配になってきたぞ」
ジョーに心配されながらも、オーウェンはがんばった。教えられた通り、誉め言葉を素直に口にする。好きという言葉は恥ずかしくて言えないまでも、一緒にいて楽しいということを態度で示す。他の女の子は見ない。「浮気したら破門」そうジョーから脅されているのもあるけど、ウェンディが大好きすぎて、他の子には目が向かない。
「そういえば、この前のデートでジョー先生から教わったスプーンケーキのカフェに行ったんです。そしたら、ピンク髪の女生徒から声をかけられて」
「なんですって? もしかして、こんな感じ?」
ジョーがまたクネクネし始めた。
「オーウェンさん、こんにちは。ひょっとして、デートですかぁ? あ、もちろん違いますわよね。失礼いたしました。オーウェンさんの親戚のおばさまですかぁ? とかなんとか、絶妙な嫌味をぶちかましてきたりしたんじゃあ」
「そうなんですよ。そんな感じでした。さすが師匠」
「当たってしまった。自分の想像力が怖い。それで、どうしたの? ちゃんとビシッと言ってやったんでしょうね」
「もちろんです。ちゃんと言いましたよ。こんにちは、今日は大好きな恋人のウェンディとデートしているんです。ええっと、失礼ですが、学園の先生ですよね? 名前を失念いたしました、って言ってやりましたよ」
「えらいっ」
オーウェンとジョーは手を打ち合わせる。
「そこまで言ってもらえたら、ウェンディさんも安心したでしょうね」
「そうなんですよ。それがきっかけで、正式におつきあいすることになって。ちゃんと好きですって言いましたし。名前も呼び捨てにすることになって」
「おーおー、のろけますなあ。先生、ちょっとうれし泣きしそうになっちゃいましたよ」
ジョーはハンカチで目尻をそっと拭った。
「そんな熱々のふたりに会わせたい人がいるのよ。次の休みには、ふたりでこの屋敷にいらっしゃい。私は金髪のカツラかぶっているから、驚かないように」
「はい、分かりました」
次の休日、オーウェンはウェンディと一緒に屋敷にやってきた。ふたりとも、いつもよりきちんとした服装で、緊張した面持ちだ。
「どなたなんでしょう?」
「ひとりはジョーさんと言って、俺が色々お世話になってる遠縁の女性。もうひとりは誰か教えてもらってないんだ。当日のお楽しみってはぐらかされてしまった」
戸惑っているふたりの前に、金髪で妖艶なジョーが現れた。目を白黒させているオーウェンを、ジョーは余裕のある態度で迎えた。
「ようこそいらっしゃいました、オーウェンとウェンディさん。ジョーです」
「初めまして。お招きいただきありがとうございます」
「ジョーさん、ええっと、あの。今日はあれですね、なんかいつもと違いますね」
「女性には色んな一面があると教えたでしょう。さあ、それはさておき、この屋敷の主にご紹介しますね。元騎士団長のギデオン・モートメン侯爵よ」
「ええっ、本当ですか?『腑抜けども、俺の言葉を聞け』読みました。大ファンです」
「俺もです。家族全員で愛読してます。すっごい、うわー、どうしよう」
「カッカッカ、なに、苦しゅうない。若者なのにワシの著書を愛読するとは。なかなか見所があるではないか」
ギデオンがカラカラと笑いながら登場した。
「もう、ギデオン様ってば。やっぱり待ってられませんでしたね。大物はドッカと座って鷹揚に待っているものだ、なーんておっしゃってましたけど。やっぱり、予想通り待ちきれなくて玄関ホールまで来ちゃった」
「なに、身軽で気さくで懐の深い男じゃからな、ワシは。ともかく、よく来た、若いふたり。ウェンディ、オーウェン。ふたりに頼みたいことがあって呼んだのじゃ」
ギデオン自らふたりを私室に案内する。ソファーに腰かけたふたりに、ギデオンが丁重に紙の束を渡す。
「『腑抜けども、俺の言葉を聞け』がよく売れたのでな。王国の英雄たちを題材にした続編を出すことになったのじゃ。カッカッカ」
「おめでとうございます」
オーウェンとウェンディは同時にお祝いの言葉を述べた。
「それでじゃ、頼みというのは他でもない。ふたりに挿絵を描いてもらいたいのじゃよ。まずは一章分を読んでもらいたい。そして、何か書きたい箇所があるのかないのか、忌憚のない意見を聞かせてもらいたい」
「も、もちろんです」
「もったいないお話です」
「無理強いするつもりはないからの。まあ、まずは読んでくれ。ワシがいると気が散るであろうから、席を外す。ゆっくりくつろいでおくれ」
恐縮しきっているふたりを置いて、ギデオンとジョーは出て行く。
「絵を描くって、もしかして、それが本の中に入るってことだろうか」
「そんなことがあり得るのでしょうか。わたくし、素人ですのに」
疑問は山ほどあるが、まずは読んでみることにした。
最初はゆっくりじっくり読んでいたふたり。徐々に紙をめくる手が止まらなくなる。ウェンディがハンカチを取り出し、目元を押さえる。オーウェンはハンカチを出し手や額の汗を拭う。
ほぼ同時に読み終わり、ふたりは深く息を吐く。
「これは、なんといいますか」
「俺、なんていったらいいか」
「良かったのか悪かったのか、早う言えー」
扉がババーンと開き、ギデオンが叫んだ。オーウェンとウェンディは思わず立ち上がる。
「泣けました。とても美しい恋物語で、大好きです」
「興奮しました。手に汗握る、冒険活劇は大好きです」
「よっしゃー」
ギデオンが両手を高く上げ、ウッとうめく。後ろに立っていたジョーがギデオンの腰を軽く叩いた。
「もう、急に動くと魔女の一撃で腰をやられますわよ。よかったですわね、ギデオン様。同じ物語を読んだとは思えないような真逆の感想でしたけれど。男性と女性では共感する部分が異なるのかもしれませんわね」
四人は向かい合って座り直す。
「それで、ウェンディさんは絵にしたい箇所がありましたか?」
「はい、たくさんあります。辺境の武骨な領主の息子と純粋で世間知らずな王女の出会い。魔物の群れに囲まれ、領主の息子が王女を抱きかかえたところ。他国の王子との婚約は解消し、領主の息子と結婚したいと泣く王女。苦難を乗り越え、最後にキスをする領主の息子と王女」
うっとりと語るウェンディの言葉を、ギデオンは満足そうに聞き、ジョーはせっせと紙に書き留めている。
「うむ、目の付け所がよいな。そこはワシも書いていて筆が乗ったところじゃ」
「とても参考になりました。ありがとうございます。それでは、オーウェンはどうかしら?」
「はい、俺もたくさんあります。息子と王女を助けるため、領主が兵を率いて魔物に突っ込むところ。王女を抱えた息子が、魔物の首に剣を突き立てるところ。魔物の屍の山の上で雄たけびを上げる領主。他国の王子に諦めさせるため、王女は魔物に殺されたことにし、棺の前で悲痛な顔をする息子」
「なるほどなあ、やはり男子は闘いの場面にたぎるのじゃなあ。まあ、オーウェンの場合は自分の祖先の活躍だから、なおさらじゃろうのう」
「えっ、祖先の活躍とおっしゃいましたか?」
「そうじゃぞ。なんじゃ、気づかなんだのか? これはグレアム家の実話をほぼそのまま元にしておる。名前なんかは変えておるがの」
ウェンディが恐る恐る手を上げた。
「あの、王女と結婚というのも実話でしょうか?」
「そうとも。民はな、もちろん知らんことになっておったそうじゃ。王女が死んだフリして、辺境の男爵家に嫁いだのだからな。他国の王子の横やりを防ぐために、国民全員が一丸となっ手秘密を守ったんじゃ。ワシが生まれる前の話じゃが。昔話としてこっそり教わったものよ」
「そんな、俺の祖先が王女と結婚したなんて。知らなかった」
「グレアム家は、そういうとこがあるんじゃ。なんというか、真面目。王家と王国に不都合なことは闇に葬り去り、きれいさっぱり忘れることにしたんじゃろうの。王家に忠実で、まっすぐで武骨で不器用。そういうとこなんじゃな。王家と武人がグレアム家を大事に思う理由はなあ」
ウェンディがまた手を上げる。
「あの、このお話を出版しても大丈夫なのでしょうか?」
「うむ、王家から許可はもらっておる。当のグレアム家が功績を忘れてしまっているのが哀れじゃろう。例の他国は、気にしなくてもいいぐらい衰退したしの。そろそろ語ってもよかろう、そういうことになった。とはいえ、どこの国の話かはボカしておるから大丈夫じゃ。分かる人に分かればよし。グレアム家にはワシから伝える、そういうことになった」
言葉を失い呆然とするオーウェンの背中を、ウェンディが優しく撫でた。
「死んだことになった王女を大切に扱ってくれたグレアム家。王女が降嫁したのに、秘密にするためグレアム家の爵位を上げることもできなかった。代々の王は、それをずっと気にしておられたそうだ。王女が好きだった湖に、十三個の願いをすれば叶うと伝えたのに、グレアム家はいつまでたっても爵位を望まんかった。そういうとこじゃぞ、まったく、お前たちは」
ギデオンの声が優しい。オーウェンはグッと唇をかみしめる。ウェンディがハンカチをそっとオーウェンの目元に当てた。
***
オーウェンが十三個の願いを投じた秘密の湖で、ジョナとモーリッツは葉っぱの舟を浮かべている。
「ジョナのおかげで助かったよ。ありがとう。爵位も金品も頼んでこないグレアム家に、どうしたものかと父上が悩んでいたから」
「オーウェンに聞いたら、王家に爵位や金品をおねだりするなんて、そんな浅ましいことはできない。自分たちの力ではどうにもできないことをお願いしよう。そんな感じで代々伝わってきたみたいよ」
「それが、モテたいとか、妻が欲しいとか、どうしてそんな願いになるのか。意味が分からない」
「魔物には強いけど、女性にはとことん不器用な男が揃った領地みたいね、グレアム領」
「昔々、僕の祖先の王女が押しかけ女房になったぐらいだから、魅力的な一族なのだろうけど。奥手なのかもしれないね」
「奥手だけど、やるときゃやるって感じなんだと思うわ。オーウェンもウェンディをきっちり守って大事にしているし。ふたりとも仲良しよ」
ギデオンからの長い手紙が領地に届き、グレアム一族は大騒ぎだったらしい。社交が苦手なオーウェンの父も、ギデオンから直接乞われて腹をくくったのだとか。間もなく王都に来るそうだ。
「父上が同席するそうだよ。おもしろそうだから、僕も出ようかな。ジョナもどう?」
「あら、どうしましょう。ジョーとしてかジョナとしてか、どっちがいいのかしら」
「もちろん、ジョナとしてだよ。グレアム家なら秘密を話しても安心だ」
「そうね。こっちもグレアム家の恥ずかしい秘密、たくさん持ってるものね」
代々の領主一族が書いた、ちょっとアレな感じの十三個の願い。ジョナの父ニコラウスがきっちり保管していた。
「お父さまがボヤいていたわ。グレアム一族があの湖にやってきたら、大急ぎで葉っぱの舟を回収しなきゃいけないじゃない。大変だって。グレアム家の誰かが王都にいる間は、湖に見張りを配置してたんですって」
「王家の影の仕事は多岐にわたるんだね。そんなことまでしてるとは知らなかったよ」
「今後はめんどうだから、私に持ってくるようにオーウェンに言っておくわ。それなら手っ取り早いもの」
「そうしてくれると、助かる。ニコラウスが」
モーリッツが笑い、ジョナも続いた。昔々、王女が愛した湖に、若いふたりの笑い声が響き渡る。




