15. 不器用なオーウェン①
「これで十三個目か」
オーウェンは月の光に照らされた湖の前でひとり佇む。
こんなことやって、意味があるんだろうか。押し込めていた疑問がヒタリとオーウェンの心の底から這い出ようとする。
「いや、意味がある。だって、父上が言ったんだから」
オーウェンは頭を振り、息を深く吸った。湖の周りに生えている、長くて幅が広いツヤツヤした草を取る。教えてもらった通りの手順で草の舟を作る。ポケットから紙を取り出し、舟に載せた。そっと押すと、舟はユラユラと湖の中にある小島に向かって進んでいく。
オーウェンは背筋を伸ばすと、拳を胸に当てる。
「我が名はオーウェン・グレアム。代々、南の魔の森からリヒトヘルレン王国を守るグレアム男爵家が五男。過去の盟約に基づき、我が願い叶えたまえ」
オーウェンのまだ少し高い声が、湖を渡る。オーウェンは胸に当てていた拳をさっと上げ、敬礼をした。
うっそうとした森。道なき道を歩く。父に教えられた通り、目印はそこここにあるから、月明かりでも無事に街はずれまで戻ることができた。オーウェンは伸びをする。
「あーあー、ここまでやっても無理だったら、どうしよう。父上に合わせる顔がないぞ」
ただでさえ、役立たずのオーウェン。領地から出てくる際に言われた、たったひとつのことさえ達成できなければ、無能の烙印が押されたも同然。
「そのときは、領地に帰らず王都で日雇い仕事でもするしかないか」
願いよ、叶え。オーウェンは祈った。
誰とも会話することもなく、全ての授業が終わった。授業中は気にならない。教科書を読み、先生の話を聞いていればいいのだから。休憩時間がきつい。ぼっち。ずっとぼっち。
みんなが和気あいあいとしている中で、ひとりポツンとしているのは心にくるものがある。気にしてないように見せるため、泰然とした態度を心がけてはいる。本を読んだり、庭園で鍛錬をしたり、時間を潰すのに必死だ。
昼食時間は、最初の頃は食堂に行ってみたりもしたが、すぐにやめた。大勢が楽し気にしているのを横目で見つつ、ひとり黙々と食べるのはむなしい。弁当を持参し、屋上や庭園の片隅なんかで食べている。誰もいない場所を見つけるのは得意だ。天気のいい日は、外で食べる人が多くなる。そういう時は、木の上まで登って、景色を眺めながら食べることにしている。
「やっぱ、顔かな」
グレアム家は、強面で知られている。魔物と戦い続けている内に、どうしても顔が猛々しくなるのだ。
「それか、知名度がなさすぎるからかな」
グレアム家は、王都ではほとんど知られていないらしい。華々しい産業があるわけでもない、遠く離れた田舎の領地。
「魔物との戦いが優先で、王都での社交なんてやってる場合じゃないしな」
先祖代々、社交とは無縁の生活だったと聞く。生きるのに必死。魔物を森から出さない、それがグレアム家の存在意義。森から抜け、領地から出てしまえば、魔物は次々と里を襲い、王都までたどり着いてしまうだろう。王都で華やかな暮らしをしている人たちは、一瞬で餌食になってしまう。俺たちは、盾であり、砦。それが誇り。王家とは特別な絆で結ばれている。貴族たちには知られていなくても、王家はグレアム家を高く評価してくれている。それで十分。
「とはいえ、やっぱり友だちぐらいは簡単にできると思っていた。甘かった」
誰からも声をかけられず、会話のないまま一か月が経ってしまった。なんとかなるだろうと、たかをくくっていたオーウェンも、さすがに焦り。ついには父から教わった願いを叶える儀式をするに至った。
「困ったら、ためらわず、やれ」
父に言われた。父は無駄口をたたかない。寡黙で無口。背中で語る、男の中の男。オーウェンの理想の姿だ。領地の誰からも、尊敬の目で見られている。ああなりたい。でも、なれない。オーウェンは、父ほどには強くない。兄たちからも末っ子として、いつまでも見くびられている。
「俺だって、ちゃんとやれるってとこ、見せたかったなー」
残念ながら、独力ではできなかった。オーウェンは、さっさと自分の力を見限った。魔物を前にして生き残るには、自分の力、仲間の力、全てを正確に分析し、全てを最大限に使わなければならない。過小評価も過大評価も、命取りだ。
「経験値が足りなさすぎる。誰か、俺を助けてくれー」
魔物なら慣れているが、人、特に王都の貴族は未知数すぎる。オーウェンの手には負えない。校舎を出て、校門に向かって歩いていると、人だかりが見える。生徒たちが目を輝かせて、ひそひそささやき合っている。耳のいいオーウェン。遠くからでも内容が聞き取れた。
「どなたかのお姉さまかしら。すごい美人ですわね」
「あの細い腰。うらやましいですわ。どんなコルセットを使っていらっしゃるのかしら」
「銀色の髪は珍しいですわよね。きっと高貴なお方なのだわ」
「サラサラでツヤツヤですわ。触れてみたい。髪の手入れをどのようにされているのかしら」
「誰か、話しかけてみてくださいな」
「こんな大観衆の前で無理ですわよ。注目されてしまうではありませんか」
「誰か、勇猛果敢な誰か。せめてお名前を聞いてくださいませー」
どんな美人がいるんだろう。オーウェンは人垣を巧みに抜けて見てみる。妖精。月の妖精が、校門に降り立ったのか。背中に羽がないのが不思議なぐらい、人並外れた美貌。腰まである銀の髪が、日の光に照らされてまぶしく輝いている。
「あの、どなたかをお探しですか?」
ひとりの猛者が話しかけた。緊張しているのだろう。声が上ずっている。妖精が首を傾げ、銀の髪が肩から滑り落ちる。全員が息を呑んだ。
「オーウェン・グレアムという生徒を探しています」
ささやくような声。静まり返っているので、その声はよく聞こえた。オーウェンは驚いて足を一歩踏み出す。
「オーウェン・グレアム?」
妖精と目が合う。オーウェンは思わずうなずいた。妖精が微笑む。
「やっと会えた」
妖精が手を伸ばす。オーウェンは前に出て手を取った。
「行きましょう、オーウェン」
何が何だか分からないうちに、妖精をエスコートして校門から歩いて行く。背後の群衆がどよめいた。
なんていい匂いなんだ。隣を歩く妖精の可憐さに、オーウェンは打ちのめされた。ちょっとした魔物になら、体当たりされてもいくらでも食らいつくオーウェンではあるが。こんなかわいらしい女性に、何を話していいやらさっぱり分からない。この人は、なんだろう。どうして俺を探していたんだろう。名前は? 年齢は? なぜ? 疑問がオーウェンの頭の中を飛び交う。
いつの間にか街はずれの大きな屋敷にたどり着く。
「知人の屋敷です。ここなら誰かに盗み聞きされることもありません。使用人は信用できる者ばかり。安心してください」
妖精が呼び鈴を鳴らすと、執事が扉を開け、心得たように客間に案内してくれる。大きな客間のソファーに座り、お茶が用意されると、妖精がおもむろに頭に手を当てた。
「やっぱり長いカツラは疲れるわ。ちょっと失礼するわね」
「ええっ」
きらめく銀髪が妖精の手ではずされ、茶色のひっつめ髪が現れる。神々しい妖精が、近所のお姉ちゃんぐらいの気安い雰囲気になる。魔法がとけたみたいだ。
「あら、がっかりした顔ね。分かるわ。さっきまでの私、高貴な妖精みたいだったでしょう?」
「あ、ええ、そうですね」
言い当てられて、オーウェンは目を落とす。
「でも、まあ諦めて。私のことを好きになられると面倒だから。さっさと実像を見せておかないとね。これも優しさなのよ」
なんて明け透けな女性だろう。オーウェンはさっきから驚きの連続で言葉が出ない。
「さて、オーウェン・グレアム。過去の密約に基づき、王家に願いを申し出たわね。あなたの望みを叶えに、私、ジョーが派遣されました。一緒に全力で成し遂げましょうね」
「えっ」
予想していなかった。こんなに早く、助けがくるなんて。しかも、こんな美人。いや、元美人と言うべきか?
「失礼だぞ。そういうとこだぞ。モテないのは。思ったことを垂れ流しにするんじゃありません」
「えっ、言葉に出ちゃってましたか?」
「いや、顔に出てた。女性は敏感だからね、気をつけなさい」
「はい」
オーウェンは素直に頭を下げる。母並みに鋭い女性だ。気を抜いてはならない。オーウェンは気を引き締め、ピシッと座る。
そんなオーウェンを見て、元妖精のジョーは満足そうな笑みを浮かべる。小さなカバンから紙をいくつか取り出し、オーウェンの前に並べ始めた。
「さて、十三の願いを読みました。モテたい。友だちが欲しい。彼女が欲しい。婚約者が欲しい。チヤホヤされたい。恋したい。領地についてきてくれる豪胆な嫁が欲しい。結婚できなければ、領地に帰らず王都で暮らしたい。手に職つけたい。幸せになりたい。立派な男になりたい。父に認められたい。兄たちを見返したい。なるほど、なんて生々しい欲望たち」
「うわー」
オーウェンは慌てて紙をかき集め、握って小さくし、ポケットに突っ込む。鏡を見なくても、自分の顔が真っ赤になっていることが分かる。こんな辱めを受けるとは思っていなかった。
「さて、弱みをさらけ出したからには、私を信じてやり遂げるしかないわよ。フハハ」
魔王のようなジョーの笑い。王都には魔物より恐ろしい女性がいることを、オーウェンは知った。もう、逃げられない。浅ましい欲を、知られてしまった。
「そんなに恥ずかしがらなくていいわよ。思春期なんだもの。それが普通よ。誰だって、モテたいし、チヤホヤされたいし、愛されたいの。私だってそう。でもねえ、オーウェン、あなた、そのままでは無理よ」
「やっぱり。顔が怖いですよね」
「いや? 顔はそんなに怖くないわよ。悪くない。髪が無造作に伸びて、顔が見えにくいのは難点だけど。ちょっと失礼」
ジョーがカバンから櫛を取り出す。手早くオーウェンの髪をとき、額が見えるように撫で上げる。
「うん、悪くない。そうね、眉間のシワを伸ばそうか。え、伸ばせない? やり方が分からない? 何言ってるんだか、この子は」
ジョーがグイグイとオーウェンの両眉毛辺りを横に引っ張る。
「なんて強情なシワ。ええっと、そうねえ。ああ、そうだ。口角を上げなさい。キュッと、上に、そう」
今度はジョーの指がオーウェンの口角を押し上げる。
「なんということでしょう。ニッコリ笑顔になると、眉間のシワがほら、消えましたー」
ジョーが得意そうな声で言う。
「これから口角は上げたままを保ちなさい。これは命令です」
「はい」
上と認めた人からの命令には逆らわないのがグレアム家の男である。オーウェンは口角に力を入れ続けた。
「あのね、話を戻すけど、顔じゃないのよ。あなたの問題はね」
「グレアム男爵家の知名度がないことですかね」
「いや? 知名度はそれほど問題ではないわ。知ってる人は知ってるわよ、グレアム家。安心しなさい」
「はい」
そうなんだ。それは嬉しい。あれほど勇猛な父が無名でなくて、救われる気分だ。
「ということは、社交をしてこなかったのが問題ですか?」
「まあ、それは多少あるわね。明らかに社交慣れしてないものね、あなた」
「はい、すみません」
ジョーがじっとオーウェンを見つめてくる。オーウェンは追い詰められたネズミのような気持ちになった。何か、悪いことをしただろうか?
「オーウェン、あなた、本当に分かってないのね?」
「何を、でしょうか?」
「気配よ、気配。あなたねえ、気配を消しすぎなのよ。それじゃあ、誰にも声かけられないわよ」
「えっ。そんなこと、えっ?」
「気づいていないのね。気配を消すのが癖になってるのね。魔物と戦うのが日常的な領地なら、そうなってしまうのかしらね」
ジョーが困った子ね、みたいな目をする。祖母みたいな目だ。オーウェンは頭を抱えた。
「し、しまったー。気づいていなかったー」
「王都に暮らしている貴族の子たちなんて、のほほんと過ごしているのよ。魔物なんて出会ったこともないの。気配を消す必要なんてないの。隠密行動してるみたいな、静かで気配のない田舎の男子なんて、気にも留めてもらえないのよ。気をつけなさい」
「ああああー、俺はどうすればーーー」
「大丈夫。そのために私がいるんじゃないの」
ポンッとジョーがオーウェンの肩を叩く。
「それにね、もう既に第一関門は突破済みよ」
「どういう意味ですか?」
「さっき校門で、銀髪の美女がオーウェンを探していることを生徒たちに見せつけたじゃない。あれが、これから効いてくるわ。あのね、男も女もね、美人が大好きなの。特に思春期はそう。美しいお姉さまが持ってるもの、身に着けているもの、連れて歩いている人。全てが憧れの対象に入るの」
「あ、ということは、俺も?」
「そうよ、あなたは超上級の美女に探し求められた男。誰も知らない存在感の薄い田舎者から、もしかしたらすごい人なのではと、みんながお近づきになりたくなる男に格上げしたのよ」
「や、やった」
オーウェンはあまりの話の急展開に呆然とする。
「明日から色んな人に声をかけられまくるわよ。ちゃんと対応できるかしら? 練習してみましょう」
ジョーが立ち上がり、オーウェンの隣に座る。膝を寄せ、見上げながら急にかわいい声を出してきた。
「オーウェン・グレアムさんっておっしゃるのですってね。わたくし、同じクラスのピンクって言います。ピンクって呼んでください」
「ピ、ピンクちゃん? へ、変な名前」
「アホウ」
ビシッとジョーの手刀がオーウェンの首に入る。オーウェンはせき込んだ。
「そんなどうでもいい設定に突っ込まないの。仮にもし、本当に女子がピンクって名乗ったら、そのまま受け入れなさい。もしその子が自分の名前を気に入ってなかったらどうするのよ。あなたとの縁は始まる前に消えるかもしれないわよ」
「は、はい。すみませんでした」
ジョーはまたかわいい女子を演じ始める。
「あのう、昨日の素敵なお姉さまってぇー、オーウェンさんとはどういうご関係ですかぁ? 婚約者だったりしますかぁ?」
なんかクネクネしながら言っている。オーウェンは照れくさくなって頭をかいた。
「いや、その、あの人はジョーって言うんだけど。俺と王家の盟約を果たすために派遣されてきた女性なんだ。実は昨日初めて会ったんだ」
「失格」
ジョーが氷のような声を出す。オーウェンはブルッと震え、座り直した。
「何をベラベラと内幕を暴露しているのですか。おバカさんめ。そこはボカして匂わせるだけにとどめるのが正解でしょう」
「は、はあ。なるほど。難しいです」
「特訓あるのみよ」
オーウェンは遅くまでしごかれたのであった。




