14. 忘れられないサイラス③
「私、泣いちゃったよ」
「そうなんだ」
「モーリッツとのこと、思い出しちゃった」
「そうか。十年も待たして、悪かった」
「待った甲斐があったからいいの」
ジョナはモーリッツに抱き着いた。マーゴとサイラスみたいに見つめ合う。
「今回は、ついていたわ。マーゴさんが秋祭りに来ていたらいいなと願っていたけど。まさか初日、しかもサイラスさんを釣り上げる瞬間に居合わせてもらえて」
「釣り上げたんだ」
モーリッツが小さく笑う。ジョナもつられて笑った。
「ついていた、というか。あれがふたりの運命だったのかもしれないわ。お互いを求め合い、恋焦がれ、諦めなかったから。神様が引き合わせてくれたんじゃないかしら」
「本当に好きになったら諦められないよね。僕もそれはよく分かる。ジョナのことをずっと思っていたから」
「私もよ」
モーリッツに髪を撫でられながら、うっとりしていたジョナ。ふと気になっていたことを思い出した。
「そういえば、サイラスさんのお姉さんに私のことオススメしてくれたのって誰なのかしら? まさかモーリッツ?」
「ああ、あれは、あの人だよ。マーゴ嬢の家庭教師。色んな貴族家を渡り歩いている伝説の先生。ちなみに、僕も一時期お世話になった」
「ええっ、そうなの? 大物じゃないの」
「そう。稀有な人だ。司法が助けられない、手を出せない、貴族家の隠された問題をこうやって解決して回っている。今回は最後のひと押しにジョナの力を借りたかったんじゃないかな。ジョナの能力を測りたかったのかもしれない」
「世の中には色んなすごい人がいるのね」
「先生に認められたジョナも、十分すごいよ。おめでとう」
「あら、そうなの? やったー」
ジョナが喜んでいるちょうどそのとき、マーゴの家族は呆然自失としていた。
秋祭りの後、格上の貴族リンクレイター侯爵家から婚約話が持ち上がり、気が付いたらマーゴが屋敷から出て行くことが決まっていた。
「マ、マーゴ、本当に出て行くのか?」
「姉さま、どうしてですの?」
「サイラスが好きだからよ。好きな人と一緒にいたいの。わたくしはずっと我慢してきました。ここにはわたくしの好きな人も、物もありません」
「マーゴ、なんてことを言うの? 必要なものは全て揃えてあげていたではありませんか」
「そうですね。でも、わたくしが気に入っても、ララが欲しいと言えば全てララに譲らなければなりませんでした。それはおかしいと言っても、聞き入れてもらえませんでした。わたくしは、ここでは幸せにはなれません」
きっぱり言ったマーゴを、家族は困惑した表情で見つめる。そのとき、扉が開きサイラスが入ってきた。
「マーゴ、迎えに来たよ」
「サイラス」
サイラスが手を伸ばし、マーゴを引き寄せる。
「まあ、あなたが、サイラス様」
ララの頬がピンク色に染まった。婚約の手続きの際、両親はサイラスと会っていたが、ララとは初対面なのだ。マーゴの手が震える。
「サイラス様。初めまして、ララです」
ララが上目遣いでサイラスを見る。ララの金色の髪が前に垂れ、甘い香りがマーゴに届いた。
「サイラス様がこんなに素敵な人だったなんて。知りませんでした。姉さまは幸運ですわね」
ララが一歩近づく。マーゴは下唇をギュッと噛み、叫びそうになるのを止める。
「わたくし考えたのですけれど、四人でデートしませんか? サイラス様のこと、もっと知りたいです」
ララが首を傾げ、ほっそりとした両手を胸に当てる。マーゴの胸がズキンと痛んだ。
「いや」
サイラスがマーゴの一歩前に出た。
「いや、俺が君に会うのは、これが最後だ。俺は絶対に、君を選ばない。俺が愛しているのは、マーゴだ。マーゴだけだ。それでは、失礼する」
サイラスはマーゴに向き合うと、「それでいいね?」と小さく聞いた。「はい」とマーゴは言う。
「では、行こうマーゴ。新しい君の家へ」
「はい」
マーゴはもう家族と目を合わせず、ただサイラスだけを見ていた。ふたりで屋敷から出て、馬車に乗り込む。侍女のハンナがマーゴの旅行カバンを持って、足音荒く、意気揚々と後に続く。
「ああ、せいせいした」
ハンナの割と大きなひとり言に、マーゴはプッと吹き出す。
侍女のハンナと共に、マーゴはリンクレイター侯爵家に温かく受け入れられた。家族や使用人に紹介された後、姉のエミリーが屋敷中を案内してくれる。
「ここが客間ね。お友だちを呼んでお茶会をするといいわ。わたくしのお茶会にも参加してね」
大きな窓がたくさんある客間は、とても明るくて居心地がいい。
「この扉から庭に出られるの。天気がいい日は外でお茶を飲むのよ」
エミリーが扉を開くと、爽やかな風が吹いてくる。
「庭は広いから、後でサイラスと散歩するといいわ。迷路もあるのよ。もし出られなかったら大きな声で叫んでね。犬が助けに来てくれるわ」
「いや、俺がずっといるから、そこは大丈夫だろ」
サイラスが言うと、エミリーは眉を上げ、疑わしいといった表情を作る。
「音楽室もあるのよ。ピアノ、バイオリン、フルート。サイラスはなんでも弾けるのよ」
「歓迎の曲を弾こうか」
音楽室に入り、サイラスがバイオリンを構える。サイラスの長い指が軽やかに動く。軽快で楽しく、思わず踊りだしたくなるような曲。弾き終わったサイラスはバイオリンを置き、マーゴの手を引き踊りだす。マーゴは笑いが止まらなくなった。
「これからは、楽しいことばかりしよう。音楽もダンスも散歩も」
「嬉しい」
「読書もいいわよ。図書室もあるの。マーゴさんは本が好きなのよね」
「はい、大好きです」
ひとりの時間に没頭できる読書は、マーゴのなによりの救いだ。図書室を案内してもらい、読んだことのない本の数々にマーゴは胸が高鳴る。
そんなマーゴを見て満足そうな笑顔を浮かべていたエミリーが、少し真面目な顔になった。
「次の部屋に行きましょう」
エミリーがためらいがちに扉を開ける。
「ここがね、マーゴさんの部屋。どうかしら? 壁紙もカーテンも家具も、好きなように変えてもらっていいの。マーゴさんはピンクが好きって、サイラスが言っていたから、取り急ぎピンク系統で揃えてみたの」
マーゴはピンクと白の、かわいらしい部屋に入り、両手で口を押える。マーゴの目から涙がこぼれ落ちた。エミリーとサイラスが大慌てでマーゴにハンカチを渡す。
「ごめん、勝手に選んで気を悪くしたかい?」
「いくらでも、取り換えるわよ」
マーゴは首を振り続ける。
「違います。すごく嬉しいんです。今まで、こんなかわいい色に囲まれたことがなかったの。ピンクや白は、ララのお気に入りの色だから」
「これからは、マーゴが好きなものを、好きなだけ選べばいいんだ」
「そうよ。妹と、あの家族とも、二度と会わなくていいわ。あとのことはわたくしたちに任せてね。きちんと手続きを済ませますからね。我が家は、マーゴさんの生家より格も力も上ですからね。全力で守りますからね」
「エミリー姉さん、言い方がちょっと下品かな。マーゴがビックリしてる。それに、マーゴを守るのは、俺の役目だ」
「分かってるわよ。サイラスだけで守り切れなかったら、わたくしが両親の威を大いに借りて蹴散らして差し上げてよ。ホホホ」
「おふたりとも、ありがとうございます。わたくし、本当に幸せです」
マーゴは心からそう言った。




